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「本当の友情は苦痛と苦難で生まれるもの」『ローン・サバイバー』ピーター・バーグ監督語る

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映画『ローン・サバイバー』より ©2013 Universal Pictures


世界最強の精鋭部隊と呼ばれるアメリカ海軍のネイビー・シールズ、そのひとりの隊員が直面した、極限状態での生存をかけた決断を描いた映画『ローン・サバイバー』が3月21日より公開される。2005年6月にアフガニスタンの山岳地帯でタリバンに対する作戦に失敗、タリバン兵に取り囲まれるも辛くも生き延び、唯一生還を果たしたという実話に基づく今作。その生還者マーカス・ラトレル氏を監修に招き制作したピーター・バーグ監督が語った。




戦闘を音楽のようにデザインする



──これまで『ハンコック』や『バトルシップ』などアクション大作を多く手がけてきたあなたにとって、今回の『ローン・サバイバー』はとてもパーソナルな作品だそうですが、どういうきっかけではじまったのですか?



原作のマーカス・ラトレルによる「アフガン、たった一人の生還」を読んだんだ。それで、ハリウッドの多くの業界関係者と同様、この本につよい繋がりを覚えた。ネイビー・シールズ隊員で、このアフガニスタンの山岳地帯に降下、タリバンを監視し、狙撃ターゲットの捕捉をするという「レッド・ウイング作戦」に参加したマーカスは、戦争に人間的な要素を盛り込むことに成功していて、だからこそ登場人物たちに共感できるし、とてもエモーショナルだ。それで、他のハリウッドの連中と同じように、映画化権をくれとマーカスに売り込みを行ったんだ。



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映画『ローン・サバイバー』のピーター・バーグ監督




──どうしてマーカスはあなたを信頼したんだと思いますか?



それは、2007年の『キングダム/見えざる敵』(サウジアラビアの外国人居住区爆破事件をきっかけにしたFBI捜査官の戦いを描いた作品。フィクションだが、1996年6月26日に起きたホバル・タワー爆破事件、及び2003年5月12日のリヤド居住区爆破事件を参考に製作された)というぼくの作品を観てくれたおかげだ。あの映画の戦闘シーンにおいて、ぼくが細部に注意を払っている点をマーカスは評価してくれた。なにしろ、あの映画ではサウジアラビアの軍隊とアメリカの兵隊との協力関係についての細部を正しく描きたかったから、リサーチに時間をかなりかけていたからね。そして、『ローン・サバイバー』の権利をくれたら、ネイビー・シールズの連中とたっぷり時間を過ごすと約束した。そして、実際にそうしたよ。イラクに行って、シールズの一隊と1ヶ月半に渡って一緒に過ごした。おかげで、ディテールを正しく掴むことができたと思う。つまり、この物語をリアルに描くために一生懸命取り組むと約束したのが良かったんだと思う。



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映画『ローン・サバイバー』より ©2013 Universal Pictures




──ハリウッドには戦争映画がたくさんあって、たくさんのスタイルがあります。『ローン・サバイバー』を手がけるにあたり、どうアプローチしましたか?



もちろん原作を参考にした。この本は誰もが読むべきだと思う。とにかく暴力的な戦いで、4時間半も続いている。そして、彼の戦闘描写がシンフォニー音楽を連想させたんだ。あるときは静寂で、落ち着いている。あるときは、アグレッシブで激しくて、ダイナミックだ。同じひとつの戦闘でも、強弱があるんだよ。ドンパチを同じ調子で4時間やっているわけじゃない。会話を交わす静かなときと、アグレッシブなときがある。それで、マーカスが描写した戦闘を、音楽のようにデザインすることにした。それで、彼らの体験をリアルに観客に伝えるためにね。



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映画『ローン・サバイバー』より ©2013 Universal Pictures



亡くなった兵士たちに敬意を払い、正しく描くことを心がけた



──マーク・ウォルバーグとの仕事は今回がはじめてですが、いかがでしたか?



マークは最高だ。友人であり、パートナーでもある。この映画の資金集めを手助けしてくれて、おまけに他の役者の面倒をみてくれた。マーク・ウォルバーグといえば、他の役者よりも年も経験も上だけれど、キャラクター上はボスじゃない。マーカスは一等兵で、テイラー・キッチュが演じるキャラクター、マイケル・マーフィー大尉がボスだ。だから、マークは謙虚に、チームプレーヤーになることを心がけていた。『マーク・ウォルバーグと、その仲間たち』という関係ではなくてね。彼はずっとチームの一員として行動してくれて、そんな彼の姿勢に感銘を受けたよ。



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映画『ローン・サバイバー』より ©2013 Universal Pictures



──具体的には、撮影現場ではどんな感じだったのですか?



「映画スターのマーク・ウォルバーグ」的にはまるで振る舞わなかった。現場には、彼専用のトレーラーすらなかった。ぼくらは毎朝4時にヘリコプターで山頂に向かったからね。ポケットには昼食用の卵サンドイッチ、手には照明を抱えてね。そして、山頂についたら、機材を運ぶのを手伝った。さらに、トレーラーがないからトイレに行きたければ、茂みにいくしかない。マーク・ウォルバーグは本当に一員となっていたよ。




──この映画でもっとも難しかった点はなんですか?



この戦闘で命を落とした兵士のご両親がこの作品を観ることになると知っていたことだ。だから兵士たちに敬意を払い、正しく描くことを心がけたよ。



──実際の反応はいかがでしたか?



あれは、とてもエモーショナルな体験だった。たくさんの涙が流れ、抱擁がかわされた。最終的に、彼らの承認を得ることができたよ。



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映画『ローン・サバイバー』より(c)2013 Universal Pictures


──この映画では兵士同士の友情が自然に描かれていましたが、あの関係をどうやって生み出したのですか?



マーカスに参加してもらって、ネイビー・シールズのトレーニングを受けさせたんだ。1ヶ月半、ニューメキシコの山頂で本物の銃と実弾と持たせて、トレーニングさせた。1日8時間、長いときには10時間で、シールズの連中とトレーニングを行う。それで、仲間関係が芽生えたんだと思う。山登りは疲れるし、装備は重い、でも、マーカスによれば、本物の友情ってものは幸せや心地よさで生まれるものじゃない。友情とは、苦痛と苦難で生まれるものなんだ。だから、ぼくらは役者を苦痛と苦難のなかに追いこんだ。おかげで、強い友情が生まれたよ。




(オフィシャル・インタビューより)










ピーター・バーグ プロフィール


1964年3月11日、アメリカ、ニューヨーク州生まれ。『ミラクル・マイル』(88)で俳優として映画デビューし数本の映画に出演。1995年にTVシリーズ「シカゴホープ」のレギュラーとなり、脚本や演出も手がけた。脚本も兼ねた『ベリー・バッド・ウェディング』(98)で監督デビューを果たす。『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』(03)に続く、『プライド 栄光への絆』(04)ではUSCスクリプター賞にノミネートされた。後者は2006年にバーグの製作総指揮の下でTVシリーズ化され、5シーズンを数えるロングランを記録した。その後も緊迫感に満ちた国際犯罪サスペンス『キングダム/見えざる敵』(07)、ウィル・スミス主演のアクション・コメディ『ハンコック』(08)、SFアクション大作の『バトルシップ』(12)とヒット作を連発し、めざましい活躍を見せている。











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映画『ローン・サバイバー』より ©2013 Universal Pictures


映画『ローン・サバイバー』

2014年3月21日(金・祝)TOHOシネマズ 日本橋 他、全国ロードショー






監督・脚本・製作:ピーター・バーグ

出演:マーク・ウォールバーグ、テイラー・キッチュ、エミール・ハーシュ、ベン・フォスター、エリック・バナ

製作:サラ・オーブリー、ランドール・エメット、ノートン・ヘリック、バリー・スパイキングス、アキバ・ゴールズマ:ン、スティーブン・レビンソン、ビタリー・グレゴリアンツ

製作総指揮:ジョージ・ファーラ

撮影:トビアス・シュリッスラー

美術:トム・ダフィールド

衣装:エイミー・ストフスキー

編集:コルビー・パーカー・Jr.

音楽:エクスプロージョンズ・イン・ザ・スカイ、スティーブ・ジャブロンスキー

原作:「アフガン、たった一人の生還」マーカス・ラトレル&パトリック・ロビンソン著(亜紀書房刊)

原題:LONE SURVIVOR

配給:ポニーキャニオン/東宝東和

2013年/アメリカ/121分/スコープサイズ/PG12

©2013 Universal Pictures



公式サイト:http://www.lonesurvivor.jp/

公式Facebook:https://www.facebook.com/lonesurvivor

公式Twitter:https://twitter.com/lonesurvivor_jp






▼映画『ローン・サバイバー』予告編



[youtube:cLlHz796Nho]

自主映画監督の熱い思いをそのまま伝える映画祭・シネドライブ2014

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上野遼平監督『瘡蓋譚』より



大阪府大阪市を中心にしたインディペンデント映画祭「シネドライブ2014」が3月21日(金・祝)より十三シアターセブン、中崎町プラネット+1、天劇キネマトロン、イロリムラで開催される。シネドライブは、1999年にプラネット+1の代表・富岡邦彦さんと山下敦弘監督、そして熊切和嘉監督らが中心となり行われていた自主映画作家を応援するプロジェクト「シネトライブ」を引き継ぐかたちで、これまで不定期で開催されてきた。今回実行委員の代表となったのは、自ら監督として『キレる』(2012年)などの作品を発表してきた岡田真樹さん(26歳)。岡田さん自身も2012年に出品する側としてこの映画祭に参加。長編製作の経験もなく、短編作品をどのように観客に観せていけばいいか悩んでいた岡田さんは、「こんないい映画祭を絶やすのはもったいない、やるしかないだろう!」と音頭を取ることを決めたという。



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シネドライブ2014実行委員代表の岡田真樹さん


今年は公募により集まった全36作の短編・長編を4会場で3日間にわたり上映する。公募のテーマは〈いま作り手が観客に観てほしい自分の映画〉。「観てほしいという、その熱を持っている人だけ応募してほしい、と呼びかけたところ、関東からも全体の半分近く応募が来て、反応は良かったです」と岡田さんは手応えを感じているようだ。




「自主映画だけ続けている監督もいれば、商業映画をやっている監督もいて、その多様性と、それぞれの監督の自主映画についての考え方は、今後自主映画を作ろうとしている人たち、そしてこれから続けようとしている人のきっかけのひとつになるのではないかと思います」。




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津田翔志朗監督『涅槃大衆行進曲』より





全36作品は「ファンタスティック映画の誘惑」「出会いと別れ、青春!恋愛偏愛のオムニバス」「驚愕 カメラに映った嘘と真実」の3つのカテゴリーと14のプログラムに分けて上映。下は高校生から、上は50代までの自主映画作家から集まった作品のクオリティについては、岡田さんは次のように解説する。



「作品単体で主張するときになったときは、正直分からない部分もあります。でも、監督ひとりでは抱えきれないことも、一緒にプログラムを組んでいる監督同士が集まることで補うことができる可能性は感じています」。



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舟木健児監督『新近未来』より


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藤岡晋介監督『むらかみはるきの恋人』より



毎回の上映後に監督と観客による対話の時間を設けているのは、「作り手が自己満足的に映画を消費してインディペンデント映画そのものがモラトリアムの受け皿になっているのではないか」という切実な問題意識も理由にある。



「実は以前、自主映画に関わりがない映写を普段している方からそう言われて、確かなそうだなと。自分も作品を撮るときに、製作資金の面などで、友人たちと持ちつ持たれつで作ってしまう危機感を感じて、自腹で撮ることは大学(大阪芸術大学)卒業後はやめようと思っていたんです。でも、どうしてもそうした環境のなかで作っていかなければしょうがない。それを改善するためにどうしたらいいか、みんな集まって、シネドライブで話そうよ、というところに賭けているんです」。





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神田隆監督『LITTLE ADVENTURE - NO NAME –』より



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衣笠竜屯監督『ドラキュラ・アンドロイドの休日』より



現在シネドライブはすべて運営側の持ち出しで運営しているが、来年以降を見据えて、助成金をもらえるよう運営面も構築している最中だという。大阪地区のみならず、東京での開催など、自主映画制作者たちの熱い思いをそのまま汲み取るために、プロジェクトの構想は広がっている。



「常に開かれた映画祭であるというところを崩さずにすることが、シネドライブの色だと感じています。そして、賞を見せる映画祭ではなく、人に見せるための映画祭。そこを強みにこれから続けていきたいと思っています」。



(取材・文:駒井憲嗣)












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シネドライブ2014

2014年3月21日(金・祝)~23日(日)

会場:十三シアターセブン、中崎町プラネット+1、天劇キネマトロン、イロリムラ



公式HP:http://cinedrive2014.businesscatalyst.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/CineDrive2014

公式Twitter:https://twitter.com/CineDrive2014

大きな波紋を呼んだ米黒人青年射殺事件、彼の最後の1日を描く映画『フルートベール駅で』

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映画『フルートベール駅で』より ©2013 OG Project, LLC. All Rights Reserved.



2009年の元旦早朝、アメリカ西海岸の地下鉄駅構内で、若い黒人青年オスカー・グラントが鉄道警官に射殺されるという事件が起きた。武器を持たず取り押さえられたままの彼が銃で撃たれた様子を複数の利用客が携帯で撮影しネットでアップしたことから、警察に対する抗議が殺到し、全米で抗議集会が行われるなど、大きな波紋を巻き起こした。この事件を元に、オスカーの死に至るまでの1日を描いた『フルートベール駅で』が2013年3月21日(金)より公開される。2013年サンダンス映画祭で作品賞と観客賞を受賞した本作が初長編作となる27歳のライアン・クーグラー監督に、制作の経緯を聞いた。



オスカーの人間性が失われてしまったように感じた



──この作品を作ろうとあなたを駆り立てたものは何だったのですか?



この作品を作らなければと僕を駆り立てさせたのは、事件そのものとその余波だった。事件が起こった時、ちょうどクリスマス休暇で学校からベイエリアに戻ってきていて、ベイエリア高速鉄道(Bay Area Rapid Transit―以下BART)の駅で誰かが撃たれ、次の朝に息を引き取ったと聞いた。元日にニュース映像を見てすごく心動かされた。オスカーは僕であってもおかしくなかったと思ったんだ……。年も同じぐらいだったし、彼の友人たちは僕の友人たちと似ていたし、こんなことがベイエリアで起こったことに大きなショックを受けた。



裁判の間、状況が政治化するのを目の当たりにしていた。その人の政治的な立ち位置によって、オスカーは彼の生涯の中で何ひとつ悪いことをしていない聖人か、又は受けるべき報いをあの晩受けた悪党かのどちらかに分かれた。その過程で、オスカーの人間性が失われてしまったように僕には感じたんだ。亡くなったのが誰であろうと、悲劇の真髄はその人ともっとも近しかった人々にとってその人がどういう人だったのかというところにある。



映像、裁判、そしてその余波は僕をとてつもない無力感に陥らせた。ベイエリアコミュニティの人の多くが抗議活動に、そしてその他の人々も集会やデモに参加した。また、自暴自棄からの暴動もたくさん起きた。僕も状況を変えるために何かしたいと思って、映画を通してこの話に命を吹き込み、オスカーのような人物と観客とが一緒に時間を過ごす機会を作れれば、このような出来事が再び起こるのを減らせるかもしれないと思ったんだ。




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映画『フルートベール駅で』のライアン・クーグラー監督



──作品を発展させるのに必要とした時間は?どのような障壁がありましたか?



プロデューサーのフォレスト・ウィテカーに作品の企画を提案したのと同時期に、アウトラインを作りつつ、遺族の弁護士を務めるジョン・ブリスと組んでいる友人エフライム・ウォーカーから公式記録を取り寄せ始めた。ウィテカーのプロダクション会社、シグニフィカント・プロダクションズが作品にゴーサインを出した後、遺族に会いに行って、オスカーの物語の権利をシグニフィカントに保有させてくれるよう交渉したんだ。遺族側の信頼を勝ち取るのが本当に大変で、いかなる場合でもこの話を扇状的に扱うことはしないと保証しなければならなかった。僕がやりたかったのは、オスカーと同年代で、人口統計的にも同じところに属する人間の視点とベイエリアからこの物語を語ること。これには時間がかかったね。遺族に僕が製作した短編を見せて、僕自身のことも話し、なぜインディペンデント映画の視点からこの物語が語られるべきだと思うか説明した。最終的に遺族はこの映画を進めることを承諾してくれた。



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映画『フルートベール駅で』より ©2013 OG Project, LLC. All Rights Reserved.



もうひとつ困難だったのは、低予算で作りながらも、ある一定の芸術性を保つことだった。我々はベイエリアで、そしてスーパー16ミリで撮影したかった。これらのことは、物事を創造的に解決していくことと、早いペースで進めることを意味していた。撮影期間は20日間で、キャスティングに関してはコネが何もなかった。製作が終わってもこの怒濤のスケジュールは終わらなかった。2012年7月に撮影して、6ヶ月後にはサンダンスで上映していたからね。このスケジュールは本当に大変で、関わったすべての人々にとってストレスの種となった。



もっとも困難だったことのひとつは、実際の事件の現場となったBARTで主に撮影したかったことに起因していた。BARTの駅や電車でのシーンをどう撮るのかについては心配が尽きなかった。同社や地域にとってこれが痛みを伴う出来事だっただけに、協力を疑問視する人が多かったんだ。彼らに会って、プロジェクトの内容を説明し、なぜBARTの施設内で撮影したいのかを説明した。僕らの企画意図を聞き、彼らは製作に協力することを承諾してくれたんだ。



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映画『フルートベール駅で』より ©2013 OG Project, LLC. All Rights Reserved.


観客にオスカーをできるだけ身近に感じてもらいたい




──オスカー・グラントの物語は全国的なメディア狂乱を巻き起こし、大論争と報道の加熱に繋がりました。なぜこの物語をドキュメンタリーではなくドラマにしようと思ったのですか?



この作品をドラマにしようと思ったのにはいくつか理由がある。まず一つは、このような出来事は繰り返し起こるから、時間を空けずに作りたかった。フィクション映画製作がノンフィクション映画製作に対する利点のひとつに、早く完成できるということがある。僕の好きなドキュメンタリーはみんな完成までに数年かかっていたからね。もう一つの理由は、キャラクター先導のフィクション映画とドキュメンタリー映画の視点の違い。僕が個人的に思っていることだけど、うまく作りさえすれば、ドラマの方がドキュメンタリーよりも登場人物に深く感情移入させられる。この作品では、観客にオスカーをできるだけ身近に感じてもらいたいと思っていたから、自分が撮影されることを意識することから来る違和感をできるだけ避けたかった。ドキュメンタリー映画では得てしてそれが障壁となるんだ──タイトなスケジュールでは特にね。



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映画『フルートベール駅で』より ©2013 OG Project, LLC. All Rights Reserved.

──この射殺事件と悲劇的な死について知ってもらう他に、この作品で世の人々に知らせたいことは何ですか?



オスカー・グラントという人間が確かに存在していたことを観客に伝えたいね。あがいていたり、個人的な葛藤を抱えていたけれど、希望や夢や目標をもった人だった。そして彼がもっとも愛していた人たちにとって、彼の命がとても大切だったことも。この作品を通じて、新聞の見出しを読むだけでは得られない、オスカーのような人物に近しさを感じてもらえたらいいなと思っている。




(オフィシャル・インタビューより)











ライアン・クーグラー プロフィール



1986年5月23日カリフォルニア州生まれ。南カリフォルニア大学で映画&テレビ製作の修士号を取得。2011年に、娘の安全のために闘う若い娼婦を追った短編の学生映画「FIG」(未)が、ディレクターズ・ギルド・オブ・アメリカの学生映像作家賞(Student Filmmaker Award)と2011年度アメリカン・ブラック映画祭のHBO短編映像作家賞(HBO Short Filmmaker Award)を受賞。2012年『フルートベール駅で』の脚本がサンダンス・インスティテュート・スクリーンライターズ・ラボに選出された。










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映画『フルートベール駅で』より ©2013 OG Project, LLC. All Rights Reserved.


映画『フルートベール駅で』

2014年3月21日(金・祝)新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開



サンフランシスコのベイエリアに住んでいる22歳のオスカー・グラントは、前科者だが心優しい青年だ。2008年12月31日彼は恋人ソフィーナと、彼女とのあいだに生まれた愛娘タチアナと共に目覚める。いつもと同じようにタチアナを保育園へ連れて行き、ソフィーナを仕事場へ送り届ける。車での帰り道、大晦日が誕生日の母親ワンダに電話をし「おめでとう」と伝える。母と会話をしながら彼は新年を迎えるにあたり、良い息子であり、良い夫であり、良い父親であろうと、前向きに人生をやり直したいと思っていた。大晦日の晩は家族、親戚一同が揃い、母の誕生日を祝った。オスカーとソフィーナは新年を祝いに仲間たちとサンフランシスコへ花火を見に行くことにし、タチアナをソフィーナの姉に預けに行く。オスカーを見送るタチアナは不安を口にする。




監督:ライアン・クーグラー

出演:マイケル・B・ジョーダン、オクタヴィア・スペンサー

製作:フォレスト・ウィテカー、フォレスト・ウィテカー

脚本:ライアン・クーグラー

撮影:レイチェル・モリソン

プロダクションデザイン:ハンナ・ビークラー

編集:クローディア・S・カステロ、マイケル・P・ショーヴァー

音楽:ルートヴィッヒ・ヨーランソン

配給:クロックワークス

2013年/アメリカ/85分/PG12

©2013 OG Project, LLC. All Rights Reserved.



公式サイト:http://fruitvale-movie.com

公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/映画フルートベール駅で321金祝公開/583897061699635

公式Twitter:https://twitter.com/fruitvale0321






▼映画『フルートベール駅で』予告編



[youtube:p4gk1RrUJ3c]

社会の隅に追いやられた時、人生はより深みをもって現れる─映画『ダブリンの時計職人』監督語る

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映画『ダブリンの時計職人』より


アイルランドのダブリンを舞台に、突然ホームレス生活を余儀なくされ車上生活をすることになった中年の冴えない男と、駐車場で出会った心に傷を持つ青年の交流を心温まるタッチで描く映画『ダブリンの時計職人』が3月29日(土)より公開される。『ザ・コミットメンツ』『ワン チャンス』など数多くの作品に出演する名優コルム・ミーニイと、『魔術師マーリン』のコリン・モーガンをキャストに迎え、ドキュメンタリー映画出身のダラ・バーン監督が、現在のアイルランドが抱える問題を背景に描いた今作。キャラクター造形や演出について監督に聞いた。




アイデンティティーを見失って苦しんでいる、
という共通点が3人を結びつけている



──なぜ、主人公をホームレスにされたのですか?



僕はドキュメンタリー畑の人間で、アイルランドのバブルが崩壊した頃から、街に溢れていくホームレスの人々をテーマに別の作品を撮っていた。そして、この人たちついてもっと深く知りたい、彼らの世界についてさらに突っ込んで考えたいという思いが残った。

ドキュメンタリーではなくフィクションにしたのは、彼らの物語を伝えるには、そのほうがパワフルで興味深い作品ができると思ったからだ。たくさんのリサーチをし、大勢のホームレスたちに会って話を聞いた。人物については特定のモデルがいるわけではなく、完全なフィクションだ。フレッドは、現実に存在したかもしれない多くの人々の総合体のようなものだ。だから、過去を特定できないように描いた。




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映画『ダブリンの時計職人』のダラ・バーン監督



──3人の登場人物について教えてください。



フレッドについては、海岸の小さな駐車場に謎めいた“過去を特定出来ない男”として登場させた。その人物に何が起きるか観察したら面白いのではないかと思ったからだ。車上生活という厳しい状況に陥ったフレッドは、日常の作業にすがって日々を乗り切ろうとしている。毎日ひげをきちんと剃り、水を汲み、植物の世話をする。こうしたささやかで規則正しい日常に助けられて、フレッドは毎日を過ごそうとする。デイリーという名字にしたのは、フレッドがデイリーライフを生きている人間だからだ。ある期間を経て、人生に行き詰まった人間が自分の内面を見つめ、どう変化していくか描きたかった。そして、彼はカハルやジュールスとの出会う。2人は、フレッドの世界観や現実に対する認識、彼の抱える困難さに問いを投げかける役割を担っている。



フレッドの隣人として現れたカハルは、父親にひどい扱いを受けて居場所を見失い、家を出てしまった若者だ。そしてドラッグに走った。カハルのバックストーリーについて、映画ではあまり詳しく説明していないが、典型的なジャンキーではなく、普通に成長した青年が、父親との確執をきっかけにドラッグへと向かい、車上生活に行き着いてしまった人物なんだ。カハルの最初の記憶は、父親や家族と一緒に見た花火だ。家族との平和な花火の記憶は、彼の最初と最後の記憶として重なり、ラストシーンで思い出が呼び覚まされるような構造になっている。花火はダブリンではあまり見ない気もするが、花火大会は毎年行われている。


ジュールスもまた、アウトサイダーだ。ヘルシンキ出身のフィンランド人だが、アイルランド人の建築家と結婚してダブリンに来た。だが夫は亡くなり、寡婦としてアイルランドに残りで一人で暮らしている。自分が何故ここにいるのか分からなくなったところが、ジュールスとフレッドの共通点だ。





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映画『ダブリンの時計職人』より 左から、カハル役のコリン・モーガン、フレッド役のコルム・ミーニイ、ジュールス役のミルカ・アフロス


3人はそれぞれの悩みを抱えているが、彼らの共通点はアイデンティティーを見失って苦しんでいる、という点だ。僕は、人は社会の片隅に追いやられた時、何かを学ぶと思っている。何もかも失った時、人は、自分自身について、社会について、何かを発見し人生をより深く見られるようになるんだ。ドキュメンタリー制作の現場から学んだことだ。





駐車場は殺風景な感じが良かった。

フレッドの心情を表すような風景だからね。



── フレッドとカハルが暮らす駐車場のシーンがとても印象的です。ロケ地選びの基準について教えて下さい。



ロケ地探しでダブリン中の駐車場をたくさん見て回った。その結果、あの海岸沿いの駐車場を選んだ。まず、フレッドの心情を表すような殺風景な感じがよかった。距離的には街にとても近く、フレッドが昔住んでいた家のある場所にも近くて、都会でもあると言える。そういう意味でとても魅力的な場所だったし、画的にもいろんな撮り方ができそうで、作品を引っ張り上げてくれそうだと思った。

でも、なぜ物語の軸が駐車場だったかというと、すべてを失って車上生活を余儀なくされたフレッドのような立場の人が、駐車場に集まってくるのは自然なことだからだ。きっとそれは、世界中で起きている。それに、駐車場に暮らしていればおのずと自分以外の駐車場の“隣人”とも出会うわけだから、他の人物も登場させやすい。原題の"Parked"も駐車場というロケ地とリンクしている。さらに言うと、フレッド、カハル、ジュールスの内面も“停まった”状況にあるんだ。3人は前進しようともがきながらうまくいかず、“停まった”まま動けなくなっている。




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映画『ダブリンの時計職人』より




──アイルランドでは、若者をめぐる薬物問題は深刻なのでしょうか?



