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『私の男』熊切和嘉監督が桜庭一樹の文学に映画として挑戦

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映画『私の男』より





熊切和嘉監督が浅野忠信、そして二階堂ふみを迎え、第138回直木賞を受賞した桜庭一樹の小説を映画化した『私の男』が6月14日(土)より公開される。北海道を舞台に10歳で孤児となった少女と、彼女を引き取ることになった遠縁の男の「禁断の愛」のかたちが描かれる今作。熊切監督が原作にどのように対峙したのか、そしてキャスティングや撮影について語った。



先日のプレミア上映会で熊切監督は、「文学では描かれているテーマだが、日本映画が避けがちなので、映画も負けていられない。匂い立つような、映画ならではのアプローチをした」と語っていた。また本作のテーマである「禁断の愛」に絡めてニコニコ動画で大島渚監督の『愛のコリーダ』、キム・ギドク監督の『絶対の愛』などを期間限定でプロモーションのために無料配信するという。世界に衝撃を与えた『愛のコリーダ』と比べてもその衝撃度はひけをとらない作品に仕上がっている。

熊切監督は、そのテーマである禁断の愛のシーンで血の雨をこれでもかと降らせるという映画ならではの表現方法で描き、桜庭一樹の文学に対して映画としての挑戦を行っている。

また、撮影素材を二階堂ふみ演じる"花"の幼女時代を16ミリで、少女時代を35ミリで、そして東京に出てきてからをデジタルで取り分けているのが興味深く、フィルムの粒状性の加減と有無が過去と現在、記憶の深度、紋別と東京といった違いを効果的に描写するのに成功している。音楽は熊切監督の『海炭市叙景』『夏の終り』に続き、風景と人物の情景と心情を表現する事に長けた音楽を作曲するジム・オルークが担当している。



父娘の関係を手触りとして信じられた




──原作との出会いはいつでしたか。また、読んだ印象をお聞かせください。


『海炭市叙景』がひと段落した2010年ごろに、人に勧められて読みました。すぐに、これは次に自分が撮るべき物語だ、と直感しました。北海道が物語の重要なところを占めている点にも惹かれましたし、やはりこの父娘の関係と運命には強く惹きつけられました。観念的にではなく、手触りとして信じられたというか。これを映画的に再構築したら、とんでもない作品ができるぞ、と勝手にゾクゾクしていました。



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映画『私の男』の熊切和嘉監督




──読みながら、ロケ地や撮影のイメージは浮かんできましたか。


流氷のシーンや雨の銀座のシーンなどは非常に映像的なので否応なしに浮かんできましたが、全てではないです。空間的にも、時間的にも大きなうねりのある、ドラマティックな映画にできそうだな、とは感じました。



──『海炭市叙景』でも北海道を描いていらっしゃいましたが、また、北海道でドラマを紡ぎたいという思いがあったんでしょうか。


ありましたね。僕は北海道出身ですし、『私の男』の舞台である紋別にも何度か訪れたことがあったので。『海炭市叙景』は、生活者の視点に立って作り上げていったのですが、『私の男』は、生活者の視点もありつつ、ふいと日常を超えるところもある原作だったので、そこが面白いと思いました。花という子は独特の感性を持った子だと思うので、基本的にはある一定の距離感を持って撮りながらも、要所要所で彼女の感性に寄り添うような尖った表現方法を織り交ぜていこうと思いました。




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映画『私の男』より




──実際に作品が動き始めたのはいつ頃ですか。


原作を読んで間もなく、たまたま知人の紹介で西ケ谷寿一さん、西宮由貴さんという二人のプロデューサーに会うことになったんです。その時は特に具体的な話をする予定ではなかったのですが、雑談の流れで今やりたい企画は何か、という話になったので、咄嗟に「私の男」をやりたいと話しました。お二人は『南極料理人』のプロデューサーだったので、流氷ロケも含めてできるんじゃないかと、お会いして直感的に思ったんです。その後、2011年に『私の男』の企画が釜山国際映画祭でAPM企画賞をいただいたことで、現実的に動き出しました。



──主演のキャスティングについて、イメージはあったのでしょうか。


浅野さんについては、原作を読んだときからイメージがありましたね。浅野さんは、僕たちの世代にとっては特別な存在ですから。学生時代からスクリーンで観ていてずっと憧れていたので、いつかご一緒したいなと思いながらなかなか叶わなかったんです。花役はどうしようかな、と思っていたときに、別作品のオーディションに二階堂さんがいらっしゃって、「あ、花がいる」とほんとに思ったんです。





──浅野さんと藤さんは『アカルイミライ』以来の共演ですね。


藤さんはすごく大好きな俳優さんですし、やっぱり今回のようにタブーに挑戦する映画で『愛のコリーダ』の方に出ていただきたかった、というのはあります。



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映画『私の男』より




多くの方に「体感」してもらい、

その心を震わせることができたら



──脚本を作るのは、大変だったのではないですか。


脚本の宇治田隆史には、残してほしいポイントだけ伝えて、基本的には任せました。原作は時代を遡っていくけど、映画は時代を追っていったほうがいいんじゃないかなと僕も思っていたんですが、宇治田もそういう風に書いてきたから、映画で物語るにはこれが正解なのかな、と思いましたね。ただ、流氷のシーンをはじめとして撮影するにはあまりに難易度が高いシーンが多くて、「撮れるもんなら撮ってみろ」という宇治田からの挑戦状を受け取った感じがして、意地でも撮ってやる、と奮起しました。まあ、原作を読んだときから流氷は外せないと思っていましたが。いざ映像にするには、どうしていいかすぐには分かりませんでした。また、映画にするうえで一番気を配ったのは、花が被害者に見えないようにすることでした。原作以上に花が主導権を握っているように描きました。




──今回、フィルムとデジタルをシーンによって使い分けていると伺いましたが。


『私の男』という作品が、16年にわたるドラマであるという点において、ダイナミックに時間を飛ばす際に使い分けができたら面白いんじゃないか、と思ったんです。また、僕らは自主映画を撮影するときにフィルムを使っていた最後の世代なので、フィルムでしか出せない質感のよさも解りますし、デジタルのよさも知っているのでやってみたかったということもあります。舞台が東京に移ってからの回想シーンで、雪の坂道がフィルムの質感で戻ってきたりすると、グッとくるんじゃないか、と。もっと言うと、流氷は何がなんでも35㎜で撮りたかった、というのもあります。そこで、花の幼少時代を16㎜フィルム、北海道の冬篇を35㎜フィルム、東京篇をデジタルで撮影することにしました。結果的に、使い分けができたのはとても面白い経験でした。




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映画『私の男』より



──劇中で何度か流れるドヴォルザークの「新世界より」が印象的でした。



「新世界より」は、東京篇で淳悟が夕方一人ソファに座ってコーラの空き瓶を吹いているシーンの段取りを行っているとき、ちょうど17時になって、偶然チャイムとして流れてきたんです。メロディが、浅野さんのお芝居と見事にハマっていて……。その後、録音の吉田憲義さんと「紋別の坂道で流したりして、ふたりの思い出のメロディにしよう」というような話で盛り上がりました。



──流氷でのロケをはじめ、記憶に残る撮影だったのではないですか。



流氷での撮影は、体力的に大変でした。湾の中に集まってきた流氷の上で撮影をしていたのですが、満潮になる度に氷の配置が変わってしまうので、毎朝、日の出とともに僕と撮影の近藤龍人くんとチーフ助監督の海野敦くんとで撮影ポイントを決めて動線の確保をやっていました。また、室内のシーンと屋外の広大なシーンとのギャップを出すため、部屋の中がものすごく濃密な空間になるように作りこみました。



とにかく去年一年間は丸まる『私の男』にかかりきりで、正直まだ自分では全然客観的に観ることができていませんし、上手く言えないんですが、何というか、今回の映画は理屈を超えて感覚に直接訴えかける映画になればなあと思って作ったので、多くの方にまずは「体感」してもらい、そしてその心を震わせることができたら嬉しいです。



(オフィシャル・インタビューより)













熊切和嘉 プロフィール



1974年9月1日、北海道生まれ。97年、大阪芸術大学の卒業制作作品『鬼畜大宴会』が第20回ぴあフィルムフェスティバルで準グランプリを受賞、大ヒットを記録し、第48回ベルリン国際映画祭パノラマ部門ほか、10ヶ国以上の国際映画祭に招待され一躍注目を浴びる。その後、PFFスカラシップ作品として制作した『空の穴』(01)、第60回ヴェネチア国際映画祭コントロ・コレンテ部門ほか数々の映画祭に出品され話題を呼んだ『アンテナ』(03)をはじめ、『揮発性の女』(04)『青春☆金属バット』(06)『フリージア』(06)など意欲的な作品を発表し続け国内外で高い評価を得る。08年の『ノン子36歳(家事手伝い)』は第38回ロッテルダム国際映画祭スペクトラム部門ほか映画祭に出品され、「映画芸術」誌の2008年度日本映画ベストテンで1位に輝いた。その後、10年の『海炭市叙景』も国内外で多数の受賞を果たす。近年の主な監督作品に『莫逆家族 バクギャクファミーリア』(12)『夏の終り』(12)など。










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映画『私の男』より


映画『私の男』

6月14日(土)新宿ピカデリーほか全国ロードショー



奥尻島を襲った大地震による津波で家族を失った10歳の花は、遠い親戚と名乗る男・腐野淳悟に引き取られることになった。家庭に居場所がないと感じながらも、一度に全てを失い茫然自失の花。淳悟もまた、家族の愛を知らないまま、白銀の冷たく閉ざされた町で独り生きてきた。「今日からだ」。紋別に向かう車の中、失ったものとこれからの不安とで、堰を切ったように泣く花の手を握りしめ話しかける淳悟。「俺は、おまえのもんだ」。孤独な魂が共鳴するように、ふたりはお互いの手を握り続けた。




監督:熊切和嘉

出演:浅野忠信、二階堂ふみ、高良健吾、藤 竜也、モロ師岡、河井青葉、山田望叶

原作:桜庭一樹『私の男』(文春文庫)

脚本:宇治田隆史

音楽:ジム・オルーク

撮影:近藤龍人

照明:藤井勇

録音:吉田憲義

美術:安宅 紀史

編集:堀 善介

VFX スーパーバイザー:オダ イッセイ

2013年/日本/129分/5.1ch/シネマスコープ/カラー/デジタル/R15+

©2014「私の男」製作委員会



公式サイト:http://watashi-no-otoko.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/私の男/518962304811458

公式Twitter:https://twitter.com/watashinootoko




▼映画『私の男』予告編


[youtube:NwxOl1pmYyU]

アロノフスキー監督同様無神論者の観客は『ノア』をどう観ればいいのか

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映画『ノア 約束の舟』より © 2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.





ダーレン・アロノフスキー監督デビュー作の『π』公開時に、ニューヨークのアンジェリカ・フィルムセンター周辺の路上にπのステンシルでスプレーするという宣伝手法を日本でも取り入れ、渋谷シネマライズの周辺の路上にアップリンク配給の非公式宣伝としてスプレーしまくったことを思い出しながら試写を観ていた。




当時『π』の製作費は600万円といわれ、『ブラック・スワン』では13億円になり、そして本作『ノア 約束の舟』では125億円だという。多分、自分が配給した事のある監督で一番出世したのがダーレン・アロノフスキーだろう。そして本作のヒットが評価され、最近では映画よりも大きな予算で製作される事も多いというテレビドラマの製作を先頃HBOと契約し、SF作品『MaddAddam』[マーガレット・アトウッド原作]を手がけるという。




さて、本作であるが、世界各国で大ヒットしている一方、イスラム圏のアラブ首長国連邦、カタール、バーレーン、エジプト、インドネシアとマレーシアでは上映禁止となっている。コーランでは、アラー(神)や予言者を偶像崇拝する行為を禁じており、この映画がその教えに反しているからだという。




なるほど、映画の世界を信じるならば、「神」と約束した行動をとる「ノア」(ラッセル・クロウ)の決断により、我々はこの世に存在する事になる。映画を観終わった後、神と神に仕えるラッセル・クロウに私たちを生かしてくれてありがとうと感謝の念でいっぱいになり、今この世に生きていて映画を鑑賞できるという至福の気持ちになる物語になっている。アラー以外の神を認めないイスラム圏の国が、本作を異教の映画として禁じるのもわからなくはない。




さて、無神論者の僕は、ノアの物語については、世界が洪水に襲われ、方舟に一対ずつの動物と人間が乗り込むという話が記憶にあるだけで、本作をスペクタクル作品として観ていた。神はこの世から邪悪な行いをする人間を消し去り、それをノアに託したという旧約聖書の前提さえ知らなかった。宗教的知識として多分、自分は日本の観客のマジョリティの一人ではあると思うのが。




旧約聖書になじみのない人は、アロノフスキー監督が語っている「世界のあらゆる文化に洪水物語がある。それは、水には信じられない破壊力とともに、信じられない再生の力があるからだ」という視点でこの映画を観る方法があるだろう。



予算を掛けてCGを使用すれば、どんな想像上のイメージでもスクリーンに映しだせる。そして、エマ・ワトソンやジェニファー・コネリーらの等身大の演技と、途方もないスケールの天地創造のCG映像を観ていると、まさに観客こそが神の視点で映画を見る特権を与えられているのだと実感するのだった。




ちなみにアロノフスキー監督は、ユダヤ教徒の家に育ったが、自分は無神論者だと公言しており、「映画の主人公ノアは、世界最初の環境保護主義者だ」と言っている。



文◎浅井隆(webDICE編集長)











「ノアの方舟」は人類最高の物語の一つ




──最初に、『ノア 約束の舟』のストーリーに魅力を感じるようになったきっかけは何ですか。




もとはと言えば僕が13歳のときからあたためていたものだった。ある日学校で、恩師といえる英語の先生から「平和について詩を書いてください」と言われたんだ。そのとき僕が書いたのが、「ノアの箱舟」についての詩だった。なぜそんな詩を書いたのか、自分でもわからないけどね。でも私は、その詩で国連のコンテストで優勝し、それが私がストーリーテラーを目指すきっかけにもなったんだ。つい最近、当時書いたその詩を見つけたんだ。7歳の息子に見せようと思って、地下室で昔のベースボールカードを探していたときに見つけて、「おぉ、これは貴重なものだぞ」と思った(笑)。




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映画『ノア 約束の舟』のダーレン・アロノフスキー監督




──なぜ、それほど昔からこの物語に関心があったのでしょうか。



人類最高の物語の一つだと思うんだ。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教と、主だった3つの宗教の核となる物語だ。何千年も伝えられてきて、世界中の人が「ノアの箱舟」の話は聞いたことがあるだろうし、聖書を知らなくても、独自の洪水物語を持つ文化も他に数多くある。洪水は誰にとっても切っても切れない、破壊と再生を示すものだ。この物語には人類の根源となる何かがある。映画化しようとした人間がこれまで一人もいなかったのは、この物語のすべてが奇跡であり、1990年以前には映像化するのが非常に困難だったからだ。今では、それを実写することが可能になってきている。いろいろな観念、希望の観念がつまった大作だ。



──これらの物語はなぜ、これほど息が長いのだと思いますか。



最初のスーパーヒーローものであり、類まれな物語だからだ。




──今作を手がけたのには、ご自身の信仰も関係していますか。



僕が何を信じているかは重要ではない。重要なのは僕が聖書に書かれている内容をどのように扱ったかということだ。僕にとって聖書は完全なる真実だ。それを読み、ノアの物語に命を吹き込みたいと思った。重要なのはそこだ。劇場で観客が見るのは聖書にあるリアリティと真実だ。個人の問題ではない。そこは僕が非常に重要視している点だ。小説を映画化しようとする人間が、「これはどういう物語だろう。どうすればこれを尊重できるか」と考えるのと同じようにね。『レクイエム・フォー・ドリーム』でも同じように、物語を理解し、21世紀の観客が共感できるように描く努力をした。「ノア」の物語には、今の世の中で起きていることと深いところで繋がっているテーマがたくさんあると思う。既に作品を見た友人たちから、「これほど古い物語なのに、テーマが現代的だと感じた」と言われたのが何よりの褒め言葉だった。




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映画『ノア 約束の舟』より © 2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.


──もっと以前にこの映画を作ろうとしたことはあったのですか。



そう。最初に考え始めたのは、『π』を作り終えた98年だった。今から15、6年前だね。当時の僕は映画を作り始めたばかりで、スケールというものを理解していなかった。ナイーブさが最大の才能になる場合もあるけれど、そのときは違った。次に、今から6年ほど前にあるスタジオのために、脚本を書いたけれど、そこのお偉方が交代して実現しなかった。確か話が決まった一か月後にスタジオの経営が変わったんだ。そのために頓挫してしまい、ずっと棚上げ状態だった。その後、『ブラック・スワン』の撮影が終わった頃に、ニュー・リージェンシーのアーノン・ミルチャンから、「一緒に何かクレイジーなものを作ろう」と電話をもらい、「実は、一つクレイジーなものがあるんだ」と言ったら、彼が飛行機でやってきて脚本を読み、「よし、始めよう」ということになったんだ。その後パラマウントに話を持ち込んだ。最終的には、撮影まではそれほど険しい道のりでもなかった。





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映画『ノア 約束の舟』より © 2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.



ラッセル・クロウはこの役に最適な男だった




──アリ・ハンデルとの共同脚本については、どのように仕事を進めたのですか。



アリとは、いろいろなアイデアについて長い時間をかけて話し合ったことを一緒に組み立てていく。アイディアをインデックス・カードに書いていって、並べていく。キャラクター同士やシーンとシーンのつながりについて考えるために、カードを色分けすることもある。そうすることで図解されたものを見ながら考えることができるんだ。壁に貼ってね。大抵の場合、勇気を出して先に書き始めるのはアリだ。彼が書いた脚本を10ページごとに送ってくるので、僕が書き直すんだ。それを最後まで続けてドラフトができる。80から90番目のドラフトが出来上がったところで撮影に入る。脚本作りの大半は書き直しなんだよ。



──ラッセル・クロウとの仕事はいかがでしたか。



この映画の中では、奇蹟といえる出来事が起きる。観客がそれを、リアリティを持って観ることができるような演技ができる俳優が必要だった。クロウは、目の動き、唇の動きひとつで様々な感情を表すことができる俳優で、彼しかいないと思ってオファーした。ラッセルは優れた役者だ。彼はセットで僕らの様子を見ていて、かなり早い段階から安心して、「この映画はちゃんと作られているだろうか」という不安は払しょくされたようだ。僕らが映画製作について深く理解していることわかって貰ってから、彼から少し敬意を感じるようになった。彼の敬意を得るには、こちらがそれ相応の仕事をする必要があるんだと思う。彼は、相手の過去の仕事を見て、あっさりと敬意を払うような人間じゃない。彼の尊敬に値する人間だということを実証してみせないといけないんだ。僕はそれでまったく構わない。彼はこの役に最適な男だった。




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映画『ノア 約束の舟』より、主演のラッセル・クロウ © 2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.



──エマ・ワトソン演じるイラの役柄について、そしてエマ・ワトソンをキャスティングした理由を教えてください。




正義と慈悲、善と悪のなかで登場人物が悩む、エモーショナルな物語にしたかった。イラは善を象徴しており、未来への希望でもある。ノアとイラが対立するような物語にすることで、ドラマを生み出すことができたと思います。エマは『ハリー・ポッター』シリーズで世界中で愛されている女優だけれど、オーディションをしてみたら、もっと大きな可能性がある女優だということがわかりキャスティングした。本作では、大人の女性として、今までに見せたことのない、新しい表情で演技をしている。





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映画『ノア 約束の舟』より、エマ・ワトソン © 2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.



役者との作業が僕は何よりも好きなんだ





──大作の制作は、小さい作品と同じ楽しさがありますか。



『ノア』のような大作では、役者とのやり取り以外にもいろいろとやるべきことがある。役者との作業が僕は何よりも好きなんだ。「アクション」と「カット」の間の時間。自分と役者だけの時間。すべての人が、一つのことに集中している時間。でもこういう大作ではそれ以外の作業がたくさん発生する。でも、はるかに大きなスケールでストーリーを語ることができるし、うまくいけばはるかに大勢の観客の心を動かすことができる。それもエキサイティングなことだ。でも僕が何よりも好きなのは役者と仕事をすることだから、次に小作品を手掛けることになっても驚かないでほしい。



──このような大作につきものの、様々な噂は気にしますか。



公開後は、ようやく休暇をとってしばらくの間姿を消すよ。でも世間と繋がっていることは重要だと思う。世間で何が起きていて、みんながどんなことを話しているかを知るのは大切だと思うから。そういう繋がりは、僕らにとって大きな希望なんだと思う。僕は、ツイッターやフェイスブックなどがアラブの春に影響したのは確かだと思う。ある意味、それらは僕らを救うツールになり得る。真実を隠しておくことが困難だからね。あのようなひどいことが起きた時、画像や映像が撮られ、拡散する。以前は、秘密を保持することはとても簡単だった。壁を築くことがとても簡単だった。今の世の中にベルリンの壁があることなんて想像できるかい?壁で隔たれた人々がフェイスブックで交流することを想像できるかい?今はもう情報を隠しておくことはできない。エドワード・スノーデンが世の中に与えた影響など、実に興味深いことが今は起きている。いろいろな苦難がある中、人々はコミュニケーションをすることができる。真実を外の世界に知らせることができるんだ。




NOAH

映画『ノア 約束の舟』より © 2013 Paramount Pictures. All Rights Reserved.



──それでは、映画監督として、ご自身の作品に対する意見には注意を払いますか。



それに関しては気にしない。今はもうすっかり慣れたよ。『レスラー』を作っているときには、「なぜ、ミッキー・ロークをレスリングの映画に出すんだ。頭がおかしいんじゃないか」と言われたし、『ブラック・スワン』を作ったときには、「一体、なんだってバレエの映画なんて作ってるんだ」と言われた。そして今回の『ノア』では、「なぜ聖書の話なんてやるんだ。彼も魂を売ったな」という声ばかりだ。しかし、僕は昔から、自分が作りたいと思うものをやってきた。この作品も観てもらえば、僕がこれを作りたいと思った理由を理解してもらえるはずだ。



(オフィシャル・インタビューより)










ダーレン・アロノフスキー プロフィール



1969年、ニューヨーク市ブルックリン生まれ。ハーバード大学で実写映画とアニメーションを学ぶ。1997年、数学に取り憑かれた男の破壊的な運命を描いた不条理スリラー『π』(97)で長編デビュー。1998年のサンダンス映画祭で最優秀監督賞を受賞。『ブラック・スワン』(10)で、アカデミー賞監督賞にノミネート。主な監督作品に、『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)、『ファウンテン 永遠につづく愛』(06)、『レスラー』(08)、『ブラック・スワン』(10)などがある。ほかに『ビロウ』(02)脚本・製作総指揮、『ザ・ファイター』(10)製作総指揮 など。












映画『ノア 約束の舟』より

6月13日(金)TOHOシネマズ 日劇1ほか全国ロードショー



ある夜、ノアは眠りの中で恐るべき光景を見る。それは、堕落した人間を滅ぼすために、すべてを地上から消し去り、新たな世界を創るという神のお告げだった。大洪水が来ると知ったノアは家族と共に、罪のない動物たちを守る巨大な箱舟を作り始める。やがてノアの父を殺した宿敵がノアの計画を知り、舟を奪おうとする。壮絶な戦いのなか、遂に大洪水が始まり、ノアの家族と動物たちを乗せた箱舟だけが流されていく。閉ざされた箱舟の中で、ノアは神に託された驚くべき使命を打ち明ける。箱舟に乗ったノアの家族の未来とは?人類が犯した罪とは?そして世界を新たに創造するという途方もない約束の結末とは──?



監督・共同脚本・製作:ダーレン・アロノフスキー

出演:ラッセル・クロウ、ジェニファー・コネリー、レイ・ウィンストン、エマ・ワトソン、アンソニー・ホプキンス、ローガン・ラーマン、ダグラス・ブース

共同脚本:アリ・ハンデル

撮影:マシュー・リバティーク

美術:マーク・フリードバーグ

衣装:マイケル・ウィルキンソン

編集:アンドリュー・ワイズブラム

音楽:クリント・マンセル

製作:スコット・フランクリン、メアリー・ペアレント、アーノン・ミルチャン




公式サイト:http://www.noah-movie.jp/

公式Facebook:https://www.facebook.com/movieNOAHjp

公式Twitter:https://twitter.com/movie_NOAHjp





▼映画『ノア 約束の舟』予告編

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『マージナル=ジャカルタ・パンク』アジア最大級のインドネシア・パンクシーンに迫る中西あゆみ監督の決意

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『マージナル=ジャカルタ・パンク』より



インドネシアの首都ジャカルタにアジア最大のパンクシーンがあるということは、日本ではあまり知られていない。独裁政権で抑圧されたフラストレーション、そこから生まれた反逆精神。貧困層から生まれた壮絶なジャカルタ・パンクシーンを追い続けるフォトジャーナリスト中西あゆみ。彼女は7年間に渡りジャカルタ・パンクバンド「マージナル」を撮り続け、映画『マージナル=ジャカルタ・パンク』を発表した。スラムでの取材など危険をかえりみないストロングスタイルな撮影、ジャカルタに住みながら撮影する覚悟と粘り強さ、そうまで彼女をのめり込ませたジャカルタ・パンクとは、マージナルとはなんなのか。パンクを愛し、報道写真の可能性を信じるフォトジャーナリストが記録した壮絶なドキュメンタリー『マージナル=ジャカルタ・パンク』の中西監督に話を聞いた。

この作品は5月に上映の後、好評につき6月14日(土)より渋谷アップリンクにてレイトショー公開が決定。またアップリンク・ギャラリーにて写真展も開催されている。



ジャカルタにはパンクになる理由がある




──なぜジャカルタのパンクバンド「マージナル」を題材にしようと思ったのですか?



マージナルみたいな人たちがいるってことを知ってもらいたいというのがいちばん大きいですね。彼らはインドネシアの小さい村だけで終わる存在じゃないと思うんですよね。彼らがやってることって、自分たちでどう思っているか分からないですけど、世界共通で、人として大事だと思うことを体感して行動している。それをたまたま写真家の私がツールになって伝えられればいいなと思いました。




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『マージナル=ジャカルタ・パンク』の中西あゆみ監督


──フォトジャーナリストになるきっかけはなんだったんですか?



アメリカでフォトジャーナリズムの学校に行き、卒業と同時にニューヨークの「タイム」誌のインターンになりました。その間、報道に携わりながら、ずっと好きだったパンクのライブ写真も撮っていたんですけど、「タイム」誌に入って、ジャーナリスト/戦場カメラマンのジェイムズ・ナクトウェイと出会い、非常に影響を受けました。私が「タイム」誌を辞めるきっかけにもなった人なんです。彼が「アシスタントにならないか?」って声をかけてくれて、彼のアシスタントをしばらくやっていたんですけど、それがやっぱりいちばん大きいですね。「タイム」誌とナクトウェイの存在がなければいまの私はないですね。






──ジャカルタに行くきっかけっていうのは何だったんですか?



2005年に初めてインドネシアに行ったんですけど、私のもうひとりの恩師でもある写真家のジョン・スタンマイヤーが当時バリ在住だったんですね。それで彼のワークショップに参加しに行ったんですよね。彼は私がパンクの写真を撮ってることを知っていて、彼からジャカルタにパンクシーンがあることを教えてもらって、興味を持ったのがきっかけで行きました。



──何もツテがない状態でジャカルタのパンクシーンを撮りに行ったんですか?



FUCK ON THE BEACHやVIVISICKといった日本のバンドが数ヶ月前にジャカルタでツアーをしていたというのが分かって、いろいろ当たってみたら現地に友人が居たので、そのツテを訪ねて、そこからいろいろ広がっていきました。ただ、マージナルには2007年まで会えなかったんですよね。




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『マージナル=ジャカルタ・パンク』より




──存在は知っていたんですか?



知ってました。もうすでに有名なバンドだったので、ただすごく閉鎖的なコミュニティなので。最初に知り合ったのが、わりと反マージナルのコミュニティだったので、派閥がいろいろあるんですよね。だから徐々にいろいろなプロセスを踏んで、ようやくマージナルを紹介してもらえました。



──ジャカルタ・パンクの数あるバンドの中からなぜマージナルを追いかけようと決めたんですか?



ジャカルタ・パンクにはたくさんコミュニティがあって、いろいろなバンドに出会って取材してきたんですが、いまいちピンと来ていないところがあって。彼らがパンクになる理由は分かるんです。貧困や地域間格差が問題となっている国だし、パンクになる理由はあるし。でも自分がもっと突き詰めたところまでいけるんじゃないかと思っていたんです。その頃に「ほんとにジャカルタ・パンクを知りたいならやっぱりマージナルに会わないとダメじゃない?」と言ってくれた人がいたんです。



──それは現地の方ですか?



はい。現地ですごく仲良くなったスキンヘッドの軍団がいるんですけど。その人たちがマージナルを紹介してくれて、初めてマイクと会って話してみたら、ものすごいことを言う人だったので、衝撃を受けて。



──いままで出会ってきたパンクの人たちとは違う印象だったんですか?



まったくもう、天地の差でした。人格者としてもそうですけど、こんなことを言う人たちがいるんだ!という衝撃を受けて。もしかしたらこの人たちに出会うために私はインドネシアに来たのかもしれないという勝手な使命感が生まれて、そこからですね。





彼らにとって自分たちの言語で伝えることが大事




──映画の中でも政府に反発する内容の歌を歌ってましたけれど、そういうメッセージの曲が多いんですか?



反政府と簡単に言いたくないんですけど、もともとは弾圧やスハルトの独裁時代に起こった事実を伝えるというところから、政府が民主化したいまも何も変わってないところがあって、さらにひどくなっている。10歳の子供たちがストリートで生きるような国は変えなきゃいけない、間違っていることを正しく理解してもらいたいという思いが根底にあるのだと思います。それは一般人だけじゃなくて、政府の人間にも分かってもらいたいというところがあると思いますね。



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『マージナル=ジャカルタ・パンク』より




──マージナルの音楽はアコースティック・ギターを用いたフォーキーな部分もあり、パンクとしては独特だと思うんですけど、これはジャカルタ・パンクの特徴なのですか?



いえ、ものすごく特殊なバンドだと思います。まずパンクのミュージシャンは英語で歌いたがるんですが、マージナルは全部インドネシア語です。それは、自分たちのメッセージを誰に伝えたいか、まず自分の友人であり家族であり、コミュニティの人たちであり、村の人たちであり、子供たちに伝えたいというところから始まっているからです。彼らがバンドを結成するきっかけになったのも、スハルトの時代に言論の自由が何もなくて、その中でいまの世の中が間違っているということをどうやってみんなに伝えていくか考えた時に、歌だったら伝わるんじゃないか、であれば歌詞は分かりやすくしなくちゃいけない。だから言葉をいかに分かりやすく、自分たちの言語で伝えるかが彼らにとって大事なんですよね。だから他のパンクスとはちょっと違うスタンスがあると思います。



映画の中でマージナルと子供たちが触れ合う場面が数多く登場する。子供たちにウクレレを教え、版画を教え、子どもたちのために演奏し、時にいっしょに歌いあう。刺青だらけの強面パンクスという外見からは想像がつかないほど、子供たちの未来を真剣に考えている。その根底にはリーダーのマイクの言ったこんな思想があるからだろう。「誰もが人間らしくお互いをリスペクトし合って平等に生きていける世の中を求めていて、それがみんなに平等にあることを求めている。そうあるべきだということをひとりでも多くの人に伝えていくために、いまやっていることを続けていきたいし、そのスピリットを忘れたくない。これまで一度たりともこの気持ちはブレたことがないし、これからもブレることはないと思う」。




──マージナルが伝えたいことと、中西さんがジャーナリストとして伝えたいこと、アプローチは違えどインドネシアの現状を伝えるという部分ではかなり似ている気がします。



かなりシンクロしてますね。それもあってすごく衝撃を受けました。1枚の写真で世界が変えられるということを、自分が報道を通して、「タイム」誌でもナクトウェイにもすごく教わってきた中で、私が自分だからできるのはパンクを撮ることしかなかったし、マージナルの言っていることがあまりにも説得力があったし、これを日本にだけでも持ってこれるのはもしかしたら自分かもしれないと思ったので。まずは自分の親や兄弟、友人からでも観てもらっていろいろな人に広がっていけばいいなという気持ちから、いまここまでたどり着いたというか。



──エンディングでもテロップが出ていますが、今回の上映の「2014年春版」から今後も継続して更新していくということですけど、観る側としては、それが中西さんが彼らを一生追い続けるという覚悟の表れなのかなと思います。なかなか日本に住んでいるとジャカルタのパンクシーンを知ることができない中で、中西さんを通じて現地のいまを知ることができる、やっぱり「いまを伝える」ということにすごく重きを置いているんですね。



そうですね。ジャーナリストとして、現実を伝えたいという気持ちがあるので、それはすごく大事にしてますね。去年映画を上映する機会をいただいて以来、ライブハウスとかいろいろな所で上映する機会をもらって、字幕とか映像も毎回更新して微調整を加えながら回を重ねてきて、今回アップリンクで上映したものは今年の映像も入っているんですよね。まだまだ途中だと思ってます。



(インタビュー・文:石井雅之)


マージナル1

アップリンク・ギャラリーにて、左より中西監督、マージナルのボブとリーダーのマイク











中西あゆみ プロフィール



写真家。フリーのフォトジャーナリストとして活動するかたわら、日本や米国などを渡り歩きパンクスの写真を撮り続けている。インドネシアのパンクシーンの存在を知り2005年に初めてジャカルタを訪問。以来、取材のため何度もインドネシアを訪れている。2007年に、バンド「マージナル」と出会い、衝撃を受けた。それ以降は、マージナルの活動を中心に、写真と映像両方でドキュメンタリーを製作している。取材と撮影に集中するため、2010年にジャカルタに移住した。

http://www.ayumi-nakanishi.com/












マージナル=ジャカルタ・パンク 2014年春版

Jakarta, Where PUNK Lives - MARJINAL

6月14日(土)より渋谷アップリンクにてレイトショー上映



監督:中西あゆみ

2014年/日本=インドネシア/60分

料金:一律1,500円(別途ドリンク代)

http://www.uplink.co.jp/movie/2014/25940




中西あゆみ写真展 マージナル=ジャカルタ・パンク

6月30日(月)まで渋谷アップリンク・ギャラリーにて開催



入場無料

http://www.uplink.co.jp/gallery/2014/25941





▼映画『マージナル=ジャカルタ・パンク 2014年春版』予告編


[youtube:RFefFUcJK28]

アメリカの大麻合法化の動きは日本にどのような影響を与えるのか?

