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「アイ・ウェイウェイは私の師匠、映像をどう〈証拠〉として残すかを常に考えている」

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映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』より ©2012 Never Sorry, LLC. All Rights Reserved


中国の現代芸術家・艾未未(アイ・ウェイウェイ)のドキュメンタリー『アイ・ウェイウェイは謝らない』が11月30日(土)より公開される。今作は彼が2008年5月の四川大地震における校舎倒壊と5,000人以上の学童の死について調査を行った頃から、警察からの暴行事件、そしてミュンヘンでの大規模な個展、ロンドンのテート・モダンでの新作展示までを密着。密着。そして母親や弟へのインタビュー取材や、2011年に81日間非合法的に身柄を拘束され、開放されるまでを通して、政府に挑み、芸術を生み出し続けるアーティストに追っている。アリソン・クレイマン監督に、撮影の模様やアイ・ウェイウェイとはどんな人物なのかを聞いた。



その存在感の大きさに圧倒された





──この映画を撮ろうと思ったきっかけはなんでしたか?



2008年に初めてアイ・ウェイウェイに会ったのですが、実はその2年ほど前から中国にいました。私はジャーナリストやドキュメンタリー映画の製作、語学の習得などいろいろな思いを持っていたので、大学卒業後はどこか外国に行こうと思っていました。ですから始めはアイ・ウェイウェイが目的で中国へ行ったわけではありませんでした。しかし北京にいた時のルームメイトがたまたまアイ・ウェイウェイの写真展のキュレーターをしており、その縁で彼と知り合いました。ルームメイトは私がドキュメンタリーを撮りたいということを知っていたので、彼の写真展の映像を撮ってほしいと依頼されたのです。そこで初めてアイ・ウェイウェイに会ったのですが、彼女に紹介されたその時からずっと私と彼は“撮影する人/される人”という関係が続いています。




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映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』のアリソン・クレイマン監督


──アイ・ウェイウェイの第一印象はどうでしたか?



第一印象は身体的にも精神的にも「部屋の中いっぱいの人」という感じでした。そこにいるだけでみんなの注目を集めてしまう、その存在感の大きさに圧倒されました。また政治に対して大胆にそしてとても気軽に話す点にも驚きました。中国では彼のように自国を批判する人がいなかったので、非常に珍しく感じました。そして彼を撮ることで、映像を観た人の中国観が広がるのではないかと思えました。また彼のアートワークの素晴らしさや彼の歩んできた人生のすごさなどが合わさり、彼はとても面白いモチーフになりえると思いました。






──外国の中で中国を選んだ理由はなんだったのでしょうか?



最初はどこでも良かったのですが、とにかくどこかに行って冒険がしてみたいと思っていました。そうしたら、たまたま大学の友人で中国に家族がいる人がいたので、その友人の帰省について行くことにしました。このように中国へ行ったきっかけは偶然だったのですが、そのまま長く残ったのはやはりそこが「中国」だったからです。中国では語学を習うのも楽しかったですし、人々のエネルギーもとても感じられました。なによりいろいろな変化が起き、多くのストーリーが流れる中国は、私の目標であるジャーナリストになることとドキュメンタリー映画を撮ることに関して最高の場所だと思いました。




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映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』より ©2012 Never Sorry, LLC. All Rights Reserved






──きっかけは写真展の映像ということですが、いつ頃からこれを長編のドキュメンタリー映画にまとめようと思いましたか?



きっかけとなった写真展の短い映像を観て、アイ・ウェイウェイがとても感心してくれました。無名の私の作品を好きになってくれたというのはとても嬉しかったですね。その後も継続して彼を撮り続けていたのですが、私は彼がアート作品を作っているところやインタビューを受けているところより、他の人が撮らないような彼自身が見えてくるものが撮りたいと思い彼の元に通いました。9ヵ月ほどたった頃にいつも通り彼のまわりで撮影していると、アイ・ウェイウェイを訪ねてきた人が「彼女は何をしているのか」と私のことを彼に尋ねました。その時アイ・ウェイウェイは「彼女は僕のドキュメンタリーを作っているんだ」と説明してくれ、それを撮影用のヘッドホンで聞いていた私は「彼のドキュメンタリー映画を作ってもいいということね」と改めて決意しました。





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映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』より ©2012 Never Sorry, LLC. All Rights Reserved




──撮影スタイルは、あらかじめ構成を考えて撮影に臨んだのか、その場で作り上げていったのかどちらでしょうか?



あまり構成は考えず、カメラの前でその人の人生が進んでいくのをおさめたいと思いました。そのためには対象となる人物と親しくなる必要があり、そして時間をかけることも必要でした。またアイ・ウェイウェイには、彼自身の長い歴史がありそれは中国の歴史とも重なっています。そして彼を知るうちに、彼のまわりのいろんな人や物事をリサーチする必要が出てきたのでよく調べましたね。彼の記事・映像などはすでにいっぱい出ているので、アートだけや政治だけなど彼の一部分を追っていくのではなく、彼の全体像に迫りたいと思いました。




彼は表現の自由や情報の透明性が大切という自分の原理を心から信じている




──アイ・ウェイウェイに関するリサーチなどの準備期間は?



いきなり短編で彼を撮りはじめたのでリサーチ期間はありません。制作全体としては3年以上かかりました。リサーチと撮影、編集が全て同時進行で進んでいきました。撮りながらいろんなことが起こるので撮影しながら編集していました。自分にとっては構想を練ってから撮るというやり方は難しいです。まずその人に会って自分がどう感じ、それをさらに追及したいと思えるかどうかで決めています。今回はアイ・ウェイウェイからとてもインスピレーションを受けました。彼のことは知れば知るほど興味が湧いてきたので面白い経験でしたね。




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映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』のアリソン・クレイマン監督


──アイ・ウェイウェイのまわりでは予期せぬハプニングもいろいろと起きたと思いますが撮影では混乱はありませんでしたか?



突発的に起きた出来事もあり、いくつかはアイ・ウェイウェイのチームが撮っていたものを使わせてもらいました。しかし当局と対決した大事なシーンは私のカメラで撮ったものです。彼のまわりではいろいろな出来事が起こるので常に撮りたいという衝動に駆られました。そういう意味ではドキュメンタリーを撮る上で彼はすごく良いモデルでした。また同時に彼は私にとって良い師匠でもありました。というのも彼自身も映像をどう〈証拠〉として残すかを常に考えている人なので私にとってとても勉強になったのです。撮影をしていく上で明確になっていったことはアイ・ウェイウェイの撮り方と私の撮り方は違うということでした。彼は目的のために映像を使い、私は彼らのそうした動きを撮影しました。常に行動を共にすると自分の立ち位置が混乱しがちでしたが、こうしたことは撮影していく内にだんだんと明確になっていきました。





──撮り終えて、改めて彼のことをどう思いますか?



彼は表現の自由や情報の透明性が大切という自分の原理を心から信じていて、それに基づいて動いていると感じました。人間としては極端なところがあり、オール・オア・ナッシングなところもあります。10回聞くと10通りの答えが返ってくることもありますが、根底に流れるものは一貫しています。また彼は非常に面白い人であり、自分を表現することがとても上手い人でもあります。本当に遊び心がいっぱいで、彼と一緒にいると皆どうしても楽しくなってしまいます。彼はどんなに暗い状況でもその中にユーモラスなことを見つける才能があります。逆に言うと、常に新しいものをつくっていないといけないし何か表現していなければいけない人なのだろうなと思います。



(オフィシャル・インタビューより)









アリソン・クレイマン プロフィール



フリーのジャーナリストであり、ドキュメンタリー映画作家でもある。2006年から2010年まで中国に暮らし、その間に、PBSFrontlineやナショナル・パブリック・ラジオやAP通信テレビーニュース等のラジオ/テレビ番組特集を制作。又、ドキュメンタリー長編映画デビュー作となる「AI WEIWEI: NEVER SORRY」の撮影に着手、アーティスト/活動家に2年間に渡り密着し、かつてないほどに彼の人生と作品に迫った。本作は2012年のサンダンス映画祭で審査員特別賞/挑戦の精神賞を受賞した。2011年春に中国当局がアイ・ウェイウェイを3ヶ月間拘束した際、クレイマンはCNNインターナショナルやコルベリア・レポート等、メディアに大量露出し、アイ・ウェイウェイや自身の作品について語った。彼女はサンダンスのドキュメンタリー製作フェローに選ばれ、フィルムメーカー誌が毎年選ぶ“インディペンデント映画界のニューフェイス25人” の一人となった。

フィラデルフィアに育つ。2006年にブラウン大学で歴史学の文学士号を取得し卒業。C.V. Starr National Service Fellowshipと一般レポート部門でのAP通信の大学ラジオ賞を獲得。北京語とヘブライ語を話す。











映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』

11月30日(土)よりシアター・イメージフォーラムほかにて全国ロードショー



製作・監督・撮影:アリソン・クレイマン

製作:ユナイテッド・エクスプレッション・メディア

製作協力:ミューズ・フィルム&テレビジョン

出演:アイ・ウェイウェイ 他 アイ・ウェイウェイに関わる様々な人々

2012年/アメリカ/91分/カラー/デジタル/ビスタ/5.1ch/中国語・英語

原題:Ai Weiwei: Never Sorry

配給:キノ フィルムズ

宣伝:FTF

宣伝協力:フリーマン・オフィス

公式HP:http://www.aww-ayamaranai.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/aww.ayamaranai

公式Twitter:https://twitter.com/aww_ayamaranai



▼映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』予告編


[youtube:rh_IBNbQiWI]

この映画はイラク人質事件で感じた違和感に対する10年越しの「清算」でもあったのです

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映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』より



2004年当時、日本国内でバッシングが吹き荒れた「日本人人質事件」の当事者の現在を捉えたドキュメンタリー映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』が12月7日より公開される。イラク支援のために現地に赴いた3人はファルージャで地元の武装グループによって日本政府へ自衛隊撤退を要求するための人質として拘束されたものの、政府は自衛隊撤退を拒否した。その後開放された3人は軽卒な行為が国に迷惑をかけたとして「自己責任」を問われ、誹謗、中傷に苛まれた。伊藤めぐみ監督は当事者である今井紀明さんを北海道まで、そして高遠菜穂子さんをファルージャまで追い、同時に現在も戦火の続くイラクの現状を捉えている。監督に今作制作の経緯について聞いた。




撮影者自身が問い返される制作過程




── なぜこの映画をつくろうと思ったのですか?



この映画は私の10年越しの「清算」でもあったのです。イラク戦争開戦時は私は高校生でした。まさか自分の生きている時代に日本が賛成して戦争が起きるなんて思ってもいなかったのでショックでした。うちは運動家家族でもなんでもないのですが高校生ながら自分でも何かできることをしようと、反戦デモに行くようになりました。だから人質事件が起きた時は、イラクを支援したり、イラクの現状を知ろうとしたことがなぜあそこまで批判されるのか強い違和感を持ちました。でも同時に、自分を踏みとどまらせるようなそんな感覚も持ったんです。「私ってただの変わり者?」「自分は思いだけの世間知らず?」と。何かしなければという思いと萎縮する感覚と、そんなモヤモヤを抱えながら文字通り10年いたのです。でもテレビの会社で働き始めて2年目の頃、取材先でいろんな人と話し、自分について考えさせられることも多く、いろんな歪みや誤摩化していたものが見えてきました。自分にとっての出発点と分岐点となった出来事を振り返りたいと思ったのが始まりです。本当に個人的な欲求でした。




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映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』の伊藤めぐみ監督



── 撮影交渉はどのように行ったのですか?



高遠さんには滞在されていたイラクの隣、ヨルダンまで会いに行きました。その時はまだ映画として撮影したいということまで深く考えていませんでしたが、「世の中にかかわる方法が分からないんです!」とグダグダ言う私に「あんたは頭で考え過ぎ!自分のやることが分かったら方法なんて言ったりしない」と叱咤激励されました。人生相談に乗ってくれたみたいな。撮影を受けることはすごく迷われたと思うのですが、その後、人質事件について取り上げるならイラクをちゃんと見せようという話をしたり、高遠さん自身、3.11があったことでメディアに対する疑念が日本の中で出てきた今、振り返る意味があるかもしれないと引き受けてくださいました。
今井さんも「あの人質事件の今井さん」と見られるのに数年苦しんで来ました。だから撮影のオファーは、最初は嫌だったと後になって教えてくれました。でも今のNPOで引きこもり経験などのある高校生と関わる中で、昔の自分のことを知ればもっと高校生との関わり方もよい形になるんじゃないかと思い引き受けてくださったそうです。ただ撮影中は私と今井さんがほぼ同い年ということもあって、私が過剰に自分の体験を今井さんにわかってほしくて重かったと思います(笑)。



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映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』より



── 撮影で苦労したことは?



バッシングを受けて大変だった時期の話を聞くことです。今井さんは当時の記憶がところどころなくなっていたり、高遠さんも今もフラッシュバックすることがあるそうです。思い出したくないことを聞くって難しい。それは撮る側としてはちゃんと聞いておかなければならないことなので、ビビりながら聞いていましたが、同時にどこか怖いものみたさのような感覚で聞いていたこともあったと思います。でもそういうのって相手に伝わってしまう。「あの時のマスコミはおかしかったって企画書に書いてあったけど、あなたも同じことしてない?」と言われたこともあります。最終的には私の下手な取材に2人が覚悟していろいろ話してくれたのですが、常に「私はなぜそのことを聞きたいのか?」「それを知ってどうしたいのか?」自分も問い返されていました。







賛否両論ある出来事にどう応えるのか



── どんな反応がありましたか?



公開前からすでに2ちゃんねるで掲示板が立っていますね。「自作自演」だった、救出費用は払ったのか、左翼が結託しているのではという話が多いです。そういう問いに答える映画にすることもできたけれどあえてしませんでした。もうすでに自作自演説には反論がなされているし、そういうことを説明する時間よりも、イラクの現状や、それぞれの現在を伝えることに時間を使いたいと思ったのです。私は当時の報道を見ながら、マスコミはなぜそもそものイラク戦争や日本はその戦争にどう関わったのかということから話し始めないのだろうと思っていたので、それをかわりに今、自分がやりたかったのです。




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映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』より



── 特にどんな人に観てもらいたいですか?



当時、批判的だった人、同世代の人、これから社会に出て行こうとする人たちですかね。私にとってはイラク戦争と人質事件が自分にとっての分岐点だったけれど、見てくれた人で自分にとっては湾岸戦争だったとか、オウム真理教の事件だとかそんなことを話してくれる人がいました。「若い頃は熱しやすく冷めやすい」で片付けたくないし、「純粋な気持ちを持ち続けましょう」ということでもない。原点に返りつつ、でも今、どうやって生きていきたいのかということに立ち返るきっかけとなれば。



あと、撮影の過程で、イラク戦争や人質事件の記憶がほとんどない若い世代が、高遠さんや今井さんのこれまでに関心を持っていることを知りました。体験の度合いは違うけれど、今の若者も生きづらさを感じたり、何か励まされたい思いがあるのかなと思いました。



テレビ番組制作会社のADから初監督でイラク



── イラクに行ってどうでしたか?



行く前は怖かった。実際、イラクは政情は今も不安定。路上爆弾によるテロ事件に巻き込まれる人も絶えません。でも、イラク人は冗談好きだったり、おしゃれだったり、いきいきと働いていました。それで「よかった」という話ではなくて、その裏でどんな経験をしているのか想像しないといけないのですが、でも人間ってすごいなと。こうしちゃいられない、と。イラク人が前に進もうとしながら、葛藤して、闘っている姿を見て、私も自分のできることをコツコツやろうと思うようになりました。




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映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』より



── 普段はテレビの会社で働いているのですよね?



ずっと制作会社で、釣り番組などのADをしていました。今回が初めてのディレクターというか監督作品です。テレビ局の人たちに映画の話をすると、「テレビではこのテーマは政治的すぎる」と言われることがありました。本当にできないのか、自主規制なのかわかりませんが。今回の映画は、テレビの仕事をずっと続けてきた74歳になる社長の強い励ましと、テレビ番組制作会社の連盟である(社)全日本テレビ番組製作者連盟(ATP)の支援があって制作することができました。



── 今作を完成させて、あらためてあの人質事件を通して気持ちをあらたにしたことがあれば教えてください。



あの時、言われた自己責任って、国に迷惑をかけたか、国のやろうとすることと違うことをしたかという範囲だけで「責任」が語られたと思うのです。でも「責任」というなら、異国の地の人がでたらめな戦争で殺されることをどう思うのかとか、もっと違う広い視点でも考えることができたはず。「他人のことを考えている余裕なんてない!」という人もいると思うし、まず私が言えるのは自分のことだけだけど、ちゃんと選択して生きていきたいと思います。




(オフィシャル・インタビューより)














伊藤めぐみ プロフィール



1985年三重県出身。2011年4月、テレビ番組制作会社(有)ホームルーム入社。NHK『にっぽん釣りの旅』『アジアで花咲け!なでしこたち』でアシスタントとして制作に携わる。










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映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』より



映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』

2013年12月7日(土)より新宿バルト9ほか1週間限定上映、

以降全国順次公開予定




出演:高遠菜穂子、今井紀明

監督:伊藤めぐみ

プロデューサー:広瀬凉二

撮影:伊藤寛、大月啓介、大原勢司

編集:伊藤誠

音楽:吉田ゐさお

音響効果:早船麻季

HP ポスターデザイン:小川梨乃

宣伝:カプリコンフィルム

配給:有限会社ホームルーム

製作・著作:有限会社ホームルーム、一般社団法人全日本テレビ番組製作社連盟

2013年/日本/カラー/HD/95分

公式HP:http://fallujah-movie.com

公式Facebook:https://www.facebook.com/Fallujahmovie

公式Twitter:https://twitter.com/fallujah_movie









試写会に5組10名様をご招待




12月7日(土)より公開となる今作品を観てツイッターで感想をつぶやいていただける5組10名様をご招待いたします。応募方法は下記から(※当選された方はかならず感想のツイートをお願います)。




映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』特別先行試写会

日時:2013年12月3日(火)18:30開場/19:00上映(上映時間95分)


会場:京橋テアトル試写室(中央区京橋1-6-13 アサコ京橋ビルB1)[googlemaps:中央区京橋1-6-13]

※上映後は伊藤めぐみ監督によるティーチインあり。

※終演後に、感想をつぶやくことが応募条件となります。当選ご本人様は、終演後120文字以上で感想をつぶやいてください。





【応募方法】


メールにてご応募ください。



■送付先


webDICE編集部

info@webdice.jp



■件名を「12/3 ファルージャ」としてください



■本文に下記の項目を明記してください


(1)お名前(フリガナ必須) (2)電話番号 (3)メールアドレス (4)ご職業 (5)性別 (6)ご住所 (7)ご自身のツイッターアカウント (8)応募の理由



■応募締切:2013年11月30日(土)午前10:00


※当選者の方には、2013年11月30日(土)中にメールにてご連絡差し上げます。










▼映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』予告編


[youtube:IbunyebOJLE]

「商業音楽の方法論を破壊する」シンガポールのバンドThe Observatory、サンガツと共演

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来日を果たすシンガポールのThe Observatory


アジアでインディペンデントに活動するアーティストを紹介するサイト・Offshoreの招聘により、シンガポールで活動するバンド・The Observatoryが来日。サンガツを迎えたイベントが12月7日(土)渋谷アップリンク・ファクトリーで開催される。当日は、バンドメンバーと観客とのQ&Aセッション、即興のライヴ・パフォーマンス、そして2バンドによるセッションという三部構成により、「音楽におけるアート」「音楽におけるシステム」を模索し続けていることを共通項とする両バンドの魅力を解剖する。開催にあたり、Offshore主宰の山本佳奈子さんに開催までの経緯、そして見どころを寄せてもらった。



2011年震災直後に始まったwebDICE連載記事『アジアン・カルチャー探索ぶらり旅』がきっかけとなり、Offshoreという私の一人プロジェクトはスタートした。日本人が誰も知らないアジアのインディペンデントカルチャー、音楽、アート、人、環境、そしてたまに現地の社会状況も、記事やイベントで紹介。このままガラパゴスを決め込んでいると日本はアジアから置いていかれるのではないか?と、アジアのローカルを見た私の焦燥感から始まったプロジェクトだ。イベントはトークイベントが主だが、今年8月にタイのオルタナティブ~シューゲイズ・バンド、Desktop Errorの来日ツアーのマネジメントも行なった。



Offshoreが今までに開催したイベント

http://www.offshore-mcc.net/2011/07/what-is-offshore.html

(ページ中程、Past Works参照)




実はタイDesktop Errorの来日が決定してすぐ、今年の春頃、シンガポールThe Observatoryのdharma(ダマ:Gt)から「日本でツアーしたいんだけど手伝ってくれないか?」と連絡があった。狭いアジア、しかも日本から日本以外のアジアに着目している人はごく少ないので、すぐに現地のバンドやアーティストと繋がってしまうのがOffshoreをスタートさせてからの私のネットワーク。



Facebookで毎日コツコツとアジアの友人から現地の情報を集めている私にとって、The Observatoryは、私が触れられない雲の上のバンドだと思っていた。シンガポールで10年以上にわたり活動し、そしてその音、テクニックは完全にプロフェッショナル。狂気的なノイズ、重低音で表現される音に対する哲学も独特。香港やマカオ、マレーシアのオーガナイザー達は皆、東南アジア孤高のバンドThe Observatoryに、敬意と信頼をよせている。



▼The Observatory『ACCIDENTAGRAM』


[youtube:DAn61XFgtlY]

The Observatory本人直々の連絡に二つ返事で「やります!」と返事してツアーを組み立てていく。果たして、ポップな要素が皆無、どがつくほどアングラでコアなこのバンドのツアーに協力してくれる人が現れるのか。「やります!」と返信したものの、不安なツアー制作だった。今も多少。



しかし、“ミュージシャンズミュージシャン”、と誰かが形容したように、The Observatoryの音源や動画を知人友人のミュージシャンに紹介していくと、私が好きなミュージシャン達からは見事に絶賛された。



▼The Observatory 『Anger & Futility』






その中の一人がサンガツの小泉氏であった。



同じくサンガツも、私にとっては雲の上のバンドと思っていたのだが、昨年UPLINK ROOMで上映会+トーク『香港でライブハウスを運営するということ』(http://www.offshore-mcc.net/2012/11/blog-post_19.html)を開催した直後、小泉氏から私にメールが届いた。今のアジアのクリエイティビティの動向をチェックしていて、日本以外のアジアにも活動を広げたいので一度話をしてみたい、と。



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サンガツ


一度東京でサンガツのメンバーと会って、「著作権放棄」の表明に至る経緯やサンガツが現在進めている音のクックパッドのようなプロジェクト『Catch & Throw』のことを聞き、対して私は自分が知る限りのアジアをすべてお伝えした。先日小泉氏はdommuneでのチェルフィッチュ特番でも少し触れていたが、「アジア人が西洋音楽を演奏することへの違和感」を感じているという。



The Observatoryから日本でのプロモーションのために届いたプロフィール文章の中に以下のような表現があった。

“機械的で示し合わせたような商業音楽の方法論を破壊するその音楽は、多民族国家シンガポールを拠点とする彼らの視点で描写された「哲学」とも言えるだろう。実験的、そして前衛的でありながら、東南アジアのルーツもほのかに漂わせる。”

サンガツとの共通項をひとつ見つけた。



▼バリのガムランとThe Observatory








The Observatoryが東南アジアで孤高の存在となっている理由のひとつは、彼らは音楽バンドでありながら“アート”の領域に積極的に踏み込んでいるという点だ。メンバーそれぞれは別ユニットやソロプロジェクトも進行しており、拠点シンガポールでは他ジャンルのアーティストとのコラボレーションも多い。

この点も私はサンガツと通ずると感じた。日本のサンガツは“バンド”でありながらチェルフィッチュの音楽制作や映画音楽も制作し、舞台、アートの領域へ挑戦してきた。単なる音楽提供ではなく、その作品を一緒につくりあげるような共同制作を実践してきている。



▼The Observatoryとヴィジュアルアーティストたちによるインプロヴィゼーションパフォーマンス









▼サンガツ チェルフィッチュ『地面と床』レコーディング風景


[youtube:886QEheSsCw]

ステージで曲を演奏したり、楽曲をCDやレコードにパッケージして発表するという方法のみにとどまらず、音という人間の聴覚に働きかける表現で様々な実験を繰り広げる両バンド。しかも、両バンドとも元々は西洋式のリズムや音階、奏法にのっとって演奏してきたが、アジア人のアイデンティティを意識し始めている。

これらの点で、The Observatoryとサンガツを会わせると共鳴するような予感がして、また、「音楽」と「アート」の境界線上を行き来しているバンドという点で、私はこの2バンドをお見合いさせてみたい気持ちになった。そしてその様子を公開したいと。




【サンガツ 小泉氏からの、今回のイベントに向けてのコメント】

微かな光の中鳴らされたメロディは遠鳴りし、ときおり残像のように浮かび上がる低音が全ての輪郭を溶かしてゆく。The Observatoryの音楽を聴くたびにここアジアでは光と影が一続きであることを思い出す。彼らの音楽がこの日本でどのような陰翳を見せてくれるのか、今からとても楽しみです。

──サンガツ 小泉篤宏






三部構成で進める今週末のこのイベントでは、まずはThe Observatoryに自己紹介として4人で演奏してもらい、第二部からサンガツの皆さんをお招きし、私とサンガツのみなさんでThe Observatoryにいろいろな質問を投げかけてみようと思う。政府からの芸術に対する助成が手厚いというウワサのシンガポールのリアルな話、また、バンドの経営、バンドを続けていくにあたって必要なリハーサルスタジオやハコの環境。そしてもちろん、アジア人としての音に対するアイデンティティの話も。

第三部では、サンガツのみなさんにもバラエティに富んだ楽器を持ち寄っていただき、この日初めて会う2バンドによる音を使った会話、つまりは即興セッションを公開。

この日初めて会う2組が、言葉と音でどのようにキャッチボールを繰り広げるのか。The ObservatoryとサンガツとUPLINKを巻き込んで行なうこのイベント、言い出しっぺである私も、最終的な結論や展開は予測不可能だが、音やアジアや表現の未来について、ご参加いただいた方に熟考する材料を与えられると確信している。60名定員の、実験室。ぜひ、この現場に居合わせてください。



(文:山本佳奈子)










「シンガポール、音楽とアートの環境」

(The ObservatoryへのQ&Aと即興ライブ with サンガツ)

2013年12月7日(土)渋谷アップリンク・ファクトリー



18:30開場/19:00開演

料金:予約2,000円/当日2,500円(共に1ドリンク別)



【第一部】

The Observatoryによるインプロヴィゼーションライブ

ACT : The Observatory (シンガポール)



【第二部】

Q&Aトーク

GUEST : The Observatory

INTERVIEWER : サンガツ / 山本佳奈子 (Offshore)

*ご来場された方々の質問も受け付けます。



【第三部】

2つのバンドによるインプロヴィゼーションライブ

ACT : The Observatory / サンガツ



ご予約はこちら http://www.uplink.co.jp/event/2013/19323



過去の映画へのオマージュを『ウォーリーをさがせ!』のように楽しんでもらいたいのです

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映画『ブランカニエベス』より ©2011 Arcadia Motion Pictures SL, Nix Films AIE, Sisifo Films AIE, The Kraken Films AIE, Noodles Production, Arte France Cinema


天才闘牛士の娘として生まれた少女カルメンの数奇な人生をモノクロそしてサイレントの手法で描き、本国スペインのゴヤ賞をはじめ、世界各国の映画祭で絶賛を浴びた『ブランカニエベス』が12月7日(土)より公開となる。グリム童話『白雪姫』を下書きに、邪悪な継母からのいじめに遭いながらも、見世物巡業する小人たちと出会い、女性闘牛士として人気を獲得していく姿をファンタジックに描く今作。パブロ・ベルヘル監督に、制作のプロセス、そして作品に込めた思いをスカイプで聞いた。



2005年当時はプロデューサーに「クレイジーだ」と思われた





── この作品は『白雪姫』『シンデレラ』『赤ずきん』『眠れぬ森の美女』といった童話にある「残酷さ」というエッセンスをベースにしていますが、そうした童話にあなたが惹かれる理由を教えてください。



原作のグリム童話にまつわるスピリットをそのまま生かした映画を作りたいと思っていました。今までのそうした作品は、ディズニーっぽいのが事実ですので。またそこに、イギリスのゴシック小説、チャールズ・ディケンズやブロンテ姉妹のようなスタイルを取り込もうと試みています。もちろんダークな残虐さと同時に、愛に溢れてもいます。その双方を確実に取り入れたいと思って制作しました。



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映画『ブランカニエベス』のパブロ・ベルヘル監督 photo : Yuko Harami





── 企画から完成までの過程はどのようなものだったのでしょうか。



この映画を準備し始めたときは私の髪も黒くてふさふさだったんですが、現在はこんなふうに白髪になってしまいました(笑)。ほんとうに長期間準備にかかりました。まず資金調達が難関でした。2005年にプロデューサーにこの企画を提案したときは、サイレントで、かつ高額な予算だったので、彼らに「クレイジーだ」と思われました。しかし、私は我慢強く待ちました。才能があるかどうかは別にして、その気性は日本人の妻の影響かもしれません。現在では『アーティスト』の成功で、そこまでクレイジーな挑戦に思えないかもしれないですが、当然それ以前は違う状況であったことは確かです。




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映画『ブランカニエベス』より ©2011 Arcadia Motion Pictures SL, Nix Films AIE, Sisifo Films AIE, The Kraken Films AIE, Noodles Production, Arte France Cinema




── その結果、世界の映画祭をはじめ高い評価を得ていますが、その理由をどのように分析しますか?サイレントで言葉の壁がないからこそこれだけ広く受け入れられたのだと思いますか?