他のヨーロッパ諸国同様、アイルランドでもドラッグの乱用は問題になりつつある。都市部で顕著だが、全国的な傾向でもある。カハルの借金は600ユーロだが、その程度の金額でも深刻な状況に陥り得る。アイルランドでは、600ユーロの借金のために人を脅すことは可能だ。そういう犯罪への取り締まりが手薄なんだ。カハルと借金のくだりはリアルで、実際に起こり得るものだ。ただ、それは他のヨーロッパ諸国でも共通していると思う。麻薬絡みの金は通常、もっと額が大きいとも言えるが、そうした取り引きをしている人々でも、少額の不払いを容赦せず、周りへの見せしめにすることがある。この程度だからって見逃さないぞ、という脅しだ。ドラッグにまつわる現実については、誠実に物語ろうと心がけた。売人の描き方にしてもそうだ。この作品はドラッグ使用を認めていないし、ドラッグを派手に描くこともしていない。ドラッグが引き起こす暴力についてもリアルな表現を求め、飾り立てたりセンセーショナリズムに陥ったりしないようにした。



(インタビュー:額賀深雪)











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映画『ダブリンの時計職人』より



映画『ダブリンの時計職人』

2014年3月29日(土)より新宿K's cineama、渋谷アップリンク他、全国順次公開




監督:ダラ・バーン

出演:コルム・ミーニイ、コリン・モーガン、ミルカ・アフロス

プロデューサー:ドミニク・ライト、ジャクリーン・ケリン

脚本:キーラン・クレイ

撮影:ジョン・コンロイ

美術:オーウェン・パワー

製作:Ripple World Pictures Limited, Ireland

2010年/アイルランド、フィンランド/90分



公式サイト:http://uplink.co.jp/dublin/

公式Twitter:https://twitter.com/DublinJP

公式Facebook:https://www.facebook.com/DublinJP





▼映画『ダブリンの時計職人』予告編


[youtube:WC8e3LuqYi8]

アイルランドはかつて民族衣装を失うほど貧しかった、でも言葉や音楽は残ったのです

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映画『ダブリンの時計職人』より 主演のコルム・ミーニイ(左)、コリン・モーガン(右)




現在ロードショー中の映画『ダブリンの時計職人』。公開を記念して渋谷アップリンクで去る3月26日(水)、近著『アイルランドモノ語り』で読売文学賞を受賞された早稲田大学教授栩木伸明さんをゲストに迎え、アフタートークが開催された。日本から遠く離れた小さな国で慎ましやかに住む人々の息づかいを描いた本作のバックグランドを、優しい語り口で多方面から紐解いてもらった。



アイルランドの今、新しい問題を扱った作品



この映画はまさに今のアイルランドです。2010年に撮影された作品で、ちょうど僕もその年アイルランドにいたのですが、雪が何度も降って寒い冬でした。それが良く表れています。ダブリンらしい街角のシーンは意図的に出していない。でもダブリンらしい言葉、空気感が出ていますね。何よりも不景気な様子、リーマンショック後のアイルランドの経済状況が表れています。95年からリーマンショックの間まで約15年『ケルティックタイガー』と呼ばれる好景気があったのです。しかしその後、誰がホームレスになってもおかしくない状況が続いて、14%くらい失業率が続いている。現在では失業率はバブル崩壊前の水準まで上がっています。




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映画『ダブリンの時計職人』トーク・イベントに登壇した栩木伸明さん


今作でもテーマになっている麻薬については、80年代、90年代初めまでは問題にさえならなかったんです。なぜなら貧しすぎて麻薬に手を出せる人があまりいなかったから。同じ時代にはスコットランドでは『トレインスポッティング』という映画でドラッグの問題を描いています。スコットランドでは麻薬の問題は深刻でしたが、アイルランドではまだ新しい問題なんです。移民についても、フィンランド人の未亡人ジュールスが登場しますが、外国人が仕事を持ってアイルランドにくるという事も最近です。アイルランドはむしろ移民を出す側でした。



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映画『ダブリンの時計職人』より



ステレオタイプではないが、アイルランドらしい登場人物 カトリック的なイノセンスもつアイルランド人



フレッドは50代の後半でも「うぶ」なところありましたが、アイルランドには彼のような人が本当にいるんですね。基本的にカトリックの教えは日本の儒教に近いところがあって、男女交際については厳しいのです。1922年にアイルランドは英連邦の自治領として独立しますが、政府とカトリック教会は非常に強い関係を結んでいました。だから生命倫理、性倫理が強い。さらに文化検閲も行われました。1920年から60年代までカトリック的な思想に反するようなもの、コミュニズム的なもの、新しい思想、例えば実存的なものも検閲されていました。文学者もイギリスやアメリカで活躍することが多かったのです。それ故イノセントなものが残ってしまった国だと思います。アイルランドでは90年前半まで離婚はできなかったし、妊娠中絶は今でも禁止です。90年代はじめまではコンドームを店頭で販売するのも禁止されており、医師の処方により夫婦間の使用のみと制限されていました。同じ頃まで同性愛も刑罰の対象になっていました。非常に厳しい制限がありましたので、みんな生真面目です。1回結婚しそこなったフレッドの生真面目さは本当にリアルですね。女の人の手を握ったことのない独身男性がほんとうにいるんです。それであんな愛すべきキャラクターになっています。



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映画『ダブリンの時計職人』より


カハルも中学生のような、本当にピュアな青年です。思いやりのある、天使みたいな人ですが、自分の事はできないのに他人を助けて、人の恋愛も応援してくれて、まさに無私の愛を注ぐわけです。でも自分は破滅してしまう。駐車場での悪戯も、強盗しようとかではなくただ驚かせたいだけですしね。ドライブのシーンもそうですね、ただ『きもちいい!』だけで行動する。こういう人はアイルランドで本当にいる。アイルランドに行きますと、そういう仲間に入りたい、男同士つるんで中学生のように一緒に遊ぶ、そういう感じなんです。刺激に対して免疫がないと思ってもらえればいいと思います。貧しい国でしたから。麻薬も入ってこなかったし、民族衣装すらないんです、それすらも失うほど貧しかった。マテリアル、モノは失ってきたのです。でも言葉や音楽は残った。カハルが「葉っぱが落ちる瞬間を見たことがある?」と歯が浮くようなことを言います。なぜならアイルランド人は生まれながらに詩人で、そういったものの見方をするのです。即興でピアノを演奏し唄を歌うシーンがありますが、曲は友人フレッドを讃える歌。それができるのがアイルランド人なのです。




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映画『ダブリンの時計職人』より



寓意をちりばめることでローカルカラーの無さが生きてくる



ダブリン名所などのローカルカラーが描かれていない分、プールの飛び込み台、パンクした車、時計、花火など、寓意的な意味合いの深いイメージがいくつか出てきたと思います。この監督はイメージの使い方がうまいですね。「止まった時間を動かす」ということがこの映画の大事なテーマだったと思いますが、そのテーマがイメージで表現されている。映画的にはこのようなイメージの使い方は初歩的かもしれませんが、それらをちりばめることによって、ローカルカラーの無さがかえって生きてくる。観客がそれぞれ、自分の物語として映画を読み取れるからです。「人生の半ばで道に迷い、気づいたら森の中にいた……」、とフレッドが手帖に書き留めたことばを読み上げるシーンがありましたが、これはダンテの『神曲』の冒頭部分の引用です。道に迷った主人公ダンテを助けてくれるのが、ローマ詩人ウェルギリウスの亡霊です。生き身のダンテはウェルギリウスに導かれて、地獄を見て回った後、「地獄篇」の最後に、地球の裏側の地上に出ます。そのときダンテは、「わたしたちはふたたび星を見た」とつぶやくのです。カハルに「その続きはどうなの?」と聞かれた答えはこれだったのです。フレッドがカハルに手帖を与えることにも、何層かの象徴的な意味合いを読み込むことが可能です。フレッドが「ふたたび星を見た」という文句を読み上げ、カハルに手帖を与えたことは、フレッドにとっての「地獄」——人生のつらかった時期——の終わりであった、などと読み取ったら、文学的すぎるでしょうか?



(2014年3月26日、渋谷アップリンク・ファクトリーにて 取材・文:鈴木正志、構成:駒井憲嗣










栩木伸明(とちぎ・のぶあき) プロフィール



1958年東京生まれ。早稲田大学文学学術院教授。アイルランド文学・文化を研究・翻訳。著書に『アイルランドモノ語り』(みすず書房)、『アイルランド紀行 ジョイスからU2まで』(中公新書)など。












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映画『ダブリンの時計職人』より


映画『ダブリンの時計職人』

新宿K's cineama、渋谷アップリンク他、全国順次公開中




監督:ダラ・バーン

出演:コルム・ミーニイ、コリン・モーガン、ミルカ・アフロス

プロデューサー:ドミニク・ライト、ジャクリーン・ケリン

脚本:キーラン・クレイ

撮影:ジョン・コンロイ

美術:オーウェン・パワー

製作:Ripple World Pictures Limited, Ireland

2010年/アイルランド、フィンランド/90分



公式サイト:http://uplink.co.jp/dublin/

公式Twitter:https://twitter.com/DublinJP

公式Facebook:https://www.facebook.com/DublinJP





▼映画『ダブリンの時計職人』予告編


[youtube:WC8e3LuqYi8]

ワレサの生き方を通して、若者に政治に参加するとはどういうことかを示したかったのです

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映画『ワレサ 連帯の男』より



アンジェイ・ワイダ監督の最新作『ワレサ 連帯の男』が4月5日(土)より公開される。電気技師から独立自主管理労組「連帯」指導者になり、ノーベル平和賞を受賞、そしてポーランド共和国の第三共和制初代大統領となったレフ・ワレサの闘いを、記録映像や当時のロック・ミュージックを交えリアルに描いている。ワイダ監督がなぜいま実在の政治家の人生を描こうしたのか語った。



彼は政治的に傑出していただけでなく、私たちの社会生活の一現象



──なぜ監督は、政治的にこれほど困難な映画の製作を決断したのですか?



映画『ワレサ 連帯の男』が、55年に及ぶ私の映画人生に取り上げたすべてのテーマの中で最も困難なものであることは、十分に承知しています。しかし、レフ・ワレサについての映画を、しかも私が満足できるような作品として作れる監督は、私以外に誰も見当たらないのです。作るしかありません。



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映画『ワレサ 連帯の男』のアンジェイ・ワイダ監督



──グダンスク・レーニン造船所の労働者を題材にした『大理石の男』『鉄の男』につづき、この作品のタイトルを『ワレサ 自由の男』(原題)としたのはなぜですか。



最初は、これが実際の人物についての映画である以上、『ワレサ』で十分だと思っていました。しかし、レフ・ワレサの映画が過剰に政治的な映画として受け取られることは、私の望みではありませんでした。名字だけのタイトルでは、観客から、「賛成か反対か(支持か不支持か)」という一義的な言明を要求しかねません。これは映画であると明確に指示しておいたほうがよいと思いました。そして、『~の男』としたのは、かつての二部作に続くパートとして、この映画を観てほしい、という私の願いです。



──現在のシナリオで作ろうと決める前に、別のシナリオを没にしたと聞きましたが?



ヤヌシュ・グウォヴァツキのシナリオは、私が最初に手に入れた、そして唯一のシナリオです。彼はこの主題に最適のシナリオ・ライターだと考えました。まず、彼はストライキのときに造船所にいたからです。第二に、彼は長い亡命から我が国に戻ってきた作家です。アメリカの視点から、ワレサ現象を観る機会を持ちました。まさしく彼が、私に、ドラマツルギー上のある解決を暗示してくれたのです。映画を1970年の十二月事件から始め、ワレサ個人としての最大の勝利すなわち、ワシントンの米国議会で演説して、「私たち民衆は」と語った瞬間で終えることです。青二才から王様へ……このようなとてつもないストーリー展開は、想像で作り出すのは困難です。でもそれが私たちの目の前で起こったのです。私たちは、レフ・ワレサについて、この期間の彼が果たした役割について捉えるべきだと判断したのです。



この時代を題材にした理由がもうひとつあります。1970年は彼にとって、忘れることのできない教訓でした。彼は、2000ズウォティの賃上げや自主管理労組としての連帯であり検閲撤廃といった労働者たちの目標を、交渉の道によってしか実現できないということを理解しました。それが私たち知識人と芸術家をかくも強く、〈連帯〉へと結びつけたのです。




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映画『ワレサ 連帯の男』より


完成までにさまざまな変更はありましたが、レフ・ワレサという、将来の観客に強い反応を引き起こす主題をめぐって映画が作られるのであれば、別の作り方はあり得ないのです。私は、「連帯」が共産党政府代表団と交渉を行っていた時期に、ワレサと知り合いました。それ以来、彼に賛嘆の思いを抱いています。映画はその思いの表現になることでしょう。




これをレフを風刺した作品だと考えないでください。私は一度たりともそれを意図したことはありません。私は常に、ワレサは私にとってまったく例外的な人間であると言いつづけてきました。彼は政治的に傑出していただけでなく、私たちの社会生活の一現象なのです。




これは、私が生涯に監督した映画の中で最も長い時間をかけて作った映画です。希望を失うことなく、最も長い時間をかけて作ったのです。2回製作を仕切りなおさなくてはならなかった『カティンの森』よりもっと長い時間です。



私たちの愛国心は伝統的に、死と同一視されてきました。私自身、そうした同一化を促すような映画『地下水道』『灰とダイヤモンド』を作ったことがあります。とはいえ、私は、それは間違った道であると考えていました。だからこそあの映画を作ったのかもしれません。それもあって、この新しい映画で、私はワレサをひたすら擁護しています。それは、彼が擁護に値する限り、私はいつまでも彼に関心を持ち続けるからです。大衆の共感を失ってしまった政治家、敗北した政治家は数えきれないほどいます。私たちの目の前にいるのは、混沌とした、ポーランドにとってまたヨーロッパにとって極めて困難な時代に、私たちの集団的期待をかなえて見せた人間なのです。




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映画『ワレサ 連帯の男』より


家庭でのシーンにとても大きな意味を与えた



──現在も生きているワレサを主人公とすることに困難はありませんでしたか?



どのようにすれば、生きている人間、アクチュアルなテーマについて発言する人間、自分が画面にどのように現れるかを自ら評価する可能性を持つ人間について、映画を作れるかという問題がありました。私には、そうしたリスクを犯す力があるだろうか?でも別の面から言うと、私たちの関係をふまえ、彼は映画に関して、とても理性的にふるまいました。シナリオを読もうとせず、ラッシュ・フィルムを観ようともせず、映画を私たちにまかせてくれました。



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映画『ワレサ 連帯の男』より ワレサ役のロベルト・ヴィェンツキェヴィチと妻ダヌタ役のアグニェシュカ・グロホフスカ


──主役を演じる俳優について、監督は具体的な俳優を思い浮かべていましたか?カメラ・テストをしてからようやく、誰がその役を演じるかが決まったのですか?



カメラ・テストは、主役はロベルト・ヴィェンツキェヴィチになるだろうという私の直感を証明しただけでした。私は、近年、素晴らしい若い俳優がポーランドに輩出していることを知っていますので、なおさらのことでした。



フィナーレの米国議会の場面だけ、ヴィェンツキェヴィチがワレサを演じるのではなく、初めてレフ・ワレサ本人を画面に出しました。第一に、観ている人に比べさせて、ヴィェンツキェヴィチがその人物造形によって、俳優から実物への移行をほとんど目につかないものにしてしまったことを示したかったからです。第二に、これは現実に存在する人間が主人公の伝記映画であり、私たちは彼の運命を再現したに過ぎないことを観ている人に思い出してもらうためです。



──映画に描かれた世界の中で観客の視点の代りをしているのが、インタビュアーとしてレフ・ワレサに質問をなげかける、イタリアのジャーナリストです。



彼女のおかげで、私たちは、映画製作のある瞬間に解決不可能と思えた困難を克服できました。映画構造の柱、映画の全体を支える主旋律となったのです。



オリアナ・ファラチは7年前に死去しましたが、彼女が1981年3月にレフ・ワレサと行ったインタビューをどこかに挿入しようと考えていました。彼女を演じたイタリアの女優マリア・ロサリア・オマジオと話しているときのワレサ役のロベルト・ヴィェンツキェヴィチは、ほかのどの場面でも演じることのできないほど開放的になっています。


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映画『ワレサ 連帯の男』より ジャーナリスト、オリアナ・ファラチ役のマリア・ロザリア・オマジオ



──確かに、インタビューの場面は、ヴィェンツキェヴィチの俳優としての見せ場になりましたね。



あの場面ではワレサ自身が語った言葉だけを使っています。これは100パーセント現実に起こった状況です。労働者のリーダーが、著名な女性ジャーナリストの前でいいところを見せようとしている、と同時に、彼女は自分の新聞記事で自分を嘲笑するかもしれないと恐れてもいる。より魅力的でより滑稽なワレサが、映画に点在することが、この映画に新しい特徴を与えています。






──と同時に、この映画は、彼は一気に人民の指導者になったわけではないことを描いています。



もちろんです。彼を政治的役割だけに限定することはできませんでした。それ故に、私たちは家庭でのシーンにとても大きな意味を与えたのです。レフは、ほかならぬあのような困難な家庭状況……もちろんそれも彼自身が作り出したわけですが……その中で活動を続けたのです。彼は、他ならぬダヌタという女性の伴侶ですし、現在もそうです。彼は少しずつ、本物の闘志と指導者に変貌していきますが、その際人間的な特徴を失うことはなかったのです。これは彼が、バルト海沿岸の労働者や労働者擁護委員会と共同した結果です。こうした集団が彼を政治的に成長させ、後に行うことになる決定的な対話を行わせたのです。しかしはそれでも彼は、こうした対話を自分の言葉で展開しました。ほかならぬそのことが、共産主義者を茫然自失に追い込んだのです。レフ・ワレサが労働者と飾らない言葉で話したということが。これこそが、勝利への唯一の道だったのです。



──劇映画の部分と群衆シーンなどの記録映像を巧みに組み合わせています。



私は、記録映像を全体に絡み合わせることで初めて、この映画に真実が保証されると固く信じていました。それなくして、真実らしさは出なかったでしょう。私はあんな群衆を集めることはできなかったし、映画に不可欠な場面を演出する可能性もありませんでした。ここで特筆しておかなくてはならないのは、ポーランド映画界には当時の出来事を写す準備が十分にできていたということです。記録映画製作所に属するドキュメンタリストは、仮にキェシロフスキが労働者たちを撮っていなければ、撮ることはできなかったでしょう。私も、『大理石の男』なしに『鉄の男』を撮ることはできなかった。




──最後に、この映画は誰に向けて作られましたか?



すべての人々ですが、まずは若者です。造船所の電気技師から出発して、ノーベル平和賞受賞、そして大統領にまでなったレフ・ワレサの生き方を通して、政治に参加するとはどういうことかを示したかったのです。






(オフィシャル・インタビューより)











アンジェイ・ワイダ プロフィール



1926年3月6日、軍人の父、学校教員の母のもと、ポーランド東北部のスヴァウキ市に生まれる。第二次世界大戦中には、対独レジスタンス運動に協力、戦後、クラクフ美術大学に入学した後、ウッチ国立映画大学に転学し卒業。1954年、『世代』で長篇映画監督デビュー。1957年『地下水道』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。1959年『灰とダイヤモンド』でヴェネチア国際映画祭国際批評家連盟賞受賞。1971年、『白樺の林』でモスクワ国際映画祭金賞受賞。1978年『大理石の男』でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞。1981年『鉄の男』でカンヌ国際映画祭パルムドール受賞。同年の戒厳令で、ポーランド映画協会長などの座を追われ、海外での映画製作を余儀なくされる。1986年『愛の記録』でポーランド映画界に復帰。1987年京都賞を受賞。その受賞賞金を基金として、クラクフに日本美術技術センターの設立を宣言。1989~1991年、ポーランドの上院議員を務めた。1994年、磯崎新の設計による日本美術技術センター(現日本美術技術博物館)がクラクフに完成。その後、高松宮殿下記念世界文化賞、米アカデミー賞特別名誉賞、ベルリン国際映画祭金熊名誉賞、ベネチア国際映画祭功労賞などを受賞。










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映画『ワレサ 連帯の男』

4月5日(土)岩波ホールほか全国順次ロードショー



1980年代初頭、グダンスクのレーニン造船所で電気工として働くレフ・ワレサの家に、イタリアから著名な女性ジャーナリスト、オリアナ・ファラチが取材に訪れたところから映画は始まる。ワレサは彼女に、1970年12月に起こった食料暴動の悲劇から語りだす。物価高騰の中で労働者の抗議行動を政府が武力鎮圧した事件だ。この時、ワレサは両者に冷静になることを叫び、検挙された際、公安局に協力するという誓約書に署名を強いられた。グダンスクのアパートで質素に普通の生活を送っていたワレサとその妻ダヌタ、そして産まれてくる子供たち。この事件以降、一家は、歴史的転変期の真只中に深く関わってゆき、ワレサはその中で次第に類まれなカリスマ性と政治的感性を発揮してゆく…。




監督:アンジェイ・ワイダ

出演:ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ、アグニェシュカ・グロホフスカ、マリア・ロザリア・オマジオ、ミロスワフ・バカ、マチェイ・シュトゥル、ズビグニェフ・ザマホフスキ、ツェザルィ・コシンスキ

脚本:ヤヌシュ・グウォヴァツキ

撮影:パヴェウ・エデルマン

美術:マグダレナ・デュポン

衣装:マグダレナ・ビェドジツカ

音楽:パヴェウ・ムィキェティン

編集:グラジナ・グラドン、ミレニャ・フィェドレル

製作:ミハウ・クフィェチンスキ

2013年/ポーランド/ポーランド語・イタリア語/シネマスコープ/デジタル5.1ch/127分

ポーランド語題:Wałęsa. Człowiek z nadziei//英題:Wałęsa. Man of Hope

字幕翻訳:久山宏一、吉川美奈子

提供:ニューセレクト/NHKエンタープライズ

配給:アルバトロス・フィルム



公式サイト:http://walesa-movie.com

公式Facebook:https://www.facebook.com/walesarentai

公式Twitter:https://twitter.com/walesa_movie






▼映画『ワレサ 連帯の男』予告編


[youtube:84zTAF_SpmY]

アブデラティフ・ケシシュ監督が主人公に女優アデル・エグザルコプロスの名前をつけた理由

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映画『アデル、ブルーは熱い色』より © 2013- WILD BUNCH - QUAT’S SOUS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – SCOPE PICTURES – RTBF (Télévision belge) - VERTIGO FILMS



昨年の第66回カンヌ国際映画祭でアブデラティフ・ケシシュ監督、そして主演のアデル・エグザルコプロスとレア・セドゥがパルムドールを受賞した『アデル、ブルーは熱い色』が4月5日(土)よりロードショー。公開にあたり、ケシシュ監督がインタビューに答えた。




このふたりだったらそういう激しい愛を体現することが出来る




フランスのジュリー・マロによるコミック『ブルーは熱い色』を原作に、高校生アデルと画家を志す美学生エマのふたりの女性の愛と人生を描く今作。監督はこの原作に一目惚れしたという。




「まず興味を持ったのは、絵でした。素晴らしいイラストだなと思いました。そしてテーマとしても、このふたりの女性が出逢った激しい愛というものにも興味を持ちましたし、ふたりが信号を待っている間にすれ違う、偶然と運命的な出会いというものにも興味がありました。偶然の運命の出会いがアデルの人生を、まるきり変えてしまう、そういうところにも興味がありました。もう一つは、失恋をすることによって、アデルがいろんな困難を乗り越えていく成長物語のような部分です」





アデル原作

ジュリー・マロによる映画『アデル、ブルーは熱い色』の原作表紙



この物語を映画化するにあたって、監督は主人公の名前を、主演のアデル・エグザルコプロスに変更した。



「主人公のアデルはとても官能的で生きることに貪欲で、そして寛容であるというところが、あまりにもアデル・エグザルコプロスと共通項があったので、主人公にアデルという名前を付けました。コミックでは主人公は、クレモンティーヌという名前で呼ばれているのですが、全くアデルとは別の性格です。エマに対する興味について罪悪感をもっていて、自分はどういう人間なのかと反省したり、こんな風に惹かれてはいけないと、とても否定的な考えを持っています。しかし、私の映画でのアデルの方は、もっとアバンチュールに対して自由でオープンで、彼女自身が突き進んでいくことに何のためらいもないのです。ですから、どちらかというと彼女の方が先にエマを挑発してキスをして、誘惑します」




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映画『アデル、ブルーは熱い色』のアブデラティフ・ケシシュ監督



アデルが恋するエマにレア・セドゥを起用した理由については次のように説明する。



「エマという人物は、知的で文化的な教養も高いブルジョアの階級、それをレア・セドゥだったら体現出来るだろうと思いました。ふたりの間に惹かれ合うという信憑性というか、説得力があるかというところで、このふたりだったらそういう激しい愛を体現することが出来ると確信したのです」




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映画『アデル、ブルーは熱い色』より アデル役のアデル・エグザルコプロス © 2013- WILD BUNCH - QUAT’S SOUS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – SCOPE PICTURES – RTBF (Télévision belge) - VERTIGO FILMS



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映画『アデル、ブルーは熱い色』より エマ役のレア・セドゥ © 2013- WILD BUNCH - QUAT’S SOUS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – SCOPE PICTURES – RTBF (Télévision belge) - VERTIGO FILMS



台本や台詞は綿密に作られているものの、実際の撮影現場でのリズムを大切にし、現実の生活と同じように直感を大切にして臨む、と監督は語る。



「アデルは失恋の大きな痛手を経たことによって、自分の中にあった力というものに気づき、また新たな飛躍をしていく、そしてもっと建設的なやり方でその経験を活かしていく、決して、破壊的なところがないのです。まるでその経験を未来へのスーツケースを手にしたように活かしていくのです」



アデルはとても英雄的な人物




ケシシュ監督の特徴と言えるクロース・アップと切り返しを多用した登場人物への親密な視点、そして演技していることを意識させないリアルな演出スタイルは今作でも発揮されている。2台のカメラで800時間にわたる撮影のなかで、例えばふたりが、デモが行われている路上でシュプレヒコールをあげるシーンは、実際のデモに参加し、周囲の人々の協力を得て撮影されたという。





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映画『アデル、ブルーは熱い色』より © 2013- WILD BUNCH - QUAT’S SOUS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – SCOPE PICTURES – RTBF (Télévision belge) - VERTIGO FILMS



また、アデルが高校生、そしてエマがアートを専攻しているふたりと周囲の人々との会話のなかには、「危険な関係」 「マリアンヌの生涯」といったフランス文学や、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレといった画家などへの言及も随所に盛り込まれている。そうした美術や文学と生活の関わりが、生々しくありながら美しい構図で切り取られている。そして『クスクス粒の秘密』に続く、官能的な食事のシーン──今回はトマトソースのスパゲティ──もぜひ堪能してもらいたい。



「これまでの私の作品に比べて、美学的なものの側面をこの映画に与えたかったのです。芸術や絵画、美しさというものを、全てのカットでとは言いませんが、かなりのカットでより高いレベルで表現したいと思いました。まるでひとつのカットがひとつの絵画のように思えるほどのレベルです。だからこそ今回私は色や光の当て方や、そういうものの調和をとることにかなり力を注ぎました」





運命的な出会いの後、アデルは教師になり、画家になったエマのモデルをつとめながら続ける共同生活を経て、ふたりの関係がどのように変化していくのかをカメラは追う。異なる性格、異なる階級に属するふたりの関係性を、ケシシュ監督は彼女たちの生活に寄り添うように描いている。



「情熱的な恋愛を生きながら、仕事を全うしている人物を描くということは非常に興味深いと思ったのです。自分の心が深く傷ついていても、自分の義務というものを全うしている、そういうところではやはり人間にとって勇気が必要なのです。失恋の悲しみはとても深いものがありますからね。彼女は真正面から立ち向かって、義務をやってのける、そういう意味ではアデルはとても英雄的な人物だなと思います。かなりの勇気を持って、果敢にそれに直面していくわけですから。自分の仕事を全うするために」



(オフィシャル・インタビューより)









アブデラティフ・ケシシュ プロフィール



1960年12月7日チュニジアで生まれ、6歳の時に南仏ニースに移住。アンティーブの国立演劇学校で学び、コート・ダジュール周辺の舞台で活躍。映画俳優としてアンドレ・テシネの『イノセンツ』(87)に出演。その後、監督を目指してさまざまな脚本を手がけるが、なかなか製作資金を得られなかったところ、『ヴォルテールのせい』の企画がプロデューサーの目にとまり、2000年に監督デビュー。ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。その後『身をかわして』(04)が、05年のセザール賞最優秀作品賞、最優秀監督賞、脚本賞、新人女優賞の4部門を獲得。長編第3作『クスクス粒の秘密』(07)でヴェネチア国際映画祭の審査委員特別賞、国際映画批評家連盟賞などを受賞。さらにセザール賞でも再び最優秀作品賞、監督賞、脚本賞、新人女優賞の4部門で受賞。10年には、初の時代劇となる『黒いヴィーナス』を再度ヴェネチア国際映画祭に出品。13年、ジュリー・マロのコミック『Le bleu est une couleur chaude / Blue is the warmest color』を映画化した『アデル、ブルーは熱い色』を第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品。満場一致で最高賞パルムドールに輝く。主演女優ふたりにもパルムドールが授与されるという史上初の快挙を成し遂げた。










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映画『アデル、ブルーは熱い色』より © 2013- WILD BUNCH - QUAT’S SOUS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – SCOPE PICTURES – RTBF (Télévision belge) - VERTIGO FILMS



映画『アデル、ブルーは熱い色』

2014年4月5(土)より新宿バルト9、Bunkamura ル・シネマ、

ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー




運命の相手は、ひと目でわかる──それは本当だった。高校生のアデルは、道ですれ違ったブルーの髪の女に、一瞬で心を奪われる。夢に見るほど彼女を追い求めていたその時、偶然バーでの再会を果たす。彼女の名はエマ、画家を志す美学生。アデルはエマのミステリアスな雰囲気と、豊かな知性と感性に魅了される。やがて初めて知った愛の歓びに、身も心も一途にのめり込んで行くアデル。数年後、教師になる夢を叶えたアデルは、画家になったエマのモデルをつとめながら彼女と暮らし、幸せな日々を送っていた。ところが、エマが絵の披露かねて友人たちを招いたパーティの後、急に彼女の態度が変わってしまう。淋しさに耐えかねたアデルは、愚かな行動に出てしまうのだが──。




監督・脚本:アブデラティフ・ケシシュ

原作:ジュリー・マロ「ブルーは熱い色」(DU BOOKS)

出演:レア・セドゥ、アデル・エグザルコプロス、サリム・ケシゥシュ、モナ・ヴァルラヴェンほか

撮影監督:ソフィアン・エル=ファニ

音響:ジェローム・シュヌヴォワ

編集:アルベルティーヌ・ラステラ、カミーユ・トゥブキ、ジャン=マリー・ランジェレ、ガリア・ラクロワ

製作:アルカトラス・フィルム、オリヴィエ・テリ・ラピニ、ローランス・クレルク

製作総指揮:クァス・フィルム、アブデラティフ・ケシシュ、ワイルドバンチ、ヴァンサン・マラヴァル、ブライム・シウア

原題:LA VIE D'ADELE CHAPITRES 1 ET 2/2013年/フランス/フランス語/179分/ヴィスタ/R18+

日本語字幕:松岡葉子

後援:フランス大使館、アンステチュ・フランセ日本

協力:ユニフランス・フィルムズ




公式サイト:http://adele-blue.com

公式Facebook:https://www.facebook.com/adelebluemovie

公式Twitter:https://twitter.com/adelebluemovie







▼映画『アデル、ブルーは熱い色』予告編


[youtube:l3ofzqH5i_4]

この大虐殺には日本も関与していた─映画『アクト・オブ・キリング』デヴィ夫人によるトーク全文

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映画『アクト・オブ・キリング』より © Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012


60年代にインドネシアで行われた100万人規模の大虐殺。その実行者たちにカメラを向け、虐殺の模様を映画化するために彼らに殺人を演じさせたドキュメンタリー『アクト・オブ・キリング』が4月12日(土)よりロードショー。公開にあたり、3月25日にシネマート六本木で行われた特別試写会で、元インドネシア・スカルノ大統領夫人のデヴィ夫人、そしてジョシュア・オッペンハイマー監督が登壇した。



デヴィ夫人は1962年、当時のインドネシア大統領スカルノと結婚し、第三夫人となった。1965年9月30日に、後に「9.30 事件」と呼ばれる軍事クーデターが勃発。夫スカルノは失脚し大統領職を追われ、デヴィ夫人自身も命からがら亡命した。今作は、その「9.30 事件」によって起こった100万とも200万とも言われる虐殺を描いている。



試写会当日、映画評論家の町山智浩さんの司会により、デヴィ夫人は自らが体験したクーデターの現場の模様や、アメリカや日本が当時の政権を支持することでクーデターや虐殺に関与していたことを生々しく語った。



今回は、映画が映しだしている事件を間近に知るデヴィ夫人によるトークの全文、そしてジョシュア・オッペンハイマー監督が制作の経緯を語ったインタビューを掲載する。










デヴィ夫人によるトーク





「当時日本の佐藤首相はポケットマネー600万円を、

殺戮を繰り返していた人に資金として与えていた」




デヴィ夫人:スカルノ大統領は別に共産主義者ではありませんし、共産国とそんなに親しくしていたわけではありません。あの当時(この映画の背景となっている1965年9月30日にインドネシアで発生した軍事クーデター「9・30事件」)、アメリカとソ連のパワーが世界を牛耳っていた時に、スカルノ大統領は中立国として、アジアやアフリカ、ラテンアメリカの勢力を結集して第三勢力というものをつくろうと頑張っていた為に、ホワイトハウスから大変睨まれましておりました。太平洋にある国々でアメリカの基地を拒絶したのはスカルノ大統領だけです。それらのことがありまして、ペンタゴン(アメリカの国防総省)からスカルノ大統領は憎まれておりました。アメリカを敵に回すということはどういうことかというのは、皆さま私が説明しなくてもお分かりになっていただけるかと思います。



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映画『アクト・オブ・キリング』の試写会に登壇したデヴィ夫人



1965年の10月1日未明にスカルノ大統領の護衛隊の一部が6人の将軍を殺害するという事件が起きてしまいました。(この事件は)その6人の将軍たちが、10月10日の建国の日にクーデターを起こそうとしているとして、その前にその将軍たちをとらえてしまおう、ということだったんですが、実際には、とらえただけではなく殺戮があったんです。建国の日には、大統領官邸の前にインドネシアの全ての武器、全兵隊が集まり、その前で立ってスピーチをする予定だったものですから、そこで暗殺をするというのは一番簡単なことだったわけなんです。エジプトのアンワル大統領(アンワル・アッ=サーダート)も軍隊の行進の最中に暗殺されたということは皆さまもご存知かと思いますが、そういったことが行われようとしていたということなんです。





7番目に偉かった将軍がスハルト将軍で、10月1日の朝早くに、インドネシアの放送局を占領しまして、「昨夜、共産党によるクーデターがあった」「将軍たちが殺害された」と言って、すぐに共産党のせいにしました。そして赤狩りと称するものを正当化して、国民の怒りを毎日毎日あおって、1965年の暮れから1966年、1967年にかけまして、100万人とも200万人ともいわれるインドネシアの人たち、共産党とされた人、ないしはまったく無関係のスカルノ信仰者であるというだけで罪を着せられて殺されたといった事件が起こりました。この度、この映画で初めてそれが事実であるということが証明されて、私は大変嬉しく思っておりまして、ジョシュア・オッペンハイマー監督には、その偉業を本当に心から心から感謝してやみません。何十年間と汚名をきたまんまでいたスカルノ大統領ですが、この映画で真実が世界的に広まる、ということにおいて、私は本当に嬉しくて、心より感謝をしております。




町山:クーデターが起こった時、どちらにおられましたか?




