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曽我部恵一が『二重生活』ロウ・イエ監督に教わる「緑茶女とフェニックス男」

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ロウ・イエ監督(右)と曽我部恵一氏(左)


ロウ・イエ監督作品の大ファンを公言するミュージシャンの曽我部恵一氏が、26日、渋谷アップリンクで行われた映画『二重生活』のトークイベントに出席。「何か近いものを感じる」というロウ監督と、時折ユーモアを交えながら、愛について、音楽について、映画について、さらには現代中国の実態について、熱く語り合った。




私の映画と音楽の共通点、

それはアンダーグラウンド(ロウ監督)



本作は、天安門事件を扱った『天安門、恋人たち』で映画製作・上映禁止処分を受けたロウ監督が、禁止令解除後、5年ぶりに中国で製作した衝撃のメロドラマ・ミステリー。経済発展が著しい武漢市を舞台に、事故死した女子大生、彼女と最後に接触した男、その妻と愛人が織り成す複雑な人間模様をスキャンダラスに描く。



曽我部恵一(以下、曽我部):ロウ監督の映画は、毎回音楽がいいんですが、今回もエンドロールに流れるあの曲、凄くよかったですね。「愛はすべての傷を癒すだろう、でも俺はあっさり捨て去るだけさ」っていう歌詞もいい。あれは何ていう曲なんですか?





曽我部恵一氏

曽我部恵一氏


ロウ・イエ監督(以下、ロウ):中国のインディーズバンド「沼泽乐队」(Zhaoze/The Swamp)の「惊惶」(fear)という曲です。私の映画と彼らの音楽は「アンダーグラウンド」の世界で共鳴し合っていますね。




曽我部氏といえば、自身のアルバム『PINK』に収録されている「春の嵐」が、ロウ監督の2010年の作品『スプリング・フィーバー』に感銘を受けて作ったというほど筋金入りのファン。「何か近いものを感じる」というように、同じクリエーターとして、ロウ監督がどんなスタイルで創作活動に着手しているのか、気がかりで仕方がない様子。



曽我部:ロウ監督は「これを映画にしたい!」と思う瞬間とか、急にひらめく瞬間ってあるんですか?



ロウ:インスピレーションが瞬間的に湧くことはあります。ただ、それが映画にする、というのは、また別の問題。映画というのは手のかかる仕事で、1本撮るためには大きな資金がかかるし、いろんな役者を探さなければならない。さらに完成までに非常に長い時間もかかりますので、思い付いたことをすぐに映画にするということは、なかなか容易ではありませんね。



曽我部:確かに映画は大変ですよね。1本撮り終えて、完成した時はどういう気持ちになるんでしょう。



ロウ:やはりホッとしますね。リラックスして気が休まります。そして、その時に自分の映画と「さよなら」をするわけですね。ただ、この『二重生活』の場合は、2年前に製作された映画なので、いま、当時の気持ちを一生懸命思い出しているところです(笑)。




曽我部:僕の場合は、映画と比べればとても規模が小さいものですが、作品を作り終えると、やっぱり少し寂しいというか、落ち込むというか、気力がなくなり、鬱のような状態になる。



ロウ:なるほど。この映画の主人公ヨンチャオは、一人の女性と付き合って、愛を語り合ったあともまだ足りなくて、ちょっとグッタリしているんですが、曽我部さんのその雰囲気、まるでヨンチャオのようですね(場内爆笑)。




映画『二重生活』より

映画『二重生活』より



ロウ監督の作品は、

社会問題とラブストーリーが一体化している(曽我部氏)



曽我部:毎回、ロウ監督の作品は、深いところをグッと握られる感じがするのですが、本作に関しては、恋愛や人生について、誰が幸せなのか、誰が良くて、誰が悪いのか、友人と議論になりました。ヨンチャオは重婚に近い感じですが、決してダメなこととして描かれていない。むしろしょうがないことのように描かれています。



ロウ:二重生活まで行かなくても、愛人や一夜だけの関係など、今の中国では普通に起きていること。ヨンチャオの遊び相手として登場する女子大生、彼女のような子たちを中国では「緑茶女」って言うんですよ。見た目は清楚で飾り気がないが、裏では複数の男たちを喜ばせているから。一方、ヨンチャオのように、妻や愛人の力を利用して、自分は悠々自適に暮らしている男は「フェニックス男」と呼ばれているんです(笑)。



曽我部:今おっしゃったように、ロウ監督作品の最も特徴的なところは、本作のような現代中国人の実像であったり、天安門事件であったり、セクシャル・マイノリティであったり、社会的問題と愛憎劇が一体となって描かれているところにあると思うんです。それは狙いでもあるんでしょうか?



ロウ:社会的問題とラブストーリーは一つのこと、相互に反映し合っています。時代が違えば、愛のカタチも違ってくる。本作で言えば、ヨンチャオが本妻に、「君を愛している」と言いますが、本心ではない。愛しているという言葉が変質してしまっているんですね、つまり、「愛」にも社会性があるということです。



映画『二重生活』より

映画『二重生活』より



曽我部:最近、中国の要人たちが若い女の子を囲っているとか、ニュースなどでよく見かけますが、政治家と愛人の話がロウ監督の手にかかると、どうなるんでしょうね。



ロウ:私は政治家の性生活なんて関心ないですね。第一、ぜんぜん面白くないでしょう?(場内、再び爆笑)



曽我部:もう一つ気になるのが、ロウ監督ご自身のこと。映画では、愛が成就することはあまりありませんが、私生活の中で「愛で満たされているなぁ」という瞬間はあるんでしょうか?もしかすると、それを探していることが愛なのかな、とも思うのですが。