特にサイレントだということが大きく関与しているとは思っていません。サイレント映画だからヒットした、というのならば、世界中のプロデューサーがサイレント映画を作るはずでしょうから。観客はサイレント映画がとても催眠術的な経験である、ということは自覚していると思いますが、おそらく最初の5分でこの映画がサイレントであることを忘れてしまうでしょう。それよりも、ストーリーのエモーショナルな部分やインパクトが、観客と繋がったことが大きいと思います。



監督の前にひとりの観客であることが大事




── 撮影方法は、アリフレックス16という16ミリのカメラを用いカラーで撮影し、ポスト・プロダクションで彩度を落としてモノクロにしたということですが、そのようなプロセスにした理由は?



現状では、白黒のコマーシャルな作品を作ろうとしたときに、唯一の方法なのです。ミヒャエル・ハネケの『白いリボン』や、『アーティスト』、スティーヴン・ソダーバーグの『さらば、ベルリン』など、白黒の作品はありますが、現在モノクロ・フィルムのストックがほとんどないのと、私は作品のなかでデジタル・エフェクトを多く行うこと、それからリリース・プリントを作る段階で白黒というのはほとんど不可能なのです。



テクノロジーが進化したおかげで、カラーで撮影したとしても、まったく問題なく白黒の効果を十分に発揮させることができます。撮影監督のキコ・デ・ラ・リカにとってもいい工程だったのではないでしょうか。



── まさにそういったダークの深みにのめりこんでいくよう五感に訴えかけるような体験ができる作品ですね。監督としては、モノクロの効果がいちばん発揮されていると思うシーンはどこだと思いますか?





ラスト近くで、小人がエルカンナ(継母)を追いかける場面が好きです。印象派の絵のような、光と影の対比が非常に強い画になっています。キコ・デ・ラ・リカとは長年一緒に仕事をしているので、特別話さなくても、きちんと理想の画を撮ってくれました。準備期間の間にキコにはたくさんのモノクロ映画を観てもらいました。アベル・ガンス監督の『ナポレオン』や、カール・テオドア・ドライヤー監督の『裁かるるジャンヌ』、デイヴィット・リーン監督の『オリバー・ツイスト』、もちろんオーソン・ウェルズ監督の『市民ケーン』、それからユニヴァーサルの古いホラー映画をたくさん観てもらいました。




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映画『ブランカニエベス』より ©2011 Arcadia Motion Pictures SL, Nix Films AIE, Sisifo Films AIE, The Kraken Films AIE, Noodles Production, Arte France Cinema



── まさにこの映画はそうした元ネタの映画を探す面白さがありますね。



そう、この映画は『ウォーリーをさがせ!』のように楽しんでもらいたいのです。私は映画監督である前に、観客であり、シネマニアなんです。制作のプロダクションとなると、毎朝5時に起きて3ヵ月もそれが続くことになる大変さがありますが、暗闇のなかでリラックスして作品を観るのが大好きなんです。



何千本も観ているので、意識的にオマージュを捧げた場面もありますし、それ以外に気づかないうちにオマージュを捧げている部分もたくさんあると思います。



意図的なものもそうでないものも、知っている観客であれば「これだ」と探してくれる楽しみもあると思います。分かりやすいところではトッド・ブラウニングの『フリークス』やビリー・ワイルダー監督『サンセット大通り』があるでしょう。





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映画『ブランカニエベス』より ©2011 Arcadia Motion Pictures SL, Nix Films AIE, Sisifo Films AIE, The Kraken Films AIE, Noodles Production, Arte France Cinema




── 僕も『フリークス』しか分かりませんでしたが、もちろんそれとは関係なくこのストーリーにこころ揺さぶられました。



そうです、私はどの観客も除外したくはありません。どんなお客さんも楽しんでもらえるようにこころがけています。古いフィルムの映画ファンだけでなく、シネコンでふと観ていただける作品にしたいと思っていました。



── あなたの前作『トレモリノス73』は、しがない訪問販売員が映画制作を始める、というストーリーですが、映画そのものを題材にしている、ということでは共通点がありますね。



映画というのは自分の子供のようなものなのです。私は脚本も制作も監督もしますので、自分自身が強く投影されていると思っています。



繰り返しになりますが、監督の前にひとりの観客であることが大事だと思っています。『トレモリノス73』は映画制作について描き、今回はサイレント映画へのラヴレターといってもいい作品となりました。ひょっとしたら次回作も、映画自体が作品のなかに大きな要素として入ってくるかもしれません。また同時に、とてもパーソナルなテーマの作品も作ってみたいという願望もあります。それが両立できたらいいですね。もちろん私の作品はオマージュだけではありません。ちょうど私には前作が公開された年に娘が生まれましたが、生まれてくる子供の出来事を扱っていますし、今回の『ブランカニエベス』には10歳の子供が登場します。そうした意味では、自分自身の人生や生活もうまく作品に影響させていくことができたらと感じています。



子供も楽しめる仕上りに





── 娘さんはこの映画をご覧になってどんな感想を?



この映画の大ファンになってくれましたよ!前作はポルノ業界が舞台になっていたこともあり、観ることができませんでしたから(笑)。現代の両親たちはポリティカリー・コレクトな(政治的・道徳的に正しい)ストーリーを探しているのかもしれませんが、私自身残虐な要素もはらんだグリム童話で育ちましたし、『ブランカニエベス』は子供も楽しめる仕上りになっていると思います。




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映画『ブランカニエベス』より ©2011 Arcadia Motion Pictures SL, Nix Films AIE, Sisifo Films AIE, The Kraken Films AIE, Noodles Production, Arte France Cinema






── ラストシーンについては、最初の脚本段階から決まっていたのですか?



そうです、かなり早い段階からこの結末にしようと思っていました。映画を作るとき最も大事にしているのは最後のフレームです。



── 観た人と話すと、このラストについて、ハッピー・エンディングととるか、悲しい結末ととるか、それぞれ意見が違っていたんです。監督としてはどちらに観てほしいと考えていたのでしょうか?



とてもいい例を挙げてくれましたね。あくまでいろんな自由な解釈ができるエンディングを用意したかった、観客それぞれのなかで、悲劇的なのかハッピーなのかを考えてほしかったのです。映画は、観客が発見してくれてはじめて作品が完結するのだと思います。それは監督の仕事ではないのです。もちろん私が考えているエンディングはありますが、それはみなさんとシェアしないでおきましょう(笑)。それを押し付けるつもりはありませんし、観客の感情に影響させたくもないのです。このエンディングを〈種〉として、観客の心のなかで育っていくことで映画を完結させることが理想なのです。



ただし、本編のなかで、結末に関して私がどんな考えなのかが分かる〈秘密〉が隠されているので、何度も観てもらえれば、その〈秘密〉がお分かりになるかもしれません。




(2013年11月21日、スカイプにて インタビュー・文:駒井憲嗣)











パブロ・ベルヘル プロフィール



1963年12月21日、スペインのバスク地方ビルバオ生まれ。短編映画『Mama』(88/未公開)で監督デビューを果たし、高い評価を得る。長編デビュー作『Torremolinos 73』(03/未)は、2003 年から2004 年にかけてスペインで最も興行的に成功した作品の一つとなり、2004年スペイン・アカデミー賞ゴヤ賞で最優秀脚本賞、新人監督賞、主演男優賞、女優賞の候補にノミネートされる(日本では「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2005」にて上映)。また、PV監督としても活躍しており、日本ではロックバンドSOPHIA(活動休止中)のシングル「黒いブーツ ~oh my friend~」(1998年リリース)を手掛けた。











映画『ブランカニエベス』

12月7日(土)より新宿武蔵野館ほか全国公開




人気闘牛士の娘カルメン。彼女が生まれると同時に母は亡くなり、 父は意地悪な継母と再婚。カルメンは邪悪な継母に虐げられる幼少を過ごす。 ある日、継母の策略で命を奪われかけた彼女は、“こびと闘牛士団”の小人たちに救われ、「白雪姫(ブランカニエベス)」という名で彼らとともに見世物巡業の旅に出る。そんな中、女性闘牛士としての頭角を現したカルメンは、行く先々で圧倒的な人気を得るようになるのだが……。



監督・脚本・原案:パブロ・ベルヘル

出演:マリベル・ベルドゥ、ダニエル・ヒメネス・カチョ、アンヘラ・モリーナ、マカレナ・ガルシア

2012年/スペイン、フランス/ビスタサイズ/DCP/104分/モノクロ/原題『BLANCANIEVES』/G

提供:新日本映画社

配給・宣伝:エスパース・サロウ

後援:スペイン大使館

協力:セルバンテス文化センター

公式HP:http://www.blancanieves-espacesarou.com

公式Facebook:https://www.facebook.com/espace.blanca

公式Twitter:https://twitter.com/espace_blanca



▼映画『ブランカニエベス』予告編


[youtube:Q9k4qzlSTWk]

ブランカニエベス パブロ・ベルヘル マリベル・ベルドゥ、ダニエル・ヒメネス・カチョ アンヘラ・モリーナ マカレナ・ガルシア

「熊本城をヒントにしたり、日本の史実にひねりを加えて新たな世界観を作り上げていった」

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映画『47RONIN』より ©Universal Pictures


キアヌ・リーヴスが主演を務め、日本の「忠臣蔵」をベースに、主君の敵を討つために集まった47人の浪士と混血の浪人の闘いを描く『47RONIN』が12月6日(金)より公開される。真田広之、浅野忠信、菊地凛子、柴咲コウ、赤西仁など日本キャストを迎え完成したこのアクション大作について、カール・リンシュ監督に制作の過程を語ってもらった。




浪人たちの信念を貫きとおす姿は共感してもらえるだろう



── あなたはこれまでCM業界ではカンヌ広告祭などで数々の賞を手にしていますが、本作が初のハリウッド長編映画の監督となります。この映画を撮ろうと思ったきっかけを教えてください。



元々映画を撮る準備はありました。リドリー&トニー・スコットのもとで培った約1,000日間の現場経験があったから監督に挑戦することができました。CMは短い期間で大きな製作費を使って撮りあげるというメディアで、例えば映画はそれが120本撮れるという考え方もできるわけなので、初めての監督業も十分な経験をもって臨むことができたと考えています。




映画『47RONIN』監督

映画『47RONIN』のカール・リンシュ監督



── 数々のドラマや映画が製作されている、この日本人になじみ深い忠臣蔵という題材をいつごろお知りになったのでしょうか?



13歳くらいの時でしょうか、ホルヘ・ルイス・ボルヘスが忠臣蔵を題材にした短編を書いているんです[編集部注:『悪党列伝』(1976年)の中の短編「吉良上野介―傲慢な式部官長」]。これが初めての出会いでしたね。それから1962年の稲垣浩監督の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』で初めて映像を見て、ジョン・フランケンハイマーの『RONIN』でも触れられていたりと、それで段々興味を持つようになりました。西洋人にとってはこの『RONIN』が一番馴染み深いものだとは思います。





── それを知った時にどう思われましたか?



浪人たちは、勝利を勝ち取るために耐え忍び、討ち入りまでの時間を過ごすわけですけど、侮辱をものともせず自分たちの真の意図というものを隠しながら、人々が忘れたころに復讐の機会を得るんです。そのためにはもちろん勇気も必要だっただろうし、侮蔑にも耐えなくてはいけない、その逆境の中で自分たちの信念を貫きとおす、それがどんなにクレイジーだろうと犯罪者だろうと、僕にとっては何よりも魅力的でしたね。それはとてもパワフルで世界中の方にも共感してもらえるんじゃないかと思ったんです。




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映画『47RONIN』より ©Universal Pictures



古風ながら新しいファンタジーを創造するための作業



── 他に類を見ない圧巻の映像美でしたね、なにか参考にした文化や作品はあるのでしょうか。



ジョン・マシソン(撮影監督)はグリーンバックで撮るというよりかは現場で撮影したいという古風なタイプなのですが、ファンタジーの中でどういった作品にインスピレーションを受けたか、そういう話はしました。例えばジョン・ブアマン監督の『エクスカリバー』ですとか、その当時の映像を今のテクニックで見せるにはどうすればいいのかなど、たくさん考えもしました。照明についても蛍光は使わず、その時代にある有機的な光を使っています。また美術もヤン・ロールフスが担当していますが、日本の世界観や史実をベースにしながら少しひねりを加えていって、新しいファンタスティックなイマジネーション溢れるものにしました。実際に日本にも取材にいきましたし、吉良城については熊本城をヒントにデザインしていくという作業をしています。CGについても有機的な、実際に触れられそうなものを作りあげるべく、それら全てのものを組み合わせて、皆さんには見たことのない高いクオリティを持った映像をお届けできたのではないかと自負しています。



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映画『47RONIN』より ©Universal Pictures



── 各日本人キャストがとても役柄にフィットしていると感じました。どのようにキャスティングは行われたのでしょうか。



浅野忠信さんはハリウッド作品にも出演していますが、日本の出演作品を字幕なしで見ていてもその演技は伝わってくる。他のみなさんも同じですね、ほとんどが直観です。田中泯さんなんかはセリフを話す前に決めていましたし、赤西仁さんも同様でした。だから人として自分が何を感じ取ったか、それが決め手となっているんです。真田広之さんの場合は『たそがれ清兵衛』を知ってましたので、ドラマでもアクション面でも素晴らしい俳優だということは十分伝わっていました。西洋ではスタントマンを使うところを、彼はマーシャルアーツというものを自らこなせる方です。ここまで素晴しい方々ならチャンスなのではないかと思いました。



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映画『47RONIN』より ©Universal Pictures


── 劇中ではキアヌ演じるリクと柴咲コウさんが演じる姫君ミカの愛が描かれているわけですが、監督から見て二人の相性はいかがでしたか。



ふたりのケミストリーは見ていても強く感じることができました。カイは内に秘める気持ちが強くとてもパワフルで獣のようなキャラクターですが、一方ミカはデリケートではあるのだけれど、やはり同じような強さをもっている役柄でもあります。その様はまるで電気が走るような抜群の相性だと伺い取れました。イーストウッドとオードリー・ヘップバーンのラブストーリーのようですね。



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映画『47RONIN』より ©Universal Pictures


キアヌは存在感や重みを感じさせてくれる唯一無二の役者




── キアヌはどんな俳優ですか。監督の知っている一面があれば教えてください。



浅野さんは音が無くても演技が伝わってくる、と先ほど言いましたけれども、キアヌにも同じようなものを感じます。そしてスクリーンに現れた時には存在感や重みを感じさせてくれる唯一無二の役者だと感じます。本当にイーストウッドくらい素晴らしい役者です。何も言わずに部屋に入ってきても全ての目が彼に向けられる、そういうものを彼は持っています。




── 監督の一番気に入っているシーンはどこですか。



血判状のシーンも気に入っていますけれど、やはり赤西仁さんが演じる大石主税が討ち入りの後にリクと抱擁するシーンでしょうか。子どもであった彼がひとりの男となり討ち入り、待つのは死だが、それを分かった上で言葉もなく魅せるシーンはとてもパワフルなものでしたから。




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映画『47RONIN』より ©Universal Pictures



── 今後監督の撮りたい映画やテーマがあれば教えてください。



次回作はSFですね。野心のメタファーとしてのテクノロジーが描かれています。野心というものはどの時点から破壊を及ぼしてしまうのか、テクノロジーは人類の進化という面でも高みに導いてくれるのか、それとも破滅なのか、それがテーマです。

この映画を観て、似ていると感じた日本作品はありますか。




── 『もののけ姫』ですね。



それは嬉しいですね、大好きな作品だから。宮﨑駿監督が本当に引退するとしたらとても寂しいです。『風立ちぬ』はまだ観れていないので、早くロスに帰って観たいと思っています。



(映画『47RONIN』オフィシャル・インタビューより)











カール・リンシュ プロフィール


過去10年以上にわたり、数々のプロジェクトで受賞実績がある。わずか14才で初監督した作品はニューヨークとテルライドの両映画祭で上映された。2001年にD&ADキャンペーン・スクリーン・アワードの新人監督賞を受賞し、カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルでその名を取り上げられてから注目が集まる。2009年アウディのCM“Intelligently Combined”でクリオ賞を受賞。翌年、ヨーロッパが舞台のスパイ・ロボット・エピック“The Gift”は、カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルおよび、サイクロップ・アドバタイジング・クラフト・フェスティバルのグランプリを受賞。2012年にはメルセデスの“Escape the Map”を監督し、キンセール・シャーク広告賞アニメーション部門を受賞した。近年ではインタラクティブ・ヴァーチャル・モバイル・プラットフォームの仕事にも携わる。











映画『47RONIN』

12月6日(金)、世界最速公開



徳川綱吉が将軍職にあった日本。鎖国で海外と隔絶されていた当時、名君浅野内匠頭を領主とする播州赤穂があり、一方で吉良上野介は、密かに赤穂を併呑する野望を持ち、側室の座に納まっている謎の女、ミヅキと共に、ゆくゆくは徳川家をも滅ぼして天下を取ろうとまで目論んでいた。カイは、少年の頃、どこからとも知れず赤穂に流れてきた異端児で、命さえ危ないところを、領主浅野の温情で助けられ、浅野の娘ミカにも愛されて、郊外の小屋でひとり暮らしを続けながら、大人に育っていた。

しかし、綱吉が赤穂を訪れていたある夜、城内でミヅキに妖術をかけられ我を失った浅野は、寝所の吉良に切りかかって疵を負わせるという事件を起こし、綱吉にその現場を目撃されてしまう。これに怒った綱吉は浅野に切腹を命じ浅野家は取り潰され、一連の出来事を吉良の謀略と訝っていた家老・大石内蔵助始め、家臣達は禄を失い浪人へと身を落とす。赤穂は吉良の領地となり、ミカは1年の喪明けに吉良との婚儀を約束させられる。その場での復讐をと猛り立つ家臣達を、今はその時期ではないと抑えた大石は吉良によって地下牢に押し込められ、家臣達は所払いを食らって四散、そしてカイは、出島のオランダ人に奴隷として売られてしまうのだった……。




製作:ユニバーサル・ピクチャーズ

監督:カール・リンシュ

脚本:クリス・モーガン

出演:キアヌ・リーブス、真田広之、浅野忠信、菊地凛子、柴咲コウ、赤西仁

スコープ・サイズ/ドルビーSRD/カラー/アメリカ/121分

配給:東宝東和



公式HP:http://47ronin.jp

公式Facebook:https://www.facebook.com/47RONIN.jp

公式Twitter:https://twitter.com/47RONIN_JP



▼映画『47RONIN』予告編


[youtube:dNgu8gJ5IqY]

アラブ人といえば民族紛争というステレオタイプに挑戦、パレスチナのヒップホップ誕生の瞬間を活写する

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映画『自由と壁とヒップホップ』より



パレスチナのヒップホップ・ムーブメントを取り上げた初めての長編ドキュメンタリー『自由と壁とヒップホップ』が12月14日(土)よりシアター・イメージフォーラムでロードショー公開されることになった。2009年に渋谷アップリンクなどで『スリングショット・ヒップホップ』として自主上映され話題を呼んだこの作品は、ヒップホップ・カルチャーが中東の若者たちの間に生まれた現場を捉え、その熱気を通してパレスチナやイスラエルのアラブ人の生き方、多様なアイデンティティの有り様をカメラに収めている。自身もパレスチナにルーツを持つジャッキー・リーム・サッローム監督が作品制作の経緯について語った。



ヒップホップの持つ力に興味を持った




──まず、この映画を制作しようと思ったきっかけからお話し下さい。



私はこの映画に一つだけのメッセージを込めたわけではなく、いろんな捉え方をしてほしいと思っています。私の父はシリア出身、母はパレスチナ出身です。米国でのアラブ人のイメージはとてもネガティブなもので、若いころはアラブ人であることを隠したかったし、母親がRを巻き舌で発音するのが嫌だったこともあります。両親はアラブ人の歴史や文化に誇りを持つよう教育したのですが、私はアラブ人でいることが嫌いでした。成長するにつれて考えは変わり、メディアにおけるアラブ人の描かれ方に関心をもつようになりました。アートを通じて、民族紛争やテロなど、アラブ人へのステレオタイプに挑戦するということに興味をもつようになり、それがこの映画につながっています。




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映画『自由と壁とヒップホップ』のジャッキー・リーム・サッローム監督



──パレスチナのヒップホップ・シーンを描こうと思われたのはなぜですか?



2002年頃、イスラエル人映像作家のウディ・アローニ(Udi Aloni)の撮ったドキュメンタリー『Local Angels』を通じてパレスチナのラップグループであるDAMを知り、「パレスチナ人がヒップホップ?」と興奮しました。さっそくDAMの「Who is the Terrorist?(ミーン・イルハービー)」という曲をダウンロードして、歌詞の英訳と、米国のメディアでは流れないようなインティファーダ[パレスチナ人の民衆蜂起]の映像をモンタージュして、ミュージック・ビデオを作りました。それをクラスで見せたところ、それまでは私の作品を政治的すぎるなどと批判していたクラスメートたちがとてもいい反応を見せたことに驚きました。アラビア語であるにもかかわらず、彼らの心を動かしたのは、それがヒップホップだったからだと思います。それでヒップホップの持つ力に興味を持つようになりました。先生にドキュメンタリーを撮ってはどうかと言われ、その考えに飛びつきました。最初は簡単に考えていましたが、結局映画の完成までに4年半もかかってしまいました。





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映画『自由と壁とヒップホップ』より



彼らは音楽のインパクトを理解している





──映画を完成させる際に気をつけたことはどんなことでしょうか?