デヴィ夫人:私はジャカルタにおりました。大統領もジャカルタにおりました。(スハルト将軍は)大変頭の良い方で、それがクーデターだとなったというのは結果的なもののわけで、要するに、その当時のインドネシアの情勢を完全に彼が握ってしまったということなんですね。そして当時の空軍、海軍の指導者たちにも国民から疑いの眼を向けられるようにしたりしました(*スハルトは陸軍大臣兼陸軍参謀総長)。その当時のアメリカ、日本はスハルト将軍を支援しています。佐藤(栄作)首相の時代だったのですが、佐藤首相はご自分のポケットマネーを600万円、その当時の斉藤鎮男大使に渡して、その暴徒たち、殺戮を繰り返していた人に対して資金を与えているんですね。そういう方が後にノーベル平和賞を受けた、ということに、私は大変な憤慨をしております。



町山:事件が起こった時は、大統領官邸にいらっしゃったんですか?



デヴィ夫人:私はヤソオ宮殿におりました。



町山:戦車が出たり、大変な事態になっていたわけですよね?



デヴィ夫人:そうですね。もうホントに夜は……。あの時は誰が味方で誰が敵か、もう分からない状態で……。戦車の音がゴーッ、と響き渡っていて。私はその音で飛び起きていました。(何か起こった時には)窓を飛び降りて、庭を突っ切って、ヤソオ宮殿の裏にある川の中に身を沈めて、竹をもって日本の忍者みたいにあの冷たい川の中で何分くらいいられるのか、走って何分くらいでそこに辿り着けるか、そんなことを考えて、毎晩ズボンを履いて寝ていました。



町山:宮殿の中で身を潜めていたんですか?



デヴィ夫人:そうですね。私のところには護衛官はいましたけど、護衛官は8人ずつの交代制でおりまして、事件当時は30人~40人に増えましたけれども、その人たちがいつ裏切るかも分からないですし、その人たちが味方なのかスパイなのかも分からない状態でした。



町山:日本大使館に逃げ込んだり、ということは考えられませんでしたか?



デヴィ夫人:私自身が大使館の中に逃げ込むということはしませんでした。日本政府にご迷惑がかかると思いましたので。ただ、その当時私が持っておりました高価なものをお預けしました。そうしましたら、斉藤鎮男大使が私の預けたものを庭に放り出したという噂を聞きまして、その当時の大使のところにいらした料理人夫妻が、わたしが預けたものを全部私のところに届けにきてくれました。その後彼は、日本の外務省にとんでもない報告をしまして、その報告によって日本は、スハルト将軍応援のほうにまわったんです。この斉藤鎮男大使というのは、その当時のアメリカ大使と非常に親しくしておりました。このアメリカの大使は赴任する先々で内乱がおきたり、クーデターがおきたりする方で有名な大使だったんです。




「虐殺をしていた人間がそれを再現する、

その恐ろしさに身震いをした」





町山:その当時、スカルノ大統領は監禁された状態だったのですか?



デヴィ夫人:その時はまだ監禁されておりませんでしたが、その後、ヤソオ宮殿のほうに幽閉されて、家族とも会えない状態になりました。私は武装された人間たちに警護されていましたが、その警護はいつ敵になるか分からない、という不安がございました。




町山:虐殺が行われていたということを当時は知っていましたか?



デヴィ夫人:はい。PKI(Partai Komunis Indonesia/インドネシア共産党)というんですが、その当時のインドネシアの共産党の幹部たちは、言い訳もできない、そういうチャンスも何も与えられない、「自分たちは無実だ」とは言っていましたけれども、逃げるしか無いということで逃げまわりましたけれども、結局全員捕まって、虐殺されています。その内の一人で、ニョトという幹部がいたんですが、この方が全身を針金で縛られてその針金を引っ張られて亡くなったというニュースを見ていて、まさかそんなことがと思っていたんですが、この映画をみると、そういったことが(確かに)あったんだと……。




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映画『アクト・オブ・キリング』の試写会にて、左より、デヴィ夫人、ジョシュア・オッペンハイマー監督、町山智浩さん




町山:そのシーンでてきますね。この映画を観たご感想はいかがでした?



デヴィ夫人:1966年を中心にインドネシアで大虐殺があって、(この映画では)メダンの周りの虐殺しか出てこないんですが、もうジャワ中、それからバリ、スワベシ、スマトラ、もう村から村へと、総なめに殺害されていました。その時にあれだけの人間が殺害されていたのに国連が全然動かなかったんです。国連は完全にアメリカの影響下にあったということがこれでよく分かると思うんですけれども、いずれにしましても、スカルノ大統領は第三勢力というものを作り上げようとした、アメリカに基地を与えなかった、そしてアジア・アフリカのリーダーとなっていたということで、アメリカにとってスカルノ大統領は目の上のたんこぶだったんですね。なので、彼はアメリカによって5回くらい暗殺を仕掛けられたんですが、幸いに神のご加護か、助かって来たわけですけれども。とにかくこれは(その虐殺を証明する)大変貴重な映画で、(映画を通して)初めて真実が世界に伝わるのではないかなと思います。



普通は殺人を犯した人間が、虐殺をしていた人間が、それを再現するという神経、これは非常に異常なことだと思うんですね。監督がそれを虐殺者にそれを演じさせるという、どのように話を持っていったのかは映画をご覧になれば分かりますけれども、最初この映画いったい何なのかしら?と分からなかったんですけれども、段々引きこまれてその恐ろしさに身震いをしました。



(3月25日、シネマート六本木にて)












オッペンハイマー監督インタビュー



「スタッフを匿名にしているのは、

いまだ、彼らの身に危険が及ぶかもしれないからです」




──どのような動機でこの作品を作ったのですか。



「この作品を撮る前、そもそもインドネシアに行ったのはヤシ油を採るヤシ農園の労働者たちが組合を作ろうとする様子を記録するためでした。スハルト政権後、ベルギーの会社に雇われた女性たちが、肝臓を痛めるような除草剤を使わされるなど過酷な労働環境にありましたが、組合を作ろうとするとパンチャシラ青年団(極右軍事集団)から脅迫され攻撃される、といったことがあり、そんな彼らの葛藤を記録するのが目的でした。アメリカの関与のレベルというのははっきりとはしていませんが、アメリカは少なくともインドネシア軍に死のリスト、多くはジャーナリストでしたが、新体制に反対する人々の名前を渡していたということは明らかですし、武器や資金を援助していたことも分かっています。その事実が、私がこの映画を作るモチベーションの一つになったことは間違いありません」




「この作品はもともと、虐殺の生存者たちと一緒に作り始めました。彼らがなぜ今も恐怖を感じているのか、加害者たちが未だに周りにいて、いつ同じことが起こってもおかしくない状況で生活するとはどういうことかを描こうとしていました。しかし撮影を始めた2003年、軍から脅迫を受け、制作をストップしなければならなくなりました。その時、生存した方々から、『加害者を取材してみてほしい』と頼まれました。危険かもしれないと思いましたが、実際に話を聞いてみると、彼らは恐ろしいディテールまでも楽しげに、時には家族の前で、笑顔で語りました。それはまるで、ホロコーストから40年後のドイツに足を運んだら、そこではまだナチスが権力をふるっていた、というような感覚でした。その撮影素材を生存者や人権団体に見せたところ、誰もが『撮影を続けてほしい。これは何かとても大事なものだ』と言いました。そして2年をかけて様々な加害者から話を聞き、今作に出演するギャングのアンワルは41人目に出逢った加害者でした。私は、被害者たちが恐怖を感じることなく自分たちの恐ろしい現実について話せる場となる映画を作りたい、という想いを持ちました」




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映画『アクト・オブ・キリング』より © Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012



──撮影にあたってのスタッフの体制はどのようなものだったのでしょうか。



「スタッフの数はとても少なかったです。ギャングのアンワルとその仲間たちが、どのシーンを撮影するかといったことを議論しているあたりはなるべく地元の方々と一緒に作り上げてほしいと思いました。ですからパンチャシラ青年団の団員を助監督に雇い、国営テレビの昼ドラに関わっている現地のスタッフに参加してもらい、いくつかのシーンを演出してもらっています。しかし、核となるスタッフは5、6人でしたので、かなり大変なこともありました」



──多くのスタッフが匿名になっている理由は?



「匿名にしているのは、いまだ、彼らの身に危険が及ぶかもしれないからです。大学教授、記者、人権団体のリーダーでしたが、自分のキャリアを変えてまで、8年間という時間をこの作品のために費やしてくれました。それも、この国に本当の意味での変化が起こらない限りは自分の名前は明かせない、ということを知ってのことでした」




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映画『アクト・オブ・キリング』より © Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012



──この作品が完成したことが、アンワルと仲間たち、スポーツ副大臣らにどのような影響があったでしょうか。



「もちろんこの作品の制作に参加することを通じて、アンワル自身にエモーショナルな影響がありました。そしてアンワルの相棒であるヘルマンについてはパンチャシラ青年団を辞め、また、唯一メダン市でこの『アクト・オブ・キリング』を公式に上映してくれました。しかしその他に大きな変化というものはありません。もちろん、アカデミー賞ノミネートをきっかけにインドネシア政府が初めて65年の虐殺は間違いであったと公式に認める、という変化はありました。大統領のスポークスマンが、この映画に出てくるような人々を嫌悪すると述べたのです。しかし、その言葉が元副大統領やパンチャシラ青年団のリーダーを断罪することになるのだと、彼が理解していたかどうかは分かりません。政府は時間をかけて和解を達成するつもりだと言っていますが、それはこれまでの見解とは180度違うものですから、その意味では変化と言えると思います。

ジャーナリストたちもこの問題についてオープンに語れるようになったものの、記事の中にパンチャシラ青年団という具体名は登場しません。語られるとすればSNSの中だけというのが現状です。そして様々な政治家たちも特にとがめられることなく政治活動を続けていますので、そういう意味での大きな政治的変化はまだ訪れていません。マスコミでプレマン、ギャングスター、政治との癒着などは勇気を持って取り上げられるようになりましたが、実は個人名はほとんど出てきません。これはおそらくそれぞれの政治家に繋がっているチンピラたちを恐れてのことだと思います」






「西洋諸国や日本を含む各国が責任を負うべきだ」




──参加した方々が、法律的な意味で危険にさらされているということはありますか?



「法律的な観点から言えば罪に問われることはありません。国連の方で、ユーゴスラビアでもカンボジアでも行われたような形で追求することはできるはずですが、それについては国際社会、例えばアメリカやイギリスが名乗り出る必要があるため、非常に難しい状況です。ただ個人的に思うのは、これは地域だけの問題ではなく、当時の虐殺やそれを行った政権というものを指示して来た西洋諸国らが責任を負うべきであり、それは日本も例外ではありません。私は日本のエキスパートではありませんが、虐殺当時政権を支援し、その後のスハルト政権を支持して来たわけですから、そういう意味では日本の関与というのもきちんと見つめる必要があるのではないかと思います」



──監督が出演者たちに演出をして、彼らにどのように人を殺めたのか仕掛けていったように思えます。途中からその仕組みがどんどん大掛かりになっていきますが、もともとそういう予定だったのでしょうか。



「彼らがコントロールしたのは、自分たちがどういうシーンを作りたいか、そしてそれをどのように作るのか、という部分です。そういう場面でも、質問があればどんどんしましたが演出という意味では、自分はとくに何もしていません。思った通りに、自分たちの殺人を演じてみてください、とお願いしただけです。作品が彼らのもののように感じられるのは、アンワルたちに当事者意識があったからだと思います。アカデミー賞にノミネートされたときもアンワルは受賞してほしいと言っていました。それは虚栄心からではなく、自分の物語を人々に知ってほしいという想いがあったからです。初めてこの映画を観たあと、彼は僕に『自分であるということがどういうことか、これでみんなに分かってもらえる』と言い、とてもエモーショナルな反応を示していました」



「仕組みがどんどん大きくなっていった、ということに関しては、これは撮影方法によるものです。一度何かのシーンを撮る、撮り終えたらそれをアンワルに見せる、アンワルはそれを観て、おそらく自分が直視したくないものから逃げるために、『この演技は良くない、服装が良くない』と、新しいことを提案し始め、それをまた映像化する。それをまた彼に見せてフィードバックをもらう。そして撮影する、という流れの中でどんどん大掛かりになっていき、最終的にはあの滝のシーンに行き着いたわけです」




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映画『アクト・オブ・キリング』より © Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012




──登場人物たちは、この作品を観てどのような反応を示しましたか?



「アンワルには作品が出来上がったら観てほしいとずっと伝えていましたが、彼は観ることに怖じけづいてしまいました。トロント映画祭の後、彼をジャカルタにあるインターネット環境の良いホテルに連れていってもらい、スカイプを通して彼のための試写を行いました。映画を観た彼はとてもエモーショナルになり、当時の記憶が戻って来たのか、あるいはショックを受けたのか、作品が終了したあとは20分間沈黙していました。その後、バスルームへ行って戻って来た彼は『自分であることがどういうことかが分かる映画だ』と言いました。そしてまたしばらく沈黙してから、『自分のしたことをただ描くのではなく、そのことの意味が描かれていてとてもホッとしている』と言っていました。痛みを伴う経験ではあったけれど、彼の中では少し安堵する何かが感じられたのではないかと思います。その様子を見ていた私は、まるで彼の闇を一緒に見ているようでした。その闇は、おそらくみなさんも見ているものだと思います」



「『アクト・オブ・キリング』は人間であることの意味という難しい問いを投げ掛けます。過去を持つということはどういうことか?物語を語ることを通じて我々はどんな現実を作ろうとするのか?そして、最も重要なことは、我々は最も苦く、消化しがたい事実から逃がれるために、物語を利用しているのではないか?という問いです」



(オフィシャル・インタビューより)











ジョシュア・オッペンハイマー プロフィール


1974年、アメリカ、テキサス生まれ。ハーバード大学とロンドン芸術大学に学ぶ。10年以上政治的な暴力と想像力との関係を研究するため、民兵や暗殺部隊、そしてその犠牲者たちを取材してきた。これまでの作品に、シカゴ映画祭ゴールド・ヒューゴ受賞の『THE ENTIRE HISTORY OF THE LOUISIANA PURCHASE』(1998年)など。イギリス芸術・人権研究評議会のジェノサイド・アンド・ジャンル・プロジェクトの上級研究員で、これらのテーマに関する書籍を広く出版している。現在はデンマーク在住。











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映画『アクト・オブ・キリング』より © Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012




映画『アクト・オブ・キリング』

4月12日(土)、シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開





60年代のインドネシアで密かに行われた100万人規模の大虐殺。その実行者たちは、驚くべきことに、いまも“国民的英雄”として楽しげに暮らしている。映画作家ジョシュア・オッペンハイマーは人権団体の依頼で虐殺の被害者を取材していたが、当局から被害者への接触を禁止され、対象を加害者に変更。彼らが嬉々として過去の行為を再現して見せたのをきっかけに、「では、あなたたち自身で、カメラの前で演じてみませんか」と持ちかけてみた。まるで映画スター気取りで、身振り手振りで殺人の様子を詳細に演じてみせる男たち。しかし、その再演は、彼らにある変化をもたらしていく…。




製作総指揮:エロール・モリス、ヴェルナー・ヘルツォーク、アンドレ・シンガー

製作・監督:ジョシュア・オッペンハイマー

共同監督:クリスティン・シン、匿名希望

スペシャル・サンクス:ドゥシャン・マカヴェイエフ

2012年/デンマーク・ノルウェー・イギリス/インドネシア語/121分/カラー/5.1ch/ビスタ/DCP

原題:THE ACT OF KILLING

配給:トランスフォーマー

宣伝協力:ムヴィオラ




公式サイト:http://www.aok-movie.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/aok.movie

公式Twitter:https://twitter.com/aok_movie







▼映画『アクト・オブ・キリング』予告編



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メリル・ストリープ、ジュリア・ロバーツ、カンバーバッチらが合宿して臨んだ『8月の家族たち』撮影の裏側

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映画『8月の家族たち』より、メリル・ストリープとジュリア・ロバーツ © 2013 AUGUST OC FILMS, INC. All Rights Reserved.


オクラホマの片田舎を舞台に、父親の失踪をきっかけに再会した母と三姉妹の親子関係の行方を描く映画『8月の家族たち』が公開される。トレイシー・レッツによるピューリッツァー賞とトニー賞をW受賞した戯曲を映画化した今作は、初共演となるメリル・ストリープとジュリア・ロバーツを主演に、夫や恋人たちを含めたそれぞれの告白により秘密が明らかになる様がスリリングに描かれていく。ユアン・マクレガー、ベネディクト・カンバーバッチ、サム・シェパード、『リトル・ミス・サンシャイン』のアビゲイル・ブレスリンなど豪華俳優陣が一同に会する食卓シーンを始め、緊張感と笑いが交互に押し寄せるこの家族の物語について、ジョン・ウェルズ監督が語った。




ドラマティックなシーンをいかに現実的に表現するか



──どのようにして本プロジェクトを始めることになったのですか?



ブロードウェイで本作の舞台を観て、とても感銘を受けました。ある日、『カンパニー・メン』で一緒に仕事をハーヴェイ・ワインスタインとランチをしたとき、彼が「私たちが『8月の家族たち』の映画化権を持っているから、君も一緒にやろう」と言ってくれました。トレイシー・レッツはピューリッツァー賞を受賞した素晴らしい劇作家で、戯曲も映画も脚本を務めました。それらが進行するのと同時に、メリルとジュリアにも会って、一緒に作品を作り上げていくことを決めたのです。



プロデューサーについては、ジョージ・クルーニーとグラント・ヘスロヴが興味を持っていることを知って、ならば彼らに台本を渡して一緒に製作チームに入らないか聞いてみることにしました。僕とジョージの付き合いはとても長いんです。『ER』を一緒にやった中で、『ER』と同じように、ドラマティックな瞬間やシーンをいかに現実的に自然に作り出すか、という点を話しました。舞台と違って、オーバーにならずにいかに現実的に表現するか、という点が鍵でした。



AUGUST: OSAGE COUNTY

映画『8月の家族たち』のジョン・ウェルズ監督




──本編に描かれている物語をどのように捉えましたか?



この戯曲はたくさんの賞を受賞したことに加え、素晴らしいアメリカ文学の伝統を継承しているところに、とても魅力を感じました。そして最も重要なことは、家族についての物語だということです。悲劇の中でも一緒になって笑うこと、お互いを傷つけあったり、支えあったりする。とても人間的で美しく、時には愉快なものです。家族とは、私自身の家族に限ったことではなく、このように互いに影響しあうものなのだと改めて思い出させてくれたことに魅力を感じました。ブロードウェイで舞台を観たときに最初に気づいたのですが、周りの人々がそれぞれの家族のことを思い出したと話していたのです。「登場人物が兄弟に似ていた」とか「あの登場人物は母親を思い起こさせた」とか、それは文字通りの意味ではなくて、トレイシーが手掛ける作品の中には何か確固たる事実が描かれていて、それこそが私たちを魅了するものなのではないかと思うのです。





AUGUST: OSAGE COUNTY

映画『8月の家族たち』より © 2013 AUGUST OC FILMS, INC. All Rights Reserved.




カンバーバッチはオーディションで役を勝ち取った




──キャスティングのプロセスについて教えてください。



このような素晴らしいキャストが集まってくれたのはとても幸運でした。トレイシーは脚本家であると同時に俳優でもあるので、人物描写にすぐれているのです。キャスティングのプロセスはとてもシンプルでした。それは、本当に参加したい人たちが集まった、そうしたらこのような素晴らしい俳優陣がやってきてくれたという意味です。メリル・ストリープはすでに舞台を見ていて、とても興味があったようでした。私たちは配役について話しあいました。彼女がこの役をどう考えているのか、どんな落とし穴が考えられるか。ジュリアとも同じことを話し合いました。そして、他の俳優陣とも会っていきました。



──ベネディクト・カンバーバッチは、ジュリア・ロバーツ演じる長女バーバラの従弟、リトル・チャールズ役をどのように得たのですか。



彼はiPhoneでオーディション映像を送ってきましたが、それがベストだったんです。オーディションに来た他のアメリカ人の俳優が間違ったアクセントを使いがちだったのに、イギリス生まれの彼はオクラハマ・アクセントがすごくうまかった。まるで『風と共に去りぬ』みたいなアクセントでやる人がいたけれど、オクラハマのアクセントはちょっと違うんです。





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映画『8月の家族たち』より、チャールズ役のベネディクト・カンバーバッチ © 2013 AUGUST OC FILMS, INC. All Rights Reserved.




──キャスト全員でオクラホマで合宿をしながら撮影したそうですね。



家族という雰囲気の中で撮影したかったんです。現場となったオクラハマ州のバトルフィールド地方には、それほど素敵なホテルはなかったので、タウンハウス団地みたいなところを見つけたんです。まだカーペットも敷かれていないような真新しい家に全員がそれぞれ住んで……例えばメリル・ストリープの家はクリス・クーパーの家の隣で。その隣がジュリア・ロバーツで、といった感じでした。皆が一緒に食事をしたりテレビを見たり、作った食事を皆で分け合ったりして共同生活をしました。夕食は、誰かがメインコースを作れば他の人がサラダやデザートを持ち寄ったり。メリルはちょうどマーゴ・マーティンデイルが演じた叔母のような、女王蜂みたいな存在でしたね。すごく料理が上手で、手作りのごちそうを今回は堪能させてもらいました(笑)。



ロケで撮影する利点の一つとして、俳優たちが家族の役をする場合、一緒に食事をしたり、同じ時間をたくさん過ごすので、本物の家族になれるのです。遠く離れた場所で同じ時間を過ごすので、撮影の間に構築される何かが必ずあります。そしてコミュニティーの中に入って、つまりオーサージの人々と出会って時間を過ごし、レストランで食事をしたりして、彼らがどんな人々かを理解するのです。オーサージの人々は、赤か青か、というハッキリとした観念を持っています。仮に異なる意見を持っていても、実際に現地を訪れて、彼らと時間を過ごせば、そんな違いは大したものではないと分かるでしょうし、彼らも私たちと同じように感じていました。違う場所の出身でも、過ごす経験は普遍的なのです。この映画は家族と、家族がどう一緒に過ごしていくかということについての普遍的な物語です。観た方に、俳優たちがずっと前からそこに暮らしていた場所だという印象を与えていたら素晴らしいですね。




──撮影現場でのメリル・ストリープとジュリア・ロバーツの様子はいかがでしたか?



とってもフレンドリーな雰囲気でした。撮影が進行するにつれて、ゆっくりとそれぞれが演じているキャラのような雰囲気へと変化していきました。口論のシーンはかなり熱が入っていました。撮影現場は笑いに溢れていました。何しろ作品自体すごくテンションの高い内容ですから、休憩時間にはそのテンションを休める必要がありました。




互いの人生経験を知っているかのような家族のリズムが生まれた夕食のシーン



──サム・シェパード以外のキャスト全員が、ダイニングルームのテーブルに座って話をしているシーンがあります。この場面の演出方法について教えてください。



本編の中で最も重要なシーンのひとつが、この19ページにもわたる家族全員が一つのテーブルに集まる夕食のシーンです。私たちはそのシーンを演じるのを恐れていました。なぜなら、長い時間テーブルの上のチキンを見て話しているだけでしたから。しかし何度もリハーサルを繰り返すことで、劇的なものになったと思います。全員が日常生活そのままに夕食をとりはじめていました。まるで互いのいろんな人生経験を知っているかのような、家族のリズムがありました。腹を立てた出来事、幸せに感じた出来事、恥ずかしい思い出などの家族の歴史を知っているかのようでした。私たち全員にとって「この夕食のシーンは、かつて想像していたのとは全く違うものになった人生を祝うためのものなんだ」という感覚がありました。



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映画『8月の家族たち』より © 2013 AUGUST OC FILMS, INC. All Rights Reserved.



──舞台作品を映画にすることの難しさについては?



戯曲を映画化すること、より視覚的にすることは常に難しいです。どんな舞台作品であれ、映画化するということは密閉された空間で作業をするようなものです。撮影をオーサージ郡で行った理由の一つとして、たくさんのシーンを撮影することができたことが挙げられます。例えばドライブのシーンや、観客にその場所のスケールの大きさを与えることができるような場面を撮影したかったのです。舞台でも映画でも、難しい境遇に立たされたかどうかに関わらず、生きていくことは難しいということをこの物語は語っています。オープニングから、厳しくも美しいこの地域の映像から観客は、そこで生きてきた原住民、そして登場人物がどのように生き延びているのかを知ることになります。トレイシーと「このシーンはどこで撮影すべきか」を話し合いながら進めていきました。そうした作業はとても楽しかったですし、実際にドラマツルギー(劇作法)の助けになりました。




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映画『8月の家族たち』より © 2013 AUGUST OC FILMS, INC. All Rights Reserved.




──今回の撮影チームについて教えてください。



まず、映画の撮影監督としてアドリアーノ・ゴールドマンを迎えられたのは大変幸運なことでした。『闇の列車、光の旅』や『ジェーン・エア』など、彼の作品は大好きなのです。私たちが求めていたのは、ここが本当に美しい場所だという感覚でした。とても美しい土地だけれど、身近で、興味深い。ただ内部空間の美しさや光の当て方だけでなく、私たちが目にしたすべての世界そのものです。そして、ずっと一緒に仕事をしたいと思っていたデヴィッド・グロップマンが、本作でプロダクション・デザインを務めてくれました。彼とそのチームスタッフが、壁紙、塗装、絨毯、全ての引き出しの中の細かいもの、食器棚にあるスパイスボトル……すべて一つ一つ細かくこの家すべてに息吹を与えてくれました。現場にきた多くの人々が「まさにおばあちゃんの家や叔父さんの家、自分が育った家のようだ」と話していました。衣装デザインのシンディ・エヴァンスも素晴らしい仕事を成し遂げてくれました。



──最後に、この映画のどこが最も気に入っていますか?



一緒に仕事をした全員と言うべきでしょう。衣装デザイナーや撮影など、すべてのチームが素晴らしかったです。俳優たちも、テーブルを見ると、メリル・ストリープとジュリア・ロバーツ、ダーモット・マローニー、クリス・クーパー、アビゲイル・ブレスリン、ジュリアンヌ・ニコルソン、ジュリエット・ルイス、マーゴ・マーティンデイル、ユアン・マクレガーがいて……これらの俳優陣が参加して、脚本で美しく書かれた場面に命を吹き込まれるのを見るのは喜びでしたね。



(オフィシャル・インタビューより)










ジョン・ウェルズ プロフィール




過去20年間にわたって「ER 緊急救命室」、「ザ・ホワイトハウス」、「サード・ウォッチ」を含むテレビドラマのヒットシリーズを手掛け、自身の製作作品は270作品以上がエミー賞にノミネート、うち55作品が受賞している。2011年、ベン・アフレックを主演に迎えた『カンパニー・メン』で長編映画監督デビュー。監督の他に脚本・製作も担当し、ニューヨーク映画批評家オンライン賞新人監督賞を受賞。その他、製作として携わった作品に『エデンより彼方に』『ホワイト・オランダ―』(共に02)、『バレエ・カンパニー』(03)、『アイム・ノット・ゼア』(07)、『美しすぎる母』(08)などがある。












『8月の家族たち』

4月18日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー



8月の真夏日。父親が失踪したと知らされ、オクラホマにある実家へ集まった三姉妹。真面目すぎて暴走しがちな長女バーバラと、反抗期の娘、実は別居中の夫。ひとり地元に残り秘密の恋をしている次女アイヴィー。自由奔放な三女カレンと、その不審な婚約者。迎えるのは、闘病中だが気が強く、率直で毒舌家の母ヴァイオレットと、その妹家族。生活も思惑もバラバラな“家族たち”は、つい言わなくてもいい本音をぶつけあい、ありえない“隠しごと”の数々が明るみに――。なぜ父は消えたのか? 家族はひとつになれるのか?