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『マリファナ合衆国』より、著者のLove S. Doveさんが2014年1月1日より合法的な大麻の販売が解禁となったデンバーで購入した大麻と、元旦の日付が入ったレシート



2014年より合法的な大麻販売が始まったコロラド州でのレポートをはじめ、マスコミの報道からはなかなか伝わってこないアメリカでの大麻合法化の背景を追った『マリファナ合衆国:アメリカの合法化政策を通して学ぶ、大麻との上手なつきあいかた』が電子書籍で刊行された。著者であるデンバー在住のLove S. Doveさんは本書でアメリカの大麻合法化により拡大する、ビジネス面を中心にした社会の変化を紹介。さらに「ビギナーのためのカンナビス・コンシューマー・ガイド」として、合法的な大麻製品の選び方や使い方が掲載されており、コロラド州を訪れ大麻ショップで買い物をしてみたい人にとってのガイドとして読むこともできる。サイト・エンセオーグの主宰で、雑誌「SPECTATOR」などで執筆活動も行なうLove S. Doveさんに、アメリカの大麻をとりまく現状や日本への影響についてスカイプで話を聞いた。






大麻ビジネスが活性化した激動の5年間を追う



── 今回の『マリファナ合衆国』は完全自費出版だそうですね。



校正だけは「SPECTATOR」の編集長の青野利光さんが見てくださいましたが、それ以外の作業はすべて自分で行いました。表紙のデザインも自分でやっています。やってみて、やはり本を作るのは大変だと思いましたね。売るのはさらに大変です。



── この本の構想はいつごろ生まれたのですか?



この本にも書いてあるんですけれど、今年の1月からコロラド州で合法的な大麻の販売が始まって、それを私は1月1日に雪のなか並んで買ったんです。そのときに、まずアメリカの大麻にまつわる観光ガイドを作れないかと思ったんです。その構想を考えているうちに、観光ガイドだけではなくて、日本の大手のメディアが書かない大麻についての情報をリサーチして含めようと思いました。コロラド州で1月から販売が始まったことで新聞などでも報道が増えましたが、とはいってもまだアメリカと日本では差があるので、そうした内容を電子書籍で出すことを決めました。



書籍は原稿を書き上げてから、読者の手元に届くまでに何ヶ月もかかりますから、情報が古くなってしまう。マリファナの情報は早いので電子書籍のほうがいいと思いました。校正が終わってから表紙デザインやレイアウトに2、3週間。Amazonにアップロードすれば翌日には販売されます。新書の1/3くらいのボリュームですが、そのボリュームで早く出せるのが電子書籍のいいところですね。



── 冒頭にショップで大麻を購入する様子が克明に描かれていますが、そこが出発点だったんですね。執筆にはどれくらいかかったのですか?



3ヵ月くらいです。プランを作って、4月の上旬に出したいと思っていたので、3月に執筆を終えて校正をしてもらって、原稿をAmazonにアップロードするにあたってまた手間取って(笑)、時間がかかってしまったんですけれど。予定通りに出すことができました。



特に最近になって、大麻所持の逮捕者数が白人と黒人で大きな差があるということがクローズアップされています。そしてオバマ大統領も大統領選出馬時のインタビューなどで、昔、大麻を吸っていたということを発言しました。もしその当時逮捕されていたら大統領になれませんでしたから、大麻を使用しても逮捕される人とされない人がいることをオバマ自身も問題視しています。





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『マリファナ合衆国』より、コロラドの医療用大麻薬局ロッキー・マウンテン・ハイの入口





── この本は、Love S. Doveさんの体験レポートに加え、グリーンラッシュに代表される経済的な影響、そして大麻を巡る歴史やシステムの面など、様々な角度からアプローチしています。これまでの大麻に関連する書籍はサブカルチャーの角度や違法性についての視点からのものが多かったと思いますが、本書は大麻の利用の拡大については経済的な効果が無視できないという点を強調しているのが大きな違いですね。



いくつかのキーワードから肉付けしていきましたが、とりわけ最近出てきたビジネス面について書きたかったという思いがあります。例えば、今までも大麻について日本では昔からおじいちゃんが縄を編むのに使っていたり、大麻の良いところを伝えようとする活動はありましたが、昔から日本の精神的な世界と関連していた、というアプローチだけだと、一部の人にしか伝わらないと思ったんです。でもビジネスという面であれば、より多くの人が関わらざるを得ないので、もっと幅広い人に関心を持ってもらえるんじゃないかと思いました。



── 2009年ぐらいから2014年まで、この5年間のアメリカでの大麻をめぐる動きはどんなものでしたか?現地でも大麻が解禁になることによる税収の面や、関連企業が活気を呈するようになるという状況を如実に感じましたか?



そそうですね、加えて最近では医療面での効果が認められてきているという動きがあります。サンジェイ・グプタという、CNNの記者で医師でもある人なのですが、難病の子供が大麻オイルによって劇的に回復する様子をレポートして反響を呼びました。その後、保守的な南部の州などでも医療用大麻が部分的に合法化されました。2009年に、私はニューヨークにいたのですが、その頃はリーマン・ショックによる不況で失業者が多く大変な時でした。その時に大麻ビジネスが活性化してきて、そこで私もアンテナを張っていました。2008年にブログを始めて、大麻関係のニュースを追いかけるようになっていましたが、そのときには実際に大麻の動きをここまで取材しようという目的があったわけではないんですが、カリフォルニアが面白そうだなと思い行ってみることにしました。自然な流れで、アメリカでの大麻の現状をレポートするのに正しい時に正しい場所にいたという感じです。カリフォルニアでは、大麻の畑に行って収穫のお手伝いをしたりしたんです。実際に大麻業界に関わっている人たちのそばにいて話を聞くことができたので、こういう動きがあることを伝えたいと思いました。



2009年当時は、医療大麻が合法の州がいくつかありましたが、連邦法では違法なので、医療大麻の薬局が摘発されることが何度かあり問題になっていたんですけれど、2009年にオバマ政府が医療大麻関連の施設への強制捜査を行わないということを宣言して、それから急にいろんなところでビジネスがはじまりました。



その後、2010年にカリフォルニアで合法化の選挙があって、これは否決されましたが、それにより、世論がマリファナを合法化するかしないかを考えるのではなくて、どういう形で合法化させるかを考えるようになって、その後コロラドで2012年に合法化されたんです。



大麻や関連製品は広告に制限があるので、町を歩いていてもそれほど活気は感じないかもしれません。去年はカンナビスカップ、今年は420ラリーという大麻のイベントに行ったのですが、そこでは大麻ショップやメーカーが派手なプロモーションをしていてすごかったです。手作りパイプなどを売っている小商いのブースは隅の方へ追いやられていました。これもここ数年における変化です。




世界的な大麻の非犯罪化への動き



── Love S. Doveさんが大麻に興味を持つきっかけについて教えていただけますか。



1990年代なかばの高校生の頃、同級生はSMAPやB'zを聴いていたのですが、私は洋楽が好きで、ある日音楽雑誌を読んでいたらアメリカのヒップホップ・グループ、サイプレス・ヒルがインタビューで「マリファナが好きでいつも吸っている」と語っているのを読んで、当時はマリファナのことを何も知らなかったので「えっこんなこと雑誌に書いちゃっていいの!?」とすごいびっくりしたんです。そこから興味を持つようになり、いろいろな本を読み始めました。高校の図書館にアンドルー・ワイルの『チョコレートからヘロインまで―ドラッグカルチャーのすべて』(1986年刊行)が置いてあって、この本は古い本ですけれど、すごく勉強になりました。実際に大麻に出会ったのはそこから何年か先で、新しくできた友達が大麻好きで、家に遊びに行ったときに吸わせてもらって、いろいろと指導してもらいました。



── どんなときに吸いますか?



最近は、夕方、夜にひとりで吸うことが多いです。椅子に座ってリラックスして、効いてくるのを観察しているというか。頭のなかにいろんなノイズが、雑念があるんです。人とおしゃべりしているときじゃなくても、ひとりでいるときに頭のなかで自分自身としゃべっているというか。常に思考が頭のなかにあって、そういうものが大麻を吸ってぼーっとしていると、静かになっていって、頭の中がすごくクリアになるんです。瞑想的になる感じが好きなんです。そして大麻の効果が少し残っている状態で眠りにつくのが好きです。私の友人はいつも、夜10時頃に仕事から帰ってきて、大麻を吸って、大きなテレビとプレステで臨場感あふれる戦闘ゲームをやるのが好きです。人それぞれで面白いですよね。



──本書にも安全に楽しむための5か条が記載されていますが、Love S. Doveさんの今の使い方は、いろいろ試してみることで明確になったのでしょうか。



最初はよく分からないですし、個人差があるので、どれくらいの量が自分にはちょうどいいのかとか、使っていきながら試しています。風邪薬だったら1錠飲んだら熱が下がるとか、家で飲んでも会社でも同じように効きますけれど、大麻はそうではないです。そこが医薬品として商品化するのが難しいところなんですよね。どんな気分で使うかや、どういう場所で使うかによって効果が違ってきますので、何が自分に合ってるのかは、やはり経験から学んでいくしかないですね。慣れてくると、とくに努力しなくても、自分にとって好ましい状態にもっていくことができるようになります。体が学習して脳の中に回路ができるという感じです。



── 現在アメリカで活動することを決めたのも、大麻に身近にあるからですか?



それもありますけれど、もともとはデザインを勉強するために大学に行っていたんです。それから音楽も好きですし、よくも悪くも最先端の国だからそこにいることは勉強になるんじゃないかと思いました。



── サイプレス・ヒルをはじめとするヒップホップ以外にも、アメリカのポップ・カルチャーのなかにマリファナは出てきますよね。



そうですね、例えば『ウォールフラワー』とか『エターナル・サンシャイン』、『ブリングリング』など、最近観た映画ではほとんど出てきますね。『ウォールフラワー』は高校生たちのホームパーティーのシーンで出てきますが、実際にかなりの数の高校生は吸っていると思います。『シンプソンズ』のお父さんも医療大麻患者ですよ。



── この本のなかで、マリファナをとりまく考え方とともに、ドラッグの濫用が心の問題として捉えるべきで、投獄するよりも治療に重点を置くべきではないか、と書かれています。



結局、本人に止める意思がなければ止めないんです。投獄したとしてもアメリカですと刑務所のなかでもドラッグが手に入ります。ですから、刑務所に入れたからといって解決はしないんです。それに、囚人をひとり刑務所に入れるのにも、食事を出したり、看守を雇ったりなど、お金がたくさんかかります。それよりも、治療して社会復帰したほうがいいんじゃないかと考えています。




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『マリファナ合衆国』より、大麻ショップの店内 Sonya Yruel/Drug Policy Alliance



── アメリカでもそうした考え方が高まっているということですが、その他の国では?



アメリカよりも、ポルトガルをはじめヨーロッパのほうがそうした考えは高まっています。というのは、アメリカは一部の刑務所が民営化されているので、そのシステムから利益を得ている人がたくさんいるからなんです。それでも、各自治体が取り締まり、犯罪者として投獄するのにお金を使うくらいであれば、非犯罪化や合法化することでその地域に収入が生まれるほうが経済的にプラスなのだ、と考える地域がアメリカでも増えているということです。その点を知ってもらうことが、一般市民全体の意識の変化にあたっては、重要なポイントだと思います。



合法化となったデンバーのその後



── Love S. Doveさんがいま住んでいるデンバーの市民の、大麻への関心の変化については、実感するところはありますか?



コロラド州会議事堂の前に公園があるのですが、その周辺に大麻を違法で売っている人や吸っている人がよくいるんです。今までは吸っていて逮捕されることはなかったんですが、今年から合法化されることにより、そこに警察とパトカーがいるようになり、売ってる人や吸っている人がいなくなったんです。公共の場所では吸ってはいけないということになっていて、最初は建前的なルールなのかなと思っていたところもあるのですが、しっかり徹底されています。警察も新しいルールを定着させるために頑張っているようです。実際に通りを歩いていても、マリファナに匂いが漂ってくることはほとんどありません。みんな、マナーを守って楽しんでいます。ですが、町中でマリファナの話が聞こえてくることなら、増えました。コソコソ話す話題ではなくなったということでしょうね。



── 合法化になることによってゾーニングが確立されて、マナーも守られているということですね。



私はそう感じます。たまに若い男の子とかが道で吸っていることをみかけることもありますが、それが警察に見つかると罰金をとられることになります。デンバーはわりと裕福な人が多く住んでいて、同じくらいの人口の他の町と比べて治安が良いそうです。それも合法化がうまくいっている一因だと思います。



── 読んだ方からの現在までの感想にはどんなものがありますか?



「コロラド行きたいです」って(笑)。やはり、良い環境で体験することが一番だと思います。大麻観光旅行のコーディネイトの依頼をいただくこともあります。今まで、大麻好きの人としてイメージされてきた音楽好き、旅好きの若い方たちとは違う、一般の方、年配の方からの問い合わせもありますね。ビジネス面に関心のある方もいて、日本でも早い人はすでに動き始めているという印象です。



── ビジネス的な可能性はまだまだあると感じますか?



資本力があればチャンスはあると思います。大麻そのものを栽培して売るとうことだけではなくて、ツアー会社もありますし、大麻を使った料理教室などほんとうにいろいろなアイディアがあります。自動販売機を作っている企業もあります。そのようなスタートアップ企業に投資をするグループもあります。アイデア次第で、大麻の周辺にいろいろなチャンスがあると思います。ただ、まだ先行きのわからない部分もあるのでリスクも高いといえます。せっかく初期投資をして事業をはじめたけれど、急に法律が変わって計画が大きく狂うこともありえます。



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『マリファナ合衆国』より、アメリカのビジネス誌『フォーチュン』2013年4月号表紙



日本に必要なのはイメージの改善と法改正のための即戦力



── 綿密な取材と資料によってアメリカの現状が分かる本になっていますが、このアメリカの動きが、日本にどんな影響を与えると思いますか?



麻は服やロープを作るもので日本でも昔から身近にあった。私の亡くなったおばあちゃんは千葉の房総に住んでいたのですが、昔は家の庭に麻の木が生えていたそうです。アメリカの合法化の影響で、大麻は昔から日本人の身近にあったものなんだ、ということがさらに思い出されていくのではないでしょうか。それから、医療方面で役に立つということがもっと知られていったら、大麻ベースの医薬品が日本でも使えるようになる可能性があると思います。



嗜好品としての合法化はすぐにはできないでしょう。ただ、合法化になれば、それはそれで受け入れるのではないでしょうか。日本人はあまり物事に論理的な理由を求めないところがあると思うので、もし、上から総理大臣が「合法化します」といったら、最初は戸惑いながらも、そういうものなのか、時代が変わったんだな、と意外とあっさりと受け入れるような気がします。実際、大麻のことはよく知らないが、大麻のもつイメージが嫌いなのでなんとなく反対しているという人が多いのではないでしょうか。イメージが改善されれば、合法化への下地ができていくのではないかと思います。



── そうすると、一般の人々の合法化への運動によって変わることはあまりない、と感じますか?



たぶんないと思います。アメリカは草の根的な運動があって、ずっと歴史が長く、それによって合法化に至りました。ウルグアイも合法化になりましたが、国民はそれほど乗り気ではなく、ムヒカ大統領の決断によるものでした。ですから日本もそうした上から整備するトップダウン式でないと変わらないのではないでしょうか。



── 日本でも前田耕一さんの大麻平和党など、法律から変えていこうという動きも確かにありますが、やはり少ないのでしょうか。



少ないですし、法改正やファンドレイジングのバックグラウンドのある人が大麻合法化に関わっているのがすごく少ないです。やはり大麻が違法なので、合法化に賛成していても表に出るのは難しいところがあります。アメリカの合法化団体のトップの人は政治や法律をきちんと勉強していて、麻薬取締局を訴えた経験のある人が担当していたり、スポンサーもついていて資金力もある。企業のように計画を立てて、プランを実行していく力があります。日本では、やる気のある人はいるのですが、即戦力になるような経験がどうしても乏しいので、やる気だけではどうしていいか分からないのだと思います。



── 現在日本ではASKAが覚醒剤取締法違反で逮捕された事件が連日報道されています。マリファナと覚醒剤はまったく別のものですが、Love S. Doveさんから見て感じることはありますか?



どの程度の騒ぎになっているかはネットのニュースだけでは分からないのですが、いじめだと思いました。芸能人の私生活をほじくり返して悪趣味だと思います。今回の事件で去っていくファンもいると思いますが、逆にこういうときこそ応援してほしいと思います。というのも、いちばん苦しんでいるのは本人だからです。本人は止めたくても止められない辛さがありますし、心も体も蝕まれていますしお金もかかりますし、家族や友人の信頼も失います。それだけで十分本人は苦しんでいるのに、そこにさらに刑罰を与えて、刑務所に入れたりする必要があるのか、そこまで重い罪なのか、と考えると、せめて罰金と入院くらいでいいんじゃないかという気がします。2009年に水泳選手のマイケル・フェルプスが大麻を吸っている写真が新聞に載ったことがあって、彼の場合は大麻なので状況は違いますが、問題になって、彼を広告に使っていたスポンサーのケロッグが契約を破棄したんです。そうしたらケロッグ社の不買運動が起こった、ということがあったんです。そうしたところも日本とは違うなと思いました。



── 今後の活動については?



『マリファナ合衆国』にもう少し最近の動きなども加えて、さらに大麻だけではなく、他のドラッグ、例えばクラックがアメリカで広まったことに関しても、アメリカ政府が関わっていた、という噂があるんです。意図的に広めたという証拠もあるんですけれど、そういうところも含めて、アメリカとドラッグの関係について、もう少しボリュームのある本を作れたらと思っています。クラックは黒人の住んでいる地域で広まったものなんです。その黒人の地域に広げた売人が仕入れていたのが、アメリカ政府が南米から持ってきたものだった、ということが言われているんです。黒人の地域に広げることで黒人をダメにしたかったんじゃないかと。そうしたかたちでまた別の角度で書いてみたいと思っています。



この本は、ほんとうにいろんな人に読んでもらいたいです。特に今回の合法化のニュースを聞いて、始めて大麻のことを知った人や、学校の先生や、中高生のお子さんがいるお父さんお母さんにも読んでもらえたら嬉しいです。この本を通じていちばん言いたかったことは、大麻は怖いものではない、ということです。むしろ明るいものですので、今の日本には必要なものかもしれませんね。



── Love S. Doveさんも明るくなりたいときに使いますか?



優しくなりたいときですね。例えば腹の立つことがあって、後で大麻を吸って振り返ってみると、自分にも悪いところがあったな、ということが見えてきたり。人に優しくなれる気がします。




(インタビュー・文:駒井憲嗣)










ラブ・S・ダブ Love S. Dove プロフィール



東京都生まれ。高校卒業後、定職につかずアジアや南米を長期旅行。30歳にしてニューヨーク州立大学に入学。精神に作用する植物や薬物に関心を持ち、2008年からブログ「エンセオーグ」をはじめる。雑誌「SPECTATOR」に寄稿。コロラド州デンバー在住。

http://www.entheo.org/













『マリファナ合衆国:

アメリカの合法化政策を通して学ぶ、大麻との上手なつきあいかた』

[Kindle版]


420円(税込)



★作品の購入はジャケット写真をクリックしてください。Amazonにリンクされています。


▼試し読みはこちらより

http://www.webdice.jp/ex/pdf/140612_mjusasample.pdf





もし好きな人が自分にウソをついていると知った時どうする?ポール・ハギスが『サード・パーソン』で出した答え

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映画『サード・パーソン』より © Corsan 2013 all rights reserved


『クラッシュ』のポール・ハギス監督の新作『サード・パーソン』が6月20日(金)より公開される。パリからローマ、ニューヨークと3つの都市で4日間にわたり繰り広げられる3組のカップルの愛と人間関係をミステリアスに描いている。



ある事件を発端に妻と別居し、若い新進作家(オリヴィア・ワイルド)と不倫をしながら新作を書きあぐねている小説家(リアム・ニーソン)の物語を拠点に、異国の地で偶然出会ったロマ族の女性(モラン・アティアス)に心惹かれ、騙されているかもしれないと疑いながら全財産をなげうとうとする怪しげなビジネスマン(エイドリアン・ブロディ)、そして息子に暴力をふるったとして親権を奪われた元女優(ミラ・クニス)と彼の夫(ジェームズ・フランコ)、最初は繋がらそうに思われる3組の人間関係が収斂されていく結末に注目してほしい。



『007 カジノ・ロワイヤル』『007 慰めの報酬』などで脚本家としても活躍し、卓越した構成力で知られるハギス監督が、この3部構成の群像劇をどのように組み立てていったのか、脚本完成までの過程やキャスティングについて語った。





50回草稿を書いた脚本



──最初に、今作制作のきっかけから教えてください。



僕と製作パートナーのマイケル・ノジックは15年来の友人であり、2007年にHWY 61という会社を設立し、2010年にはじめての映画『スリーデイズ』を作った。この『スリーデイズ』の撮影が終了して数日のうちに、この映画の制作の構想がはじまった。『クラッシュ』をもとにしたテレビシリーズに出演し、本作ではモニカを演じたモラン・アティアスから「愛と人間関係について複数のプロットを持つ映画脚本を書いてみてはどうか?」と提案を受けたんだ。



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映画『サード・パーソン』のポール・ハギス監督



──3組の男女のキャスティングのうち、脚本を読んではじめに手を挙げたのはリーアム・ニーソンとオリヴィア・ワイルドだそうですね。



最初にアプローチしたのは、パリ編でピューリッツァー賞受賞作家マイケルを演じたリーアム・ニーソンだ。妻と別居中の彼と不倫している作家志望のアンナ役のオリヴィア・ワイルドも、かなり初期から考えていた。彼女とは3回仕事をしていて、僕は同じ女優と仕事するのが好きなんだ。ふたりが「イエス」と答えてくれてから、そのほかの俳優たちからも、非常にポジティブな反応が集まりはじめた。なかでもエイドリアン・ブロディは、ローマで仕事中に出会った信頼していいのかわからない女性の魔法にかかり、そして車で連れまわされることになる疑り深いアメリカ人の役だが、最高のキャスティングだったと思う。




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映画『サード・パーソン』より、パリ編に出演するリーアム・ニーソン(右)とオリヴィア・ワイルド(左) © Corsan 2013 all rights reserved



──これまで書いた脚本のなかで、本作が最も難しかったと聞いています。



複雑なキャラクターたちを探求することを楽しみながらも、時間をかけてゆっくりと形にしていった。50回くらいは草稿を書いたはずだ。間違った方向に進んでは最初からやり直し、自分でこれでいいだろうと思うまでに2年半、週に6日、1日に6~8時間かけて書き直した。マイケルやモラン、そして共同プロデューサーのひとり、デボラ・レナードからたくさんのメモを受け取ったよ。いくつかは取り込み、いくつかはやってみたのちに断念し、いくつかは却下した。でもメモには理由がある。だから、僕は根気よく続けた。それにもちろん、製作中も編集中も僕は脚本にあれこれ手を加え続けた。実際、音楽を録音するまでずっとやっていたよ。




THIRD PERSON

映画『サード・パーソン』より、ニューヨーク編のミラ・クニス © Corsan 2013 all rights reserved


──脚本に時間がかかった理由は何だったのでしょうか?



書き方を完全に間違えていた。反対のことをしていたんだ。僕はキャラクターたちに物語が向かう先を教えてもらおうとしたが、彼らが僕に語りかけることは少なかった。もっとひどいことに、彼らは僕にウソをついたんだ。



映画ではあまり見かけない設定だが、人はしばしば自分の要求とは正反対の行動に出ることがある。でもそれ自体にはほとんど意味がないんだ。友人を見て「どうして彼女はあんな最悪な男と一緒にいるのだろう?」と何度思うことか。その逆もしかり。時に彼らは余りにも近すぎて僕たちには火を見るより明らかなことが見えていない。僕たちに明らかなことが、彼らにはただの幻想に過ぎない。僕たちはひどい女が優しい男を利用していると思う。でも実際には、その優しい男は自分の残酷な目的を隠して利用されているだけなのかもしれないんだ。



僕は、自分には答えることのできない、人間関係についてのあらゆる種類の質問をあげてみた。「“どうしようもない”人間にどう対処するのか?」「彼らを変えることで自分の必要なものを得られるのか?」「彼らを自分が愛せないような人間に変えることはできるのか?」「あるいはもし誰かが自分にウソをついていると知った時、どういう選択をするか?」「全く信用ならない人間を信頼してしまったら、どんなことが起こるのか?」「完ぺきな信念を変えられるのか?」「人は自分にしみ込んだ美徳や罪を具現化できるのか?」「愛を諦めることが本当の勝利なのか?」「あるいは、エゴが警鐘を鳴らすように、勝利はただ残酷極まりない微笑を浮かべて歩き去るだけなのか?」「あるいは、間違った人間と恋に落ちる悪運をもつ人はどのくらいいるのか?その間違った相手が本当は正しい相手ではないのか?我々がそれを認識できないだけなのでは?」。こういう人間関係の質問に答えられる人もいるだろうが、僕はその“どうしようもない”人間の一人なのかもしれない。




THIRD PERSON

映画『サード・パーソン』より、ローマ編のエイドリアン・ブロディ(中央) © Corsan 2013 all rights reserved


直感的に脚本を書いて、それうまく伝えること



──物語はパリ、ローマ、ニューヨークで展開されますが、実際にはローマだけで撮影して3都市を再現したとのことですが、その理由は?



もともとはニューヨーク、ロンドン、ローマで撮影する予定だった。制作が始まると、1都市で撮影を集約する方が良いことがわかった。スタッフも皆イタリアにいるし、ちょうどイタリア・パートはローマから南部へ移動するストーリーだから、景色も撮れる。都合が良かった。インディペンデントの映画ではあちこちは行っていられないから、1都市で3つを再現しようと決め、それをスタッフが実現してくれたんだ。イタリアにはフランス系の建築も見られるから、設定をロンドンからパリに変更した。ニューヨークはどうなるかと思ったけど、バックロットにセットを建設してブルックリンの町並みを作り上げたんだ。撮影は楽だったよ。



──『サード・パーソン』というタイトルにはどんな意味があるのですか?



どんな人間関係にも必ず第三者が関わる。その場にいる、いないに関わらずね。またリーアム・ニーソン演じるマイケルという人物のことでもあって、己の感情を退けるもう一人の自分がいたり、彼は実際に日記を三人称(サード・パーソン)で書いている。いろんな意味を持っているタイトルなんだ。



──この3組の男女の人間関係が錯綜する物語において、あなたが感じるいちばん重要な部分を教えてください。



僕はいつも同じことを念頭に置いている。直感的に脚本を書いて、それうまく伝えること。僕自身を悩ませ、自分も理解できない題材を描くことが好きだ。この作品では「人間関係」だね。基本的には人間関係の始まり、半ば、終末を描きたかったんだ。そしてその3つがストーリー中で絡み合うのさ。




(オフィシャル・インタビューより)












ポール・ハギス プロフィール




1953年、カナダ、オンタリオ州生まれ。脚本を担当した『ミリオンダラー・ベイビー』(04/クリント・イーストウッド監督)と自身が監督も務めた『クラッシュ』(04)が2年連続で米アカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、2006年に2つの同賞最優秀作品賞受賞作を手がけた史上初の脚本家となった。『クラッシュ』では、同賞最優秀脚本賞も受賞し、さらに監督賞を含む4部門にノミネートされた。06年、脚本を手がけた作品にクリント・イーストウッド監督の2部作『父親たちの星条旗』および『硫黄島からの手紙』がある。後者の脚本では、3度目となる米アカデミー賞ノミネートを獲得した。また同年、『007/カジノ・ロワイヤル』の共同脚本も担当し、「ジェームズ・ボンド」スパイシリーズを甦らせたとして称賛を浴びた。テレビシリーズ「crash クラッシュ」シーズン1、2では 製作総指揮を務めた。












THIRD PERSON

映画『サード・パーソン』より、ニューヨーク編のジェームズ・フランコ © Corsan 2013 all rights reserved


映画『サード・パーソン』

6月20日(金) TOHOシネマズ 日本橋ほか全国ロードショー



パリ。最新小説を書き終えるために、ホテルのスイートルームにこもって仕事をしている、ピューリッツァー賞受賞作家のマイケル。妻エイレンとは別居して、野心的な作家志望のアンナと不倫関係にあるが、アンナにも秘密の恋人がいる。

ローマ。いかがわしいアメリカ人ビジネスマンのスコットは、あるバーで美しいエキゾチックな女性に一瞬にして目を奪われたスコットは、彼女が娘と久しぶりに再会しようとしていることを知る。

ニューヨーク。昼メロに出演していた元女優のジュリアは、息子をめぐって現代アーティストである元夫のリックと親権争いの真っ最中だった。経済的支援をカットされ、膨大な裁判費用を抱えたジュリアは、かつては頻繁に泊まっていた高級ホテルでメイドとして働きはじめる。




監督・脚本・製作:ポール・ハギス

出演:リーアム・ニーソン、ミラ・クニス、エイドリアン・ブロディ、オリヴィア・ワイルド、ジェームズ・フランコ、モラン・アティアス

製作:マイケル・ノジック、ポール・ブルールズ

美術:ローレンス・ベネット

撮影:ジャン・フィリッポ・コルティチェッリ

衣装:ソヌ・ミシュラ

編集:ジョー・フランシス

音楽:ダリオ・マリアネッリ

2013年/カラー/シネスコ/135分/5.1chデジタル

提供:2014「サード・パーソン」フィルムパートナーズ

配給:プレシディオ/東京テアトル





公式サイト:http://third-person.jp/

公式Facebook:https://www.facebook.com/thirdperson.movie

公式Twitter:https://www.twitter.com/third_person_jp



▼映画『サード・パーソン』予告編

[youtube:maR31924cww]

お菓子細工のような世界と戦争の影『グランド・ブダペスト・ホテル』

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(c) 2013 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.


『ムーンライズ・キングダム』『ダージリン急行』のウェス・アンダーソン監督の最新作『グランド・ブダペスト・ホテル』が2014年6月6日(金)より公開となる。ベルリン国際映画祭では銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞した本作は、全米では既に大ヒットを記録している。



美しい山々に囲まれたヨーロッパにある架空の国のリゾート・ホテルを舞台に、1930年代、1960年代、現代の3つの時代を行き来しながら物語はすすむ。物語の中心はホテルの名コンシェルジュであるグスタヴ・Hと彼の弟子であり後継者となるベルボーイのゼロ。30年代におこった殺人事件がきっかけとなり、各々の過去が明かされ、友情を築いていく。



ウェス・アンダーソン監督作品おなじみのシンメトリーでお菓子細工のような映画だが、物語には常に"戦争"の影が見え隠れする。舞台はヨーロッパにかつてあったとされる架空の国であるが、監督が影響を受けたと言及しているウィーンの作家シュテファン・ツヴァイクの『心の焦燥』は第一次大戦勃発前後のオーストリアを舞台とし主人公の青年騎兵大尉が一人称で自らの人生を語る長編小説である。この"戦争"の影が名コンシェルジュであるグスタヴ・Hの多くの矛盾を解き明かす鍵となる。最後のワンシーンで彼の人生、そしてベルボーイのゼロの人生に合点がいく。そんな映画だった。



webDICEでは、ベルリン国際映画祭の記者会見より、ウェス・アンダーソン監督のインタビューをお届けする。











ベルリン国際映画祭の記者会見より、ウェス・アンダーソン監督のインタビュー



── 映画の最後に「マリー・アントワネット」や「メアリー・スチュアート」の伝記で知られるウィーンの作家シュテファン・ツヴァイクにインスパイアされたというクレジットが出てきますが、この『グランド・ブダペスト・ホテル』との関わりについてお話していただけますか?