私が目指したのはまず、音楽を別のプラットフォームに乗っけることでした。音楽を聴くと同時に、出てくる人たちの表情を見て、物語に触れることで、パレスチナをサポートしたいという気持ちを持ってもらうこと。それと、若いハンサムなアラブ人がラップをしている姿を見せることで、アラブ人のステレオタイプに挑戦したかった。さらには、中東の人々にヒップホップについて伝えたかったし、イスラエル国籍をもつパレスチナ人たちのことをアラブの一般の人々に知ってもらいたかったのです。多くのアラブ人は、ガザ地区や西岸地区のパレスチナ人は知っていても、イスラエル国内に暮らすパレスチナ人についてはよく知らず、ネガティブなイメージを持っていますから。



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映画『自由と壁とヒップホップ』より




──この映画では世代や性差などいろんな意味での境界、ボーダーを乗り越える音楽の力が表現されていたと思います。



それは私も気に入っているところです。米国でヒップホップのショーに行けば観客は若い子だけですが、パレスチナではすごくびっくりさせられます。一度など、教会がイースターのお祝いの式典にDAMをゲストに迎えたことがありました。教会でラップですよ!どのショーに行っても中年や老人、祖父母や子どもたちがみんな手を叩き、抱き合い、キスを交わしている。世界にメッセージを届けてくれてありがとう、といった声も聞こえてきます。彼らは音楽のインパクトを理解しているんです。DAMやアビールのアルバムを聴けば、彼らの歌詞も素晴らしいことが分かるでしょう。歴史や文化、詩への言及に満ちていて、古い世代にとっても印象的だし、若い世代にとっては教育的でもあるのです。




彼らは政府や独裁を批判しますし、イスラエルによる占領だけでなく、アラブ諸国や米国の政策を批判します。でもほかにも恋愛や楽しみのための歌もたくさんあって、政治的な歌ばかりでもありません。それから彼らは男性が女性に接する際のやりかたについても批判しています。語ることは、中東ではとても大切です。これを音楽で表現しているということは素晴らしいと思います。



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映画『自由と壁とヒップホップ』より


──女性ラッパーたちとの交流もとても印象的でした。



米国の観客に驚かれたのも、女性がパレスチナのヒップホップ・シーンですごくリスペクトされていることでした。MTVなどのメインストリームのヒップホップ・ビデオでは女性が従属的に描かれたりしていますが、パレスチナのラッパーは女性をとても尊重しています。DAMの曲には女性の自由をうたった歌があり、新しい世代は女性への対応において変わらなければいけないと歌っています。ヒップホップをやりたいという女性なら誰でも彼らは支援し、コラボレートしようとしています。これはパレスチナのラップ・シーンでとても刺激的でポジティブな点だと思います。




(オフィシャル・インタビューより[2009年に行ったトークイベントから抜粋])











ジャッキー・リーム・サッローム プロフィール



パレスチナ人とシリア人の両親を持ち、ニューヨークを拠点に活動するアラブ系アメリカ人アーティスト・映画監督。ニューヨーク大学大学院で芸術学を専攻。在学中よりポップ感覚のアート(おもちゃ、ガムボール自販機など)を用いて、自分の家族や人々の歴史を実証的に示し、それによってアラブについての画一的なイメージに疑問符をつけ、固定観念を修正し、払拭することに挑んできた。初めて制作した映像作品は2005年のサンダンス映画祭に出品した『プラネット・オブ・ジ・アラブズ』。これをきっかけに故郷のパレスチナに戻って最初の長編ドキュメンタリー『自由と壁とヒップホップ』(2008年サンダンス映画祭正式出品)を監督。最近の活動には、PBSテレビの短編ドキュメンタリー『アラブ系アメリカ人の物語』、国連ウィメンの資金提供によるDAMの音楽ビデオ“If I Could Go Back in Time”や、子供向けの短編映画“Yala to the Moon”(2012年トロント映画祭子供部門出品)などがある。現在、執筆活動や映画や音楽ビデオの監督を務めるほか、米国や海外の大学や教育機関でワークショップも行っている。












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映画『自由と壁とヒップホップ』より

映画『自由と壁とヒップホップ』

12月14日(土)より、シアター・イメージフォーラム

来春、大阪・第七藝術劇場、愛知・名古屋シネマテークほか、全国順次公開



イスラエル領内のパレスチナ人地区で生まれた史上初のパレスチナ人ヒップホップ・グループ“DAM”。彼らに影響を受けたガザ地区や西岸地区の若者たちもまたヒップホップを志す。彼らの作り出す曲は、同じ境遇を生きる人々の大きな共感を呼び、熱狂を持って迎えられた。そんな彼らにDAMは最高のステージを用意する。各地で活躍するパレスチナ人ヒップホップ・グループを集めての音楽フェス。しかし、お互いの居住地は分離壁や検問所により隔てられている。地理的、歴史的な断絶を音楽で補いあってきた彼ら。同じパレスチナ人として一緒に舞台に立ちたいという願いは、果たして叶うのか。




監督:ジャッキー・リーム・サッローム

出演:DAM、アビール・ズィナーティ、PR

2008年/パレスチナ・アメリカ/HDCAM/カラー/アラビア語・英語・ヘブライ語/86分

原題:SLINGSHOTS HIP HOP

公式HP:http://www.cine.co.jp/slingshots_hiphop/

公式Facebook:https://www.facebook.com/slingshotshiphop

公式Twitter:https://twitter.com/slingshothiphop



▼映画『自由と壁とヒップホップ』予告編


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ポスト・インダストリアルなデトロイトとハッシッシ文化圏タンジールで描く吸血鬼たちのラヴストーリー

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映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』のジム・ジャームッシュ監督



トム・ヒドルストンとティルダ・スウィントン扮する吸血鬼の恋人同士を描くジム・ジャームッシュ監督4年ぶりの新作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』が12月20日より公開される。現代に生きるヴァンパイア、アダムは伝説のミュージシャンとして暮らしている、という設定もあり、ジャームッシュ監督の音楽への愛情が満ちあふれている作品だ。主演のふたりに加え、ミア・ワシコウスカ、ジョン・ハートと気鋭からベテランまで多彩な演技派を迎え、ジム・ジャームッシュ監督がなぜいま吸血鬼という題材に挑んだのか、その製作の経緯を語った。



〈視覚的音楽〉をもたらした撮影





──この企画を進めようと思ったきっかけを教えてください。



この種の映画は金が儲かるぞ、と聞いたからです。というのは冗談で、僕はヴァンパイアでラヴストーリーを作りたかったんです。実際に映画を完成させるのに7年かかりました。僕は現代のコマーシャルなヴァンパイア映画をあまり見たことがありません。でも、ヴァンパイア映画の歴史全体に愛情を持っていますし、たくさんの素晴らしい映画があります。実際ティルダと僕はこの件に関して話をして、7年前から脚本はあって、そのすぐ後にはジョン・ハートのキャラクターが出来ていました。彼らはこの企画にずっとついていてくれたのです。



"only lovers left alive"

映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』より




──なぜ、製作に7年もかかったのでしょうか。誰を出資のために説得する必要があったのかなど、特に難しかったことに関して教えてください。



この映画がそれほどまでに時間がかかったのは、誰も僕らにお金をくれなかったから、この映画を作るのに、手助けしたいと言ってくれる人々が十分にいなかったからです!現在、映画製作は、今までよりさらに難しくなっています。とりわけ少し変わった作品や、結果の予想ができない作品、人々の期待を満たしていない作品は困難です。しかし、様々な形態の新しいものを発見することが、映画の美点です。そんななか今作のプロデューサー、レインハード(・ブランディング)は最初から携わって、尽力してくれました。でも僕らがチームをまとめあげるまで、なかなか起動させることができませんでした。そしてジェレミー(・トーマス)も加わり、ついに映画を製作することができたのです。




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映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』より




──モロッコのタンジールと、デトロイトを撮影場所に選んだ理由は?



タンジールとデトロイトには、何か感情的に引き付けられるものがあったんです。なぜ、と聞かれても、ぴったりだと思ったから、自分にとって面白いと思える場所だったから、としか言えないですね。実は最初の脚本ではローマとデトロイトという設定でした。でも、タンジールは僕が世界で最も好きな場所の一つで、そこで撮りたいなと単純に思ったんです。それと、ティルダ・スウィントンが演じるヴァンパイア、イヴが潜んでいるにはぴったりの場所にも思えたんです。ヨーロッパの文化からは、まったく隔絶した場所ですからね。キリスト教文化圏でもないし、ましてやアルコール文化圏でもない。ハッシッシ文化圏なんです、だから、全然感覚が違うのです。



デトロイトは、本当に大好きな、こころから愛する街です。オハイオのアクロンという街の出身の僕にとっては、子供の頃から憧れの土地でした。同じ中西部でも、クリーブランド(オハイオ州)とは全然違う大都市で、独自の文化がありましたから。どこかミステリアスな、言わば中西部のパリといった雰囲気があったんです。うちの両親が新しい車を買うときは、みんなでデトロイトまで行って、1泊していました。僕の家族にしてみれば、大変なイベントでした。でも悲しいことに、そのデトロイトが今や悲劇的な状態に陥っています(※デトロイト市は2013年7月18日、財政破綻を声明)。デトロイトという街が持つ歴史的な、そしてビジュアルの上での背景には、音楽文化があり、自動車産業文化があります。今のデトロイトにはとてもポスト・インダストリアルなビジュアルを感じたのです。






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映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』より


──ブラジル人の編集者、アフォンソ・ゴンサルヴェスとの仕事はいかがでしたか。



彼とは素晴らしい時間を共にしました。素晴らしい編集者で、我々は会って、話して、一緒に仕事をすることに決め、お互いをすぐに深く理解することができました。僕たちは毎日一緒に編集室で仕事をしましたが、それはこの映画に〈視覚的音楽〉をもたらしたように思います。『ウィンターズ・ボーン』『ハッシュパピー ~バスタブ島の少女~』など、彼が編集してきた映画は、それぞれの個性に本当に驚かされます。



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映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』より



ヴァンパイアの物語に流れる英国的なもの




──この映画では音楽が俳優と同じくらいの比重で重要な要素となっています。あなた自身も音楽活動をされていますが、音楽に対する個人的な関係性と、この映画のなかに異なるジャンルの音楽がたくさん登場することの狙いを教えてください。



そのとおり、主人公がミュージシャンですから、音楽は非常に、非常に重要です。第一に核となるのは、音楽を担当したジョゼフ・ヴァン・ヴィセムです。彼は作曲家であり、リュート奏者であり、ギター奏者であり、リュート音楽の音楽史家であり、またアヴァンギャルドな、ロックンロールな側面も持っていて、本当にたくさんの才能があります。



そしてカーター・ローガンと私、シェーン・ストーンバックとでSQÜRLというバンドをやっているのですが、僕らとジョゼフがコラボレーションをし、また彼の曲にサウンドを付け加えたりしました。映画で使っている音楽のうちのいくつかは、彼がリーダーとなり、我々が共に作ったものです。そしてまた、ヤスミン・ハムダンによる素晴らしいオリジナル曲もありました。僕は彼女に多大な敬意を抱いています。数年前にモロッコで彼女の演奏を見て、僕は彼女の音楽の大ファンになったのですが、僕はただ、この素晴らしいミュージシャンを知ったとき、信じられない思いでした。そういった音楽を映画に使用しています。



既存の楽曲も何曲か使っています。オープニングに使用した、ワンダ・ジャクソンの「Funnel of Love」のリミックス・バージョンもそうですし、デニス・ラサールのR&Bトラック「Trapped By A Thing Called Love」でトムとティルダが踊るシーンが特に大好きです。



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映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』より



──『ウィズネイルと僕』のヴァンパイア版のように、これほど強いイギリスの身分制度を背景にしているのは、意識的な決断だったのでしょうか。暗闇をテーマにしたこの映画の何かが、イギリス人を描写するのに最適だったのでしょうか?



そうですね、確実に英国的な意図はあります。それはヴァンパイアの物語は文学的に、直接的にロマン派詩人から、イギリス文学から派生した、という事実から来ています。もちろん、中央ヨーロッパの神話やドイツのヴァンパイア物語も存在しますが、自分にとって本当に最初のヴァンパイアの物語は、バイロンに先導され、ジョン・ポリドリ、そしてもちろんブラム・ストーカーらから来ていると思っています。ロマンティシズムや英国的ななにか、という面で関連性があります。





オリジナルなヴァンパイアを発明する





──映画にはたくさんの文学者や文学への言及がでてきます。またあなたがおっしゃられた作品はほとんどがヨーロッパ文学です。ですが、映画の舞台となっているタンジールのカフェの名前は「1001 Nights(アラビアン・ナイト)」です。



これはタンジールに実際に存在するカフェに発想を得ています。このカフェをオープンしたブライオン・ガイシンはウィリアム・バロウズと共にカットアップ技法に取り組み、またドリーム・マシーンや他に様々なものを発明した人物です。タンジールが理想郷(interzone)だったころ、50年代の国籍放棄者たちはタンジールに住んでいたのです。「千夜一夜」は素晴らしい本ですよ。今に残る美しい文学で、美しい構造を持っています。




"only lovers left alive"

映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』より



──ヴァンパイアがいつも手袋をしている、という設定はどこから生まれたのですか?



映画に出てくるヴァンパイアには、これまでいくつもの神話が付け加えられてきました。たとえば、1950年代のメキシコのホラー映画『El Vampiro』まで牙というものはでてきませんでした。いや、その前にも『ノスフェラトゥ』や、ユニバーサル映画の『魔人ドラキュラ』のベラ・ルゴシがありましたね。聖水やにんにくなど、映画がいくつも作られるうちに、どんどん累積していったのです。そこで、僕らも自分たちのオリジナルな何かを発明しようと思って、それで革の手袋というのを思いついた。やってみたら、すごくクールだったんです。そして僕は、ロック・クラブでアントン・イエルチェンがこう言うシーンが大好きなんです「ワオ、あんたらカッコいい手袋持ってるな、どこで手に入れたんだい?」




──ヴァンパイアのヘアスタイルもカッコいいですね。



ワイルドな、どこか動物的なヘアスタイルにしたかった。彼らはその振る舞いも、ワイルドな動物っぽさと、非常に洗練された人間らしさが共存しているのです。ヘアメーキャップ・デザイナーによるいろいろなカツラを試してもらって、あのスタイルに落ち着きました。ティルダが「動物っぽくするなら、本当に動物の毛を使ったら」と言って、実はヴァンパイア役のカツラには全員、ヤギの毛と、ヤクの毛と、人間の髪の毛が混ぜてあるんです。



(オフィシャル・インタビューより)











ジム・ジャームッシュ プロフィール



1953年、アメリカオハイオ州アクロン出身。コロンビア大学に入学し英文学を専攻。その後、ニューヨーク大学大学院映画学科に進み、卒業制作で手掛けた『パーマネント・バケーション』(80)が話題となる。さらに監督第2作目となる『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)の独創性、新鮮な演出が絶賛され1984年カンヌ国際映画祭カメラ・ドールを受賞。世界的な脚光を浴びる。ジョニー・デップ主演で1996年ニューヨーク映画批評家協会賞撮影賞を受賞した『デッドマン』(95)、ビル・マーレイ主演で2005年カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞した『ブロークン・フラワーズ』(05)、製作に18年をかけた短編集『コーヒー&シガレッツ』(03)など話題作を発表。長年アメリカのインディペンデント映画界において、独創性に富み影響力のある人物として認められ、その作品は一貫して社会のアウトサイダー達を見つめ、先験的なミニマリズムと慣習的なジャンルを覆す独特の作風で世界中の映画ファンを魅了し続けている。












"only lovers left alive"

映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』より


映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』

12月20日(金)より、TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー




米デトロイト。寂れたアパートでひっそりと暮らすアダムは、何世紀も生き続ける吸血鬼。その姿を隠し、アンダーグラウンド・シーンでカリスマ的な人気を誇る伝説のミュージシャンとして生きている。彼が起きて活動するのは夜間だけ。年代物のギターを愛好し、名前を発表せずに音楽を作る。必要な物の多くはイアンという男に調達を任せている。そして時折、自ら素顔を隠して医師ワトソンの病院を訪れ、極秘に血液を手にいれていた……。



監督・脚本:ジム・ジャームッシュ

出演:トム・ヒドルストン、ティルダ・スウィントン、ミア・ワシコウスカ、ジョン・ハート

プロデューサー:ジェレミー・トーマス、レインハード・ブランディング

撮影監督:ヨリック・ルソー

編集:アフォンソ・ゴンサルヴェス

音楽:ジョセフ・ヴァン・ヴィセム

美術:マルコ・ビットーナ・ロッサー

衣裳:ビナ・ダイヘレル

2013年/米・英・独/123分/カラー/英語/ビスタ/5.1ch

英題:ONLY LOVERS LEFT ALIVE

提供:東宝、ロングライド

配給:ロングライド

宣伝:クラシック+PALETTE



公式HP:http://www.onlylovers.jp

公式Facebook:https://www.facebook.com/OnlyloversJP

公式Twitter:https://twitter.com/OnlyLoversJP



▼映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』予告編


[youtube:mBjjBXj34ak]

篠原有司男と乃り子、ライバルであり40年を共にする二人のアーティストの「ハッピー・サッド」な生き方

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映画『キューティー&ボクサー』より © 2013 EX LION TAMER, INC. All rights reserved.



ボクシンググローブに絵の具を付けてキャンバスに叩きつける“ボクシング・ペインティング”で知られる現代芸術家、篠原有司男と彼の妻であり画家の乃り子。ニューヨークでの出会いから二人展を開催するまで、40年にわたる二人の愛と闘いを描くドキュメンタリー『キューティー&ボクサー』が12月21日(土)より公開。監督のザッカリー・ハインザーリングに、制作の過程を聞いた。





会った時から二人の間には愛憎のようなものがあると感じた




── この映画を制作することになったきっかけから教えてください。



この映画の企画は篠原有司男さんと乃り子さんに初めて会った約5年前にスタートした。友人でプロデューサーのパトリック・バーンズに誘われ、ビデオカメラとともにブルックリンにある彼らのロフトに向かった。以前、パトリックから彼が撮った印象的な2人の写真の数々を見せてもらっていて、何か特別なものを感じていた。



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映画『キューティー&ボクサー』のザッカリー・ハインザーリング監督 photo:IDE Yasuro




二人と出会った日、自分の素性と目的を説明したら、早速ボクシング・ペインティングを披露してくれたり、自分が美術史の中でいかに重要な役割を果たしているかをアピールされた。注目を浴びることで頑張れるタイプなんだと思う。乃り子さんは、静かなんだけど、口を開くと、結構ユーモラスで、辛辣な部分もあった。ボクシング・ペインティングの色を選んだのは私、と言ったり、有司男は全て私のアイディアを盗んだのよ、とユーモラスに言ったりするんだけど、時々「おっ」と思うこともある。



会った時から二人の間には愛憎のようなものがあるのかな、と感じた。幸せなだけのカップルではないと感じた。とてもチャーミングな二人なんだけど、明らかに二人の間には葛藤があり、それが何からきているのかわからなかった。40年を共にした夫婦だから、口げんかが多いのは理解できるけど、より深いところでの摩擦があると感じた。そして、乃り子さんの作品を観た時に、彼女が抱える葛藤を感じることができた。いつから、というのは覚えてないけど、日ごろ、彼女が発する言葉、彼女が表現する作品からそういった部分を感じることができた。



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映画『キューティー&ボクサー』より © 2013 EX LION TAMER, INC. All rights reserved.



──有司男さんと乃り子さんの過去の映像や作品紹介については、最低限に抑えられており、現在の二人の暮らしと表現活動がメインに描かれています。



今回の作品の目的は、観客が篠原家のゲストになるようにすることだった。今日の苦しみや葛藤、夫婦の歴史を感じてほしかった。過去の映像は使ったけれど、主体となるのは今日の二人の生活。過去の映像はあったし、特に有司男さんに関する美術史を紐解いても面白いんだけど、僕の興味は違った。観客は、今日の二人を観て、現在の二人の生活はこうなのか、何でこのような生き方をするのか、ということを理解してもらいたかった。過去の映像を比較的入れ込んだバージョンも作ったけど、結果、違う作品になると思った。今作では、観客の視点を第一に考えた。



乃り子さんと有司男さんは浮き沈みの激しい人生を送っている。実際は快楽より苦難を味わうことの方が多い。彼らの関係性は際立って複雑だ。彼らが言うには、ロマンスという意味ではなく、真にお互いを信頼する、それこそが純粋でクリエイティブな関係性なのだという。映画を制作するにあたっての最大のチャレンジは、お互いめったに表現することのない、その絶対的な愛を明らかにさせようとしたことだった。観客には、有司男さんと乃り子さんの物語に自身も重ね合わせ、観終わった後に周りの人間関係について考えてもらえれば嬉しい。この題材から発せられる純真な精神と美しさのなかに観客を取り込むこと、有司男さんと乃り子さんのようなクリエイティブで秘密に満ちた世界への扉を開かせること、それが最終的な僕の目標だ。



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映画『キューティー&ボクサー』より © 2013 EX LION TAMER, INC. All rights reserved.




ドキュメンタリーで一番大変なのは編集




── 資金調達についてはどのように進めましたか。クラウドファンディングは活用しましたか?



最初は一銭も無かった。自分は商業的なカメラマンの仕事をするので機材を持っていて、一人で篠原家に行って撮影することが多かった。最初の経費は少なくていいんだけど、ポスト・プロダクションの段階でお金がかかってくる。今回はクラウドファンディングは活用していない。全て助成金を集めるやり方をした。最初の数年に自分が撮りためた映像で「こういう作品」になりますとフッテージを作って色んな機関に応募をした。最初にレスポンスがあったのがニューヨークにある「シネリーチ」というところ。ここは、ドキュメンタリー、フィクション問わず、アーティスティックな作品に助成金を出してくれる。この機関は1年に1回、計3年間助成金を出してくれたんだ。



他の機関として、サンフランシスコのフィルム・ソサエティ、ジェローム・ファウンデーション、ニューヨーク・ステイツ・カウンセル・オブ・ザ・アーツ、それからトライベッカ・インスティトゥートというところから助成金を編集作業ができた。



アメリカでは本作のような作品、特にドキュメンタリーではお金を集めるのはすごく大変だ。なかなか制作段階でテレビの放映権や配給がつくことは難しいので、僕たちのような監督は少しずつ撮り溜めして、そしてそれを見せて、補償金を得て、という作業だった。



この作品において、最初に雇ったのは編集者。アニメーションに関しては、毎日ではないけど、8ヵ月の期間制作をし、作曲家を起用し、それからサウンド・ミックス、このあたりに大きな金額がかかった。



── 4年間の密着取材により撮影した素材は、どのようにまとめましたか?



ドキュメンタリーで一番大変なのは編集。脚本を書きながら編集しているようなもの。今回は4年間で300時間もの素材があったから、どういう風に形作って物語化していくのに時間を大きく割いた。最初の1年半にわたる編集作業で作ったラフカットは3時間ぐらいで、その後1年をかけて現在の82分の作品にしていった。どういう物語にしていくかが、一番の挑戦だった。苦労した点は日本語。最初は10人ぐらいのインターンに字幕作業を地道にやってもらった。そして、アニメーション化することも僕にとって挑戦だった。今回はニューヨークにベースがあるアート・シェルという会社で作業した。乃り子さんの作品をスキャンして、この会社の編集者と作品の編集者と僕が作品を選び、アニメ―ション化していった。技術的にも大変だし、乃り子さんが意図するイメージと離れてもいけない。また、実写からアニメーションへ移行していく部分にも気を使った。映画のトーンとも合わせないといけないし、スムーズに移行が行われるように気を使った。スコアも大変だったけど、楽しい作業だったし、音楽の清水靖晃さんは天才だし、一緒に仕事が出来て刺激にもなったし、楽しかった。




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映画『キューティー&ボクサー』より © 2013 EX LION TAMER, INC. All rights reserved.


言いたいことを「ピュア」に表現する、それが二人の信条




──乃り子さんのペインティングをアニメーションで表現する以外に、編集のリズムや音楽、日常の描き方など、どんな手法で二人のドラマを描こうとしましたか?



物語をドラマティックにするための「個」の部分は、乃り子さんの変化を追うことがとても大きくて、映画冒頭では有司男さんの助手的な彼女だったけど、だんだんと自分のアートを創りだし、一般の人に自分の作品を見せて、自分がスポットライトを浴びるようになり、それを観て有司男さんが反応する。こういった点が物語のキーだった。今回の作品のドラマ性は二人の関係が中心になっていて、二人の間に見られるアーティスト同士の競争心、40年間結婚生活を送っている、というところが核になっている。



ドラマ性を表現するためには、編集段階でアニメーションだったり、僕が「happy sad」と呼んでいるんだけど、二人の生活のトーンをあらゆる形で描くようにした。ユーモアラスな二人の関係、チャーミングで少し変わった二人の個性、シリアスなやりとり、特に過去を振り返ると哀愁を漂わせているし……こういった二人が織りなすトーンを非常に大切に描こうとした。清水さんが提供してくれたスコアはこのトーンを出すために非常に大きな力となった。彼のサックスの高めの音は気まぐれでメロウな感触があって、低い音はリズミカルでシリアスで、「happy sad」なトーンがある。彼の音楽はマジカルでとても詩的で、この音楽が二人の世界にぴったりだったし、僕がイメージするこのトーンを固める助けにもなった。



それから大切だったのが、色彩補正。二人が住んでいる空間というものに一貫性を持たせたかった。彼らの世界観を音を通して、そして映像を通して一貫性を持たせることで、観客が作品世界から離れてしまわないようにした。今回の撮影は、ニコンのレンズを使用しているんだけど、少し昔ながらの柔らかい、少しエッジがぼやけているような、昔っぽい印象を取り入れるようにしたんだ。




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映画『キューティー&ボクサー』より © 2013 EX LION TAMER, INC. All rights reserved.




──有司男さんと乃り子さんとの制作は、監督の今後のドキュメンタリー制作におけるアチチュードにどのような影響を与えましたか?



二人ともすごいインスピレーションを与えてくれる方々で、制作時から「DIY」、全て自身でやる、というメンタリティーを持っていた。彼らは苦労しているアーティストではあるけれども、僕も一人のアーティストして一つの作品を作らねばと、もがいていた。彼らは常に前へ進むことを大切にしていた。例えば、有司男さんは寝る間も惜しんで、いまだにモノづくりをしている。乃り子さんも同様。彼らと長い時間過ごしたことは、自分にとって、大きなインパクトだったし、僕が作品創りを継続する大きな力になった。二人は、言いたいことを「ピュア」に表現するというやり方をする。それが信条のように感じる。



「アーティスト」とはそういった部分が本質的に内在しているんだろうけど、なかなか直接的に感じることはない。二人は「アーティスト」という「人」と彼らが表現したい「アート」がすごく直接的に純粋なコネクションを持っている。これから自分がアーティストとしてどういうものを伝えたいのか、より直接的に伝えたいという気持ちになったし、とにかく自分のやりたいこと、言いたいことをやるべきだと思った。この先の将来、そういう精神を持っていきたい。また、二人はやりたいことをやる、といった衝動的な部分もある。僕も将来、大胆な選択をしていきたい。



(オフィシャル・インタビューより)
















ザッカリー・ハインザーリング プロフィール


1984年生まれ。ニューヨーク・ブルックリンを拠点に活動する映画監督、カメラマン。哲学と映画研究の学位を取得し、2006年にオースティンのテキサス大学を卒業。HBO(アメリカの大手ケーブル放送局)でいくつかの長編映画に取り組み、その中でアソシエイト・プロデューサーとカメラオペレーターを務めたドキュメンタリーがエミー賞3部門を受賞する。2010年にはエミー賞を受賞したHBOのドキュメンタリーシリーズ「24/7」のフィールド・プロデューサーを務めた。2011年には、ベルリン・タレントキャンパスに参加。2011年ニューヨーク映画祭において、フィルム・ソサエティ・オブ・リンカーン・センターとIFPのEmerging Visions Programが選出する25人のフィルムメーカーうちの一人として選ばれた。長編映画デビュー作となる本作で2013年サンダンス映画祭ドキュメンタリー部門監督賞を受賞。カメラマンとしては、PBS(公共放送サービス)用長編ドキュメンタリー『Town Hall』の制作などが予定されている。














映画『キューティー&ボクサー』

12月21日(土)、シネマライズほか全国ロードショー!




