ギャラリーhiromiyoshii roppongiで取材に答える吉井仁実氏
写真家のレスリー・キー氏が2月2日から開催されていた自身の写真展「FOREVER YOUNG Uncensored Edition !!!! Male Nude Photo Exhibition by LESLIE KEE」で男性器が多数写った写真集を販売したとして、レスリー氏、そして写真展の会場である東京・港区六本木のギャラリーhiromiyoshii roppongiのオーナー兼ディレクターの吉井仁実氏らががわいせつ図画頒布容疑で警視庁に逮捕された。3人は2月4日の逮捕の後、2月6日に3人が処分保留で釈放。その後、写真集を印刷・製本した印刷会社・八紘美術の児玉紘一社長と、次男の児玉武志氏がわいせつ図画頒布幇助の疑いで逮捕、翌日の22日に釈放されている。
webDICEでは2月13日、吉井氏に写真展が行われたhiromiyoshii roppongiで、写真展までの経緯や逮捕の状況、そして氏のアートに対する考えまで話を聞いた。さらに2月22日にはレスリー氏にも取材を行い、3月2日にインタビュー記事を掲載した。
アクションを起こしたいという、
社会性や問題意識のある展示だった
── 今回、レスリ・キー写真集事件の事の次第を教えていただきたいと思いました。このhiromiyoshii roppongiで展覧会が行われたんですよね。わいせつ図画販売と報道されていましたが、展示自体は問われなかったのですか。
一昨年の12月にここで展示を行ったのが、1回目です。それまでも彼は、表参道ヒルズのギャラリーで『Tiffany supports "LOVE&HOPE" by LESLIE KEE』だったり、1年に1回くらい展覧会をやっていました。彼がコンテンポラリーのアート・ギャラリーで展覧会をやりたいという話をしているということで、知人から紹介してもらったんです。そのときにレスリーから、「国籍とか人種とか性別を越えて様々な愛と希望を追及する写真を撮りたい」と聞きました。レスリーの作品自体はアートと呼べるかどうかということはまだ明確に自分のなかで理解していませんでしたが、日本の社会において多様性を問うというコンセプトとしては現代美術のギャラリーで扱ってもおかしくないと判断しました。
ギャラリーhiromiyoshii roppongiの外観
表参道ヒルズでは女性の美の追求をやっているから、ギャラリーでは男性の美を追求するような展覧会をやりたい、という話でした。僕はコンセプトが明確であればアーティストのやることに細かいディレクションしたりはしないので、レスリーが男性ヌードの展覧会をやりたい、ということであれば、ぜひやってください、ということで1回目の展覧会を決めました。
終わってから、レスリーから「継続して展覧会をやりたい」と言われました。僕も男性のヌードの展覧会は初めてでしたけれど、日本ではなかなかないですし、とりわけコンセプトが興味深い。そして、レスリーから継続していかなければいけない理由のひとつとして、日本では同性愛について理解が極めて少ない、だから日本で認められるようなアクションを起こす展覧会を続けたいということでした。
アメリカではニューヨークなど州によって同性の結婚が認められていて、レスリー自身もニューヨークで式を挙げています。日本の同性愛者、男女問わず、少しでもアクションを起こしたいというのが目的だったと思います。そういう意味では、社会性とか、問題意識を含んだ展覧会だと思ったので、僕は続けることを決めました。
── 一昨年の展覧会は作品を販売したのですか。
もちろん、写真作品として販売しました。でも写真自体は売れなかったです。なかなか日本の家で女性ヌードをかけている人ってあまりいないですし、男性ヌードはさらに少ない。ただ、レスリーが自分で編集した写真集はある程度売れました。
── ギャラリー・ビジネスとして写真が売れないというのは困ることですか。
もちろん困ります。ただ、長い目で見るということと、売れる展覧会と売れない展覧会があって、売れるからやる、という展覧会をやっているわけではないです。ギャラリーは、実験の場だと考えでいます。アーティストの考えに共感して、表現のひとつとして場を提供していると思っているので、売れるか売れないかというのは大した問題ではないんです。
── 一昨年と今年の展示に関しては、警察から見れば、メイルヌードの露出具合は変わらなかったのですか?