ロウ:よく聞かれるのですが、それは答えにくいですね(笑)。愛にはいろんなものが含まれているので、はっきりと「こうだ!」とは言えない。不確定なものだと思います。この映画でいえば、ヨンチャオがどんな時に愛を感じるかというと、本妻と居る時でもない、愛人と居る時でもない。彼が一番、愛を感じるのは、本妻の家と愛人の家を結ぶ大橋を行き来する車の中なんですね。ヨンチャオを演じたチン・ハオと「彼は車の中で何を考えていたんだろう」とよく話し合いましたが、自分に引き寄せて考えてみると、この行ったり来たりの時間が最も孤独で、そして最も人間的な時間なんだと思います。



曽我部:僕も孤独な時が一番自分に近いと思います。そこで誰かを求めたり、自分に欠けたものを埋めようとしたりして、結局、それがうまくいかず時間が過ぎていく。ロウ監督のその部分の描き方が凄くきれいで好きなんです。



ロウ:人がそれぞれ違うように、愛のカタチもそれぞれ違うもの。愛というのは、人間が存在するために必要なものだと思うんですよね。




映画『二重生活』より

映画『二重生活』より




愛に一つの答えがないように、映画に明確な答えを求めるのは、どこか道理が間違っているように思える。ロウ監督は、映画製作についてのこだわりをこう語る。「現代中国の「闇」の部分だけを描きたいのなら、映画なんて作る必要はない。それなら言葉で伝えればいいだけのこと」。何かを直接的に伝えるのではなく、もっと曖昧で、感覚的な世界を表現するからこそ、映画の存在意義がそこに生まれる。余白の部分を埋めるのは、観客である我々の作業であり、そして、それがきっと映画の醍醐味なのだ。



(2015年1月26日、渋谷アップリンクにて 取材・文・写真:坂田正樹)













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映画『二重生活』

新宿K's cinema、渋谷アップリンクほか

全国順次公開中




二重生活flyer_omote_s



監督・脚本:ロウ・イエ

脚本:メイ・フォン、ユ・ファン

撮影:ツアン・チアン

編集:シモン・ジャケ

音楽:ペイマン・ヤズダニアン

出演:ハオ・レイ、チン・ハオ、チー・シー、ズー・フォン、ジョウ・イエワン、チャン・ファンユアン、チュー・イン

配給・宣伝:アップリンク

原題:Mystery(浮城謎事)

2012年/中国、フランス/98分/1:1.85/DCP



公式HP:http://www.uplink.co.jp/nijyuu/






▼映画『二重生活』予告編

[youtube:Z58mbWAgVMY]

▼映画『二重生活』エンドロールに使用されている沼泽乐队「惊惶」

[youtube:KVvi0tqfy0Y]

巨大バイオ企業による食の支配を許すな!遺伝子組み換え食品を「家族」の視点で追求するドキュメンタリー

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映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』のジェレミー・セイファート監督



食の安全を願う「家族」の視点から、GMO(Genetically Modified Organism 遺伝子組み換え食品)がいかに私たちの生活のなかに拡大しているかを取材し、遺伝子組み換え食品をめぐる問題点を描くドキュメンタリー映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』のジェレミー・セイファート監督が来日。25日、都内・日比谷文化図書館の大ホールで行われたティーチイン・イベントにジェン夫人を伴って出席した。



4月25日(土)より公開となる本作は、食料廃棄問題をテーマにした初監督作品『DIVE!』が世界22の映画祭で様々な賞を獲得した俊英セイファート監督の最新作。表示義務がなく、GM食品の存在自体がほぼ知られていないアメリカの現状に疑問を抱いたセイファート監督は、家族と共にGMOの謎を解く旅に出る。遺伝子組み換え市場シェア90%のモンサント本社や、ノルウェーにある種を保管する種子銀行の巨大冷凍貯蔵庫、GMOの長期給餌の実験を行ったフランスのセラリーニ教授など、世界各国への取材を重ねるうちに、徐々に明るみになっていく食産業の実態に彼は言葉を失う。この旅の最後に、セイファート監督の家族は、いったい何を思い、何を選択していくのだろうか?







観客は支持、メディアは酷評、そこに隠された真実とは?




──本作は、2013年の「国際有機農業映画祭」で上映され、大反響を呼んだことから日本での上映が実現しました。初めて日本の観客を前にして、今、どのような心境ですか?



日本で公開されることになって非常にうれしいです。会場は女性がほとんどですが、アメリカも同じような風景でした。こういう食の問題に対しては、女性の方が情熱的ですね。命の母と言いますか、種を育ててくださる方たちですから。妊娠されると、さらに食への意識が高まるようです。(会場を見渡しながら)男性や小さなお子さんも若干見えますが、本公開の時は、ぜひ家族で観に来ていただきたいですね。





ここから観客とセイファート監督との質疑応答へ。最初は挙手に躊躇していたが、彼の息子フィンの心温まる「種好き」エピソードで心がなごみ、会場は一気にリラックスムードに。




──(観客からの質問)この作品は、家族の視点から描いているところが面白いです。息子さんが「種好き」というのもユニークでしたが、最初からそういう構成で映画を作ろうと思っていたのですか?



フィン(当時5歳)が種好きだったことは、この映画を撮る一つのきっかけにはなっていますが、前作『DIVE!』で家族を巻き込み迷惑をかけたという反省もありましたので、今回は絶対に出さないつもりでした。ところが、GMOを調べれば調べるほど、家族なしでは語れない問題だと気付いたんです。





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映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より、セイファート監督の息子フィン(右、当時5歳)、スカウト(左、当時4歳)



──(観客からの質問)息子さんは何がきっかけで種に興味を持ったのですか? また、彼が集めた種は、自分で育てたりしているのか?