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映画『キューティー&ボクサー』より © 2013 EX LION TAMER, INC. All rights reserved.



ニューヨーク、ブルックリン。 篠原有司男は、1960年に日本で結成された芸術集団「ネオダダイズム・オルガナイザーズ」の中心的メンバーで、ジャンク・アート、パフォーマンス、のちに「ボクシング・ペインティング」で有名となり、1969年、さらなる活躍の場を求めて渡米する。その3年後。妻・乃り子は19歳のとき、美術を学びにやってきたニューヨークでギュウチャンと出会い、恋に落ち、結婚。学業の道を捨て、裕福な家族からの仕送りは打ち切られた。80歳の有司男は、自身がつくりだした絵画と彫刻を旺盛に探求しつづけている。売れるチャンスをつかもうと、制作活動に励む毎日だ。一方、59歳の乃り子は、妻であり、母であり、ときにアシスタントであることに甘んじていた。しかし、息子も成長した今、ついに自分を表現する方法を見つけた。それは、夫婦のカオスに満ちた40年の歴史を、自分の分身であるヒロイン“キューティー”に託してドローイングで綴ること……。




監督:ザッカリー・ハインザーリング

出演 : 篠原有司男、篠原乃り子

アメリカ/カラー/82分/ビスタ

提供:キングレコード、パルコ

配給:ザジフィルムズ、パルコ

公式HP:http://www.cutieandboxer.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/cutieboxer

公式Twitter:https://twitter.com/cutie_boxer



▼映画『キューティー&ボクサー』予告編


[youtube:UsUxarYVG6c]

アップル本社新社屋で話題の建築家ノーマン・フォスターに迫る

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映画『フォスター卿の建築術』より。(C) Valentin Alvarez.



「宇宙船型」アップル本社新社屋(Apple Campus2 Project)でも話題のノーマン・フォスターのドキュメンタリー映画『フォスター卿の建築術』が1月3日(金)から公開になる。鉄とガラスを多用し構造体を外部に露出させたハイテク建築で独自のスタイルを確立し、40年間にわたって最前線を走リ続けるフォスター卿の建築を、建築史・建築批評家である五十嵐太郎氏が解説する。










空を飛ぶ建築家、ノーマン・フォスター

──五十嵐太郎(建築史・建築批評家)




スティーブ・ジョブズからアップル社の新社屋を依頼された建築家が、ノーマン・フォスターである。このオフィスでは1万3千人が働くことになるが、巨大なリング型というユニークな造形だけではなく、緑豊かな植栽、太陽光発電、電気自動車のチャージング・ステーションなど、地球の環境を意識したデザインをもつ。地上に舞い降りた宇宙船のような建築から、東京オリンピックの新国立競技場の是非をめぐって話題になったザハ・ハディドを想起するかもしれない。実際、彼らはまさにグローバリズムの時代の建築家として活躍している。歴史を振り返ると、かつてのスター建築家は、それぞれの時代において彼らが拠点をおく都市の景観を形成してきた。ロンドンの場合、17世紀はクリストファー・レン、18世紀はジョン・ナッシュ、19世紀はジョン・ソーンが、都市のあちこちで設計し、今も数多く残っている。だが、フォスターは、東京、北京、香港、ニューヨーク、フランクフルト、ベルリン、ニーム、アブダビなど、世界各地でプロジェクトを手がけるようになった。21世紀のグローバリズムは、ランドマークとなるアイコン建築を求めている。



フォスターのプロジェクトは、世界各地で忘れがたい風景をつくりだしている。ベルリンの国会議事堂にガラスのドームをかけたライヒスターク(1999)は、大勢の観光客が集まる新しい名所であり、筆者が訪れたときも長い行列があった。歴史的な場所とはいえ、斬新なデザインの力が大きいだろう。古建築でなくとも、現代建築がこれだけ多くの人を魅了することができる。ほかに大英博物館のグレート・コート(2000)、ロンドン市庁舎(2002)、スイス・リ本社(2004)も、独特のデザインで異彩を放つ。小難しい説明なしに、どれも一般の人を素直に驚嘆させる空間である。建築の専門でなくても、一目でその特徴がわかるという意味では、やはりザハが連想されるだろう。しかし、二人のデザインの思想は大きく違う。ザハがきわめて彫刻的な造形であるのに対し、フォスターは合理性、機能性、環境性を強く意識したうえで、幾何学的な形態を知的に導きだしているからだ。



映画『フォスター卿の建築術』

独特な円錐形状のスイス・リ本社ビル


フォスターがその名声を不動のものにしたのは、香港上海銀行(1986)だろう。ファサードに太いブレースがハンガーのように並び、室内を数フロアごとに吊り下げる大胆な構造である。カーテンウォールとコアという従来のオフィスビルの構成ではなく、外部に骨組みを顕在化させて、内部に大きなアトリウムをもつ。また中央の吹抜けに光を導くために、角度を変えられる反射板を設置した。ちなみに、東京のセンチュリー・タワー(1991)も、これと同じ構造のシステムをもったフォスターの作品である。香港上海銀行は、紙幣のデザインにも使われたが、ハイテクと呼ばれるスタイルの傑作としても歴史に刻まれた。ハイテクとは、工場のように、構造や設備などを隠すことなく、外部に露出させて、ダイナミックな表現を行うデザインの傾向を意味する。もちろん、モダニズムの建築も、機械をモデルとしていたが、内部の構造や設備をむき出しにはしていない。しかし、1960年代のアーキグラムのユートピア的な実験建築を露払いとし、1970年代からしばしばまるで工場のようと形容されるハイテクの建築が登場するようになった。



映画『フォスター卿の建築術』香港上海銀行

構造・工法などのあらゆる面で革新性を備えた香港上海銀行


ハイテクの建築家としては、このドキュメンタリーでも度々コメントしているリチャード・ロジャースのほか、レンゾ・ピアノらがよく知られている。彼らはカラフルなポンピドーセンター(1977)を設計し、ハイテクの潮流を決定づけた。これは外部に構造体をだすことで、無柱の大空間による展示室を実現したが、工場のような外観がパリに衝撃を与えている。もともとフォスターとロジャースは、ともにアメリカのイェール大学で、力強い造形で知られる当時のスター建築家ポール・ルドルフらに学んだ後、イギリスに帰国して、チーム4を結成し、そのキャリアを開始している。ロジャースは、工場や配送センターなどのプロジェクトにおいて屋根の上で吊り構造を表現したが、そのデザインをフォスターと比べると、メタリックなシルバーの外観をもつロイズ・オブ・ロンドン(1986)や、効果的に色彩を使う新宿の林原第五ビル(1993)など、装飾的な要素が多い。



フォスターは、スタンステッド空港(1991)、香港空港(1997)、世界最大級の北京空港(2008)など、幾つかの空港を手がけている。これもグローバリズムのシンボルであると同時に、それぞれの国の表玄関となる重要な建築だ。現在、世界の空港はハイテク系のデザインが主流になっている。おそらく、空港は、建築に興味がなくとも、知らずにもっとも多くの人に経験されるビルディングタイプのひとつだろう。フォスターが、子供のときに最初に描いたスケッチが飛行機だったというエピソードは興味深い。そしてパイロットに憧れ、操縦免許をもっている。また、私は建築家として働きながら空を飛ぶ感覚を味わっているという言葉からは、航空のテクノロジーに魅せられた宮崎駿の映画『風立ちぬ』の主人公が思い出されるだろう。環境にも配慮したエレガントなデザイン、大きくても軽やかさをもったデザイン。フォスターの飽くことなき追求は、今や建築単体を超え、都市まるごとを創出しようと展開している。



映画『フォスター卿の建築術』北京空港


映画『フォスター卿の建築術』北京空港

北京首都国際空港ターミナル3(写真上)とその内部(写真下)



ところで、このドキュメントのオリジナル・タイトルは、あなたのビルの重さはどれくらい?、というものだ。これはフォスターと会話したときの、バックミンスター・フラーの言葉である。フラーは、通常の建築という枠組に囚われることなく、グローバリズムどころか、地球的な視野からデザインを構想した。彼のユートピア的なプロジェクトとしては、モバイル建築や浮遊する都市などが挙げられる。ビルの重さに興味をもつことは、そのあらわれのひとつだが、日本ではコルゲートハウスの自邸を実現した技術者、川合健二も同じような視点をもっていた。フォスターはフラーからの影響も受けている。だが、夢物語では終わらせない。今や1400人の大所帯になった彼の事務所は、他分野とのコラボレーションを行いながら、アップル社の新社屋やアブダビの実験都市マスダールなど、新しい未来を切り開く力と可能性をもっている。




映画『フォスター卿の建築術』実験都市マスダール

アブダビに建設中のマスダール・シティ










五十嵐太郎(いがらし・たろう)



1967年パリ生まれ。建築史・建築批評家。1992年東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学大学院教授。せんだいスクール・オブ・デザイン教員を兼任。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナーを務める。『被災地を歩きながら考えたこと』(みすず書房)、『あいち建築ガイド』(監修・美術出版社)、『おかしな建築の歴史』(編著・エクスナレッジ)ほか著書多数。











映画『フォスター卿の建築術』

1月3日(金)渋谷アップリンクにて3週間限定公開



監督:ノルベルト・ロペス・アマド&カルロス・カルカス

出演:ノーマン・フォスター、バックミンスター・フラー、リチャード・ロジャース、リチャード・ロング、ボノ、蔡國強、他 (英/2010年/76分)

配給・宣伝:アップリンク



公式サイト:http://www.uplink.co.jp/foster/



東京:渋谷アップリンク

1月3日(金)より3週間限定公開

http://www.uplink.co.jp/movie/2013/19837



横浜:ブリリア ショートショート シアター

1月4日(土)~1月12日(日)

http://www.brillia-sst.jp/



大阪:シアターセブン

1月4日(土)~1月24日(金)

http://www.theater-seven.com/



京都:元・立誠小学校 特設シアター

1月18日(土)~

http://risseicinema.com/



愛知:名古屋シネマテーク

近日公開

http://cineaste.jp/





▼『フォスター卿の建築術』予告編


[youtube:RHn7EyOoSMY]

常にラウル・ルイスの魂が付き添ってくれていた、バレリア・サルミエントが『皇帝と公爵』制作を語る

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映画『皇帝と公爵』より ©ALFAMA FILMS / FRANCE 3 CINEMA 2012



2011年に惜しくも亡くなったチリの名匠ラウル・ルイス監督。彼の生涯のパートナーであるバレリア・サルミエントがメガフォンを取り、撮影前に亡くなったルイス監督の遺志を継いで完成させた『皇帝と公爵』が12月28日(土)より公開される。ジョン・マルコヴィッチをはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・ユペール、メルヴィル・プポー、マチュー・アマルリック、ミシェル・ピコリら豪華俳優陣とともに、ナポレオン将軍と彼を倒したウェリントン将軍の攻防を描いたサルミエント監督に、今作への思いを聞いた。








ラウルにオマージュを捧げる



──途中からプロジェクトを引き継ぐにあたり、ラウル・ルイス監督とは作品の完成形やストーリーテリングの方向性などのビジョンを共有出来ていましたか?それによって監督を務める際のアプローチは、過去にご自身で監督をされた作品との違いはありましたか?



ルイスとは、編集者として長い間一緒に仕事をしていたので、彼の仕事のやり方はあらかじめしっていました。ただラウルはすでに体調を崩し始めていたので、この映画の為にロケハンをした時に一緒について行きロケハンをしながら、こういうことをやるつもりなんだということを聞くことができました。ただすぐにパリに戻らなければならなかったり、体調のこともあったので……ラウルのできた準備は大変少ない量でした。


その状況の中でも、編集者として彼のやり方を知っていたことと、私自身も監督経験がありましたので、このプロジェクトを途中から引き継ぐ決心をしました。実際引き継いでみて、とても簡単なことではないと思いましたが、この映画に協力・参加してくれたすべての人が、ラウルにオマージュを捧げるという意味で集まってくれていましたし、そのわたしたちの側に、常にラウルの魂が付き添ってくれているような映画作りでした。



映画『皇帝と公爵』 バレリア・サルミエント監督

映画『皇帝と公爵』のバレリア・サルミエント監督


──監督オリジナルのアイディアや、新たに変化を入れた部分は?



一例を挙げれば、女性キャラクターに重要性を与える、特に戦時下における女性の苦しみに焦点を当てるのは私の視点です。戦争において苦しむのは女性たちなんだということを伝えたかったのです。
また編集のリズムは、私のスタイルだとラウルのスタイルよりも早いというところもあります。



──かなりスケールの大きいロケーションですが、撮影は主にどこの国で行われていたのですか?また、難しかった撮影はどのシーンですか?



すべて歴史上に出てくる名前の通り、すべてポルトガルで撮りました。また、すべての登場人物が話すべき言葉(言語)、ポルトガル人ならポルトガル語、イギリス人は英語などオリジナルの言語で撮っています。その意味ではヨーロッパ映画と呼べると思います。それぞれの国をリスペクトして作っています。
ナポレオン侵攻時の国土の荒廃ということを描きたかったので、日常の人々を描くことが重要でした。
フランス人は、ナポレオンがブサコの戦いで負けたということを忘れている人が多いことにも驚きでした。
これはナポレオンの歴史の中でも初めて敗戦だったのです。











19世紀のフランス軍ポルトガル侵攻は現代ヨーロッパのパラレル



──ウェリントンとナポレオンは、比べられることが多いと思うのですが、本編では、ウェリントン自身の活躍はあまり描かずに、そのまわりの人々を断片的に切り取った描き方にされたのは、戦時下における人々を描きたかったということにつながるのですか?



私の興味というのは、普通の人々を通じて戦争を描くことだったので、スペシャル・エフェクトを駆使して戦争を描くということではありませんでした。



映画『皇帝と公爵』

映画『皇帝と公爵』より ©ALFAMA FILMS / FRANCE 3 CINEMA 2012


──ルイス監督作品の常連だったメルヴィル・プポーをはじめ素晴しい俳優たちが出演されていて、すでに日本でも話題になっています。このキャスティングはプロジェクトの段階で決まっていたのですか?また、どのようにしてこの豪華キャストの出演が決まったのですか?



3~4人のキャスティングはラウルが念頭に置いていた人はいましたが、ほとんどのキャストは彼の死後にわたしたちが決めました。また、ラウルにオマージュを捧げたいと、ドヌーブ、ピコリ、ユペールのスイスの家族が食事をしているシーンは、特別に付け加えました。



映画『皇帝と公爵』

映画『皇帝と公爵』より ©ALFAMA FILMS / FRANCE 3 CINEMA 2012






──思い出深いシーンやエピソードがあれば教えてください。



すべての撮影にとても思い出があります。ただ、最後の砦のシーンは、風がとても強い地方だったので、特に撮影に苦労しました。ポルトガルはエコロジーの国なので、発電のための風車がいたるところに立っていてどうしても映ってしまうので、そのまま撮ってあとでデジタル処理をして消しました。


メルヴィル・プポーとマチュー・アマルリックは軍人を演じなければならなかったのに、乗馬ができなかったので、撮影前に特別に先生を頼んでレッスンをしたのが、撮影前の苦労でしたね。



──撮影地が観光地化されていて苦労したということはなかったのでしょうか?



撮影は真冬でしたので、観光客はあまりポルトガルにはいませんでしたね(笑)。一般的にポルトガルの冬はそんなに厳しくないといわれるのですが、このときはとても寒かったので、軍人役の人たちは服に下にビニールを入れていたりしていましたね。



映画『皇帝と公爵』

映画『皇帝と公爵』より ©ALFAMA FILMS / FRANCE 3 CINEMA 2012





──本作では、戦時下という混迷の時代に翻弄される人々の人生が"絵巻物"のように描かれているのが印象的でした。時代や環境は違いますが、現代社会を生きる我々にも通ずるメッセージあるのでしょうか?



当時の戦時下のヨーロッパの複雑な状況というのはありますが、現代ヨーロッパのパラレルというふうに考えられるのではないでしょうか?ベネツィア映画祭の上映時にもそのようなコメントが多かったです。今のヨーロッパが、過去の沢山の戦争の上に成り立っているということを忘れてはいけないと思います。現在はEUとして一つのかたちになってはいますが、その下には様々な戦争があったうえで現在のかたちになっているということを、このような映画を通してでも忘れてはいけないと思います。



映画『皇帝と公爵』

映画『皇帝と公爵』より ©ALFAMA FILMS / FRANCE 3 CINEMA 2012


──今後の作品の構想はありますか?今、どんなテーマに興味を持っていらっしゃいますか?



本当にこれからどうなるかわからないわ……映画を撮り続けていきたいけれど、制作は、タイミングと資金とプロデューサーによりますので、これからどんなプロジェクトが実現するのか楽しみにしているところです。


ラウルが多くの映画を残していますが、中にはフィルムが痛んでいたり16ミリで撮ったものもあるので、修復をして、フランスのシネマテークなどで「ラウル・ルイス レトロスペクティブ上映」などをしたいと思っています。またラウルは常に色々なアイディアや次回作の構想などがありましたので、それらを脚本として形にしていくという事にも取り組んでいければと考えています。



(オフィシャル・インタビューより)







バレリア・サルミエント プロフィール



1948年チリ、バルパライソ生まれ。チリ大学で哲学と映画製作を学ぶ。69年にバルパライソ・カトリック教大学芸術院の映画学科教授となったラウル・ルイスと出会い、結婚する。その後ルイスの作品で助監督を務めると共に、短篇でルイスと共に監督と編集も担当。72年は短篇『Un sueno como de colores』を単独で監督。73年ルイスと「La expropiacion」の追加撮影をパリで行った後、そのままパリに亡命する。その後はルイスの殆どの作品で編集と担当。また、スペインのベントゥラ・ポンスや、リュック・ムレやロバート・クレイマーの作品で夫以外の作品も編集を担当。79年にはベルギーで「Gens de nulle part, gens de toutes parts」を監督。以後、ドキュメンタリー作家として活動すると共に、ルイス共同脚本の「Notre mariage」 (84)で劇映画の監督としてもデビュー。その後も『アメリア・ロペス・オニール』(91)『ストラスブールの見知らぬ人』(98)『Rosa la China』(02)『Secretos』(08)といった劇映画を、多作な夫の作品で編集を担当する合間を縫って監督。今回、撮影目前で他界したルイスの意思を継いで、本作『皇帝と公爵』を完成させた。









映画『皇帝と公爵』

12月28日(土)よりシネスイッチ銀座 他、ロードショー



1810年9月27日、圧倒的に不利な地形をものともせず、フランス軍第二大隊の兵士たちは激戦の末、ポルトガル・ブサコの斜面を這い上がり、アルコバ山頂に達した。しかし、やっとの思いで尾根に出たフランス兵たちの目に飛び込んできたのは、準備万端で待ち構えるイギリス軍の姿だった。ウェリントンの戦略により、イギリス軍は見事、フランス軍を追い払うことに成功した。だが、勝利をおさめたにもかかわらず、イギリス軍は、ウェリントンが建設した要塞“トレス線”へ、いまだ数的に圧倒的有利なフランス軍を誘い込むため、南の山地へ戦略的撤退を試みる。リスボンの手前に建設されたこの“トレス線”は、知将ウェリントンが1年前から密かに準備を進めていた、80㎞にも及ぶ防衛のための砦であった。




監督:バレリア・サルミエント

出演:ジョン・マルコヴィッチ、マチュー・アマルリック、メルヴィル・プポー、カトリーヌ・ドヌーヴ、ミシェル・ピコリ、イザベル・ユペール、キアラ・マストロヤンニ、ヌヌ・ロプス、カルロト・コッタ

脚本:カルルシュ・サブガ

撮影:アンドレ・シャンコフスキ

美術:イザベル・ブランコ

編集:バレリア・サルミエント、ルカ・アルヴェルディ

製作:パウロ・ブランコ

音楽:ホルヘ・アッリアガダ

原題:LINHAS DE WELLINGTON

2012年/ポルトガル・フランス/シネマスコープ/カラー/152分

(C)ALFAMA FILMS / FRANCE 3 CINEMA 2012



公式サイト:http://www.alcine-terran.com/koutei

公式Facebook:https://www.facebook.com/koutei.kousyaku.movie2013

公式Twitter:https://www.twitter.com/kouteikousyaku








鑑賞券を3組6名様にプレゼント



公開にあたり、劇場鑑賞券を3組6名様にプレゼントいたします。応募方法は下記から。ご応募の際、webDICEのアカウントをお持ちでない方は新規登録が必要です。








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■応募締切:2014年1月3日(金)23:00


※当選結果は招待券の発送をもってかえさせていただきます。




▼映画『皇帝と公爵』予告編



[youtube:7dkJodI70Qk]

観客と建物がダンスをするような美しい映像はいかに撮られたか 『フォスター卿の建築術』監督インタビュー

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ノーマン・フォスターを撮影中のノルベルト・ロペス・アマド(写真中央)とカルロス・カルカス(写真右)の両監督 ©Valentin Alvarez




「モダニズムのモーツァルト」と評され、ロンドンをガラスの街に変えた建築家ノーマン・フォスターのドキュメンタリー映画『フォスター卿の建築術』が1月3日(金)から公開になる。故スティーブ・ジョブズから依頼を受け、宇宙船型のアップル社新社屋を建設中であることでも話題のフォスターは、現在78歳。イギリスの労働者階級の家庭に生まれ、働きながらマンチェスター大学の建築科に通い、モダニズム全盛の米国イェール大学に奨学金を得て留学。以後、1970年代から現在に至るまで建築界の最前線を走ってきた。その革新性と洗練を兼ね備えた建築で、1999年には爵位を叙されている。国から国へと猛スピードで移動しつづけるフォスターを追い、建物を空撮や非凡なアングルで捉え観客を空に羽ばたかせるような映像に仕上げた監督二人が、フォスターとの秘話や撮影時の苦労などについて語る。








ノーマンほどパワフルで、情熱的で、創作にのめりこんでいる

人物に出会ったのは初めてだった






──映画ファンにとって、この映画の見どころはどこでしょうか? なぜ、建築家についてのドキュメンタリーなのですか?





ノルベルト・ロペス・アマド(以下アマド):前からずっと建築に興味があった。時代を超越する傑作としての建築を生み出す過程に隠された秘密を探りたいと思っていたんだ。ノーマン・フォスターの作品にはそういう部分があり、このドキュメンタリーは、50年後に観ても建築の陰にいる人物を観客に感じてもらえる映画だと思っている。



カルロス・カルカス(以下カルカス):僕は建築家ではないし、建築に詳しいわけでもない。“なぜ建築について考えなくてはならないか。自分にとってどんな意味があるのか”という観点からこの映画に携わった。そうした疑問に応える作品になったと思う。また、建築とは単に美しい建物を建てることではないし、知的な建物と凡庸な建物の間には違いがあって、それが人間の生活、特に大都市の暮らしに大きな影響を与える、ということを観客に伝えられたのではないかと思う。



──このドキュメンタリーのアイデアは、いつ、どのように生まれたのですか?





カルカス:アントニオ・サンス(製作総指揮にしてアイデアの生みの親)と僕は、10年以上にわたり、いろいろな仕事で組んできたのだが、彼と重ねた会話の中から、この企画は生まれた。2007年にノーマンはアガ・カーン建築賞を受賞した時、僕は受賞式の取材を依頼された。その日程が、ノーマンが開港前の北京空港を訪問する予定と重なった。それでクアラルンプールでの授賞式と、ノーマンの北京空港訪問の両方を撮影するよう頼まれた。それが具体的なきっかけになった。取材旅行中に、アートに詳しいノーマンの妻であるエレーナ・オチョア(本作プロデューサーでもある)が、企画のアイデアを理解し、良いドキュメンタリーになるだろうということを分かってくれた。




ロンドン・シティホール2


ロンドン・シティホール


空撮によるロンドン市庁舎(写真上)とその内部(下)





──ドキュメンタリーの制作は完成図を見ずにパズルを仕上げるようなものです。今回、どのような準備をしたのか教えてください。





アマド:大変苦しく厳しい、時間のかかる創造のプロセスを経て、ノーマンがバックミンスター・フラーから学んだ“抑制こそ豊穣”という概念をそのまま、企画を体現するドキュメンタリーになった。



カルカス:大量の本から知識を仕入れると同時に、ノーマンや彼の仲間の建築家たちと共に長い時間を過ごすことを大切にした。企画がスタートした初日から2007年の取材旅行を終えるまでの間に、おのずとそうした時間は得られた。



北京空港訪問の際には、世界最大級の建物を造る建築家チームにかかるプレッシャーを肌で感じた。ターミナルに向かって車を走らせた時のことを今でもよく覚えている。タクシー乗り場や歩行路を示すラインはまだ引かれていなかったので、空港の前はがらんどうのようだった。車を寄せながら僕は、晴れ渡った北京の青い空を背景に、刀のような曲線を描く近未来的な巨大建物を見て思わず息をのんだ。火星に着陸して、失われたコロニーを発見したかのような気分になった。その瞬間、自分が並はずれた人々と時を分かち合っているのだと意識した。



企画のスタート直後は、最初のステップとして、ロンドンにあるノーマンのオフィスでしばらく時を過ごした。デザインの打ち合わせに同席し、インタビューもしたが、紙とペンでメモする代わりにカメラを使った。それが僕の思考と仕事の道具だから。使うかどうかわからないフッテージをたくさん撮ったけれど、撮影という行為そのものが、彼らを知り、彼らに自分を知ってもらうための手段だった。



──これまでにもドキュメンタリーや劇映画、テレビシリーズなどを作ってこられていますが、今回のドキュメンタリーには大きな違いがありましたか?