製作:ジョージ・クルーニー/グラント・ヘスロヴ

監督:ジョン・ウェルズ

原作:トレイシー・レッツ「August: Osage County」

脚本:トレイシー・レッツ

出演:メリル・ストリープ、ジュリア・ロバーツ、ユアン・マクレガー、クリス・クーパー、アビゲイル・ブレスリン、ベネディクト・カンバーバッチ、ジュリエット・ルイス、マーゴ・マーティンデイル、ダーモット・マローニー、ジュリアン・ニコルソン、サム・シェパード、ミスティ・アッパム

撮影:アドリアーノ・ゴールドマン

美術:デヴィッド・グロップマン

衣装:シンディ・エバンス

編集:スティーブン・ミリオン

音楽:カーター・バーウェル

提供:アスミック・エース WOWOW

配給:アスミック・エース

2013年/アメリカ/カラー/121分/スコープサイズ/ドルビーデジタル




公式サイト:http://august.asmik-ace.co.jp

公式Facebook:https://www.facebook.com/AsmikAceEntertainment

公式Twitter:https://twitter.com/asmik_ace







▼映画『8月の家族たち』予告編


[youtube:oPwt0m3MwCo]

人は未来を受け入れ、過去の重みを捨てることができるか─イランのファルハディ監督が新作に込めた思い

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映画『ある過去の行方』より © Memento Films Production - France 3 Cinema - Bim Distribuzione - Alvy Distribution - CN3 Productions 2013



2011年の『別離』でアカデミー賞外国語映画賞受賞、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞など世界の映画祭を席巻したイランのアスガー・ファルハディ監督の『ある過去の行方』が4月19日(土)より公開される。パリを舞台に、フランス人の妻マリー=アンヌと、別れたイラン人の夫アーマド、マリー=アンヌの新しい恋人サミールを巡る愛憎や確執を通して、彼女と家族が背負う過去が明らかになっていく様をサスペンスフルに描いている。『アーティスト』のベレニス・ベジョ、『預言者』『パリ、ただよう花』のタハール・ラヒムを主演に迎え、緻密な脚本と人間の複雑な深層心理と残酷なまでに浮かび上がらせる演出力により人間のモラルを問うファルハディ監督が、今作の制作の経緯を語った。



パリを舞台にした理由



──『別離』と『ある過去の行方』を製作する間に他の映画の企画にもとりかかっていましたが、その後の経緯を教えてください。



確かに『彼女が消えた浜辺』を製作後、ベルリン滞在中に他の映画の脚本を一本書きました。その後、『別離』を撮影したのですが、フランスで配給したアレクサンドル・マレ=ギイがそのもう一本の脚本を読ませてくれないかと頼んできました。彼はその脚本を気に入り、ドイツまたはフランスでぜひ製作したいと申し出てくれました。そこでロケハンの結果、舞台をパリに決め、その企画にとりかかることにしました。しかしある日、我々がカフェでその企画について話しをしていたとき、別のストーリーも頭の中にあると突然私が言い出したのです。それはまだシノプシスの段階でしたが、ストーリーを語るにつれ、すでに何かが形になりつつあることに気がつきました。私のなかで別のストーリーが動きだしていたのです。そこで、我々はその新しいストーリーに移行することにし、私は企画を練り、すぐさまトリートメント(シノプシスと脚本の中間にあたる要約)を書きあげました。こうして『ある過去の行方』が生まれました。『ある過去の行方』の舞台がパリであるということは、とても重要な意味を持ちます。過去を扱うストーリーを語るとき、パリのように過去が滲み出ている街を舞台にする必要があるからです。どこでも成立するというわけではありません。



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映画『ある過去の行方』のアスガー・ファルハディ監督



──しかし、パリの歴史的な面は映画のなかで描かれていません。



パリの建築物の歴史的側面を乱用しないように、また、観光的な見せ方をしないように、重々気をつけました。映画の大部分を占める主人公の家をパリ郊外に設定し、パリはあくまで背景として登場させることをかなり早い段階で決めていました。さりげなく登場させるのです。なじみのない土地で撮影する映画監督にとっての落とし穴、それは最初に目を引かれたものに焦点を当ててしまうことです。私は真逆のことをしようと試みました。街の建築物に魅了された私は、あえてその先にある別のものに触れようとしたのです。



──脚本の執筆作業について教えてください。物語はどのように組み立てましたか?



私の作品のすべてのストーリーは時系列に書かれていません。私は常に複数のストーリーを同時に展開していき、ある共有する状況でそれらを合流させます。まず、数年前から離れて暮らしている妻との離婚手続きをするため、妻のもとに戻ってくる一人の男のストーリーがあります。次に、妻が昏睡状態で子どもの面倒をみなければならないもう一人の男のストーリーがあります。これらのストーリーを別々にふくらませ、最終的にひとつの状況へと導くのです。私は脚本を直感的に書きます。まずシノプシスから始めて、限られた情報からより多くのことを知るために、疑問を投げかけていきます。この男は離婚をするためにやってきたわけだが、そもそもなぜ妻のもとを4年前に去ったのだろうか?と自問します。そして妻の家に戻ってきた今、何が起きようとしているのか。たった数行から次々に疑問が生じ、それらに答えていくことで自ずと物語が構築されていくのです。



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映画『ある過去の行方』より © Memento Films Production - France 3 Cinema - Bim Distribuzione - Alvy Distribution - CN3 Productions 2013


登場人物たちを国籍や国旗によって定義づけない



──フランス人ならではの生き方、暮らし方は脚本にどのような影響を与えましたか?



フランスとイランの違いについてとても考えました。もし舞台がイランだったら、何がどのように違っていただろうかと。私の映画では、登場人物たちは自分たちを間接的に表現します。それは、私の文化の一部でもありますが、ストーリーを展開するために必要な要素としてその特質を利用してきました。しかし、フランス人だとそうはいきません。もちろん状況にもよりますが、一般的にフランス人はより直接的に表現します。そこで、フランス人の役には、今までの登場人物たちにはなかったそのような特質を付け加えていくという作業が必要でした。しかし容易い作業ではなかったので、脚本執筆の時間をその作業にかなり費やしました。




──興味深いことに、あるイラン人の登場人物によって他の人物たちが語り始めますね。



彼は触媒のような存在です。それぞれが長い間、黙っていたことをその本人の口から引き出します。しかも彼自身はそのことに無自覚です。本作で私が指針としたことのひとつは、登場人物たちを国籍や国旗によって定義づけないということでした。彼らの行動は、あくまで彼らが体験しているその状況が導きだすものです。危機的状況では、それぞれの異質性は隠れがちです。




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映画『ある過去の行方』より © Memento Films Production - France 3 Cinema - Bim Distribuzione - Alvy Distribution - CN3 Productions 2013


──主人公マリー=アンヌの恋人サミールは、昏睡状態にある妻を看病しているという設定です。どのようにこの着想を得たのですか。



私は昏睡状態にまつわる個人的な体験は今までしたことがありません。しかし、昏睡状態の不透明感や生と死の狭間について、また、彼等は死んでいると見なされるべきなのか、生きていると見なされるべきなのかなど、常に考えてきました。本作はこの疑問の上にすべて成り立っていると言えます。登場人物たちは常に二者択一のジレンマに直面します。『別離』でも、父親の幸せと娘の幸せ、どちらを選択すべきかという決して珍しくはないけれども、難しいジレンマに直面しなければなりませんでした。『ある過去の行方』で投げかけられる問題は少し異なっています。過去に忠実であるべきか、それとも過去を捨て未来に向かって進むべきかが、本作では問われます。



──現代生活の複雑さが、このようなジレンマを増幅させていると思いますか?



そうかもしれません。未来は未知であるがために曖昧だと思われがちですが、私は過去の方がよほど不明瞭で曖昧だと思っています。過去の痕跡は残されているので、鮮明でより身近に感じられるはずですが、写真やメールは過去を確かなものにするための役には立ちません。現代では、過去は顧みられず、人生は進んでいきます。しかし、それでも過去は暗い影を落とし、我々を引き止めようとします。未来を受け入れようとどれだけ固く決意しても、過去の重みがのしかかってくるのです。ヨーロッパを含め、世界中どこでも共通の真理ではないでしょうか。




べレニス・べジョは〈疑念〉を演じることができる女優



──べレニス・ベジョはどのようにキャスティングしたのですか?



アメリカで『アーティスト』のプロモーション活動中の彼女と初めて会いました。温かく誠実な女性だということがすぐに分かり、彼女となら理解しあえると思いました。『アーティスト』での彼女の演技を観て、彼女が賢明な女優であるということも知っていました。俳優を選ぶ際に私が求める二つの特質があります。ひとつは賢さです。そしてもうひとつは、ポジティブなエネルギーをスクリーンから放つことができるということです。観客が一緒に時間を過ごすのにふさわしい魅力的な人物でなくてはなりません。




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映画『ある過去の行方』より、べレニス・べジョ © Memento Films Production - France 3 Cinema - Bim Distribuzione - Alvy Distribution - CN3 Productions 2013



──リハーサル初日、あなたが彼女の顔に何かを探していたと彼女は話していました。それは何だったのですか?



マリー=アンヌの最も重要な特徴である〈疑念〉です。ベレニス・ベジョ本人はあまり〈疑念〉を抱くタイプではありません。しかし、リハーサルで彼女が〈疑念〉を演じることができる女優であるということはすぐに分かりました。



──マリー=アンヌが登場人物を巡る状況を刺激することによって、物事が進んでいきますね。



彼女は過去にとらわれず、前に進もうと最も強く思っている人物です。実際にそれが可能かどうかは誰にもわかりませんが。彼女の元夫アーマドや新しい恋人サミールといった男性たちの方が過去を引きずっています。マリー=アンヌの最後のシーンで、彼女は我々の方へ、カメラに向かって歩いてきます。背後にいるアーマドに彼女は言います、「もう過去は振り返らない」。そして彼女はカメラと我々に背を向けて、立ち去ります。その時点で、彼女が最も進歩した登場人物だと言えるでしょう。なぜか私の映画では、女性がいつもこのような役を与えられます。『別離』でもそうでした。





──サミールを演じたタハール・ラヒムの素晴らしさについて教えてください。



イランで『預言者』を観て、彼が幅広い演技技術によって複雑な役も演じることができる、非常に優れた役者であるということがすぐに分かりました。そこで彼とぜひ一緒に仕事をしようと思いました。今回、彼自身の特質として最もありがたかったのは、彼の子供時代にまつわる感情や反応が、今だに彼のなかで鮮明であったことです。




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映画『ある過去の行方』より、タハール・ラヒム © Memento Films Production - France 3 Cinema - Bim Distribuzione - Alvy Distribution - CN3 Productions 2013




──元夫のアーマド役にアリ・モッサファをキャスティングした理由を教えてください。



彼は役者としてはもちろん、ひとりの人間としても特別なものを持っていました。彼独自の何かが、顔やそのあり方に表れています。とても豊潤な精神世界を持っていながら、ほとんどそれを表に出さないような印象があります。他人を引き寄せる何かを持っていて、誰もが彼についてもっと知りたくなります。アリを配役したことによって、役柄にも彼本人が持つそのような面を織り込んでいきました。現実的なことを話せば、フランス語が話せるイラン人のプロの俳優が必要だったので、選択肢が限られていました。そして彼に決めてからも、言語を習得するのに数週間の準備期間で足りるのかどうか心配でした。しかし、彼がパリに降り立ったときから、撮影初日までの彼のフランス語の上達ぶりには誰もが感心しました。



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映画『ある過去の行方』より、アーマド役のアリ・モッサファ(中央) © Memento Films Production - France 3 Cinema - Bim Distribuzione - Alvy Distribution - CN3 Productions 2013


──アーマドはサミールより知的な人物として描こうとしましたか?



彼は常に動いていないといられない人物です。どこかに行っても、到着するやいなやバイクや水道など、つい何でも修理し始めてしまうようなタイプです。慣れない場所に行くとじっとしていることを強いられるので、落ち着かないのです。アーマドにとって、じっとしていることは苦痛です。そこで我々は、彼がある受動的な時期を過ごさなければならなかったとき、なぜうつ病に苦しんだのかを知るところとなるのです。



──物語の主軸の一人でもあるマリー=アンヌの娘リュシー役のポリーヌ・ビュルレにはどのように演出しましたか?



ポリーヌを配役する前に彼女と同じ年頃の女の子にたくさん会いました。しかし彼女が映っているテスト撮影の映像を観て、役に必要な力を彼女ならもたらしてくれると確信したのです。彼女の演技の鍵は、モチベーションです。アーマド同様、リュシーも秘密主義で控えめな性格です。内向的な者同志、お互い親近感を覚えます。ポリーヌの瞳は神秘性を帯びています。脚本上で、リュシーはアーマドの娘ではありませんが、家族のような印象を与えたいと思いました。父親といる娘というような印象です。共犯関係のような感じでもあります。アーマドが去ってから彼を最も恋しがっているのがリュシーです。




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映画『ある過去の行方』より、マリー=アンヌの娘リュシー役のポリーヌ・ビュルレ © Memento Films Production - France 3 Cinema - Bim Distribuzione - Alvy Distribution - CN3 Productions 2013




──イランとフランスでは、撮影方法に何か違いはありましたか?



私にとって特に違いはありませんでした。両方の国で同様に撮影しました。フランスにはより様々な手段があり、映画は産業として存在しています。イランでは、映画は個人の創造力の融合であるのに対し、フランスでの映画製作は共同体による創造と言えます。



──『別離』では手持ちカメラでの撮影でしたが、本作では固定カメラを多用しています。この撮影スタイルの変化の理由を教えてください。



ストーリーが固まり、ロケハンをしている最中に、このストーリーは固定カメラでなければならないと気がつきした。つまり、カメラの動きを極力廃した撮影スタイルが必要だったということです。『別離』では重要な出来事はすべてその場、その時に観客の目の前で起こりました。本作では、主要な出来事はすでに過去に起きていて、そのことによる登場人物たちの内面的な変化でしか観客は確認できません。本作はより内面化しているため、カメラの動きが少ないのです。



──最後に、あなたはモラリストですか?



自分自身がモラリストだとは思っていません。しかし、本作ではモラルが問題になっていることは否定できません。社会学や精神学的見地から観ることも可能です。しかしやはり多くの状況が、道徳的な視点で観ることができることは明らかです。



(オフィシャル・インタビューより)











アスガー・ファルハディ プロフィール



1972年、イランのイスファハン出身。短編映画、テレビドラマの演出や脚本を手掛けた後、長篇映画「砂塵にさまよう」(03)で監督デビューを果たす。国内外の映画賞で受賞し高い評価を受ける。続く長篇第2作「美しい都市」(04)第3作「火祭り」(06)でも国内外で映画賞を複数受賞。日本ではベルリン国際映画祭、銀熊賞(監督賞)を受賞した『彼女が消えた浜辺』(09)の心理サスペンスに満ちた群像劇でその名を知られ、再びベルリン国際映画祭において金熊賞および銀熊賞 (女優賞) と銀熊賞 (男優賞) を獲得し、アカデミー賞外国語映画賞ほか90以上の世界中の映画賞を総なめにした『別離』(11)でその人気を不動のものとした。











映画『ある過去の行方』

2014年4月19日(土)より Bunkamuraル・シネマ、新宿シネマカリテほか全国順次公開



フランス人の妻マリーと別れて4年。今はテヘランに住むアーマドが正式な離婚手続きをとるためにパリに戻ってくるが、すでに新しい恋人サミールと彼の息子、娘たちと新たな生活をはじめていた。娘からアーマドに告げられた衝撃的な告白から妻と恋人、その家族の明らかにされなかった真実が、その姿を現し、さらなる疑惑を呼び起こす。



監督・脚本:アスガー・ファルハディ

出演:ベレニス・ベジョ、タハール・ラヒム、アリ・モッサファ

撮影:マームード・カラリ

編集:ジュリエット・ウェルフラン

美術:クロード・ルノワール

原題:Le Passé

2013年/仏・伊/130分/仏語・ペルシャ語/ビスタ

配給:ドマ、スターサンズ 




公式サイト:http://www.thepast-movie.jp

公式Facebook:https://www.facebook.com/ThePastJp

公式Twitter:https://twitter.com/THEPASTmovie




▼映画『ある過去の行方』予告編


[youtube:ZZxQN3SzB3E]

〈体験型アート作品〉でSICF14グランプリを受賞した塩見友梨奈さんが語る「身体をもうひとつ作るということ」

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SICF14グランプリ受賞作『首吊りビリー』(2013) ビリー・ミリガンという24人の人格を持った多重人格症の実在の人物をモチーフにした体験型の作品  撮影:市川勝弘



アート、デザイン、プロダクト、ファッション、映像、音楽など、様々なジャンルの若手クリエーターを紹介する公募展形式のアートフェスティバル「SICF15」(第15回スパイラル・インディペンデント・クリエーターズ・フェスティバル)が今年も5月3日から6日までの4日間行われる。5月3日、4日のA日程、5日、6日のB日程それぞれ50組計100名のアーティストが参加し、各ブースでプレゼンテーションを行なう。最終日には、審査員によりグランプリ、準グランプリ、各審査員賞を選出、また来場者の投票によってオーディエンス賞を決定し、各賞が授与される。



開催にあたり、昨年度SICF14で発表した『首吊りビリー』でグランプリを受賞、SICF15と同時開催されるSICF14受賞者展で新作を発表する塩見友梨奈さんに、ビリー・ミリガンという24人の人格を持った多重人格症の実在の人物をモチーフにした体験型作品『首吊りビリー』について、そして自身の制作テーマについて話を聞いた。



人間の身体性と布の関係をモチーフに




── 最初に、塩見さんの作品のベースにあるテキスタイルへの興味はいつぐらいから湧いていたのですか?



高校時代から浴衣でお祭りに行ったり、着物の色合いや雰囲気が好きでした。大学進学をする頃に着物の職人になりたいと思ったのがきっかけで、京都造形芸術大学の染織コースに入学しました。最初は、染めによる模様の色鮮やかさや描写が気になって始めたのですが、大学で学んでいくうちに、布の質感や素材の方が気になってきて、その後、大学院に入学する時期には、布の平面なのに立体にできたり、模様を立体的にさせたり、二次元なのに三次元的に表現もできる部分に惹かれるようになりました。それまでも、表現として人間の身体を平面に描いていたんですけれど、立体に転換することで、人間の身体性と布の関係といったモチーフに取り組むようになりました。




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塩見友梨奈さん 撮影:市川勝弘



── そこでオリジナリティを発見したという手応えはありましたか?



布には、衣服といった人が身に付けるものというイメージがあると思うんですけれど、人の体に模様を描いたり、そのなかで立体感を出す、身体のラインを作ったりするのと合わせて、身体をもうひとつ作るというか、二重にしていくというか、そういうイメージが自分のなかにありました。私自身が変身できる身体が欲しいというのがあって、それが作品になっていると思っています。



── 変身願望があるのですか?



人間の身体は脱いだり着たりができません。着脱が不可能なので、もうひとつの皮膚として衣服はあると思います。そのなかで自分の状況に合わせた身体というイメージです。生まれたときから自分の体は変わらないものなので、そこから切り離して変えてみたい、私の身体は私のものなのに偽物なんじゃないかという気持ちがどこかあって。そこから、私が作るとしたらどんな体を作るかな、という、ポジティブなイメージで作っています。



── アバターみたいな感じですね。



ちょうど修士論文で「皮膚的なもの」をテーマに書いたのですが、そのひとつにアバターがありました。自分の身体は自分でデザインしなくてはならないものというか、現代に生きている若い女性の感覚に近いものなので、(社会からの)影響は受けていると思います。





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塩見友梨奈『首吊りビリー』






── 昨年のSICFでグランプリを受賞した『首吊りビリー』についてもここ数年作ってきたテーマの過程のなかのひとつと言っていいのでしょうか。



衣服に近いものを作っていた時期もあったんですけれど、『首吊りビリー』は、体験型の作品なので、いろんな人が交代して入っていって、どんどん変わっていく、そういう要素を入れたいなと思いました。



── 観る方が参加できる、体験できる作品になったのは、SICFの展示環境により考えたのでしょうか?



そうですね。ちょうどSICFの開催がゴールデンウィークで、私も会場に2日間ずっと居ると分かっていたので、なにか来場者と関わって会話できる作品がいいなと。それと、こどもの日でもあったので、子どもとも関係できるものがいいなと思いました(笑)。布を使っているので、雨に濡れたりできないという物理的な問題はあるんですけれど、『首吊りビリー』はできるだけたくさんの人に遊んでもらいたいと思って制作しました。



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昨年のSICF会場の様子 撮影:市川勝弘


楽しみながら人と人を繋ぐことができるアート作品を



── SICFの雰囲気についてはどのように感じましたか?



SICFは昨年、初めて参加したのですが、会場のブースに搬入してから、ずっと子どもたちと遊んでいました。かなり幅広い方が観にきてくださっているというのは感じていました。お話していても、いろんな方がいらっしゃって、私のことを占ってくれる人とか(笑)、面白かったです。



── 発表の場で見た方と触れ合えたりする場があるということは、作品にフィードバックがありましたか?



普段の展覧会では、芸術に詳しい方と関わる機会が多いので、そうでない人と話せたのはすごく楽しかったです。私のコンセプトを言葉で伝える必要があるのかどうか、それよりも「もの」として楽しんでもらえる方がいいのか、というのは『首吊りビリー』では考えました。両方必要だとは思うのですが、誰に向けて作るか、というのをもう少し場に合わせて限定してもいいのかなと感じました。



──例えば展示の場所を指定されたり、制約やテーマがあった方が作りやすいですか?



最近は作品によって「場が変化すること」に興味があります。今回のSICFでコミッションワークとして展示するバルーン型の作品もそうですが、特に布は「場を変化させる装置」だと言われています。簡易的な装飾に使われたり、季節ごとに模様を変えたり、布は人の日常の中で変化を与えます。そういった意味で、作品を置くことによって空間が変化する作品は、興味があるので作っていきたいと思います。



それから、昨年のSICFで『首吊りビリー』を出展してから変化したことでもあるのですが、芸術を知らない人でも楽しめる作品を作りたいです。昨年から数人のアーティスト仲間と一緒に、京都の銭湯を舞台にした芸術祭を企画しています。銭湯はパブリックな空間でありながら、プライベートな空間でもあり、お客さんひとりひとりに不思議な距離感があります。そこは年齢や職業など関係なく、銭湯ではすべての人がただの裸の人間です。そういった芸術とは関係ない場所で、作品がどんな役割をもつのか考えています。



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塩見友梨奈『インスタントベイビィ』 撮影:市川勝弘



現在のコミュニケーションといえばネットを通じたものも増え、身体感が失われつつあると言われていますが「対人」で行われるコミュニケーションが減った今だからこそ、作品を置くことで、今までとは違った新しい「人と人を繋ぐことができる作品」が作れるのではないかと思っています。アトラクションとは少し違いますが、一般のお客さんが楽しめる内容で、体験したり、共有したり、新たな発見を与えられる作品を目指していきたいです。




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塩見友梨奈『首吊りビリー』


── アート作品を通して社会と関わっていくこと、というのは意識していますか?



大学時代は、特に染織の職人を目指していたので、誰も見ないような、自分しか気にしないような細かいところにまで気にして作品を作っていました。その頃、恩師に言われたのが「それはあなたのエゴでしかない」という言葉です。こだわることは作品に不可欠ですが、こだわりだけでは作品にならないと思います。鑑賞者がいて、はじめて作品と呼べるものになると思うので、まずは身近な人から、作品の意見をもらいます。身近な人が味方になってくれないような作品では面白くはならないと思うので、まずはそこから考えます。



── 最後に、今後の表現活動のヴィジョンについて教えてください。



素材として、布だけではなくビニールや他のソフトなものや、FRP、金属など、色々な可能性を探しているところです。作品によって必要な表現方法や素材も変わってくるので、幅を広げていきたいです。最近の作品は、彫刻に近かったり、体験できたり、やってみたいことはたくさんあるので、もっと表現の幅を広げて、今までと違った身体観を表現していきたいと思っています。



(インタビュー・文:駒井憲嗣)













塩見友梨奈(しおみゆりな) プロフィール



【略歴】

2010年 京都造形芸術大学 美術工芸学科 染織コース卒業

2012年 京都造形芸術大学院 修士課程 芸術表現専攻修了

【主な受賞歴】

2012年 ULTRA AWARD 2012 優秀賞

2013年 SICF14 グランプリ

2013年 京都府美術工芸新鋭展2013 選抜部門 大賞

【主な活動】

2008年 着物ブランドプロジェクト商品化(京朋株式会社)

2010年 ART CAMP 2010(サントリーミュージアム天保山/大阪)

2011年 個展「サーカス」(id Gallery/京都)

2012年 個展「浮遊する境界線」(新風館・TOKYU HANDS TRUCK MARKET gallery・Gallery Ort Project/京都)

2012年 ULTRA AWARD 2012(ART ZONE・ULTRA FACTORY/京都)

2012年 Hongik International Art Festival(弘益大学/韓国・ソウル)

2013年 SICF14(スパイラルホール/東京)

2013年 Christmas Show 2013(ラディウムレントゲンヴェルケ/東京)

2013年 京都府美術工芸新鋭展2013(京都文化博物館/京都)

2014年 京都府美術工芸新鋭展2014(京都文化博物館/京都)

2014年 ULTRA×ANTEROOM Exhibition(ホテルアンテルーム京都/京都)









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SICF15(第15回 スパイラル・インディペンデント・クリエーターズ・フェスティバル)



A日程:2014年5月3日(土・祝日)~4日(日・祝日)11:00 - 19:00

B日程:2014年5月5日(月・祝日)~6日(火・振替)11:00 - 19:00


※両日程ともに50組2日間ずつ



会場

スパイラルホール(スパイラル3F)

〒107-0062東京都港区南青山5-6-23

東京メトロ銀座線・千代田線・半蔵門線「表参道」駅B1、B3出口すぐ



入場料

一日券:一般700円/学生500円



審査員

浅井隆(有限会社アップリンク 社長/「webDICE」編集長)

佐藤尊彦(BEAMS プレス)

紫牟田伸子(編集家/プロジェクトエディター)

南條史生(森美術館館長)

岡田勉(スパイラル チーフキュレーター)



主催:株式会社ワコールアートセンター

協賛:東京リスマチック株式会社

協力:CLIP、株式会社ステージフォー

企画制作:スパイラル

グラフィックデザイン:FORM::PROCESS

お問い合わせ:03-3498-1171(スパイラル代表)



【同時開催】SICF14受賞者展



日程:2014年5月3日(土・祝日)~6日(火・振替)
11:00 - 19:00


会場

エスプラナード(スパイラルM2F) / スパイラルホールホワイエ(スパイラル3F)

*スパイラルホール ホワイエの展示は"SICF15"の入場料が必要です。




公式サイト:http://www.sicf.jp/



明るくポップなビーチ・ボーイズのサウンドの影には、メンバー間の熾烈なライバル関係があった

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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』より © 2012 Chrome Dreams Media, Ltd



世界中のファンを魅了し続けるザ・ビーチ・ボーイズのリーダーとしてカリスマ的な人気を誇るブライアン・ウィルソン。彼のバンドデビューした62年から69年までの7年間にスポットを当てたドキュメンタリー映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』が、5月10日(土)より23日(金)まで渋谷アップリンクで上映される。今回は、4月にシネマート六本木での上映時で行われた音楽評論家の萩原健太氏とミュージシャンの鈴木慶一氏による登壇の模様をレポート。両氏により、このドキュメンタリーの魅力、そしてそれぞれの60年代ビーチ・ボーイズ体験が語られた。




ブライアンのインスピレーションに溢れた画期的な7年間




萩原健太(以下、萩原):僕が最初にビーチ・ボーイズにのめり込んだのが、『20/20』というアルバムでした。



鈴木慶一(以下、鈴木):最初にびっくりしたのは、ちょうどラジオから流れてくるヒットソングを聞いていた年頃で、ブライアン・ウィルソン作曲の「キャロライン・ノー」を聞いて、いい曲だなぁと。





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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』シネマート六本木でのトーク・イベントより、萩原健太氏(左)、鈴木慶一氏(右)


萩原::ここにいらっしゃる方々は、ブライアン・ウィルソンの普通ではない人生についてご存知ですか? 知らない方?(客席少し手が挙がる)若干いる感じですかね。彼がどういう人生を歩んだかを知っていると、この映画を観ても、そんなに暗い気持ちにならない。




鈴木:この後を知らないでこの映画を観ると相当暗い気持ちになります(笑)。



萩原:僕は1969年にビーチ・ボーイズに魅せられたんですけど、その年はビーチ・ボーイズの人気が最低で、誰も聞いている人がいない、ビーチ・ボーイズは過去のものだ、的な状況だった。その最低の時代までのドキュメンタリーです(笑)。



鈴木:でも、この後があるんですよ。



萩原:その時期までのブライアンがやったことが、ものすごくインスピレーションに溢れていて、画期的だった。



鈴木:1960年代のハイスピードな感じがこの映画に描かれていると思います。




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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』より © 2012 Chrome Dreams Media, Ltd


ブライアンの不思議なコード感覚




萩原:62年から66年までというのは、音楽シーンはものすごい勢いで進んでいった時期で。



鈴木:ラジオを聞いていて、今までのビーチ・ボーイズの曲を聞いているのと、がらっと気持ちが変わったのは「アイ・ゲット・アラウンド」ですね。ギターに夢中だったので、コピーしようとするんですよ。でも、変な構造なの。リフとか、このコード進行なんだろう?と。そのときは夢中でコピーしていたのだけど、後々考えると暗いコードだな、というのが沢山埋まっているんですよ、曲の中に。マイナーなコードも含めてね。かなり尋常じゃないコード進行だぞと。