アメリカなど英語圏ではあまり知られていない人なんだ。8年ほど前にニューヨークの2つの出版社が本のレビューを通して再販するようプッシュをかけられたりしていたくらいかな。アメリカではほとんど知られていない作家だけど、フランスや特にドイツでは名高い人で、『心の焦燥』(第一次大戦勃発前後のオーストリアを舞台とした長編小説)を数年前に読んだ時、最初の1ページを読んだ途端そのノルタルジーな世界観に引き込まれてしまって読破してしまった。それを元にこの映画のストーリーを作ったわけではないけれど、彼の本から醸し出される雰囲気は共有させてもらっている。そういう関連性はあるけれど、僕のストーリーは全く別のものとして展開していくよ。



『グランド・ブダペスト・ホテル』ウェス・アンダーソン監督

『グランド・ブダペスト・ホテル』ウェス・アンダーソン監督






── 語り部として老年の作家と若手のライターが登場し、ストーリーのインスピレーションはどうやって湧いてくるのかといった会話が展開していきますが?



これはツヴァイクからインスピレーションが湧いて来たんだよ。ここは僕らの映画の中に彼の世界観を重ね合わせたところだね。若手のライターは、人々は自分の職業が物書きだとわかるとストーリーを持って来てくれると言っている。これはまさに本当のことだと思う。だから映画の中で彼の存在を明かしているところでもあるんだ。二人の会話のやりとりで物語が展開していくことはとても面白いと思ったんだよ。たとえそのストーリーが彼の人生を物語っているものでないとしてもね。ライターはストーリーを発展させていこうとして、質問をしていく。だから様々な形でストーリーに肉付けができていく。そして、作家は気分がよくなってどんどん喋り始めていく。次にどのストーリーに行くかの導入になってシンプルでいいアイデアだと思うようになったんだよ。とにかく僕は彼の本が大好きだから。そういう雰囲気を醸し出したかったんだ。




『グランド・ブダペスト・ホテル』

伝説のコンシェルジュと呼ばれるグスタヴ・Hは、ウェス・アンダーソン監督作品には初出演となるレイフ・ファインズ




── この映画は30年代、60年代、現代と3つの時代で画面の大きさが変わっていきますね。



アカデミー比(スタンダード・サイズの別称、1.375:1という映画映像のアスペク比)を全面に出したかったんだ。昔の映画の雰囲気を醸し出したかったんだよ。今はデジタルになったからそういうことが可能になった。昔だったら、この映画は映写技師にとっては過酷なものになっていただろうね。その度に画面を調整しなくちゃならないわけだから。とにかくフォーマットにはこだわりたかったんだよ。1930年代あたりを時代設定にしているから、古き時代の映画の感覚をたっぷりと出したかったんだ。





── 映画を作る上で 参考にした映画作品はありますか?



いくつかあって、撮影中は小規模な映画ライブラリーも作ったんだ。『グランド・ホテル』、『生きるべきか死ぬべきか』、マーガレット・サラヴァン主演の『お人好しの仙女』、『今晩は愛して頂戴ナ』、フランク・ボーゼイジ監督の『The Mortal Storm』、イングマール・ベルイマン監督の『沈黙』などだね。どこの国か分からないホテルのシーンを撮るのに参考にさせてもらった。






── あなたの映画スタイルは時としてスタンリー・キューブリック監督の影響を感じます。『グランド・ブダペスト・ホテル』のインテリアは『シャイニング』のオーバールック・ホテルを彷彿とさせます。カメラワークや構図にもそれを感じるのですが、彼はあなたにどんな影響を与えた人物なのでしょうか。



もちろん、いろんな作品の映像を参考にして意図的に盗ませてもらっているよ。時として、意識しなくてもそれが簡単にできることがある。キューブリックはそういうカテゴリーに入る人だね。彼の映像の作り方が僕は大好きなんだよ。映画を観るだけでそれがわかるし、彼は何年もかけて独自のシステムを開発していった人なんだ。つまり、ロールモデルとなる人だ。まさに僕にとっては、巨匠と言える映画監督の一人だね。



『グランド・ブダペスト・ホテル』

84歳の伯爵夫人マダムDを演じるのはティルダ・スウィントン




── 今回、美しいロケーションの風景や、ディテールがストーリーを超えてしまうという心配はありませんでしたか?



そう考えたことはなかったよ。映画っていうのは、そういうすべての要素が集まってできていくものなんだ。ここにいるキャストのみんなと一緒に作り上げていったものでもあるし。アダム・ストックハウゼン(プロダクションデザイン)、バーニー・ビリング(編集)、ミレーナ・カノネロ(衣装デザイン)、こうした各部門の専門家達が一団となって作り上げていったものなんだ。そういう世界を作り上げた後に、俳優達が演じていくものなんだよ。僕は否定的なことや、トラブルが起こっていくということを懸念するタイプじゃないんだ。もっとエキサティングなものを実現するにはみんなでどうしていけばいいかを考えながら映画を作っているんだよ。




── タイトルにブダペストが使われていますが、ハンガリーとの関連性はあるのでしょうか。ハンガリーでの撮影は考えなかったのでしょうか。



もちろんそれも考慮にいれて、ハンガリーまでロケハンをしに行ったよ。ブダペストにも足を運んだ。よく保養地にある、パリにないのに「なんとかパリホテル」なんて名前をつけたホテルが必要だったんだ。ブダペストにあるわけじゃないけど、ブダペスト・ホテルって名前がついたリゾート・ホテルっていうことだね。ニューヨークにブダペストっていうカフェがあるみたいな感じかな。それに東欧の雰囲気を出したかったっていうこともあるね。



『グランド・ブダペスト・ホテル』

ルネサンスの絵画をめぐる連続殺人事件がグランド・ブダペスト・ホテルで巻き起こる










『グランド・ブダペスト・ホテル』

2014年6月6日(金)、TOHOシネマズ シャンテ、シネマカリテ ほか 全国ロードショー



監督・脚本:ウェス・アンダーソン

キャスト:レイフ・ファインズ(伝説のコンシェルジュ)、F・マーレイ・エイブラハム、エドワート・ノートン、マチュー・アマルリック、シアーシャ・ローナン、エイドリアン・ブロディ、ウィレム・デフォー、レア・セドゥ、ジェフ・ゴールドブラム、ジェイソン・シュワルツマン、ジュード・ロウ、ティルダ・スウィントン(マダムD)、ハーヴェイ・カイテル、トム・ウィルキンソン、ビル・マーレイ、オーウェン・ウィルソン、トニー・レヴォロリ(ベルボーイ)

2013年 / イギリス=ドイツ合作 / 英語 / カラー / ヴィスタサイズ

配給:20世紀フォックス映画

(c) 2013 Twentieth Century Fox

公式サイト



[youtube:HKDeRajbEBY]


マジ?あと40年で人工知能が人間を超える?『トランセンデンス』

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ジョニー・デップ主演の映画『トランセンデンス』が2014年6月28日(土)より公開される。製作総指揮は、クリストファー・ノーラン。監督のウォーリー・フィスターは『インセプション』では撮影監督をつとめた。



「人工知能(AI)が人間を超える日」は様々なSFにおいて散々語られてきたが、最近"2045年問題"として人類の技術によって推測されうる未来モデルの限界点「技術的特異点」を越えるのは遅くともこの40年以内とする説が映画の世界ではなく現実の世界で話題になっている。



映画『トランセンデンス』では、科学者の頭脳をコンピューターにインストールすることではたされた"トランセンデンス(超越)"を描いている。自ら考える能力と意識を持ちネットワークに接続された「超頭脳」。さて、実在した科学者をまるごとインストールして出来上がるのは"誰"なのか。そして何を願うのか。



監督はインタビュー中「何人かの教授に、人間の脳を全部機械にアップロードしたら機械が感情まで持つかという質問をしたら、全員イエスと答えた」と語っている。全員…。映画を観終った後このインタビューを読んであらためて、これは本当に来る未来なのだなと思った。



webDICEでは、ウォーリー・フィスター監督のインタビューを掲載する。














ウォーリー・フィスター監督インタビュー



── この作品で監督デビューを果たしますが、撮影監督としてすばらしいキャリアを築いてきたあなたにとって、これは自然な流れだと感じていますか?監督になることは、以前から最終目的だったのでしょうか?



監督をしてみたいというのは、以前から、僕の頭の中にずっとあったことだよ。自分の手で、物語を語ってみたかった。ビジュアルだけでなく、言葉、せりふなども通して、総括的な形でね。




── ついにその夢が実現したわけですが、どういう形でこの作品にめぐりあったのですか?



SFを作りたいと思っていたわけじゃなかったんだが、たまたまこの脚本にめぐりあったんだよ。脚本を読んで、魅了されてしまったのさ。ここで語られるテーマは、とても時代を反映していると思った。今こそ、このストーリーを語る時だと思ったんだ。




── 脚本を読んだ時、どんな印象を持ちましたか?



すごく時事的な要素を含む物語だと思った。今日、僕らは、電話を"通じて"話すだけじゃなくて、電話を"相手に"話すようになった。僕らはまたコンピュータとも対話するようになっている。そんな流れの中で、多くの人は、いつかコンピュータが僕たちのコミュニケーションを制覇する時代がやってくるのではないかと、ふと考えることがあるんじゃないだろうか。そしてまた、そういったテクノロジーの変化は、人間関係にどんな影響を及ぼすのだろう?僕はそこも探索してみたかった。




── クリストファー・ノーランの現場で長い時間を過ごされたわけですが、彼から影響を受けたと思いますか?



もちろん、彼がどんなふうに監督するかは、ずっと意識して観察してきたよ。クリスは、非常に効率よく働く人。彼は僕の最高のお手本になってくれた。




映画『トランセンデンス』監督

ウォーリー・フィスター監督 © KaoriSuzuki





今回の映画で、彼(ジョニー・デップ)は奇抜なキャラクターをいちから作り上げる必要はなかった



── シンギュラリティ(技術的特異点)のコンセプトについて、ジョニー・デップは何と言っていましたか?



彼はこのコンセプトをとてもおもしろいと思ったようだ。彼のキャラクターは機械に支配されてしまったのか、それとも彼の魂、彼という人格は、そのまま残っているのか?そんなふうに観客をどきどきさせるのは刺激的だと、彼は感じたようだよ。




── ジョニー・デップの起用の経緯について語っていただけますか?



僕のほうから彼にアプローチしたんだ。彼のエージェントを通して、ぜひこの映画に出てほしいと伝えたのさ。エージェントも、これはジョニーが興味をもちそうな企画だと思ってくれて、彼に脚本を渡してくれた。彼はすぐに良い反応を示してくれたよ。それで僕らはミーティングをして、いろいろなことを話し合った。彼のアイデアを聞いて、それを取り入れた形で脚本を書き直したりもしたよ。彼と僕は、良い形でコラボレーションしたと思う。




── ジョニー・デップはキャラクターを創造する過程が一番楽しいと以前から発言しています。今回、ウィルという役を形作っていく上で、彼はどんなアイデアを出してきたのでしょうか?



今回の映画で、彼は奇抜なキャラクターをいちから作り上げる必要はなかった。今回、彼に必要とされたのは、このキャラクターの背後にあるさまざまな心理をその都度正しく表現することだ。ジョニーは、その部分をずいぶん楽しんでくれたようだよ。




── レベッカ・ホールがジョニーの妻を演じるようですが、この映画には恋愛の要素もあると思っていいのでしょうか?



そのとおり。ふたりは結婚している。それが、観客に共感をもらえる接点になる。観客は、この夫妻がたどるジャーニーを、一緒に体験するんだ。




── その重要な役をレベッカに任せた理由は?



レベッカとは、前にも仕事をしたことがある。クリス・ノーランの「プレステージ」でね。彼女はすばらしい才能をもつ女優だ。彼女のキャリアは、ずっとフォローしてきたよ。「それでも恋するバルセロナ」なんかも、すごくよかったよね。彼女こそこの役に完璧だと僕は思った。



映画『トランセンデンス』

科学者ウィル役のジョニーとその妻エヴリン役のレベッカ・ホール






科学者が、コンピュータが感情をもつことは可能だと言うんだよ



── この映画の世界観を表現する上で、どんなところにこだわりましたか?SFということで、ビジュアルの可能性は幅広かったと思いますが。



僕が一番重視したことは、物語に忠実にすること。話に現実味をもたせるために、ビジュアル面でもリアリティを重視した。観客にとって近寄りがたい雰囲気にはしたくなかった。




── リサーチを通じて、何か驚くべき発見に出会いましたか?



リサーチの過程で、何人かの教授に、「もし人間の脳を全部機械にアップロードしたとしたら、機械が感情まで持つことはありえるでしょうか?」と聞いた。すると、全員が「イエス」と言ったんだよ。それは驚きだったね。今回のリサーチで一番大きな発見は、それだった。その分野をずっと研究してきている科学者が、コンピュータが感情をもつことは可能だと言うんだよ。




── このテーマは知的で興味深いですが、下手をすると難しくなりすぎるかもしれません。誰にでも楽しめる映画にするのはチャレンジでしたか?



ああ、それはたぶん、今回、僕にとって一番のチャレンジだったと言えるね。信憑性と現実味を常にもたせ、観客に「わからない」「こんなことありえないよ」と思わせないこと。科学をしっかりとベースにして、観客に理解してもらって、この物語を信じてもらう。それが僕のチャレンジだった。




映画『トランセンデンス』

科学者の知能は全てデータ化されコンピューターにインストールされる





製作に使うテクノロジーをあえてローテクにするというのは、今回、意図的にやったこと



── 初めてご自分で監督されるということで、新たに挑戦しようとしたこと、新しい技術や撮影方法で取り入れたことなどはありましたか?



いや、それはなかったね。僕はこの映画を、リアリティにもとづくものにしたかったし。ビジュアルエフェクトも使っているが、舞台設定は基本的に現実的な世界だ。製作に使うテクノロジーをあえてローテクにするというのは、今回、意図的にやったこと。革命的なことは、何もやっていないよ。




── モーガン・フリーマンやキリアン・マーフィーなど、いわゆる"ノーラン組"が出演していますね。彼らと知り合いだから、彼らに出てもらったのですか?



そう、まさにそのとおりだよ。彼らとはもう長年の知り合いだ。もちろん、僕にとって、モーガンやキリアンと仕事ができるのは、とてもうれしいこと。僕らは3、4作品を一緒に作ってきて、その過程で友達になった。そして彼らはこの企画を気に入ってくれた。気が合う仲間と仕事ができるのは、僕にとって安心材料でもある。彼らがとてつもない才能をもっていることは言うまでもないしね。




映画『トランセンデンス』

"ノーラン組"モーガン・フリーマン、キリアン・マーフィー




── モーガン・フリーマンは、あなたが監督に進出すると聞いて、すごく応援してくれたのだそうですね?



そう、彼はすばらしい形で応援してくれたよ。自分にできることはなんでもやるから、と言ってくれた。そして実際にいろんな面でサポートしてくれた。並外れた俳優である彼は、ほかの形でも僕を支えてくれたんだ。




── トップクラスの俳優が揃ったわけですが、そういう人たちに指示を与えるのはどんな気分でしたか?



意外にも、すんなりやれたよ(笑)さっきも言ったとおり、一部のキャストとは何年も前から知り合いだしね。時に、ふと、「自分はこの人たちに演技のやり方を指示しているのか?」と驚くこともあったけれど、普段からしっかりコミュニケーションを取っていて、信頼を培っていれば、ちゃんと伝わるものだ。今回の現場にはそれがあったと思う。僕がもつビジョン、僕がこの映画で伝えたいことを、キャストはしっかりわかってくれたと思っている。



── シネマトグラファーとして、これまで多くの傑作にたずさわってこられましたが、その経験から学んだどんなことを今作に生かしたのでしょうか?



クリス・ノーランやロバート・アルトマンのような優秀な監督から学んだ一番のことは、ストーリーこそ一番大切だということ。ストーリーがしっかりしていなければ、どうにもならない。そこがうまくいくように、すべての努力を注ぎ込まなければいけない。キャラクターも、ストーリーを支えるために存在するんだ。そのストーリーをより良くするためにもっと何ができるだろうかと考えることをやめてはいけない。そして、その優れたストーリーを、すばらしい演技によって語るんだ。




── この映画で、監督が一番伝えたかったことを一言でいうと何ですか?



僕らとテクノロジーの関係だね。テクノロジーがどんどん進化する中、僕らはそれをどう使うべきで、どうつきあっていくべきなのか。











映画『トランセンデンス』

2014年6月27日(金)先行公開

2014年6月28日(土)全国超拡大公開



製作総指揮:クリストファー・ノーラン

監督:ウォーリー・フィスター

出演:ジョニー・デップ、モーガン・フリーマン、ポール・ベタニー、レベッカ・ホール、キリアン・マーフィ 、ケイト・マーラ

原題:Transcendence

2014/アメリカ/119分

配給:ポニーキャニオン/松竹

公式サイト



(C)2014 Alcon Entertainment, LLC. All Rights Reserved.


映画『トランセンデンス』ポスター



[youtube:CKIZi5CwOjY]




女(OS)は経験から進化し、男(人間)のヴァージョンアップの頻度は遅い

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Photo courtesy of Warner Bros. Pictures


2014年6月28日(土)より公開となる、スパイク・ジョーンズ監督の新作『her/世界でひとつの彼女』。本作は主人公セオドア(ホアキン・フェニックス)が人工知能(AI)のサマンサに恋をする、ちょっと変わったラブストーリー。webDICEでは、スパイク・ジョーンズ監督インタビューをお届けしますが、その前に本作を観た男女の会話の一部をどうぞ。













女性ライター(30代独身・以下J):「スパイク・ジョーンズの新作どうだった?現代の都市生活の孤独ってこういうことだなって、リアルに胸が痛くて。OSの彼氏なんてイヤだけど、家に帰ったら、思わず“男性版サマンサ”がいてくれたら……と思ってしまったもの」



男性編集者(40代独身・以下D):「スパイク・ジョーンズって、怪獣やロボットを出してくるけど、中身は人間的で、意外に保守的なんだよね」



J:「たしかに、、保守的で草食系の男子ばかり出てくるわね」



D:「実は最近Huluにはまっていて、海ドラばかり観てるんだけど、アメリカのドラマは自己のアイデンティティを維持するために、他人の承認を必要とし、それがセックスという場合が多い。『グレイズ・アナトミー』なんか、病院内でインターン同士がやりまくって、その関係がパズルみたいに入り組んできて、コミュニケーションの手段がまずセックスという登場人物ばかり。テレビなんでアメリカの視聴者の欲望の現れだと思うけど、それに比べるとなんと繊細で優しい人ばかりでてくるんだろう、スパイク・ジョンーズの映画には」



J:「逆にそれだけテレビの中でセックスがイージーになったからこそ、それ以上の何かを求めてしまう人は多いと思う。草食系映画も多いし、二極化しているのかしら」



D:「それは日本もだと思うけど、少なくともドラマの中は肉食系オンリーだよ」



J:「でも私、この映画のホアキン・フェニックス演じるセオドアって、AI型OSのサマンサと付き合っているように描かれているけど、結局、草食系男子の願望を満たす"自分の思い通りになる彼女"なわけで、ちょっと気持ち悪いし、自分の鏡としか付き合えない男にはそんなに魅力を感じなかったわ」



D:「そうだよね、サマンサは"私は経験から学ぶ力があるの、一瞬ごとに成長している"と言ってるんだけど、セオドアの場合は、恋愛していても成長がない。人間関係が面白いのは互いに刺激し合って成長できることなのに、彼はセンチメンタルなだけの世界に生きようとする」



J:「そうね、それだけ前の奥さんとの関係性で深く傷ついてしまったのかもしれない。はじめの方のセオドア、自殺しちゃいそうだったもの。そう思うとOS=機械も悪くないとは思うの。つらい時の心の応急処置になるならね。でも、OSのサマンサが自分だけでなく、いろんな人と会話をしていると知ると、人間であるセオドアは、嫉妬と失意の感情を抱いて、落ち込むじゃない?」



D:「情けないよ、サマンサは同時に何万人の相手と会話をしながら秒速で成長していて、そんなの人間じゃ絶対無理なんだから。僕だったらそんなサマンサをすごく魅力的に思うし、秒速で成長する知識や感情を持つ彼女と付き合いたいとすごく思う」



J:「なにそれ(笑)。人間には無理でしょう」



D:「そこがスパイク・ジョーンズの保守的なところで、自分の脳の記憶を全部コンピュータに移植して、人間の意識も知能も拡張して、人間がOSになって、OSのサマンサと付き合うぐらいのSFにしてほしかったな」



J:「もう、ついていけない(笑)。仮にそうなったら、もう人間とOSじゃなくて、OS同士の疑似恋愛じゃない(笑)でも、はじめはセオドアも、それをやろうとするのよ。自分の肉体を脇において、OSのサマンサに合わせて、付き合っていこうとするじゃない。あたかも自分も機械になりきって。そこが切ないの。ここまでは、付き合い始めた生身の男女となんら変わらないと思うわ。そうなると恋愛ってどういうことだろうって考えちゃったな……。
セオドアもOSになれたなら、生きることは随分らくになったのだろうけど、<心>と<肉体>が邪魔をして引き裂かれる。結局、テクノロジーが進化しても、人間は機械になりきれない。その部分の孤独感を上手く浮き彫りにしていると思ったわ。アナログ時代万歳っていう安易な回顧趣味に陥らず、もうその時代には戻れないという、あきらめとともにね。怪獣やロボットが出てきても、誰もが持っている心のひだがセンスよく描かれて、ちょっぴりセンチメンタル気持ちに浸れるのが彼のいいところなのよ」



D:「まあ、彼の映画は、怪獣もロボットも見かけだけで、要するに擬人化だよね。人間原理主義なんだけど、今作は目に見えないOSが恋愛対象で、しかも秒速で進化するという擬人化しようがない相手だっただけに、恋愛するとはどういうことかという哲学的なレベルまでSFの手法を使って描けそうな気がしたんだよね。土屋豊監督の『タリウム少女の毒殺日記』が捉える人間と比較すると面白いかもね。その中で主人公の少女は、外見はもとより遺伝子だって改変できる時代に、古い人間を脱して光りたいー!って叫ぶんだけど」



J:「でも、そのタリウム少女だって、自分自身が光りたいのでしょ。女は経験からアップデートできるのよ。それに比べて、男の人はいつまでも古いバージョンのOSのままがいいって、アップデート自体を拒否する人も多い気がする」



D:「そういう意味では、セオドアは古いOSの持ち主かもね」









『her/世界でひとつの彼女』

主人公セオドア(ホワキン・フェニックス)









スパイク・ジョーンズ監督インタビュー



── この映画を作るきっかけとなったのは何だったのでしょうか?Siriが誕生する前からこの映画について長い間構想があったということですが。



「元々この映画についてのひらめきは、10年くらい前に、アーティフィシャル・インテリジェンスとインスタント・メッセージのやり取りができるサイトを偶然見付けたことがきっかけだったんだ。確か"アリス・ボット"みたいな名前だったような気がするんだけど、そのサイトに行って、例えば僕が"ハロー"って書くと、"ハロー"って返事がくるんだよね。"元気?""元気です。あなたは?""うーん、僕は少し疲れてるかな"というような感じでちょっとしたやり取りができたんだ。それで、その時に、"わお、本当に会話しているよ!僕の言ってることを本当に聞いてくれている"という衝撃があったんだよね。だけど、その会話はすぐに崩壊してしまって、簡単なやり取りはパターンとしてシステムされているけど、実際それほどの知能があるわけではないことが分かるんだ。それでも、やっぱりかなり賢いプログラムだとは思ったんだよね。だけど、それについてはしばらくの間考えていなくて、だけど徐々に、ある男が完璧な意識があるそういう存在と恋愛関係を持つようになる、という物語を書いたらどうだろう、と考え始めたんだよね。それで、そういうものと恋に落ちて恋愛関係を持つ様になったらどうなるのか?ということを考えてみたんだ。最終的には、それを描くことを通して、恋愛関係とラブストーリーを描いた映画を作りたいと思ったんだよね」



『her/世界でひとつの彼女』スパイク・ジョーンズ監督

スパイク・ジョーンズ監督



── この作品と『かいじゅうたちのいるところ』の間に、アンドリュー・ガーフィールドが主演の"I Am Here"という短編を作りましたが、それも同様に人間ではないロボットを主人公にしたLA舞台のラブストーリーですが、この作品と何かしらのつながりはあったのでしょうか?あの映画も恋愛物語で、ロボットが主人公なので、同時に作業していたのかなあと思ったのですか?



「間違いなく、そうだね。この映画の構想を練っている最中に、あの映画を作る機会に恵まれたからね。それに、『かいじゅうたち~』は作るのに、5年もかかって、その直後だったから、数ヶ月で短編を作るというのは、僕にとっても非常に魅力的に思えたんだ。それで実際この映画とあの作品は、ラブストーリーであるという意味で共通点があるし、しかもLAラブストーリーだしね。ただあの映画では、20代初期のラブストーリーを描いているんだよね。20代初期のキャラクターにとって恋愛というのがどんなものなのかを描いた作品だったんだ」



▼"I Am Here"予告編


[youtube:Qow5_R0ab7w]

── 映画を作るにあたって参考にした映画などありましたか?



「この脚本を書いている間に、見ていた映画のひとつは、『ウディ・アレンの重罪と軽罪』(1989年)だったんだ。あの映画の脚本は本当にあり得ないくらい素晴らしく書けていると思ったからね。あの映画が何についてなのかについて語る場面が非常にたくさんある。そして、それでいて、物語を進めていくのはキャラクター達の力そのものであり、彼らのその時々の選択なんだよね。それがとてもインスピレーションになったんだ」






僕らが何も実際の近未来がどうなるのかをその"正解"を考える必要もないんだと気付いた



── 映画の舞台となった近未来の設定は非常に詳細まで描かれていましたが、どのように作ったかし教えていただけますか?あなたが長い間一緒のコラボレーションしているKKバレットが手がけていますが。さらに、LAと上海を組み合わせたことについても。



「元々のアイディアは、LAの近未来で、住むのが心地よいと思えるような空間にしたい、というのがあったんだよね。それで、LAでもNYでもそうだと思うけど、今、生活環境というのはどんどん良くなっているから、近未来も生活環境は良くなっているという想定にしたんだ。とりわけLAは、天気も良いし、海があって、山もあるしね。だけど、例えどんなにより住みやすい場所にいたとしても、人間というのは、隔離されるし、孤独になるんだ、ということをそこで描きたかったんだ。だから、そういう風に舞台を設定するのは、面白いなあと思ったんだよね。それに、明るくて、ユートピア的で、何もかもが可能に思える設定の中で、主人公が孤独であることを描くほうがよりその苦痛が浮き彫りになると思ったんだ。それに、構想の段階で、僕らが何も実際の近未来がどうなるのかをその"正解"を考える必要もないんだと気付いたしね」




『her/世界でひとつの彼女』

Photo courtesy of Warner Bros. Pictures

近未来のLAに住む主人公セオドア


── サマンサを声だけにして、コンピューターやスクリーン上で、アヴァターなどにしなかったのはどうしてですか?



「彼女は存在するわけだけど、でも、それが彼の心や精神の中にだけ存在するというアイディアが好きだったからなんだよね」




── スカーレットは声だけの出演ですがその存在感は非常にパワフルです。彼女の演技についてはどのように思いますか?



「ありがとう。彼女には、見えても見えていなくても、本当にその存在感がある人だと思う。映画を見ている人が彼女を感じることができると思うんだ。彼女の持っている存在感は、否定しようもないと思うよ」



『her/世界でひとつの彼女』

Photo courtesy of Warner Bros. Pictures

人工知能であるサマンサ役のスカーレット・ヨハンソンは声のみの出演




── それぞれの女優のキャラクターがユニークですが、どのように演出を行ったのですか?



「それぞれの女優と事前に色々な話し合いをしたんだ。例えば、リハーサル中に僕とオリヴィア(・ワイルド)とよく話していたのは、誰かが自分に何かを言った時に、そこから自分が聞き取るものか、ということ。オリヴィアのシーンでは、セオドラが、『次にいつ会える?』という質問をするわけだけど、それを聞いた彼女が、最終的には『あなたは気持ち悪いわ』というところに辿り着くまで、どのような会話はこびにするのがいいのか、を見付けていこうとしたんだよね。それを考えてみることはつまり、人が自分に何かを言った時に自分がそこから何を聞き取るのか、を考えてみるということだったんだ。つまり、その言葉を正確に聞くという意味ではなくて、その言葉が何を意味するのかを考えるということだったんだよね」

『her/世界でひとつの彼女』

Photo courtesy of Warner Bros. Pictures

一年前に別れた彼女キャサリン役にはルーニー・マーラ



── スカーレット・ヨハンソンとは。



「ひとつ言えるのは、サマンサのキャラクターにとっては、この世界がすべて真新しいものであるということ。彼女のキャラクターはまるで子供みたいな感じで、不安や自信喪失をまだ知らないんだよね。だけど、そういうことを映画が進む中で学んでいく。彼女がすごく苦痛を感じる状況に陥ることで、自信喪失をしていくんだ。それで、スカーレットと初めて仕事している時に、そういうことを話したんだけど、その時彼女は、この役を演じるのがどれだけ難しいことになるのか理解したようだったんだよね。つまり、彼女自身が、不安のようなものをまるで感じないまっさらな場所に戻らなくてはいけないわけだからね。それから、エイミー(・アダムス)に関しては、彼女は、自分の夫のために、そしてすべてのために、何かもちゃんとやり遂げようと一生懸命やってきてキャラクターなんだ。人間関係のすべてをきっちりとやろうとした。それである意味彼女は頑張りすぎて自滅してしまったんだよね。というようなことを話していたんだよね。」



『her/世界でひとつの彼女』

Photo by Merrick Morton

同じマンションに住む仲の良い友人のエイミー役にはエイミー・アダムス




僕はここで、僕らが永遠に話題にしてきたことも描いている



── この映画は、恋愛関係とテクノロジーについての解答だと思いますか?



「それに対する簡単な答えはないように思うんだよね。この映画はそれに対して疑問を投げかけようとする試みではあったと思う。この映画には、僕らが今、日常的に話題にしている現代の生き方が描かれているからね。だけど、それと同時に僕はここで、僕らが永遠に話題にしてきたことも描いていると思うんだ。それは、人と繋がりを持ちたいという願望や、親密な関係を持つことの必要性。そして、時に、僕らの内面において、何がそれを妨げているのかということ。そういう緊迫感というのはいつだってここにあったと思う。だから、確かに僕らは今テクノロジーとの関わり合いについて新たな局面にいると思うけど、でも、僕がここで究極的に語っていることは、人間が誕生した瞬間から存在してきたものだと思うんだよね」




── この世界に入って20年近くが経ちますが、"スパイク・ジョーンズ"らしい映画を作り続けることは難しくなっていますか?



「それは良い質問だな。上手く答えられるか分からないけど。でも、唯一の方法は、たぶん色々なことに挑戦しながら、失敗をおかすことじゃないかと思うよ。その過程で、これはあまり自分らしくなかったと思ったり、その代わりに違うものに挑戦して、うん、これは本当にぼくらしいなあと感じたりね。それで、そういう間違いの中から本当の自分をより表現してくれているのは何なのかを学んだんだと思うんだよね。他の人がやっているようなことをして自分ではない人になろうとするのではなくてね」













『her/世界でひとつの彼女』

2014年6月28日(土)新宿ピカデリーほか全国ロードショー



監督&脚本:スパイク・ジョーンズ

出演:ホアキン・フェニックス、エイミー・アダムス、ルーニー・マーラ、オリヴィア・ワイルド、スカーレット・ヨハンソン

公式サイト



[youtube:c9G4cRTov5E]

ワン・ビンが雲南省の精神病院を撮影「患者たちに普段の日常を送ってもらうため2メートル以上近づかないと決めた」

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映画『収容病棟』より © Wang Bing and Y. Production


中国の映画作家ワン・ビンの新作『収容病棟』が6月28日(金)より公開される。ワン・ビン監督は、精神病患者が1億人を越えているという中国の南西部雲南省にある社会から隔離された公立精神病院で3ヵ月あまりの間2人のクルーで撮影を行った。この病院には200人以上の患者が家族、警察、裁判所からの措置により収容されている。入院して20年以上になる人や、精神異常犯罪者とされた人、薬物・アルコール中毒者、治安案乱行為や喧嘩、浮浪罪に問われた人、神経衰弱者、過度の信仰・政治的陳述、「一人っ子政策」への違反など“異常なふるまい”を理由に収容されている人々。監督は普段通りの日常を送って欲しいという考えから、収容者と2メートル以上近づかないことを決め、彼らの生活をカメラに収めている。4時間に及ぶ今作制作のきっかけ、撮影の模様、そして収容者たちとのエピソードをワン・ビン監督が語った。




閉じこめられた世界が私をひきつけた



──この映画をつくったきっかけを教えてください。



始まりは2003年の秋でした。北京の郊外を歩いていた時、ある廃墟のような建物の前を通りかかり、敷地の中へ入ってみました。そこはとても神秘的な空間に思えました。しばらくすると建物の扉が開いて、鉄格子の向こうに男性のグループの姿が見えました。女性が一緒にいて、その人は看護士さんで、ここは精神病院で、彼らは患者であると教えてくれました。患者の中には十数年も病院に収容されている人もいて、中には戸籍自体を病院に移されている人もいると聞きました。つまり、一生そこで生きるという意味です。その時の印象がとても強かったので私は精神病院に興味を持ち、ぜひ撮影をしたいと思い、その病院に交渉したのですが、許可してもらえませんでした。それから長い時間が経過し、2009年に、もう一度この題材に戻ってみようと思い、再びその病院に相談しましたが、撮影は拒否されました。そして、『三姉妹~雲南の子』を北京で編集していた2012年に、雲南省の友人がやってきて、雲南省の精神病院が撮影させてくれそうだと言うのです。そこで、すぐに相談してみたところ、撮影許可が出たので、2013年の1月から撮影を始めました。




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映画『収容病棟』のワン・ビン監督



──最初の北京の病院と、実際に撮影した雲南省の病院では、何か大きな違いはありましたか?