アマド:僕は特になかった。映像を作る時はいつも、その底に潜む感情を探ろうとするけれど、今回も同じだった。



カルカス:この映画の特徴は、移動し続ける人間を映すという作業だった点にある。ノーマンは膨大な距離を猛スピードで移動しつづけている。しかも彼は、やりたいことが山ほどあって、自分の姿を撮影されることに興味がなかった。ノーマンにとって、面白いものとはすなわちデザインであり、次のデザインがどうすればよりよくなるかという考えで頭はいっぱいなのだ。国から国へ、ついていけないほどのスピードで移動し、良い映像が撮れるのを待ったりしてくれない人間を追いかけるんだ。しかも、撮影対象はカメラを向けられないほうが心地よいに違いないのに、一緒に移動し続けなくてはいけない。そうした点は大変だったけれど、それでも彼は非常に好意的だった。



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南仏アヴェロン県に2004年に開通した全長2,460m、主塔343mの世界一高い橋であるミヨー橋





──人間と建物、撮るのはどちらが難しいでしょう?





アマド:建物の撮影はとても難しい。最初の建物を撮影する時、“誰も撮らなかったような方法で撮ってみよう”と考えた。僕らはまず建物を理解することから始めた。言葉なしでその建物を説明するように、そして各パーツを詳しく注意深く、愛でるように撮って、観客に感じるだけでなく理解してもらおうと試みた。



カルカス:僕はいつもカメラの陰で自分を消そうとして苦労する。ほとんど不可能なんだけれど。カメラがあれば自動的に、それがホームビデオであっても人間は変わる。自意識が生じるからだ。カメラが気になってしまった時点で終わりだ。俳優というのは、カメラが回った状態で演技をする訓練を受けた人々だ。彼らは立ち位置や、セリフを言うタイミングを心得ている。ドキュメンタリーでは、作り手がその点に責任を持たねばならない。正確な位置から、物事が起きる瞬間を捉えなくてはならない。リハーサルはなく、撮り直しはできない。だからこそドキュメンタリーの撮影は面白い。



──この映画は、建物を非凡なアングルで撮っており、非常に美しい映像に仕上がっています。建物のどんな部分を見せようとしたのでしょうか。どのような撮影テクニックを用いましたか?





アマド:それぞれの建物に対して、撮り方を変えるよう努めた。空撮にしたり、精神性に着目したりリスクに挑んだりした。建物を、葛藤を抱えたり美点を備えたりするキャラクターのように扱った。



カルカス:最初から分かっていたことだが、この映画には2つの異なる要素が必要だった。被写体が建物の部分は、機材を駆使し、手間暇をかけて映画的な撮影ができる。その一方で、人物の撮影は軽いフットワークで手早くこなさなくてはならない。ノーマンとの撮影の多くは、小さなHDカメラで撮った。そうしないと車内での撮影ができなかった。



建物の撮影については、ティト(アマド)が初期の段階で、物語を伝えるためには対象を選ばなくてはならないという認識をしていたと思う。彼は、“建物を愛でるように撮りたい、その詩的な本質を伝えたい”と言っていた。僕にしてみれば、動かぬ巨大建築物を映画にするなんて、恐ろしいことだった。ティトと撮影監督のバレンティン・アルバレスは素晴らしい仕事をしたと思う。観客と建物がダンスをするような作品を撮ったんだからね。観客を空に羽ばたかせたんだ。



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ニューヨーク・マンハッタンのハーストタワー。高層ビル建築に与えられる国際的な賞であるエンポリス・スカイスクレーパー賞受賞(2006年)。





──共に過ごした長い時間を経たあなたたちから見て、ノーマン・フォスターはどのような人物ですか?





アマド:彼は決してあきらめない人間だ。自分の求めるものを知っていて、作品に決して満足しない。リスクさえ恐れなければ、何事にも常に伸びしろがあると知っているからだ。



カルカス:ノーマンほどパワフルで、情熱的で、創作にのめり込んでいる人物には出会ったことがない。美を愛し、美を分かち合うことを好む人だ。よい建築家の作品は、居間に飾られる絵画とは違う。建物とは、その中で多くの人々が生活し、働く場であるし、その外観は皆の目に触れるものだ。彼は良い教師でもあると思う。知識を分かち合う術に長けている。裕福ではない家庭で育ち、働き、戦い、すべてを危険にさらしてキャリアを築いてきた人だ。共に働いたすべての人々にインスピレーションを与えてきたのではないだろうか。僕の映画作りも、彼と過ごした1年くらいの間に影響を受けたと思う。



──このドキュメンタリーで、ノーマン・フォスターのどのような面を強調しましたか?





アマド:ノーマンを映す鏡になりたかった。ファイナルカットを見たノーマンが“このドキュメンタリーは私だ”と言ってくれたのは最高の賛辞だったよ。誠実に映すように心を砕いたからね。



カルカス:ノーマンには多種多様な仕事をしてきた背景がある。そのすべてにおいて彼は多くの思考を重ねると同時に、心や魂を駆使してきた。その点を伝えたかった。




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©Valentin Alvarez









ノルベルト・ロペス・アマド



スペイン・ウレンセ出身。1989年から、スペインの通信社で記者として、湾岸戦争などの世界情勢を取材。その後、映画界に進出し、多くの長編ドキュメンタリーや短編劇映画を手がける。初の長編劇映画『Nos Miran』は商業的成功をおさめた。現在、スペインのテレビ界を代表する映像監督の1人である。



カルロス・カルカス



米国フロリダ州マイアミ生まれ、マドリード在住。ボストン大学コミュニケーション学部を卒業後、通信社でフリーのカメラマン及びプロデューサーとして働く。初の長編監督作『Old Man Bebo』(※ベボ・バルデスのドキュメンタリー)で2008年度トライベッカ映画祭の最優秀新人ドキュメンタリー監督賞を受賞。











映画『フォスター卿の建築術』

1月3日(金)渋谷アップリンクにて3週間限定公開



監督:ノルベルト・ロペス・アマド&カルロス・カルカス

出演:ノーマン・フォスター、バックミンスター・フラー、リチャード・ロジャース、リチャード・ロング、ボノ、蔡國強、他 (英/2010年/76分)

配給・宣伝:アップリンク



公式サイト:http://www.uplink.co.jp/foster/



東京:渋谷アップリンク

1月3日(金)より3週間限定公開

http://www.uplink.co.jp/movie/2013/19837



横浜:ブリリア ショートショート シアター

1月4日(土)~1月12日(日)

http://www.brillia-sst.jp/



大阪:シアターセブン

1月4日(土)~1月24日(金)

http://www.theater-seven.com/



京都:元・立誠小学校 特設シアター

1月18日(土)~

http://risseicinema.com/



愛知:名古屋シネマテーク

近日公開

http://cineaste.jp/





▼『フォスター卿の建築術』予告編


[youtube:RHn7EyOoSMY]

日本で『いでんし くみかえ さくもつ のない せいかつ』を実践するには、手島奈緒さんに聞く

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渋谷アップリンクでの『モンサントの不自然な食べもの』トークイベントより、『いでんし くみかえ さくもつ のない せいかつ』の著者、手島奈緒さん




世界の遺伝子組み換え作物市場の90%を誇るアメリカのモンサント社のビジネス、そしてこうしたグローバル企業が中心となる現在の世界の経済構造に疑問を投げかけるドキュメンタリー『モンサントの不自然な食べもの』がDVDで発売された。これにともない、『いでんし くみかえ さくもつ のない せいかつ』の著者である手島奈緒さん、そして生活クラブ・スピリッツ代表取締役専務の白井和宏さんを迎えての記念イベントが11月16日、17日の2日間渋谷アップリンク・ファクトリーで行われた。



今回webDICEでは、この映画のテーマでもある食の安全にまつわる日本の状況について解説した『いでんし くみかえ さくもつ のない せいかつ』について、手島さんにあらためて話を聞いた。




「なんとなく食べたくない」という気持ちを大切にする



『いでんし くみかえ さくもつ のない せいかつ』で手島さんは、実際に30日間遺伝子組み換え作物でない食べものを食べ続けたらどうなるかを記録。そのなかで、日頃わたしたちが口にしている食べものがどのように作られ、流通しているのかを調査し、豊富な資料やイラストを交え、分かりやすく伝えている。



2009年まで大地を守る会に勤務の後、就農者(農家)、新規就農者向け会員募集サイト「ほんものの食べものくらぶ」を運営する手島さんは、2012年の3月に映画『フード・インク』、そして一年間中国産のものを買わないという取り組みをしたアメリカのジャーナリストによるルポルタージュ『チャイナフリー:中国製品なしの1年間』というふたつの作品に触れたのをきっかけに、2012年4月1日から非遺伝子組み換え生活をスタートさせた



「私は大地を守る会で産地まわりをしていたので、農家サイドのものの見方しかしていなかったんです。遺伝子組み換えトウモロコシや大豆が入ってきたらどうなるか、交配したらどうなるか、日本の畑で作られたらどうなるか、ということで反対をしていたんです。安全性とか危険については、いろいろな論文がありますが、科学的な根拠が薄いのと推進派の人たちにことごとく反対されている。『いま日本が遺伝子組み換え食品の輸入を解禁した1996年から17年間食べているのになんにも起きていないじゃないか』と指摘されるとすごく弱くて、安全と危険という切り口だけで考えるのはすごく難しい。だから、アプローチの仕方が間違っているのかなと、思っていたんです。

2006年に遺伝子組み換えについての記事を始めて書くことになったときに、市民バイオテクノロジー情報室の天笠啓祐さんに取材したときのことです。その際に『食べたくないという気持ちだけでいいんじゃないですか』と天笠さんがおっしゃったんです。なんとなく嫌だ、反対の根拠は健康被害を科学的に検証する、というのではなくて、人間としてなんとなく遺伝子を組み換えしたものを食べるのがいやだっていうことでいいでしょう、と。私もそれでいいかと思って、自分のスタンスはずっと『なんとなく食べたくない』という気持ちにあるんです」



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『いでんし くみかえ さくもつ のない せいかつ』より


購買者・消費者の視点で買いたくない、ということの意識を、この『いでんし くみかえ さくもつ のない せいかつ』は教えてくれる。現在の法律では遺伝子組み換え原料が全て表示されていないのに、一部に「遺伝子組み換えでない」という表示をされていることから、実際は食べていても、自分はきちんと選んでいる、食べていないと思っている人が多い。そこの分かりやすい説明や伝え方が必要なのだろう。



全てに関して情報を広く与えるという姿勢が重要



手に入れられる食材でやりくりをしていく、NON-GMO生活でいちばん大変だったところについて、手島さんは「ケーキが食べられなかったところがほんとうに、一日中ケーキのことを考えていました」と笑う。



「1週間で禁断症状から抜けましたが、辛かったです。砂糖だけじゃなくて、砂糖と脂肪分の組み合わせじゃないといけなかった。でも、脂肪分をとるための牛乳がなかったので結局なにもせず、3日後に豆乳でココアを作ったんです。そうしたら、安心できました(笑)」



この本のもうひとつユニークな点は、食品メーカーの問い合わせ室に電話して、食品の原材料について問い合わせ、◯△×というマークをつけていることだ。



「2次原料までは分別してありますと返事をもらったところは◯、△は〈やってるかどうか分からない〉とか〈現在値が分からない〉とか、はっきりしたことを言ってくれないところです」



×と△が多いなかで、カルビーなど、できるだけ非遺伝子組み換えを使用するという姿勢を見せている大きな企業も存在する。



「おすすめのNON-GMOメーカーとして『分別してある原料を積極的に選択している』ということで、カルビーに掲載して問題ないか確認をしたのです。そうしたら、カルビー中の担当者にその案件が回されたみたいで、最終的なお返事は『自分たちから積極的にそうしたことをPRしていないので、あまり宣伝したくないと思っているけれども、あなたたちが調べたことを載せるのは構わない』とのことでした。たぶん原料は頻繁に変わっていることもあり、分別した原料が入手できるのがいつまでなのか分からないところがあるからでしょう。だから、昭和産業の天ぷら粉などNON-GMOのコーンスターチが入っているものもあるけれど、その都度とるロットによって違う。相場を見ながら発注していることもあり、原料を確定できないので言えないみたいです。だけどカルビーについては、発注するときには、NON-GMO、つまり果糖ブドウ糖液糖とかデキストリンのでんぷんを、例えばさつまいも原料だったり、トウモロコシでもNON-GMOのものを発注するようにしているようです。そうしたことから、他のメーカーより確実に手間がかかっていると思います」





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『いでんし くみかえ さくもつ のない せいかつ』より



そのほか手島さんにおすすめのNON-GMOメーカーについて聞いてみると、「フェイスブックでも紹介しているのですが、いちばん反応がいいのがヒカリ食品でした。NON-GMOのケチャップとかソースとかドレッシング、ポン酢を販売しています。日常使いの食品がNON-GMOというのがいいんだろうなと思います。国産原料ではないですが、オーガニックのものを輸入して作っています。オーガニックでは遺伝子組み換え原料は使えませんから」とのことだった。



またそれぞれの食品害者の問い合わせ窓口を通して、その企業の体質を如実に感じられることもあったという。



「企業の姿勢として対応の仕方がダメでしょう、というところもありました。一方で、GM食品を使っている企業だとしても、できるだけ公開しようとする姿勢を持っているところもある。すべてのことに関して情報を広く与えますよという姿勢は、重要なことだと思います」。



この体を張った30日間NON-GMO生活、モーガン・スパーロック監督の『スーパーサイズ・ミー』(30日間マクドナルドを食べ続けた模様を撮ったドキュメンタリー)のようだが、こうしたスタイルにしたきっかけは、こうした体当たりドキュメンタリーの手法にあったそうだ。



「伝聞情報ではないので、自分が体験したことはなんでも書ける、ということと、ここに載っていることは基本的に全部公開されている情報なので、突っ込まれないんです。大地時代に編集をやっていたので、うっかりしたことを書くとつっこまれることはよく分かっていましたし、つっこみどころが多いとすぐ話題になってしまうことは分かっていますので、そういうところはすごく気をつけています。基本は『モンサントの不自然な食べもの』のマリー=モニク・ロバン監督と同じで、公開された情報を使ってうまくやれば、問題にならないんです。お客様相談室は誰が質問してもきちんと答える部署ですよね、そこにちゃんと聞いて、憶測でものを書かないようにすればいいのです」


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映画『モンサントの不自然な食べもの』より


ジャーナリストでもあるマリー=モニク・ロバン監督も『モンサントの不自然な食べもの』の撮影にあたり「私自身がモンサントから告訴されるのを避けるため、情報源の大半はインターネット上で入手可能なものにしました」と語っている。この本で紹介されているやり方は、普通の消費者が世の中にある情報を正しく利用すればそれは市民にとっての武器になる、ということのお手本になっているになっている。




実際に亀田製菓の問い合わせ窓口で聞いてみた




編集部は今回、手島さんの手法にならい、編集部は亀田製菓に「亀田の柿の種」の原料について問い合わせをしてみた。対応してくれた担当者から聞いた結果は以下のとおりとなった。






NON-GMOか調べてみた[webDICE編]

柿の種(株式会社亀田製菓)


判定:△


GMを積極的に使用してはいないが、分別されているものは使用していない。

(編集部注:遺伝子組み換え不分別=遺伝子組み換え農産物とそうでない農産物を分別せずに使っている、つまり遺伝子組み換えが含まれる可能性がある)



原材料名

ピーナッツ(ピーナッツ、植 物油脂(大豆を含む)、食塩)、米、でん粉、しょうゆ(小麦・大豆を含む)、砂糖、カツオ節エキス、たんぱく加水分解物(卵・小麦・大豆・鶏・豚を含 む)、食塩、こんぶエキス、加工でん粉、調味料(アミノ酸等)、ソルビトール、パプリカ色素、カラメル色素、香辛料抽出物、乳化剤



⇒植物油脂

ピーナッツを揚げる時に使用しているもの

アルゼンチン、中国産のもの。



⇒でん粉

トウモロコシ、産地はアメリカ。



⇒たんぱく加水分解物

8種の原料からなる、大豆はアメリカ産のものを使用。



⇒加工でん粉

ばれいしょが原料、北海道産。



⇒乳化剤

大豆レシチンで、産地はアメリカ。


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手島さんによると、問い合わせるときのポイントは「植物油脂」と「でん粉」、「乳化剤」、「果糖ぶどう糖液糖」。これらが原料に含まれているとGM原料が使われている可能性が高い。「デキストリン」「たんぱく加水分解物」「加工でん粉」そして調味料のアミノ酸の原料はでん粉なので、「これらの由来でん粉はなんですか」と聞くと、原料を教えてもらえるとのことだった。



私たちがそれぞれ好きなお菓子についてお客様センターに電話することで、消費者が共通で食べものの原料についての情報をシェアすることができる。そして「普段食べているお菓子もできるだけNON-GMOを選びたい」といった意識が、実際の購買活動に反映されれば、よりよい食生活のための可能性がさらに開けてくるのではないだろうか。



(2013年11月16日、渋谷アップリンクにて 取材:松下加奈、構成:駒井憲嗣)
















手島奈緒 プロフィール



鳥取県生まれ。デザイン学校卒業後デザイン事務所勤務を経て1993年自然食品宅配の老舗「株式会社大地を守る会」に入社。広報室・青果物の仕入れを担当。2009年大地を守る会退社後、地域活性を行うNPO法人を経て、食べるひとと作るひとを繋ぐ「ほんものの食べものくらぶ」を設立。新規就農者支援のボランティアサイト「新鮮野菜.net」に監修者として参加中。














手島奈緒『いでんし くみかえ さくもつ のない せいかつ』



ISBN:978-4844136460

価格:1,260円

版型:210 x 148ミリ

発行:雷鳥社

発売中





★購入はジャケット写真をクリックしてください。Amazonにリンクされています。












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DVD『モンサントの不自然な食べもの』

発売中




監督:マリー=モニク・ロバン

原題:Le monde selon Monsanto

製作国:フランス=カナダ=ドイツ(2008年)

言語:フランス語・英語/日本語字幕付き

商品仕様:1層ディスク/ステレオ

尺:本編108分+特典約10分

品番:ULD-623

価格:3,800円(税抜)

発売・販売:アップリンク

協力:作品社、大地を守る会、食と農から生物多様性を考える市民ネットワーク、生活クラブ生協、株式会社アバンティ、日本オーガニックコットン協会

映画公式サイト:http://www.uplink.co.jp/monsanto/





DVD特典映像

■マリー=モニク・ロバン監督からのビデオメッセージ(3分33秒)

(2012年6月14日に衆議院議員会館で開催された“映画を観て遺伝子組み換えとTPPを考える院内学習会”より)【画像提供/IWJ】

■ダイジェスト版『モンサントの不自然な食べもの』(6分18秒)




★アマゾンでのご購入はこちら











▼映画『モンサントの不自然な食べもの』予告編


[youtube:PO7RmRVZs6A]

歴史をふまえてアイデンティティと向き合っていくこと ひらのりょうが新作『パラダイス』で見つめる景色

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『パラダイス』より



アニメーション作家、ひらのりょうが新作『パラダイス』を発表。それを記念して、2014年1月12日(日)渋谷アップリンク・ファクトリーにて、七尾旅人や伊藤ガビンらを迎えての公開記念イベントが行われる。開催にあたり、ポップかつトリップ感を持つ彼の作品とそのバックグラウンドについて聞いた。










日本ってどういう国なのか、ちゃんと勉強しなきゃいけないなと思った




ひらのりょうは1988年、埼玉県春日部市で生まれた。現在25歳。都心から電車で1時間足らずの典型的なベッドタウンには今なお彼の制作の拠点となっている実家がある。



「僕の住んでいる街にはなんにもないんです。山もなければきれいな川もなく、関東平野のど真ん中の平たい場所で。国道が走ってて、『紳士服の青山』があって、平均的な郊外で、特殊な部分がない。あまりアイデンティティや郷土愛的なものを持っている人がいないベッドタウンで、普通の街なんじゃないでしょうか」



美術教師である父のもと、ひらのは幼少の頃から自然と美術に触れていく。しかし熱中するほどではなかった。ひらの自身がどこでもいる平均的な子どもだったと振り返る少年時代、学校で興味を持てるものはなにもなく、フラストレーションを抱えていた。だが高校時代に「新しい環境に身を置かせてもらえるなら」と軽い気持ちでニュージーランドに留学。結果それはひらのにとってあたらしい「自分」というものに目覚めるきっかけとなった。現地で「英語をしゃべらなくて済む授業」として選択した美術で他者とコミュニケートする体験を肌で感じたひらのは、自らをそして「日本」を見つめ直した。



「ニュージーランドは移民が多く、どこかでアイデンティティを保っていないとカルチャーが消えてしまうので、そういった教育はしっかりしてるんです。自分たちがどこのトライブの人間かというのを、若い人たちでも言えるのは衝撃でした。いろんな国の人たちのなかにいると、どうしても自分のことを、ただの人間として紹介するのは難しい。日本にいても出身地のことを説明することがありますが、それとそんなに変わらないかもしれません。ただ、自分はあまりにも説明できなかった。だから日本ってどういう国なのか、ちゃんと勉強しなきゃいけないなと思ったんです」



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新作『パラダイス』を発表したひらのりょう


美術表現という新たな人生の選択肢を手に入れたひらのは帰国後、美術大学へと進路をとり、アニメーション作家の道を歩み始める。初期の作品について彼は次のように語る。



「はじめて作品を作るようになった段階では、すごくパーソナルな状態のものしかなかった。でも、どこかのタイミングで、自分をもう少し平均的に見始める時期があって。ものを作るときって、どこか自分が特別な才能を持っていて、自分にしか出せないものがあるんじゃないかと思って作り始めると思うんですけれど、ぜんぜんそんなことないなって」



「自分の作品と向き合っていくと、オリジナリティが消え去っていく、壊れはじめる瞬間があるんです。それを反転させて、自分を含めた遠い目線で見始めるというか。自分は平均的な人間だし、みんな一緒なんじゃないかっていう状態を起点にして、自分のアイデンティティを、生まれた国の歴史をふまえられるくらいに思考を広げて作るようになったと思います」



自分自身に対峙しつづけた結果、ひらのは自分からすこしだけ離れた、俯瞰的な視点で自分を見はじめるようになる。そこから、彼の作風は徐々に変貌していく。



「作ることは辛いですね。のめり込むと、長距離走のように走れば走るほど、これが正しいのか分からなくなってくる。頭のなかで、完成したものを作る前に何回か上映会を開いている感じはあるんです。頭のなかで上映したものと実際に作っているもののギャップには毎回打ちひしがれますが、やり続けるしかない」







生活と離れていない視点から作りたかった




ひらのは、大学卒業制作での『ホリデイ』以来となる完全オリジナルのアニメーション『パラダイス』を完成させた。持ち前の素朴なタッチと可愛いけれどちょっとグロテスクなキャラクターたちが、〈歯〉〈陰毛〉〈電波〉といった印象的なモチーフとともに、時間と場所を20分にわたり縦横無尽に駆け巡る。



「パラダイスってけっこう漠然としていて、どこ、と特定しない言葉だったのがタイトルにした理由です。パラダイスを作り上げる、そこを目指して生きる、全ての生命体はそう動くんだと思います。わざわざ辛いところに行こうとする人なんていないし。それでも、そういう風に生きているなかで、辛いことはどうしてもある。それを含めて『パラダイス』なのかなと思います」



レイヤーを幾層にも重ねた構成はサイケデリックなのにポップさもあわせもつ、観ていて非常に不思議なトリップ感を得るのだが、実は日本の歴史観についても丁寧に踏まえたうえで描かれている。沖縄戦をはじめとした戦争史、伝統文化、80年代~10年代カルチャー、そして311といったモチーフが、彼が敬愛する大林宣彦監督の『この空の花 ―長岡花火物語』のように重層的に現れる。



「生活と離れていない視点から作りたかった。それって特別なことではないから、他の作品との共通点や発見は多くなるのかもしれないです」





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『パラダイス』より




削ぎ落とされ限りなくミニマルな会話と息遣いも、この作品を語るうえで外せない特徴だ。時空を超えるタイムトラベルという壮大な設定とは真逆ですごく生っぽい。普段の会話がゴロッと落ちてる感じがする。両方に振り切っているからこそ、シンプルでプリミティブな感情が喚起されてくる。あの人に想いを伝えたいとか、会いたいとか、ロマンティックな感情がダイレクトに脳に入ってくる。



「会話をどういう口調にするか、演技的なものにするのか、くだけたものにするのか悩みました。熊がギャルっぽい性格で軽い感じでしゃべる、そのギャップが可愛いかなと。さらに作中に母の声をこっそり録ったのを使ったり、絵もセリフもそのあたりのバランスを混ぜてドロドロにしているんです」



スマホに入れたお気に入りの曲をイヤホンで聴き、LINEを送りながら、同時にTwitterやFacebookもチェックして頭の中では好きな人のことを考えたり……僕らは現実世界とネット上で違う名前、複数のキャラ設定を使い分ける。それと同じように、ひらのは『パラダイス』で、いくつものコラージュを加え、幾層にも重ねた舞台を時空を超えて、恐ろしくリアルに今を描く。絶妙な距離感を保ちながら世界を、自分を、見つめ続けてきた彼の眼にはまた新しい景色が見え始めてきているかもしれない。



「アニメーションはもちろんですけれど、今も実写を入れながら作っているので、そのへんの壁はぜんぶ取っ払って、アニメを絵描く人っていう感覚はなくしたい。技法としてのアニメーションにもこだわらないし、映像にもこだわらないと思います。これからは、かわいいアニメーションを作りたいし、子供でも観られる作品も作りたいですし、とにかく自分で壁を作らないようにしたいです。あ、あとアクション映画作りたいです」



(インタビュー:石井雅之 構成:駒井憲嗣)









ひらのりょう プロフィール



1988年埼玉県春日部市生まれ。多摩美術大学情報デザイン学科卒業。お化けや恋、日々生きている時間からあふれた物事をもとに、映像、アニメーション作品を制作している。2011年『ホリディ』で学生CGコンテストグランプリ受賞。2011年『Hietuki-Bushi』(with Omodaka)で文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門新人賞ほか多数受賞。現在、クリエイターマネージメントFOGHORN所属。

http://ryohirano.com/










ひらのりょう「パラダイス」公開記念パーティー

【はじめてのトリップ】

2014年1月12日(日)渋谷アップリンク・ファクトリー




料金:1,500円+2ドリンク(1000円)軽食サービス付(数に限りがございますので予めご了承下さい)

開場:15:00/初回上映開始:16:00

〈ゲスト/演目〉

七尾旅人(アコースティックミニライブ)

伊藤ガビン & ひらのりょうトークライブ

ミクラフレシア(手芸作品展示)

ほか

※定員に達したため、予約は締め切らせていただきましたが、ひらのりょう新作『パラダイス』は3回上映(1度の入場で複数回鑑賞可)となっております。1回目満席でも2回目、3回目は空席が出る可能性がございます。当日受付にてお待ちいただけるようであれば、上映毎に空席のお知らせをご案内させていただきます。また、開催日以前にキャンセルが出ました場合、その旨HPにてお知らせ致します。お客様のご理解・ご協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

http://www.uplink.co.jp/event/2013/20471



▼ひらのりょう『パラダイス』予告編

[youtube:yh86GdB9aME]

ミカ・カウリスマキ監督が新作『旅人は夢を奏でる』で描く「男が旅する理由を発見するまで」

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映画『旅人は夢を奏でる』より ©Road North

フィンランドのミカ・カウリスマキ監督の映画『旅人は夢を奏でる』が1月11日(土)より公開される。一流のコンサート・ピアニストとして成功を収めたものの、ストイックなあまり娘との別居を余儀なくされてしまった男・ティモと、その彼の前に35年ぶりに突然現れた奔放な父・レオ。ふたりの旅の行方を、独特のリズム感とユーモアそしてペーソスをもって描くミカ・カウリスマキ監督に、制作の経緯について聞いた。



本当の息子と父のような主演のふたり




── 最初に、完成に至るいきさつを教えてください。なぜ主役の父親役にヴェサ・マッティ・ロイリを起用したのでしょうか?