萩原:複雑といっても、ブライアン・ウィルソンが使うのは、そんなに数字が沢山つくコードじゃないですよね。普通の三和音に対して、ちょっと意外なベースを入れることによってそのコード自体が不思議な音を奏でる。



鈴木:例えばキーのAだとベースはAを弾くんですが、ちょっと違うところを弾いたりするんですね。そういうところも含めて、転調するんですが、その転調の仕方、「ドント・ウォーリー・ベイビー」で転調するでしょう。そのするっと転調する感じが非常に素晴らしいんです。それを分析している教授がこの作品に出てくるんですけど、その教授のピアノが、けっこう危ういんですよ(笑)。





萩原:ブライアンと転調については、私も随分研究してきたんですけど、『サーファー・ガール』というアルバムに入っている「ユア・サマー・ドリーム」という曲があって、ひとりギター鳴らして歌っている曲なんですけども、2小節だけ転調して何事もなく戻ってくる、そのぐらいの感じなんですよ。この人にとっての転調は。



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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』より © 2012 Chrome Dreams Media, Ltd



兄弟の血の濃さがバンドに与える影響



萩原:映画にもちょっとその話がありますけども、ブライアン・ウィルソンという人はライヴ・パフォーマーではなかったし、むしろアメリカのショービジネスのポップ・ミュージックの範疇の中では居心地は良くなかった人だと。ソングライター、音を作る人間としては、むしろクラシック・ミュージックの作曲家に近い。メロディーに対して、どういうアンサンブルがつくか。それを否定するという事が彼にとっての作曲であって。ていうあたりがね、中で触れられますけども。60年代はそういう人が珍しかった、特にパフォーマーとしてやっている人では珍しかった。




鈴木:ビートルズもそういうとこもありますけども、オーケストラ以上の録音を60年代後半になるとひとりでやっている。スタジオにスタジオミュージシャンを呼んで、若造だけれども、ガツガツいってやっている。ひとりでやっていたのが凄いと思うんですよ。そこで軋轢を生むというのもあります、バンドですからね。例えば、ツアーには出ないで、ツアーはブルース・ジョンストンが入るでしょ。66年の1月の来日公演をTVで観て「ライヴではブライアン・ウィルソン、いないんだ」って気付く訳ですよ。でも、ブルース・ジョンストンは、ブライアンのベース・ラインをなぞってるので、曲のブレイクのところで、すごく良いフレーズ弾いたりする。





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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』より ブルース・ジョンストン(ザ・ビーチ・ボーイズ) © 2012 Chrome Dreams Media, Ltd





鈴木:バンドが残酷なのはね、時として一人を悪者にしますから。バンドでもソロでもやってて、曲も書いてプロデュースもしていて、兄弟がいて。いろいろ辛かったんですかね。ムーンライダーズはふたり兄弟ですけど、ビーチ・ボーイズは3人兄弟ですからね。この血の濃さが問題になるんじゃなかろうかと思います。



萩原:しかもお父さんがマーリー・ウィルソンという、自分も音楽家を目指していた人で、一曲だけヒットした栄光にすがっているんです。自分もジーニアスなんだ、ということを強調しながら、自分の息子をコントロールして、音楽の作り手となりたかったのでしょうね。その親の才能を遥かに超えた、ブライアン・ウィルソンという子供がいたことによる、親子の中でのライバル関係は、なかなか悲惨なものがありますよね。



鈴木:いわゆる、アメリカーナのディープな感じだよね。ブライアンは、サーフィンとかホットロッドで入ってきて、先住民族とのことだったり、だんだん交響楽的なアメリカーナを目指していると思うんだよね。『ペット・サウンズ』はそういう匂いがすごくする。更には『スマイル』になると、現代音楽的な手法だよね。断片をエディットして。ポップ・ミュージックのポジションにいるんだけど、アメリカの現代音楽作曲家な気がする。その辺までをこの映画は捉えているんだけれども、やっぱり、一人突出していると、マイク・ラヴを除いて、「他のメンバー、どうしてたんだ?」ということになるんですよ。他のメンバーは、この映画の後、いろいろやりだすのですが、そこがまた良かったですよね。





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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』より デヴィッド・マークス(ザ・ビーチ・ボーイズ) © 2012 Chrome Dreams Media, Ltd




ブライアンとマイク、ふたりのジーニアス



萩原:ビーチ・ボーイズというバンドは様々な歴史をもっていて、スタジオ・レコーディング・バンドとしての形があったり、メンバーそれぞれ、ライヴ・パフォーマーとしての顔がある。



鈴木:分離しているんだよね。ビートルズは、スタジオで自分達でレコーディングする。ダビングするときには、また別のミュージシャン呼ぶんでしょうけども、録音のアイデアを4人で出していた。でもブライアン・ウィルソンはひとりでやって、スタジオ・ミュージシャンを集めている。ビーチ・ボーイズのメンバーには演奏させてない、この映画の後半ではね。誰かいればよかったと思うのだけど。






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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』より © 2012 Chrome Dreams Media, Ltd



萩原:ブライアンという人は、最初は流行りものだったサーフィンとかホットロッドの文化を取り入れていた。



鈴木:当時の新発明だよね。それに特化した音楽をするというのは。



萩原:いろんなアイデアを他の人からもらっていて、ブライアン自身が作っていたものはあんまり時代に特化したものではないですよね。だから、そこがもたらすレコード会社との軋轢が生まれた。



鈴木:そうですね。我々も「世の中のイメージと違うもの演ってるんじゃん」って言われた事ありますよ(笑)。



萩原:それはやっぱり、心配される訳じゃないですか。



鈴木:それに対して、メンバー内の意見が割れたり、非常に切り抜けにくい状況を作り出してしまったんだね。それで、メンバーの代わりにレッキング・クルー(プロのスタジオ・ミュージシャン集団)に演奏させた。そのまま入ってきてヴォーカルだけ入れること自体、他のメンバーにしたらどうだったんだろう?と思いますよ。





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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』より キャロル・ケイ(レッキング・クルー)© 2012 Chrome Dreams Media, Ltd


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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』より ハル・ブレイン(レッキング・クルー/ドラマー) © 2012 Chrome Dreams Media, Ltd




萩原:カール・ウィルソンはお兄ちゃん(ブライアン)のこと大歓迎なので、全てすごいって言って。アル・ジャーディンが、若干「俺のアイデアも取り入れろよ」と思っていた様ですけども。デニス・ウィルソンは、女の子と遊べれば大丈夫みたいなね(笑)。微妙なのはマイクですよね。ただ、どうしてもブライアン・ウィルソン好きな人ってマイクが嫌いな人多いですけど。




僕ね、ブライアン・ウィルソンにインタビュー何度かしたことありますけど、一番印象に残っているのは、これまでコラボレーターとして曲を作っているけど、誰ともう一度曲作りたいですか?って聞くと、即答で「マイク」って答えるんですよね。だから、こっちが入りこめない愛憎って、ジョンとポールにもあるんでしょうし、あのふたりにもあるのかなとは思いますよね。



で、マイクもある種のジーニアスじゃないですか。「グッド・ヴァイブレーション」というナンバーが1966年に出ますけど、最初はいまひとつポップじゃないので、マイクが歌詞を修正して。「完璧なヴァイブレーション」というフレーズはマイクが入れるまでなかった。だから、マイクがいて初めてそういうポップな切り口が成立する、みたいなところがあった。マイク・ラヴはいかにも60年代のサニー・カリフォルニアの女の子大好きみたいな、外向きの何かを象徴するものじゃないですか。で、ブライアンは部屋の中で音楽に没頭しているのが好き。この2つが合体すると、すごいものになるんですよね。



鈴木:ステージでは、パフォーマーとしてはマイク・ラヴが中心ですよね。



萩原:だから、どんなものでもそうですけど、ビートルズでもジョンとポールがそうだし、2つの異質なものがひとつのユニットの中にいる時に、すごいものが生まれる。




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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』より フレッド・ヴェイル(元マネージャー) © 2012 Chrome Dreams Media, Ltd



鈴木:ライバルが至近距離にいるということが非常に大事なんですよ。



萩原:この映画はブライアン・ウィルソンに特化しているので、マイク・ラヴはどちらかというと足を引っ張る存在としてしか描かれていないですけれどね。






ブライアンはクラシカルな影響とノベルティ的な影響の両方があった



鈴木:この映画で私が注目したのは「アイ・ゲット・アラウンド」「ヘルプ・ミー・ロンダ」。この2曲がラジオから流れてきた時に、なんか変だなと。単にハーモニーを付けているだけではなくて、コード進行も含めて、段々暗い匂いもしてくるわけで。それでしびれたんですよ。中高生の時は暗かったんで(笑)。



萩原:マイク・ラヴ的な観点から聞けば、すごくポップで明るくてキャッチーで。



鈴木:あれだけ能天気な声出す人いませんから。低い声も出るし。



萩原::ブライアン・ウィルソン・バンドも、50周年に一緒にビーチ・ボーイズやったじゃないですか。マイクのやり方にはあんまり入り込めない人が多いんだけど、メンバーと話していて、マイクどうなのって聞くと「あいつ酷くてさ」って話をするんだけど、「でもあのベース・ヴォーカルはスゲエよ」って。



鈴木:また来日の時のテレビに戻りますけども、「モンスター・マッシュ」がほんとに怖い。ポップ・ミュージックじゃなくて、ノベルティ・ソングですよね。



萩原:どちらかというとコミック・ソングに近いですけども、ノベルティ・ソングはけっこうビーチ・ボーイズも取り上げています。当時の西海岸の若者たちも大好きで。そういうノベルティ・ソングの下地が『ペット・サウンズ』とか『スマイル』の楽曲にもある。スパイク・ジョーンズの流れですよ。



鈴木:たぶんブライアン・ウィルソンもノベルティ・ソング的なものもいっぱい聞いていたんでしょうね。



萩原:好きだったみたいですよ。彼もすごく冗談好きな人だし。これはいろんなとことで話していて、またそれか、って思われるかも知れないけど、あの特徴的なラッパの音色についてものすごく指示を出しているんですよ、ブライアンが。「パッパッじゃない、パフパフって鳴らせ」って。必死に何度もやり直しさせている。



鈴木:俺たちも同じ事させている(笑)。今気付いた。



萩原:そういう、入っていればいいだろって感じではない、常人には良く分からないこだわり。クラシカルな影響とノベルティ的な影響は同時にあったんじゃないかと思います。ただ、この映画では、外部から見たブライアンが語られているので、逆に面白いですよね。いろんな人がいろんな考え方でブライアン・ウィルソンについて、分析している。




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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』より © 2012 Chrome Dreams Media, Ltd




かっこ悪いビーチ・ボーイズを好意的に観てください(笑)。



萩原:最後に、これからご覧になる方に言っておきたいんですけど、これは基本的にブライアン・ウィルソンを賛美している映画です。昔からすごかったってずっと語っています。でも、演奏するビーチ・ボーイズの風景が中途半端で格好悪かったりするわけですよ。どういうこと?って思うかもしれない。



鈴木:白いパンツが短かったんですよね。



萩原:みんな同じ長さのを履いているんですよ。しかもその後、ライバルとして出てくるビートルズが演奏する姿がめちゃくちゃ格好良い。だからそこは、脳内で変換しつつ、今でも高い評価を受けている、ということを頭の隅に入れておいてビーチ・ボーイズに好意的に観るようにしてください(笑)。



鈴木:そしてこの後もあったんだぞ、というのも思いつつ観てほしいです。




(4月11日、シネマート六本木にて)












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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』

渋谷アップリンクにて5月10日(土)から5月23日(金)まで上映



ポピュラー音楽史上最も重要なバンド=ザ・ビーチ・ボーイズの中心人物であり、数々の名曲を生み出してきた不世出のソングライター=ブライアン・ウィルソン。その栄光と苦悩の軌跡を追った決定版ドキュメンタリー。天才ブライアンの波乱万丈な半生と卓越した作曲術を検証していく、英国発大河ドキュメンタリー・シリーズの第1作。デビューの1962年から1969年までの7年間に於ける歴史に残る代表曲と名作アルバムを時系列に紹介していく。




監督:トム・オーディル

製作:ロブ・ジョンストーン

出演:ブルース・ジョンストン、デイヴィッド・マークス(ビーチ・ボーイズ)、キャロル・ケイ、ハル・ブレイン(レッキング・クルー)、ドミニク・プライア(「スマイル」著者)、ピーター・エイムズ・カーリン(ブライアンの伝記著者)、フレッド・ヴェイル(ビーチ・ボーイズ元マネージャー)、ダニー・ハットン(スリー・ドッグ・ナイト)ほか

2010年/イギリス/カラー/ステレオ/ヴィスタサイズ/190分

配給:ジェットリンク

© 2012 Chrome Dreams Media, Ltd



公式サイト:http://brianwilson-movie.com

公式Facebook:https://www.facebook.com/brianwilsonmovie

公式Twitter:https://twitter.com/BrianWilson_mov




▼映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』予告編


[youtube:lQdQr3jJpbU]


▼映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』特別プロモ映像


[youtube:Z3774n1Ouwo]

金もプライドも失った主人公が抱える悲劇的な欠点とは?『ブルージャスミン』をウディ・アレン監督が語る

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映画『ブルージャスミン』より Photograph by Jessica Miglio/Merrick Morton © 2013 Gravier Productions, Inc.



ウディ・アレン監督の最新作で、豪華な暮らしから一転、金銭的にも精神的にも破綻するものの、プライドを捨てきれないセレブの女性・ジャスミンを主人公にした悲喜劇『ブルージャスミン』が5月10日(土)より公開される。ポップスのスタンダード「ブルー・ムーン」を通奏低音に、華麗な生活と悲惨な現在を交錯させながら、人間の根源的な虚栄心の有りかを探り、第86回アカデミー賞でケイト・ブランシェットが主演女優賞を受賞した今作について監督が語った。



強いトラウマを引きずる主人公




──最初に、今回の物語の主人公ジャスミンのキャラクターについて教えてください。一部でルース・マドフ(2008年に金融詐欺事で逮捕された実業家バーナード・マドフの妻)をモデルにしているのでは、と言われていますが?




いや、この映画のアイディアは、妻のスン=イー・プレヴィンが教えてくれた、マンハッタンのアッパー・イースト・サイドの裕福な住人たちが転落して仕事を探さなければいけなかったというエピソードを元にしている。映画が始まって、観客はすぐにジャスミンが混乱しているとわかる。ジャスミンは本当につらい目に遭ってきているんだ。彼女自身がカッとなってやってしまったことのせいで、考えてもいなかったような悲惨な結果を招き、そのせいでものすごく強いトラウマの数々をひきずってしまったんだよ。



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映画『ブルージャスミン』のウディ・アレン監督



──急降下する人生のなかで全てを手放さなければならなくなったため、上流階級から別の世界に踏みこんでいくこの破滅的な女性・ジャスミン役を演じたのがケイト・ブランシェットです。彼女の魅力はどんなところにあるのでしょうか?



ケイトは世界でも最もすばらしい女優のひとりだ。彼女はすべてを持っていて、すごく深みのある女優だ。数値化なんてできない。とても巧い女優をみつけることはできるだろうし、彼女たちはフラストレーションや絶望を演じることもできるし、ケイトと同じように泣くことだってできる。けれどなぜかはわからないが、ケイトはスクリーンに深みをもたらして、観ている者を吸い込んでしまう。彼女がどれだけその役柄を深く演じているかをただ感じてしまうんだ。これはケイトの天賦の才能だね。




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映画『ブルージャスミン』より Photograph by Jessica Miglio © 2013 Gravier Productions, Inc.



──映画は現在のサンフランシスコと過去のニューヨークを行ったり来たりする構成になっています。サンフランシスコでのジャスミンの生活のなかで重要な役割を果たすのが、妹のジンジャーです。監督はこの役に『ウディ・アレンの夢と犯罪』で仕事を共にしたサリー・ホーキンスを再び起用しています。



異なる世界に住む姉を持つジンジャーだけれど、彼女を遠ざけたことはない。親切でいつでもジャスミンを尊敬してきたジンジャーを演じたサリー・ホーキンスは、すばらしい女優だよ。いつでも彼女はリアルだ。女優っぽくならないところが、このジンジャー役にぴったりだと思った。



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映画『ブルージャスミン』より、ジンジャー役のサリー・ホーキンス(左) Photograph by Jessica Miglio/Merrick Morton © 2013 Gravier Productions, Inc.



──そして、ニューヨークのシーンに登場するのが、ジャスミンのかつての夫である大富豪ハルです。ハルとの関係の悪化が、ジャスミンの精神状態を次第に蝕んでいくことが、フラッシュバックするニューヨークでの生活で次第に明らかになっています。このハルを演じているのがアレック・ボールドウィンです。



ハルはいわゆる〈大物コンプレックス〉を持っている男だ。ハルは重責を負って成功を収めた他の多くの男たちと同じく、ストレスいっぱいの人生を癒やす必要があり、そのことを妻のジャスミンが理解していると期待しているんだ。だから彼はずっと浮気をし続ける。二枚目でダイナミックだし、それがハルという男のスタイルだからだ。アレックはハルを演じるのに完璧だった。この役の要素をすべて持っているからね。アレックはハンサムで、とても才能がある上に、面白いキャラクターが必要なら面白くもなれるんだ。



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映画『ブルージャスミン』より、ハル役のアレック・ボールドウィン Photograph by Jessica Miglio © 2013 Gravier Productions, Inc.


人は皆、ささいなことで自分の家族に対して過ちを犯す




──憂鬱なジャスミンの内面を象徴する挿入曲として、1934年にリチャード・ロジャースとロレンツ・ハートが発表し、エルヴィス・プレスリーなど多くのアーティストがカヴァーしているポップスのスタンダード「ブルー・ムーン」を採用しています。



初めは『ジャスミン・フレンチ』だったんだ。でもヒロインが置かれた状況を考えると『ブルージャスミン』が映画のムードを最も表現していると思ったんだ。「ブルームーン」はジャスミンがハルと出会った時に流れていた思い出の曲で、過去にすがる彼女の脳裏から消えることのないメロディとして使用している。




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映画『ブルージャスミン』より Photograph by Jessica Miglio/Merrick Morton © 2013 Gravier Productions, Inc.




──最後に、監督はこれまで多くの優れた女優たちと組み、様々な女性キャラクターを生み出してきましたが、そのなかでも今回の主人公ジャスミンは経済的にも精神的にも問題を抱えた、複雑なキャラクターです。彼女の生き方として描こうとしたもの何でしょうか。



ジャスミンは口座も失い、ゴールドカードも失う。その一方で残念な話だが、アメリカには食べものにも困る人が大勢いる。それでも観客がジャスミンのことを気に掛けるのは、この物語がただ単に経済的な損失ではなく、彼女のキャラクターにある悲劇的な欠点が彼女自身の終焉を作り出しているからなんだ。ジャスミンは自分の快楽や収入、安全の源について深く知ろうとしないことを選択したが、そのせいでとんでもないツケを払わされることになった。見方を変えれば、人は過ちを犯すし、それは皆に共通している。人は皆、自分の子どもたちや夫、妻に対して、ささいなことで始終過ちを犯すんだよ。



(オフィシャル・インタビューより)



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映画『ブルージャスミン』より Photograph by Jessica Miglio/Merrick Morton © 2013 Gravier Productions, Inc.










ウディ・アレン プロフィール



1935年、ニューヨーク州ブルックリン生まれ。『何かいいことないか子猫チャン』(65)で映画俳優として、翌年『What's Up, Tiger Lily?』(66/未)で監督としてデビュー。『スリーパー』(73)などのシュールでスラップスティックな喜劇を次々と世に送り出し、1977年に発表した『アニー・ホール』でアカデミー賞主要4部門を受賞した快挙に続き、『インテリア』(78)『マンハッタン』(79)も絶賛され、アメリカを代表する映画作家のひとりとして認知されていった。 1980年代もミア・ファローと組んだ『カイロの紫のバラ』(85)『ハンナとその姉妹』(86)を発表。1990年代に入ってからも『夫たち、妻たち』(92)『ブロードウェイと銃弾』(94)『誘惑のアフロディーテ』(95)『ギター弾きの恋』(99)などの多彩な快作を連打した。2000年代もほぼ年に1本の創作ペースを保ち、『マッチポイント』(05)『恋のロンドン狂騒曲』(10)そして『ミッドナイト・イン・パリ』(11)で25年ぶりの作品賞を含むアカデミー賞4部門にノミネートされ脚本賞を受賞した。












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映画『ブルージャスミン』より Photograph by Jessica Miglio © 2013 Gravier Productions, Inc.



映画『ブルージャスミン』

5月10日(土)、新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマ、

シネスイッチ銀座ほか全国公開




サンフランシスコの空港に美しくエレガントな女性が降り立った。彼女は、かつてニューヨーク・セレブリティ界の花と謳われたジャスミン。しかし、今や裕福でハンサムな実業家のハルとの結婚生活も資産もすべて失い、自尊心だけがその身を保たせていた。庶民的なシングルマザーである妹ジンジャーの質素なアパートに身を寄せたジャスミンは、華やかな表舞台への返り咲きを図るものの、過去の栄華を忘れられず、不慣れな仕事と勉強に疲れ果て、精神のバランスを崩してしまう。やがて何もかもに行き詰まった時、理想的なエリート外交官の独身男性ドワイトとめぐり会ったジャスミンは、彼こそが再び上流階級にすくい上げてくれる存在だと思い込む。名曲「ブルームーン」のメロディに乗せて描かれる、あまりにも残酷で切ない、ジャスミンの運命とは───。



監督・脚本:ウディ・アレン

出演:アレック・ボールドウィン、ケイト・ブランシェット、サリー・ホーキンス、ピーター・サースガード

撮影:ハビエル・アギーレサロベ

美術:サント・ロカスト

衣装:スージー・ベインジガー

編集:アリサ・レプセルター

2013年/アメリカ/98分/英語

提供:KADOKAWA、ロングライド

配給:ロングライド

© 2013 Gravier Productions, Inc.



公式サイト:http://blue-jasmine.jp/

公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/映画ブルージャスミン/744618415549611

公式Twitter:https://twitter.com/blue_jasmine510



▼映画『ブルージャスミン』予告編

[youtube:qQYXSUiyVNg]

製作費捻出から衣装調達まで─奥原浩志監督が語る「中国でインディペンデント映画を作る方法」

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映画『黒四角』より © 2012 Black Square Film Gootime Cultural Communication Co., Ltd



『波』『青い車』の奥原浩志監督が中国で作り上げた映画『黒四角』が5月17日(土)より公開される。奥原監督は、2008年に文化庁の在外研究制度で中国に渡ったのをきっかけに、日中のスタッフを集め中国で撮影を敢行し今作を完成。2012年の東京国際映画祭でワールド・プレミア上映されたものの、尖閣諸島問題により中国スタッフ・キャストの来日が実現せず、現在もまだ中国本土での公開は認められていない。『2001年宇宙の旅』のモノリスを思わせる「黒四角」の登場をきっかけに現在と過去の世界が交錯するなか、日本と中国の「戦争と現在」というテーマを描いた今作の製作の背景、そして現在の中国映画の実情について、奥原監督に聞いた。




文化庁の在外研究制度



まず酒飲んだりすることからしか始まらないんじゃないか



──この『黒四角』の製作の前に、2008年に文化庁の海外研修制度を利用して中国に行かれたそうですが、どうやってエントリーをするのですか?



文化庁のホームページに載っている募集要項をもとに、書類を作って提出しました。最初は書類審査があって、その後面接があります。



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映画『黒四角』の奥原浩志監督




──中国を研修先に選んでいる人は多いのですか?



いえ、少ないです。音楽やダンスなどの分野のアーティストもいるので、たくさんいる面接官のなかから映画担当の人から質問を受けます。ほかにも、園子温監督も行っていますが、大道具の人が行っていた年もあったので、よほど映画での応募者がいなかったのかなと思いましたね。ちなみに2008年度の研修員は総勢160数名いまして、そのうち僕を含めて2人だけが北京でした。もう一人は現代美術をやっている男でいい友達になったのですが、彼を通じて北京で美術方面の友人関係が広がり、『黒四角』は彼らに刺激を受けた部分が多くあります。




──研修期間中はどんなに近い国でも帰ってこられないんですよね。お金はどうやりくりするのですか?



日給として支給されます。それも行く国によって甲乙丙のランクがあって、中国・北京はそもそも書いていないので、自動的にいちばん安いランクですね。日給7,000円ちょっとでした。一ヶ月で22万くらい。円高の当時のサラリーマンの普通の初任給で2,500元(30,000円)だから、北京では超高給です。日給は、日本の銀行に年2回に分けて振り込まれます。北京にはだいたいの場所にATMがありますから、ATMからクレジットカードでキャッシングするのがいちばんいいんです。元で引き出して、カード会社の決済がかかるのが2、3日くらいかかるので、3日後にぜんぶ返済すると、3日分の利子しかかからないし手数料も安い。だから自分の日本の口座から返済するのがいちばんお得でした。お金は生活費と自分の創作活動に使うことができます。使わなかったら、そのまま映画の製作費に使えるので、とっておけばいいし、そのお金でなんとか中国に長くいようという考えがあったので、倹約していましたよ。



──一年間の北京の研修の後は、どんな風に報告するのですか?



こんな活動をしていました、と月1回レポートを送るんです。最後の回以外は、そんなに長くなかったです。



──研修中はどこか学校に通うのですか?



なんでもいいんです。最初は電影学院の語学学校に入りました。学費が100万くらいかかりますし、授業に出たところで言葉が分からなければ意味がないので、授業には出ませんでした。



──しゃべれない状態で中国に行って、最初はどうするのですか?



まずこの土地がどんな感じか分からなかったので、人とも知り合わなければいけないけれど、撮る目的で誰かに近寄って、そのために友達になろうという考えが俺はあんまりないので。適当に酒飲んだりして、そういうところからでした。結局そういうことからしか始まらないじゃないかと思うんです。そのときたまたま知り合った人と徐々に世界を広げていって、というぐらいのことしか考えていなかったですけれどね。



──でも結果的に、映画を作っている人たちと出会うことができたんですよね?



だけど、そんなに多くないですよ。出会った人に「こういうことをやりたいんだ」という話をすると、友達を呼んできて、そこでまた知り合ったりする。あとは、そのとき電影学院にも友達が少しできたので、撮影を見にいったり、学生の宿題みたいな映画で照明を手伝ったりしていました。それから、リム・カーウァイが次の年の5月くらいに自主制作で彼の最初の長編『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』を北京で撮ったので、それはがっちり参加しました。その後、9月から1ヶ月くらい、電影学院に来ていた湖南省の友達が映画を撮るというので行きました。リムのときは大勢スタッフがいたので、照明をやったりしていたんだけれど、湖南省では、最初は8月くらいに撮るつもりだったのを、1年に1回日本に戻らなければいけないので8月は難しいと言うと「いつなら来れるんだ、お前が来られるときに撮るから」と言われて。現場に行ってみると、その監督と、もうひとり電影学院の学生と3人で映画撮ったことがあるのは俺だけだった。撮影は今デジタルなので監督でできるし、録音もなんとか後でなるかなということで、いちばんみんなが分からない照明をやったんです。しかも機材がなくて、電気屋行ってぜんぶ材料を買ってきて、自作の照明をいっぱい組み立てました。その監督は、恩を返そうと『黒四角』では出演をしてくれたんです。



製作と予算




検閲があるから中国のインディペント映画が苦しい、

という図式は成り立たない



──研修から、この映画に至るまでにはどういうプロセスなのですか?



その前からこの中国で撮る企画は自主でやろうと思っていたので、準備もしていました。撮影したのは2012年の3月なんですが、その1年くらい前から出資を探していたけれど、結局あまり相手にされなくて。結局、金持ちの日本の友達がいまして、彼にお金を借りて、撮影を乗り切るくらいのお金は自分で作ったんです。だけどこの5年で中国の社会はガラッと変わって、大金持ちがどんどん増えて生活のレベルはかなり上がる一方で、一般庶民の初任給自体はそんなに上がっていない。



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映画『黒四角』より © 2012 Black Square Film Gootime Cultural Communication Co., Ltd



──中国インディペンデント映画祭の取材のときに、監督たちから「製作費60万元(約1,000万円)では、トイレくらいしか作れない」という話を聞きました。



まず今は電影学院はコネと金がないと入れないんです。受験のとき書き込む書類に「いくら寄付できるか」という項目がちゃんとある。それからみんなひとりっこだと思うのですが、普通の親だったらひとりっこの子どもをビジネスの勉強をさせたい。そこを芸術系の学校に行かせることができるのは、余裕がある家庭です。今はまた変わってきていて、映画は金になる、ということになってきていますけれどね。



──ハリウッドのSFやアクション映画も中国のほうが日本よりも興行収入が4、5倍になってきていますし、アメリカのAMCを中国の大連万達グループが買収したから、まずアメリカにプラットフォームを作って、そこに中国映画を公開していく。中国が文化大国を目指すために、文化を世界に輸出していき、官民一体で中国人の価値観を押し付けていこうとしている、という話を聞きます。一方で、スクリーン・クォーター制度があるから、1年間に上映できる外国映画が34本と決められていて外国映画が容易には市場に入ってこられない。



その一方で、ボックスオフィスでは半分以上が外国映画になっている。



──だからそれを全面解禁してしまったら、中国映画が消えてしまうだろう、という話ですよね。



思うのは、いわゆるインディペンデント系の映画が苦しいのは別に中国だけではない。中国は検閲があって上映ができないというかせがあるからクローズアップされるけれど、苦しいのはどの国も苦しい。日本では興行はできるけれど、だからこそ余計お金が出ていってしまう苦しさもある。検閲があるから中国はインディペント映画が苦しい、という図式は関係ないですね。



──そうですね。この映画はどれくらいの予算で作られたのですか?