ゲイカルチャーの追及は深くなったと思います。
── 一昨年問題にならなかったんだから、今回も問題ない、というところもあったのですか。
問題になる、ならないということは意識しなかったです。アートだと思っていましたし、今でも思っています。
2月に開催された「FOREVER YOUNG Uncensored Edition !!!! Male Nude Photo Exhibition by LESLIE KEE」のフライヤー
── 残念ながら取り締まられた本は見ていないんですけれど、一昨年出版された本と、今年の出版物については?
スタンダードに見ても、そんなに変わらないと思います。さらに過激になったとは思えないです。ただ、前の展覧会のときは他の写真集も売ったんです。レディー・ガガの写真集や、彼がずっと今までやってきた、男性ヌードではない写真集も一緒に売りました。今回は、男性ヌードを中心として、売ったので。そのぐらいの違いです。全部押収されてしまったので、今ここには在庫も残っていません。
レスリーの写真からは、メイプルソープが表現したような、
生命の躍動感、人間の生きる証が感じとれた
── ネットの記事では、レスリーのモデルが許諾をしていないのに裸を展示したり、写真集にされて、それに頭にきた人たちがレスリーをこらしめるためにたれこんだ、というのも出ていましたが。
少なくとも今回の展覧会のモデルは承諾していますし、皆オープニングに来て楽しんで、喜んでいたくらいですから、そんなことはないと思います。
── 図画販売の実績がないと逮捕できないですから、買った人に「買いましたね」と確認したうえで、販売したかを吉井さんに確認したのですね。
確認された人は逮捕されていないですけれど、わいせつ物に値するような本がこの場所で売られているということをそこで確認して、僕に売ったかどうかを確認して「売りました」ということで逮捕されたということです。
僕はアーティストに対して細かい作品のディレクションは一切しないんです。写真集も初日の朝に届いて、中をちらっとしか見てないくらいですから。僕なりに彼と話して、日本において文化の多様性が問われていると意識したんです。人種とか性別とか年齢とか、そうしたコンセプトに対して共感したわけです。また写真を見たとき、メイプルソープが表現したような、生命の躍動感、人間の生きる証がレスリーの写真からも感じとれました。
── 展示している作品と写真集の中身は違うのですか。
同じものもありました。
基本的には展覧会も本を売るのも、未成年者は立入禁止、それから、もし女性が入ってきた場合は、刺激的な表現があるのでそれを了承したうえで入ってください、と伝えることを徹底していました。きっちりと未成年には見せないようにしているので、ギャラリーで展覧会をすることについては、問題ないと思っていました。
── 警察は、展示物も押収したのですか。
押収しました。写真集を買った人がいます、その人が仮にいらなくなって捨てたり落としたりして、それを誰かが見たらどうするか、とも聞かれました、僕はそこまで想定していないと答えました。
2011年11月に開催された「FOREVER YOUNG Men’s Nude Photo Exhibition by LESLIE KEE」のフライヤー
── 僕はメイプルソープの裁判でお願いした山下弁護士に「なぜ国家がわいせつを制限するのか」と聞いたことがあります。かつてはポルノばかり見てると国民の勤労意欲を失わせる、というのが理由だったらしい。ただ現代においては、見たくない人の権利を守るためにあると。僕の裁判の前に同じメイプルソープ写真集の裁判があってその時の判決文を読むと、当時の美術館はまだ男性器の出ているメイルヌードを自主規制で展示していなかったので、裁判官はそれを逆手にとって、「美術館でさえ認められていない」ものだという判決文を書いたんです。裏返せば、ある程度年齢制限や注意をしたうえであれば、道路ではないし交通広告でもない、一般書店でもない限られた「美術館やギャラリーであれば、オープンな表現であるべきだ」というのは、裁判官および日本国家も分かってるんです。だから、今回のようなある程度閉じられていたギャラリーであれば、少なくとも、メイプルソープの写真集の裁判例からいうと、ギャラリーでの展示や写真集をコンビニや一般書店ではなく展示をしているギャラリーで販売している事に関しては僕はまったく問題ないと思います。