レオ役のヴェサ・マッティ・ロイリはフィンランドではとても有名なアーティストで、俳優であり、ミュージシャンで詩人なんです。彼は、酒やドラッグ、離婚など波乱万丈な人生をおくり、糖尿病を患っていました。あるときスクリーンで映っている自分を観て、もう2度と映画に出ないと言っていたのですが、テレビで彼のドキュメントを製作した時、彼から「今度映画を撮るなら僕を使ってください」と申し出がありました。私には80年代にローマに住んでいたときから父と息子の物語の構想があり、ローマからシシリアに向かうので『南へ続く道(Road South)』というタイトルだったのですが、実現しませんでした。そこで、この物語を、彼を主役にして、レオと彼自身の人生が重なるような、人生を映し出すドラマが撮れると思いました。今回はその逆をとって『北へ続く道(原題のTie pohjoiseen)』というタイトルにしました。




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映画『旅人は夢を奏でる』のミカ・カウリスマキ監督




── ロイリの健康に問題はなかったのですか?



撮影初日には車椅子で現れましたが、撮影が進むに連れてどんどん元気になり、最後には走ることもできました。彼自身もその回復ぶりがうれしかったのか、撮影終了後には「今度はいつ映画を撮るんだい?」と聞いてきたほどでした。



── それでは、ピアニストの息子役にサムリ・エデルマンについては?



彼も『ミッション・インポッシブル/ゴーストプロトコル』(2011年)に出たことで世界的な人気を得た俳優であり、歌手であり、ロイリの大ファンなんです。「もし彼と映画を作るのであればぜひ僕も出して下さい」と声をかけてきてくれました。私もロイリと映画を作ったことはなかったので、やりましょう!ということになりました。2人と会って、2人のやりとりをみているうちに、なんだか本当の息子と父を見ているように感じられて、そこから今回のテーマに繋がっていきました。






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映画『旅人は夢を奏でる』より ©Road North


救いをもってきてくれた父親




── 主人公ふたりの旅の、一番の原動力になったものはなんだと思いますか?



息子は、記憶になかった父に会えたことで、自分の父親がどういう人か知りたかった、ということが最大の目的だったと思います。その旅の途中で、最後にでてくる彼の出生に
関する真実があるように、旅をしていく途中で目的がどんどん新しく追加されていきます。自分の人生がうまくいかなかったことの一番の要因、コンプレックスを父親の不在としていた彼が、旅を通していくなかで、それを克服し、自分自身を知っていくことに繋がったのです。



こうしたロードムービーにはよくあることかと思いますが、「何のために旅にでるか」ということよりも「旅にでること」そのもののほうが重要だと思います。旅にでることにより、いろいろなことが理解できるようになり、旅の理由も見つかってくるのではないかと思います。




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映画『旅人は夢を奏でる』より ©Road North




── ふたりは旅の途中で祖母や、姉、妻、娘と出会います。父と息子というテーマであると同時に、女性たちともう一度繋がりをもつストーリーなのではないでしょうか。



われわれ男性にとって、女性の存在は本当に大事だと思います。この作品はフィクションであって、実在する人物が登場するわけではありません。話も事実に基づくものではありませんが、実際に私をはじめ、男優や男性の制作者も離婚を経験していたり、自分が父に対しては息子であり、父であり夫である、というような様々な立場を人生のなかで抱えています。制作を進めていく途中で、彼らと様々な話をして、それぞれの人たちに共通することをテーマに少しずつ加えていきました。



映画の中で父親が息子に対して「君は私の唯一の息子だよ」と言うセリフがありますが、ストーリーが進んでいくなかで、実はお姉さんがいたり、母親がいたりということが判明する。ある意味、そこで新しい家族が少しずつ出現することにより、父親の不在が原因で今までの人生がうまくいかなかったという重荷を背負って生きているティモにとっては、救いをもってきてくれた父親、と言えるのではないでしょうか。



とても模範的な父親とはいえない、自分自身も複雑な環境にいる父親がある意味、少しずつ息子に許しを乞う、それと同時に息子が抱えていた質問にも答えていく、そして最終的には息子には新しい家族を提供していく……そうした内容を、ユーモアを交えて軽いタッチにしたほうが、観客に受け入れて頂けると思って制作しました。私たちの人生そのものも、幸せから急にどん底に突き落とされたりするものですが、それも一つの線でつながっていく……それが今作のテーマになっています。




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映画『旅人は夢を奏でる』より ©Road North



── あなたの作品にはいつも音楽が重要な役割を果たしていますね。今作の音楽については?



サムリが普段やっている音楽はロック&ポップス。ロイリの音楽はトラッドやジャズ。年齢の差、ジャンルの違いもいいコントラストだと思いました。彼は撮影にあたり、2ヵ月でピアノをマスターしましたよ。

そのほか、レオがステージに上がって歌う場面で演奏しているグループ、カイホン・カラヴァーニが中心になって音楽を構成しました。セルジュ・ゲンスブールの「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」も使っています。



── 次回作について教えて下さい。



スウェーデン出身の女優、グレタ・ガルボを、ハリウッド映画とは違うアプローチから描くつもりです(2014年の冬に公開予定)。主演はスウェーデン人女優のマリン・ブスカ。ミカエル・ニークヴィスト(『ミレニアム』)も出演することになっています。



── 新作だけでなく、弟のアキさんと毎年開催しているミッドナイトサン映画祭も毎回盛況だそうですね。



2013年は、5日間で80作程の新旧作を上映し、25,000枚のチケットが売れました。やめるわけにはいかない映画祭なんですよ(笑)。




(オフィシャル・インタビューより)










ミカ・カウリスマキ プロフィール



1955年9月21日生まれ。1977年からミュンヘンテレビ映画大学で映画を学び、1980年、卒業製作として『Valehtelija(原題)(英題:The Liar)』を発表。同じく映画監督のアキ・カウリスマキが主役を演じ、脚本を共同執筆した。この作品の成功の後、弟と友達と共に製作会社ヴィレアルファ・フィルムプロダクションズを設立。インディペンデント系低コスト映画の製作拠点となる。この時代の作品には、『Arvottomat (原題)(英題:The Worthless)』(1982年)や『Rosso(原題)』(1985年)、『ヘルシンキ・ナポリ/オールナイトロング』(1987年)、『アマゾン』(1990年)などがある。ミカが製作担当した『罪と罰』(1984年)で監督としてのキャリアを開始。1987年にマリアナ・フィルムズを設立、『ゾンビ・アンド・ザ・ゴースト・トレイン』(1991年)でフィンランド映画賞を受賞。1994年の『ティグレロ - A Film That Was Never Made 』でベルリン国際映画祭国際批評家賞に輝いた。1990年代は拠点と第2の故郷をリオデジャネイロに据え、『コンディション・レッド/禁断のプリズン』(1996年)『GO!GO!L.A.』(1998年)を監督。21世紀に入ってからも『モロ・ノ・ブラジル』(2002年)『Honey Baby(原題)』(2003年)を監督。そのほか『Brasileirinho(原題)』『Sonic Mirror (原題)』『Kolme viisasta miesta(原題)(英題:Three Wise Men)』『Haarautuvan rakkauden talo(原題)(英題:The House of Branching Love』)『Vesku(原題)(英題:Vesku from Finland)』など精力的に制作を続けている。










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映画『旅人は夢を奏でる』

2014年1月11日(土)、シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開




ピアニストとして成功を収めたが、私生活には失敗してしまった男、ティモ。音楽に全てを捧げる彼のストイックすぎる生活についていけなくなった妻が、幼い娘を連れて家を出て行ってしまったのだ。そんなティモの前に、3歳の時に別れたきり、35年間も音信不通だった父、レオが突然現れる。レオの口車に乗せられて、無理やり始まった親子の二人旅は、ティモにとって、自分のルーツを探る旅となる。最初は反発しか覚えなかった父に、次第に共感を抱き、いつしか自分のなかにも父と同じ人生への愛を見出し始めるティモ。しかし、旅の終わりにレオは、さらに驚く“真実”を用意していた──。





監督・脚本・製作:ミカ・カウリスマキ

出演:ヴェサ・マッティ・ロイリ、サムリ・エデルマン、ピーター・フランゼン、マリ・ペランコスキ、レア・マウラネン、イーリナ・ビョルクルンド

配給:アルシネテラン

2012年/フィンランド/フィンランド語/113分

原題:Tie pohjoiseen

©Road North



公式サイト:http://www.alcine-terran.com/tabiyume/

公式Facebook:https://www.facebook.com/tabiyume2014

公式Twitter:https://twitter.com/tabiyume2014







▼映画映画『旅人は夢を奏でる』予告編



[youtube:RyfrArEr7H8]


映画『ソウルガールズ』監督が語る、アボリジニ初の歌姫を描くうえで大切にしたこと

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映画『ソウルガールズ』より © 2012 The Sapphires Film Holdings Pty Ltd, Screen Australia, Goalpost Pictures Australia Pty Ltd, A.P. Facilities Pty Ltd and Screen NSW.


実在したアボリジニ初の女性ヴォーカル・グループ、サファイアズの活躍を描く映画『ソウルガールズ』が1月11日(土)より公開となる。本国オーストラリアで人気を博した舞台をベースに、1960年代にソウル・ミュージックと出会い、人生を切り開いていく女性たちを捉えている。アボリジニの人たちが受けた差別や、ベトナム戦争での軍の慰問のためのパフォーマンスなど、60~70年代の時代背景とともに、家族の絆そして困難に立ち向かっていく大切さを描いたウェイン・ブレア監督に聞いた。



伝えるべき魂とエネルギー




── この作品との出会いについて、教えてください。監督は俳優として、元となった舞台『Sapphires』に出演されたそうですが、その時にどんなことを感じましたか?



私をこの物語に導いてくれたのは、脚本家・俳優のトニー・ブリッグスでした。この物語は彼の母親が元になっています。トニーが舞台のために書いた芝居に私が出演していたのです。観客はこの芝居の精神を愛し、最後にはいつも席を立って踊っていたので、この物語がすごい作品であることに気づいていました。それが2005年のことで、その頃からトニーと一緒に映画化へ向けて動き始めていました。




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映画『ソウルガールズ』のウェイン・ブレア監督




── 映画化を決めた最大の理由は何ですか?そして、舞台作品を映画化するにあたって舞台から変更した個所はありますか?



オーストラリアや世界中のほとんどの人が今まで聞いたこともないような、他にはない真実の物語だと思ったからです。心や魂が伝わってくるオーストラリアに根付く物語です。それに音楽も最高でした!映画化するにあたり、脚本はいろいろと書き換えましたが、伝えるべき魂とエネルギーの部分についてはほとんど同じです。トニー・ブリッグスはキース・トンプソンと一緒に脚本を仕上げました。トニーは舞台と映画の違いをよく理解していましたね。




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映画『ソウルガールズ』より © 2012 The Sapphires Film Holdings Pty Ltd, Screen Australia, Goalpost Pictures Australia Pty Ltd, A.P. Facilities Pty Ltd and Screen NSW.




── 映画化するにあたり、参考にした作品はありましたか?



映画の物語のアイデアを得るために、いろいろな作品を見ました。自分が映画を作るうえで大きな手助けとなった作品を1つ挙げるとすれば『ザ・コミットメンツ』でしょうか。



1968年の雰囲気が残る場所を探す



── ファッションやベトナム戦争のシーン等、時代背景や細部にわたるディテールの描き方について教えてください。



戦争シーンのほとんどはオーストラリア国内で撮影し、その後、ベトナムに行ってサイゴンのシーンを撮りました。今はホーチミンと呼ばれているサイゴンの町は戦後大きく変わり、車とバイクが行き交う大都市です。1968年の雰囲気が残る場所を探すのはとても大変でした。現地で協力してくれたベトナム人のクルーは素晴らしかったですね。衣装は我々の衣装デザイナーが大きな市場で60年代の古着を見つけてきました。ベトナムでは作るための材料が何でも手に入るので、美術スタッフはサファイアズが宿泊するホテルのインテリアも作りました。ホテルの撮影場所となったのはSaigon Art & Galleryで、意外にも我々の撮影を快く許可してくれました。




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映画『ソウルガールズ』より © 2012 The Sapphires Film Holdings Pty Ltd, Screen Australia, Goalpost Pictures Australia Pty Ltd, A.P. Facilities Pty Ltd and Screen NSW.



── 監督が一番こだわったシーンはありますか?また一番苦労したシーンは?



最も苦労したシーンはエンディングへ向かう戦闘のシーンで、たくさんのエキストラや銃、戦車やヘリコプターが必要になりました。大人数を動員したので、確認のため何度もリハーサルを行いました。



── 家族の絆も重要なテーマになっていると思いますが、姉妹や家族について、どんな点を意識されて演出しましたか?



この映画で伝えたいのは家族の大切さです。アボリジニの人々が苦痛を味わった「盗まれた世代」は1869年から1970年代に入るまで続きました。議論を呼んだ政府の方針によってアボリジニの子供たちは自分の家から引き離され、白人の家族や施設へと預けられました。この政策によって家族は引き裂かれてしまったのです。この問題については、映画では“盗まれた子供”のひとりであるケイに焦点を当てて、家族から引き離され白人の文化に馴染んだ後、再びアボリジニの家族と一緒になることの難しさを描いています。ケイはサファイアズとしてベトナムを訪れることで、自分の家族と文化へ戻ることになります。





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映画『ソウルガールズ』より © 2012 The Sapphires Film Holdings Pty Ltd, Screen Australia, Goalpost Pictures Australia Pty Ltd, A.P. Facilities Pty Ltd and Screen NSW.


目の前に広がる人生の困難に立ち向かっていく大切さ




── 60年代、米国で公民権運動が盛んだった時代の、オーストラリア先住民の人々に対する厳しい差別については、どのようにリサーチをしたのでしょうか?



幸いなことにアメリカの公民権運動については、当時のメディアの詳細な映像が残っていましたので、そうした資料を参考にしました。



── 本作の見どころはやはり4人の主演女優のステージシーンだと思いますが、キャスティングはどのように進めていかれたのですか?また、マネージャー役のクリス・オダウドのキャスティングについても教えてください。



サファイアズの女性メンバーをキャスティングするために、全国規模でオーディションを行いました。オーストラリア全土でオーディションを行いましたが、とても素晴らしかったですね。そして最終的にすでに有名な2人のオーストラリア人パフォーマーをキャスティングしました。ゲイルを演じたデボラ・メイルマンは素晴らしい役者で、最年少のジュリーを演じたジェシカ・マーボイは、オーストラリアで最も有名な女性ミュージシャンのひとりです(オーディション番組「オーストラリアン・アイドル」で発掘された)。そして2つの新しい才能、オーストラリア国立演劇学院を卒業したばかりのミランダ・タプセルとシャリ・セベンズを起用しました。クリスはとにかく面白い人で、『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』での演技を見た時に、デイヴの役を演じるのは彼しかいないと思ったんです。




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映画『ソウルガールズ』より © 2012 The Sapphires Film Holdings Pty Ltd, Screen Australia, Goalpost Pictures Australia Pty Ltd, A.P. Facilities Pty Ltd and Screen NSW.



── 本作で60年代のヒット曲が数々と出てきます。音楽プロデューサーであるブライオン・ジョーンズと話し合いながら楽曲を決めていたそうですが、選曲するにあたってのポイントはあったのですか?



ブライオン・ジョーンズは、経験豊富かつ成功を収めているオーストラリアのプロデューサーで、R&BグループRockmelons結成時のメンバーでもあります。私は彼と一緒に物語の時代に合った音楽を探すことにしました。ブライと話をしているなかで、私がこれまでにストックしてきたお気に入りのソウル・ミュージックの中から掘り起こそうということになったんです。その後、音楽を映画に合わせて入れていくのはとにかく楽しかったですね。



── オーストラリアからは『ムーラン・ルージュ』のニコール・キッドマンや『レ・ミゼラブル』のヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウなど、歌唱力も素晴らしい俳優が数多くいますが、オーストラリアには独特な音楽文化、素養があるのでしょうか?



オーストラリア人はジャンルを問わず音楽が好きなので、役者たちも演技だけではなく、踊りや歌など、様々な分野のトレーニングを受けているからではないかと思います。



── たくさんの人が、この作品を観て、夢を諦めずに頑張る素晴らしさを体感すると思います。



この映画を観た人に感じてほしいのはまさにそれです。自分の夢や未来への希望を捨てずに、目の前に広がる人生の困難に立ち向かっていく大切さを知ってほしいですね。



(オフィシャル・インタビューより)











ウェイン・ブレア プロフィール



俳優・脚本家・監督として活躍。ベルリン国際映画祭のクリスタル・ベア賞を受賞した“The Djarn Djarns”(05)、シドニー映画祭デンディー短編映画賞を受賞した“Black Talk”(02) などの短編映画を監督。シドニーシアターカンパニー(STC)の芸術監督アンドリュー・アプトンは、舞台「ザ・リムーヴァリスト(原題)」の監督としてブレアを起用。舞台監督としては、STCの「ロミオとジュリエット」、「ルーベン・ガスリー(原題)」などがある。また、テレビドラマの演出も多く手掛けている。











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映画『ソウルガールズ』より © 2012 The Sapphires Film Holdings Pty Ltd, Screen Australia, Goalpost Pictures Australia Pty Ltd, A.P. Facilities Pty Ltd and Screen NSW.


映画『ソウルガールズ』

2014年1月11日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー



1968年、オーストラリア。アボリジニの居住区に暮らすゲイル、シンシア、ジュリーの三姉妹と従姉妹のケイは幼い頃より歌が好きで、カントリー音楽を歌いながらスター歌手になることを夢見ていた。だが根強く残る差別から、コンテストに出場してもあからさまに落選させられる。そんな状況から抜け出したいと思っていた矢先、自称ミュージシャンでソウル狂いのデイヴと出会いソウル・ミュージックを叩きこまれることになる。



監督:ウェイン・ブレア

出演:クリス・オダウド、デボラ・メイルマン、ジェシカ・マボーイ、ミランダ・タプセル、シャリ・セベンス

脚本:キース・トンプソン、トニー・ブリッグス

撮影監督:ワーウィック・ソーントン

編集 :ダニー・クーパー

音楽プロデューサー:ブライオン・ジョーンズ

作曲:チェザリー・スクビセフスキー

製作:ローズマリー・ブライト、カイリー・デュ・フレズネ

原作:トニー・ブリッグス 舞台『ザ・サファイアズ』

原題:THE SAPPHIRES

配給:ポニーキャニオン
 
後援:オーストラリア大使館

2012年/オーストラリア/98分/カラー/英語/シネマスコープ



公式サイト:http://soulgirls.jp/

公式Facebook:https://www.facebook.com/soulgirls

公式Twitter:https://twitter.com/soulgirlsmovie






▼映画『ソウルガールズ』予告編



[youtube:rnq0fRAybbw]

事件の当事者が主役を演じた『鉄くず拾いの物語』ダニス・タノヴィッチ監督がその演出方法を語る

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映画『鉄くず拾いの物語』より


『ノー・マンズ・ランド』のダニス・タノヴィッチ監督の『鉄くず拾いの物語』が1月11日(土)より公開される。監督の故郷ボスニア・ヘルツェゴヴィナを舞台に、この地に住む少数民族ロマの女性が保険証を持っていないために手術が受けられなかったという実際のニュースをベースに、当事者の夫婦を出演させ、この事件の詳細をドキュメンタリー・タッチで描いている。演技経験のなかった夫役のナジフ・ムジチが2013年ベルリン国際映画祭で主演男優賞を受賞するなど、高い評価を獲得する今作についてタノヴィッチ監督に聞いた。



ストーリーが自分を見つけてくれる



── 最初に、ナジフ夫妻に起きた出来事を作品にしようと思った理由をお願いします。



私が見つけたのはとても小さい新聞記事で、事実だけが短く書かれていました。私は映画ができるのは、ストーリーが自分を見つけてくれるものだと思っています。ですので、今回の場合も、新聞記事を見たときに、なにか彼らの物語にただただ惹きつけられたとしか言いようがないのです。私自身も5人の子供の父であり、妻は流産も経験をしているため、セナダ(奥さん)の陥った状況について大変憤りを感じました。理性ではなく感情的に「この事実を映画にしたい」と思いました。ロマだから特別に描きたかったというわけではなく、貧困にあえいでいる、誰でも陥らないとも限らない問題に直面したからなのです。皆さんも本当に心が憤るような事を目にしたり読んだりした時に、何らかの行動に移すと思います。お金のある方だとチャリティーに寄付をしたりするように、私の場合はそれが、映画を作るということだったのです。



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映画『鉄くず拾いの物語』のダニス・タノヴィッチ監督


── ボスニアにおけるロマの現状は?