フィンが2歳半の時、家に畑を作り、『種はこうして蒔くんだよ』と教えてあげたんです。しばらくすると、それが芽になり、トマトの実がなって、100個くらいの種ができた。彼は凄く感動して、命の不思議さ、大切さに目覚めたんですね。生物多様性を心から愛している。ただ、去年も25品種ほどのトマトを植えて、妻が手に負えないと困っていますが(笑)。



──(観客からの質問)母国アメリカをはじめ、世界での反応はいかがでしたか? 一部メディアから批判もあったようですが。



観客の反応はとても良くて、様々な映画祭(バークシャー国際映画祭最優秀ドキュメンタリー作品賞、イエール大学環境映画祭観客賞ほか)で賞をいただきましたが、一部メディアからはかなり厳しい批判もあり、物議を醸しています。そもそもGMO賛成派のライターが書いているのですが、彼らの道理としては、もっと化学的な証拠を取り上げて詳細なものを作るべきではなかったのかと。家族が登場するような、パーソナルな作品を彼らは望んでいなかった。



*アメリカの老舗雑誌「ザ・ニューヨーカー」が「“OMG GMO” SMDH」(「GMO OMG」(本作の原題)には呆れた[SMDH=shaking my damn head])と批判し、モンサント・ヨーロッパのツイッターで世界中に拡散された。



映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より




怖いのは、巨大バイオ企業に「食の支配」が一極集中していること



──(観客からの質問)作中、モンサント社への取材は、まるでマイケル・ムーア監督のような突撃取材のようでした。モンサント社は、どのようなメディアに対してもあのような高圧的な態度を取るのですか?



私は、取材の途中、あちこちの有機農家へ足を運びましたが、彼らは自分たちの作っているものをすべてオープンに見せてくれました。それに対して、モンサント社は完全にシャットアウト。作中、カメラマンを車に待たせて、マイクをシャツに隠して、一般人として「食の安全に関心があるから教えてくれ」と訴えるシーンがありますが、体格のいい人が次々に出て来て「そんな質問は困る」と追い出されてしまった。有機農家とまるで真逆の対応だったので驚きました。何か秘密を隠しているなと。また、本社にも行ったのですが、その時ちょうど、GMOを育てている農家の人たちが大勢やって来るというバスツアーがあったので、「よし、紛れ込んでやれ!」と思って、その中に入って農家の振りをしていたのですが、見事にガードマンに見破られてしまった。



映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より、モンサント社の入口




──(観客からの質問)映画の冒頭に出てくる、モンサント社の次の一手とは何でしょう?風味をよくするために細胞を組み替えたり、あるいはオーガニックと認められるようなものを開発したり、いろいろ考えられると思いますが、監督はどう思われますか?



わかっていることは、巨大バイオ企業は利益の追求だけを目指している、ということ。結局、そこでないがしろにされているのは「人間の健康」ですが、彼らはそんなこと知ったことではない。だから、お金を稼ぐためなら、どんな風にでも変化していくと思う。例えば、オーガニックの方が稼げるとわかれば、そちらに向いて行く可能性もある。ただ、ここで問題なのは、巨大バイオ企業に「食の支配権」が集中してしまっていること。一極集中は非常に怖いので、支配権を分散させなければならないと思う。



映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より




──(観客からの質問)「食の安全」を守るためのアイデアがあれば教えてください。



大きな社会問題に立ち向かうとき、これに比例して大きな解決策を考えがちですが、それは難しいし忍耐力がいる。もっと小さなことから、長い時間をかけてやっていくことが大切。映画の中で、フィンが言っていたけど、「買うのをやめれば、この会社は潰れちゃうんでしょ?そうすればいいじゃない?」。物凄く子供のシンプルな意見ですが、私はそこに深い智恵があると思いましたね。





セイファート監督夫妻

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』のジェレミー・セイファート監督(右)、ジェン夫人(左)





この作品は、難しい化学でGMOを解明していくものではない、あくまでも家族の視点、子供の視点でGMOの謎を探るロードムービーである。本編を通して、彼らと一緒に旅をすれば、「遺伝子組み換えって何だろう?」という素朴で奥深い疑問が少しずつひも解かれていくことだろう。




(取材・文・写真:坂田正樹)









映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』

4月25日(土)より渋谷アップリンク、名古屋名演小劇場、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開



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監督:ジェレミー・セイファート

出演:セイファート監督のファミリー、ジル=エリック・セラリー二、ヴァンダナ・シヴァ

配給・宣伝:アップリンク

協力:大地を守る会、生活クラブ生協、パルシステム生活協同組合連合

字幕:藤本エリ

字幕協力:国際有機農業映画祭

配給:アップリンク

2013年/英語、スペイン語、ノルウェー語、フランス語/85分/カラー/アメリカ、ハイチ、ノルウェー



公式サイト:http://www.uplink.co.jp/gmo/

公式Facebook:http://on.fb.me/1AKpPU4






▼映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』予告編

[youtube:cBHssSmvKsM]

曽我部恵一が綴る尾崎友直の音楽「ぼくは何度でもこのレコードをターンテーブルに乗せるだろう」

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2014年12月28日下北沢 CLUB Que『曽我部恵一ワンマンライブ "LOVE SONG"』より、尾崎友直(左)曽我部恵一(右)




曽我部恵一主宰のROSE RECORDSより尾崎友直が通算3枚目となるアルバム『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』を3月25日(水)にリリース、その前日となる3月24日(火)渋谷アップリンク・ファクトリーにて発売記念イベントが開催される。



アナログとCDのセットで発表される『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』は、ソロ・アーティストとしてのみならず、曽我部恵一のバンドのギタリストとしても活躍する彼の1年ぶりとなるアルバム。東京に生きるひとりの40代の男としての喪失感や慈愛などを独自の視点で描写している。曽我部恵一をはじめ、掛川陽介、Organ、dobokuといったクリエイターが参加し、ヒップホップ、ギターロック、ノイズ、パンクなど多様な音のテクスチャーが、彼の心象風景を美しく、そして生々しく彩っている。



リリース記念となる24日のイベントは、曽我部恵一をはじめ、甲斐哲郎、doboku、Language、Organ、セノオGEE、植野隆司(テニスコーツ)、MOROHAといった彼と交流のあるアーティストがゲストとして参加。彼が運営する渋谷のDJバー「EAR」の雰囲気を再現するトークの後、新作の世界観を表現するライブという2部構成にて行われる。