警察の取り調べで自分はわいせつ物だと認識していない、ということは主張されるわけですよね。
僕は今まで芸術としてずっとやってきたことに確信を持っています。ただ、一般の人がわいせつだとすれば、わいせつじゃないかなということも僕は理解しているんです。芸術とわいせつは同義語だと思うんです。芸術であるしわいせつである、わいせつであるし芸術である。だからわいせつ物としてそれが扱われて、国家の基準に触れるようなことがあれば、芸術だと信じていますが、それはある程度仕方がない。というような話をしました。
── 僕も芸術かわいせつかに関しては、吉井さんと同じスタンスで、国家が嫉妬して検閲するなら、それぐらい価値があるものだと思います。だからそれがポルノグラフィであろうとアートであろうと、表現として僕は認めます。ただ、裁判で闘うには、わいせつ物は違法だ、という刑法175条があるから、「わいせつでない芸術だ」という裁判闘争しかないですね。
メイプルソープの写真集については今回の件で判決文をあらためて読んだら、全体の写真集のなかの比率というところに触れていました。花の写真と静物の写真があって、メイルヌードが何ページある、ということなので、僕はレスリーの写真集は拝見していないですけれど、全ページもしメイルヌードであったにしても、アートだ、ということは今の時代、言い切れると思うんです。
そうですね、でも今、先進国でこのような国はないですからね。
── 5年前でもインターネットでポルノは見られました。それを考えると今や動画見放題ですから。僕の場合は関税定率法による輸入禁止だったので、刑法175条においても、風俗を乱すということでは現在インターネットで海外のポルノグラフィを見放題なので、もうポルノについては実質解禁だと思うのですよね。
僕もそう思います。
── あとはゾーニングの問題ですよね。
だからうちでも、インターネット販売は一切しなかったんです。
2月の写真展で販売された写真集『SUPER MIKI』(左)『SUPER GOH』(右)
── ドイツもポルノグラフィの販売はOKなんですけれど、ネット販売はできないそうです。相手の年齢が確認できないから。
こういうのを機会にどんどん議論が生まれてくるといいと思います。
この事件があって、アート関係のいろんな方々から応援して頂き大変有難い思いです。アクションを起こしたり、自分の主張を通したり、そうしたことから逃げようとするのであれば、こういう仕事をするべきではないと思います。森美術館の会田誠展もすごく議論を呼んでいますが、会田さんを扱っている三潴さん(ミヅマアートギャラリー)と話しましたが「常に覚悟している」と言っていましたからね。ものを作り出すことや、社会を変えていく、というのはそういうことだと思います。
── 僕もオーナーなので覚悟はできているけれど、もし法律に触れるかどうかの映画の上映をやっているときにチケットを売った受付のアルバイトの子が逮捕されたらいけないから、そうした映画上映の場合は自動販売機にするとか、それぐらい従業員の安全の確保をしないといけないと思いました。
販売した人を逮捕すると、今後は書店側、流通も自主規制をするようになる。昔のビニ本は流通の過程では逮捕者がでないシステムとしてシュリンクして中が見えない、しかも自販機で販売するなどの販売方法が発明がされたのだと思います。
シュリンクされていないで、本屋にあるものだったら、本屋のスタッフが逮捕されてしまう。さらに厳しくなってくるでしょうね。『図書館戦争』という映画のように、これからさらに厳しくなっていんでしょう。覚悟が必要ですよね。今回の経験から、働く人たちも、もちろん危害が及ばないようにしなくてはいけないのは僕たちの責任です。でもスレスレのところで戦っていかなければいけない職業でもあると思うので。