北京郊外の病院は、雲南省の病院に比べるとはるかに大きくて3、4棟の建物がありましたが、両者に共通しているのは、世の中から遮断された世界である、閉じこめられた世界である、ということで、それが私をひきつけました。雲南省の精神病院はごく普通の病院だとは思いますが、中国は地域によって経済の格差も大きいので、病院の設備や治療に必要な薬品などのレベルが富裕地区と違っているとは思います。



──雲南省の病院は、よく撮影を許可してくれましたね。ここは国立の病院ですか?医師たちは撮影を嫌がりませんでしたか?



突き詰めれば国の病院といえますが、地方行政に属する病院です。たしかにこの病院には、特に衛生的な面で問題があるかもしれませんが、病院のスタッフは医師を含め、みな今の状況の中で精一杯仕事をしていると思いますし、私が病院スタッフを批判する映画を撮りたいわけではないと理解してくれていましたので、嫌がられることはありませんでした。また、病院を撮ったとしても、そんな映画は誰も見たくないだろうから、放っておいてもいいだろうと思っていたようでした。



──これまでに中国の精神病院を撮影したドキュメンタリーはあったのでしょうか?



私の記憶ではありません。ですが、私は誰も撮っていないから撮りたいと思ったわけではないので、今までにそういうドキュメンタリーがあったかどうかは重要ではありません。



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映画『収容病棟』より © Wang Bing and Y. Production



何気なく撮ったシーンに予期しなかった効果が現れる



──撮影期間について具体的に教えてください。



撮影は、2013年1月3日から4月18日まで3ヶ月間、ほとんど毎日、撮影しました。病院からは、病院の中で食事をすることや泊まることは禁止されていましたので、朝早くに病院に行き、お昼は外へ食べに行き、少し休息をとり、それから夜の11時、12時まで撮影し、近くに宿泊していました。



──撮影した病院についてもう少し詳しく教えていただけますか?



病院は、雲南省北西部の昭通市にあります。最も若い収容患者は17歳くらいで、年長者は50代、60代で、20年以上収容されている人もいました。病院の一日は規則正しく、朝7時半頃に朝食、10時に1回目の投薬や注射など、11時半に昼食、午後4時半に夕食、午後5時か5時半頃に2回目の投薬や注射、それ以降は基本的に自由で就寝時間も個々自由です。食事は1階で、男性患者も女性患者も一緒に摂ります。シャワーは1週間に1回と決まっていて、撮影はしましたが映画には入れませんでした。日々の生活に密着して撮影するので、男性がカメラを持って女性の病棟に入るのは良くないと考え、女性病棟は撮影しませんでした。映画の最後にテロップで出てくるように、ここには様々な事情で多種多様な人が収容されています。どうやらこの人には精神疾患はなさそうだと感じた人は数多くいましたが、どの人がどうだとはっきり断定することはできませんでした。



──この映画では、患者たちの名前や収容年数は紹介されますが、なぜこの病院に入ったのか、病名は何なのかは出てきませんね。



精神病はさまざまな病名がありますが、その病名を出してしまうことで観客が先入観をもつことを避けたいと思いました。私は、精神病を患った人を撮ったつもりはなく、人間そのものを撮ったつもりです。





──雪のシーンが美しかったですが、雪が降る季節なのに、ほぼ裸で歩いている患者もいましたね。この地方の気候は?



海抜の高い高原なので、1日の気温差がとても激しく、寒い時は0℃にも下がり、温かい時には25~27℃まで上がることがありました。平均すると5~6℃だったと思います。




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映画『収容病棟』より © Wang Bing and Y. Production




──この映画では十数人の患者が撮影されていますが、たくさんの人の中から彼らを選んだ基準は何ですか?



今回はまったくリサーチなしに撮影を始めました。というのも、撮影を許可してもらえても、いつまた拒否されるかわからないので早く撮影を開始しなくてはいけなかったからです。撮影をしながら、いろいろな人物に会い、徐々に決めていきました。とても個性的な人物が多かったのですが、この人を撮りたいと思っても拒否されることもありましたので、自然に選択されたという感じです。



──どの人物を撮影しようと決める時に、どんな映画にしよう、何を伝える映画にしようということを意識しましたか?



私は、あらかじめ固定化された映画の作り方は好きではないのです。何気なく撮ったシーンが、編集され、作品となってスクリーンで見られた時に思いもよらない、まったく予期しなかった効果が現れるからです。計画を万全にすると、かえって平坦になってしまいます。ですから、撮影前には何の計画もしませんでした。今回は特に、撮影許可があってもいつまで撮影できるかもわからない状況でしたし、病院の日常はある意味で単調な繰り返しですが、いつ何が起こるかはまったく予想ができない状況でした。撮影の1日目、2日目はどんなふうに撮影するかもまったく定まらず、次第に定まってきたのは1週間くらい経った頃からでした。そして撮影をつづけるうちに撮っている人それぞれの物語が見えてきて、次第に映画の構成が浮かび上がってきたのです。それでも、何を観客に見せたいのかということは、編集のために撮影した素材を見ながら、深く考える時間を持ってからでした。



──いつ撮影がストップさせられるかわからない状況だと、焦る気持ち、早く撮ろうという気持ちにはなりませんでしたか?



ドキュメンタリーには忍耐が必要です。焦らずに撮影をつづけることで、撮りたかったものが水面に浮かび上がってくるのです。事前に何も予想せずに、撮影をしながら構想していった今回の撮影を通して、私はまた映画に新しい可能性を見つけられた気がしています。



──登場人物の中で特にこの人はここに惹かれて撮影したという具体的なお話をいくつか聞かせていただけますか?



廊下を走っている青年、馬健(マー・ジェン)は、病院に来て間もないので、まだ外の空気を体にまとっていることに惹かれました。また彼の行動はアクションが豊かです。長期収容の患者たちの物語だけでは、映像の動きとして単調になりがちなので、彼の存在はとても重要でした。また同様に、ウーはまだ十代の幼さを持っていて、彼の若さはこの映画に生き生きした活力をもたらしてくれたと思います。




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映画『収容病棟』より、廊下を走る青年、馬健(マー・ジェン) © Wang Bing and Y. Production




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映画『収容病棟』より、体に文字を書く10代の青年、ウー © Wang Bing and Y. Production







何を撮って撮るべきではないのかの判断は、

自分自身の道徳観、倫理観しかない




──撮影クルーは何人でしたか?



映画に関わったスタッフは最終的には8人ですが、病院に入ったのは2人だけです。カメラは1台で、ほとんどは自分で撮影しましたが、ところどころ、もう一人のカメラマンに撮ってもらっています。



──監督の作品は、いつも音が素晴らしいと感じますが、録音はどのようにしたのですか?



マイクはカメラについているものをそのまま使ったり、別のマイクをカメラに取り付けたりしているだけで、特別なことはしていません。私は、いつも同録でその場にある音だけを使っています。あとから別の音をつけたり、ミキシングで音を変えてしまうことはしません。音を変えてしまうと、その人物の動きが違うものに見えてしまい、その人の情緒を体験できなくなってしまうからです。



──また、被写体がいつも自然なことに驚かされ、カメラと被写体の距離に独特なものを感じます。撮影に入る前に被写体と親交を深めるとか、カメラの位置をあまり目立たないところにするとか、何か工夫していることはありますか?



特に何もしていません。それでも、皆、カメラを拒否しないのです。もちろん映画によって、色々と違いはあります。『鳳鳴―中国の記憶』の場合は、鳳鳴さんと友人になり、彼女のことを良く知ってからの撮影でした。反対に『名前のない男』は、あの人と出会ったのも偶然ですし、どんな人なのかまったくわからないうちにカメラを回し始めました。



──被写体が自然でいられる理由は何だと思いますか?



私は、撮影中はとてもカメラに集中しているので、自分から彼らに話しかけることがほとんどないために、カメラの気配を感じないのかもしれません。また彼らには普段通りの日常生活を送って欲しいので、2メートル以上は近づかないようにしています。それでも時には相手から話しかけられることもあるので、言葉を交わしている撮影素材は非常に少ないですが、あるにはあります。ただそんな時でも、カメラの存在を隠すために、その部分をすべてカットすべきとも考えていません。その場面が重要でなければカットしますし、重要であれば彼らが私に向かって話しかけていても編集で残します。私の映画では、カメラの気配を消すことが大切なわけではなく、カメラを持った私がいることも彼らの日常になることが重要で、だからこそ彼らが自然にふるまえるのだと思います。撮影中はほとんどカメラのレンズ越しに撮る対象の人を見つめて目を離さずに、静かにリラックスして、とにかく集中することだけを考えています。それくらいに集中していないとその人物の変化を捉えることができないからです。こうした撮影に慣れる前は、カメラをのぞいたまま動くので、よく物にぶつかることがありましたが、最近ではもう慣れたのでぶつからなくなりました。





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映画『収容病棟』より © Wang Bing and Y. Production




──精神病院を撮るということは、いつも以上に被写体への配慮が必要だったのではないかと思いますが、被写体との信頼関係についてお聞かせください。



撮影する相手との信頼関係は、私の映画にはとても大切です。信頼といっても、契約書を交わせば関係性ができるということではなく、心の交流、心から相手を尊重することが大事なのだと思います。私は「撮らないでくれ」という人を撮影することはありません。そして、何を撮って、何を撮るべきではないのか、その判断をするのは最終的に自分自身の道徳観、倫理観しかないと思います。たとえば今回でいえば、患者たちは私のカメラの前で日常生活を見せてくれるのですが、それを映画として観客に見せるのは、彼らの存在を知って欲しいからに他なりません。けれども、たとえばヤーパが強い発作に襲われた時などは撮影はしません。倫理観によって、カメラを止めること。それも重要だと思っています。この前、今回撮影した雲南の病院の医師が北京に来た時に会ったのですが、患者たちが「監督は元気ですか?」と医師によく聞いてくると言ってくれました。もちろん私も彼に会うと、「患者さんたちは元気ですか?」と聞いています。



──撮影した素材は何時間くらい?また、編集期間はどれくらいかかりましたか?



撮影した素材は300時間ありました。編集は、順撮り編集でしたが、3ヶ月ほどかかりました。編集を始めた最初の頃に、病院の中にいる人たちと外にいる人たちと一体どこが違うのだろう、同じなんじゃないかと思い始めました。食べる、眠るという人間の基本を繰り返すことで、人間そのものを描きだせるのではないかと考えました。また、中にいる人と外にいる人のどちらが自由なのかということも考えました。彼らは不自由な閉鎖された空間の中でもお互いをいたわりあっている。同じ日常をずっと繰り返さなければならない残酷さはあるけれど、彼らの精神はその中でも自由であろうとしているのではないかとも思いました。そして最終的には、私がこの映画で見せたいものは、人間が「生きる時間」であり、どこにあっても人間が求める「愛」というものだと気づきました。



──中国語の原題「瘋愛」とはどういう意味ですか?



精神が狂った人同士の愛という意味で、私が考えました。英語のタイトルは、この映画も含めて私の映画の英語字幕をいつもやってくれている女性がつけたものです。日本でのタイトルの『収容病棟』は、実は「瘋愛」にする前に、私も考えていたタイトルなので、とても良いと思います。というのも、この映画が描いているのは、まさに閉鎖された場所に収容されている人々だからです。彼らは、今の中国社会にあっては、見えない人々なのです。注目されない人々に注目して映画を撮ること、そこにこそ私が存在する意味があるのだと思います。



──今作を観て、自分も収容病棟に閉じ込められいるような閉塞感とともに、患者たちをとても親密に、そして愛しく感じました。



映画とは、他者の人生を経験する事に他なりません。映画の素晴らしさとは自分の知らない世界で生きる人を知ること。同じ時間に生きているのに交差することのない人物が、同時に存在していると知り、異なる人生を知り、違う運命を知ることだと思います。普段の日常の中では、その人の持つ生命力や悲劇性に気づかないことも多いですが、人間には一人一人の中に物語があり、それが映画になった時、強く現れてきます。中国の精神病院の患者たちと日本での暮らしは遠いと感じる人がいるかもしれませんが、病院の中の人物の生活を体験するというリアルな感覚を持って映画を見ていただくのも良いと思います。この映画は4時間もありますが、皆さんが映画を見終わった後も、この収容病棟にいる人たちは同じ時間を繰り返し生きていることをぜひ忘れないでほしいと願っています。



(公式インタビューより)









ワン・ビン プロフィール



1967年11月17日、中国陝西省西安生まれ。瀋陽にある魯迅美術学院写真学科に入学。映像へと関心を移し、卒業後、北京電影学院映像学科に入学。1998年から映画映像作家として北京で仕事を始め、インディペンデントの長編劇映画『偏差』で撮影を担当するが、仕事に恵まれず、瀋陽に戻り、1999年から『鉄西区』の撮影に着手。9時間を超える画期的なドキュメンタリーとして完成させる。続いて『鳳鳴―中国の記憶』(2007年)、2010年には、初の長編劇映画『無言歌』を発表。初めて日本で劇場公開された。2012年には雲南省に暮らす幼い姉妹の生活に密着したドキュメンタリー『三姉妹~雲南の子』を発表し、ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門グランプリなど数々の国際賞に輝いた。2014年には現代アートの殿堂、ポンピドゥー・センター(パリ)にて1カ月以上にわたるワン・ビン監督の回顧展が開催されている。










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映画『収容病棟』より © Wang Bing and Y. Production



映画『収容病棟』

6月28日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開



雲南省の精神病院。男性患者の収容病棟。中庭を囲む回廊。病室のいくつものドア。カメラが患者たちの日常を映し始める。誰かと一緒に眠りたがる唖者のヤーパ、ひたすら家を恋しがる青年マー、騒ぎをおこして手錠をかけられるインらに目を奪われる。

収容患者たちの繰り返される日常にもドラマがある。階下の女性患者と心通わせるプー、夫が12年も収容されているマー夫婦、そして病院を出て家に帰ることになるジュー……。ジューの背中を追う長いショットの動揺するほどの美しさは何を語るのか。



監督:ワン・ビン

撮影:ワン・ビン、リュウ・シャンフイ

編集:アダム・カービー、ワン・ビン

製作:Y.プロダクション、ムヴィオラ

2013年/香港、フランス、日本/237分(前編122分/後編115分)

配給:ムヴィオラ



公式サイト:http://moviola.jp/shuuyou/

公式Facebook:https://www.facebook.com/shuuyou

公式Twitter:https://twitter.com/eiga_wangbing






▼映画『収容病棟』予告編

[youtube:QUv2PrgcVUY]

男優は「だらしなく」女優は「追い詰める」エロと切なさ描く『女の穴』吉田浩太監督の演出方法

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映画『女の穴』より、©ふみふみこ/徳間書店・2014映画「女の穴」製作委員会



漫画家・ふみふみこの原作を実写化した映画『女の穴』が6月28日(土)より公開される。監督を務めたのは『ユリ子のアロマ』『オチキ』『うそつきパラドクス』などで飄々としたなかに人間ののっぴきならないエゴイズムとエロティシズムを描いてきた吉田浩太。女子高生の姿で「子どもを作りたい」と男性教師に迫る宇宙人を描く「女の穴」、そしてゲイの中年教師の弱みを握り偏愛し続ける優等生の物語「女の豚」というふたつのエピソードを、暴走する登場人物たちの性への欲望や虚無を軸にユーモア溢れるエイターテイメントとして仕上げている。浅野いにおや曽我部恵一といったクリエイターからも賛辞を寄せられる、ふみふみこの原作をどのようなアプローチで映画化を試みたのか、吉田監督が語った。



女性が見てほどよいエロスを目指した




──まず、原作「女の穴」との出会いから聞かせてください。




僕は、今までの作品でちょっとエロティックなというか、性を題材にした作品が多くて。最初に単行本の表紙とタイトルに反応してしまったんですね。本を読んでみたら、反応したのは間違いなかったと感じました。描かれているものがエロティックなものだけではなくて、マイノリティの話であるとか、今までの自分の作品に近しいものを感じて、ぜひやりたいと制作会社に持ち込んだのがきっかけです。発売されてすぐのことでした。

やはり最初はタイトルですね。ストレートなタイトルが好きなんですが、「女の穴」はやはりインパクトがありました。ふみふみこ先生の漫画では、「ぼくらのへんたい」、このタイトルも非常にすばらしいと思っています。





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映画『女の穴』の吉田浩太監督





──これまでも性に対して抱え込んだ人たちを描いた吉田監督が映画化されると聞いたときは、腑に落ちるものがありました。漫画の実写化に対しては、どのようなアプローチを試みようと思いましたか?





原作の「女の穴」には単行本のなかに3つのエピソードがあって、死んだ兄が女子高生の頭の後ろに取り憑いてしまう「女の頭」はちょっと映像的に難しいのかなと。CGだと予算の兼ね合いなどでチャチくなってしまいそうですし。お兄ちゃんにバックで攻められるというシーンはすごくやりたかったんですけども(笑)。それよりも「女の穴」「女の豚」のエピソードで詰めていこうと作っていきました。






──ふみふみこさんの原作はかわいらしいタッチとえぐい話の絶妙なバランスも大きいですが、実写でやるにあたってはそのバランスというのは難しかったのでは?



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うーん、そこまで考えてなかったですけど、たしかに実写にすると生々しいものが映ってしまうというのはありますが、普段僕が濡れ場のシーンとか撮ってもそこまで生々しくならないんですよね。なんでだろうなぁ、自分でも不思議なんですけど。それで、そのスタンスでいけば大丈夫なんじゃないかなと思っていました。あと今回はエロティックな描写よりもドラマの部分で見せていきたいなと思っていました。



ふみふみこによる漫画『女の穴』(リュウコミックス)

──デビューから一貫してエロティックだけれど切ない作品にこだわるわけとは?



セックスというのが、僕の大きなテーマなんだと思います。僕は童貞を捨てるのが遅くて、24歳だったんですね。セックスがなかなかうまくいかなくて、そこをなんとかしたというものが、多分作品に表れちゃうんですね。



これまで自主映画やワークショップの映画などいろいろ手がけてきた中で、エロくなくていいのにエロくなっちゃうんですよ。そんなシーン作らなくていいのに、そういうシーン入れたら大変になるに決まってるのに、でも手コキにいく、みたいになっちゃう(笑)。




──『女の穴』はエロよりも男性のロマンティシズムだったり、かわいらしいほうが印象として残りますね。だからこそ「そんなにエロくない」という表現になるのかもしれないです。



女性に見てもらいたいなと思って作ったんですよね。女性が見てほどよいエロスを目指しました。




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映画『女の穴』より、福田先生(小林ユウキチ)と幸子(市橋直歩) ©ふみふみこ/徳間書店・2014映画「女の穴」製作委員会

想いの届かない「広域な他者」がテーマ




──俳優さんについてはどのような演出を?



女優さんを演出するとき、必要な時には追いつめます。女優さんのほうが追いつめた時になにか表れる瞬間というのがたくさんあって、それは俳優より女優のほうが圧倒的にあるんです。何かを超えた瞬間のパワーというのはすごいので、その瞬間を狙わなくてはいけないシーンがたくさんあると大変です。



男優さんについては、原作の「女の穴」では男性がすごくドライに描かれているんですが、今回は小林ユウキチくんがそのドライな部分をリアリティをもって具現化してくれているんじゃないでしょうか。僕はとにかく「だらしなく立ってくれ」しか言ってないんで(笑)。



──監督は今回どのキャラクターに一番共感しましたか?



やっぱり小林ユウキチ演じる福田先生ですかね。福田に感情移入して描いていました。僕も早漏なんで(笑)、福田が幸子に支配されすぐにイってしまうのは、非常に共感します。早漏を克服しようとする男を題材にした『ソーローなんてくだらない』という作品も撮っていますし、自分のアイデンティティは早漏しかないので……すいません。




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映画『女の穴』より、小鳩(石川優実)と村田先生(酒井敏也) ©ふみふみこ/徳間書店・2014映画「女の穴」製作委員会


──原作から引き継いだ設定で、一番大事にされた点は?



原作を読んで、ふみふみこ先生は「視点」の方だなと思ったんです。それぞれの想いが一方通行の片思いであって、それは必ずしも相手には届かない、それが特徴だと思いました。映画の「女の穴」でもそれを実践しました。映画的には視線を合わせないのが大事だと思っていて、視線を合わせない立ち方と、視線を合わせたときには、カットバックで視線を合わせないようにイマジナリーラインを超えた映画表現を意識しました。だから「女の豚」の小鳩(石川優実)と村田先生(酒井敏也)は、ほとんど視線が交わっていないんです。



映画化するときには、原作にとらわれすぎない方がいいとは思うんです。原作を脚本化したときに、元の本が必要としているものを、映画の中でオリジナルとして作っていく作業をするようにしています。



──では最後に、タイトルにもある「穴」が象徴するものとはなんでしょうか?



他者との関係かなと思ったんですね。それはやっぱり自分の想いが届かないという他者への想いが、深くてミステリアスな部分まで行ってしまう気がして。「女の穴」だけでなく「女の豚」でもやっぱり相手のことがわからないというところがテーマとしては繋がっているなと思ったんです。それは異性に限らず、他者という広域なテーマなんだと思います。



(6月7日新宿ロフトプラスワンにて行われた『女の穴』公開記念トーク・イベントより)




















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墨田区生まれ墨田区在住の吉田浩太監督に聞く〈地元で映画を撮ること〉

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吉田浩太 プロフィール



1978年生まれ、東京都出身。ENBUゼミナールにて篠原哲雄監督・豊島圭介監督に師事。『お姉ちゃん、弟といく』(2006)が国内外の映画祭で注目を集める。その後、若年性脳梗塞による闘病生活を経て『ユリ子のアロマ』(2010)で復帰。その他の監督作に『ソーローなんてくだらない』(2011)『オチキ』(2012)『きたなくて、めんどくさい、あなたに』(2012)『うそつきパラドクス』(2013)などがある。











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映画『女の穴』より©ふみふみこ/徳間書店・2014映画「女の穴」製作委員会


映画『女の穴』

6月28日(土)より渋谷ユーロスペース他全国ロードショー




高校卒業も迫る冬。生徒たちが集まり、卒業アルバム製作委員会が開かれる。生徒の中には鈴木幸子、まじめな萩本小鳩、イケメンの取手衛らがいる。委員長の幸子は担当教諭の福田に「私と子供を作ってくれませんか?」と持ちかける。宇宙人で、地球人との子供を作るよう命じられているという。初めて交わった福田は穴に落ちるような不思議な感覚にとらわれ……。一方、男子生徒・取手に想いを寄せる村田は、夜の教室で彼の机を愛でるのが日課。しかしそれを萩本小鳩に見つかり、以来彼女の豚として調教されるのだった。そんな毎日に耐えかねた村田は小鳩を拒否するが、彼女の村田への狂おしいまでの想いは、鬼となって、暴走を始めていた……。




監督:吉田浩太

出演:市橋直歩、石川優実、小林ユウキチ、布施紀行、青木佳音/酒井敏也

製作:バップ、アイエス・フィールド、徳間書店、ダブ

製作プロダクション:ダブ

配給・宣伝:アイエス・フィールド/アルゴ・ピクチャーズ

2014/95分/カラー/ビスタビジョン/R-15



公式サイト:http://onnanoana.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/onnanoana

公式Twitter:https://twitter.com/onna_no_ana




【舞台あいさつ】

6月28日(土)18:00~

横浜・シネマ・ジャック&ベティ

登壇者=市橋直歩、石川優実、吉田浩太監督 MC:ジェントル

6月28日(土)21:00~

東京・渋谷ユーロスペース

登壇者=市橋直歩、石川優実、青木佳音、小林ユウキチ、布施紀行(予定)、吉田浩太監督 MC:ジェントル

6月29日(日)18:15~

名古屋・シネマスコーレ(052-452-6036)

登壇者:市橋直歩、石川優実



【イベント】

7月2日(水)※全メディア同時公開日<上映後>

市橋直歩×石川優実×青木佳音×吉田浩太監督ほか予定 MC:ジェントル

7月3日(木)【男の穴デー】<上映後>

真山明大×吉田浩太監督×大森氏勝(角川書店)×行実良(VAP) MC:ジェントル

7月7日(月)<上映後>

市橋直歩×佐々木心音(ゲスト)×吉田浩太監督 MC:ジェントル

7月11日(金)<上映後>

石川優実×森下くるみ(ゲスト)×吉田浩太監督 MC:ジェントル

※全て東京・渋谷ユーロスペースにて開催

http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=568




▼映画『女の穴』予告編

[youtube:cx8Vgp3k8eU]


これはリメイクではない─スパイク・リーが『オールド・ボーイ』で新たに創造した動物的な本能のみ残された男

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映画『オールド・ボーイ』より、主演のジョシュ・ブローリン © 2013 OB PRODUCTIONS,INC.ALL RIGHTS RESERVED.


「これはリメイクにしたくなかった」と語るスパイク・リーの新作はパク・チャヌク監督が2003年に映画化した『オールド・ボーイ』、原作は土屋ガロン(狩無麻礼)作、嶺岸信明・画のコミック。「いろんな方法で表現できる壮大な物語のひとつの解釈として捉えた。パク・チャヌク監督は素晴らしい作品を作った。だけどこの作品の原点は日本の漫画にある。このことが、この素材を描く新たな方法を探求する機会を与えてくれたんだ」と、パク・チャヌク監督からは独自の方法で映画化してほしいと言葉をもらい、リメイクではなく新たな映画化に挑戦したという。

本作の荒唐無稽な設定があり得るかもしれないとリアルに感じさせられるのは、監禁、監視、拷問、銃乱射といった劇画的な出来事が現実に頻繁に起きるアメリカ社会を舞台に設定を変えているせいかもしれない。

スパイク・リー監督の次回作は、黒人のドラキュラもの『Da Sweet Blood of Jesus』で、リー監督自らキックスターターで製作費のクラウドファンドを行い先頃1億4,000万円程を集め話題になった。


【webDICE TOPICS】

スパイク・リー キックスターターで1.39億円達成

http://www.webdice.jp/topics/detail/3955/






ジョシュ・ブローリンは熟練し、技術があり、知性がある




──あなたは映画監督としてオリジナルな存在です。今回、人々から比べられるであろうことがわかっている題材にどうして取り組まれたのですか?



僕たちが取ったアプローチと、ジョシュ・ブローリンを迎えたことで、僕たちはオリジナルに敬意を示し、自分たち自身の映画で違いを作る必要があった。ジョシュは契約書にサインする前に、許可をもらいにパク・チャヌク監督のところに行った。パク監督はジョシュに、許可を与え、「僕が作った映画をなぞるのではなく、自分自身の映画を作れ」と言ったんだ。ジョシュはさらに、パク監督が許可しなかったなら、この映画を作らなかっただろうと言った。彼はパク監督の承諾なしにやるつもりはなかったんだ。




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映画『オールド・ボーイ』のスパイク・リー監督



──ジョシュのような俳優とチームを組むのは面白かったですか?彼は研究熱心で、質問が多い俳優ですよね?



熟練し、技術があり、知性があり、物語を理解する人々との仕事は大きな喜びだ。ジョシュと僕は全てにおいて足並みを揃えて進んだよ。



──彼の仕事は彼に任せ、あなたはほかのことに集中できるから、やりやすかったということでしょうか。



それでも俳優を演出しなくてはならないが、優れた人々だとずっと容易だ。ジョシュはとてもやりやすくしてくれたよ。



──パク・チャヌク監督版とは大きく違うエネルギーがあります。もっと現代的に感じました。韓国版はゆっくり感じましたが、この映画は活動的です。異なる考え方だからでしょうが、あなたのペースの取り方に興味があります。もっと本能的な感じがしました。



僕たちは僕たちの映画を作ったとしか、答えようがないね。前にも言ったように、パク監督は僕たち自身の映画を作ることを条件に許可してくれたんだ。



──本作を監督してみたいと決心させたのは、脚本のどの部分ですか?



マークが素晴らしい脚本を書いたし、ジョシュ・ブローリンと仕事をするチャンスだった。何年も前から一緒の仕事について話していたからね。




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映画『オールド・ボーイ』より、エリザベス・オルセン(右)とジョシュ・ブローリン(左) © 2013 OB PRODUCTIONS,INC.ALL RIGHTS RESERVED.




──韓国版にはなかったもので、原作のコミックから取り入れたかったものはありましたか?扱いたかった、あるいは発展させたかったものは何でしたか?



多くを取り込んだが、ジョシュと僕がこの映画ではうまくいかないと思ったのが、催眠状態だった。オリジナルに敬意を表すが、僕たちの映画でそれがうまくいくとは思えなかったんだ。



ルイジアナ州は撮影で最高の税金控除が受けられる




──映画全部がニューオリンズで撮影されたとは気づきませんでした。NYのチャイナタウンだと思っていました。あの街の様相をどんな方法で変えて見せたのですか?



『オールド・ボーイ』もほかの映画も、ルイジアナ州で撮影する理由は、どの州よりも最高の税金控除が受けられるから。でも、あの街の外観がアメリカのどの街よりも独特なために、ニューオリンズに見えないようにすることは難しかった。とても難しかったよ。ロケーション探しが大変だった。でもあそこがチャイナタウンの裏通りに見えたなら、成功だ。



──見慣れた街角に見えましたよ。ところで、異なるタイプの俳優たちを選んだ理由は?彼らはどんなものをもたらしてくれましたか?



この仕事に最も適した人たちだ。それが映画のキャスティング方法だ。この役をやってもらうなら、誰が最適かということを考える。





──ニューカマーのエリザベス・オルセンはいかがでしたか?



優れた女優だ。素晴らしいよ。それに、『第9地区』(09)のシャールト・コプリーも見事だ。新しい発見であるポムもね。素晴らしいキャストを集められた。






──旧友の一人サミュエル・L・ジャクソンも出演しています。彼への演出はいかがですか?



ただカメラを回すだけだよ!1991年の『ジャングル・フィーバー』以来の仕事だ。コマーシャルでは仕事をしたが、映画では久しぶりだった。でもギャップなど感じなかった。素晴らしかったよ。





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映画『オールド・ボーイ』より、サミュエル・L・ジャクソン © 2013 OB PRODUCTIONS,INC.ALL RIGHTS RESERVED.




──本作は監督のほかの作品とは違って見えます。どのような感覚の映像を望みましたか?



異なって見えるのは、異なる物語だからだ。僕たちは物語と脚本を映像で語る。最近『それでも夜は明ける』(13)を撮影した、優れたカメラマンのショーン・ボビットが彼らしい仕事をしてくれた。



──本作では、彼が監禁される部分がかなり長いです。隔離についてどのような決定を下し、何を目指しましたか?



撮影するのが難しかった。20分近くあるからね。単調になりがちだ。僕は「どうしたら、この長さにもかかわらず興味深い映像を作ることができるのか?」と全員に問うた。20年を表す部分だ。だから時間をかけて、必死に取り組んだよ。



──「自分らしさ」ということを強調されていますが、ジョーが解放された時のショットは常にあれでいこうと思っていたのですか?