今回は、新作リリースにあたり、レーベル主宰として、バンド・メンバーとして彼を知る曽我部氏に、文章を寄せてもらった。






「今を生きる自分を歌うこと」

──曽我部恵一



「メッセージ。昼12時9分、弁当を食べ、コンパネの上で書いている」



この言葉からアルバムは始まる。その曲には「メッセージ」という題がつけられている。



ぼくと尾崎友直とのなれそめのようなものは以前書いたこちらの記事を読んでいただくとして、さてここにあるのは彼の3枚目のアルバム。本来彼は12インチシングルを出すつもりで制作し始めたのだが、気づけば11曲のフルアルバムが完成していた。



最初にこんなアルバムになると渡された音源には、いくつかの曲がまだ登場していなかった。そんな頃にぼくのトラックで歌ってみたいという連絡を彼から受け、アコギ中心の曲を作り送った。彼は気に入ってくれたようで、言葉がするする出てくると言って、すぐにラップ入りのものを戻してくれた。アルバムに追加したいということでそのままミックスもやらせてもらった。それが「メッセージ」だ。



その後、彼からあの曲はいつもと違って一気呵成に書いたもので、やっぱりしっかり作り込みたいので今回はアルバムに入れない、という旨のことを言われた。その他にも音質やミックスなどいろいろと気になる部分はあったようだ。アーティストの意向が全てなので、ぼくはたいした意見はせず了解していたが、心のどこかでは少しばかり残念な気もしていたのも正直なところだ。なぜなら出来上がったその曲がとても好きだったから。



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2014年12月28日下北沢 CLUB Que『曽我部恵一ワンマンライブ "LOVE SONG"』終演後のメンバー、曽我部恵一、尾崎友直、オータコージ



彼の低く囁くようなラップスタイル。それがどうして生まれたかを以前教えてくれたことがある。この曲はそのスタイルからも外れていた。不安定なほどに声高(彼にしてみれば、だが)に歌われる。韻も踏んでいない。韻を踏むどころではなかったのかもしれない。テーマはより深くなった彼自身の信仰と、それに依って生きるということ。歌に出てくる、ときどき寂しそうな「きみ」とは、恐らくぼくのことだ。そのきみに「聖書の話、諦めずに話すよ」と彼は続ける。別れて暮らす子供達、そしてドラッグに依存してしまう若者たち、彼の瞳に映るそんなみんなを彼は優しく強い言葉で気遣う。



さらけ出し過ぎたのかな、と思った。あまりにリアル過ぎたのか、と。でもこれほどまでに裸の彼は今までいなかったのじゃないか、とも思った。しかしまた数日後、この曲このまま入れますという連絡が。そして蓋を開けたらアルバムの一曲目を飾っていた。



剥き出しの自分を堂々しょっぱなに据えた彼の勇気に喝采を送りたかった。逃げも隠れもしない、本当の自分。あまりに手垢のついた「本当の自分」なるもの。しかしそれをそのまま音楽に張り付けられる人が、何人いようか。そしてその自分を最大の誇りを持ってレペゼンする。



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2014年2月25日、『曽我部恵一 ライブツアー2014「ハッピー」』大阪 十三FANDANGO、アンコール直前の3人。



彼が何度も言及する宗教と信仰に違和感を感じる人もいるかもしれない。しかし、他人に違和を感じ、次に理解しようと努力し歩み寄ることにしか平和はないだろう。葛藤逡巡なくすんなり受け入れられるのは他者の上澄みだけだ。ここにいる尾崎友直という他者と、じっくりと交わって欲しいと思う。それに、ぼくやあなたも、特定の宗教ではないにしろ、何らかの信仰にもとづいて生きているはず。例えそれがちっぽけなことだとしても、自分自身にとっては何にも代えがたい存在を信じながら。



アルバム全体を、彼の生きる情熱が貫いている。聴いたあとに残る感触は重々しいものじゃなく、夏の最初の一日のような、清々しさ。


 

最後に置かれたのは「目」という曲。もはやトラックはない。iPhone越しに彼が語りかけてくる。録音されたもので、こんなにリアルな手触りを持ったものを他にすぐに挙げることは、ちょっと難しい。



「おはよう。こっちはいま、夜です」



この声を聴くために、ぼくは何度でもこのレコードをターンテーブルに乗せるだろう。




尾崎友直

2014年7月21日、青森「夏の魔物」曽我部恵一ソロライブより









【関連記事】




「春頃に、トモナオがフルアルバムを作ったという話を聞いた。夢や現実や過去や未来、そんなものがぎゅっとつまった最高の音楽」曽我部恵一が尾崎友直について綴る(2011-07-24)

http://www.webdice.jp/dice/detail/3153/












尾崎友直


尾崎友直 プロフィール



1971年11月2日生まれ。東京都世田谷区桜丘出身。16歳の頃よりパンクロックに影響を受けバンド活動を開始。1989年より都内のライブハウスにてライブ活動を精力的に展開する。1998年、渋谷円山町にてDJバー「EAR」を開店、同時期に自身のレーベル「EAR」を立ち上げる。バーのコンセプトは「音楽を核に、想像力を駆使し、何かをつくる力や人々の交差する場所」。EARのコンセプトに賛同し、ライブを行いながらメジャーシーンへとステップアップしたバンドはsnap、MOROHA、灰汁など多数存在する。1998年、自身のレーベルEARから第一作品であるソロアルバム『TAKE ME HOME』をリリース。その即興性に満ちた音楽性と、言葉を駆使した創造性あふれる表現力により、ハードコアシーンの受け手に熱く支持される。またジョン・ゾーンから大絶賛されるなど、即興アーティストしての評価を高めた。2014年4月、セカンド・アルバム『JEHOVAH GOD』をリリース。前作よりさらに表現の幅を拡げギタリスト、コンポーザー、プロデューサーとしての側面を強く打ち出した。そして2015年3月、サード・アルバム『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』をリリース。