具体的な金額は差し控えたいのですが、一般的な新車2~3台分くらいです。半分は中国のプロデューサーの李さんが出しました。彼は酒の輸入販売の会社を経営しているんです。もともと映画や演劇に興味があって、まず金を稼いでからやろうと思って、会社が成功して余裕ができたから始めたんだ、と言っていました。



──でもお金を出すときに、これで回収できるとは思っていないでしょう。



そこは中国人は回収するつもりでみんな出しますよ。だから李さんも、最近やっと諦めがつき始めたのかな。最初から俺は「これは回収は無理だよ」というところから始めて、「分かった、それでもいい」と言ったのは、彼なりにある程度、俺に対して政治力を発揮して、自分がいろんな部分を変えて、中国のマーケットに乗せる作品にしたかったからだと思うんです。




検閲を通すべくプロデューサーが何回もチャレンジしている



──そうすると、製作の企画の時点でいろいろ議論があったのですか?



1回だけ駆け引きがありました。彼が入ってきたのが3月の撮影の直前でしたが、「やっぱり全額出す。その代り一回この撮影を止めて、もっと商業映画のスタイルに変えてやらないか」と言ってきた。でもそもそも李さんが入る前からずっと準備していたし、俳優の中泉英雄やカメラマンのスケジュールも押さえていた。撮影が終わるまでなんとかできる、くらいのお金は自分で用意していて、撮影後のポスプロは、時間がかかってもいいからまた別に集めてやろう、というつもりだったんです。だから、「別に出資しなくてもいいよ、そもそも自分でやるつもりだったから」と答えたら「やっぱり出す」と言ってきて。



──今中国では、プロデューサーとして映画を製作することはステイタスになるのでしょうか。



中国の映画は現在、地方の炭鉱会社の社長のような人がスポンサーとして支えている部分が大きいので、そういう人たちはもしかすると大雑把な考えで参入しているかもしれないですね。ただ李さんは北京の人だし、プロデューサーとしてこれまで2、3本手がけているのでそうは考えていなかったと思います。



──李さんは、商業公開するなら、脚本からなにから電影局に通さないといけないことを知っているんでしょう?



脚本は通しましたよ。でも、最初に脚本をそのまま出したら、「こんな訳の分からないものを撮らせるわけにはいかない」という返事が来たんです。



──政治的とか性描写よりも、訳が分からなかったらだめなんですか。



「歴史を捏造している」とか、いろいろ書いてありました。それから黒い四角から人が出てくるのもだめなんです。大衆を惑わすから。唯物論なので、霊魂とかだめなんですよ。さすが共産主義ですね。



──でも香港のキョンシーや、空を飛んだりするワイヤーアクションは大丈夫なんですか?



キョンシーは特例として大丈夫、と聞いたことがあります。



──では脚本は最終的にどうなったのですか?



その後プロデューサーが通るように直してくれました。しかも通ったのは、撮影が終わってからかなり経ってからだったんです。日本で撮影許可というと、現場でロケバスで見せて撮るというイメージだけれど、中国での撮影許可というのは、完成後の検閲までの間国内で大手を振って存在していい映画、という証明みたいなものです。



──通した脚本と違うことを撮ってもいいのですか?



別にいいんですよ。撮っているうちにこういう風になってしまったということは映画ではあるので。



──プロデューサーによる脚本では黒い四角は全く出てこなかったのですか?



俺は一切見ていないから分からない(笑)。



──では完成した作品は電影局には通しましたか?



プロデューサーが何回もチャレンジしているんです。編集を変えて、今100分くらいのヴァージョンになっているらしいんです。もし検閲が通っても、公開はまた大変なんですけれど、中国には単館に近いかたちの映画館が広州と北京と何ヶ所かだけあって、そこではやってくれるんですよ。その劇場の人とも李さんは話をつけていて、検閲が通ったら上映してもらうことになっているんです。でもどちらにしても、週1回ぐらいの上映で、その代り半年ぐらいやってくれるシステムなので、そこで興行収入を、というのは見込めない話なんです。



──中国の劇場の入場料金は?



場所と曜日で違っていて、週末のいい場所でいい時間で観ると、2,000円くらいするけれど、平日の午前中のへんぴな劇場だと10元くらい。今はみんなむしろネットで買うんです。



──では李プロデューサーは公開はまだ模索している状況なんですか?



検閲を通すとテレビ局とネットで上映してもいいので、値段は安いかもしれないけれど売れるんです。もともとそんなに大きな予算の映画じゃないから、それがあるだけでもかなり助かるんじゃないでしょうか。



──もし検閲が通れば、こういう芸術映画もネットやテレビで放送されているんですか?



きっと買ってくれますね。あと中国にはCCTV-6チャンネルという映画専門チャンネルがあって、そこで流すためだけのテレビ映画というジャンルがあって、それが規模でいうとこれと近いんです。1,000万円で80分くらい。その金額でやらなくてはいけないから、わりと小さい物語も作っています。ただ、これを作ったときも、ライン・プロデューサーから「撮影は1週間くらい?」と聞かれましたが、これは1ヶ月かかりました。




物語と撮影現場




日本と中国、異なる現場の意識の違い



──ではこの映画の内容についてですが、このストーリーを中国で撮るのか、という驚きがありました。そもそも人心を惑わすドアが飛んだり、ふっと出てきたりというアイディアは何を元に生まれたのですか?



撮影したソンジャンという北京郊外の芸術家村の気分、行ったときの感じからかな。9月に行って、一緒に派遣された現代美術をやっている日本人の男ふたりで行ったんだけど、そいつがすぐそこに住み始めたんです。そこに遊びに行くようになって、そのときに、ここで映画作ったら面白いんじゃないか、やっぱりSFかなとそのとき思ったんです。





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映画『黒四角』より © 2012 Black Square Film Gootime Cultural Communication Co., Ltd



──そこに過去の戦争の物語をミックスさせようと思ったのは?



それはまた別で、やっぱり行ってから日中戦争について興味が高まって。最初は知識として持っていたほうがいいなと資料を読み始めたんだけれど、中国のほうが戦争の記憶というテーマについては身近なので。あの戦争を今もずっと引きずっていると思うし、実際大問題になっている。そうすると、過去のことだけれど、現在の問題と繋がっていることをちゃんと描かないといけないんじゃないかと思ったんです。でも、この映画が中国で上映できないいちばんの問題は、日本人が脚本を書いて監督したということです。種田陽平さんは中国映画でひっぱりだこですし、カメラマンでも中国で活動する人は多いですから、スタッフは中国に行っていますけれど、脚本と監督は日本人だと、今はなにをやってもだめですね。



──それは、この映画の撮影の後、東京国際映画祭での上映の前に、尖閣諸島問題が勃発したからですか。



あそこからだと思いますよ。だから中国人の友達が言うには、もし中国人が撮っていたら別に問題はないと。戦争自体の話はなにも引っかかるところはないんです。



──日本のインディペンデントの現場と中国のインディペンデントの現場、何がいちばん違ったのですか?



スタッフの意識が違います。日本で小さい自主映画をやると、映画原理主義のような、宗教っぽいところもあるじゃないですか。みんなとりあえずこの作品のために、という同じ方向を向ける実感がある。そうじゃないと居づらいし。でも中国でやると、個人個人で意識がバラバラなので。今回は自分で集めてきたスタッフで足りない部分を中国のライン・プロデューサーが集めてきました。



──今の中国には、中国での商業映画や海外から中国に来て撮影する場合も、チャンスがあればスタッフとして入ってくるフリーの人がある程度いるということですか?



ただ、底辺もお金がすごく上がっているのに、日本のレベルから考えると、わりと酷かったりする。なかにはちゃんとできる人もいるんですけれど。あとは人間関係もあります。今回の場合は、ライン・プロデューサーとふだん一緒に仕事をしているから参加するか、ということもあります。



──奥原監督以外に、作品の内容について話すチームは?



内容については役者と話しますし、撮影に関してはカメラマンの槇憲治さんと話しました。助監督は東伸治さんという現地採用の方で、この映画では現場の仕切りだけですが、仕事ができるので助かりました。電影学院を卒業して、中国の現場のほうが経験が多い人で。あとは美術と録音、撮影助手、照明助手が現地のスタッフです。



──でも美術は作品を理解しないとデザインできないですよね。



まず脚本を理解してもらうのが大変でした。ただ、中国だと美術のポジションが違って、ロケ場所を探したりするのも美術の仕事で、プロダクション・デザインの考え方なんです。そこは勉強になりました。



──黒いドアはスタッフのなかではどういうことを考えていたのですか?



これは日本で全部CGで作ったんです。



──では現場では誰も見ていないんですね。



黒四角が空を飛ぶシーンがありますが、「どうやって飛ぶと思う?」という話でみんな盛り上がったりして(笑)。「縦に飛ぶ」「横になって飛ぶ」とかいろんな意見が出ました。俺は最初にくるくる回りながら飛ぶというのを考えていたんですが、CGでお金がかかってしまうのでやめました。



──日中戦争については、意識の違いはありましたか?



役者と話して、向こうも意見を出してきました。でも一回、40年代のシーンを撮っているときに、軍隊が山道を歩くところでカメラマンがポジションを決めるために、出演もしている助監督の東さんが軍服着たままスコップで樹を倒していたら、中国人スタッフが環境問題を持ち出してものすごく怒りだして、険悪なムードになったことはありました。撮影の終盤で中国人のスタッフみんなストレスが溜まっていたのかもしれないけれど、「軍服を着た日本人が樹を切っている」というその画に対して感情的になったんでしょうね。



──向こうの衣装屋に日本の軍服は並んでいるんですか?



毎日テレビで抗日ドラマをやっているからものすごくありますよ。国営の伝統的なスタジオで八一映画撮影所というのがあって、衣装を借りに行ったんです。そこには軍服がずらっと揃っていて、「設定は何年だ」と聞かれて「1943、4年の設定だ」と言うと「分かった」と装備も一式出てきて。借りるのも安いんですよ。エキストラは50人くらい大型バス1台で来てもらったんですが、軍服を揃えてエキストラ50人使っても、10万円かからなかったかな。そうした経費は安いですね。



──中国スタッフとキャストには初号試写を見せたのですか?



自宅で編集していたので、部屋によく飯を食いがてら編集を見にきていました。ちゃんと上映したのは、電影学院のイベントで、みんな喜んでいましたよ。李さんもすごく喜んでいました。というのは、この予算で映画を作るということは普通の中国の商業映画ではありえないから。あの値段でよくこんなものを作れてすごい、というようなところはあったんでしょうね、きっと。



中国のインディペンデント映画事情




中国映画に出資するには




──今年ベルリン映画祭でディアオ・イーナンが『白日烟火』で金熊賞を取ったけれど、「自分の映画は商業的じゃないので、こういう映画は中国では公開するのはなかなか難しい」とプレスに答えていました。中国では今、ほんとうにインディペンデント映画の見せ場がない状況なんですか?



そうですね、検閲を通さないと興行してはいけないですし、通ったとしても劇場でかけるのが難しい。



──それは配給側が商売にならないと判断するからですか?



配給も中国電影集団というひとつの会社がすべて吸い上げる構造になっているから。ジャ・ジャンクーの映画とかはいちおう公開するけれど、3日くらいで終わったりしますからね。お客さんが入らないと切ってしまう。





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映画『黒四角』より © 2012 Black Square Film Gootime Cultural Communication Co., Ltd




──今中国には映画にお客さんが入っているのですか?



スクリーン数がめちゃくちゃ増えた。だからスクリーン単価だと落ちたらしいですよ。北京でも、ほとんどお客が入ってない映画館はいっぱいある。



──そこに、ローバジェットでエンターテインメントを作って当ててやろうというプロデューサーは出てこないのですか?



たくさんいます。それで成功例がいくつかあります。『CRAZY STONE(瘋狂的石頭)』という低予算でものすごく儲かった映画があって、寧浩(ニン・ハオ)監督は今超売れっ子です。去年いちばんヒットしたタイで撮った映画『泰囧(タイジョン・『旅の男はつらいよ』)』もそんなにお金がかかってないはずです。だから博打としては魅力があるんじゃないでしょうか。



──インディペンデント映画、あるいは芸術的映画というのがマーケットに受け入れられない、というのは中国だけの問題ではなく世界中の基本で、でも『CRAZY STONE』みたいな発想というのは日本もアメリカも考えていると思うんです。



インディペンデント映画といっても幅が広いでしょう。昔はフィルムというものがあったから、映画といったときに分かりやすいイメージがあった。映画とはなにかというのが線引きできたけれど、今はそうではない別に映画と呼ばなくてもいいわけですし、人によっては、現代美術の人たちがやっているインスタレーションに近づいていってもいい。でも、俺はもともと〈物質〉だった頃の映画に憧れて始めたので、自分が思っている映画をやりたい。そうすると、やっぱり難しいんですよ。



──今の中国の状況だと、リアリティショーみたいなドキュメンタリー的なものを『あいのり』のようにビデオで撮って作ったら、ヒットする可能性はあるかもしれない。



そういうことは思います。中国は映画に対してはまだうぶなので。『泰囧』はサモ・ハン・キンポーがやっていたような香港コメディっぽい雰囲気があって、俺からすると懐かしい感じがしたんだけれど、今のお客さんにとっては新しいんだと感じましたし。このあたりを色気を出してやってみたいということも思います(笑)。




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映画『黒四角』より © 2012 Black Square Film Gootime Cultural Communication Co., Ltd


中国映画はハリウッドの規模になりつつある



──また中国で撮りたいという気持ちはありますか?



撮りたいですね。内容によっては日本より予算が押さえられますし、日本人が中国で商業映画をやろうというのは現実味がないですが、この規模の映画だったら少しはノウハウができたので、もっといいやり方ができると思います。場所も人も面白いですし、物語もたくさんあるし、北京じゃなくても、地方でも撮りたい。でも、『黒四角』で借金を作ってしまったので、もう一回これをやるというのは今は無理なんだけれど、例えば日本で1,500万くらいの予算で中国を舞台に映画製作しませんか、という話があったら喜んでやりますよ(笑)。俺じゃなくても、中国でインディペンデントで映画を作ってみたい人がいれば、相談はいくらでも受けます。



──出資を受けて製作というのも?



『CRAZY STONE』くらいそこそこの予算(『CRAZY STONE』の予算は300万元/約4,800万円)がかかる作品なら、完全自主企画ではなくて、出資先を探して製作したほうがいいですね。しかも、日本人が中国映画に直接投資して進めるとリスクが大きく、黒沢清監督の『一九〇五』のように製作開始時と政治的・社会的状況が全く変わったことで製作中止になってしまったり、完成しないままお金を吸い取られて返ってこない可能性もあります。だから、例えば中国映画に出資している台湾の会社に投資する、というかたちのほうがいい気がします。



──中国語や北京語が分からなかったら、チェックしようがないですからね。



仮に大ヒットして100億円利益があったとしても、向こうに「100億円宣伝費として使ってしまったんです」と言われたらおしまいですから。



──でも、もし中国のマーケットに一獲千金の可能性があるとしたら、面白いですよね。



ハリウッドの規模になりつつあって、日本が太刀打ちできないところまで行っています。



──『ゼロ・グラビティ』でも中国の宇宙ステーションを出したり、ハリウッドが中国が悪者になっている脚本を全部変えて、どれだけ中国に受け入れられるかを考えている。売上が日本を超えた時代になったんだから、それは意識しますよね。



『アイアンマン3』も中国版でファン・ビンビンが脈略もなく出てきたり。10倍の人間がいるんだから、まだまだこれからですよ。



──最後に、『黒四角』は海賊盤DVDにはなっていないのですか?



出ていないですね。流出が怖いのできちんとデータの管理はしています。ただ、もし日本でDVDがリリースされたららすぐ出るでしょう。今は海賊盤はDVDではなくネットです。正式な動画サイトは課金制で、中国国内の映画に関してはネットでの権利が整備されて、ちゃんとお金をとれるようになったらしいんですが、非正規のネット業者は広告で儲けている。



──誰かが字幕を入れているんですか?



それが字幕集団がいるらしく、日本で放映したテレビ番組が翌々日くらいにはぜんぶ字幕入りでアップされている。冒頭に中国の企業のCMが1分くらい入っていて、スキップできないようになっている。でもきっとメリットもあると思います。例えば向井康介が俺と同じように研修で北京に来ていますけれど、彼が手がけているドラマ『深夜食堂』は中国でも有名で、みんなネットで観ている。だから日本の脚本家だと言ってもいまいちピンとこないけど、「『深夜食堂』を書いてる」というと羨望の眼差しで見られる(笑)。海賊盤業者が無料で営業をしてくれているんです。



(取材・浅井隆 構成:駒井憲嗣)










奥原浩志 プロフィール



1968年生まれ。『ピクニック』がPFFアワード1993で観客賞とキャスティング賞を、『砂漠の民カザック』がPFFアワード1994で録音賞を受賞。99年に製作された『タイムレス・メロディ』では釜山国際映画祭グランプリを受賞した。その後『波』(01)でロッテルダム国際映画祭NetPac Awardを受賞するなど、高い評価を受ける。その他の作品に『青い車』(04)、『16[jyu-roku]』(07)がある。本作品は、5本目の長編劇場作品に当たる。











映画『黒四角』

5月17日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次ロードショー



北京郊外の芸術家村。売れない芸術家チャオピンは、ある画廊で「黒四角」という名の黒一色に塗りつぶされた不思議な絵を目にする。翌日、チャオピンは空を飛んでいく黒い物体を発見し、それに誘われて、荒野にたどり着く。黒い物体は荒れ地に降り、そこから裸体の男が現れる。その男は自分の名前さえ憶えておらず、どこから来て、どこへ向かうのかも分からないと言う。チャオピンは男を家に連れて帰り、「黒四角」と名付ける。チャオピンと妹のリーホワはこの男に既視感を覚える。次第に惹かれあっていく男とリーホワの前に一人の日本兵が現れ、物語は60年前、悲惨な戦争に従軍した日本兵と中国人兄妹の儚い愛と友情の記憶へと変転していく。



監督・脚本・編集:奥原浩志

出演:中泉英雄、ダン・ホン、チェン・シーシュウ、鈴木美妃、ゴウズ、ジャン・ツーユー、ワン・ホンウェイ

プロデューサー:李鋭、奥原智子

撮影監督:槙憲治

照明:高根沢聡志

美術:高鵬

録音:張陽

音楽:サンガツ

視覚効果:オクティグラフィカ

助監督:東伸治

協力:尾崎元英、星空壹禾影視發展有限公司

2012年/日本・中国合作/カラー/HD/144分

配給:太秦



公式サイト:http://www.u-picc.com/black_square/

公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/映画黒四角/687299707976166

公式Twitter:https://twitter.com/@u_picc



▼映画『黒四角』予告編


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SNSの闇を描く映画『ディス/コネクト』監督が語るテクノロジーと孤独

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映画『ディス/コネクト』より © DISCONNECT, LLC 2013




SNSでの嫌がらせが元で起きた事件をきっかけに、心の繋がりを見つめ直す人々を描く映画『ディス/コネクト』が5月24日(土)より公開される。ジェイソン・ベイトマン、アレキサンダー・スカルスガルド、そして今作が映画初出演となるファッションデザイナーのマーク・ジェイコブスらが出演。気持ちが通わない2組の親子の関係を軸に、並行する3つの物語を通して現代におけるコミュニケーションの在り方を捉えたサスペンスフルな群像劇だ。2006年の映画『マーダーボール』で注目を集めたヘンリー=アレックス・ルビン監督が、本作について語った。




娯楽性のあるスリラーにしつつ、

リアルな映画にすることを心がけた



──この物語は人と人とのふれあいやコミュニケーション、孤独、希望、癒しなど現代社会で起こっている問題について捉えています。脚本に対してどのように取り組もうとしましたか?



すべてをナチュラルでリアルにしたかったので、ネット上のいじめに遭った方や、逆にした方、ネット犯罪に遭った事のあるご家族や、そういった犯罪を捜査しているFBIの担当官などに実際会ってリサーチした。ネットの向こうにいる相手に怒りをぶつける時の気持ちであったり、警察に事件を申告した時にどんな手続きをするのかが知りたかった。この映画にはリサーチャーがたくさんいて、ニュージャージーやコネティカットであった事件をメインに取材をして、そのおかげで映画にドキュメンタリーのような感覚をもたらす事が出来たんだ。リサーチのおかげで僕は脚本をより深く理解することができた。想像だけでは得られないディティールをもたらしてくれた。俳優たちの多くも、彼らが演じることになる人々に会ったよ。




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映画『ディス/コネクト』のヘンリー=アレックス・ルビン監督


──監督ご自身は個人的にSNSを使っていますか?この映画に関わる前、SNSに対して肯定的、否定的、どちらでしたか?



ああ、使っているよ。毎日見るし、その事についてあまり問題を感じたことはないんだ。技術の進化を止められるわけじゃないから、テクノロジーに対してそういう問題を感じる必要があまりないと思うんだよね。



この映画は「全てはSNSのせいだ、という風に描いている」と誤解されてもいるんだけど、そういった想いは全然ないんだよ。今回映画の中で3つの物語が描かれているんだけれど、それぞれのキャラクターがとても人間的な選択をした結果、よりドラマティックな結末に向かうという構造になっていて、そこで「ネットのせいである」という事を僕は言っているわけじゃない。映画だからね。みんなレベルは違えど孤独を抱えていて、「誰かと繋がりたい」という感情を持っている、それはある意味人間としての弱さでもあると思うんだ。





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映画『ディス/コネクト』より © DISCONNECT, LLC 2013




──撮影に関してもドキュメンタリー的なタッチが随所に取り入れられています。



例えば、二人の人がテーブルで話していたとして、ドキュメンタリーでそれを撮影できるのは廊下か窓か誰かの肩越しだけだ。二人に意識せずに話をしてもらうには、彼らの空間から排除されなければならない。それと同じ手法を映画作りにも取り入れた。カメラを離れたところにおいてズームインするんだ。



──フィクションの中でリアリティを描く事について何を重視しましたか?また、ドキュメンタリーにはない難しさを感じた点はありますか?



とにかくなるべくリアルな映画にするという点が、僕がフィクション映画を作る上での挑戦だった。音楽の使い方がうるさかったり、リアルさや信憑性をなくして映画との距離が出来てしまう事のないようにしたんだ。今回の作品はフィクションなんだけれども娯楽性のあるエモーショナルなスリラーにしつつ、なるべく作品自体から乖離しないように気を付けた所が一番苦労した点かな。




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映画『ディス/コネクト』より、アレキサンダー・スカルスガルド(左)、ポーラ・パットン(右) © DISCONNECT, LLC 2013




──俳優たちのアドリブも多用したそうですね。



台本の台詞に忠実に何テイクかやってみた後、俳優たちに心の中にあることを話してみるように言った。偶然出てきた台詞の方が、我々が思いつくどんなものよりも趣旨に合っていることがあったね。そして、時々起こるそうした瞬間が、我々が予想していたものよりも、はるかにリアルだった。




──リッチ・ボイド役のジェイソン・ベイトマン、デレック・ハル役のアレキサンダー・スカルスガルドについて、それぞれのキャラクターについてと彼らを起用した理由を教えてください。



リッチは別に面白い人物じゃないのに、会うと瞬時に彼のことが好きになる。それこそが、ジェイソンが役にもたらす贈り物のひとつだ。彼はジミー・スチュアートやトム・ハンクスみたいに瞬時に人の心を溶かすんだよ。そしてそれこそが、リッチ役に必要なことだった。



反対に、デレックは感情をほとんど表さない。口数も少なくて―目で語るんだよね。アレックスは目とボディランゲージであふれんばかりに表現する。動きは最小限なのにその表現の大きさときたら。あれは驚異的だ。



僕はただ、俳優たちができる限り居心地よく、自信を持てるようにしてあげて、演技をしている彼らをフィルムに収めるだけだ。トリュフォーの「私は俳優を演出するのではない、私は彼らを愛するのだ」という素晴らしい言葉があるけれど、僕も同感だ。





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映画『ディス/コネクト』より、ジェイソン・ベイトマン © DISCONNECT, LLC 2013



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映画『ディス/コネクト』より、アレキサンダー・スカルスガルド(左)、ポーラ・パットン(右) © DISCONNECT, LLC 2013


──映画に参加した俳優達は、完成した本編を観た後、どんな反応でしたか?



マーク・ジェイコブスは、自分があまりにコワモテになっていた事にすごく驚いていたよ。普段は愛らしくスイートで、声を荒げたりもしない穏やかなタイプだから。タトゥーはいっぱいあるんだけど、よく見るとそれがスポンジボブであったり、M&Mだったりで全然脅威を感じないんだ。そんな彼だからこそスクリーンで描かれていた姿が「すごい怖そうな奴に見えるね」って、友人達そして彼自身もとても驚いていたよ。



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映画『ディス/コネクト』より、マーク・ジェイコブス(右) © DISCONNECT, LLC 2013



あと一番感動したのはトロント映画祭の時だったかな。そこでジェイソン・ベイトマンが初めて映画を観たんだけど、涙を流して僕をぎゅっと抱きしめてくれたんだ。観客のみなさんはもちろんだけど、自分の作品に参加してくれた仲間が映画を観てそこまでの反応をしてくれるっていうのは映画作家としての夢だ。演技はもちろんだけど、それがジェイソンからもらった一番の贈り物だった。自分のやるべき事を果たせたのかな、と思えたんだ。



この映画を観た人の反応で一番多いのは、スリラーだと思っていたのにこんなに感動するなんて!という意見かな。





いちばん感情を理解できるのはネットでいじめられた少年




──映画に登場する女性シンディはチャットルームに参加したことをきっかけに個人情報を盗まれてしまいますが、彼女や他のキャラクターと同じ経験をした事はありますか?



経験はないんだけど、唯一感情的な面で理解できるなと思うのは、ネットでいじめられた少年、ベンだね。僕も子供の時にいじめに近い経験をしているし、それは映画を観ている多くの方が人生のどこかで経験した事のある感覚ときっと近いと思う。ベンというキャラクターが持つ、孤独、友達がいないという感覚はうまく描けたんじゃないかなと自負しているよ。




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映画『ディス/コネクト』より、ベン役のジョナ・ボボ © DISCONNECT, LLC 2013


──この映画から感じてほしい事、伝えたい事はなんでしょう?



この映画を観た事で自分の人生について考えたり、今よりも充実した幸せな人生を送るためのきっかけになったら嬉しい。どんなに成功していても、たくさんの友達や家族がいても、密かに孤独を感じている方が多いと思うんだ。それは人生を進めていく中で経験するものだと思うけど、映画の核はどこか感情や関係が欠けていて、人との繋がりを欲している全ての登場人物だ。僕にできるのは彼らに踏み込んでいく事、そして鮮明に描く事だった。



個人的な考えで言うと、誰かと繋がりたいと求める気持ちを、ネット上やSNSのコミュニケーションで「これがそうなんだ」と間違えてしまうのは孤独のせいなのかもしれないと思うし、自分と人との間に距離ができ、時には疎外感を生んでしまう。ネットで大切な人と出会う人達もいるから、テクノロジーってもろ刃の剣だよね。孤独というのも同じようにもろ刃であると思う。



でもこの映画で描かれている事は背景にすぎない。この映画で感じて欲しいのは、スリラーとして楽しんでもらいたいという事、そして何か感情を超えたエモーショナルな体験をしてもらう事。そういった感覚で楽しんでもらえたら嬉しいな。




(オフィシャル・インタビューより)











ヘンリー=アレックス・ルビン プロフィール



美術史家ジェームズ・H・ルビンを父に持つ。ドキュメンタリー映画作家として、『Who is Henry Jaglom?』(97・未)をジェレミー・ワークマンと監督し、『フリースタイル:アート・オブ・ライム』(05)を製作し、アカデミー賞にノミネートされた『マーダーボール』(06)をダナ・アダム・シャピーロと共同監督した。師匠ジェームズ・マンゴールドの作品数本でセカンドユニットの監督をつとめ、カンヌライオンズでは14個のライオンを獲得するなど、広告業界ではもっとも受賞歴のあるディレクターのひとり。












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映画『ディス/コネクト』より © DISCONNECT, LLC 2013



映画『ディス/コネクト』

5月24日(土)より 新宿バルト9他にて公開



SNSで起きた嫌がらせが原因で、自殺未遂を起こし意識不明の少年。その父親は仕事に忙しく、家族との会話もおろそかにしていたため、息子の自殺の原因が全くわからない。加害者の少年は、父子家庭の寂しさ、しつけに厳しい父親に愛情を感じることができず、鬱屈した思いを抱えていた。その父親は元刑事で、今はネット専門の探偵。父親の威厳を示すことで息子に気持ちを伝えているつもりだった。目の前にいたのに、お互いの本当の気持ちを知らなかった二組の親子。彼らを中心に、繋がりを求めインターネット上を彷徨う人々が、ある事件をきっかけに大切な人と、心と体をぶつけ合い絆を取り戻そうとする―。



監督:ヘンリー=アレックス・ルビン

出演:ジェイソン・ベイトマン、ホープ・デイヴィス、フランク・グリロ、ミカエル・ニクヴィスト、ポーラ・パットン、アンドレア・ライズブロー、アレキサンダー・スカルスガルド、マックス・シエリオット、コリン・フォード、ジョナ・ボボ、ヘイリー・ラム、マーク・ジェイコブス

製作:ミッキー・リデル、ジェニファー・モンロー、ウィリアム・ホーバーグ

脚本:アンドリュー・スターン

撮影:ケン・セング

編集:リー・パーシー、ケヴィン・テント

(c) DISCONNECT, LLC 2013

2013年/アメリカ/DCP5.1ch/ビスタ/115分/PG12

原題:Disconnect

提供:クロックワークス、ニューセレクト

配給:クロックワークス

c 2013 Gravier Productions, Inc.