脚本を読んで、ジョシュが言ったんだ。ジョーが最初にすることを見つけ出せば、このショットは決まりだとね。すぐにそのショットは思い付いたよ。自然にわかったんだ。




(オフィシャル・インタビューより)











スパイク・リー プロフィール



1957年、ジョージア州アトランタ生まれ。家族の移住先であるブルックリンで育ち、アトランタのモアハウス大学やニューヨーク大学ティッシュ芸術学校で学ぶ。カンヌ国際映画祭ユース賞などに輝いた『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』(86)で監督デビューを飾り、『スクール・デイズ』(88・未)、アカデミー脚本賞候補になった『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)を矢継ぎ早に発表。アメリカのインディーズ・シーンと黒人タレントの役割に変革をもたらした。その後も『モ’・ベター・ブルース』(90)『ジャングル・フィーバー』(91)『マルコムX』(92)『クルックリン』(94)『クロッカーズ』(95)『ガール6』(96)『ゲット・オン・ザ・バス』(96)などの社会意識の強い問題作を発表。さらにヒューマン・ドラマやサスペンスへと作風を広げ、『ラストゲーム』(98)『サマー・オブ・サム』(99)『25時』(02)『セレブの種』(04)『インサイド・マン』(06)『セントアンナの奇跡』(08)『Red Hook Summer』(12)を手がけた。ハリケーン・カトリーナの災害を題材にしたTV作品「When the Levees Broke」(06)と「If God’s Willing and The Creek Don’t Rise」(10)、マイケル・ジャクソンの伝説をめぐる『Bad 25』(12)などのドキュメンタリーも発表している。









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映画『オールド・ボーイ』より © 2013 OB PRODUCTIONS,INC.ALL RIGHTS RESERVED.



映画『オールド・ボーイ』

2014年6月28日(土)新宿バルト9ほか全国ロードショー



1993年10月8日、広告代理店重役ジョー・ドーセットの人生は、はてしない悪夢にのみ込まれた。真夜中の街をさまよっていた彼は、泥酔して意識が混濁するなか、見知らぬ一室に閉じ込められてしまったのだ。何者かの監視下に置かれ、ひたすら単調に流れる時間に精神を蝕まれる絶望の日々。理由も分からない監禁生活がついに20年目に突入したある日、ジョーは突然外界に解放された。監禁中に妻殺しの汚名を着せられたジョーは、休む間も惜しんで猛然と動き出す。愛娘ミナとの再会を果たす前に、何としても自分を陥れた男を捜し出し、復讐を成し遂げねばならないのだ。やがて彼の前に姿を現した犯人は、あらゆる人間の良心を捨てた冷酷非情な男だった……。




監督:スパイク・リー

出演:ジョシュ・ブローリン、エリザベス・オルセン、シャールト・コプリー、サミュエル・L・ジャクソン

製作総指揮:ジョー・ドレイク、ジョン・パワーズ・ミドルトン、ピーター・シュレッセル

製作:ロイ・リー、ダグ・デイビソン、ネイサン・カヘイン


原作:[作]土屋ガロン(狩無麻礼)、[画]嶺岸信明

脚本:マーク・プロトセビッチ

撮影:ショーン・ボビット

美術:シャロン・シーモア

衣装:ルース・E・カーター

編集:バリー・アレクサンダー・ブラウン

音楽:ロケ・バニョス

2013年/アメリカ/英語/カラー/シネマスコープ/103分/原題:OLDBOY/R-15

配給:ブロードメディア・スタジオ




公式サイト:http://www.oldboymovie.jp

公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/映画オールドボーイ/600681236677602


公式Twitter:https://twitter.com/OLDBOY_2014






▼映画『オールド・ボーイ』予告編

[youtube:GcnH79Hr87c]

60年代後半の日本にあった政治への意識と抗議の精神そしてエネルギーはどこに消えてしまったのか

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映画『革命の子どもたち』より、重信メイ(左)とベティ―ナ・ロール(右) © Transmission Films 2011



日本赤軍の最高指導者・重信房子と極左地下組織で後にドイツ赤軍となるバーダー・マインホフ・グループの創設者ウルリケ・マインホフ、ふたりの女性革命家を、重信メイとベティーナ・ロールという、ともにジャーナリストであるふたりの娘の証言から捉えたドキュメンタリー『革命の子どもたち』が7月5日(土)より公開される。激動の時代に幼少期を過ごした娘たちが母の足跡をたどり、当時のニュース映像や、パレスチナ解放闘争に参加した足立正生監督、赤軍派議長の塩見孝也らのインタビューも交え、革命家と呼ばれ、母親として生きた女性たちの生き様を追っている。シェーン・オサリバン監督は今作の日本公開にあたり「1960年代後半に日本で強まった抗議の精神について、またそのエネルギーがどこに消え去ってしまったのかを、日本の若い世代が考える助けになればと望んでいます。そして重信の物語から得られた教訓が、今日の日本に政治的能動主義の新たな波を引き起こしてくれたらと思います」とメッセージを寄せている。今回は監督が制作・撮影の経緯についてあらためて語ったインタビューを掲載する。



母娘の関係と彼女たちの声を紡ぐ



──重信房子と娘の重信メイ、そしてウルリケ・マインホフと娘のベティーナ・ロールというこの4人の女性になぜ注目したのですか?



2001年にイタリアのジェノヴァで行われたG8のサミットに反対する20万人のデモを見て、68年の運動の精神が再来したのではないかと感じました。それをきっかけに当時の運動を調べ、とくに重信房子とウルリケ・マインホフに興味を持ったのです。なぜなら、二人はともに女性のリーダーであり、それぞれに娘を持つ母親だったからです。また、日本とドイツを対比させたらおもしろいなと思いました。



個人的も興味はもちろんありますが、ジェノヴァでの反G8のデモを体験して、今でも資本主義というのは貧富の差をどんどん拡大させていくにすぎず、それを変えなければいけない。今でもアメリカは世界で戦争を起こしている。これは68年の時代と変わらないのではないでしょうか。今それを変えていこうという動きがあり、じゃあ一番近い過去で大きな社会変革があったのはいつだったのかを考えるとやはり68年でした。なので、その時代を振り返ってみようと考えました。もう一つは、当時を体験した人たちはどんどん歳を取っていくので、彼らの証言を記録としてちゃんと残さなければいけないという思いもありました。若松孝二監督も突然亡くなられたわけですし……。今となっては彼の話を聞こうと思っても、もう遅いわけですよね。




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映画『革命の子どもたち』のシェーン・オサリバン監督




──日本でドイツ赤軍はあまり知られていませんが、ヨーロッパではもともと認知されていたのですか?



ヨーロッパの中ではよく知られています。ドイツではドイツ赤軍についての映像やドキュメンタリーはいくつも作られています。逆に、日本赤軍のことはあまり知られていませんが、本作を観た多くのひとが日本赤軍について興味を持ってくれました。



──日本赤軍やドイツ赤軍が起こした事件など、監督自身はどうお考えでしょうか?



日本赤軍が中東で行ってきたことは、主には戦略的なことだったと思います。刑務所から自分たちの仲間を解放するために、貧しい人からではなく政府から活動のための資金を得る。それはある意味ロビン・フッド的な方法だったと思うんですね。ロッド事件や爆発事故などの暴力的な部分を除けば、そういう戦略的な方法を政府や帝国主義に対して行うということは、私としては支持できます。ただ、この映画は自分の意見を表明するものではなく、母娘の関係であり、彼女たちの声を紡いだものなので、自分の意見とは関係ありません。




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映画『革命の子どもたち』より、重信房子 © Transmission Films 2011



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映画『革命の子どもたち』より、ウルリケ・マインホフ © Transmission Films 2011



──娘たちが共にジャーナリストだということは以前から知っていたのですか?



ええ。彼女たちが書いた本も事前に読んでいました。房子さんはPFLPの情報部というか、プロパガンダを外に向けて発信していくという役割だったので、ジャーナリスト的な側面があったのかなと。それをメイさんも引き継いでいるのかもしれませんね。ベティーナの場合は、私が何をこの映画に入れるかということをコントロールしようとする力が強かった。自分の母親は狂人であったと、私が持つウルリケに対してのロマンティックなイメージを彼女は変えようとしていました。……二人ともジャーナリストではあるけれど、正反対のタイプなんだなと思います。






──3.11以後、日本では原発再稼働や特定秘密保護法案などに対して若者の声が高まっていると思います。そういう日本の現状をどう捉えていますか?



どの時代でも政治家や大企業の人たちは自分の利益を追求していくわけなので、都合の悪いことは隠していくわけですよね。それは日本だけに限りません。だから私たちは常に政治的な意識を持っていないとそういうことは見抜けないと思います。本作を通して若い人に68年の時代を一つの教訓として、政治的な意識をより持ってもらえたらいいなと思います。




自分の子どもを置き去りにして、革命に走ることは自分だったら出来ない



──本編には若松監督の作品映像がたくさん使われています。その意図は何ですか?



例えば若松監督の『セックスジャック』(1970年)という映画の冒頭は代々木公園で起こっていたデモそのものが使われています。彼の作品を観るとフィクションでも当時の新左翼と呼ばれる人たちの動きや、若者の色々な動きがそのまま作品の中に反映されているんですね。そういうおもしろさがあるというのと、60年代の映画文化は若松監督の作品に凝縮されていて、当時の雰囲気などがとても出ているのでそのまま使いました。それに、当時のニュース映像と比べて、芸術的なものを内包しているのではないかと思います。




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映画『革命の子どもたち』より © Transmission Films 2011





──若松監督の作品に出会ったきっかけを教えてください。



15年前にアメリカで販売されている2本の作品を初めて観ました。そして2002年に新宿のゴールデン街で彼にインタビューをしたのですが、そのインタビュー前に近くのビデオ屋さんで、若松監督の作品をすべて借りて観ました。それが彼との出会いです。



──ご自身でアポイントを取られたのですか?



60年代の日本のカウンターカルチャーに関する短い映像を作ったことがあり、そのドキュメンタリーを作るにあたって、とにかく自分の好きな当時の芸術家たちに日本で公衆電話から、掛けまくりました(笑)。ドナルド・リチーや麿赤兒、松本俊夫など……若松監督もそのうちの一人です。



──ご自身の子どもが生まれる前と後ではこの映画に対して想いが変わったことなどはありますか?



子どもが生まれたことによって自分の人生が180度変わりました。自分の子どもを置き去りにして、革命に走ることは自分だったら出来ない。ウルリケはベティーナが幼少の頃に母娘の関係を断って去っていくわけですよね。そうやって絆を断ち切るということは到底できないですね。子どもに関していえば、ベティーナも子どもが生まれたからこそ、自分の母親を違う目で見ることができ、過去は過去として置いて、新しい目で新しいものにエネルギーを集中できる。子どもというのはそういう力があると思う。房子さんは中東に行ってメイさんを産んだことによって、前向きな未来を考えられたのではないかなと。



──この時代を通して、私たちが学ぶべきことはなんだと思いますか。



この映画では社会運動自体の歴史を描いています。その大きな運動のなかで何ができたか、できなかったか、彼らはどんな間違いを犯したのか、どういうことが教訓として得られるのか、ということがわかると思います。それは今日起きている問題と密接に関係しているはずです。どの世代の人であっても、今の自分がいる社会と結びつけて考えられるきっかけになれば嬉しいです。



(オフィシャル・インタビューより)











シェーン・オサリバン プロフィール



1969年7月12日生まれ。ロンドンを拠点に活躍するアイルランド人のドキュメンタリー映画作家。これまで『RFKマスト・ダイ』(原題)(08)、『革命の子どもたち』(11) 、『キリング・オズワルド』(原題)(13)という政治史に焦点をあてた3作の長編ドキュメンタリーを製作している。また、ポル・ポトとジャン=リュック・ゴダールを扱ったテレビドキュメンタリー番組や『セカンド・ジェネレーション』(原題)という長編劇映画も監督している。2008年には、『Who Killed Bobby? The Unsolved Murder of Robert F. Kennedy』(誰がボビーを殺したか?未解決のロバート・F・ケネディ殺人事件)という本を執筆しており、最近ではローハンプトン大学で映画学の博士号を取得した。大学を卒業したのち2年間日本に住んでいたが、その時、ビースティ・ボーイズのライブで知り合った日本人女性と結婚し、現在は妻と娘と共にロンドンで暮らしている。











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映画『革命の子どもたち』より © Transmission Films 2011



映画『革命の子どもたち』

7月5日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次公開






監督・プロデューサー: シェーン・オサリバン

出演:重信房子、重信メイ、ウルリケ・マインホフ、ベティ―ナ・ロール、足立正生、塩見孝也、大谷恭子 他

Special Thanks:若松プロダクション

配給・宣伝:太秦

2011年/イギリス/カラー/HD/88分

© Transmission Films 2011



公式サイト:http://www.u-picc.com/kakumeinokodomo

公式Facebook:https://www.facebook.com/kakumeinokodomo

公式Twitter:https://twitter.com/kakumeinokodomo





▼映画『革命の子どもたち』予告編

[youtube:KNDrtk1CKbY]

名もなき炭坑夫・山本作兵衛の絵がなぜ“世界記憶遺産”になり得たのか

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山本作兵衛(1892-1984)


2011年にユネスコの「世界記憶遺産」として国内ではじめて登録された炭鉱画を描いた山本作兵衛についてのドキュメンタリー『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』が、2014年7月5日(土)よりポレポレ東中野にて公開される。



山本作兵衛(1892-1984)は、福岡県・筑豊の炭鉱で働いた炭鉱労働者であり、炭鉱記録画家である。14歳からおよそ50年間炭坑夫として働いた後、60歳を過ぎてから炭鉱生活の記憶を1000枚以上の絵に残した。還暦を過ぎてツルハシを筆に持ち替えて描いた絵は、他に類を見ない貴重な生活記録画であり、びっしりと書かれた言葉や図解とともに、日本の近代社会をリアルに映し出している。映画は作兵衛の人物像に迫るとともに、北海道釧路の現役炭鉱、ベトナムの炭鉱を取材。名もなき炭坑夫の絵がなぜ国境を越え「世界の記憶」となり得たのかを描く。



本作を制作したのは、TBS系列の福岡の放送局であるRKB毎日放送。webDICEでは、プロデューサー・大村由紀子氏の原稿を掲載する。



『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』

坑内は実際には暗闇だったが作兵衛の絵は鮮やかに描かれている


『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』

現存する日本唯一の坑内掘石炭生産会社、釧路コールマインの貯炭場










「炭鉱がなくなった後の筑豊をどうするのか」は、常に福岡県全体に影を落とし日々報じられる身近なニュースだった




 RKB毎日放送はTBS系列の福岡の放送局です。1951年にラジオ九州としてスタートし、1958年にテレビの放送を開始しました。ちょうど山本作兵衛さんが炭坑記録画を書き始めたころです。明治から大正、昭和初期と日本の近代化を支えてきた筑豊炭田には、当時、石炭から石油に転換するエネルギー革命と石炭不況の波が押し寄せていました。



 福岡の地に開局したローカル局として、当時RKBが報道すべき一番大きなテーマは、国策として雪崩を打ったように閉山していく炭鉱と、それによる地域の空洞化、失業・貧困問題などあまりにも大きな地域社会への影響でした。RKBライブラリーに残された大量の映像を見るにつけ、どれだけ先輩のテレビマンたちが筑豊に通ったのかが窺い知れます。特にRKBの名物ディレクターとして数々のドキュメンタリー番組を残した木村栄文は、上野英信氏らとともに、作兵衛さんの絵を世に出そうとしていた一人であり、たくさんの映像を残していました。1968年制作のテレビ開局10周年記念番組「加東大介 ボタ山へ帰る」では、作兵衛さんが加東氏を自宅でもてなし、「ゴットン節」を歌うシーンがあります。今回フィルムからデジタル処理で色を補い、傷を修正して当時の映像を蘇らせました。


 
『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』

絵を描く山本作兵衛





 平成元年に入社した私にとっても、筑豊はいつか向き合わなくてはならないテーマでした。福岡で生まれ育った私には、「炭鉱がなくなった後の筑豊をどうするのか」というのは、常に福岡県全体に影を落とし日々報じられる身近なニュースだったのです。ただ、「負のイメージ」だけでなく、日本のエネルギー庫として急速に膨張し、隆盛を極めた、筑豊の不思議な熱気も感じていました。



『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』

採掘に伴い発生する捨石の集積場はボタ山と呼ばれた





 2011年に作兵衛さんの炭鉱記録画が世界記憶遺産に登録されたことは、筑豊の炭鉱の歴史に光を灯しました。すでに作兵衛さんが亡くなって27年の月日が流れていましたが、RKBには開局以来、撮りためてきた炭鉱と作兵衛さんの映像があり、この「地域の宝」を発信することが、地元ローカル局の使命のように思えて企画書を書きました。



 世界記憶遺産に登録された原画は、田川市石炭・歴史博物館に保存されていますが、もともとは田川市立図書館の職員だった永末十四雄氏が作兵衛さんに「郷土資料として描いてほしい」と依頼し、出来上がり次第図書館に寄贈されたものです。公的な管理のもと、600枚近い大量の炭坑記録画が残されたのです。この映画では、「作兵衛(作たん)事務所」の協力を得て、公的な資料として描いた絵、そして作兵衛さんがご家族や身近な人に残した絵、その両方の原画を撮影しています。



『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』

灯りの変遷と手掘り採炭道具





 作兵衛さんの記憶に残る坑内での作業風景、メモ魔だった作兵衛さんが緻密に書き込んだ道具類、危険と隣合わせの過酷な労働を終えたあとの共同住宅での暮らし。まっすぐな人柄で、お酒が大好きだったという作兵衛さんの人情味あふれる人間描写は、見ればみるほど味わい深いアートです。より作兵衛さんの世界に入ってもらえるように、過去の映像だけでなく、北海道・釧路とベトナムの現役炭鉱の様子も入れました。石炭を掘り出す作業は機械化されて作兵衛さんが描いた時代とは隔世の感がありますが、地の底に降り、安全に細心の注意を払いながら働く人たちは、作兵衛さんの思いを共有していました。



 世界が認めた炭鉱の記憶。日本の近代化を支えた人々の労働と暮らしの記録。国境を越えた作兵衛さんの「アート」を堪能してください。



テキスト:大村由紀子(『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』プロデューサー・構成)









大村 由紀子(おおむら ゆきこ) プロフィール


RKB毎日放送 報道制作センター 報道部副部長 福岡市出身。1989年、RKB毎日放送入社。アナウンサーとして情報番組やニュースのキャスターを務めたあと、2000年から報道部記者。ニュース取材と並行して報道ドキュメンタリーを制作。2010年東京支社テレビ編成部。2014年4月より本社報道部記者。



◆受賞歴

2008年「母は闘う~薬害肝炎訴訟原告 山口美智子の20年~」

芸術祭優秀賞、日本民間放送連盟賞優秀賞、ギャラクシー賞選奨など受賞。

2009年「知られざる更生保護の現実 ~社会へ帰る受刑者たち~」 ギャラクシー賞奨励賞

彼・彼女らが発する「声」に耳を傾けてほしい。











『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』

2014年7月5日(土)よりポレポレ東中野にて公開



プロデューサー:大村由紀子

ナレーション:斉藤由貴

朗読:井上悟

音楽:小室等、佐久間順平、竹田裕美子、河野俊二

制作・著作・配給:RKB毎日放送

2013年/日本/日本語/カラー/HD/16:9/72分

公式サイト



[youtube:h0vGcsaY5is]


☆公開記念トークイベント



7月 5日(土)
ゲスト:小室等(ミュージシャン)×大村由紀子(本作プロデューサー)


7月 6日(日)
ゲスト:森達也(ドキュメンタリー作家)×大村由紀子(本作プロデューサー)


7月12日(土)
ゲスト:吉岡忍(ノンフィクション作家)×大村由紀子(本作プロデューサー)


7月13日(日)
ゲスト:安蘇龍生(田川市石炭・歴史博物館館長)×大村由紀子(本作プロデューサー)


7月18日(金)
ゲスト:本橋成一(写真家・映画監督)×大村由紀子(本作プロデューサー)


7月20日(日)
ゲスト:正木基(美術評論家・casa de cuba 主宰)×大村由紀子(本作プロデューサー)


7月21日(月・祝)
ゲスト:石川えりこ(絵本作家)×大村 由紀子(本作プロデューサー)




ストーリーテラー、ダグ・ライマン語る「『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のタイムループは人生のメタファーだ」

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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED


SF映画しかもタイムシフトものとなるとどこか突っ込みどころがあるものだが、桜坂洋原作、クリストファー・マッカリー、ジェズ&ジョン=ヘンリー・バターワース脚本(桜坂氏によると8人の脚本家が関わっていたと言う)、ダグ・ライマン監督による本作はその点、SF的世界においてストーリーテリング上、全てが論理的に整合しており、トム・クルーズ演じるケイジの視点によるタイムループの世界に一気に引き込まれていく。SF世界を楽しめるか否かはこの脚本と設定にかかっており、更に本作では機動スーツ、宇宙人との戦闘の訓練施設などユニークなビジュアルと相まって、さすがハリウッドというエンターテインメント作品に仕上がっている。



監督が「僕はストーリーテラーだ」とインタビューで述べるように、これは宇宙人との戦いを主題にした映画ではなく、タイムループによる強制的経験により成長していく人間の物語を軸にした、アクションSF宇宙人地球制覇映画と言えるだろう。



ちなみに、「ホドロフスキーはSF映画のOSを『DUNE』において発明した」という西島大介氏の言葉を本作において検証すると宇宙人、ギタイのクリーチャーデザインにそのDNAをみることができる。ギタイは漫画のデザインとも違い、先日亡くなったH.R.ギーガーに敬意を表したと思われるエイリアン・ライクなデザインとなっている。





自分を変えることができれば世界を変えることができる



──このプロジェクトに魅かれた理由を教えてください。また映像化するにあたって、最初にどんなことを考えましたか?




まず、これはテーマがふたつある映画ではないんだ。確かに宇宙人の侵略があるし、何度も死んでは生き返って同じ日を繰り返すトム・クルーズがいる。でもテーマはひとつなんだよ。つまり宇宙人に攻撃されるけど、なぜ彼らが我々を攻撃するかといえば、彼らはその日を何度も繰り返すことができて、自分たちが勝つまで記録を続けるからなんだ。こんな状態で人間に勝ち目なんてあるはずがない。ところがトム・クルーズ演じる主人公が彼らの能力に感染したことで、突如として人類にもチャンスが訪れることになるんだ。




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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のダグ・ライマン監督




宇宙人の地球侵略を描いた映画には何の興味もなかったよ。だからむしろ僕が本当に魅かれた理由は、トム・クルーズ演じるウィリアム・ケイジが辿る軌跡のほうだったんだ。僕はストーリーテラーだ。ディナーパーティに行って、みんなを楽しませるような話をするのが好きなんだよ。それを恥ずかしいなんて思わないしね(笑)。誰もが大いに楽しめるような映画作りに全身全霊を注いでいると同時に、スマートで刺激的な映画を作ることに情熱を抱いているんだ。



自分以外の人間はみんな同じことを繰り返しているのに自分だけが違うという状態の戦いの中に何度も何度も放り込まれるというのは……僕にとって、人生のメタファーのようなものだ。現実には、自分に世界を変えることはできないし、他人を変えることだってできない。でも自分自身を変えることならできるよね。この自分を変えるという行為こそが劇中を通してケイジにできる唯一のことなんだ。ほかはどれも同じで変わることがないからね。彼にコントロールできるのは自分の行動だけなんだよ。



つまりこうだ。僕は宇宙人の侵略やタイムトラベルの話をしているんじゃない、人間の話をしているんだよ。現実として、自分を変えることができれば世界を変えることができるということだ。その点に僕は魅かれたのさ。



この企画にはそうした深い意味があることが分かったのと同時に、ローラーコースターに乗っているかのような驚異的なアクションシーンもあるし、キャラクター主導のコメディ要素もあるし、素敵なラブストーリーまで揃っていることも分かってね。もう即座にこの映画を作りたいと思ったよ。




ALL YOU NEED IS KILL

映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED



トム・クルーズと僕は常に最上を求めてお互いに刺激し合った



──本作でのコラボレーションについてはどうアプローチしたのでしょう?またこのストーリーに息吹を吹き込んだトム・クルーズ、エミリー・ブラント、その他キャストとの共同作業について教えてください。



これまでの個人的経験から、本作がほかのどの作品とも違っていた理由の一部は気持ちも楽で、協力的な環境だったと思うんだ。『スウィンガーズ』を作った時の環境に似ていたかな。もちろん、あの時は気も楽で協力的な環境だった。何しろ仕事にあぶれていた奴らが誰にも期待されていない中で頑張って1本の映画を作ろうとしていただけなんだから。スタジオもなかったし、何もなかったからね。



でも今回は、ワーナーブラザースという一大のブランドの映画の中心で、まるであの時と同じような安心感と協調性のある環境を作ることができたんだ。強いて言えば何の懸念もない大学のキャンパスにある劇場なんかにありがちな環境のようだった。何しろ大学の劇場っていうのは基本的に何の不安もない協力的な環境に恵まれている場所だからね。しかもお金を稼ぐ必要がないんだから。



僕らはそんなリラックスできる環境の巨大スタジオの中心でキャラクター、ストーリー、テーマについて話し合ったよ。最初に現場の雰囲気が決まったな、と感じた瞬間のひとつは、僕らが行った初期の話し合いの一幕だったね。より幅広い脚本の話し合いをしていた際にエミリーが僕にこう言ったんだ。「あの、私はこの手の映画が初めてなの」とね。これは本当のことだ。僕はそんな彼女に、「いや、実は僕もこの手の映画は初めてだよ」と返答したよ。これも本当のことだからね。そうしたら話し合いの後、僕らのプロデューサーのひとりであるアーウィン・ストッフが僕に言ったんだ。さっきのはこれまで映画監督がスター俳優に対して言った中で最もすごいセリフのひとつだったと。自分も人間で、これまでに経験のないことをやろうとしている、と率直に伝えることがね。でもまさにそれこそが僕にこの映画を任せようと思った理由のはずだ。もし前に同じ経験があるなら、次はどれだけオリジナリティを発揮すればいいというんだろうね。



『ボーン・アイデンティティ』を監督した時にさかのぼるけど、あの当時の僕はインディペンデントのコメディ映画を2本作った経験があるだけだった。そこからユニバーサルのアクション映画を作ることになったんだよ。だから『ボーン・アイデンティティ』の作り方を前もってすでに心得ていた、なんて言ったらそれは明らかに嘘になるよね。でもどうにかして作り上げたんだ。今回だって、僕がこの映画の作り方を心得ているなんてどうして言えるんだい?今まで経験したことがないんだよ。今までやったことがないチャレンジなのに、どうしてやり方なんて知っていると思う?自分にあるのはどうチャレンジすれば良いのか、というアイデアだけさ。もし、実際に知っているなんて言う人がいたら、それは同じ映画を2度作っているだけか、嘘をついているだけだろうね。




EDGE OF TOMORROW

映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED




とにかく僕は、まずはみんなに僕自身が自分の限界を超えるような映画を作ることに意欲的であることを伝える、というスタンスでいたんだ。それに誰のエゴもない環境の中では最高のアイデアがいつも勝つものなんだ。僕は容赦なく最高の映画を追求したよ。ひとときも手を休めることなくね。



東京で記者会見を行った際に、漫画の「オール・ユー・ニード・イズ・キル」を見せてもらったんだ。原作は漫画じゃなくて小説だけど、それを漫画化して連載していたんだね。この映画化に取り組みはじめた頃、「あ、これ日本語だ。ということはコミックだな」と思ったんだよ。ところが絵なんて一枚もなかった。だからこの世界観、宇宙人をデザインするにあたって何も参考にするものがなかったのさ。だからこの漫画にも目を通してみたよ。



仮にそれが苦渋の結末になったとしても僕はどんな時も常に追求と自問を繰り返すタイプなんだ。「これが本当に僕らのできるベストなのか?さらに良い物にできないだろうか?」とね。そしてトム・クルーズ自身がまさにそういう生き様の人なんだ。だから僕らは常に最上を求めてお互いに刺激し合うことができたよ。



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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED





──どうやら、そこにいた誰もがあなたがこの映画のために作り出した協力的な雰囲気を楽しんでいた様子ですね。




トムもそうした環境を作り出してくれていたよ。何しろ言わずと知れた世界屈指の大スターだからね。彼は熱心に打ち込む役者なんだ。常に映画のことを気にかけて、全力を傾ける。そんな彼の姿勢がスタッフやほかの人々を刺激して伝染していくんだ。本当に素晴らしかったよ。彼はこれまでに何本もの作品に出演してきているのに、まるで今回が初めての現場みたいに周りに感じさせるんだ。まるでお菓子屋さんに来て喜ぶ子供みたいにね。



様々な理由から、トム・クルーズみたいな人は彼を置いて他にはいない。でも個人的に彼をトム・クルーズたらしめている最も大きな理由のひとつは、あの熱意と映画に対する情熱だと思うんだ。想像するのは難しいだろうけれど、撮影初日、僕らは彼に朝8時にセットに来るように頼んだのに、彼は7時45分には現場にいたんだよ。翌日も同じ時間には現場にいた。撮影最終日もだ。その頃には実は彼がすでに7時15分には現場に来ていたことに気づいていたよ。彼は常に指定した時間よりも早めに現場に入る人なんだろうね。だから8時と言えば7時45分には姿を見せるし、僕らが7時45分に合わせて準備を整えればそれに気づいて今度は7時半に現場に入るようになる。主演俳優がこんな雰囲気をもたらしてくれる環境に囲まれていたら、毎日現場に行くのが楽しくて仕方がなくなるはずだよね。



それにエミリー・ブラントも素晴らしい女優だよ。僕はいつも仕事に行く時はこの映画を絶対に最高のものにしたいという思いが強くて毎朝ストレスがいっぱいで、ある意味ではスポーツ選手が勝負をしに行くような感覚で毎日仕事に行っていたんだ。それが僕の仕事観なんだよね。1日の終りには職場から自宅に戻る中で率直にその日がどんな1日だったかを評価する。「今日の僕らは勝ったか、それとも負けたか?」とね。シーズンは長い。この映画には100シーンもある。シーズンを勝利するためにお気に入りのチームが完封ばかりする必要がないのと同じように僕らにだって勝つ日もあれば負ける日もあるんだ。でも大半は勝たないといけないけどね。



そんな感じだから、僕は毎日仕事に行くのに少しストレスを抱えているんだ。「今日は勝ちたい」と思っているからね。今回の映画の場合は、毎日トムとエミリーと仕事をするのが楽しみだった。なにしろどうやってこの日の不可能を実現させるか不安に思う僕の気持ちを彼らは打ち消してくれたからね。




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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED



キャラクターが究極の状況にどう対処するのかに関心がある




──ウィリアム・ケイジの役作りについてトムとはどのように協力していきましたか?またトムはこのキャラクターにどのような特徴をもたらしてくれましたか?




トムほど有名な人物と仕事をする楽しみは……彼のように30本も40本も映画に出ていると、もはや観客を驚かすことなどできないと思う人もいるだろうね。でもトムは僕と同じように今までに演じたことのない新たなキャラクターを創り出すことに最大限の努力を惜しまないん人なんだよ。僕も自分の作るキャラクターを研究する。監督業のスタートを切った『スウィンガーズ』ではキャスティングと脚本を同時作業することで満足いく出来になった。ジェイソン・ボーンはマット・デイモンと創作したし、フランカ・ポテンテのキャラクターも彼女と協力して完成させているんだ。『Mr.&Mrs.スミス』も同じだよ。これはいわば僕のワークショップの一部であって、共同作業というのは単にキャラクターを高いところから伝えることを指しているだけじゃないんだ。



僕らはシーンを1パターン試してみることから始めるんだ。リハーサル時には脚本家も同席するから舞台の作り方と似ていると言えるかもしれないね。そこからリライトするんだよ。つまりリハーサルではキャラクターとトムが完璧にフィットするまで脚本を書き直すんだ。うまくハマるまでね。すぐにピンとくることもあれば、最後まで悩むこともある。でも決して諦めることはしない。とことん突き詰めて妥協はしないんだ。僕にとってはとても興奮するプロセスだよ。



トムは素晴らしいパートナーだし、挑戦を決して怖れない。高ければ高いほど落ち幅も深いと思う人もいるだろうね。もしかしたらトムも僕と実験的な試みをすることにナーバスになっていたかもしれない。でも彼は何事にもチャレンジするんだ。そうしてから、「最良を探していこう」と言ってくれる人なんだよ。彼はいろいろなチャレンジに身を投じて、そこから僕が学び、僕が良いと思うほうを決めさせてくれる。僕の提案はすべて実践してみてくれるんだ。



EDGE OF TOMORROW

映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED



もうひとつ、彼は大スターだけれど、みんな彼が才能のある役者であることを忘れているね。彼を演出することは僕の中でも最も驚くべき経験のひとつだったよ。なにしろ彼は僕が言及したことをたちどころに吸収して実践してしまうんだからね。こちらが求めているものを正確に理解して表現できるんだ。さらに僕が「カット」と言おうと口を開く前に彼は先を読んで、「君の考えがわかるよ。君が正しい。もう一回やろう」と言ってくれるんだ。それはまさにこちらが言わんとしていたことだった。こんな意思疎通ができるのは最高だったね。



僕が自分の映画にアプローチしてキャラクターを創り上げることで観客はキャラクターの視点から映画を観ることができるようになるんだ。トムが主演俳優というのも期待度を上げる要因になる。ケイジはPR担当の男というキャラクターを作り上げ、ほかの人々に戦地で戦うことを説くんだ。彼自身は避け続けてきたのにね。ところがそんな彼が最前線に送られることになって、人間が大敗を喫している戦地のど真ん中に放り出されるんだ。



他人に戦うことを説いてきたはずケイジというキャラクター自身が最前線に送られる姿を見るなんて最高に面白いよね。キャラクターの歩みとしては最高に楽しい旅路になる。命を賭して戦うことを避けていたはずなのに何度も何度も同じ戦いをさせられるんだからね。この物語の魅力は彼が戦いたくないと願うほど、毎日繰り返し戦うハメに陥るという点だ。ケイジは臆病で自分勝手でありながら、憎めない愛嬌がある。観客は彼に共感できるんだよ。ケイジは途方もない旅路を続ける驚くべきキャラクターなんだ。



僕は本作や『Mr.&Mrs.スミス』『ボーン・アイデンティティ』のように、大きくて、象徴的なアイデアに興味を覚えるんだ。というのも、彼らがどんなキャラクターで、究極の状況にどう対処するのかに関心があるからね。その点でいえば今回の作品は今のところ僕が取り組んできた中で最もパワフルな作品になっているし、トム・クルーズという素晴らしいパートナーも手に入れることができたといえるね。




──リタ・ヴラタスキ役を演じたエミリー・ブラントとの仕事はいかがでしたか?彼女はこの役に何をもたらしてくれましたか?