BAR「EAR」公式サイト

http://www.ear-bar.com/




ROSE RECORDS 尾崎友直公式サイト

http://rose-records.jp/artists/tomonaoozaki/










尾崎友直/3rdアルバム『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』発売記念LIVE SHOW

2015年3月24日(火)

会場:渋谷アップリンク・ファクトリー



当日、ニュー・アルバム『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』の販売を行います。



18:30開場/19:00開演

料金:前売1,000円/UPLINK会員1,000円/当日1,300円



【一部】

トークショー「BAR EAR出張版」

【二部】

『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』発売記念ライブ

出演:尾崎友直、曽我部恵一、甲斐哲郎、doboku、Language、Organ、セノオGEE、植野隆司(テニスコーツ)、MOROHA




ご予約は下記より

http://www.uplink.co.jp/event/2015/36176










尾崎友直『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』ジャケット


尾崎友直『メネ, メネ, テケル, ウ パルシン』

2015年3月25日(水)リリース



[アナログ+CD]

2,593円+税 ROSE187

ROSE RECORDS



SIDE-A

01.The Message

02.夏休み [Summer Holiday]

03.美術館の写真 [Photograph in Museum]

04.夕暮れ [Twilight]

05.終わり [The Last Days]



SIDE-B

06.約束 [The Promise]

07.ダニエル4章16節 [Daniel Chapter 4 Verse 16]

08.川に捨てたバス代 [The Bus Fare Thrown Into A River]

09.夏休みが終わっちゃう [Summer Holiday is Ending Soon]

10.波音 [Sound of Waves]

11.映画 [Film]

12.目 [The Eyes]



amazonでの購入は下記より

http://www.amazon.co.jp/dp/B00TJE68VI



▼尾崎友直「The Message」ミュージック・ビデオ


[youtube:FNKktBzckek]

聾の世界を「体験」する映画―『ザ・トライブ』をふたりの聾者はこう観た

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映画『ザ・トライブ』より © GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014



第67回カンヌ国際映画祭で批評家週間グランプリを受賞したウクライナ映画『ザ・トライブ』が4月18日(土)から公開される。今作は、聾(ろう)学校を舞台に、ひとりの少年が寄宿学校内の不良グループに入り犯罪や売春に手を染めていくようになる過程を、すべての出演者に聾唖者を起用し、全編手話により表現している。



webDICEでは、今作を観た牧原依里さんと諸星春那さんの対談を掲載。アップリンクの「配給サポート・ワークショップ」に参加しているふたりに、聾者の視点から、この作品の映画的手法や描かれる聾学校の生活、そして日本の聾者をめぐる環境について語ってもらった。手話による対談は、ふたりの友人の城戸さんと安部さんに同時に文字入力をしてもらいながら行った。




■手話という視覚的言語と長回し



──『ザ・トライブ』いかがでしたか?



牧原依里(以下、牧原):正直言うと、この映画を観て、「やられた」と思いました。何故かというと、映像制作者として、また小さい時から映画を観ていてずっと感じていたこと、この映画の監督は見事にやってのけたからです。また、こういう映画は、聾者が監督でないと難しいのではと思っていた自分がいましたが、それを聴者が実現してしまいました。この監督は類まれなる観察眼の持ち主だと思います。



諸星春那(以下、諸星):私の場合、芸術視点的というか、好みもあるかもしれないのだけど、作品としての質も含め、映像作品として完成度が高いと、観ていてそう感じたし……“字幕なし・言語は手話のみ”という事に関しては台詞と音楽に頼ってない事の証明でもあるし、そういった意味ではごまかしがきかないのだから……あえて、そういう表現したことで、すごいなーと。




牧原さん諸星さん

牧原依里さん(右)と諸星春那さん(左)




観終わった後に『岸辺のふたり』というイギリスとオランダで制作されたアニメーション映画を思い出したんですよね。台詞がない作品で、風景を観ている感覚にも似ていたからなのか、思い出したのかもしれない。



牧原:そうですね。この映画を語る上で、ポイントが二つあるように思います。一つ目は撮り方。二つ目は、聾者像の捉え方。話が長くなってしまいますが……この映画は長回しといった非常に大きな特徴がありますね。長回しというのは、観る人が集中力を強いられる。だから、逆に見えないところも見えるようになるといった効果が生まれると思います。この監督は、実にサイレント映画的な手法をとりますね。この映画では、起こっている出来事全てをそのままストレートに映し出している。この技法は、この監督に限らず、今まで様々な監督が行ってきていますよね。



『ザ・トライブ』がそれらと何かが違うのかというと──「聾者の生の手話」をモチーフとして使ったということ。前から常々感じていたことなのですが、手話という視覚的言語は、映像に残す時、固定と長回しの技法に適している。プレスシートに記載されていた言葉──「アクション言語」という言葉を拝借するならば、手話を話す時に、アクションのように常に身体を動かしている。顔の表情も文法の一つなので、全ての身体をフル稼働しているわけです。そんな手話を映像として撮る時、映像がぶれていると、映像と手話の動きが不和協音になって、鑑賞者──特に聾者にストレスを与えやすい。



例えば、声が伴う音声言語では、カットの切り替えの連続でも、音がひとつながりになっているので、その音を基にカットを一連として観やすいわけです。しかし、身体や顔の動きが伴う手話では、カットの切り替えの連続に非常に神経を使わなければならない。前後のカットで、その人が話す手話──表情、手の動き、身体の動き、間など。それらを巧く繋ぎ合わせる必要があるわけです。手話が言語であるが故に、ちょっとしたズレが、鑑賞者──特に聾者にストレスを与えやすい。なので、手話そのものを視覚的映像として伝えたい場合、一番効果的なのは長回しになる。



今回の場合、監督が、映画は映像的なものなのだ、ということを伝えるために使った長回しが、聾者の手話の特徴と、かっちりと嵌った。見事なまでに。監督はそういう特徴を分かっていて、計算してそういう手法をとったのかなぁ?と。



映画『ザ・トライブ』より c GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014

映画『ザ・トライブ』より © GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014




■聾学校の特徴的な閉塞感が身にしみる



諸星:そういえば、監督がキャスティングに1年かかったという事をプレスシートで読んで知ったのだけど、それに時間をかけていたことに対して、とても意味があることだなぁと。



牧原:どうしてそう思ったの?