公式サイト:http://dis-connect.jp/

公式Facebook:https://www.facebook.com/disconnect.jp

公式Twitter:https://twitter.com/disconnect_jp



▼映画『ディス/コネクト』予告編

[youtube:0d_KVN73Ycc]

「これで僕の『若者』としての映画制作は終わる」石井裕也監督が語る『ぼくたちの家族』への気概

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映画『ぼくたちの家族』より ©2013「ぼくたちの家族」製作委員会



『川の底からこんにちは』『舟を編む』の石井裕也監督が妻夫木聡、原田美枝子、池松壮亮、長塚京三ら豪華俳優陣を迎え、「家族」をテーマに挑んだ最新作『ぼくたちの家族』が5月24日(土)より公開される。ある日突然、脳腫瘍が発見され余命一週間と宣告された母親と、父親そしてふたりの息子の奮闘と再生を描く今作。これまでの作品においても、独特の「間」を生かした演出により人間関係の機微を捉えてきた監督が、どのように「家族」を描いたのか、石井監督に聞いた。



ニヒルを気取る次男坊の感じはよくわかるんです




── 今作の原作は、小説家・早見和真さんが自身の体験を元にした作品「砂上のファンファーレ」ですが、制作のきっかけから教えてください。



きっかけは、永井プロデューサーからの企画持ち込みでした。原作となる早見和真さんの「砂上のファンファーレ」は2011年3月に刊行され、6月に読みました。僕自身の話だ、と思いました。家族構成は全く同じで、僕は次男で、7歳の時に母親を病気で亡くしています。距離を置いて家族をじっと観察して、“くだらねえ”とニヒルを気取る次男坊の感じはとてもよくわかるんです。兄に対しては、言葉にし難い思いがあり、家族に起こる出来事を兄は弟よりも直接的に背負っている、とどこかで感じていた。まるで浩介を見る俊平のように。



原作に書き込みを施し、すぐに53ページもあるプロットが出来上がった。映画の骨子はその時すでに出来上がっていました。主人公は、兄の浩介になっていました。



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映画『ぼくたちの家族』の石井裕也監督




これは「母を救う話」だと思いました。僕の場合は幼かったので、病気の母親のために何もできませんでしたが、もう一度その機会があるのならば、全てを背負いこみたい、と思ったんでしょうね。弟の立場は痛いほどよくわかるのですが、今回は兄貴の立場に立って奮闘したいと思いました。脚本は改訂を重ね、19稿で決定稿となりました。




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映画『ぼくたちの家族』より ©2013「ぼくたちの家族」製作委員会





── 物語のなかで「とっくにこの家族なんてぶっ壊れてんだ」という次男の台詞がありますが、家族について多くの問題を抱える現在の社会のなかでそれぞれの思いを投影して観ることができる作品だと思います。撮影現場はどのようなムードでしたか。



この若菜家を「自分の家族」と重ね合わせて撮影していました。それは僕だけだと思っていましたが、話を聞くと他のスタッフや役者さんも自分の家族を重ね合わせていたようです。それができたのは、原作に普遍的な要素が詰まっていたからだと思います。





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映画『ぼくたちの家族』より ©2013「ぼくたちの家族」製作委員会



池松君の大人の男になる瞬間を撮れるかもしれないと思った



── 浩介と俊平、性格のまったく異なるふたりの息子役に妻夫木聡さんと池松壮亮さんを起用した理由を教えてください。



妻夫木聡さんと池松壮亮くんに関しては、二人の顔が同時に浮かんだキャスティングでした。妻夫木さんはずっと好きな役者さんでした。実は最も難しい「普通の男」を色っぽく艶やかに演じられる稀有な存在だと思います。しっかり考え、悩んでいる痕跡がくっきりと顔に刻まれているんです。そういう男は、同性から見てもカッコいい。池松君も妻夫木さんと同じ匂いがします。でも彼は、当時まだ「少年」でした。この映画で、大人の男になる瞬間を撮れるかもしれない、と直感的に思いました。



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映画『ぼくたちの家族』より 妻夫木聡 ©2013「ぼくたちの家族」製作委員会




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映画『ぼくたちの家族』より 池松壮亮 ©2013「ぼくたちの家族」製作委員会




── それでは、余命一週間と宣告される母親役の原田美枝子さん、それから家族を建て直そうと奮闘する父親役の長塚京三さんについては?



原田美枝子さんは、僕が言うのも恐れ多いですが、かわいいんです(笑)。玲子は脳腫瘍が原因で、だんだん少女化していく。天真爛漫で少女のような要素が絶対的に必要で一番大事にしたかった部分。彼女に対して、長男、弟と父がついていく。気品・少女性のある母親を演じられるのは原田さんしかいなかったと思います。



長塚京三さん演じる父親は、多額の借金を抱えていますが、それでも許せてしまうのは長塚さん自身が持つお茶目さや人間っぽさがにじみ出ているから。いわゆる「ダメな親父」は以前にも「あぜ道のダンディ」などの作品で描いていますが、今回は一度失墜した父権をもう一度取り戻す、という「新しい父親」を目指しました。浩介が父になっていくように、父ももう一度「お父さん」をやり直していくのです。




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映画『ぼくたちの家族』より 原田美枝子 ©2013「ぼくたちの家族」製作委員会




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映画『ぼくたちの家族』より 長塚京三 ©2013「ぼくたちの家族」製作委員会



── 監督にとっては20代最後の作品となりましたが、どのような感慨がありますか?



これで「若者」としての映画制作は終わると自覚していました。ある種の総決算的に、若い感性を振り絞って、一度家族というものを見つめ直し、全力でやってみようという気概がありました。撮影が終わって、ああ、これで20代が終われた、やり残したことはないという気持ちになりました。




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映画『ぼくたちの家族』より ©2013「ぼくたちの家族」製作委員会



── 一生懸命になればなるほど、悲哀と可笑しみが溢れてくる妻夫木さんの演技や、原田さんの天真爛漫な母親のキャラクターなど、とてもリアルに現代の家族が描かれていると思います。この家族の物語を撮るにあたり、主題をどこに据えようとしましたか。



この映画を言葉で語るのは非常に難しいです。明確なテーマを持たずに映画を作ったからです。それは僕にとって初めての経験でした。テーマは不必要でした。家族というワケのわからない「業」のようなものに理屈で向き合っても仕方ない、と思いました。上手な宣伝文句が何も言えないことが歯痒いですが、それでもこの映画では、素晴らしい俳優たちの「演技合戦」が見られると思います。言葉では説明のしようがない家族、人間というものを、彼らの演技を通して垣間見ることができると僕は確信しています。




(オフィシャル・インタビューより)











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石井裕也 プロフィール




1983年埼玉県出身。大阪芸術大学の卒業制作として2005年『剥き出しにっぽん』を監督。この作品で第29回ぴあフィルムフェスティバル「PFFアワード2007」にてグランプリ&音楽賞(TOKYO FM賞)受賞。続けて監督した『反逆次郎の恋』(06)、『ガール・スパークス』(07)、『ばけもの模様』(07)と共に第37回ロッテルダム国際映画祭、第32回香港国際映画祭で特集上映される。2008年にはアジア・フィルム・アワードで第1回「エドワード・ヤン記念」アジア新人監督大賞を受賞。第19回PFFスカラシップ作品として監督した『川の底からこんにちは』(10)ではモントリオール・ファンタジア映画祭2010にて最優秀作品賞を受賞のほか、国内外で多数の映画賞を受賞した。さらに『舟を編む』(13)で第86回米国アカデミー賞外国語部門日本代表作品に史上最年少で選ばれる快挙を成し遂げ、同作は日本の映画賞を総なめにした。その他の主な監督作に『あぜ道のダンディ』(11)、『ハラがコレなんで』(11)がある。











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映画『ぼくたちの家族』より ©2013「ぼくたちの家族」製作委員会



映画『ぼくたちの家族』

5月24日(土)より、新宿ピカデリー他 全国ロードショー




監督・脚本:石井裕也

出演:妻夫木聡、原田美枝子、池松壮亮、長塚京三、黒川芽以、ユースケ・サンタマリア、鶴見辰吾、板谷由夏、市川実日子 他

撮影:藤澤順一

編集:普嶋信一

美術:栗山愛

衣装デザイン:馬場恭子

音楽:渡邊崇

原作:早見和真「ぼくたちの家族」

製作:『ぼくたちの家族』製作委員会

配給:ファントム・フィルム

2014年/日本/カラー/117分




公式サイト:http://bokutachi-kazoku.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/bokutachikazoku

公式Twitter:https://twitter.com/bokutachikazoku/





▼映画『ぼくたちの家族』予告編

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リア充文化系の「貧乏だけど、そこそこ楽しく暮せてしまう」東京の生活を描く今泉力哉監督

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映画『サッドティー』より



2013年の東京国際映画祭やイベントでの上映などで話題を集めてきた今泉力哉監督の『サッドティー』が5月31日(土)よりロードショー公開される。二股を解消したい映画監督・柏木とその2人の彼女を軸に、12人の男女の群像劇を、今泉監督ならではのリアリズムとユーモアで描いている。登場するキャラクターについて、そして東京に住む若者の普通の生活感を捉えた世界観について、今泉監督が映画評論家の森直人氏と語った。



生きるための葛藤とかじゃない



森直人(以下、森):若手が作る日本映画ってミニマムな日常を描きがちだと言われつつも、実は今の東京の普通の生活を描く作家ってほとんどいないような気がするんですよ。でも今泉映画は、本作でも暇なカフェとか古着屋でバイトしながら、帰ったら手狭なアパートに住んでいたり。或いは古い一軒家を借りていたりとか。輝かしい過剰な幻想が消えたあとの東京がフラットに映っている。



今泉力哉(以下、今泉):別に、地方から東京に夢を持ってきているとかじゃないというか。



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映画『サッドティー』の今泉力哉監督



森:そう、上京者もいれば、地元の人もいるし。先例としては井口奈己さんの『犬猫』あたりが近いけど、井口さんの目線はすごく「地元=東京」的。一方、今泉さんの場合は「あそこに行けば何か…」っていう自己実現の幻想の名残りが匂うっていうのが、田舎出身の僕にはリアルでね。だから、連作感っていうのと東京の土地っていう生活感を合わせると、案外、昔のウディ・アレンに近いですよね。彼は「地元=N.Y.」ですけど。



今泉:ウディ・アレンのポジションって、ちょっと金持ちの階級じゃないですか。それを自分の庶民的な階級でやってることはありますよね(笑)。



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映画『サッドティー』より


森:だから今泉映画はクラスタというかトライブで言うとなんなのかなって考えた時に、僕ね、「リア充文化系」かなって思ったんです(笑)。ヤンキー的な地元LOVEでもないから、東京で難民っぽくなっているんだけど、友人も恋人もいて、経済的にも身の丈で何となく暮らせている。非モテみたいなモチーフがあったとしても、いわゆる童貞イズム的な流れとは全然違いますもんね。



今泉:冒頭の会話の喫茶店の「暇だから二股してるんですか?」とか「暇だからバイト2つしてる」みたいな。結構、それがまさにそこで(笑)。生きるための葛藤とかじゃないから。もし忙しくて大変な生活してたら考えないことを考えていて、それが主題、みたいな。




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映画『サッドティー』より



森:要するに「恋愛」と「労働」が「暇だから」モードという等価で扱われていて、どちらも完全燃焼ではない世界。生きることって死ぬまでの暇つぶしだよね、みたいな浮遊感。そこでちょっといい生活しようとすると労働に傾いたり、もっと人間関係をディープに詰めて行こうとすると恋愛に傾くのかもしれないんですけど。「貧乏なんだけど、そこそこ楽しく暮せてしまう」今の東京の感じっていうのは、意外と劇場用映画の中で観ることって少なくなったなって思います。みんな郊外や田舎に「現代」を求めて行っちゃうから。



今泉:ああいう部屋感とか街感とかって、撮影規模にもよりますよね。商業とか、規模が大きくなれば、制作部が場所を探すし、セットをつくることもある。美術や照明さんもいますし。今回は、それこそ自分の家以外のロケ場所で出てくる家は、ほとんどtwitterで探しましたもん(笑)。「女性の一人暮らしの家で撮影できる場所、探してます。」っていうので反応があった5、6人の方の家を自分一人でフラフラ回っていくっていうロケハンで。






長く付き合ってる人たちの倦怠や退屈さを描きたかった




森:なるほど。だから映画に流れる空気自体が本当に「そこ」なんですね。あと登場人物でいうと、岡部成司さんの演じた映画監督の柏木が、「二股」という今泉的モチーフを纏いつつも、意外に今泉さんの過去作にはなかったキャラのような気がしたんですよ。



今泉:確かにいないっちゃいないかもしれないですね。今回の脚本の原点で言うと、脚本を書けなくているっていうのは今回この映画をENBUゼミでつくるにあたっての自分の状態だったんですけどね。今回は脚本が書けるようになるっていう成長もの的なことには、したくなくて。今回は絶対最後まで書かないぞって決めてて。本当にそう、最後、寝ちゃうぐらいの(笑)。




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映画『サッドティー』より



森:でも柏木ってね、クリエイターのくせに何の情緒も人間的関心もない。だから殺人的に鈍感で無神経なことを悪気なく口走るじゃないですか。



今泉:あれはね、本人も、俺もすごい迷ったんですよ。別れ話で「羨ましいよ、ちゃんと好きな人いて」って彼女に言うみたいなことは、コイツはどんだけわかってんのか。嫌われてもいいということの中での自覚なのか、本当にわかってないのか。まあわかってなく見えますけど。どうすればいいだろうねって、柏木役の岡部さんと話してて。





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映画『サッドティー』より




森:だから柏木と彼の友達・早稲田が「真面目さ」をめぐって喧嘩してるシーンは僕から見るとすげえ酷い(笑)。だから面白い。本作の思想性みたいなものを示す決定的なシーンですよね。この二人が今泉キャラのエクストリームな両極だなっていう風に思いました。



今泉:(笑)。今回は、長く付き合ってる人たちの倦怠だったり退屈さだったりとかがすごくやりたくて。冒頭の公園の競歩でぐるぐるとかも、(ソフィア・コッポラ監督の)『SOMEWHERE』っていう映画の冒頭でめっちゃ車走ってるんですけど。あの映画って階級で貧しいとかではないけど、主人公の男の人の日常の退屈さや倦怠も含めて大好きな映画で、引用しようと思った。





森:なるほど。『SOMEWHERE』の円のイメージっていうのは「どこにもいけない」っていう倦怠そのものですよね。ある種の出口なしの状態なんだけども。ただ、今泉さんのはもうちょっとポジティブなイメージなんですよね。円を楽しんでる感じがあるというか。暗くないんですよ。今泉さんって陰陽でいうと「陽」だと思うんですよね。作家のタイプとしては。だから幻想が消えた東京だとか、煮え切らない関係とか、それこそ『最低』とか『終わってる』のタイトルもそうだけど、ネガティブワードが多いわりに、僕は変な明るさが基本的にあるなって思っていて。




今泉:震災の時に、サイトとかいろんなところで、本当は気づいているのに、何か取り繕って明るく振舞おうとしてた社会状況、例えば不況とか、色んなうまくいってないことが、震災が起きて全部それが嘘だったみたいな、夢がなかったじゃないですけど、いろんなことが表面化してバレちゃったね、みたいなことを言ってる大人たちがたくさんいたんですが、その風潮に全然乗れなくて。というのも、元々何も期待してない、バブルとかも知らない世代だから。不幸なことや大変な状況、今の社会が「陰」っていう発想があまりなくて。ずっと普通に「陽」っていうか。あとはやっぱり良くも悪くも観る人が面白がれるものであるべきで、娯楽的な感覚が映画においてあるので。山下(敦弘)さんの影響もちろんあると思うけど、コメディ的な笑わせるよりも、気まずいとかそっち側で可笑しみとか笑えるとか。お客さんが笑うっていうのが一番難しいし、やってみたいことだっていうのは、ずっとあるので。その部分でどうしても重く重くっていうのはやろうと思っていないし、逆にそれも嘘っぽくなる気がして。作りもの感というか。すごく泣いたりとか、触ったりとか抱きしめたりとかもそうですけど。やっぱり「人を触わる行為」って自分は普段しないので。どっかで意識的にやってる芝居は、見ていてこっちが冷めてしまうというか。




(文:森直人 オフィシャル・インタビューより転載)










今泉力哉 プロフィール



1981年福島県生まれ。『たまの映画』(10年)で商業監督デビュー。恋愛群像劇『こっぴどい猫』(12年/モト冬樹主演)がトランシルヴァニア国際映画祭(最優秀監督賞受賞)を含む多くの海外映画祭で上映。TVドラマ『イロドリヒムラ』への脚本参加(監督・犬童一心)や、山下敦弘監督とともに共同監督したドラマ『午前3時の無法地帯』(出演:本田翼、オダギリジョー)など、映画以外にもその活動の場を広げている。最新作はTVドラマ『セーラーゾンビ』(14年)。











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映画『サッドティー』より



映画『サッドティー』

5月31日(土)からユーロスペースほか全国順次上映




二股を解消したい映画監督とその2人の彼女。彼の行きつけの喫茶店のアルバイトの女の子とマスター。彼女へのプレゼントを買いに行ったお店の店員に一目惚れする男。元アイドルを10年間想い続けるファンとその存在を知って彼に会いに行こうとする結婚間近の元アイドル。さまざまな恋愛を通して描く、「ちゃんと好き」ということについての考察。




監督・脚本・編集:今泉力哉

出演:岡部成司、青柳文子、内田 慈、永井ちひろ、阿部隼也、國武 綾、富士たくや、佐藤由美、武田知久、星野かよ

音楽:トリプルファイヤー

製作:ENBUゼミナール

制作:松尾圭太、後藤貴志

プロデューサー:市橋浩治

撮影監督:岩永洋

録音・整音:根本飛鳥

助監督:平波亘

ヘアメイク:寺沢ルミ

スチール:天津優貴

キャスティング協力:吉住モータース

配給・宣伝:SPOTTED PRODUCTIONS

120分/2013年




公式サイト:http://www.sad-tea.com/

公式Twitter:https://twitter.com/SAD_TEA




▼映画『サッドティー』予告編

[youtube:JDy8AylrjNU]


コーエン兄弟が描く愛すべき60年代NY音楽シーン『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』

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映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』より Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC


ジョエル&イーサン・コーエン監督が、1960年代のニューヨークを舞台に、しがないフォーク・シンガーが成功を目指して悪戦苦闘する日々を描く映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』が5月30日(金)より公開される。『スター・ウォーズ』新シリーズに出演が決定しているオスカー・アイザックが主人公のルーウィンに扮し自ら歌声を披露しているほか、キャリー・マリガンやジャスティン・ティンバーレイクらが脇を固め、音楽プロデューサーとして『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』などを手がけるT・ボーン・バーネットと、UKの人気バンド、マムフォード・アンド・サンズのマーカス・マムフォードが参加。コーエン兄弟が当時の音楽シーンを鮮やかにスクリーンに蘇らせている。今作の制作のプロセスや演奏シーン撮影でのこだわりについて監督が語った。



主演のオスカー・アイザックは

「条件付きで」即決だった。




──主人公のフォーク・シンガー、ルーウィンを演じるのにぴったりの俳優を見つけるのに、どのくらい捜したのですか?適役が見つからなければこの企画は成功しなかったのではないでしょうか?



ジョエル:その通りだね。



イーサン:僕たちはこれまでの映画制作のなかで何度か、不安要素のあるキャスティング経験があって、今回も間違いなくそのひとつだった。それはこの作品内容のせいだ。ミュージシャンにまつわる話だから、その俳優が実際に演奏するのを観客が見たがるのは分かっていた。パフォーマーについての話だから、僕たちは誰か素晴らしいミュージシャンで、彼の演奏や歌を最後まで見たいと思うような人を見つけなければならなかった。パフォーマーのふりをする俳優じゃダメなんだ。その彼そのものが映画なんだ。そう考えると、俳優にこの役を演じさせるのはとてもキツいものでもある。そんなことができる人を僕らは誰も知らなかったけれど、きっと見つけるだろう、とだけ思ってたんだ。それでミュージシャンたちと会うことから始めた。だって彼らが演奏のフリをするなんてわけがないんだから。でも、ミュージシャンたちの中には演技もできる人がいるけれど、全然うまくいかなかった。



ジョエル:音楽のパートはうまくいったけど(笑)。



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映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』のジョエル・コーエン、イーサン・コーエン


──彼に出会うまで、何人ものミュージシャンに会ったのですか?




イーサン:ああ、オーディションという設定で、僕らは素晴らしいプライベート・コンサートを観ることができたよ(笑)。でも、彼らは演奏は素晴らしいんだけど、そのあとシーンを演じてもらうと、「ああ、演技って本当に誰もが持っている技術じゃないんだな……」ってことになった。だから今度は俳優たちとも会い始めたんだけれど、そこでも逆の理由でがっくりしたんだ。そういう中でオスカー・アイザックに会ったんで、ホッとしたんだ。彼が完璧なのは明らかだった。




ジョエル:でも、彼が最初にオーディションの部屋に入ってきた時は、僕たちは彼がどういう人物か全く知らなかった。いろいろな映画でたくさん脇役をやっていたと後から分かったけれど、彼がどういう俳優か知らなかった。だからまるで、キャスティング作業中に未知の人物がどこからともなく現れて、座って歌い出したみたいな感じだった。



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映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』より、主演のオスカー・アイザック Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC






──オーディションで彼は何を歌ったんですか?



ジョエル:「Hang Me, Oh Hang Me」だよ。



イーサン:映画の中に出てくる歌だ。






ジョエル:それで僕らはその歌の入ったテープをT・ボーンに送ったら、T・ボーンが「彼は私が一緒に仕事するミュージシャンたちと同じくらいうまい……」と。



イーサン:これはなかなか興味深いことだった、というのもオスカーは「Hang Me」を歌っていて、それは実際に演奏するという意味においては圧倒的に一番簡単なんだ。そこで、「OK、オスカー。君には今の歌をやってもらうけど、あとは他にもいろいろ……」ってなった。それで、もっとチャレンジングなギターの曲をやらなきゃいけなくなった。それで彼は本格的に取り組んで、ギターの練習に何カ月もかけた。実は彼はこれまで20年間音楽をやってきてるから、そういう基盤があったんだ。



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映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』より Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC


──ではオーディションで彼と会って、即決だったんですか?



ジョエル:まあそうだったかな……。



イーサン:条件付きで即決だった(笑)。つまりこういうことだ。オスカーは僕たちがこのキャラクターにイメージしていた肉体的特徴とは違う。彼は素晴らしいけれど、僕たちは自分たちのルールを決めてしまって、頭の中にはイメージもある。だから「彼は素晴らしいけど、これでいけるのか?だって彼はイメージしてきたのとあまりにも違うから……」となったんだ。



ジョエル:似たようなキャスティングの経験を思い出したよ。20年前、『ファーゴ』のキャスティングの時のことだ。僕たちは『ファーゴ』ウィリアム・H・メイシーをキャスティングしたけれど、元々はあのキャラクターは巨漢で愚か者でだらしなくて、自分の体形に不満を持ってる人物と考えてたし、シナリオにはそう書いてもいた。ビルは別の役、たしか会計士の役をやるつもりでオーディションにやって来た。そしたら彼が言うんだ。「このメインの方の役を読んでみたいんだ。やらせてもらえるかな?」って。それで僕たちはふたりして思った。「ああ、OK、いいよ。やってみて。でも僕たちが考えているイメージじゃないから、じゃあ、お疲れさま……」って(笑)。それが、彼がやってみたら素晴らしくて、この人こそがこの役を演じるのにうってつけだ、という事実を理解した。だって彼はそりゃあ見事な演技なんだから。容姿に関しては、どこひとつとっても、考えていたものとは違ってたかもしれないけれど、彼は間違いなく適任だったんだ。



──今やウィリアム・メイシーなしの『ファーゴ』なんて、想像できません。



ジョエル:そう、その通り。オスカーについても似たようなことが言える。彼は僕らのイメージではなかったけれど、完璧だった。



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映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』より Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC


実在のフォーク・シンガー、

デイヴ・ヴァン・ロンクの回想録が発端



──このストーリーはどのような経緯でできたのですか?音楽シーンの大変革の幕開けである、この時代の音楽が好きだったのですか、それとも先にキャラクターがあったのですか?



イーサン:この時代についてかな。



ジョエル:ニューヨークであの頃のミュージック・シーンを映画でやろうと思ったんだ。それであの頃について書かれた中で一番なのは、フォーク・シンガー、デイヴ・ヴァン・ロンクが死ぬ前にイライジャ・ウォルドと一緒に出した本だ(『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃―デイヴ・ヴァン・ロンク回想録』)。素晴らしい本で、とても面白いだけじゃなく、彼の姿勢が政治とか音楽とか様々なものに対して赤裸々に綴られているからで、彼はそういったものに、とてもユニークなやり方でのめり込んでいるんだ。



──シナリオを書く前にその本は読んでいたのですか?



ジョエル:ああ。最初はふたりともただ面白い本として読んでいた。実は以前にも同じようなことがあって、『バートン・フィンク』を作った時も、僕らはロサンゼルスについて書かれた『ハリウッド帝国の興亡―夢工場の1940年代』(オットー・フリードリック著)と言う本を読んでいて、これは、40年代のロサンゼルスについてとても興味深いものだった。だからふたりでヴァン・ロンクの本を読んで、これは面白い時代と舞台で、しかも音楽は本当に素晴らしいと思った、そんな感じで始まったんだ。




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映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』より Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC


──それから、ふたりで一緒にシナリオを書き始めたんですか?



ジョエル:実はもう少し話は複雑なんだ。こういう時にはつきものの話だけれどね。それより7年前に、僕らはあるアイディアがあった。座ってくだらない話をしていると、たまにアイディアが浮かんでくる時があるけれど、それが冗談なのか本気なのか、果たして何か形になるものなのか自分たちにもわからないんだ。これもそんな類のアイディアで、60年代初めにあるフォーク・シンガーが、ウエスト・サード・ストリートの「ガーデス・フォーク・シティ」って店の外で叩きのめされてる、っていう場面だった。それが本当に面白く思えたんだ。「このあとどうなるんだろう、何が起こるんだろう?」ってね。それが僕らが考えてたものだ。そのあとその時代についていろいろ読んでいく中で、このアイディアにもっと真剣になって、「映画がこうやって始まるなら、そこから先に続く物語を考えられるか?こういう事件のあと、その後に起こることが、ちゃんと意味をなすものに作れるか?」って考え出したんだ。



──その時が、あの時代の音楽への興味の始まりでもあったんですか?



イーサン:そうだね。




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映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』より Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC


自分が登場するパフォーマーたちの観客になったような気持ちになる



──それでこの映画の中心に音楽があるわけですが、音楽担当のT・ボーン・バーネットは、この作品の制作当初から関わっていたのですか?



ジョエル:この映画を作ることが決まってからすぐに、T・ボーンはどっぷりと関わってくれたよ。僕らはすぐにT・ボーンに入ってもらった。



──ジャスティン・ティンバーレイクとキャリー・マリガンはどうやって決めたのですか?とても興味深く、魅力的なキャスティングです。



ジョエル:それはさっき話したオスカーとの時の事に戻る感じだね。



イーサン:そうだね。ジャスティンのような才能がある人はそう多くはない。音楽の才能にも目を見張るものがあるし、本物の俳優でもある人物だ。オスカーを探していた時点で、そういう人材が限られているのは分かってた。ジャスティンはどんぴしゃりの才能があった、それだけのことだ。



ジョエル:この映画のために僕らには他にも俳優、パフォーマー、ミュージシャンが必要だった。当時、他のフォーク・ミュージシャンによく知られているポール・クレイトンって歌手がいて、見ようによってはジャスティンとよく似ていたので、クレイトンの容貌をジャスティンにコピーしたんだ。なかなか楽しかったし、ジャスティンにとっても面白くて楽しかったんじゃないかな。



そして、ジャスティンについて注目すべきことは、彼はただ自分の役に納まってただけじゃなかったということだ。映画の撮影が始まる前に、マーカス・マムフォードがT・ボーンと一緒に音楽のプロデュースをしてくれたんだけど、マーカスがロサンゼルスで一週間、レコーディングの準備をしたんだ。それは、セットに行く前にどんな感じか様子をみるために必要不可欠なプリ・レコーディングとリハーサル期間だった。僕らはセットでは全てをライヴで録音するつもりだった。それで、ジャスティンはその時丸々一週間いてくれて、いろいろ提案をしたり問題を解決してくれた。だから音楽と作品自体に対してジャスティンの貢献度は、実際に映画で見ているもの以上に広範囲に渡るものなんだ。




──同じく音楽プロデューサーとしてマーカス・マムフォードが参加したのは、キャリー・マリガンがいたからですか?(マーカス・マムフォードとキャリー・マリガンは2012年4月に結婚)



ジョエル:いいや、T・ボーンはマーカスのことは彼の音楽を聴いて知っていたんだけど、ちょうどその頃キャリーは『華麗なるギャツビー』をやっていて、僕らにオーディションのテープを送ってきたんだ。それが到着したその日に、T・ボーンが電話をしてきて、「今日はマーカスとランチをするんだ。もしこの作品をやってくれるかどうか聞こうと思ってね……」と言ったんだよ。その時はふたりは結婚してなかったんだけど、つきあってた。これもまた、不思議な偶然なんだ。僕たちが彼女のことをキャスティングしようと真剣に考えていたら、T・ボーンが電話してきたんだから。



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映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』より、キャリー・マリガン(左)とジャスティン・ティンバーレイク Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC


──リハーサルとレコーディングの間はずっと立ち会っていたのですか?



イーサン:ああ、もちろん。



ジョエル:場所はニューヨークで、似たようなことを『オー・ブラザー!』でもやったよ。



イーサン:これぞT・ボーンの素晴らしいプロセスなんだ。プロセスっていうと堅苦しく聞こえるけれど、そこに皆がその場に集まってゆったりした雰囲気があって、一日の終わりになると素晴らしい物がレコーディングされていたんだ。ほとんど偶然生まれてしまったみたいにね。



──演奏シーンを、アフレコではなく、実際にライヴ演奏をしているところを撮影する、というのはどういう考えが背景にあったんですか?