社会に対するひとつのアクションであり、過激なメッセージであり、それらをアートを通して与えることの意味があると思っています。僕は違いますが、アート界には同性愛の人が多いので、そういう人たちにもう少しでも理解のある社会、手助けのアクションができれば、そういう展覧会ができればと思っていました。
── でも実は警察の逮捕よりも怖いのは、例えば森美術館のスポンサーに圧力を善良な市民団体が押しつけてくることですよね。レスリーの今回の写真に嫌悪感をもよおす人もいるでしょう。だから、だめというのではなく、その人たちは見なくてもいいし、買わなくてもいい、というシステムが担保されている社会が必要ですよね。自分が嫌悪感を持つから警察に捕まえてもらっていいというのは短絡的すぎる。
選択ができるということですよね。
── だからゾーニングなり、ギャラリーに入るときの規制をするということが必要だと思います。アートは限られた人であれば理解できる、というものであれば、そこまで立ち入る権力の必要はないと思うし。
いろんな議論が巻き起こって、自由な選択ができる状況になっていけばいいですよね。
── 僕はメイプルソープに関しては、Xポートレートシリーズを映画のR18みたいに18歳未満を入場禁止にしてギャラリーで展示するくらいの展示方法があるといいなと思っています。最高裁で勝っている写真だから、限られた人だけに見せることができるかたちだったら大丈夫だと思います。
コンテクストを理解してもらいたいです。部分だけとってわいせつだ、というよりも全体というか。映画でも全体のなかでその描写が必要なものかどうかでしょう。
── メイプルソープもモノクロだ、ということやページの割合について判決文に書いてありましたから。全体の流れを見て、映画でも性器の露出は、例えば立小便のシーンなどはOKになってきているんですよ。性器自体がダメというのではなく、わいせつという概念が非常に揺らいでいる。
今回もし不起訴になれば、刑法175条的にコンビニなどでなくて限られた販売方法をとって販売するならOKだということですね。これは次への大きなステップになると思います。そうやってわいせつの概念がアップデートされればいいと思います。
そうなってくれれば、僕が留置所に泊まったことが報われます(笑)。
ものを作る人間の心を開放しなければいけない
── もし不起訴なら、このレベルならOKだというサインなのでそれをギャラリストや出版関係者がちゃんと行使すべきなんです。限られたところで少しずつやって、表現をもっと開放してほしいです。
選択肢を持てる世界ですよね。いまは思考能力をそぎ取られているようなものですからね。その閉塞感は感じていて、とりわけ近ごろのアーティストを見ても、概念や価値観、固定概念に縛られているように感じます。
レスリーの写真展をやろうと思う前に、遠藤一郎というアーティストが、アンディパンダン展みたいな公募展を開催しました。作品のマテリアルやサイズなども限定しないで無審査で参加できる展覧会の審査員として協力したのですが、普通ならサイズもマテリアルも選べるのに、みんなこじんまりした作品が揃ってしまった。何人かのアーティストに聞いたところ、ホワイトキューブのギャラリーをイメージして作品を作ってしまっている、というんです。それって、本来自由であるべきアーティストが不自由になってしまっているのではないかととても心配しました。
ということは、ものを作る人間の心を開放しなければいけないんじゃないか。数年前、東京都現代美術館の長谷川祐子さんがクロスジャンルの展覧会、『SPACE FOR YOUR FUTURE』というアートとデザインと建築の遺伝子を組み替えるような展覧会を行なって、ものすごい広がりを感じたんです。逆に、デザインや建築などのほうが、クライアントがいたり制度や決まりがあって不自由のなかでより自由を求める。遺伝子を組み換え合わせていかないと本来自由であるべきアートが自由でなくなってしまうんじゃないかと。
レスリーみたいにコマーシャルで生きている人が、どれだけギャラリーのなかで自由奔放にできるかと。レスリーの前には書道家の展覧会や、建築家の展覧会も開催して、作品をつくっていく自由とは何か?いちばん自由でなければいけない現代美術の人がいちばん不自由になってしまっているんじゃないかなって。
── それはなぜだと思いますか?