諸星: やっぱり、聴者の役者が聾者の役をやるのはどうしても無理があると私はそう思う。演技の限度があると思うし、だから、そう言う意味では監督は自身の描く世界観に適している人、つまり、素人の聾者を探し求めていたんだなと読んで、そう思ったの。それから、『ザ・トライブ』の舞台となる聾学校の特徴というか、醸し出されているそのもの……閉塞的な雰囲気がまさにそれ。私にとってはそれがものすごーく身にしみてきたんだよね。



牧原:すごく分かりますね。聾学校を経験した人は皆共通したものを感じるのかもしれない。



諸星:聾学校の閉塞感というものは……おそらく聴者から見て、共感しにくい面もあるのかもしれないけれども、ああいう世界は未知の世界というふうに捉えているのかもしれない。



要するに、聾学校は聾者と先生だけの世界で、世間も含めて外部の世界とのつながりや関わりが薄いというものあって、ああいう特徴的な閉塞感がよく表れていると、とても実感したんだよね。



牧原:そうですね。そういう閉塞感を含めて、この映画自体が「聾者がいる!」って感じました。「聾者がいる……何が?どういうこと?」と聞かれると、上手く説明できないのだけれども……。聾学校という舞台、聾コミュニティに属している彼らが無意識に行っている行動様式、聾者の生存様式そのものをできるだけ忠実に表現しようとしている。当たり前のことなのだけれども、その当たり前のことが今までの商業映画では表現されてこなかった。だから、ウクライナ手話はわからないけど、人間としての感情を掴むことができる。何も分からないのに、手話の感情が伝わってくる。それは手話そのものを言語として、自分の血として、肉体として、骨として身に付いている聾者がありのままを演じているから。この映画は聾者なくしては成功できなかったと思う。






映画『ザ・トライブ』より c GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014

映画『ザ・トライブ』より © GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014


──ウクライナという国自体の閉塞感のようなものも、物語と作品に影響しているのでしょうか?



牧原:そうそう、私もそう思います。



諸星:同感です。特にヨーロッパでは移民問題が多く、それについて疲弊しているような印象があるのですが、社会問題を意識している方や現状について色々と知っている方なら、観ていてそういったものの何かを感じ取っているのではないかと思います。



牧原:知人から聞いた話なのですが、とあるウクライナ聾の家族は、仕事のためにアメリカに渡り、戸籍もアメリカに変えていたのだそうです。あくまでも推測でしかないのですが、物価は上がっているのに収入が下がっていくというウクライナの状態に対してそうせざるを得ないウクライナ人も大勢いるのではないかと思います。そういった意味も含めて、ウクライナという国というものがその作品にも反映されているように見えますね。今の日本では、自国に苦しんで他の国に行く、っていうのはまず一般的ではないですから。話が違ってしまいますが、「閉鎖観から逃れる」と言ったら、今思えば、私も聾学校の閉塞感が嫌で逃れたようなもの。



諸星:私も聾学校に通っていましたので、あの閉塞感が堪らなくて、将来的に先が見えない状態が嫌で、どうやっていけばよいのかわからなかったし、とにかくそこから出なきゃ!と本能的にというか危機感を持っていました。なので、あの頃はものすごく痛感していたので、観ていて、あの頃の記憶と気持ちが再び、よみがえてきて、身にしみきった感じだったな。



牧原:逆に、今まで普通学校で育ってきて、そこでリアリティを感じられなかった聾者は、聾学校に入る事で現実感を取り戻したという人も多くいると思うね。良くも悪くも、今回の作品は監督の考え方が反映されて、たまたまそういう設定のコミュニティだったということ。



諸星:映画の中に本当の聾コミュニティがそこに描かれているから、経験者の視点から観て、色々と感じる部分もあるだろうし、共感しやすいということなのかも。



牧原:うんうん。共感できる人物……私、ぶっちゃけ、小2まで聾学校にいたんだけど、自分がボス的な存在だったのではないかと思う(苦笑)。



諸星:牧原さんを見ていればわかることだわ?!今も?(爆笑)



牧原:(笑)。もしあのままだったら……って思う時もある。聾学校を否定するわけではないのですが、自分の親が聾者なので、そういう意味で視野が狭かったし、聾学校内で援助交際みたいなものも流行っていたし、暴走族っぽい所に入っている人もいた。あくまでも、私が通っている聾学校、私が育った時代がたまたまそうだっただけなので、聾学校全てがそうじゃないことを前もって説明しておきます(笑)。今の時代、聾学校はもっと変化していると思うので。で、あのまま育っていたら、と思うと身につまされる思いになるっていうのはありますね。あの頃の私は外の世界を知らなかった。そういう意味で、登場人物に共感できるというわけじゃないけど、もしかしたら自分の一部が映画の中、映画に出ている人たちに共通している部分もあるんじゃないかと思っている。微妙な共感というのもある。




映画『ザ・トライブ』より c GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014

映画『ザ・トライブ』より © GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014


■実は手話は世界共通ではない



諸星:手話は世界共通語ではないので、各国の言語があるのと同様に手話も各国の手話が実在しているけど、聴者は手話は世界共通しているという思い込みというか、勘違いがとても多いのだけど……。



私もウクライナ手話はわからないのだけど、観続けているうちによく出る手話があって、話の流れと行為の前後のあたりでその手話の意味が分かってくることもあったよね。



牧原:あったね。「美しい」とか「早く」とか。ウクライナ手話は日本手話と違って激しい!ウクライナの文化背景や生活環境から影響されているのではないかと思った。言語にも関わりがあるよね。



諸星:私が思うには聾者と聴者とも会話のスピードというか、その辺はそんなに変わらないというか、差はないのかもしれない。



牧原:そう?スピード的には、手話の方が早いと思うけども。



諸星:それは視覚的に見て、そう感じるからじゃない?