イーサン:T・ボーンは音楽を見極めたかったし、僕たちも全員そのことが重要だと思っていた。特にオスカー演じるルーウィンとキャリー・マリガンが演じるジーン、そしてジャスティン・ティンバーレイク扮するジムのトリオとその歌に関してはそうだった。もちろんそれ以外の、どの曲も、オスカーのソロでさえも、アレンジを確立させたり、どのように彼らが演奏をするか、セットに入る前にきちんと準備することが大事だった。なぜならセットの現場で、リハーサルに2日間使うことはできないから。セットに入ったら撮影をしたいんだ。実を言えば、T・ボーンは、リハーサルの音も録っていた。サントラ・アルバムが出るだろうとは分かっていたから、時にはスタジオ・バージョンの中には違うヴァイヴとか違うフィーリングがあるかもしれないし、それにライヴ・バージョンよりそっちの方が好きかもしれない。ということで、とにかく録音していた。



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映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』より Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC



──そうした大変さ以外にも、撮影中楽しかった出来事も多かったのでは?



ジョエル:ああ、もちろんだよ。僕らの経験からいうと、T・ボーンと仕事をするときはいつだってそうで、音楽をモチーフにした映画の制作はとても楽しいものなんだ。たくさんの音楽が雰囲気を変えるし、制作全体での体験を変えてしまうし、一般的に言って、そういう作品はやっていて楽しい。そしてこの映画もそうだった。



イーサン:映画に音楽の部分が大きな位置を占めると、こちらもプロとして携わってはいるけれど、自分が登場するパフォーマーたちの観客になったような気持ちになる。それは素晴らしいことだよ。



──音楽といえば、あなたがたは、2000年の『オー・ブラザー!』でフォーク・ミュージックのルーツであるブルーグラスを紹介しましたね。



イーサン:そう、その通りだ。フォーク・ミュージックはある意味子孫のようなもので、ブルー・グラスとは近い関係にある。



ジョエル:そうそう、当時のニューヨークの連中は、『オー・ブラザー!』で使ったような音楽を当時聞いていたかもしれない。



イーサン:実際の話、彼らは『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』(1952年にリリースされた、民族音楽研究家ハリー・スミスが集めたアメリカン・フォーク・ミュージックの名曲集)を聴いていただろうし、そこには『オー・ブラザー!』で使われたような歌も間違いなく含んでいたと思うよ。



ジョエル:ハリー・スミス自身がエキセントリックな男で、物語になるような人物だけど、あのアルバムはフォーク復活のバイブルになったんだ。



──『オー・ブラザー!』はより多くの人々にブルー・グラスを紹介するきっかけになりました。『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』で同じようにフォーク・ミュージックがより多くの人に知られるようになってほしいと思いますか?



ジョエル:僕らはそう願っているよ。もし皆がこの映画の音楽を聞いたり、それでこういう音楽をもっと知ろうと興味を起こしてくれれば、ものすごく嬉しい。だってまだ山ほどあるからね。もう一つ言いたいのは、そういうことが僕たちに新しい方向性も示してくれる。だって、現在のポップ・ミュージックのミュージシャンたちであの音楽に影響を受けた人はたくさんいるし、そういうことを発見するのも楽しいんだ。



(オフィシャル・インタビューより)










ジョエル&イーサン・コーエン プロフィール



アメリカ、ミネソタ州出身。1954年11月29生まれのジョエルと57年9月21日生まれのイーサンの兄弟で活動する監督・脚本家・プロデューサー。処女作『ブラッド・シンプル』(84)が絶賛され続く『バートン・フィンク』(91)でカンヌ国際映画祭パルム・ドールと監督賞を受賞。1996年『ファーゴ』(96)はカンヌ国際映画祭で監督賞を、アカデミー賞では脚本賞を受賞。その後も『バーバー』(01)『ノーカントリー』(07)『トゥルー・グリッド』(10)などの作品で世界の映画祭でノミネートや受賞を果たしている。ヒューマンドラマの中に他に類を見ない独自の世界観を共存させる作風は、批評家のみならず世界中の映画ファンからリスペクトされている。











映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』

5月30日(金)、TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館 他 全国ロードショー



1960年代、冬のニューヨークが舞台。まだマスコミやレコード会社などが発達していなかったこの時期、シンガー・ソングライターのルーウィンが、グリニッジ・ヴィレッジのライヴハウスで歌い続けながらも、なかなか売れず、音楽で食べていくことをあきらめようかと考えながらも友人たちに助けられながら暮らしていく1週間を綴った物語。




プロデューサー/監督/脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン

出演:オスカー・アイザック、キャリー・マリガン、ジョン・グッドマン、ギャレット・ヘドランド、ジャスティン・ティンバーレイク、F・マーレイ・エイブラハム、スターク・サンズ、アダム・ドライバー

プロデューサー:スコット・ルーディン

エグゼクティブプロデューサー:ロバート・グラフ、オリヴィエ・クールソン、ロナルド・ハルパーン

撮影:ブリュノ・デルボネル

編集:ロデリック・ジェインズ

美術:ジェス・ゴンコール

舞台美術:スーザン・ボード・タイソン

衣装:メアリー・ゾフレス

メイク:ニッキー・レダーマン

ヘアメイク:マイケル・クリストン

エグゼクティブ音楽プロデューサー:T・ボーン・バーネット

アシスタント音楽プロデューサー:マーカス・マムフォード

録音:スキップ・リーヴセイ

サウンドミキサー:ピーター・カーランド

レコーディングミキサー:グレッグ・オーロフ

2013年/米/104分/カラー/英語/ビスタ/5.1ch

英題:Inside Llewyn Davis

字幕:石田泰子

提供:東宝、ロングライド

配給:ロングライド

Photo by Alison Rosa c2012 Long Strange Trip LLC



公式サイト:http://www.insidellewyndavis.jp/

公式Facebook:https://www.facebook.com/ILDjp

公式Twitter:https://twitter.com/ILD_JP





▼映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』より、オスカー・アイザックの歌う「Hang Me, Oh Hang Me」

[youtube:he41a2Z5boM]


▼映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』予告編

[youtube:TBQ3kjgzE8M]

「あの悪魔は子供の頃のトラウマから生まれた」『闇のあとの光』レイガダス監督が明かす魔術的リアリズムの源泉

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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.



メキシコの鬼才、カルロス・レイガダスの『闇のあとの光』が5月31日(土)より公開される。今作は2012年のカンヌ国際映画祭で上映され、賛否両論を巻き起こしつつも監督賞を受賞、その後同年の東京国際映画祭でも上映された。メキシコの村を舞台に、ある家族のもとに赤く発光する〈悪魔〉が訪れたことをきっかけに起こる日常の歪みを、自伝的要素も含めながら、様々なイメージを折り重ねた魔術的リアリズムで描いている。レイガダス監督が、今作制作におけるディティールや撮影手法について答えた。


あるのは私自身の制限だけです



──とても自由に作られた映画という印象を受けました。自分が作りたいものを作るのだという作家の意思表明だと捉えていいのでしょうか?



はい。私は映画を作る時、自分が何を感じ、何を考え、何を想像しているのかを伝えようとします。幸運なことに、それをするにあたって制限は存在しません。あるのは私自身の制限だけです。私には制限はありますが、それでも完全に自由だと感じています。



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『闇のあとの光』のカルロス・レイガダス監督



──随所に万華鏡のようなエフェクトが用いられています。あの縁がぼやけたイメージを採用した理由は?



屋外で撮ったシーンは縁がぼやけていています。室内シーンはぼやけていません。この手法を選んだ理由は、単純に人生をどう見るかという美学の問題です。これは人生についての映画です。私たちは人生を二重に捉えることがあります。



──この作品は、フアンとナタリアという白人夫婦の家族の光景を中心に、様々なイメージの映像が挟み込まれます。なかでも、夫婦の友人であるセブンが自らの首をはねるシーン、そして10代の男の子たちがラグビー競技場で激しくぶつかり合っているシーンがとても気になりました。どのように発想されたのですか?



あの切断される首は、大多数のメキシコ人が眠りにつく前に思い浮かべるイメージです。悲しいことに今、メキシコは世界でもっとも頻繁に首が切断されている国です。メキシコ人にとっては身近なイメージなのです。斬首シーンはメキシコの苦しみの象徴として自然発生的に生まれました。一方、ラグビーのシーンも自然発生的に生まれたものですが、シーンが持つ意味は対照的です。私たちはまだ若く、遊ぶことが好きで、先に進み続けることを表しています。




──山の中の木が倒れるのも人生のメタファーですか?



そう捉えることもできると思います。映画のラストで世界は崩壊します。




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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.




現実と同様に、映画の中でも人々が感じるままに動き回ること




──光がとても重要な役割を果たしていると思いました。監督にとって光とは? また、過去や未来や夢やファンタジーが地続きであるこの映画のナラティブ(話法)は独特ですが、ナラティブに関するあなたの考えを聞かせてください。



前作『静かな光』(2007年)に引き続きタイトルに「光」が入っているので、この監督は光に関して何か問題を抱えているのか?と思われるかもしれませんね。それはさておき、『闇のあとの光』という表現は、劇中で主人公が経験することを完璧に言い表していると思いました。多くの人の人生がそうであるように、主人公の周りにはあまり光がありません。しかし最終的に彼は何かを見つけ、すべてのものが光り輝いていると言います。このモチーフを私はとても気に入っています。同じことを素晴らしいかたちで描いているのがトルストイの『戦争と平和』です。『戦争と平和』は私が今まで読んだ中でもっとも美しい小説です。インスパイアされたと言えるかもしれません。



ナラティブに関しては、私はできるだけ現実的な映画を作ろうとしているに過ぎません。私たち人間は普段の生活の中で、過去のイメージ、夢、思い出、幻想、将来のビジョン―大抵は想像した通りにはいかないものですが―といったものを生きています。そしてある状態から別の状態に変わる時に、何らかの印が出てくることはありません。ですから映画にも印を入れたくないと思いました。観客は賢明ですし、映画の読解力も進んでいますから、劇中の何が過去で、何が将来で、何がファンタジーかを示す必要はないと思ったのです。私の映画は観客をリスペクトしているからこそ、このような語り口になるわけです。観客は成熟した大人で、知性を持っています。この映画が好きではない人がいることは、私にとって好ましいことです。なぜならそれは、他の人たちはこの映画が好きだということですから。現実と同様に、映画の中でも人々が感じるままに動き回ることは、素晴らしいことです。





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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.


──子役の二人は監督のお子さんですよね?



そうです。子どもたちは最高の俳優です。子どもを撮ることは、水や木を撮るようなものです。映画の撮影であることを意識していない彼らは、その存在すべてが自然です。彼らは演技をするのではなく、ただそこにいます。普段走り回っている時と同じように、素の自分でそこにいる。私は大人の俳優を演出する時も、そのような状態を目指しています。



──あなたの作品は深刻で複雑な事柄を描いていますが、同時にユーモアも感じられます。あなたにとってユーモアとは?また、上流階級の人々がサウナに集まり乱交するシーンはどこから発想したのですか?



ユーモアと言えば……たとえばバスター・キートンは私のヒーローです。コミカルな監督の作品は何度も観たくなります。私の映画は陰気で悲観的だと言われるとびっくりします。自分ではユーモアのセンスにあふれた人間だと思っていますし、普段からよく笑っていますよ。サウナのシーンに関しては、いろいろな人から聞いた経験談が基になっています。




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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.



──マーティン・スコセッシがジョルジュ・メリエスの映画『ヒューゴの不思議な発明』を作りましたが、今、多くの人が映画の未来について考えています。特にアートハウス映画は絶滅するのではと危惧する人もいますが、レイガダス監督はどう思われますか。



私はある時、映画館にいてふと気づいたのですが、映画というのは、昔からある絵画の様式、つまり私たちの祖先が洞窟に動物の絵を描いていた時から変わらない絵画の伝統を汲むものです。映画のもっとも重要なアスペクトはフレーミングです。このフレーミングが消えてしまうと、絵画の伝統も失われます。ただ私にはアートハウス映画が絶滅するとは思えません。エンターテインメントに徹した映画が存在するのと同じように、アートハウス映画も存在し続けると思います。文学と同じです。文学のカンファレンスでは、誰も三文小説の話はしません。文学に多種多様なジャンルが存在するように、映画にも様々なジャンルがあります。



──今作には〈悪魔〉が二度登場します。フレンドリーにも見えるあの〈悪魔〉は一体何を意味しているのでしょう。



悪魔が何を意味しているかは説明できませんが、悪魔がどこから来たかは言えます。あのシーンを撮影したアパートは、私が人生の最初の5年間を過ごした場所です。悪魔が手にしているツールボックスは私の父のものです。私が生まれる前から父が持っていて、今も使い続けているものです。そしてあの夢は子供の頃に何度も見た夢です。映画に入れたということは、私にとってあの夢はトラウマだったということなのでしょう。




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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.




──映画の撮影手法に関して、他の作品からの影響はありますか。



他の映画から影響を受けることはありません。この映画は私の潜在意識から生まれたものです。直感で作ったと言えます。実際、脚本はあっという間に書き上げました。内容の合理性を考えたり、何かを理屈で説明したりする必要性を感じませんでした。ただ感じたことをそのまま綴っていったのです。ですから新しいことをしてやろうという気持ちは特にありませんでしたが、他の作品を参照しなかったのは事実です。撮影時のカメラの構図については、私はカメラを使う時、対象をただ見るのではなく、感じます。前から撮るとか、後ろから撮るとか、何かの隣に置いて撮るとか、そういうことは問題ではありません。フォーマットは撮影場所に合わせました。壮大な地平線が広がる場所では、対象が小さく見えてしまわないように18mmの短いレンズを使いました。フォーマットに高さがあることは、山を撮る上で非常に重要でした。またこのフォーマットは人間を撮る時も力を発揮します。人間を美しく見せます。そのことは私にとって大きな発見でした。



──冒頭の少女が動物たちと戯れているシーンは、とても自然で幸せで平穏な光景でありながら、不穏さも感じさせます。映画のトーンを決定づけているように思いました。



映画のトーンは非常にはっきりしています。そしてそれは時に相反する要素を含んでいるのです。




(カンヌ国際映画祭 記者会見より)












カルロス・レイガダス プロフィール



1971年、メキシコシティ生まれ。高校時代、本作のラグビーの場面の撮影地でもあるイギリスのMount St. Mary’s Collegeに1年間留学。メキシコシティの大学で法律を学んだ後、ロンドンで紛争解決学の修士号を取得。メキシコ外務省の一員として欧州委員会で働く。1997年、映画作家になることを決意。翌年、ベルギーはブリュッセルの映画学校を受験するが、提出した短編の完成度が高過ぎるという理由で入学を拒否され、独学で映画作りを始める。1998年から1999年にかけてベルギーで4本の短編を制作。2000年、メキシコに帰国。2002年、初の長編『ハポン』を発表。本作は2005年の『バトル・イン・ヘブン』、2007年の『静かな光』に続く長編第4作目となる。











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映画『闇のあとの光』より ©No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'ón Cinematogr'áfica de Calidad (Foprocine-Mexico), Le Pacte, Arte France Cinema.

映画『闇のあとの光』

5月31日(土)よりユーロスペースほか全国順次ロードショー



メキシコのとある村。愛らしいふたりの子供と美しい妻ナタリアとともに暮らすフアンは、何不自由ない恵まれた日々を送っていた。ところがある夜、赤く発光する“それ”が彼の家を訪問したときから、なにげない平和な日常は一転し、様々な問題が露わになってゆく。フアンの家に現れた“それ”とはいったい何だったのか?禍をもたらす「悪魔」なのか、それともどこかに彼らを導こうとする「神」なのか……。



監督・脚本・プロデューサー:カルロス・レイガダス

出演:アドルフォ・ヒメネス・カストロ、ナタリア・アセベドほか

原題:Post Tenebras Lux

メキシコ=フランス=ドイツ=オランダ/2012年/カラー/115分

提供:フルモテルモ、コピアポア・フィルム、日本スカイウェイ

配給:フルモテルモ、コピアポア・フィルム

宣伝:Playtime、平井直子



公式サイト:http://www.yaminoato.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/yaminoato

公式Twitter:https://twitter.com/yaminoato




▼映画『闇のあとの光』予告編

[youtube:PIaxffzrNlY]

「政治に失望している日本の皆さんにこの映画『GF*BF』からパワーを得てほしい」

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映画『GF*BF』より © 2012 Atom Cinema Co.,Ltd., Ocean Deep Films, Central Motion Picture Corporation, Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.


1985年から2012年までの激動の台湾を舞台に、勝ち気な美宝(メイバオ)と、実直な忠良(チョンリャン)、奔放な心仁(シンレン)という3人の男女の愛と友情を描く青春映画『GF*BF』が6月7日(土)より公開される。ヤン・ヤーチェ監督は、自ら脚本を手がけ、青春を過ごした80年代後半から90年代の経験を踏まえ、戒厳令下の学生運動や市民の生活などを丁寧に描写。台湾社会の時代背景を盛り込み、3人の約30年に渡る葛藤を描いた監督に聞いた。






生きる苦しみを演じきった役者たち




──最初に、主演3人の起用の理由を教えてください。



最初に決めたキャストは、美宝(メイバオ)役のグイ・ルンメイと忠良(チョンリャン)役のジョセフ・チャンの2人でした。私は2人を、彼らが17歳の頃から知っていて、一緒に仕事したこともあります。10年以上経験を積み、もうすぐ30代の演技に磨きがかかる時期です。ですが、この年頃の台湾の若い役者たちには、これといって代表作と呼べるものがありません。ようやく、彼らが輝きを放つ時が来たようです。



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映画『GF*BF』のヤン・ヤーチェ監督


若くて演技力のある2人を決めたあと、心仁(シンレン)役にリディアン・ヴォーンをキャスティングしました。3人目の配役を決めるのは非常に難しいことでした。なぜならば、一緒に並んでも引けを取らず、2人が放つ輝きに負けない俳優は、なかなかいないからです。数多くの役者にカメラテストをしましたが、納得できる人は見つかりませんでした。最終的にリディアン・ヴォーンに決めたのは、ハーフの顔立ち、演技スタイル、そして彼自身の気質が気に入ったからです。彼には無邪気なところがあり、その無邪気さがあれば臆することなく、相手がどんなに有名な役者であってもリラックスして演じられると思いました。こうした理由から、リディアン・ヴォーンを彼ら2人と組み合わせるのがベストだと判断したのです。




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映画『GF*BF』より、美宝(メイバオ)役のグイ・ルンメイ © 2012 Atom Cinema Co.,Ltd., Ocean Deep Films, Central Motion Picture Corporation, Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.




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映画『GF*BF』より、忠良(チョンリャン)役のジョセフ・チャン © 2012 Atom Cinema Co.,Ltd., Ocean Deep Films, Central Motion Picture Corporation, Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.




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映画『GF*BF』より、心仁(シンレン)役のリディアン・ヴォーン © 2012 Atom Cinema Co.,Ltd., Ocean Deep Films, Central Motion Picture Corporation, Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.





──主演の3人との印象に残るエピソードがあれば教えてください。




今でも記憶に残っているのは、プリプロダクションで役者たちと話した時のことです。ジョセフ・チャンはそれまで何度か同性愛者の役を演じた経験があったため、今回も難なくこなせてしまうと思ったようで、自分としては王心仁、つまりリディアン・ヴォーンが演じる役をやりたいと言いました。でも、若い世代でジョセフ・チャンほど抑えた演技に長けた役者は見つかりません。そこで私は、どうすれば彼に陳忠良役を引き受けてもらえるかを考えました。



脚本を書き上げて友人に見せたところ、その友人は彼の知り合いの名を挙げて「どうして彼の生涯を描くことができたのか」と驚きました。私は知らない人だったのですが、その後、いろいろ話を聞いてみると、確かにジョセフ・チャンが演じる陳忠良は、まるでその人だったのです。人生そのものがよく似ていました。そこで、ジョセフ・チャンを連れてその人に会いに高雄まで行き、直接話を聞かせてもらいました。ジョセフ・チャンは当初、陳忠良役は楽に演じられると思っていたようですが、話を聞いてからは王心仁役をやりたいと二度と言わなくなりました。その人が陳忠良とほぼ同じ人生を生きていることを知り、「陳忠良をしっかりと演じよう。そうすることで話を聞かせてくれた人に恩返しができる」と思ったようです。ジョセフ・チャンはその人の人生に飛び込み、その人の生きる苦しみを演じきりました。これが台北電影奨で最優秀主演男優賞に選ばれた理由だと思います。




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映画『GF*BF』より © 2012 Atom Cinema Co.,Ltd., Ocean Deep Films, Central Motion Picture Corporation, Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.


シナリオの最終稿を知っているのは私だけ、

という演出方法



──3人への特別な演出方法はありましたか?




主演の3人は、それぞれ異なる演技の訓練を受けてきました。そのため演技スタイルが違います。もし彼らの好きなように演技させていたら、作品のなかで調和が取れなかったでしょう。リディアン・ヴォーンは他の2人と違い、イギリスで演技の勉強をしました。イギリスの演技訓練というのは非常に綿密なものです。グイ・ルンメイは内向的な性格ですが、演技は外向的だと言えます。ジョセフ・チャンも、もともと内向的ですが、演じてきた役柄によって更にその傾向が強まったようです。



最初に稽古をしたとき3人の違いを感じて、いいアイデアを思いつきました。初期に重要なシーンを撮る予定だったのですが、彼らには最終版の脚本を渡さなかったのです。役者たちから個別に意見を聞いて、それぞれの意見を他の役者には伝えずに、話し合った内容に基づいて脚本に手を加えました。でも、わざと最終版に反映させないで、撮影当日まで、そのシーンの最終稿を知っているのは1人だけということも度々ありました。そうすることで撮影がより楽しくなりましたし、役者たちは心を開いて相手の反応を理解しようとするため、表現にばかりにこだわって自分の役を解釈する、ということがなくなりました。すべての役者が相手の演技を目で見て感じ、正直でリアルな反応をするようになったのです。



多くのシーンをこのやり方で撮影しました。例えば、リディアン・ヴォーンが高校時代、グイ・ルンメイを見つめながらダンスするシーンがありますが、グイ・ルンメイは彼がダンスをするということを全く知りませんでした。また、大学時代、彼らは別れることになるのですが、グイ・ルンメイはジョセフ・チャンの手に彼女の役名を書き、更に陳忠良の名前を書きます。実は、ジョセフ・チャンは撮影前、グイ・ルンメイが自分の手に何を書くのか知りませんでした。撮影の段階になって、ようやく林美宝と陳忠良の名前だと分かります。これは、ジョセフ・チャンにとても大きな驚きと感動をもたらしました。この驚きと感動こそが、真実の描写につながりました。これが『GF*BF』を撮影する時に、私がよく用いた手法でした。





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映画『GF*BF』より © 2012 Atom Cinema Co.,Ltd., Ocean Deep Films, Central Motion Picture Corporation, Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.


台湾におけるこの30年の変化は、

まさに私たちの感情表現の変化




──冒頭の女子高生の短パンを履きたいと抗議するエピソードや戒厳令下の生活、そして学生運動など、今作は、1985年から2012年までの台湾で実際に起きた出来事や事件を作品に取り入れています。その理由を教えてください。




私は常々、実際の文化や時空を背景とするストーリーでなければ、感情や力強さに欠けると思っています。だからこそ文化的背景をリアルに描くことが非常に重要です。私が意図したことは、台湾のこの30年の社会変化を背景に、人々の感情のストーリーを展開することでした。この映画の物語は約30年にわたります。30年間の感情の変化は、台湾の人たちの世界観や感情の表し方と密接な関係があります。保守的な時代から混沌とした90年代に入ると、感情についての捉え方に変化が生まれました。今、私たちは愛情、感情、友情に対して少しずつ寬容になり、理解を示すようになってきました。



そのような変化はこの映画にとって、非常に重要なファクターです。3人の間の感情の変化について言えば、無知で無分別な少年時代から、大学時代、青年時代にはやや激しい感情へと移り変わり、最後には皆が互いの感情に対して理解を示し寛容になっていきます。こうした流れは、とても重要だと思います。私はその流れを表現するために、実際に起こった歴史的事件を映画のなかで取り上げることにしたのです。実際、台湾におけるこの30年の変化は、まさに私たちの感情表現の変化だと言えます。



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映画『GF*BF』より © 2012 Atom Cinema Co.,Ltd., Ocean Deep Films, Central Motion Picture Corporation, Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.


──では、影響を受けた映画監督は?




その時によって回答は違ってきます。今回、この質問を見た時に私が思い出したのは国際的な大監督ではなく、最初に一緒に仕事をしたイー・ツーイェン監督でした。彼はグイ・ルンメイのデビュー映画『藍色夏恋』の監督です。彼との付き合いは長くて、もう10年以上になります。彼が頭に浮かんだ理由は、グイ・ルンメイが話題に出ているからです。私はあまり専門的な訓練を受けたことがありません。映画の見方も他の監督とは違っていて、大抵ただ鑑賞しているような感じで、作品について深く分析することもありません。一緒に仕事をしたイー・ツーイェン監督からは、映画の撮影技術ばかりではなく、映画を制作する姿勢、仕事に対する姿勢、慎重で真摯な態度など、たくさんのことを教わりました。監督というのはとても大きな責任を負っている、ということも。



彼とよくお酒を飲みに出かけました。カラオケも好きで、特に『自在』という曲を好んで歌っていました。彼から受けた影響の中で特に大きなものと言えば、映画を撮る時は自在であれ、というアドバイスです。厳格さとの間でバランスが取れるように、と。映画の撮影や創作活動を行う時、自分が自在でリラックスしていれば、できあがった作品は形にしばられることなく、ロマンチックな雰囲気を醸すものとなります。それでこそ創作であり、本当の自在だというのです。仕事に対する姿勢という点で、イー・ツーイェン監督からは多くの影響を受けました。



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映画『GF*BF』より © 2012 Atom Cinema Co.,Ltd., Ocean Deep Films, Central Motion Picture Corporation, Huayi Brothers International Media All Rights Reserved.




──今回公開となる日本については、どのような印象を持っていますか?




仕事が緻密だということですね。映画祭のイベントによく参加しますが、日本のタイムスケジュールはとてもきっちりしていて、会場到着や取材時間などが非常に正確です。京都でバスに乗った時はびっくりしました。時刻表に書かれているとおりの時間に到着するからです。台湾と違って、とても時間に正確で、日本人が仕事面で感じるプレッシャーはさぞかし大きいことだろうと思いました。

それから、日本の友人は自分が約束したことや知り合った人に対して、何かしてあげたいと思ったら必ずやってくれます。『Orzボーイズ!』を制作した時に知り合ったNHKの日本人の友人に、大阪の映画祭で会いました。とてもよい人で、以前撮ってくれた資料写真をすべてディスクに焼いて、わざわざ大阪まで持って来てくれたのです。何年も前のことなのに覚えていてくれて驚きました。日本人はとても信頼できる民族だと思います。



──最後に、あらためて今作のテーマと、取り上げている社会運動についてお願いします。




この映画のとても重要なテーマは、すべての人が自由を求めること、自分の感情と心を自由にすることです。私は台湾の学生運動の歴史についての書籍以外に、日本の安保闘争時代の小説を何冊も読みました。村上春樹や村上龍など、多くの日本の作家が学生運動の様子を描いています。闘争のテーマは台湾とは違いますが、日本の小説で描かれた学生運動と青春群像は、随分前の時代のことではありますが、私に大きな啓発を与えてくれました。



『GF*BF』が描くのは単なるひとつの事件ではありません。私は、青春の解釈という点で、日本の小説に大きく影響されました。この映画をご覧になった皆さんには、日本の小説が私に与えた影響を感じていただけるのではないでしょうか。日本では長い間、大きな運動が起きていません。その理由として、社会に対して冷ややかになり政治に失望しているため、社会問題に無関心になったからだと言われています。観客の皆さんには、この映画からパワーを得て、自分の心や人生が本当に自由なのかを見つめ直してほしいと思います。そして、皆さんの心や愛が自由なものになるよう願っています。




(オフィシャル・インタビュー)












ヤン・ヤーチェ プロフィール



1971年7月17日、台湾出身。淡江大学マスコミュニケーション学科卒業後、広告会社の企画やアニメーションのシナリオなどを手がけ、舞台やTVドラマ、ドキュメンタリー、映画など様々な分野で監督、脚本家として活動している。02年にドラマ「違章天堂」が金像奨最優秀監督、脚本賞など各賞を受賞。その後も多くのドラマの監督・脚本家として評価された。映画監督としては08年の『Orzボーイズ!』がヒットし注目された。2作目の長編作品である本作では金馬奨をはじめ多数受賞し高い評価を受けた。また、『藍色夏恋』(02)では助監督を務め、イー・ツーイェン(易智言)監督とともにノベライズを手がけている。










映画『GF*BF』

6月7日(土)よりシネマート六本木、シネマート心斎橋ほか全国順次ロードショー



1985年、戒厳令下にある台湾。南部の街・高雄で窮屈な高校生活を送る美宝(メイバオ)、忠良(チョンリャン)、心仁(シンレン)。彼らは、夜店で発禁本を売り、生徒を監視する教官にささやかな抵抗をする一方で、バイクを走らせたり渓谷で戯れたりと、厳しい校則や思想統制に縛られる日々の中でも青春を謳歌していた。男勝りな美宝と彼女を優しく見守る忠良は公認のカップルだったが、ある日、忠良から「ただの友だち」と聞かされた心仁は、隠していた自分の気持ちを美宝に告白。いつまでたっても忠良に恋人として扱われず本心を知りたいと思っていた美宝は、伝え聞いた決定的な言葉に失望して、心仁の想いを受け入れることになる。




監督・脚本:ヤン・ヤーチェ

出演:グイ・ルンメイ、ジョセフ・チャン、リディアン・ヴォーン、チャン・シューハオ、レナ・ファン、ティン・ニン

製作:イェ・ルーフェン

プロデューサー:リウ・ウェイラン

撮影:ジェイク・ポロック

美術:リー・トゥンカン

音楽:ジョン・シンミン

音響:ドゥー・ドゥージー

編集:リャオ・チンソン、チャン・チャーホイ

提供:ポリゴンマジック

配給:太秦

原題:女朋友。男朋友(GF*BF)

2012年/台湾/中国語・台湾語/105分





公式サイト:http://www.pm-movie.com/gfbf

公式Facebook:https://www.facebook.com/gf.memory.ukishiro







▼映画『GF*BF』予告編

[youtube:8FSCNgCMnWM]
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