『オール・ユー・ニード・イズ・キル』が素晴らしいのは……僕の作品を観たことがある人は僕が強い女性キャラクターが好きなことはご存じだと思う。何しろ僕は普段から強い女性に囲まれているからね。『Mr.&Mrs.スミス』では、ミセス・スミスのほうがミスター・スミスよりも強い。それが彼らの世界なんだ。別に何かがその裏にあるというのではなくて単にそういう構造をしているというだけだよ。僕は単に映画スターを起用して、そこに旬の女優を加えた映画を作るようなフィルムメーカーじゃない。脚本から練りはじめて、女性側の視点からも取り組んだんだ。だから『ボーン・アイデンティティ』ではほかのフィルムメーカーならジェイソン・ボーンになる気分はどんなものか、というポイントからはじめるところを、僕は彼とデートしたらどんなことになるのかという視点から脚本を作りはじめた、というワケさ。





ALL YOU NEED IS KILL

映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より、エミリー・ブラント ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED




本作の場合は、エミリー・ブラントのキャラクターの視点から見てみると、彼女はかつてトム・クルーズの持つ特別な力を持っていたことで伝説の戦士になったと言える。人々は彼女がこの戦いの結末を変えてくれることを願っているし、もしかしたらそうなったかもしれないが、すでに彼女はその能力を失ってしまっているんだ。世界は彼女が別の何かを成し遂げることを期待しているけど、それが無理なことは彼女だけが知っている。そんな時に自分が失った能力を持ったケイジと出会ったことで、彼女は彼を導けばきっと自分が出来なかったことを成し遂げてくれることに気づくんだ。



だから単にリタの視点からストーリーを伝えることもできる。エミリー・ブラントを起用して無名の男優にウィリアム役を演じさせてもきっと面白い話になるだろうね。そうなるとこれはリタの物語、パワフルな物語になるだろう。



僕がこの作品に惚れているのは、そうした物語も含めてウィリアムの物語を伝えることができるからだ。ふたりの視点が完璧に溶け合って、そのおまけとして美しいラブストーリーもある。強いキャラクターというのはこういうところから誕生するんだよ。肉体的に強いという意味じゃなくて、ストーリーを支えるだけの強さのあるキャラクターである必要があるんだ。



──エミリーはこの役のためにかなりの肉体改造をしたそうですね。そうした強さは常にスクリーンに描き出されていますか?それとも物語が進むうちに表出するのでしょうか?



エミリーはジムでのトレーニングだけでは得られない驚異的な強さを持ったキャラクターを創り出してくれたよ。筋力も必要だったから、それは幸いなことにジムでなんとかなったけどね。そして繰り返しになるが、やはりトムの存在があったからこそなんだ。トムは役の準備のために6~7か月前から熱心に準備をしていたから、エミリーも同じようにジムでのトレーニングをしたんだよ。彼はとても真剣に捉えていたんだ。監督としてはまさに夢のようだったね。



緊迫した状況や暗い瞬間をユーモアで明るくするのが人間の本性



──本作のユーモアについて質問です。トム演じるケイジとビル・パクストン演じるファレウ曹長の掛け合いなどは撮影をする中で生まれた物なのですか?



キャラクターとキャストは一心同体だからね。僕とビル・パクストンとの間の最初の一言は、「脚本を送るけど、ぜひあなたにキャラクターを作り上げて欲しいんだ。そうすることでキャラクターを成立させるために必要なことが何かを脚本から読み取れると思う。とにかく一緒に役作りについて話をしましょう」だったよ。



そして彼との最初の会話は、ケイジの所属する小隊を率いる曹長のアイデア出しだったね。曹長にとって戦場に行くというのは、ほとんど宗教的な体験なんだ。彼にしてみれば戦場で英雄として命を落とすというは解脱なんだよ。勝利と同等なんだ。そんな考えの曹長は興味深くて鮮やかなキャラクターになるけど、ケイジにしてみたら最悪の悪夢でしかない。生き延びるためなら逃げることも恐れない軍曹のほうがいいはずだ。英雄たる死を説くような軍曹なんてまっぴらご免だよね。つまりこれがキャスティングとキャラクター創作が一心同体であることの重要性なんだよ。これはビル・パクストンにしか演じることのできないキャラクターだ……僕らで一緒に作り出したんだからね。まるでオートクチュールみたいなものさ。



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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より、ビル・パクストン ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED


ユーモアについては、僕は最低な状況の時にユーモアが飛び出すような家庭に育ったからね。昔、パタゴニアの山で遭難したことがあってね。相当ヤバい状況だった。それなのに従兄弟のゲイリーがかなり緊迫した瞬間に僕ら全員が腹を抱えて笑うようなことを言ったんだ。つまり僕は最も緊迫した状況や暗い瞬間をユーモアで明るくする家庭環境の生まれなんだ。それが人間の本性というものだと思うよ。



だからこの映画でもリアルな危機、リアルな緊張感のある世界を作り上げたかったんだ。そしてそれをユーモアでぶった切る……キャラクター主導のコメディでね……そのほうがリアルな世界の感じがすると思ったからだよ。僕が人生で最も愛している人々や家族は逆境をささやかなユーモアで乗り切る人たちだ。恐ろしくて、危機が迫る世界にキャラクターたちが良質なユーモアのセンスで応酬するようにしたかった。そしてユーモアのセンスの良い映画にしたかったんだ。



毎日現場に行くのが楽しみだった理由の一部には、トムが驚くほど面白い人物だったこともあるだろうね。エミリー・ブラントにはコメディの経験があったしね。コメディというと皆、彼女のことを思い浮かべたよ。でもトムも面白かった。撮影以外の会話ではいつも笑っていて、互いにふざけ合っていたよ。彼は本当に最高のコメディアンだ。話が弾めば弾むほど、そんな笑いをスクリーンに映し出す方法を発見していたね。




ALL YOU NEED IS KILL

映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より、エミリー・ブラント ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED



よりシンプルなモラル(道徳性)に立ち返り宇宙人を描く



──本作にはデジタル処理で生み出される見事な要素もありますが、機動スーツなどは実際に撮影していますね。リアルな世界と宇宙人の存在を並列させる映像についてはどのようなビジョンをお持ちでしたか?



最初にも言ったけれど、僕がこの映画を作ると決めた時、興味を覚えたのは宇宙人じゃなくて人間のほうなんだ。宇宙侵略について最も興味があるのは、それが人間にどういう影響を及ぼすのか、という点だよ。だから僕は、役者と僕の間の距離はできるだけ縮めておきたかったんだ。機動スーツはとても重たいし邪魔だし痛いけれど、その一方であえてこの装甲具を役者に着用してもらうことで、視覚効果に頼らずに実際に撮影することができた。おかげでリアルに見せることができたよ。ワイヤーやケーブルはついていたけどリアルにね。そこからリアルなパフォーマンスも生まれるんだ。



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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』に登場するエイリアン ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED


──宇宙人についてですが、デザイン面、ビジュアル面という観点から、どんな姿、雰囲気にしたいとお考えでしたか?



宇宙人の侵略を描く映画を作る上で興味を抱いた理由のひとつが、ある種のよりシンプルなモラル(道徳性)に立ち返る、よりシンプルな時代に立ち返る機会だった、という点だったね。『Mr. & Mrs.スミス』が『フィラデルフィア物語』のような映画にインスパイアされているのと同じようにね。



『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を作っている際に僕が観ていたのは宇宙人の映画ではなくて、第2次世界大戦を舞台にした映画や敵陣の中に切り込んでいくキャラクターを描いた映画だった。第2次世界大戦というのは戦線が非常に明確だったんだ。誰もが軍服を着ていたしね。誰がどちらの軍なのか一目瞭然だったんだよ。しかもそうした状況の中に非常にロマンチックな物語もいくつか存在したんだ。




だから僕が宇宙人侵略というアイデアに魅かれたのは、つまり彼らが自分とは違う軍服を着ている敵の存在だったからなんだ。しかも戦線が非常にはっきりしている……宇宙人と人間だ。そこに曖昧さはまったく存在しない。だから宇宙人のデザインを手がけた際には、「宇宙人(alien)」という言葉と、その言葉のニュアンスにとても興味を覚えたね。




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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』に登場するエイリアン ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED




普段、「宇宙人」というと、単に自分たちにとって未知の存在、異質な存在という意味になる。それに普段あまり使用しない言葉だよね。ましてや宇宙外からクリーチャーがやって来るという意味でこの言葉を使うことはほとんどない。むしろ理解できないものを語る時に使う言葉になっている面がある。そういう意味で僕は「宇宙人」という言葉に興味を覚えたからこそ、理解できないクリーチャーを登場させたんだ。僕らには彼らの動機も最終的な目的もわからない。わかるのは彼らが人間を殺すということだけなんだ。コミュニケーションもはかれない。そこに存在しているのはお互いに理解しあえない全く違うふたつのカルチャーであって、その理解できない状態で戦争に突入していくだけなんだ。



僕にとっては宇宙人のことを理解できないというのが非常に重要なポイントになったよ。その意味でも彼らは異質な人(エイリアン)だし、「宇宙人」という言葉は実に言い得て妙だと思う。劇中で登場人物たちが彼らについて、「奴らの目的は何だ?」と話しているように、誰にも彼らの狙いはわからないんだ。理解できない、殺す以外にないんだ。ところが同じように相手のほうも我々のことが理解できないから、殺そうとする。それほどシンプルなことなんだ。互いにとって相手はまさに「異質な存在」なんだよ。







宇宙人のデザインはこうしたコンセプトから考え出されたんだよ。彼らのすべて、つまり動き方から殺し方に至るまで、我々が想定するような宇宙人らしさを出す必要があった。その一方ですべての面において地球生まれの僕らの予想とは驚くほど違うものになっている必要もあったね。



つまり、「これは異質か?それとも普通か?」という非常にシンプルなマントラなんだ。地球にいる動物の鳴き声のような音なのか?それとも地球外生物的な音なのか?地球では聞いたこともないような音なのか?もちろん、僕が求めたのは後者のほうだったよ。




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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』に登場するエイリアン ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED


僕らは間違いなくホームランを打った



──本作のために世界各国の役者を集めましたね。とりわけケイジが配属されたJスクワッドは国際色が豊かです。キャスティングのプロセスと彼らに決めた理由を教えてください。



僕はどちらかというと人の意見と反対のことをするタイプのフィルムメーカーだから、いつも楽な方は選ばないし、大抵は意図的に未知な方に目を向けている。宇宙人の侵略を描いたハリウッド映画の大半はアメリカの街が襲来されるパターンだ。だからまずはその点から僕は違うことをしたんだ。「ヨーロッパにしたらどうだろう?今までとは違う方がいいんじゃないか?舞台をヨーロッパにして宇宙人襲来を描いても面白いんじゃないか?」とね。



僕は自分のキャリアを通じてこうした決断を繰り返してきたんだ。つい、「どうして一般的な方法でやる必要がある?他の方法でやってはだめなのか?」と思ってしまう。でも、こうした考え方のおかげで制作をロンドンにしたことで非常に大きな恩恵に与ることができたし、イギリスとフランスを舞台にしたことで素晴らしい国際的キャストに恵まれ、世界で最も才能あふれる役者が揃う場所のひとつにアクセスすることができたんだ。



すべての役柄に映画で主演を飾れるような役者をキャスティングしたよ。例えばトム・クルーズと共に戦うJスクワッドのメンバーは全員が映画スターだ。世間がまだその事実を知らないだけだ。例えばあのビンズ・ボーンは僕らが『スウィンガーズ』を作った際にはまだ知名度が低かったけど、今では超有名人であるようにね。すべての役柄に最高の演者が顔を揃えているんだ。ブレンダン・グリーソン、ノア・テイラーも参加して優れたパフォーマンスを披露しているよ。オーストラリア出身のキック・ガリーは出演シーンすべてをさらってしまうほどだ。ジョナス・アームストロングとフランツ・ドラメーについては、このふたりだけで映画を作りたいと思うほどだね。シャーロット・ライリー、トニー・ウェイ、ドラゴミール・ムルジッチと組めるなんて映画監督にとってはまさに夢が叶ったようなものだ。もしこのキャスティングで映画を作っていい、と言われたらそれは映画監督にとってこれ以上ない幸福だね。



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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より、ブレンダン・グリーソン ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED


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映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より、キック・ガリー ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED





もし、この映画で後悔することがあるとすれば、実は今、DVD特典映像の作業中なのだけれど、DVDに収録できる彼らの映像がこれ以上ないことだね。彼らの分はすべて映画で使ってしまったよ。






──ロンドンのトラファルガー広場での撮影について教えてください。本作に登場する巨大ヘリコプターのシーンを撮影するために、あの広場を封鎖したご感想は?





トラファルガー広場を封鎖して巨大な英国空軍ヘリコプターを着陸させる、なんていうのはまさに子供のような気持ちになる興奮の瞬間だったよ。技術面から言えば、僕のキャリアの中でも最大の挑戦になったね。というのも時間の猶予は3時間しかなかったし、現場のリハーサルはできなかったうえに、巨大ヘリを扱うということで、封鎖の方法も極めて複雑だったんだ。一旦ヘリが地面をホバリングすると、騒音が大きすぎて文字通りすべてのコミュニケーションが不可能になってしまったしね。



だから事前に入念な準備をしてから3時間の撮影を迎えたよ。おかげで上手くいったね。もう一度、なんて絶対に、絶対に無理だろうね。まさに一度きりのチャンスだった。あと1分なんて言おうものならすべてが台無しになっていたよ。関係者には、「これは人生で一度きりのチャンスですよ。最大限に活用してください」と言われたよ。



そこで撮影の1週間前にリーブスデンでリハーサルを行ったんだ。芝生と道路の上にトラファルガー広場を作り上げてそこにヘリを持ち込んで撮影をしてみたことはあったけど、実際の現場では行わなかった。その際にヘリの音が大き過ぎて、すべてあらかじめ準備しておかないと本番の3時間でヘリが飛んできても話ができないことに気づいたんだ。全員が自分の役割をしっかりと把握しておく必要があったんだよ。まるで事前にダンスの振り付けを頭の中に叩きこんでおくようにね。



日曜日に撮影をしたんだけど、土曜日に1時間だけトラファルガー広場を封鎖してリハーサル用の時間を貰ったんだ。その時にはヘリはなかったけれど、広場とスタッフは揃っていた。だからヘリが着陸するエリアをテープで囲んでシーンのリハーサルを行ったよ。そして日曜日の朝を迎えたんだけどトラファルガー広場にヘリが着陸したことなんて一度もなかったから、実際にヘリを着陸させてみるまで本当に着陸できるのか、できないのかという疑問は残っていたんだ。でもトム・クルーズが実際にヘリに乗っていて、そのヘリが着陸しようとする光景はまさに映画のシーンに仕上がっていた。僕は11台のカメラをしっかり回したよ。



こうしたあらゆるプレッシャーと本作にとってのシーンの重要性も、頭上にヘリが姿を見せた途端、そんなことはすべて忘れてお菓子屋に入った子供の気持ちになって、「もしかして、今までの人生の中で目撃した最もクールな光景かも」と思っていたね。あれはまさに一生に一度の体験だったよ。



先ほども言ったように今回の経験はまさにスポーツイベントのようだった。勝ったか?それとも負けたか?あの日、僕らは間違いなくホームランを打ったね。単に勝ったのではなく大成功を収めたんだ。



(オフィシャル・インタビューより)










ダグ・ライマン プロフィール



1965年、アメリカ生まれ。1996年、インディペンデント・コメディ『スウィンガーズ』で初めて大きな注目を集めた。この作品はすぐにカルト的な人気を博し、続くインディ系のヒット作『GO』(99)で、インディペンデント・スピリット賞の最優秀監督賞にノミネートされた。これら2本のインディペンデント映画を監督しただけの実績しかなかったが、作家ロバート・ラドラムに会うためにティートン山脈に赴き、『ボーン・アイデンティティー』(02)の映画化権を獲得した。同作では監督と製作を兼ね、マット・デイモンがタイトルロールを演じ、世界中で2億1400万ドル以上の収益をあげた。シリーズ第2弾『ボーン・スプレマシー』(04)、第3弾『ボーン・アルティメイタム』(07)では製作総指揮を務めた。ほかの監督作には、アクションコメディ『MR.& MRS. スミス』(05/ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー主演)、SFヒット作『ジャンパー』(08)、実話に基づく『フェア・ゲーム』(10)などがある。TVでは、「コバート・アフェア」の41エピソード(10?13)、「SUITS/スーツ」の28エピソード(11~14)などで製作総指揮を務めている。










EDGE OF TOMORROW

映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』より ©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED



映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

2014年7月4日(金)2D/3D公開



謎の侵略者“ギタイ”の攻撃に、世界は滅亡寸前まで追いつめられていた。ウィリアム・ケイジ少佐は機動スーツを装着して出撃するがすぐに命を落とす。しかし、死んだ瞬間、彼は出撃前日に戻っていた。無数に繰り返される同じ激戦の一日。ある日、ケイジは女性戦闘員リタに出逢う。繰り返される過酷なタイムループの中、リタによる戦闘訓練で次第に強くなってゆくケイジ。果たして彼は、世界を、そして、やがて愛するようになった彼女を守れるのか。




監督:ダグ・ライマン

原作:桜坂洋

出演:トム・クルーズ、エミリー・ブラント、ビル・パクストン、キック・ガリー、ドラゴミール・ムルジッチ、シャーロット・ライリー、ジョナス・アームストロング、フランツ・ドラメー

配給:ワーナー・ブラザース映画

2014年/アメリカ/113分

©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BMI)LIMITED




公式サイト:http://www.allyouneediskill.jp

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公式Twitter:https://twitter.com/warnerjp






▼映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』予告編


[youtube:zuYexT62V_M]

わずか35年前、日本がディスコに夢中になっていた時代に、カンボジアで何が起きていたか? 『消えた画:クメール・ルージュの真実』

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映画『消えた画 クメール・ルージュの真実』より




「消えた画」とは、ポル・ポト率いるカンボジア共産党政権(クメール・ルージュ)によって破棄された、カンボジア文化華やかし時代の写真や映像のことである。さらには、ポル・ポト派による大量殺戮がなければ、命を落とさずにすんだであろう150万人もの市民が歩んでいたはずの人生のことでもある。

1964年に首都プノンペンで生まれたリティ・パニュ監督は、家族と親族のほとんどをクメール・ルージュの強制労働と飢餓で失い、13歳でたったひとりタイの難民キャンプへ避難、その後フランスに移住した。以降、祖国の陰惨な歴史を伝えるために、フィクションとドキュメンタリーの垣根を超える映像作品を数多く製作してきたが、自身の体験を直接語ったのは本作が初である。自らの記憶を再生しながら、犠牲者が葬られた大地の粘土で人形を作り「消えた画」を表現するのだ。

映画の中で、監督が「私は今でも、実家の建物を隅々まで憶えている」と、少年時代に大家族で幸せに暮らしていた家を、驚くほど精巧に描くシーンがある。そのように並はずれた記憶力と、立体感表現のセンスを備えた人物が作り出したのは、ただの土人形ではない。人形たちは想像を超える表情の豊かさと緻密さで、観る者に悲劇を物語っていく。以下に監督のインタビューをお届けする。



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リティ・パニュ監督。





土人形たちは、動かないけれど、感情が詰まっています



──この映画には、「再現」という言葉がふさわしいのでしょうか?



いいえ、私の映画は「再現」というより、もっと生々しいものです。一人の人間は、どのようにして出来上がっていくのか、その人を構成しているものは何なのか、ということを語っています。私は農民であり、大地に根を張って生きてきました。とても素朴な人間です。だから、大げさな観念を展開しようとは思いません。実際、物事を深く突き詰めていこうとすると、無惨な失敗に陥るもので、遠くからただ覗き見しているだけ、あるいは感傷的になり過ぎる、そのどちらかになってしまいます。




──失われた映像とは、どのようなものでしょうか?



この映画の始めから終わりまで、その疑問がずっと続いていきます。何を探し求めているのか? クメール・ルージュの殺害シーンを写した映像なのか? できることなら老人になるまで生きてほしかった両親なのか? もし従兄弟が生きていたらもし、彼は結婚していただろうか? これらすべてが「失われた映像」です。本作のゴールは、失われた映像を作り出すプロセス以上に重要なものではありません。



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映画『消えた画 クメール・ルージュの真実』より。




──土の人形は、どのようなことを物語るのでしょうか?



この作品には2種類の映像があります。一つは「ばらばらにして分析」できるようなプロパガンダ映像と、もう一つは私が作り考え出したものです。これらの二つは矛盾した映像です。人形は動きませんし、3Dアニメ化もしていませんが、雰囲気を作り上げました。一方、プロパガンダ映像には、音も雰囲気もなく、人々は何も喋っていません。人形は、それぞれの場所でおしゃべりしているように見えます。ナレーションのおかげで、プロパガンダ映像に出てくる人間たちより、ずっと生き生きと表現豊かに見えます。アーカイブ映像に映っている人間たちは、ロボットのようであり、塵や砂粒で作られているのと同じでした。彼らは人間としてのアイデンティティが消され、ただ集団としての塊と見なされていたのです。



──あなたにとって人形を彫り上げていく行為は、どんな意味がありましたか?



観客に人形を作る工程を見てほしいという思いがありました。そして彼らがどこに置かれ、どこに移動させられるのか、その過程も見てほしかった。技術的には、移動シーンを見せずに済ませることもできましたが、私にとっては動きが重要だったのです。たとえば、ある人にとって仏頭は、ただの彫刻かもしれませんが、私にとっては魂です。パリにあるギメ美術館に展示されている彫刻を見ると、それらはどれも魂を持っています。アートと魂は切り離せません。偽りのない、人間的な価値を持ち合わせている芸術は、とてもパワフルです。利己的でなく、広く開かれ、創造性に豊んだ芸術は、魂を持つのです。



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映画『消えた画 クメール・ルージュの真実』より。




──この作品は、映画についての映画であると言えますか?



本作は、劣化したフィルムのリールを映すショットで始まりますが、これは過去の時を表現し、映像が破壊され、すでに存在しないことを意味します。そしてこのショットの4カット後には人形が現れ、そこで意志が見えてきます。詩人=poetとは、ギリシャ語の語源でいうところの「作る人」です。人間は、何かを創造できるから人間なのです。神が世界を創造したのとは異なる意味で、想像力と表現力をもって創造します。だからこそ私たちは人間であると言え、映画は創造性において強い力があります。3Dはたしかに素晴らしい技術ですが、エンタテインメントであり、魂がありません。私の小さな人形たちは3Dではないし、土で出来ているけれど、魂がある。動かないけれど、彼らには感情が詰まっているのです。




──本作はどのように作られていったのですか?



映画を作りはじめる時には、結果がどうなるかはまったく見えません。自分が作ろうとしているものに結果的になり得るのかもわかりません。造形的、テーマ的、技術的なものがまず頭に浮かんで、それが形を成していきます。一年間かけて、私は村から村へと渡り歩き、色々な人に出会い、彼らの話を録音し、映像に記録し、最後に「よし、これでいい作品が撮れそうだ。でも、また同じ傾向の作品になりそうだから、作ることはできないかもしれない」と思いました。そこで、違った作風にしようと考えたのです。いつも同じ場所ばかり掘り続けている監督だと思われるのが嫌だったのです。ずっとクメール・ルージュをテーマにしているとはいえ、毎回、異なるアプローチで描いています。ウディ・アレンはニューヨークのユダヤ人監督ですが、彼が描くのは、たいていニューヨークのユダヤ人です。私は彼の映画が大好きですし、彼に向かって「同じストーリーはもうやめて」とは言いたくありません。ウディ・アレンの映画はいつでも新しい感覚で、新しい演出で、異なるシチュエーションで見せてくれます。『カイロの紫のバラ』でスクリーンから飛び出してくる主人公を描いた時のように、多彩な創意によって、彼が作品を撮り続けられるジャンルを見つけただけではないことがわかります。最終的に本作では、芸術が魂を作り出すというアイデアに立ち返ることにしました。




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映画『消えた画 クメール・ルージュの真実』より。ポル・ポト(左端)率いるカンボジア共産党(クメール・ルージュ)の制作したプロパガンダ映像。




──この映画には、謙虚なところがあると言えるのではないでしょうか?



もし私の家族がこの映画を見たら、私が馬鹿げたことをする専門家になったと思うでしょう。この映画は、過去の作品より私的ですし、同時にそれが罠になりえます。さらに人形を使うという形式も危険だと言えます。人形だけ見ると、虐殺とクメール・ルージュについてのアニメ映画を作ったのではないかと、いぶかしむ人もいるかもしれないからです。私が大上段に構えてはならないと思ったのも、と言うのはこれはとても慎ましい作品です。自分にとっては、警告にもなりました。もし芸術が常に何か新しいものをもたらし、新しい見方を提示し、理解することを助長するなら、まず継続していくことが重要だと思うのです。映画をただ作るという目的のために作るなら、意味がありません。すべての新たな作品には、何かが新しく付け加えられるべきであり、それがうまくいったとしたら、全体主義的な支配や破壊よりも、映画には強い力があることを証明してくれると思います。虐殺を描く映画監督になる前に、まずは一人の映画監督になるべきです。虐殺を描くことしかできない映画監督になるのなら、すぐにでも辞めてバーテンダーかレストラン経営者になるべきです。



──今後の活動予定を教えてください。



パリのアトリエ・ヴァラン[映像作家協会]と、プノンペンのボファナ視聴覚資産センターを通して、自分の探究を続けます。これからもカンボジアの虐殺について描く仕事に集中していくつもりです。



(2013年カンヌ国際映画祭にてメラニー・カルパンティエによるインタビュー)




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映画『消えた画 クメール・ルージュの真実』より。








リティ・パニュ プロフィール



1964年、プノンペン生まれ。同世代の多くと同じように、両親を含め親族すべてをクメール・ルージュによる強制労働キャンプで飢餓と過労によって亡くした。1979年、タイとの国境を抜けて、クメール・ルージュから逃亡。その後、フランスに移住し、パリの高等映画学院(IDHEC)を卒業。ドキュメンタリー映画監督としてスタートし、『サイト2:国境周辺にて』(1989)、『スレイマン・シセ』(1990)、『カンボジア、戦争と平和のはざまで』(1992)等で数々の賞を受賞。初の劇映画『ネアック・スラエ、稲作の人びと』(1994)は、カンボジア映画として初めてカンヌ国際映画祭のコンペティションに出品され、2作目の劇映画『戦争の後の美しい夕べ』(1998)はカンヌ国際映画祭〈ある視点〉部門に出品された。1990年にカンボジアに帰国し、現在はカンボジアとフランスとを行き来している。









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映画『消えた画 クメール・ルージュの真実』

2014年7月5日(土)よりユーロスペースにてロードショー



1975~1979年にカンボジアで起きた大虐殺の記憶……。色鮮やかなカンボジア文化が、クメール・ルージュによる“黒”と紅い旗とスカーフだけの世界に突然、一変する。人形と交互に現れるプロパガンダ映像に登場するポル・ポトはいつも笑顔だ。ベトナム戦争を背景とした冷戦下の大国の対立に端を発した、クメール・ルージュによる悲劇。なぜ、陰惨な歴史は繰り返されるのだろうか。リティ・パニュとフランス人作家、クリストフ・バタイユによって書かれたことばが、犯罪と歴史の記憶を暴いていく。2013年カンヌ国際映画祭〈ある視点部門〉グランプリ受賞。また、本年度アカデミー賞外国映画賞にカンボジア映画として初めてノミネートされた。




監督:リティ・パニュ

製作:カトリーヌ・デュサール
 
テキスト:クリストフ・バタイユ
 
ナレーション:ランダル・ドゥー
 
音楽:マルク・マーデル
 
人形制作:サリス・マン

撮影:プリュム・メザ
 
編集:リティ・パニュ、マリ=クリスティーヌ・ルージュリー

共同製作:CDP(カトリーヌ・デュサール・プロダクション)、アルテ・フランス、ボファナ・プロダクション 原題:L’Image manquante (英題:The Missing Picture)

2013年/カンボジア・フランス/フランス語/HD/95分

協力:東京フィルメックス、現代企画室、シネマトリックス、ユーロスペース

配給:太秦




公式サイト:http://www.u-picc.com/kietae/

公式Facebook:https://www.facebook.com/kieta.e


公式Twitter:https://twitter.com/kieta_e_Khmer






▼映画『消えた画 クメール・ルージュの真実』予告編

[youtube:6mQ7yQ72jRo]

『トガニ』のファン・ドンヒョク監督が『怪しい彼女』で20歳の姿をした70歳のおばあちゃんを主人公にした理由

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映画『怪しい彼女』より ©2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved




『トガニ 幼き瞳の告発』のファン・ドンヒョク監督が『サニー 永遠の仲間たち』のシム・ウンギョンを主演に、70歳のおばあちゃんが20歳の姿となり、青春を取り戻そうとする姿を描く映画『怪しい彼女』が7月11日(金)より公開される。大学の教授となった息子を誇りに持つものの、老人ホームに入居されることを聞きショックを受けた70歳の主人公が、突如20歳の頃の姿に変貌し、新しい生活をスタート。彼女が、貧困の時代を過ごしてきたゆえの頑固な性格と口の悪さで周囲を巻き込みながら、孫のいるロック・バンドでヴォーカルを務め大舞台で歌うことを目指すまでをコミカルに描いている。これまでとは異なる作風に挑んだファン・ドンヒョクが制作の経緯について語った。




20歳のオ・ドゥリはオードリー・ヘプバーンを意識した



──最初に、原案のストーリーが映画化されるまでのプロセスを教えて頂けますか?



話は3年前に遡ります。本作のプロデューサーがかつて資金不足で映画化が頓挫したまま放置されていたシナリオを発見し、3人の脚本家にリライトさせるのですが、それも頓挫してしまいます。その後、僕自身が最初に頓挫したシナリオを読む機会があり、とても面白いと思ったので自分でリライトしてみようと考えたんです。




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映画『怪しい彼女』のファン・ドンヒョク監督




前作『トガニ 幼き瞳の告発』が重いテーマだったこともあり、シナリオ段階から苦労し、食欲も失せ、ストレスで不眠症にもなって5キロもやせてしまいました。大きな反響もあったけれど、このような作品を撮り続けていたら、長生きできそうにないな(笑)、と思い、今度はもっと明るく、観客の皆さんにも楽しんでいただける作品を撮りたいと思いました。





──シナリオのどの部分を手直ししたのですか?



最大の変更点はオ・ドゥリの設定です。映画ではオ・ドゥリは歌手として有名になりますが、オリジナルの脚本では下宿屋の料理人として成功するんです。また、彼女が憧れているのはオードリー・ヘプバーンですが、オリジナルでは韓国で人気の美人女優、キム・ジニに憧れていて、若返った時にオ・ドゥリではなくジニと自ら名乗るんですよ。



──なぜ、オードリーだったんですか?