牧原:私、前に某大学に講演に行ったことがあるんだけど、その時に手話通訳者が、私の話すスピードについていくのに必死だった。それで、その講演を受講した人たちのアンケートの中に「手話って早いんですね」と書いてあった。手話通訳者の通訳が終わるのを待っていたぐらいだもん。






諸星:なるほど。講演での内容を音声日本語に置き換えると、やはり説明的な文章のように長くなりやすいのでは?



牧原:翻訳として、っていう意味?



諸星:そうそう。話す感覚としては聾者も聴者も関係なく同じという意味を言いたかったの。



牧原:言語として、って意味よね。



諸星:うん、それは母語だから。自然に話している感覚というか、聾者も聴者もそこまで意識しながら、常に話している訳ではないだろうし……なんだか話が壮大になってきたような?!(笑)。




牧原:そうだね(笑)。聾者像の捉え方について話を戻すと、この映画では、鑑賞者が透明人間になって、主人公や聾学校にいる聾者たちを追っていく、いわゆる聾の世界を「体験」する形になっている。手話を知らないまま大勢の聾者がいる所に行ったことがある人がこの映画を観たら、デジャヴな感覚が蘇るのではないでしょうか。それから、監督は聾者を撮る時に、聴者からの視点をできるだけ排除していることが分かります。できるだけ、聾学校という所にいる彼らの普段の姿を客観的な視点で撮ることを心がけていたことが映画から伺えます。そのために、役者に聾者を選んだのだろうし、聾者たちについていろいろリサーチしてきたのでしょう。だからこそ、聴者はこの映画を観ていて居心地が悪い感覚を覚えるかもしれないし、逆に聾者は共感を覚えやすいのではないかと私は思います。




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映画『ザ・トライブ』より © GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014



諸星:日本の場合、やたら、お涙頂戴的な内容や美談が多いよね?!聴者から見た聾者像が偽りそのものみたいな感じがするから、どうもね……。先入観を持った聴者が観たら、衝撃が大きいのかもしれない。



牧原:そうだね。他の映画では、「聴者の視点」から見た聾者像がある。「聾者はこうだろう、こうであるべきだ」という先入観が埋め込まれている。聴者側にフィルターがかかっている。



諸星:そういうのは色眼鏡に近いってことなのかな?



牧原:うーん、そうだね。そういった映画を観た聾者の感想は大まかに二つにわかれると思う。一つは、「おいおい」ってその映画に突っ込む、聴者からみた聾者像はこんな感じなんだ?ふーんっていう感じ。もう一つは、「聾者って頑張っているんだ、すごいと思われる存在なんだ。だから私は特別なんだ」……?ってある意味洗脳される。この二つに分かれると私は勝手に思っています(笑)。



諸星:『ザ・トライブ』の場合はどう観ている?



牧原:監督が、できるだけそういうフィルターを排除しようとしているから、そのまんまだよね?だから聾者たちの意見はいろいろ出てくるのではないかと思う。




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映画『ザ・トライブ』より © GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014


■本当の聾コミュニティが描かれている



諸星:それでは次に、《懐かしさ》についてのお話に入りましょうか?



牧原:そうですね。この映画観たとき、懐かしい感じがした。懐かしいというのは、自分が聾学校を経験したから。もし、聾学校を経験してない聾者が映画を観た場合、懐かしいというよりも、親近感……なんというか……親近感というよりも、なんだろう……うーん。



諸星:それは親密感なのかな?



牧原:まあ、聾学校を経験した側から言わせてもらえば聾者の行動そのものが懐かしいという意味ですね。聾学校の雰囲気も似ているし、なんというか……人間関係もああいう感じだし、スクールカーストが強い。というか、ボスが必ずいるよね。でもそれに関わりのない聾者が観た場合は……。



諸星:距離感を感じるかもしれないってこと?



牧原:距離感を感じるっていう意味ではない。今まで、中学や高校を舞台とした学園物語(聴者の映画)を観てきたが、私にとっては、別世界というか、夢物語って感じ。一応、私は普通学校に通った経験もあるけど、やっぱり情報が入らないし、周りが何を話しているのかも聞こえないから、友達の会話も分からない。だから、そういう学園物語を取り上げた映画は、自分がよく見る世界とは別の世界として楽しんでいた。逆に『ザ・トライブ』はいつも見ている風景そのままだから、今までにない感覚。リアリティというか。登場人物に感情移入という意味よりも、その場に対する共感。だから、聾学校の経験がない聾者でも『ザ・トライブ』を観ていると共感が生まれてくるんじゃないか?と感じた。



つまり、普通学校でリアリティを感じられなかった人でその学校を卒業した後に聾者コミュニティに加わっている人は、この作品を観たら、どこかで共感できる部分もあるんじゃないかと。もちろん、聾コミュニティに属していない聾者は、共感は持たないし、距離感を感じると思う。あと、日本手話を使っている聾者でも、ウクライナ手話が分かるか、分からないか、でもやはり見方が分かれると思います。ウクライナ手話が分かると、聾者の生存様式そのものよりも、物語の方に気がとられるから。ウクライナ手話が分からないと、聾者の存在そのものを改めて突きつけられるような感覚が生まれる。



諸星:そうだね。日本では聾者が受けた教育環境も様々とあるんだけど、聾学校育ち・聴者学校育ち・両方ともと、3つあるかなというふうに私はそう思っていて、それぞれ見方も変わってくると思う。



牧原:うんうん。





諸星:ウクライナの聾学校はあくまでも架空で、映画の中での話なんだけど、なんというか……リアリティがものすごくあって感じられた。



牧原:そうですね。まず、最初のバス降りた後の主人公が聴者と筆談する場面。観ていて、あぁ……という感じ。



諸星:それは「聾者のあるある!」という話ね。



牧原:そうそう。暴力も……聾者もまあまああるよね(苦笑)。暴力多いと思うよ。理由は聴者の場合は怒ると声大きくなったりするけど、聾者は手話が大きくなる。激しく早くなる。だからどうしても手が出てしまう。そうだね。うん。だから、聾者にとって、なんというか、聾者にとっては普通に怒っているだけなのに、聴者からみたら本格的にキレているという風に見られる。でも聾者同士は別に……って感じ。だから『ザ・トライブ』からもそういう似たような印象を受けるかも。





映画『ザ・トライブ』より c GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014

映画『ザ・トライブ』より © GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014




──諸星さんは懐かしい、と感じた場面はありましたか?