アーティストに限ったことではないですが、別の方向で考えてみると、自分自身で考えて選択する、ということがうまくできなくなってしまっているのではないでしょうか。便利になりすぎたんでしょうか。僕は、日本はワンストップの文化の象徴だと思っているんです。コンビニに行ったらぜんぶ事足りてしまう。そうすると知恵を使って、探す、選ぶ、ということをやらなくなってしまった。社会が選択肢をなくすような環境を作っていて、自らも選択肢を与えられなくなっているのではないかと。
── その弊害が現代美術のアーティストにも及んでいると。
クライアントがいるわけでもないし、不特定多数の人に買ってもらうわけでもない。固定概念とか価値観を打ち崩すツールとして、僕はアートがいちばん機能しなければいけないものだと思っているんです。僕自身も閉塞感を感じていたので、レスリーに会ったときに、あんなに自由な人がいるんだと思ったんです。
── 選択肢の多い社会じゃないと国自体の力が弱まりますよね。このままでは、検察や警察には「国益を損ねますよ」と言いたいですね。
長い目でみたらまったくそうですよね。今の日本がダメになっているのもそれが理由の一つではないでしょうか。麻生さんがまんが美術館を作ると言っていましたが、そんなことよりも、その根からやっていかなければいけない。そのためには教育だと思うんです。
── それは東京芸大の入試におけるデッサン至上主義が変わらないと。村上隆も会田誠も絵がうまいですからね。絵がうまくない現代美術家って誰ですかね。
マルセル・デュシャンですかね(笑)。芸術の見方、感じ方を教える事が重要だと思います。
例えばアメリカやヨーロッパに行くと、鑑賞教育が7割ぐらいあるので、美術館に子供がたくさんいますよね。日本は鑑賞教育のプログラムが1、2割ぐらいしかないんです。だから、見て感じる想像力や、自分で選ぶ能力が欠如しているんじゃないかと思っているんです。たとえ絵が描けなくても、見るだけでもアートに参加できて楽しめる、という認識すら持てなくなってしまっているんではないでしょうか。テレビのバラエティのほうが何も考えなくて観ていられるので楽ですよね。美術館に行って絵を見るって創造力を必要としますし、メイプルソープの写真を観てわいせつだと思ってしまうのは、鑑賞教育がないからだと思うんです。子供の頃から感じて想像していくことに慣れていないので、生命の躍動や宇宙的な要素を含んでいたメイプルソープの意図、生きることの喜びや楽しさをあの写真から読み取ること、理解するだけの素養がないのではないかと思うんです。どんどん思考能力が停止していって、与えられたもののなかでやる、という風になってしまっているんじゃないかと思います。僕は、そこまで突き詰めてなにかやろうと思っているんです。社会において常に選択肢があることを、認識していること自体が少なくなっている。アクションをおこしていかないと、特定の権力者の思うがままになってしまうのではないでしょうか。
(2013年2月13日、hiromiyoshii roppongiにて インタビュー:浅井隆 構成:駒井憲嗣)
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吉井仁実(よしいひろみ) プロフィール
1967年東京都生まれ。1999年、HIROMI YOSHII EDITIONを設立。杉本博司、横尾忠則等の版画制作を企画・出版する。2001年、ギャラリービル・六本木コンプレックスを立ち上げ、現代美術ギャラリーhiromiyoshiiを同ビルに開廊。2005年、六本木の現代美術ギャラリーT&G ARTSのディレクターに就任、同年11月にhiromiyoshiiを清澄白河に移転。2010年、清澄より六本木に移転。主に9.11以降の国内外の注目アーティストを取り扱い、海外にも日本人アーティストを積極的に紹介。
http://www.hiromiyoshii.com/