オードリーなら、どの世代も、どんな国の人でもよく知っているし、実を言うと、僕自身がオードリー・ファンだからです。『ローマの休日』は勿論、『ティファニーで朝食を』も『麗しのサブリナ』も、全部見ました。彼女は僕の理想のタイプなんです。



──衣装が『ローマの休日』のアン王女そのものなのは監督の意向なんですね。



勿論、それを念頭に置いて作らせました。それに、あれは韓国で1960~70年代に人気があった女優が着ていた服のリメイクでもあります。もし、オ・マルスンが若返ったら着るであろう服だし、かと言って古臭くもなく、今の若い人が着ても可愛く見える服を意図して衣装担当に発注をかけました。






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映画『怪しい彼女』のシム・ウンギョン ©2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved



──キャスティングの経緯を聞かせて下さい。




当初シム・ウンギョンはキャスティングリストになかったのです。初稿のキャラクターも20歳になったら、キム・ジニのような典型的な美人なロングヘアの8頭身の美女だったんです。なので初稿段階でシム・ウンギョンは思い浮かびませんでした。でも、それでは面白くないと思ってリライトして行くうちに、この明るく溌剌として愉快な主人公はウンギョンに合うような気がしてきたんです。そこで少し猟奇的で不思議なキャラクターに変更し、シム・ウンギョンをイメージしながらシナリオを書き換えていきました。と言うのも、シム・ウンギョンは『サニー 永遠の仲間たち』でコミカルな演技をする一方で、『王になった男』では一転してシリアスな面を見せていたから。オ・ドゥリ役にはその両方が必要だったんですよね。




実は、最初僕がウンギョンを候補にしたとき、周りからは反対されました。『サニー 永遠の仲間たち』で人気を博したとはいえ、まだ知名度も足りないし、主演をやるにはどうかと。でも彼女なくしてはと説得し、そして完成した映画を見た皆が、ウンギョンが素晴らしい!と言ってくれて僕も嬉しかったですね。




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映画『怪しい彼女』より ©2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved





監督になるためには感情の幅を広げ、経験値を増やすことが大切





──外見は20歳なのに中身は70歳というウンギョンの“2重構造”の演技が絶妙ですね。



最も重要なことはオ・ドゥリとオ・マルスンが同一人物に見えることです。それには2つのキャラクターをシンクロさせなければなりません。そこで、ウンギョンとナ・ムニをプリプロの段階から同席させ、僕も交えてマルスンが使う全羅道の方言指導を徹底的に受けました。後は、ウンギョンにナ・ムニの話し方や歩き方を観察させました。物語の設定上、観客に真似をしていると思わせた段階ですべてが終わってしまいます。若い女の子の中に本当に70歳のお婆さんが居るように感じさせないと。訓練の甲斐があって、未だに僕とウンギョンは方言でやり取りしています。携帯のメールも方言なんですよ(笑)。




── バンドマンの孫役のパン・ジハを演じたジニョンはどうですか?



この役のオーディションはジニョンが所属しているB1A4よりも韓国では人気も知名度もあるグループのメンバーも受けに来ました。その中で演技が一番巧かったのがジニョンだったんです。ともすると、韓国のアイドル歌手の中には演技を副業と捉えている人も少なくないのですが、ジニョンはたまたま歌手でデビューしただけで、元は俳優になるために演技の勉強もしている人なんです。




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映画『怪しい彼女』より、ジニョン(左) ©2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved




──この映画には、時間そして経験という大きなテーマのなかに、すべての母親世代に対するリスペクトが感じられますね。




映画を撮る段階で時間というものを意識して作ったということではないのですが、元々時間というものを遊んでみるのが好きですね。それに少なくとも映画をみている2時間は、現実から離れ、実際にはないようなことを感じて楽しみたい、というものだと思うので、この作品では時間を使ったファンタジーで楽しいものを作りたいという気持ちがありました。



そして私自身、映画監督になるために何をどうすればいいのかわからなかった。ただ作り手にとっては、いろんなことを経験すること、恋愛、旅、趣味とか、感情の幅を広げ、経験値を増やすことがとても大事だと思います。





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映画『怪しい彼女』より ©2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved




この映画を撮ろうと思った一番の要因は、母や祖母への感謝の思いを伝えられると思ったからです。世代と言うことではなく、彼女たちが生きてきた人生に対する尊敬の気持ちが反映されています。僕の祖母は早くに祖父を亡くしていますし、母も早く父を亡くして苦労して僕を育ててくれましたので、女手一つで育ててくれた母の苦労を目の当たりにしてきました。どんな人にも親がいて、愛情と献身と自己犠牲を払ってでも子供を育てています。ある意味この映画は僕自身の映画でもありますね。そしてこのような気持ちはきっと皆さんにも共通する思いなのではないかなとも思っています。





(オフィシャル・インタビューより)











ファン・ドンヒョク プロフィール



短編映画『奇跡の道路』(2005)でカンヌ国際映画祭に招待される。以後、マスコミと観客の好評を博した本格映画デビュー作『マイファーザー』に引き続き、470万人もの観客を動員した映画『トガニ 幼き瞳の告発』で、社会的に大きな反響を呼び一気にヒットメーカー監督として注目される。3作目となる本作では、いままでとは違った作風の映画に挑戦。映画界で大きな話題になっていた完成度の高いシナリオをベースに、しっかりとした演出力で韓国では860万人以上を動員し注目を浴びている。











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映画『怪しい彼女』より ©2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved



映画『怪しい彼女』

7月11日(金)TOHOシネマズみゆき座ほか 全国順次ロードショー



キュートなルックスと並外れた歌唱力を持つハタチの女の子、オ・ドゥリ。容姿とは裏腹に、彼女は歯に衣着せない毒舌で、わが道を猛烈に突き進む、最凶の20歳だったのだ。しかし、誰も彼女の秘密を知らなかった。実は70歳のおばあちゃんだということを……そんな“怪しい”彼女が突然現れてから、奇跡のような日々が始まった。




監督:ファン・ドンヒョク

出演:シム・ウンギョン、ナ・ムニ、ジニョン(B1A4)、イ・ジヌク、ソン・ドンイル

プロデューサー:イム・ジヨン 、ハン・フンソク

プロダクション・デザイン:チェ・ギョンソン

脚本:シン・ドンイク、ホン・ユンジョン、ドン・ヒソン

編集:ナム・ナヨン

音楽:モグ

衣裳デザイン:チェ・ギョンファ

提供:CJ Entertainment

配給:CJ Entertainment Japan

2014年/韓国/125分/カラー/ビスタ/5.1chサラウンド/日本語字幕:久保直子/原題:수상한 그녀



公式サイト:http://ayakano-movie.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/ayakano.movie.jp

公式Twitter:https://twitter.com/ayakano_movie





▼映画『怪しい彼女』予告編


[youtube:cOO0E58SBeQ]

神などいない霞んだ世界で仕組まれたミステリー『複製された男』

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『灼熱の魂』『プリズナーズ』ドゥニ・ビルヌーブ監督の新作『複製された男』が2014年7月18日(金)に公開される。ドゥニ・ビルヌーブ監督の『灼熱の魂』は中東を舞台に内戦に翻弄された女の人生を描きアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。その後、『プリズナーズ』でハリウッドに進出。ジェイク・ギレンホールは本作『複製された男』でも一人二役で主演している。



高層ビルが立ち並ぶ霞んだトロント市街に鳴り響くのは、不穏なドラムの音。少々くたびれた高層マンションでの主人公の生活は特に不便も無さそうだが空虚に映る。歴史教師である彼が学校で生徒たちに説くのは人類が世紀をまたいで幾度となく繰り返す人を操る術。そして、目の前に現れる自分とそっくりな男。『複製された男』の原作はポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴの長編小説。機械工、福祉施設職員、ジャーナリストなどの職を経て小説家となった彼はポルトガル共産党員で無神論者であったという。神などいない霞んだ世界で、仕組まれたミステリー。そこには何者の意図もなく、ただの現実でしかないように感じた。



ドゥニ・ビルヌーブ監督はカナダ、ケベック州の出身。本作を観ていてその作風から同郷のデヴィッド・クローネンバーグ監督を思い出した。プロデューサーのニヴ・フィッチマンもカナダ人であり、クローネンバーグの長男ブランドン・クローネンバーグの『アンチヴァイラル』にもプロデューサーとしてクレジットされている人物だ。そして、最近のクローネンバーグ親子の作品には常連の女優サラ・ガトンも本作では、美しく儚くも力強い存在感を放っている。



主演のジェイク・ギレンホールは、歴史教師のアダムともう一人のそっくりな男を一人二役演じている。ふたりは多くの同じ点を持つキャラクターであるが別の人間である。ジェイク・ギレンホールはその微細な違いを見事に演じきっており、葛藤しながらも欲望に弱い彼らを非常に魅力的にしている。



アメリカともヨーロッパとも違うカナダの景色と空気がとても奇妙に、乾いた美しさで切り取られた映画だった。webDICEでは、ドゥニ・ビルヌーブ監督のインタビューをお届けする。












ドゥニ・ビルヌーブ監督インタビュー




プロデューサー、ニヴ・フィッチマンとのコラボレーションについて



プロデューサーのニヴとは長い付き合いだよ。12,3年位になるかな。前作『灼熱の魂』を撮り終えた後は、色々大変だったから慌ただしくしてたんだけど、常々ニヴと一緒に仕事をしたいと考えていたから電話したんだ。それで一緒に手がけるプロジェクトを探そうって言ったんだ。ここ10年くらいずっと一緒に仕事をしたいと思っていたからね。それでいい仕事が出来るように、アイデアを出しあった。



そんなとき、ニヴはジョゼ・サラマーゴ原作2つの映像権を取得した。最初の話し合いでその2つの小説について話をして、両方読んだ僕は「複製された男」を選んだんだ。色んなアイデアを模索したけど、「複製された男」を読んだ時、これは映画に出来ると思ったんだ。何故か?第一に一人の男のアイデンティティーと潜在意識、自己を深く考察するといったテーマに非常に惹きつけられたこと。加えて役者の数が非常に少ない点だ。一人か二人、または三人ぐらい。そうすると彼らとの試行錯誤に多くの時間が持てる。



何のために映画を作るのか理由は様々だけど、アーティストとして言うなら、何かしら新しい分野で進化をして、映画を作る人間として成長したいと思うんだ。今回で言えば物語の紡ぎ方──役者との関わり方を模索して、どうやって一緒に映画を作り上げていくか。それは僕の今までの作品では追求出来なかった側面なんだ。映画を作る時、最終的にどのような形になるかは分からない。どこに向かいたいかは分かるし、方向性は定まっているけれど、頭の中のヴィジョンそのものをカメラに収めるのは並大抵のことじゃない。当たり前だけど、結果には過程が必要だ。僕にとって今回の映画のプロセスは正に思い描いていた通りになった。それはフェラーリのようにパワフルな俳優たちと仕事をし、その実力を存分に活かすチャンスを与えられたことだ。正にそれこそが私の求めていたことなんだ。




『複製された男』ドゥニ・ビルヌーブ監督

ドゥニ・ビルヌーブ監督






今作では指揮するのではなく、コラボレートしたかった


私は本作の俳優陣が大好きで、彼らと契約出来たことで安心したし、作品に深みも出たよ。これまでの映画では、もう少し独裁的なやり方をしていたんだ。今日のように全員に指示を出したりね。けれど撮影を重ねる中で、クリエイティビティをシェアして他のスタッフの強みを活かすことの重要さに気が付いたんだ。だから私は撮影監督を慎重に選ぶ。現場で多大な自由と権限を与えるから、私が目指す方向を理解している人がいいんだ。エゴを持たずプロジェクトのためだけに尽くすことの出来る、いわば兄弟のような人物が必要なんだ。



役者も同様だね。現場で撮影監督と密接に関わるように、今回は役者にもそれを求めた。創造性を共有出来て、判断を任せて大丈夫な人物。ジェイク自身のことをよく知っていたわけではなかったからリスクはあったけれど、彼の功績にはとても感嘆していたし、出演作にも印象的なものが多かった。『ブロークバック・マウンテン』には深い感銘を受けたよ。才能豊かな俳優だとは知っていたけれど、これだけ親密になれるとは思わなかった。こんな関係を築くのが私の夢だったんだ。凄く嫌な奴だった可能性もあるし、そう考えるとラッキーだったね(笑)もしそうだったとしたら、違う撮り方になっていたかもね。でも彼は知性と創造性、豊かな想像力と役に対する的確な捉え方を持った俳優だった。監督として嬉しいのは、俳優がそれだけ上手いと、いちいち指示を出さなくても、彼の後に付いて行けば間違いないことだ。幸せなことだよ。



映画『複製された男』

大学の歴史講師アダム(ジェイク・ギレンホール)は、ある日同僚から1本のビデオを薦められる




ハビエル・グヨンとは女優の演技に幅を持たせる脚本作りを意識した



相手役を演じた女優の二人にとってはチャレンジだったろうね。始めは小さな役だったから、脚本作りの段階で脚本家のハビエルともっともっと肉付けしようと考えたんだ。だから彼女達には怖がらすに役を膨らませてみてくれと言ったよ。それほど多くの台詞やシーンは無いにしても、リアルな人間を演じられるように、彼女達には出来るだけ自由に演じてもらった。そして彼女達はそれぞれのやり方で見事にそれを成し遂げた。とても満足しているよ。





映画『複製された男』

顔、声、体格に加え生年月日も同じ"複製された男"




"複製"された人物の見せ方について



今までにも何度か特殊効果を使ったけれど、それほど多くはないよ。それも今回のような複雑なものではなかった。俳優にテニスボールを相手に演技してくれと頼んだのは初めてだよ。でもどんなに高度な技術や、演技手法を用いたとしても、結局俳優自身の演技力が全てなんだ。技術力そのものではなく、それをどう活かして演じられるかが大切なんだよ。その点、ジェイクはこれ以上ないくらい素晴らしかった。もちろん特殊効果や技術担当のスタッフも素晴らしい仕事をしてくれたけれど、完成した映像の現実味はジェイクの演技によるところが大きいし、それなくしては成り立たない。最も重要なのは、演技なんだと言いたいね。



映画『複製された男』

なぜ自分と全く同じ人間が存在するのか




ジョゼ・サラマーゴの「複製された男」の映画化について



長くて複雑な小説を90分の映画にまとめることに成功したハビエルの仕事は脚本家としてとても素晴らしい。原作の内容は、延々と続く主人公の狂気とも言える内なる自分との独白劇のようなものなんだ。それをハビエルは動きを与えてイメージを具現化させたんだ。驚くべき成果だよ。それから映画が実際に作られていく過程で、感情面の脚色も加えていった。言葉だけでは表現しきれなかった部分も、映像化することである意味脚本よりも深くて力強いものになった。まあ大抵の映画はそう言えるだろうけどね。けれど本作の映像化は、原作とは大きく異なる部分がある。映画では独自の解釈を加えたんだ。



私はサラマーゴに会った事はないし、既に他界しているから今後も会う事は出来ないけれど、著者に最大限の敬意をはらうためには、加味する解釈は真摯なものでなければならない。それと同時に、いい意味で原作を壊し、自分のものにする必要がある。そうでなければ本当の脚色とは言えないと思う。だから原作と映画には全く繋がりがないと言えるけれど、ある側面ではとても似通ったものだとも言える。まあ、私からすればね。



映画『複製された男』

それぞれの恋人と妻を巻き込みながら、想像を絶する運命をたどっていく




蜘蛛が象徴するものについて



蜘蛛についてはこんな短い時間じゃ的確に話せないね(笑)でもしいて言うなら、男の潜在意識と性を象徴するような具体的なイメージを私はしばらく探していたんだ。私にとって蜘蛛は完璧なイメージだった。今はこれ以上話さないよ。説明しない方が遥かに面白いと思うからね。以前同じような事を聞かれた時には答えるべきプレッシャーを感じて話したけど、今はそれがないからね。個々の解釈に任せるのがベストだと思う。私個人としての見解はあるけど、それぞれの想像力と映像を通して、そのイメージを見た方がインパクトは強いと思う。明確にした方が鮮明なイメージが出来るかもしれないけど、やはり観客の解釈に任せるのが一番いいと思うんだ。












■ドゥニ・ヴィルヌーヴ / DENIS VILLENEUVE


1967年10月3日、カナダ、ケベック州出身。
1998年の映画デビュー作「UN 32 AOUT SUR TERRE」(未)がカンヌ国際映画祭に正式出品され、テルライド映画祭、トロント国際映画祭を含む32の映画祭で上映された。2000年には、第2作目『渦』がサンダンス国際映画祭とトロント国際映画祭で上映され、ベルリン国際映画祭批評家協会賞、SACD賞など数々の国際映画祭で賞を受賞。ケベック映画賞(ジュトラ賞)では作品賞、監督賞を含む9部門、ジニー賞では作品賞を含む5部門を受賞した。2008年短編「NEXT FLOOR」(未)が世界各国150以上の映画祭で上映され、カンヌ国際映画祭批評家週間でカナルプリュス最優秀作品賞に選ばれ、ジニー賞、ケベック映画賞の短編賞を含む70以上の賞を受賞した。2009年には長編3作目「POLYTECHNIQUE」(未)がカンヌの監督週間でプレミア上映され、トロント映画批評家協会の2009年度カナダ映画ナンバーワンの座に輝き、ジニー賞では作品賞と監督賞を含む9部門を、そしてケベック映画賞では監督賞を含む5部門を受賞した。長編4作目となる『灼熱の魂』(10)は第83回アカデミー賞®外国語映画賞にノミネートされた。ナショナル・ボード・オブ・レビューは同作品を2011年度最優秀外国映画5本の1本に選出、ニューヨーク・タイムズでもベストテンに選ばれた。『プリズナーズ』(13)ではジェイク・ギレンホールと組んでいる。










映画『複製された男』

2014年7月18日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー



監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

出演:ジェイク・ギレンホール、メラニー・ロラン、サラ・ガドン、イザベラ・ロッセリーニ

原作:「複製された男」(ジョゼ・サラマーゴ著、彩流社刊)

後援:カナダ大使館、ケベック州政府在日事務所

2013年/カナダ・スペイン合作/英語/カラー/シネマスコープ/90分/原題:ENEMY

公式サイト



COPYRIGHT (C) 2013 RHOMBUS MEDIA (ENEMY) INC. / ROXBURY PICTURES S.L. / 9232-2437 QUEBEC INC. / MECANISMO FILMS, S.L. / ROXBURY ENEMY S.L. ALL RIGHTS RESERVED.



[youtube:mdk5XzVHKfo]

インディペンデント映画を商業的に成功させるためには─『タリウム少女の毒殺日記』収支報告からみる現状

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インディペンデント・フィルムメーカーと上映活動に携わる多くの人々、それらを取り巻く環境をサポートする団体:「独立映画鍋」の定例イベント「鍋講座」が4月8日、渋谷アップリンク・ファクトリーにて行われた。第16回目となる今回は、「新しい配給宣伝の方法を企む公開作戦会議③~『タリウム少女の毒殺日記』の興行結果を全解剖!~」と題し、昨年公開された『タリウム少女の毒殺日記』を題材に、この作品の監督であり「独立映画鍋」の共同代表である土屋豊氏と、今作を配給したアップリンクの浅井隆により、今作の収支報告が行われた。今回は「独立映画鍋」会員の山口 亮氏によるレポートを掲載する。










今回の鍋講座は『タリウム少女の毒殺日記』とは馴染みの深いアップリンク・ファクトリーに会場を移し、いつもの鍋講座とは少し異なる雰囲気の中で行われました。タイトルに「全解剖!」と銘打つだけあって、裏の裏まで包み隠さずオープンにするという大胆な企画。浅井さん、土屋監督の勇気と心意気に感謝します。



今回も参加人数は60人を超える大盛況!報告者二人の息もピッタリで、いつにも増して笑いの溢れる、楽しい会になりました。今回もいつもの鍋講座と同様、前半はプロジェクタを使いながらのプレゼンテーション、後半は参加者からの質疑応答という形で進められました。



冒頭で、浅井さんから参加者に質問をし、挙手を求める場面がありました。

・映画を作っている人…10名前後

・映画の配給宣伝に携わっている人…5~6名

私の目測ですので、あまり正確ではありませんが、約1/6が映画制作者(監督?)というのは、高い比率と言って良いのでしょうか。



『タリウム少女の毒殺日記』に対する目論見



独立映画鍋のキックオフ集会が2012年の7月に行われたのですが、その時に『タリウム少女の毒殺日記』(※以降、『タリウム少女』)の試写を行っています。土屋監督は、その頃から、インディペンデント映画が持続可能なシステムをどうやって作るかという事を考えており、そのためには何が必要か、どのような情報共有をしていくか…というのが、土屋監督の映画鍋との関わり方だったそうです。



このような話は、土屋監督が独立映画鍋をスタートさせる以前から、浅井さんとも話をしていたそうです。たとえば、500万で映画を作って、1000万回収できれば、その資金を次の映画製作に繋げていけるよね…というような話の流れの中で、それをどうやって実現するかという1つのテストケースとして『タリウム少女』を一緒にやりませんか?という提案を土屋監督から浅井さんにした事から、アップリンクが配給する現在の形ができたそうです。



一方、浅井さんの方では、独立映画鍋のキックオフに150人集まった事で、動員力がありそうという期待や、土屋監督がクラウドファンディングで宣伝費200万円を集めるという事もあって、配給をしても損は無いだろう…という目算があったようです。



ここから、パワーポイントを使ったプレゼンテーション形式で話が進められました。土屋監督から、まず良い話から…という事で、映画祭での実績が紹介されました。一番大きかったのが、東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」の受賞で、これによって賞金100万円を手に入れ、世界の映画祭に招待されるという足掛かりを作る事ができたそうです。



鍋講座TOP

渋谷アップリンク・ファクトリーで行われた独立映画鍋・鍋講座にて、『タリウム少女の毒殺日記』の土屋豊監督(左)、アップリンクの朝井隆(右)


【浅井】


ニコラス・ウィンディング・レフン監督のインタビューをした時、「レッドカーペットシンドローム」という言葉を使っていた。
映画祭で賞を獲る事が目的となり、商業的な方向性を見失ってしまう監督は多い。

世界の中でも、現金で100万円の賞金を出せる映画祭は希少なので、東京国際映画祭での受賞には価値がある。また、ロッテルダムなど世界の映画祭で選ばれるのも名誉な事。

しかし、インディペンデント映画の映画祭受賞に対して、メディア(新聞など)の反応があまり良くない。もっと積極的に取り上げるべきではないか?



映画祭の受賞後、『タリウム少女』の劇場公開は2013年7月6日に決まりました。そこに向けて、土屋監督はまず、動員目標を立てます。それは、実際に掛かった製作費から逆算したものでした。

※P&A費はクラウド・ファンディングで調達するため、土屋監督の持ち出しは無い前提です。



『タリウム少女』の製作費は、現場費140万円+人件費160万円+ポスプロ費100万円で、合計約400万円となっています。興収の分配などについては、後で細かい説明がありますが、客単価を1,500円として単純計算すると、7,000人を動員すれば製作費の回収が可能、10,000人を動員すれば200万円ほどの利益が出る計算になります。第一回目の作戦会議(鍋講座vol.3)にゲストで登壇して頂いた映画プロデューサー、大澤さんの作品『隣る人』は、約2万人を動員したという話を聞いていたため、土屋監督の夢もかなり膨らんでいたそうです。



この時、浅井さんから、客単価1,500円は少し見積りが甘いとの指摘がありました。実際には各種割引などがあるので、平均すると1,300円台になる事が多いようです。また、興収の分配率もその時の様々な状況によって変わるとの事で、土屋監督の以前の作品『新しい神様』を都内の劇場で公開した時には、配給6:劇場4という分配率原則として、公開後数週経ってお客が入らなくなると、部率調整といって、分配比率が5:5になったり、劇場が6、配給が4になったりするそうです。シネコンで公開するなら、6はあり得ないので、配給4という取り分で試算しておくのが良いと言うことです。浅井さんによると、ハリウッドメジャー作品などは、配給7:劇場3というような場合もあるし、アメリカでは極端な場合は初週9:1という事もあるらしいです。この場合、劇場は興行によって収入を得るのではなく、コンセッションで収入を得るそうです。つまり、劇場はコーラやポップコーンを売る店となり、映画で集客を行うという考え方のようです。



クラウド・ファンディングとその内訳



続いて、土屋監督が行った、クラウド・ファンディングの事に話が移りました。今回のプロジェクトで、最終的に集めた金額は2,448,500円で、これは現在もモーションギャラリーのサイトで公開されています。ただし、この金額の内、60万円は土屋監督の自己資金を投入していますので、実際の調達金額は1,848,500円となります。土屋監督は、「この事については、いろいろ議論があると思いますが、支援をしてくれた皆さんには既に告白していますし、クラウド・ファンディングについての鍋講座でも話しています。独立映画鍋の最初のクラウド・ファンディングプロジェクトのひとつだったので、どうして成功させたいという思いから“自己投資”したという感覚です。“やらせ”じゃないかと言われるとちょっと困っちゃうんですけど…(苦笑)」と言っていました。



このクラウド・ファンディングで集めた資金は、『タリウム少女』のP&A費に利用されました。ただし、この作品などの場合、Blu-ray Discで上映を行っていますので、プリント費はほぼ掛かっておらず、ほとんどの費用が広告宣伝費として利用されています。



ここで浅井さんから、その内訳の説明がありました。今回、有料の広告出稿は行っていないそうで、予算の多くが印刷物(チラシやポスターなど)の製作とパブリシストの人件費として支払われています。




HP制作費はアップリンクの社内にWEBデザイナーがいるので、アップリンク的には、若干の利益を得られている部分のようです。一方で、試写会会場代などは(浅井さん曰く)良心的な価格設定にしている…との事でした。
ここで、試写会に対する浅井さんの持論が展開されました。



【浅井】


最近は試写に来ないで、送られてきたDVDなどで評価する事が増えている。

アカデミー賞も大半はDVD(TVモニター)で評価している。

「試写はスクリーンで観なくちゃ」というのは、オールドスクールの発想。

インディペンデント映画の場合、メジャー作品のようにセキュリティを気にする必要も無いので、観たいという人には、バンバンDVDを送ってあげるべき。



パブリシストにも多くの予算が割かれていますが、今回は、アップリンク社内のパブリシストの他に、フリーのパブリシストに外注として出すという事を実験的に行ったそうです。しかし、この外注はうまく行かなかった部分もあったようです。



【浅井】


今、業界では配給会社がパブリシストを社内において育てない傾向にある。配給会社が人を育てても1、2年働いて会社を辞めて独立して事務所もなく携帯電話だけでパブリシストを名乗れるのが現状。

ならば、社内にスタッフを置かずに宣伝は外注したほうが固定費を削減できると考える配給会社もあるだろう。でもそうすると社内にノウハウが蓄積されず試写状のリストさえも外注頼みというのも問題があると思う。

メジャーは昔から配給と宣伝は完全に分業していて、経験のある宣伝会社にパブリシティは頼んでいるが。インディーズ映画の場合、そのような経験のあるプロの宣伝会社に頼む予算はないので、フリーのパブリシストの誰に宣伝を頼むかが、映画を成功させるかどうかの大きな要因になっている。

映画鍋でも上映を成功させるためには、みんなの経験をもとに、良いパブリシストは誰なのかという情報共有をするといいのでは。



広告宣伝の戦略、そして結果は…



再びプレゼンテーションに戻り、土屋監督から、ポスターのビジュアルの変遷や当初の作品タイトルであった『GFP BUNNY』から『タリウム少女の毒殺日記』に変更された経緯などが語られました。土屋監督としては不本意だったようですが、第一回目の作戦会議(鍋講座vol.3)の参加者から『GFP BUNNY』は覚えにくいという意見が出され、分かりやすいタイトルをみんなで模索したとの事です。『タリウム少女』同様、実際にあった事件を元にした映画『先生を流産させる会』の興収を確認したところ、1千万いっているという情報を聞いたため、そのぐらい分かりやすいタイトルの方が良いのではないか…という事から、現在のタイトルに変更されたそうです。



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『タリウム少女の毒殺日記』ロッテルダム映画祭上映時のポスター



チラシのビジュアルに関しては、土屋監督は満足しているようですが、浅井さんとしては若干の不満があるらしく、この映画は少女が母親にタリウムを投与した実話をモチーフにしているので、ケミカルな殺人をイメージしていたのに、何で血しぶきのようなビジュアルを使うのだろう…と、ずっと(未だに)思っているようです。チラシの裏面には「抜群の不快感」「アイ・ヘイト・ディス・ムービー」など、ネガティブなコピーが盛りだくさんで、とても映画の宣伝とは思えません。浅井さんによると、自分は大阪出身なので、こういう自虐的な笑いが刷り込まれている…らしいです。もっとも、土屋監督の方には、何故、それをあえて宣伝に使うのかという疑問はあるようですが。




タリウムフライヤー

『タリウム少女の毒殺日記』のチラシ表面



タリウムフライヤー裏面

『タリウム少女の毒殺日記』のチラシ裏面




「この映画を日本映画の代表として世界に紹介してはならない」というコピーに関しては、東京国際映画祭で受賞した際、外務省が作品も観ないうちから、海外でプロモーション上映したいと提案してきたようなのですが、外務省に帰ってDVDを試写したところ、そのような判断をしたそうで…笑い話としては面白いですが、それをそのまま宣伝に使ってしまうというのは、かなり自虐的です。



次にパブリシティの紹介がありました。公開直後の7月8日に日経新聞夕刊に『タリウム少女』を紹介する記事が掲載されたのですが、これによって、年齢層の高い観客が増えたと言います。私自身もアップリンクで、『タリウム少女』を何回か観ていますが、熟年層の方々が夫婦で鑑賞に来ていたりして、想像していたよりも観客の年齢層が高い事は意外に感じていました。親子で鑑賞に来ている人たちも、何組もいたそうです。



土屋監督が紹介した新聞の記事は、日経、朝日、読売の各夕刊(しかし日経以外は小さい囲み記事)と共同通信の配信、THE JAPAN TIMESという英字新聞の5紙でした。



【浅井】


東京国際映画祭の受賞作で、テーマ的にも社会性のある問題作なので、配給宣伝の担当としては、監督インタビューや「管理社会」などのキーワードを絡めた記事にして欲しいという思いはある。しかし、映画祭の受賞作でなければ、ここまでの記事にすら、なっていない可能性もある。テレビで紹介されるのは、まず無理。

インターネットに関しては、トークショーなどのイベントがある時に、アップリンクからニュースリリースとして100弱のニュースサイトに配信している。ニュースサイトは、Yahoo!などの大手サイトに情報を提供しているので、そこから複数のサイトに掲載されたり、Twitterで情報を拡散する人たちなどがいるので、情報は広がりやすい。ただ、最近は、大手のサイトよりも個人のブログの方がアクセスが多かったりもするので、どこに向けて情報を発信すれば良いのか悩みどころでもある。




次に、先ほどの本チラシとは別に配布した、コメントチラシについて説明がありました。

自虐的な本チラシとは打って変わり、こちらには見出しから「絶賛コメントの嵐!!」と、完全に肯定的なコメントが並びます。土屋監督と浅井さんは、これを「二弾ロケット方式」と呼んでおり、一発目では『先生を流産させる会』的なインパクト重視のプロモーションを行い、二発目のコメントチラシによって、世間はまだ、この映画を正当に評価できないけど、先鋭的な一部の人たちには、ちゃんと理解されているんだよ…という見解に繋げる事を意図していたそうです。



イベントの方もコメントチラシ同様、社会学や生物科学などの観点からトークショーを行ったり、その一方で、血しぶき系のキワモノ的なイベントも行うと、2方向へのアプローチを行ったそうです。特に早稲田大学でイベントを行った際には、映画の中にリアルな自分を投影している学生たちを発見し、若い人にこの作品を語ってもらおうという形に宣伝の方向性もシフトしたそうです。観客のリアルな反応を捉える意味で、イベントというのも、映画宣伝における重要な要素になるのだな…という事が分かるエピソードです。




タリウムコメントチラシ

『タリウム少女の毒殺日記』コメントチラシ


こういう経験をする中で、現代の若者に確実に刺さる映画という実感を土屋監督も浅井さんも持ったそうですが、それに気付くのが、ちょっと遅かったという感じも持っているそうです。もう少し早く、そういうターゲットを存在に気付き、適切なアプローチができていれば、もう少し違う結果になっていたのかもしれません。



というところで、みんなが待ちに待った、成績発表の時間になりました。

『タリウム少女』の上映劇場は、都内はアップリンク1館のみ、地方は名古屋シネマテーク、シネマート心斎橋などをはじめ9館です。(ただし、その内1館は現時点で未精算のため、計算からは除外されています)



まず、動員数の発表です。

アップリンクで13週間の上映で、動員数は2005人、地方で集計済みの動員数を合計すると、全部で824人…合計2829人!

…当初の目論見と比べると、かなり少ない動員数です。



この動員数に対する興収は400万円弱となります。その内50~60%が劇場の取り分となり、残った金額の20%が配給手数料としてアップリンクに入ります。これらを差し引いて、土屋監督の手元に残るのは、およそ140万円となり、残念ながら、興行だけでは製作費の回収には及ばない結果となってしまいました。また、これに物販(パンフレットなど)の収入から、同じく手数料20%を差し引いた約30万円が土屋監督の収入となります。この金額は比率的にも大きく、重要な収益源と考える事ができます。



なお、アップリンクの配給手数料は、アップリンクがP&A全額を負担した場合、通常は50%に設定されています。つまり、興行収入の50%が劇場の取り分だった場合、25%がアップリンク(配給会社)、25%が監督の取り分となります。しかし今回のように、監督の方でP&A費を負担した場合には、配給会社の方のリスクがないため、手数料を20%に設定しているそうです。



この後、東京と地方の興行成績の比較になりました。具体的なデータを見れば、その差は歴然で、中には興収が10万円にも満たない劇場もあり、改めて大きな格差を感じます。



【浅井】


TOHOシネマズは日本橋、新宿、上野などに立て続けに出店している。

都心の人口過密地域にしか観客は集まらない。

ご当地映画などの例外はあるが、ほとんどの映画は東京が全て。

東京で入らない映画だと、地方の劇場は上映を決めない。




この他、東京国際映画祭の賞金100万円、海外の映画祭へのレンタル料や海外に配給権が売れた分、また国内での自主上映のレンタル料金などが土屋監督の収入となります。海外の映画祭に招待される場合、映画祭の方で費用(交通費)を負担して監督を招聘するか、その代わりにレンタル料をもらうか交渉できる事もあるそうです。



先に説明があった通り、『タリウム少女』の制作費として、土屋監督は400万円を使っていました。これに対して土屋監督が得た収入は興行による収入140万円+物販30万円+東京国際映画祭の賞金100万円で、約270万円となります。これに映画祭のレンタル料など細かい収入を足しても、約100万円の赤字…という結果になりました。





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『タリウム少女の毒殺日記』より



質疑応答



1時間を少し過ぎたところで、少し長めの休憩(+アップリンク特製カレーの販売タイム)を挟み、質疑応答の時間へと移りました。今回は特に、映画製作者視点での具体的な質問が多かったように感じます。

以下、主なやり取りを抜粋して紹介します。



■海外セールスの状況は?