実際にはボスニア人の人口すら把握されていない状況で、まさに統計を国がしている最中なんです。ロマの方々は良い状況ではないですが、それはボスニア全体に言えることで、ロマだからというわけではありません。ボスニアという国は経済が回復することができなかった、ずっと不況を脱していない国だからです。以前はロマの知り合いはいなかったのですが、自分自身、この作品を通してはじめて触れ合う事ができました。原題(An Episode in the Life of an Iron Picker)にもあるように、今回の事件は彼らの人生の1エピソードである、ということなんです。それは皮肉にも真実でもあるわけで、つまりそういった今回のような状況に普段から慣れているということなんです。多くの方は声高に訴えたりするところですが、実際に彼らに話に行った時も状況に対して文句を言わないのです。でも、これは彼らに限った事ではなく、戦後のボスニア人が共通している部分かもしれません。今回の映画に描かれている事は、ロマだからというわけではなく、雇用がない貧しい家庭の家族にはボスニアでは誰にでもありうる事です。システムの置き去りになっている方々の事を私は映画にしたかったのです。



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映画『鉄くず拾いの物語』より




── ナジフ一家に映画に出演してもらう事に至った経緯を教えてください。



新聞記事を読み、すぐに知り合いのつてでナジフ一家に会いに行きました。ナジフに会い、私はすぐに彼を好ましいと思いました。一家にお会いして「起きた事を全て話してほしい」と、ひとつづつ彼らから聞きました。その時点で映画にしたいという気持ちはありましたが、果たしてフィクションなのかドキュメンタリーなのか、どうしようか考えている状況でしたので、話を聞きながらひたすらメモをとっていました。もちろんその事実自体も非常にドラマティックだったのですが、それ以外の彼らの生活ぶりや人生についても話を聞きました。面白かったのは、新聞記事での主役はセナダ(奥さん)だったのですが、実際映画になると夫であるナジフに寄った作品になっていた事です。彼女が動けなかった時に、彼が動いて彼女を助けようとする、より映画的な立場にあったという事があったからです。彼らに、自分自身を演じてほしいとお願いしたのは3回目に会った時で、とても自然な形でそういう流れになりました。あまり伝統的なドキュメンタリー手法をとりたくなかったというのと、普通の長編映画になると半年以上かかってしまう、ボスニアでは特に今映画を撮るというのは非常に大変なので、そこまで待っていられないという思いもありました。なので、彼ら自身に演じてもらったらどうだろうと思いました。その時にはすでに信頼関係も生まれていましたので、快諾してもらいました。



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映画『鉄くず拾いの物語』より



観た後に友人たちと一杯飲みながら考えたくなる映画を作りたい




── 役者を使わず実際の人物を登場させる上で、演出はどのようにされたのでしょうか。



この作品は脚本がありません。ナジフの話を聞き、映画的に重要となるシーンになるだろうという部分をメモし、それをベースに、撮影スタッフと話をして撮影を進めていきました。作品の中での彼らの自然な表情は、本当にある姿をそのまま撮っただけなのです。こういう形で撮影できたことはとても満足しています。夫であるナジフは、本当に自然な演技をする方だと思いました。今回の作品のシーンは、ほとんどが2~3テイクしか撮影していないのですが、ナジフのシーンはほとんど1テイクでOKでした。その状況に置かれると、自然な反応を見せて下さる方なのです。だから監督としては本当に何も演出していないし、何をしたかというと、彼が居心地の良い空間を作ったということだと思います。それだけ彼はカメラの前に立っても自然でいられる方なのです。



ただ、子供たちについてはどう自然体に撮影しようかという思いはありました。そこで最初に撮影する前に、2日間カメラマンと一緒にナジフの家に行って、小型のカメラを持って家の中で過ごしました。それで慣れてもらおうと思ったのですが、子供たちですから始めは叩かれたりスリッパをカメラにのせられたりしました。でも2日間たつと飽きてしまって、そこから撮影を始めるという事をしました。あとはいろいろな方法で、例えばセナダが料理をするシーンは、子供たちをおとなしくさせるには子供たちを料理に巻き込むしかない、日常の母親もきっと同じ行動をとるに違いない、と一緒にパンを作ってもらいました。



また病院で子供たちを待たせるシーンでは、現実に起こった通り、1~2時間待ってもらいました。当然彼らも待ちくたびれて飽きてしまいました。とにかく自然体に撮りたかったので、そこでは待合室にあるチョコレートの自動販売機に合わない小銭をわざと渡して「チョコレート買っておいで」と言いました。でも、子供たちがいくらお金を入れても出てこないわけです。そうして販売機に夢中にさせることによって、ナジフを全面に映しながら背景に子供たちの自然な姿を映す美しいショットが撮影できました。



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映画『鉄くず拾いの物語』より




── 映画が完成した後の反響はいかがですか。



この映画で、ナジフはベルリン国際映画祭で主演男優賞をとることができ、彼はボスニアではすっかり有名人になりました。結果的に彼は公園の清掃員という職を手にし、保険証も手に入れることができました。映画には出てきていませんが、彼らの間に新しく子供も誕生しました。こういった形でナジフの家族の生活が豊かになった事は嬉しい限りです。



── 監督は、一貫して「問題を提起」する映画にこだわっているように思います。



自分の作品というのはこの映画に限らず、問いかけですべて終わっています。自分なりにこれは考察するべきでないかというポイントを映画の中で描き、映画が終わった後にみなさんに考えていただければと思います。映画というのは大きく2つに分けられると思います。すぐに観た後に忘れてしまうものと、観た後に考えることがあって家に戻って、友人たちと一杯飲みながら考えたくなるものと。私は映画監督として常に後者の作品を作りたいと思っています。



── 映画制作以外にも、監督は2008年に政党「私たちの党」の設立に関わりました。



私は政治家になるつもりはありませんが、他の方の場を作るために政党を立ち上げました。汚職などもあるシステムの中で政治活動をしようと思った場合、当然自国で糧を得ている人だと攻撃されやすいのです。でも、自分はボスニアの国外で稼いでいるし、はっきりと政治的な事も発言できる。自分だったら攻撃されても大丈夫という思いがあったからです。社会をより良い場所にするために政治に参加する事はできる、というひとつの例を見せたかったのです。


(オフィシャル・インタビューより)










ダニス・タノヴィッチ プロフィール



1969年ボスニア・ヘルツェゴヴィナ生まれ。サラエボのフィルム・アカデミーで習作を数本撮った後、 92年のボスニア紛争勃発と同時にボスニア軍に参加。「ボスニア軍フィルム・アーカイヴ」を立ち上げ、戦地の最前線で300時間以上の映像を撮影。 その映像はルポルタージュやニュース映像として、世界中で放映された。94年にベルギーに移住してINSASで再び映画を学ぶ。2001年にボスニア紛争を描いた『ノー・マンズ・ランド』で監督デビューを果たし、 アカデミー賞(R)外国語映画賞、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭脚本賞などを数々の賞を受賞する。 05年にはエマニュエル・ベアール、キャロル・ブーケなどフランスを代表する俳優たちを起用し、クシシュトフ・キエスロフスキの 遺稿を映画化した『美しき運命の傷痕』を発表。その後、コリン・ファレル主演の「戦場カメラマン 真実の証明」(2009)、 「Circus Columbia」(2010)で、戦争とその結果について描いた。08年ボスニア・ヘルツェゴヴィナにて「私たちの党」という政党も立ち上げている。











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映画『鉄くず拾いの物語』より


映画『鉄くず拾いの物語』

2014年1月11日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー




ボスニア・ヘルツェゴヴィナに暮らすロマの一家は、貧しくも幸福な日々を送っていた。ある日、3人目の子供を身ごもる妻・セナダは激しい腹痛に襲われ病院に行く。 そこで医師から今すぐに手術をしなければ危険な状態だと、夫・ナジフに告げられた。しかし保険証を持っていないために、 鉄くず拾いで生計を立てている彼らにはとうてい支払うことのできない手術代を要求される。妻の手術を懇願するも病院側は受け入れを拒否。 「なぜ神様は貧しい者ばかりを苦しめるのだ」と嘆きながら、ただ家に帰るしかなかった……。





監督・脚本:ダニス・タノヴィッチ

出演:セナダ・アリマノヴィッチ、ナジフ・ムジチ

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ=フランス=スロベニア/2013年/74分/カラー/ビスタサイズ

原題:An Episode in the Life of an Iron Picker

配給:ビターズ・エンド



公式サイト:http://www.bitters.co.jp/tetsukuzu/

公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/映画鉄くず拾いの物語/602605226468040

公式Twitter:https://twitter.com/tetsukuzu_hiroi







▼映画映画『鉄くず拾いの物語』予告編



[youtube:925xqcvKSRA]

レフン監督「『オンリー・ゴッド』は現実を変容させるアシッドであり、ホドロフスキー監督への贈り物」

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映画『オンリー・ゴッド』のニコラス・ウィンディング・レフン監督


『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフン監督がふたたびライアン・ゴズリングを主演に迎え、タイのボクシング・クラブを舞台に裏社会に暗躍する人々と暴力を描いた映画『オンリー・ゴッド』が1月25日(土)よりロードショーとなる。公開にあたりレフン監督が来日、今後のコラボレーションが噂されているアレハンドロ・ホドロフスキー監督との関係、ジャンル映画や宮﨑駿監督への心酔についてインタビューに答えた。なお本作の原題は『Only God Forgives』で"神よ許したもう"という意味である。




『オンリー・ゴッド』は観ている人の意識の中に浸透する




──今回の新作『オンリー・ゴッド』と前作『ドライヴ』との違いについて、監督は先日の一般試写会の時に、「『ドライヴ』が質のいいコカインだとしたら、『オンリー・ゴッド』はアシッド(LSD)映画」と例えていましたが、ハード・ドラッグの例えは日本人にはわかりにくいので説明願えますか?



あの発言のせいで、帰りの入管で捕まったりしませんか?(笑)



──出国するので大丈夫です。それに、ポール・マッカートニーは大麻所持で空港で逮捕されたことがありましたが、先日も来日していますから(笑)。[※1980年、ウィングスとしての来日公演の際に成田空港で現行犯逮捕、9日間の拘留の後に国外退去処分となった。その後、1990年に再来日し初ソロ公演を行なった。なお、コカインなどのハードドラッグと大麻は別物と区別する動きが欧米では広がっており、現在アメリカではワシントン、コロラドの2州で大麻は合法化されている]



でも、再来日するまで、だいぶ時間がかかりましたよね(笑)。



──(笑)では、あなた個人の経験ではなく、一般論として解説をしてください。



『ドライヴ』がコカインのようだというのは、アドレナリンが出てハイになった状態についての映画だからです。バイオレンスをセクシャルに、ドライバーと女性の関係をロマンティックに描いています。観ていると映画の中に入りたくなるでしょう。『オンリー・ゴッド』をアシッドに例えたのは、観ている人の意識の中にこの映画が浸透すると、現実が変容するからです。現実の別の解釈が生まれる。色彩とも深く関係していると思います。それと、何事にも目に見えないサブリミナルな意味がある、ということについての映画だからです。心拍数が下がって、感覚が研ぎ澄まされる、深い瞑想状態と近いですね。毎日慌ただしく過ごすことに慣れているわれわれにとっては、そういう心理状態になるのは難しいですが。




──『オンリー・ゴッド』は、儀式のような映画だと感じました。生贄のヤギならぬ映画を供物として捧げているような。誰に捧げているのだろうと思っていたら、エンド・クレジットで「アレハンドロ・ホドロフスキーに捧ぐ」と出てきましたね。



彼へのオマージュであることは間違いありません。ホドロフスキーは長年の友人ですが、彼の発想には昔から魅了されてきました。僕が育った時代は、VHSが映画を観る手段でした。まだDVDがなかった80年代後半から90年代初頭にかけて、入手困難だったホドロフスキーの映画について、いろんな都市伝説がありました。アメリカに行けば買えるけど、コピーのコピーのそのまたコピーだとか。僕自身、彼の復帰作だった『サンタ・サングレ/聖なる血』はイギリスで出たVHSを買って1990年頃に観ていましたが、『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』はずっと観ることができずにいました。日本から発売されたレーザーディスクを買って、ようやく初めてその2作を観ました。インターネットがない時代だったから、そのレーザーディスクの情報にたどり着くのにも時間がかかったんです。その時に、自分もいつかこんな映画を作りたいと思いました。自分がこれらの映画から受けたような影響を与える映画を作りたいと。後年、ホドロフスキーと知り合いになったわけですが、『オンリー・ゴッド』は彼の人格から非常に影響を受けていると感じたので、それを示したかったのと、彼との友情に対して感謝を伝えたかったのです。彼は今や、かなり高齢でもありますし。だからある意味、この映画は私から彼への贈り物です。





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映画『オンリー・ゴッド』より © Copyright 2012 : Space Rocket Nation, Gaumont & Wild Bunch


ジャンル映画は60年代の前衛映画のような位置づけになってきている





──いつも新しい企画を始めるときに、ホドロフスキーにタロットで占ってもらうというのは本当ですか?



はい、そうです。3週間後にも彼とローマで会う予定です。



──占いの結果、「ノー」と言われたらどうするんですか?



彼は「イエス」「ノー」とは言いません。タロットは答えではなく、カードを読む人の解釈を、どう自分の人生に役立てるかなんです。たとえば『ドライヴ』に着手する前、パリで彼と夕食を共にしたとき、「この映画は成功するか?」と彼に尋ねました。すると彼は「イエス」「ノー」とは言わず、「この映画と旅をするだろう」と言いました。『オンリー・ゴッド』を撮るべきか尋ねたときは、「撮らなければならない」と言いました。そして撮影後、成功するかどうか聞いたら「この映画について考えるのをやめたら成功する。なぜならこれは盲目の中で作った映画だから、なるようにしかならない」と。それはまったくそのとおりなのです。そして、TVドラマ版『バーバレラ』[※監督兼製作総指揮をレフン、脚本を『007 スカイフォール』のN.パーヴィスとR.ウェイドが担当し、2014年内にも放送開始予定]をやるべきか聞いたときは、彼はとても怒りました。



──(笑)それでもやることにしたんですか?



『バーバレラ』には僕の映画の出資会社も参加しているので、そのあたりの配慮も必要なんです。あと、GucciのCMをやったことについても怒られました。「なぜコマーシャルをやるんだ」「金に囚われすぎている」と。それはそのとおりです。「『バーバレラ』も君にとってはお金だけだ」と言われました。そのとおりです。その流れで[ホドロフスキー原作、メビウス画の]『アンカル』の映画化を一緒にやろうという話になりました。『アンカル』か、もしくは他の題材をやるか、今度ローマで会う時に話し合う予定です。



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映画『オンリー・ゴッド』より (C)Copyright 2012 : Space Rocket Nation, Gaumont & Wild Bunch




──映画製作についてお聞きします。国際的に成功するには、英語で作ることがインディペンデントの監督にとって必須だと思いますか?



ええ、絶対的にそうだと思います。配給の可能性が広がりますから。もし僕がデンマーク語の映画だけ作っていたら、ごく限られた配給にならざるをえなかったでしょう。英語ならキャストも有名俳優を使うこともできるし。



──レフン監督の作品にしても、日本は『ドライヴ』であなたを発見し、それ以前の『プッシャー』などデンマーク語の作品は『ドライヴ』の後でDVDリリースされるという順番になりますからね。



僕が映画を撮り始めた頃は、インディペンデント映画界で成功するのはドラマ作品だけでした。ジャンル映画には芸術的な価値が認められていない、単なるB級映画扱いされていた時代です。“サンダンス映画の時代”と僕は呼んでいますが。僕の1本目の『プッシャー』はB級だからという理由で、どの映画祭から受け入れてもらえませんでした。でも最近、ジャンル映画は60年代の前衛映画のような位置づけになってきているように思います。例えばゴダールの『勝手にしやがれ』が典型ですが、人々の映画に対する見方があの映画によって変わりましたよね。あれは本質的にはジャンル映画です。そして今日、テレビがドラマを飲み込んでいる。だからジャンル映画が、金を生む最後のインディペンデント市場になっているんです。というか、テレビでさえジャンルものを追いかけているのが現状です。『ウォーキング・デッド』や『ソプラノズ』、『アメリカン・ホラー・ストーリー』然り。今やジャンル映画に、高い芸術的なクオリティーが求められるようになった。僕はそうなるだろうと予想していたけれど、その変化の多くはアジアから流入したものです。日本映画や韓国映画、香港映画などによってもたらされた変化で、欧米の映画はそういう上質のアジア映画を模倣しているのです。



──『バーバレラ』は何語ですか?



英語です。



──製作会社はフランスですね?



そうです。アメリカ、イギリス、オーストラリアに売るために英語で作ります。特にアメリカは、英語以外のものは触れようともしませんから。



──日本で撮る予定だという新しい映画(『The Avenging Silence』)は何語になるのでしょうか?



『オンリー・ゴッド』(英語、タイ語)と同じように、日本語と英語のミックスになります。ただ、『オンリー・ゴッド』も『The Avenging Silence』も言語はアクションです。アクションは世界共通言語ですから。



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映画『オンリー・ゴッド』より © Copyright 2012 : Space Rocket Nation, Gaumont & Wild Bunch


映画作りを学びたければ脚本を書けるようになれ





──『オンリー・ゴッド』では、元警官の男チャンがもつ刀が突然背中から出てくるので途中から「これはファンタジーとして観るべきなんだ」と頭を切り替えました。



欧米ではああした要素をいちいち説明しなければなりませんが、アジアでは物語にスピリチュアルなものとそうでないものとが共存しているのは、当たり前のこととして受け入れてもらえます。欧米のメディアは、ロジックを通してしか観ようとしませんから。



──ハリウッド映画の肉弾戦と比べて、『オンリー・ゴッド』のためがあるアクションの方が日本人にとって共感できます。



そう言ってもらえて誇りに思います。



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映画『オンリー・ゴッド』より © Copyright 2012 : Space Rocket Nation, Gaumont & Wild Bunch


──長くインディペンデントでやってきたあなたの経験から、日本の若いインディーズの映画監督にアドバイスをするとしたら?



僕は常にビジネスの実際的な視点から考えます。お金がない程、製作資金が少ない程、自分でクリエイティブなコントロールができますよね。基本的に監督1人の考えで進めるのが、映画作りはベストだと僕は思っています。映画は監督のものですから。若い映画監督たちと会ってこういう話をするたびに「自分も年だな」と思うのですが、彼らにいつも言うのは、映画作りを学びたければ脚本を書けるようになれ、ということです。すべて自分でやるという意味ではなく、自分の好きなものを見つけろという意味です。僕は自分がいい脚本家とは思っていないし、脚本を書くのが好きなわけでもありません。ただ、自分が撮りたい映画のためには、他の人には任せられない、自分で書かなければならないときがあるんです。そして、それに注いだ時間とエネルギーに見合った映画を撮ることが大事です。でも、映画業界で生き残っていくためには、配給についても知らなければならない。マーケットがどう機能しているかも知る必要がある。「レッドカーペット・シンドローム」という言葉があります。あっというまに映画祭やマスコミの喧噪に取り込まれて、“賞”という小さな世界に飲み込まれてしまうこと指します。でも、その裏には経済面でのシビアな現実があるのです。そして実際に自分の映画が人々にどれだけ観てもらえているかも、そこで知るわけです。マーケットが価値を置く“良い”映画を作るのであれば、いつでも映画を作れるようになる。だけど、“良い”映画とは何でしょう? それが大きな問いですよね。



──ご自身もレッドカーペット・シンドロームを経験したのですね。



僕自身、若い時に経験しました。最初の映画が簡単に作れたので、この調子でずっと行けると思ってしまった。だけど、その後つまずいて、今振り返ってみれば幸運ですが、選択は慎重にしなければならないとか、いろんなことを学べたんです。おかげで映画監督として成長できて、本当の成功と失敗の意味がわかりました。芸術は、失敗と成功の両方を経験しない限り、理解したとは言えません。恋愛も一緒ですよね。傷ついたことがなければ、愛とは何なのかわからないでしょう。ただ、今の世の中、特に映画業界は、趣味が良くてなるべく利益が大きいものを常に目指そうとします。それはクリエイティビティにとって大きな敵です。





アートは暴力行為だ




──レフン監督のウィキペディアに、教室の壁に机を投げつけてアメリカの学校を放校処分になった、とあります。それを読むと、つい、あなたの映画の暴力性と結びつけて考えてしまうのですが、あの記述は正しいのですか?



僕は常々、アートは暴力行為だと思っています。ただ、机を壁にぶつけたのは、そのとき授業で演技をしていたからです。演劇学校では、そういう自分の直感に従った芝居を教えられるんです。もちろん、学校のような機関は、生徒をコントロールします。僕はコントロールされたくない。誰かにレッテルを貼られたりするときには、いつでもそれを破り捨てて、違うことをやってやります。だから例えば、なぜ『ドライヴ』続編を作らないのかよく聞かれますが、そう聞かれるから作らないのです。



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映画『オンリー・ゴッド』より © Copyright 2012 : Space Rocket Nation, Gaumont & Wild Bunch



──ジブリ美術館に行かれるご予定だそうですね。『オンリー・ゴッド』とジブリ映画のイメージがまったく結びつきませんが、トトロを切り刻むようなアイデアがあるのですか?(笑)



宮崎駿監督の大大大ファンで、うちの子供2人は年が離れているんですが、それぞれが成長していく過程で一緒に宮崎監督の映画を観てきました。サントラCDも何枚も持っていて、家族でよく聴きます。コペンハーゲンの映画館で、日本語のオリジナル・バージョンとデンマーク語の吹き替え版の両方とも観るくらいです。ジブリ美術館では宮崎映画のポスターを、子供たちへのお土産に買って帰りたいと思っています。いつか宮崎監督の映画を作りたいです。



──それは血塗られた宮崎の映画ではなくて?(笑)



いや、自分の子供たちが観られる映画を作りたいんです。宮崎監督の映画なら観てくれるでしょうから。宮崎監督による原作の映画なのか、あるいは宮崎監督と一緒に作るのか、どんなかたちになるのかはわかりませんが。



──その映画は最後に「子供たちに捧ぐ」とクレジットされるわけですね。



はい(笑)。その通りです。



(2013年11月20日、恵比寿にて インタビュー:浅井隆 構成:駒井憲嗣)









ニコラス・ウィンディング・レフン プロフィール



1970年デンマーク、コペンハーゲン生まれ。8歳から17歳までニューヨークに在住、93年に再びアメリカに渡り、アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで学ぶ。弱冠24歳で、とてつもなく暴力的で容赦のない『プッシャー』(96)の監督・脚本を手掛ける。本作はカルト現象を巻き起こし、国際的な評価を得る。続く「Bleeder」(99/未)もベネチア国際映画祭でプレミア上映され、高く評価された。03年初の英語作品「Fear X」はサンダンス映画祭でプレミア上映された。その後、デンマークに戻り『プッシャー2』(04/未)、『プッシャー3』 (05/未)の脚本・監督・製作を手掛け、『プッシャー』トリロジーは05年度トロント国際映画祭でプレミア上映された。11年『ドライヴ』で2011年カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したほか、世界各国で賞を受章し絶賛された。現在は「I Walk With The Dead」(未)に取り掛かっており、テレビでは「バーバレラ」の準備中。今年開催されたTIFFCOMでは、日本を舞台にしたプロジェクト「The Avenging Silence」が発表された。主な監督作品:『ブロンソン』(09/未)、『ヴァルハラ・ライジング』(09)











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映画『オンリー・ゴッド』より © Copyright 2012 : Space Rocket Nation, Gaumont & Wild Bunch


映画『オンリー・ゴッド』

2014年1月25日(土)新宿バルト9ほか全国ロードショー



アメリカを追われたジュリアンは、今はタイのバンコクでボクシング・クラブを経営しているが、実は裏で麻薬の密売に関わっていた。そんなある日、兄のビリーが、若き売春婦を殺した罪で惨殺される。巨大な犯罪組織を取り仕切る母のクリスタルは、溺愛する息子ビリーの死を聞きアメリカから駆け付けると、怒りのあまりジュリアンに復讐を命じるのだった。復讐を果たそうとするジュリアンたちの前に、元警官で今は裏社会を取り仕切っている謎の男チャンが立ちはだかる。そして、壮絶な日々が幕を開ける―




監督・脚本:ニコラス・ウィンディング・レフン

出演:ライアン・ゴズリング、クリスティン・スコット・トーマス、ヴィタヤ・パンスリンガム

撮影:ラリー・スミス

美術:ベス・マイクル

編集:マシュー・ニューマン

提供・配給:クロックワークス、コムストック・グループ

原題:Only God Forgives

2013年/デンマーク・フランス/ビスタ/カラー/ドルビーデジタル/90分

© Copyright 2012 : Space Rocket Nation, Gaumont & Wild Bunch




公式サイト:http://onlygod-movie.com/ https://twitter.com/OnlyGodMovie


公式Facebook:https://www.facebook.com/OnlyGodMovie

公式Twitter:https://twitter.com/OnlyGodMovie







▼映画『オンリー・ゴッド』予告編



[youtube:Ww5_0R119RU]

「ライヴの歌詞も検閲される」シンガポールのインディーズ・ミュージック事情

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2013年12月7日UPLINK FACTORYにて行われた、The Observatoryとサンガツのインプロセッションより


2013年12月、シンガポールのバンド、The Observatoryが渋谷UPLINK FACTORYで行われたイベント「シンガポール、音楽とアートの環境」を皮切りに、全国ツアーを行った。7日のイベントではバンドとオーディエンスとのQ&Aセッション、そして日本のサンガツとのライヴ・インプロヴィゼーションも行われた。今回は、このツアーを企画した、アジアでインディペンデントに活動するアーティストを紹介するサイト・Offshoreの山本佳奈子さんに、各地をまわってみて、日本でアジアのインディペンデントなバンドを招聘しライヴを行うことへの思いを綴ってもらった。











Offshoreとして第二弾となるアジアのバンド来日ツアーが終了。前回のタイDesktop Errorに引き続き、彼らとも親交のあるシンガポールThe Observatoryが日本にやってきてくれた。彼らのツアーを私のプロジェクトOffshoreが担当することになった経緯に関してはこちらを参照していただきたい。

Offshoreとしての仕事は各地公演のブッキング、移動手段と宿泊先の確保。結果、残念ながら全会場満員御礼とはならなかった。しかし、彼らの重く深い音が、それぞれの会場に来ていた各地のオーガナイザーやバンド関係者、特に玄人と呼ぶべき音楽通を唸らせた。





約10日間彼らと共に過ごした。彼らから聞き出したシンガポールの事情や彼らの活動方針、そして彼らの生活、考え、習慣、いろいろなものに驚き、カルチャーショックの連続だった。12月7日にUPLINK FACTORYにて開催した『シンガポール、音楽とアートの環境』Q&Aトーク内容の簡単なレポートも交えつつ紹介したい。日本ではまだまったくの無名ではあるが、東南アジアでは大御所バンドとしてその名を轟かせる彼らの第2回目の来日ツアーがいつか実現できればとも思う。




日本でアートと音楽の境界線上で活動するバンド、サンガツと、シンガポールでアートと音楽を行き来しながら活動するThe Observatoryの即興セッション。インプロヴィゼーションという音楽奏法は、言葉ではなく音を使ったキャッチボールであり会話である。どの人物が何を問いかけるのか、緊迫した空気感で始まりつつ、少しずつ音の会話は盛り上がっていく。総勢9名の音の会話がUPLINK FACTORYに響き渡る。インプロヴィゼーションでの奏法には、違った環境で生まれ育ったそれぞれのキャラクターが明確に映される。できるだけ具体的に主張する、西洋的な国シンガポールのThe Observatoryと、場の空気を読みつつ抽象的な表現から主張をしていく日本のサンガツの、キャラクターの違いのようなものを感じた。




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浜松拠点アーティストyamanohiroyukiオーガナイズで開催された浜松でのライヴ。



【The Observatoryの音楽と社会の関係性】



シンガポールを拠点とするThe Observatoryは、シンガポールのアーツカウンシルによって運営されるグッドマン・アーツ・センターで自身のスタジオスペースを持っている。また、プロのミュージシャンとして活動資金の一部はアーツカウンシルから助成を受けている。





UPLINK FACTORYで彼らの音楽性について触れたとき、ボーカル・ギターのレスリーとシンセベースのビビアンはは「シンガポールの社会と密接に関係している」旨を答えてくれた。シンガポールでは年々精神病患者が増えていたり、また独裁政権により国民は監視されていると感じることもあるとのこと。ライヴの際には歌詞を提出しないといけないと言う。反政府を歌う歌詞は検閲対象になる。しかし実はハードコアやカウンターカルチャーから生まれた音楽も盛んなシンガポールでは、検閲を受けない為にはアンダーグラウンドで非公式にやるしか方法がないという。





UPLINK FACTORYで歌詞検閲の話に驚いた翌日、浜松でのライヴ終了後の食事会で、その他にもシンガポールのルールや法律を話してくれた。一定量以上の大麻覚醒剤所持で即死刑、警官はいつでも誰にでも職務質問と薬物検査を執行可能。反政府運動は政府の強権により起こり得ないと言う。犯罪率が低く日本と同じく優良国家と見られるシンガポールだが、海外に対するプロモーションには敏感なので、「発表されずに隠蔽された犯罪ケースはあるかもしれない」とのこと。




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名古屋DAYTRIPでのライヴ。


ドラムのハイカルはムスリムでインド系マレー人。彼は普段シンガポールで頻繁に職務質問されるとのこと。理由を聞くとハイカルは「たぶん僕の髭がテロリストっぽく見えるんじゃない?」と笑う。

また、カジノに入り浸るシンガポール人が増えていることも社会問題になっていると言い、(外国人は無料で入場できるがシンガポール国民は約10,000円の入場料が必要な為、一度入場したら週末の数日間をカジノの中で過ごす人が多いそうだ。)その反面、外国企業のシンガポール進出に対しては、最初の5年間は無税と優遇される。そして先日44年振りに起こったシンガポールのインド人街での移民労働者による暴動。

The Observatoryはそんな暗雲立ちこめるシンガポールをまさにObserve=観察して音楽を作る。「しかしそれは、ただ傍観しているのではなくて、そこから何か問題や解決策を見出そうとしているんだ」と、レスリーはバンド名の由来について語ってくれた。




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京都でのオフ日に訪れた、日本屈指の前衛音楽ショップ、パララックスレコーズにて。


【海外アーティストの来日ツアーTips】



東京UPLINK FACTORYを皮切りに、浜松、名古屋、京都、大阪と駆け回った。ツアーとなれば生活も共にすること。海外アーティストやミュージシャンとのツアーを今後行なうかもしれない方の為に、今回私が学んだTipsを紹介したい。



・宿泊地やライヴ会場近くのベジタリアンレストランを調べておく。

先述の通りThe Observatoryの場合はハイカルがムスリムのため豚がNG、彼の場合は豚以外の肉類も一切食べないとのこと。ベジタリアンが外食しづらい日本。海外では菜食主義は決して珍しいことではない。前もって各地の菜食レストランを調べておくとかなり安心。



・対バン形式や常設アンプ機種は、あくまでも日本のスタンダード。

日本のライヴハウスで圧倒的に多いギターアンプはマーシャル、ローランドJC-120。しかしこれは日本のスタンダードであって、シンガポールや東南アジアではマイナーな機材らしい。以前UPLINK ROOMで開催した「香港でライヴハウスを運営するということ」でも少し触れたが、そもそも日本以外のアジアには防音設備と機材が常備された大音量ライヴ専用のライヴハウスが少ない。それから、対バン形式によって毎日ライヴハウスでライヴが繰り広げられているのも日本でのスタンダードであって、シンガポールで3バンドも4バンドも集まって短いセッティング時間と短い演奏時間で演奏することは少ないとのこと。日本の対バン形式の概要も知らせておくとメンバー達も安心だろう。また、これは私のアイディアだが、バンドには来日直前に普段使っているリハーサルスタジオ以外で数回リハーサルしてもらってから来てもらうと良い。対バン形式の場合はリハーサルでも本番でも素早いセッティングが求められるし、また、会場によってアンプ機種や音の鳴りが違うのはもちろんのこと。日本の環境に対応する為の練習として、まずは自国内で異なった環境でリハーサルをしておいてもらうと日本に到着してからも安心だ。



・他のバンドとの交流を打ち上げに頼らない。

日本のインディーライヴでは、出演者同士の交流は打ち上げにかかっているようなところがある。が、シンガポールは日本ほどアルコールが重要視されない。むしろ、The Observatoryのメンバーは日本のアルコールへの異常な寛容さに驚いていた。アジアに限らず、宗教的理由や独自の思想でアルコールを摂らない人は世界にたくさんいる。ライヴ=打ち上げ=飲み、と常に結びつけるのは、海外からのゲストにとって酷な時もある。





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京都メトロにて毎月開催される名物イベント、全アクトフロアライヴの『感染ライヴ』にて。サウンドチェック風景。



【彼らが知った日本~アジアに注目する人の少なさ・集客の難しさ・売上分配のシステム~】



The Observatoryが日本で過ごした約10日間に、私は日本のいろいろなことを話した。彼らもたくさんカルチャーショックを受けていたと思う。例えば、こんなにも彼らの存在や日本以外のアジアのインディー音楽が日本人に知られていなかったこと。そして、日本にはおびただしい数のライヴハウスや会場が点在していて、集客することが難しくなっていること。また、彼らにとっては日本の固定ハコ代、固定ギャランティのシステムがあるということも不思議だったようだ。シンガポールで彼らがオーガナイズする時は、関係者全員で宣伝に力を注ぐために、イベント時の収入はパーセンテージで会場とアーティスト達と分けるとのこと。「固定金額の支払いは理不尽で、それでは全員がイベントのプロモーションに参加しなくなり、一部だけに負担がかかる」と。それも確かにそうだ。




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大阪での最後の夜、アメリカ村『味穂』にて。昔アメリカ村に訪れたことのある彼らは数年で街が大きく変化したことに驚いていた。



【エクストリームな音楽を演奏するThe Observatoryを日本で売ること】



ツアー行程がすべて終了し、経済面のミーティングも終え、最後の食事で私と彼らは音楽の未来についていろいろ話した。今回のツアーでは集客、物販売り上げなどなかなか思うように行かなかった面が多いが、私も彼らも非常に前向きだ。次はこうすればいいんじゃないか、という風にアイディアもたくさん出た。今全世界で音楽ビジネスは低迷していると言われているが、The Observatoryのビビアンは「今はみんなが新しいモデルを模索している時代」と言った。私もそう思っているとともに、一度古い音楽ビジネスのシステムが崩壊したため、何もかもやりやすくなっていると感じることもある。だからこそ、日本人が聴いたことのない音楽を日本に届けるということに、個人で挑戦する意義もある。エクストリームな音楽も飽和しきってしまった状態の日本であるが、まだまだこの日本には新しい音楽を探しているエクストリームなリスナーはいるし、この極東の島国には外部から受ける刺激でさらに変質した面白い創作を生む可能性が充分に残っていると思う。

私たちは、The Observatoryの音楽が非常に狭いターゲットを狙っていることから、逆に間口を広げる為に日本国内での音源流通を次の目標にした。難解な音楽こそ、簡単な手段で入手できるように、という戦略だ。2014年5月頃には新作のリリースを予定しているというシンガポールのThe Observatory。私は彼らのクリエイティビティや日本では類を見ない活動方針に期待と信頼を抱いている。今後も長い付き合いになっていきそうだ。




【The Observatory今後のライヴ情報】



最後に、彼らの間近に迫ったライヴ情報を紹介。シンガポールに行く予定のある方はぜひ遊びに行ってみてほしい。




・Laneway Festival Singaporeに出演

2014年1月25日 会場:THE MEADOW, GARDENS BY THE BAY

http://singapore.lanewayfestival.com

オーストラリアのプロモーターによって世界各地で開催されるこのフェスティバル、シンガポールでのLanewayでは初のシンガポール地元勢が出演することが決定。The Observatoryも、CHVRCHES、MOUNT KINBIE、James Blakeなど蒼々たる面々とともに出演決定。



(文:山本佳奈子)




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浜松、共演のオシロスコッティ、共演兼オーガナイズのyamanohiroyuki、ZOOT HORN ROLLOスタッフの皆さん、浜松にてシェアハウス「ゲンモク」を宿泊場所として提供してくれたジミーと。










▼UPLINK FACTORYにて行われたサンガツとのインプロセッションの模様

[youtube:gHzRwRYxsIw]





▼名古屋DAYTRIPでのライヴ映像

[youtube:FWqrNNsScQA]








【関連記事】

「商業音楽の方法論を破壊する」シンガポールのバンドThe Observatory、サンガツと共演
12/7渋谷アップリンクにてQ&A+ライヴ開催、アジアのバンドが活動を続けていくのに必要な環境とは?(2013-12-04)

http://www.webdice.jp/dice/detail/4049/

「人は時の流れとともに変わるものか?」リンクレイター監督が『ビフォア・ミッドナイト』にこめた問いかけ

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映画『ビフォア・ミッドナイト』より c2013 Talagane LLC. All rights reserved.


リチャード・リンクレイター監督が『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』(1995年)、『ビフォア・サンセット』(2004年)に続きイーサン・ホークとジュリー・デルピーを三たび起用した『ビフォア・ミッドナイト』が1月18日(土)より公開となる。主人公ジェシーとセリーヌのロマンティックな出会いのエピソード『ビフォア・サンライズ』、そこから9年後に再会を果たしお互いの複雑な気持ちを確認し合う『ビフォア・サンセット』を経て、この『ビフォア・ミッドナイト』は出会いから18年後、40代になったふたりの生き方を、シリーズに共通するふたりのリアルな会話劇により描いている。リチャード・リンクレイター監督に、「友人同士であり、コラボレーター」であるというふたりとの制作プロセスについて聞いた。なお今作は、第86回アカデミー賞脚色賞にリチャード・リンクレイター、イーサン・ホーク、ジュリー・デルピーの連名でノミネートされている。




イーサンとジュリーと僕はまるで家族のような間柄だった




── 本作はシリーズ3作目になりますが、当初から3部作の予定だったのですか?





いや、違うよ。18年前は僕もイーサンもジュリーも、自分たちが今頃、3作目を引っ提げてこの場にいるなんてことは考えてもみなかった。そんな話は、まったくなかったね。実のところ、1作目『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』を終えた時でさえ、続編を作りたいと思っていたのは僕たち3人だけだったんだから。その他には誰もいなかった。だけど考えてみると、2作目『ビフォア・サンセット』の終わり方は、3作目があるかどうかはぐらかした形になっている。そういうことで今回は、前よりもプレッシャーを感じたね。なぜなら前の2作を観てくれたファンの人たちは、たとえば「次はイーサンはどんなことをしてくれるのだろう」とかって何かしらの期待を膨らませていたから。続編を期待する声はあったけど、そういうことは考えないように努めたよ。




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映画『ビフォア・ミッドナイト』のリチャード・リンクレイター監督 cKaori Suzuki




──2作目を撮り終えたあと、ふたりと連絡を取り合って、続編について話し合うことはありましたか?




まあ、そうだね。だけどすでにその頃、イーサンとジュリーと僕はまるで家族のような間柄だった。僕たちは親しい友人同士であり、コラボレーターでもある。続編を作るに至った経緯は、前の2作の時とほとんど同じだったと思うよ。どういう感じかというと、5~6年の間は何も考えもしないか、たとえ冗談で話題にしたとしても、具体的なアイデアは持ち合わせていなかった。だけどいつからか、ちょうど6年目くらいの頃になって、3人のうちの誰かが「ねえ、もしかしたら……」なんて言い出すんだ。つまり何が起きているかというと、前作で登場人物たちを取り巻いていた環境がまったく別の新しいものになっているということに、僕たちが気づいてくると続編の話が出る。僕たち自身も、人生において新たな局面を迎えていることに気づき、そういったところに何を表現できるのかを見出す過程が必要なんだよ。



そういうわけで、今は続編があるかどうかは分からないけど、今から5~6年後に「ねえ、あのさ……」と誰かが口を開いても不思議ではないよ。その頃には、僕たちは50代の彼らを撮ることになるね。僕らの身に何かが起きているかもしれないけど、先のことなんて誰にも分からない。そうだろう?




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映画『ビフォア・ミッドナイト』より c2013 Talagane LLC. All rights reserved.




──会話の多くは即興でしたか?




いいや、本作ではまったくなかった。即興の会話はひとつもね。前の2作を含めて3作ともすべてだよ。セリフはすべて台本に書き起こし、構成を練り、それを基にリハーサルを重ねたんだ。3人で一緒に執筆していると、ある特別な瞬間を度々迎えることになる。どういうことかというと、3人の脚本家という立場から、2人の俳優と、作品を撮らねばならない1人の監督という立場に分かれるんだ。そのたびにイーサンとジュリーは思い知ることになる。「なんてことだ、会話の量が膨大すぎて、演じるのが大変だぞ」なんて具合に、毎回気づかされるのさ。2人がその努力に見合うほど十分に評価されることはないと思う。なぜなら、彼らの演技は自然体に見えるからだ。それがこの作品の目指したところではあるんだけど、2人の見えない努力に気が付く人はいないだろうね。




──これまでの2作と同様に、歩きながら話し続けるふたりを捉えた長回しのテイクが多くありましたが、常に動いている人物を撮り続けるというのは難しくはありませんか?




たやすくはなかったよ。だけど、どんな映画にも、その作品なりの苦労がある。ある種の課題みたいなものだね。だけど、そういった課題は、僕たちが自分自身の前に設定するものだ。ただ、それが観客を作品の世界に引き込むのに間違ったものであればやらないよ。





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映画『ビフォア・ミッドナイト』より c2013 Talagane LLC. All rights reserved.


僕たちは人として変わらないのか、それは永遠の問い




──ワンシーンで、最高、何テイク撮りましたか?




そんなに多くはなかったよ。どのシーンでも、10テイクを超えたことはないんじゃないかな。



──ということは、みなさんはそれぞれの役割を完ぺきに把握していたと?



そう、リハーサルをしたからね。僕らは一度も……なんというか、この3作の制作期間は合わせても55日ほどだった。というのも、これは規模としてはよくある映画で、スケールの大きい映画とは違ったからだ。そんなわけで、撮影に時間はかけなかった。予算も多くはなかったしね。だからリハーサルがすべてだったというわけさ。



──人は誰でも、時の流れとともに変わっていくものです。本作の登場人物たちに見られる変化は、みなさん自身の実生活での変化に伴ったものなのでしょうか?



そうだね。僕が思うに、それは永遠の問いなんじゃないかな。彼らは変わったのか、僕たちは人として変わらないのか、というのは。考えてごらん。自分のことをよく知らない人は、「ああ、あなたは変わらない」と言ってくるのが常だ。すると自分は「馬鹿にされているのだろうか?」と思うだろう。というのも、心の中では、自分はかなり成長した気になっている。より多くのことを学び、以前よりも面白味が増して、深みのある人間になっているはずだと。けれども、実際はひとつも変わっていないのかもしれない。自分で思い込んでるだけでね。だから、どうだろうな。人は変わるんだろうか。僕が思うに、ジェシーとセリーヌというキャラクターには、一種の不変的な要素がある。2人は昔のままだけれど、その人生は劇的に変化した。彼らを取り巻く環境もだ。そういったことに、人は影響されてゆく。でも、人が変わるのか、誰かがどのくらい変わるかなんてことは、僕には分からないよ。



── 先ほどもお話ありましたが、次に私たちがジェシーとセリーヌに再び会える可能性は、どのくらいあるとお考えですか?




それは誰にも分からないよ。先のことなんて読めないものだろう?僕たち3人の誰かに何かが起きているかもしれないしね。今は3部作だけど、それだって驚きだ。そんなの意図してなかったからね。でも結果的にこういうものが出来上がったことは、すごくうれしいよ。この作品は、ジェシーとセリーヌの人生の移り変わりを描いている。そのままでもクールだけど、その先にはもっと面白い段階が待っているんだ。僕はイーサンとジュリーより年上だから、それが分かる。もう僕は、次の段階に進んでいるわけだね。



(オフィシャル・インタビューより)










リチャード・リンクレイター プロフィール



1960年7月30日、米・テキサス州ヒューストン生まれ。サム・ヒューストン州立大学で文学と演劇を学ぶも中退。1985年にオースティン映画協会を設立。監督デビューは、オースティンの大学街を舞台にしたドキュメンタリータッチの作品『Slacker』(91)。95年には同郷のイーサン・ホークと運命的な出会いを果たし、ジュリー・デルピー共演で監督した『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』がベルリン映画祭銀熊賞(監督賞)に輝いた。その後も『ウェイキング・ライフ』での実験的映像を試みる一方で、『スクール・オブ・ロック』などのエンターテインメント作品も作り上げるなど、多彩な活躍を続けている。また、オースティン映画協会は97年より、テキサスで活動する映画製作者たちに対して120万ドルを援助し続けており、その芸術活動支援の実績が認められ、99年には米国監督組合より表彰されている。現在の活動拠点はハリウッドとテキサス。













映画『ビフォア・ミッドナイト』

1月18日、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿バルト9、ほか全国ロードショー!




パリに住む小説家のジェシーと環境運動家のセリーヌは双子の娘たちちとともに友人に招かれ、シカゴでジェシーの元妻と住む息子のハンクも一緒にギリシャの海辺の街でバカンスを過ごしている。ジェシーは、夏休みが終わってひとりシカゴへと帰るハンクを見送るため、空港へとやって来ていた。次は演奏会に行くからというジェシーに対し、「ママはパパを嫌っている」と言うハンク。今までで最高の夏休みだったとハンクは言ってくれたものの、ジェシーは複雑な思いを抱えていた。




監督:リチャード・リンクレイター

出演:イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー、シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック、ジェニファー・プライアー、シャーロット・プライアー、ゼニア・カロゲロプーロ、ウォルター・ラサリー、アリアン・ラベド、ヤニス・パパドプーロス、アティーナ・レイチェル・トサンガリ

脚本:リチャード・リンクレイター、イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー

キャラクター原案:リチャード・リンクレイター、キム・クリザン

プロデューサー:リチャード・リンクレイター、クリストス・V・コンスタンタコプーロス、サラ・ウッドハッチ

エグゼクティブ・プロデューサー:ジェイコブ・ペシュニク

撮影:クリストス・ブードリス

編集:サンドラ・エイデアー

作曲:グレアム・レイノルズ

原題:Before Midnight

2013年/アメリカ/英語・仏語/108分/ビスタサイズ/デジタル5.1ch

後援:ギリシャ大使館

提供:ニューセレクト

配給:アルバトロス・フィルム

c2013 Talagane LLC. All rights reserved.




公式サイト:http://beforemidnight-jp.com/

公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/ビフォアミッドナイト/167918560072207

公式Twitter:https://twitter.com/beforemidnight1







▼映画『ビフォア・ミッドナイト』予告編



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アルモドバル監督「『アイム・ソー・エキサイテッド!』には現在のスペインの危機的状況を反映させた」

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映画『アイム・ソー・エキサイテッド!』より ©EL DESEO D.A.S.L.U



スペインのペドロ・アルモドバル監督の最新作『アイム・ソー・エキサイテッド!』が1月25日(土)より公開となる。機体トラブルで空中旋回を続ける旅客機を舞台に、オネエのキャビン・アテンダントやパイロットをはじめ、SM女王や謎の警備アドバイザー、不祥事を起こした銀行頭取など、ビジネスクラスの乗客たちが起こすセックス、アルコール、ドラッグまみれの騒動を描いている。原点回帰とも言えるポップでブラックな笑いに満ちた群像劇を完成させたアルモドバル監督に聞いた。



80年代の自由へのノスタルジー



── 最初に、あなたが映画を制作するうえでのプロセスを教えてください。




私は脚本を書き終わるまでその作品が気に入るかどうか分からないので、映画化を念頭に置いて脚本を書くことはない。元々のアイディアはずっと頭のなかにあって、脚本にするつもりではなく、数ページのアイディアノートのようなものを書き溜めていた。そこから興味を持ったものを書き進め、クライマックスまで書いたときに自分自身に問いかけるようにしている。これから先もこの物語を描いて行きたいか、どうかと。その答えがイエスなら、脚本にしていくんだ。





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映画『アイム・ソー・エキサイテッド!』のペドロ・アルモドバル監督


── では、この『アイム・ソー・エキサイテッド!』を作ろうと思ったきっかけを教えてください。




いつでも、これが最も難しい質問なんだ。最初に5ページくらいのものを書き連ねていて、それは脚本にする以前に楽しんで書いていたに過ぎなかった。つらつらと、ストーリーラインやキャラクターについて書き連ねていた。80年代のマドリードにあった、アンダーグラウンドマガジンに短編を書いていた頃のように。とてもワイルドで、セックスやアルコール、そしてドラッグなど何でもアリだった時代のように。これが『アイム・ソー・エキサイテッド!』の原型になって、アイディアが膨らんで行った。自分自身でも気づかないうちに、あの自由だった時代へのノスタルジーがあったんだと思う。そして、スペインが現在置かれている状況について思いを馳せた。80年代にはある種の自由があり、それ以来スペイン国民はその自由を味わっていないような気がした。それがノスタルジーの元だったんだと思う。



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映画『アイム・ソー・エキサイテッド!』より ©EL DESEO D.A.S.L.U




脚本を書く時には、批評眼を持たなくてはならない



── オネエのキャビン・アテンダントや彼らに翻弄されるパイロットとともに、新婚カップルや銀行頭取、落ち目の人気俳優、SM女王、自称・警備アドバイザー、超感覚を持つと言い張る女性といった乗客まで、どうやってこの映画のとてもユニークなキャラクターを作り出したのでしょうか。



脚本の最初の10ページでは、コックピットとギャレーで起きることを描いた。3人の客室乗務員たちのとてもおもしろく、ナンセンスなシーンだ。そしてそのトーンを映画全体で共有したいと思っていた。3人の客室乗務員が映画のMCのように。そしてもしこれを映画化するのだったら、乗客が必要だ。この乗客のキャラクターを生み出すのが最も難しいところだった。コックピットとギャレーと関わりを持ち、3人の愉快な客室乗務員とも関連づけなくてはいけないのだから。7、8人の乗客について書いてみたけれど、あまり気に入らなかった。そして一度、脚本を書き進めるのを諦めて傍らに置いておいたんだ。脚本を書く時には、批評眼を持たなくてはならない。最初に書いた乗客のキャラクターは、あまりコメディにふさわしいものではなかった。弟や他の人たちに脚本を読ませたところとても評判が良かったんだけど、結局2年ほど棚に寝かせておくことになった。



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映画『アイム・ソー・エキサイテッド!』より ©EL DESEO D.A.S.L.U


そして2年後に改めて見直してみたときに、とてもフレッシュな視点で脚本を読むことができて、新しい乗客のイメージも沸いてきた。そして、映画にすることにしたんだ。2年前に脚本を書き終えないで棚にしまっておいたのが良かったのだろう。そしてこの2年間にスペインの状況は激変し、それも脚本を書き進めるために役立った。例えば、この映画を撮影した空港はラ・マンチャのシウダ・レアル空港という実在した空港だが、地元銀行による資金と公的資金で作られたものの、不況の煽りを受けて現在は閉鎖中だ。乗客の上流階級のマダム、ノルマの役も、現在スペインで起きていることを反映させている。現在のスペインが置かれている危機的状況を現しているんだ。コックピットとギャレーのシーンは私の最初のひらめきによって書かれ、そのほかの乗客などは現在のスペインの状況を踏まえて書き加えていったんだ。




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映画『アイム・ソー・エキサイテッド!』より ©EL DESEO D.A.S.L.U



── 原点回帰とも言われていますが、なぜ今、コメディ映画を撮ろうと思ったのでしょうか。



私自身も、その時代に戻りたかったのかもしれない。だが、これは現在を描いた映画であって、ノスタルジーを描いたものではない。スペインの現在がメタファーになっている。30年前、私はこういった短編小説をたくさん書いていた。だからこういう物語も私のキャラクターの一部なのだ。過去の自分に戻ることは、リフレッシュメントだと思う。だからといって、これから先もコメディばかり作るというものではない。『オール・アバウト・マイ・マザー』は私の映画の中でも最もダークな作品だが、あの作品を作ったときも2本の脚本を同時に書いていた。全く違う種類の脚本を2本同時に書き進めるのは、とても健康的なエクササイズになっている。スペインでは今でも、私はコメディを多く作る映画監督として知られている。だがスペインの外での評価やレビューでは、99年の『オール・アバウト・マイ・マザー』のようなダークなドラマを作る監督として認識されているという違いがあるからね。




(オフィシャル・インタビューより)










ペドロ・アルモドバル プロフィール



1949年、スペインのラ・マンチャ生まれ。一般企業に勤める傍ら短編小説や漫画を描き続け、独学で映画を学ぶ。70年代に自主制作で短編映画を撮り始め、『Pepi, Luci, Bom y otras chicas del monton』(80、日本未公開)で長編デビュー。セシリア・ロス、アントニオ・バンデラスが主演した『セクシリア』(82)『バチ当り修道院の最期』(84)『マタドール』(86)『欲望の法則』(87)と作品を発表し続け、ベネチア映画祭で脚本賞を受賞した『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(88)が大ヒット。99年の『オール・アバウト・マイ・マザー』はアカデミー賞外国語映画賞、02年の『トーク・トゥ・ハー』がアカデミー賞脚本賞、06年の『ボルベール <帰郷>』はカンヌ映画祭脚本賞、そしてペネロペ・クルスら6人の女優たちに主演女優賞が授けられた。そのほかの主な監督・脚本作品には『ライブ・フレッシュ』(97)『バッド・エデュケーション』(04)『抱擁のかけら』(09)『私が、生きる肌』(11)などがある。














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映画『アイム・ソー・エキサイテッド!』より ©EL DESEO D.A.S.L.U


映画『アイム・ソー・エキサイテッド!』

2014年1月25日(土)新宿ピカデリー他全国公開




ペニンシュラ航空2549便はマドリッドのバラハス空港を発ち、メキシコ・シティへ向かって飛行中、機体トラブルから着陸用の車輪の片方が機能しないことが判明。機長のアレックスと副機長のベニートは管制官に緊急の着陸要請を送り続けていた。エコノミークラスの乗客は筋弛緩剤入りの特別なドリンクを振舞われ、客室乗務員を含め全員爆睡状態。ビジネスクラスを担当するホセラ、ファハス、ウジョアのオネエ3人の客室乗務員は、乗客の不安を打ち消そうと躍起になる。乗客の中には、2人の愛人を抱える落ち目の俳優、SMの女王、超感覚を持つと言い張る女性ブルーナなどがいた。




監督・脚本:ペドロ・アルモドバル

出演:カルロス・アレセス、ハビエル・カマラ、ラウル・アレバロ、ロラ・ドゥエニャス、セシリア・ロス、ブランカ・スアレス

配給:ショウゲート

2013年/5.1ch/ビスタ/スペイン/90分/R15+




公式サイト:http://excited-movie.jp/

公式Facebook:https://www.facebook.com/excitedmovie

公式Twitter:https://twitter.com/excitedmovie







▼映画『アイム・ソー・エキサイテッド!』予告編



[youtube:YSU5fxsH4SU]
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