【浅井】


結果、売れてはいない。映画祭で回る映画は30箇所ぐらい行く。こういう映画は海外で商業映画として公開される事はあまり無いので、映画祭でレンタル料を小さく稼ぐしかない。しかし、1つの作品が映画祭などで国際的に評価されれば、次の作品を撮った時、改めて注目されるという事はあるかもしれない。





【土屋】


前作の『PEEP “TV” SHOW』は40ぐらいの映画祭に行ったが、今回はそれに比べて少なかった。作品の質は前作よりも良くなっていると思うが、前作から10年経つので、その頃とは状況が変わっているのかもしれない。『PEEP “TV” SHOW』はロッテルダムのコンペ作品だった事も大きいかもしれないが。




■(アップリンクに対して)低予算の映画を配給するモチベーションは?



【浅井】


アート映画やDVDのマーケットが衰退している状況の中で、アップリンクとして、インディペンデントの映画に積極的に関わったり、支援したいという気持ちはある。今回のように、監督の方からP&A費を持参してくれるような形態であれば、アップリンクのリスクは少ないのでリクープはしやすい。あとは監督の方で制作費を回収し、次の制作に繋げられるような形をうまく作っていきたい。




■アップリンクが配給だけやって他の劇場で公開するという考えはなかったのか?



【浅井】


アップリンクであれば、ロングランができる。アップリンクは1スクリーンあたりのキャパシティが低い(40人~60人)ので、30人いれば、そこそこの混雑具合に見えるが、他の劇場では1回に対して30人の動員では少ない。結果、短い期間で上映が打ち切られる可能性が高い。また、自社劇場の場合、トークショーなどの仕掛けもしやすい。




■映画制作における人件費の扱いは?



【土屋】


スタッフと出演者への支払いは済んでいる。映画の成功(興収や映画祭での受賞など)とは無関係。



ここで客席の数名から補足が、日本の映画業界の慣例や舞台演劇の話にまで及んだのですが、大まかに言って、キャストのギャラを定額で支払うのか、興行成績に応じて上乗せするのか、2つの方式に分かれるようです。日本の大手映画会社では、定額で支払うのが一般的なようですが、低予算のインディペンデント映画の制作においては、収益をキャストやスタッフで分配するような方式も検討の価値はありそうです。




■地方で自主映画を製作している人たちが生き残る術は?



【浅井】


東京で上映する以外無いと思う。趣味で続ける事はできると思うが、地方の映画館で上映するだけでは、ご当地映画としては成功しても、全国の興行のサーキットに乗せる事は難しい。




■動員を増やすために監督や出演者が行った事は?



【土屋】


公開前の期間は、身体を空けておき、いつでも取材を受けられる体制を整えておいた。また、ソーシャルメディアなどを活用して、宣伝活動だけに集中できるようにしていた。公開後は、トークショーのために劇場に日参していた。海外の映画祭に行っている期間以外は、ほぼ毎日、トークショーを行っていた。主演の倉持由香は、公開している時期から徐々に知名度がアップしてきていたので、自分のプロモーションと併せて(主にインターネット上で)宣伝活動を行っていた。キャストに対するチケットノルマなどは一切なかった。



【浅井】


結論から言うと、インディペンデント映画を商業的に成功させるには、企画と脚本が全て。ここはお金が掛からない部分であり、頭を使うことで解決できる。一人でなくスタッフでチームを作る事が重要。キャストで注目させるのは有効。メジャーの映画に出ている俳優でも、作品の内容が良ければ出てくれる可能性は高い。そこのところを追い込んでいない映画が多い。



【土屋】


『タリウム少女』を作っていく段階で、どういう観客がこの映画を観るのか、どうやったらその集団に届くのかという所を明確にイメージできていなかった。



【浅井】


土屋監督の今後の企画に関しては、監督に拘る必要はないと思っている。プロデューサー、コンセプトメーカーとして若い監督をオーガナイズしたらどうか?



【土屋】


自分が1人で企画していたらダメ。今回やってみて、複数のスタッフでやるべきだと思った。作ってから売るのではなく、作っている時から売る事を頭に入れておく必要がある。自分が表現したい事は前面に出していくが、他のスタッフの意見も取り入れる形を次回作では作りたい。




■(広告で)女子高生やエログロだけで押し切らなかったのは、倫理的なストップが掛かったのか?



【浅井】


倫理というより、アップリンクとしての最低限の品位はある。エロが興行で強いことは事実だが、それを押すだけでなく、映画には、性欲以外の欲望、例えば知識欲とか視覚的な快楽とか、物語に浸りたい欲望とか、他の欲望も満たす要素はあるので、エロ以外の欲望にも訴えていきたい。




■地方(大阪、名古屋なども含め)でも丁寧に宣伝活動を行えば観客は入るのではないか?



【浅井】


単純に人口比の問題。新宿や渋谷で上映すれば、埼玉、神奈川など首都圏全域から観客が集まる。大阪、名古屋はまだ人口が多いが、それ以外の都市は、駅前にほとんど人が歩いていない。宣伝の問題ではなく、単純に人が少ない。地方で人が集中するのはショッピングモールなどで、そこにはイオンシネマが存在するが、そこで上映される映画は『タリウム少女』ではない。




■地方は劇場よりもインターネット配信にシフトすべきではないか?



【浅井】


自分もベッドの上で映画を観る事はあるが、それでも感動はできるし、心にも伝わる。でも、劇場で赤の他人と同じ映画を観る、体験を共有するという感覚は、それとは違う。トークショーなど生のイベントもできるし、アップリンクぐらいの規模でも、小さな出会いの場として成立する。最近は劇場公開より先にインターネットで配信する作品もあるし、それはそれで、新しいビジネスとして展開できる可能性は十分にある。また、ハリウッドの最近の作品は、小さいデバイスで鑑賞する事を前提に撮っているので、カメラアングルなどもそれに合わせて、鑑賞に耐えられるものになっている。




■倉持由香の人気が上昇した事で、今から新たなプロモーションは考えてないのか?



【土屋】


今から大きく上映できる機会は、まず無い。自主上映で小さく稼げる可能性はある。




■DVDの販売は?



【浅井】


『タリウム少女』単体では、セルもレンタルも厳しい。マーケットを考えると販売するだけでリスクになる。



【土屋】


実は、音楽の使用料を劇場公開の分しか払っていないので、DVDを販売すると、さらに40万円の追加が必要になる。しかし、その費用を全て負担しても良いという倉持由香ファンも存在している。10万円出せるファンが10人いれば100万円になるので、もっと限定的なビジネスもあるかもしれない。しかし、なかなかそこまではできない気持ちもある。




■アートとしての展開は?



【浅井】


美術館やコレクターに限定したセールスを行っている映像アーティストも存在する。そういうスタイルも方法論の1つとしてある。



総括



今回は、いつもの鍋講座とは異なり、1つの事例に対して深く掘り下げ、普通だと公表できないような具体的な情報に触れる事ができる、貴重な場となりました。予想はしていたものの、想像以上に厳しいインディペンデント映画の現状を垣間見る事ができた気がします。



私はアップリンクの配給サポートワークショップを受講しており、浅井さんから直接、配給宣伝などに関する話を聞く機会は多いですが、土屋さんとのコンビネーションは抜群で、いつにも増してトークが冴え渡っていました。ここまで笑いの多い鍋講座は、滅多にないと思います。今後もこのコンビで、何かトークショーでもやってくれたら面白いな…と、ちょっと期待しています。



独立映画鍋自体、今後の方向性を模索する、ある種のターニングポイントに差し掛かっています。『タリウム少女』を1つのテストケースとして、今後の独立映画の在り方や、土屋監督が目論んでいた「映画制作が持続可能なシステム」をどうやって構築していくか、みんなで一緒に考えていけると、独立映画鍋の存在意義が、より大きくなるのではないかと考えています。



(文責:山口 亮)








独立映画鍋公式HP:http://eiganabe.net/

もし親が認知症になったら?『毎日がアルツハイマー2』関口監督が語る介護にいちばん大切なこと

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映画『毎日がアルツハイマー2』より ©2014 NY GALS FILMS




認知症を発症した母との暮らしをユーモラスに描いた関口祐加監督のドキュメンタリー『毎日がアルツハイマー』の続編『毎日がアルツハイマー2~関口監督、イギリスへ行く編』が7月19日(土)より公開される。屈託のない性格の母親・ひろこさんのキャラクターとともに、認知症の〈辛い〉〈暗い〉というパブリック・イメージを変えるコメディのセンスを前作で提示した関口監督が、今回は認知症の人を尊重する考え方「パーソン・センタード・ケア」(P.C.C.)について、イギリスで撮影を敢行。精神科医や看護師へのインタビューを行い、「簡単には向精神病薬を使わない」「認知症ケアは高度な専門技術」「認知症ケアに万能な法則はない。それぞれの人間性や人生が重要」という証言とともに、誰もが避けて通れない認知症のケアという問題に焦点を当てている。関口監督が制作の経緯を語った。





アルツハイマーの暗くて辛いイメージや認識を変えていく

革命を起こしたかった




──前作『毎日がアルツハイマー』の公開から2年が経ち、その続編がこの度、公開されます。制作の経緯を簡単に教えて下さい。



前作が2年前に公開されたとき、お客さんには「認知症がテーマなのに、笑っちゃっていいのかな」という雰囲気がありました。それが変わったのは、2~3カ月たってからでしたね。『毎アル』は、アルツハイマーにまつわる暗くて辛いイメージや認識を変えていく革命を起こすんだという意識がありました。



おかげさまで今も各地で上映会が開かれています。「母のその後を知りたい」という声が多く寄せられ、続編の製作が決まりました。




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映画『毎日がアルツハイマー2』の関口祐加監督 写真:神保誠





──前作では、部屋に引きこもっていた母親のひろこさんでしたが、本作では、デイサービスに通い出すなど、ずいぶん印象が変わって、楽しそうになったと感じます。



前作の頃は、認知症の初期段階で、本人が一番苦しい時だったんですね。いわゆる「まだらぼけ」だったので、自分に起こっていることが分かったんです。そもそもがすごく有能な人なので、その状態を余計に恥ずかしいと感じてしまい、閉じこもっていました。自殺願望も強かったです。それが段々と変わっていった。



順天堂大の新井平伊医師は、「認知症の初期は、本人もよくわかっていて最もつらい時期。でも症状が進むことでその辛さが薄れてくる時期がある」と教えて頂きました。認知症が進行することで、逆に辛さから解放されたんですね。なるほど、と。認知症を理解するとは、本人を理解することなんだと改めて思いました。



母の初期の苦しみは終わりましたが、これから母をどうケアするか、今度は私の不安が募ってきたんです。気丈で、私の干渉を拒絶していた母が、今は私に頼りきって何でもいうことを聞いてくれる。それを「介護しやすくなった」と考える人もいるけれど、私は怖いと思ったんです。親子の力関係が逆転して、私が虐待してしまう危険性も出てくるのではないかと。



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映画『毎日がアルツハイマー2』より ©2014 NY GALS FILMS


──最近、徘徊(はいかい)症状がある認知症の男性が電車にはねられ死亡した事故をめぐる訴訟などがニュースで報じられました。なぜ問題行動が起こるのか、どうすれば問題行動を減らせると思いますか?



認知症の問題は100%介護する側の問題です。介護される側に全く問題はないのです。『毎アル』の上映会では、「介護が大変」「暴言を吐かれるし、ぶん殴られ、訳が分からない」「うちの主人は徘徊して困る」という様々な質問や悩みが会場から寄せられます。そういう時は、「どうして徘徊すると思いますか?」と逆に必ず聞き返すようにしています。そうすると、みんな一様に黙ってしまう。「なぜ?」と聞くと、意外と客観的になり、原因を考えやすいんですね。



そして、「あっ、そういえば、主人は今の家を自分の家だと思っていなくて、子供たちと過ごした大きな家に帰ろうとするんです」って答えが見つかったりする。また、「ウルサイ私から逃げたいのかも」って言ったりして、会場は「わぁ~」と笑う。「なぜ?」って聞くと、自分も引いて見えてくるもんなんですね。




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映画『毎日がアルツハイマー2』より ©2014 NY GALS FILMS



P.C.C.とは認知症になった人の尊厳を守って理解しようとするアプローチ





──本作では、そんな当事者の視点から認知症をみつめる「パーソン・センタード・ケア(P.C.C.)」という医療コンセプトを学ぶために、関口監督はイギリスに飛びます。



認知症でも、最後まで自分らしく笑顔で穏やかに過ごしたい。でも、日本には「認知症とは何か」という包括的な理解が出来るすべがないような気がしていました。そう感じていた時、「パーソン・センタード・ケア」という考え方を知ったのです。「これだ!」と思い、P.C.C.発祥の地イギリスに取材に行きました。「認知症の人」と言っても、身体状態や性格、人間関係など、誰もが全く異なります。P.C.C.は本人の個別性と向き合い、認知症の人を中心に考えるケアの方法です。



脳を見る認知症研究もあるけれど、私には認知症になった人の尊厳を守って理解しようとするアプローチがしっくりと来たんですね。今後の日本にも、一番重要なものだと感じています。私たちは認知症の人を、自分たちの概念でしか見ていないのではないでしょうか。一番つらいのは本人であるということに思いも及ばないのでは。



イギリスに行き「認知症に国境はない」ということを改めて確認しましたね。認知症の患者さんを抱えた家族の苦しみは、英国も日本も、同じだなと痛感しました。



では、何が違うかといえば、英国ではP.C.C.のプロが育っているということ。認知症の人が排泄(はいせつ)物を置き去りにしたら、「あら、犬がきてウンチをしていったのね」といって介護される人を傷つけない発言を介護のプロの人達は言えるような訓練を受けている。一般的に「お世話」をすることが中心の日本とは、そこが大きく違うんです。



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映画『毎日がアルツハイマー2』より ©2014 NY GALS FILMS




──最後に、介護に一番大事なことは何なのでしょう?



介護に大事なのは、イマジネーション、感受性、知的好奇心の3つだと思います。「今この人は何を考えているのか」と相手に共感できる感受性を鍛えることが大事です。同時に認知症の介護というのは実は高度な技術なんですね。



だから家族だけで介護ができない場合に、きちんとギブアップをして「私にはできません」と諦めることも重要だと思います。今、日本では、政府が介護保険にかかる費用を抑えようとするなかで、その人にとってベストな介護は何かということよりも、ひたすら家族に押し付ける現状に、大きな危機感を抱いています。家族がギブアップできて、安心して介護のプロに任せられるという社会にしないといけません。



日本は人口の22%が65歳以上という超高齢社会に突入しています。これから団塊の世代が高齢化するともっと認知症の人が増えますよね。



自分の親が認知症になったら、どうすればいいのか。繰り返して言いますが、徘徊や暴れるのにもちゃんとした理由があるのです。看護師や介護士などプロの人たちにも「タスク(任務)のみのケアだけではダメ」と強く訴えたいです。



私の理想はとにかくP.C.C.のプロが育ってほしいということです。日本にもP.C.C.がしっかりできるプロを育成すべきだと考えています。これから誰もが介護が無関係でいられなくなる時代が来ますから、P.C.C.のプロ育成は、急務なことだと感じています。



(オフィシャル・インタビューより)















関口祐加 プロフィール



日本で大学卒業後、オーストラリアに渡り在豪29年。2010年1月、母の介護をしようと決意し、帰国。2009年より母との日々の様子を映像に収め、YouTubeに投稿を始める。2012年、それらをまとめたものを長編動画『毎日がアルツハイマー』として発表。現在に至るまで、日本全国で上映会が開催されている。オーストラリアで天職である映画監督となり、1989年「戦場の女たち」で監督デビュー。ニューギニア戦線を女性の視点から描いたこの作品は、世界中の映画祭で上映され、数々の賞を受賞した。メルボルン国際映画祭では、グランプリを受賞。その後、アン・リー監督にコメディのセンスを絶賛され、コメディを意識した作品を目指すようになる。作風は、ズバリ重喜劇である。作品には、いつも一作入魂、自分の人生を賭けて作品を作ることをモットーとしている。










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©2014 NY GALS FILMS



映画『毎日がアルツハイマー2~関口監督、イギリスへ行く編』

7月19日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー




企画・製作・監督・撮影・編集:関口祐加

出演:関口宏子、関口祐加

プロデューサー:山上徹二郎

ライン・プロデューサー:渡辺栄二

AD・撮影・編集助手:武井俊輔

整音:小川武

編集協力:大重裕二

撮影協力:関口先人

医学監修:新井平伊

イラスト:三田玲子

宣伝デザイン:宮坂淳

製作:NY GALS FILMS

製作協力・配給:シグロ

協賛:第一三共株式会社

2014年/51分/HDV/カラー/日本




公式サイト:http://www.maiaru2.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/maiaru2012

公式Twitter:https://twitter.com/nautilus528





▼映画『毎日がアルツハイマー2』予告編

[youtube:nkxnojE6pnw]

スーパーの店員がレスラーに!プロレス発祥の地フランス北部を描く『ママはレスリング・クイーン』

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映画『ママはレスリング・クイーン』より © 2013 KARE PRODUCTIONS - LA PETITE REINE - M6 FILMS - ORANGE STUDIO - CN2 PRODUCTION



シングルマザーの女性が離れて暮らす息子との絆を取り戻すために、同じスーパーマーケットで働く同僚たちとともに彼の好きなプロレスに挑戦するコメディ『ママはレスリング・クイーン』が7月19日(土)より公開される。『みんな誰かの愛しい人』マリルー・ベリが奮闘するシングルマザー・ローズを演じ、『わたしはロランス』のナタリー・バイ、『最強のふたり』のオドレイ・フルーロ、『君と歩く世界』のコリンヌ・マシエロが、彼女とともにプロレスの過酷なトレーニングとド派手なパフォーマンスに挑戦する女性たちに扮している。ジャン=マルク・ルドニツキ監督がなぜプロレスという題材に取り組むことになったのか語った。



プロレスを通じて自分自身をさらけ出し、

本当の自分らしさに気づいていく



──『ママはレスリング・クイーン』は、どのようにして作られたのですか?



この企画は最初、エレーヌ・ル・ガル、マリー・パヴレンコ、マノン・ディリスの3人のシナリオライターが私に映画化してほしいと提案してきたことから始まりました。私は乗り気になり、プロデューサーのアントワーヌ・レインとファブリス・ゴールドスタインにあらすじを読ませたんです。2週間もしないうちに、2人は映画製作の契約書にサインしていました。しかしその1年後、脚本に新たな方向性を与えたくなり、私はクレマン・ミシェルと共に草稿に手直しを加えました。4ヵ月かけてセリフを書き直しました。



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映画『ママはレスリング・クイーン』のジャン=マルク・ルドニツキ監督



──最初からコメディ・タッチを目指していたのですか?



クレマンと私はスパーリング・パートナーのように一緒に仕事をしました。彼からジョークやセリフのアイデアをもらいました。私はマンガ的なギャグとイギリス風のばかげた要素が混ざっているコメディが大好きなんです。自分たちが笑えるということを重視していたので、「自分たちが笑えたらいいギャグだ」という認識でいました。最も難しいのは、作者の言葉よりも、現実的で時代の風潮を反映するようなセリフを取り入れることなんです。



──監督はこの話のどんな部分に心を動かされたのでしょうか?



まず、マリルー・ベリ演じるローズの人生ですが、母でもある彼女は刑務所を出所した後、息子を取り戻すためにプロレスを始めます。スーパーでレジ係として働く4人が、プロレスを基礎から身につけながら、人生を変えていくというストーリーが気に入りました。何よりも素晴らしいのは、この4人の登場人物がプロレスを通じて自分自身をさらけ出し、本当の自分らしさに気づいていくということです。プロレスは単純な喜びを感じることもできますが、人物像を創造することも可能です。リングは、役を演じる舞台のようなものなのです。




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映画『ママはレスリング・クイーン』より © 2013 KARE PRODUCTIONS - LA PETITE REINE - M6 FILMS - ORANGE STUDIO - CN2 PRODUCTION




──プロレスの世界とあなたに共通するものは何でしたか?



私の出身地である北部は、フランスにおけるプロレスの発祥地です。私も子ども時代を思い出します。昔、両親がテレビでプロレスショーを見ていたので、私にその思い出を話してくれました。私自身は一度も試合を見たことがなかったので、あの世界に偏見を抱いていたんです。しかしプロレスの特別興行に行ってその世界にはまり、ある時、プロレスがしっかりしたテクニックを要する、本物のスポーツショーであることに気づきました。プロレスに登場する伝説のヒーローたちの根底には、イギリス風の社会派コメディの側面を持つ、人気スーパーヒーローの世界があると思います。普段、プロレスラーは既に存在しているスーパーヒーローの名前を使って役名を作ります。そこで、私のスーパーヒロインにカラミティ・ジェス、ワンダー・コレット、ローザ・クロフトのような名前をつけようと思いつきました。



──実際、プロレスラーの方とはお会いましたか?



はい、私は彼らの世界に引き込まれました。プロレスをやっている人は職業としてではなく趣味でやっていて、他に仕事を持っている人が多いんです。労働者もいるし、今回の私たちのコーチのようにスタントマンだという人もいます。彼らはたとえ特別興行に出たとしても、一般的にはそれで稼ぐことはできません。それでもトレーニングは欠かせないし、自分を厳しく律してプロレスを続けているのです。



人生における新たなチャンスを描きたかった




──4人のヒロインについては、どのようにイメージしたのですか?




ローズは、若くして子どもを産み、ひとりで育ててきましたが、ある男を誤って殺してしまったことから、5年の刑を宣告されて服役しました。釈放されるとすぐに、ある家庭に預けられた息子を捜し出します。親子の間に深い溝はありますが、どんな苦労をしても息子を取り戻そうと覚悟するのです。ローズは息子がプロレスのファンだと知ると、息子との距離を縮めるために、自分でプロレスのチームを作ることを決心します。




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映画『ママはレスリング・クイーン』より、ローズ役のマリルー・ベリ(左)



コレットは50歳の女性で、3人の子供がいますが、夫の浮気のせいで辛い日々を送っています。夫婦関係に亀裂が生じたのは末っ子の誕生がきっかけだと思っているのです。そんな中、彼女はプロレスを始め、夫に対する欲望を取り戻していきます。




ヴィヴィアン、別名“ベチューヌのお肉屋さん”は45歳。中世の時代に生きているような女性です。“お肉屋さん”と呼ばれるのは精肉店の娘だからで、彼女は物怖じしない性格の持ち主です。自分では人から性格が悪いと思われていると感じていますが、プロレスの世界では善玉役に挑戦します。プロレスの世界というのは、善玉役と悪玉役に分かれて闘う、ストーリー性のあるスポーツですが、その外見から4人の中では誰の目にもヴィヴィアンが悪役に映っていました。彼女は、内面の本当の性格と外見上のイメージを少しずつ調和していこうと考え始めます。



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映画『ママはレスリング・クイーン』より、コレット役のナタリー・バイ(右)、ヴィヴィアン役のコリンヌ・マシエロ(左)


ジェシカは16~17歳で情緒不安定、体重は20キロ増え、分厚いメガネに、歯は矯正中。そんな彼女が本当の意味で女性になった時、体は引き締まり、それまでに失った時間を異性と過ごすことで取り戻そうとします。彼女は恋愛を重ね、自分の女性らしさに満足しているように見える。そして、生まれて初めて本気の恋をしたことで、自分がまとっていた鎧を取り除くのです。



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映画『ママはレスリング・クイーン』より、ジェシカ役のオドレイ・フルーロ(左)



──女性たちが不幸な境遇から抜け出すというストーリーで、かなりフェミニズム色の強い映画になっていますね。



これは“ガールズパワー”を表現した映画です。ヒロインたちは皆、世代が違いますが、それぞれ問題に直面しています。けれども、彼女たちには人生を変えられる可能性があるのです。そういう意味では、現代的フェミニズムの作品と言えるかもしれませんね。



──コメディ映画は、なかなか社会的反響を得にくいものです。



この作品が社会的背景の上に成り立っていることは、衣装やセットへのこだわりを見てもらえば分かると思います。といっても、社会の悲惨さを全面に描写するのは避けました。この物語の舞台がフランス北部になっているのは、プロレスが深く関係しているからです。社会的反響を呼ぶには、映画の中の語りだけでなく、視覚的な要素も重要だと思っています。労働条件、スーパーのレジ係、4人のヒロインが住む公団住宅なども、全て重要な要素です。私が何よりも描きたかったのは、人生の軌道についてです。この映画で言うと、人生における新たなチャンスです。平凡で退屈な日常生活を送る彼女たちの行き着く先を、現実とはかけ離れた世界である、幻想的なプロレスの特別興行にしたのです。



Tournage les reines du ring

映画『ママはレスリング・クイーン』より © 2013 KARE PRODUCTIONS - LA PETITE REINE - M6 FILMS - ORANGE STUDIO - CN2 PRODUCTION




──配役はどのようにして決めたのですか?



何人もの役者が出演する映画で重要なのは、役者たちが互いに似ていないことです。演じる人物像も全く違いますしね。なので、女優を選ぶにあたり、それぞれに対照的な個性があることがポイントでした。当然、各キャラクターに当てはまる女優を選びました。そして彼女たちには、プロレスを身につけるための準備期間中に団結力が生まれました。セットでの撮影に移る前に、すでにチームとして結束していたのです。



──ナタリー・バイが勇敢な労働組合の代表役というのには驚きました。



配役を考え始めた頃、彼女が今まで演じたことのない役柄だと思いました。ナタリーは、演じてきた役柄が多岐にわたっているからこそ、この役を引き受けてくれるかもしれないと考えたのです。実際に彼女と会って、自分の作った初のテレビ映画作品を見せ、彼女と一緒に人物像やセリフを修正しました。彼女は、今この役を引き受けなかったら、恐らくこの先も機会はなかっただろうと打ち明けてくれたんです。彼女ならコレット役を演じてくれると確信していたので、私も本当に嬉しかったです。



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映画『ママはレスリング・クイーン』より © 2013 KARE PRODUCTIONS - LA PETITE REINE - M6 FILMS - ORANGE STUDIO - CN2 PRODUCTION



──他の女優たちについては?



マリルー・ベリは、すぐ承諾してくれました。彼女が演じるのは30歳の若い母親役だったのですが、その役を気に入った理由は、これまで一度もそういった役を演じたことがなかったからだそうです。プロレスのトレーニングに関しても非常に意欲的でした。



オドレイ・フルーロは、今まで『最強のふたり』や『SPIRAL3~連鎖~』などの作品を見てきましたが、その中で、出世主義で冷たい弁護士役を見事に演じていました。カメラテストの時、コメディの才能もあることが明らかになったんです。風変わりで極端な人物を演じさせると、本当に見事でした。



コリンヌ・マシエロは『SPIRAL3~連鎖~』でとても変わったフランス北部の売春婦を演じていましたし、『ルイーズ・ウィマー』では車で生活する女性を演じているのを見ました。彼女は信じられないほど演技に幅があり、どんな役柄でも自然に演じ切れるのです。




ラスベガスにいるかのように見せたかった




──女優たちは、大部分をスタントなしで演じたのですか?



現実的な作品にするため、彼女たちにはプロレスの技も最大限自分でやってもらう必要がありました。それに、彼女たちもそれを望んでいたんです。そこで、アラン・フィグランツとプロレスラーでもあるヴァンサン・ハックインの協力を得て撮影しました。彼らは、女優の身体能力をテストしたり、それぞれにリングの上での個性を与えたりして、力になってくれました。彼女たちは、まず週に10時間、畳の上で練習し、次にリングの上で実際に落下する感覚を体験しました。どうやったら痛みを感じずに落ちることができるかを体感することが非常に重要だったからです。安全上の問題からスタントマンも準備し、負傷した場合に備えたり、編集が滞りなく進むように考えましたが、最終的には、ほとんど女優が自分たちでやった映像を使いました。特別興行のシーンでは、彼女たちが自分で出演したショットを優先的に使っています。



──女性スーパーヒーローの人物像を演じるために、彼女たちはどのように準備したのでしょう?



特別興行の入場シーンは練習しましたね。彼女たちには自分で幻の人物像を思い描いてやってもらいました。衣装の効果も大きいですね。人物像を創り上げるのは、空想の世界で自分とは異なる個性を考え出す作業だと思います。



Tournage les reines du Ring

映画『ママはレスリング・クイーン』より



──その特別興行のシーンは、圧巻でした。



女優たちとの準備を終えた後、ホールのリング上でこのシーンを撮影しました。私はシーンの絵コンテを描き、一つ一つ正確に決めていきました。どういうショットを撮影したら目を見張るようなシーンになるか、光はどのように調節するか、どういう特殊効果が実現可能かなど、細かく考えました。実際、入場シーンの照明は、リング上で闘う場面での照明とは全く違うものになっていますが、それほどの緻密さが必要だったのです。女優たちの振付をして撮影をした時は、別の作品を撮っているかのように感じたほどでした。



女優たちがリングに上がってからは、闘いのシーンを撮りました。まずは、2台のカメラで円形に移動撮影しました。その間に、他の2台の可動式カメラで、おおまかなショットを撮り、それを巨大スクリーンに映しました。その結果、編集するためのフィルムは膨大になりました。このシーンはとにかく華やかに、場所もルーベではなくラスベガスにいるかのように見せたかったのです。撮影中も、クレーンとステディカムを使って撮ったフィルムをチェックしながら進めました。全て入念に決めましたね。照明、女優たちの演出も事前に決めてあったので、即興でやっているわけではありません。同様に、編集にも多くの時間をかけ、このシーンのリズム感を出すようにしました。




(オフィシャル・インタビューより)












ジャン=マルク・ルドニツキ プロフィール





フランス生まれ。2000年代初頭からテレビドラマの脚本を手掛け、主にサスペンスや刑事ドラマで高く評価され、2009年にディレクターデビュー。本作が映画監督デビュー作となっている。主な監督作は「ジェフとレオ、警官と双子」(06)「セルアイデンティティ」(07) 「私の娘のために」(09)「ライフストーリー」(09)「復讐コレクション」(09) 「RIS警察科学研究」(10) 「後悔している」(10)。












Tournage les reines du Ring

映画『ママはレスリング・クイーン』より © 2013 KARE PRODUCTIONS - LA PETITE REINE - M6 FILMS - ORANGE STUDIO - CN2 PRODUCTION



映画『ママはレスリング・クイーン』

7月19日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー




ある事件の罪で服役していたローズは、出所後すぐに代理母に育てられていた我が子、ミカエルに再会する。しかし少年期を母とともに過ごせなかった彼は、ローズとの再会を喜んではくれなかった。その後も代理母の元に戻りローズに会おうともしてくれないミカエル。一人悩むローズは、とりあえず息子を取り戻す最低条件である勤め先を探すのだが、前科者の彼女を雇ってくれたのはイジワルな社長がワンマン経営する地元の大型スーパー“ハッピーマーケット”。そこで働く女性たちは、皆何かの問題を抱えるワケアリばかりだった。ある日、息子との関係修復を考えていたローズはひとつのアイデアを思いつく。





出演:マリルー・ベリ、ナタリー・バイ、オドレイ・フルーロ、コリンヌ・マシエロ、アンドレ・デュソリエ、イザベル・ナンティ

監督:ジャン=マルク・ルドニツキ

製作総指揮:マイケル・ルイージ

製作:トマ・ラングマン、ファブリス・ゴルドスタイン、アントワーヌ・ルアン

撮影:アントワーヌ・モノー

編集:アントワーヌ・ヴァレイユ

美術:ジャン=マルク・トランタンバ

音楽:フレッド・アヴリル

原題:Les Reines du ring

フランス/2013/97分/カラー/ヴィスタ/ドルビーデジタル

配給:コムストック・グループ

配給協力:クロックワークス



公式サイト:http://www.alcine-terran.com/koutei

公式Facebook:https://www.facebook.com/wrestlingqueen.movie

公式Twitter:https://twitter.com/wrestlingqueen4




▼映画『ママはレスリング・クイーン』予告編

[youtube:ctLIIUlXzb8]
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