諸星:いくつかあるんですけれども……まず、最初に感じたのは給食のシーンというか食堂のシーンです。そこには重複障害者が出ていたと思うんですが、それを見て、ああ、懐かしいなと。何故かというと、聾学校には聾者だけではなく、他の障害を持った聾者も何人か居るんですね。昔、私が通った聾学校には居ましたので。あと、教室のシーンもそうでした。雰囲気もそうなんですが、机の並べ方が教壇を囲んでいるというのも、聾学校の特徴ともいえるし、それで懐かしいなと思いました。



──主人公の男の子・セルゲイは、途中から思いを寄せる女の子・アナへの執着が増して、ラストの行動に至りますが、彼の心理状態をどう解釈しましたか?



諸星:うーん、彼の心理状態に関しては共感することは正直に言ってあんまりなかったですね。登場人物の中で共感する人物は特に居なかったけれども、長回しが特徴的なので、観ている間はずーっと俯瞰的に映像を見ている感覚で、観察に近い感じでしたので、そのせいか感情移入することが薄かったのかもしれないです。



牧原:私も彼に共感はできないですね。ただ……主人公が置かれた状況や環境は分からないのですが、アナに執着したセルゲイは、それしか生き甲斐がなかったのではないかと思う。つまり主人公は視野が狭い。色々なことを知らない。だからこういう状況になった時に色々な可能性を考えることができない。耳が聞こえないが故に情報も入らないから、女の子がここから居なくなったら、自分はこれからどうしていけば良いんだ?という。そういう短絡的な考え方をせざるをおえない状況下に置かれたのかなと私は解釈した。実際に日本もそういうケースが多々ある。そういう事例を聞くと、もう少し視野が広ければ、その人を理解してくれる人がいれば、そういうことは起こらなかったのではと感じることもある。もちろん、聾者に関わらず、聴者にも言えることですけど。そういった環境や実情を、作品を通して表現しているように思いました。




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映画『ザ・トライブ』より © GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 c UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014


──最後に、おふたりの今日の言葉を借りると「聴者のフィルターがかっていない映画」を今後日本で作ることができるでしょうか?



諸星:……とても良い質問なんですが、答えようがない。うーん、強いて言うとしたら監督が聾者で、なおかつ聾者のアイデンティーを持つ人だったら作れるのかもしれない……?と思っちゃうんだけど……。



牧原:いやーアイデンティティに関わらず、それだけではもちろん無理でしょう。表現方法に関しては、聞こえる・聞こえないに限らず、客観的な眼を持てる人がこのような映画を作れるのだと思う。ただ、「聴者のフィルターがかかっていない映画を観たい」と思う人たちがいても、まずは表現者がその映画を作れる環境下にあるのかどうか、ですよ。社会福祉の視点で障害者を見ている日本人たちもたくさんいますし。それから、そのような映画を作れる日本人は、あちこちにいると思いますが、それを作れたとしても、果たして国内で受け入れられるかどうか?です。今の日本はそのような可能性を潰している。



諸星:あー、それは牧原さんが大好きなキム・ギドク監督の作品みたいなものだよね。



牧原:そうそう。韓国はまだ受け入れられている方かも。北野武監督も大好きで、『あの夏、一番静かな海。』も聴者が聾者を演じているのですが、あれはこの『ザ・トライブ』と同じように、映画は映像的なものだということを示すために作られた。なので、私はものすごく好きなんですが、あの映画を受け入れられない聾者もたくさんいるんですよね。聾者のリアリティがそこにないから(笑)。ただ、聾者の深川勝三監督(故)の作品のように、聾者たちが聾者の人生を演じ、それを聾者たちが撮った、そんな作品が、聾者聴者関係なく受け入れられた例もある。最近ではNHKで岩井俊二監督司会の、映画制作のついての番組「岩井俊二のMOVIEラボ」がオンエアされたり、映画業界の中でインディペンデントな力を求める流れが出ているようなので、表現者が諦めない限り、表現を追求していく限り、日本にもそのような映画を支援していく流れがこれから盛り上がってくるんではないかと思います。それを期待するしかないです。



(2015年3月5日、渋谷アップリンクにて 構成:駒井憲嗣)










牧原依里 (まきはらえり)プロフィール


2014年ニューシネマワークショップにて映画クリエイターコースを受講、会社勤めをしながら映像制作に勤しむ。現在、聾者の音楽をテーマにした映像詩を制作中。



諸星春那 (もろほし はるな)プロフィール


2015年 アート・アニメーションのちいさな学校 修了予定。コマ撮り制作を通して、アニメーションは命を与えて動かす事に魅力を感じて、今後も制作活動をコツコツと続ける。












映画『ザ・トライブ』

4月18日(土)よりユーロスペース、新宿シネマカリテほかにて公開 全国順次ロードショー



映画『ザ・トライブ』ポスター


聾者の寄宿学校に入学したセルゲイ。そこでは犯罪や売春などを行う悪の組織=族(トライブ)によるヒエラルキーが形成されており、入学早々彼らの洗礼を受ける。何回かの犯罪に関わりながら、組織の中で徐々に頭角を現していったセルゲイは、リーダーの愛人で、イタリア行きのために売春でお金を貯めているアナを好きになってしまう。アナと関係を持つうちにアナを自分だけのものにしたくなったセルゲイは、組織のタブーを破り、押さえきれない激しい感情の波に流されていく……。




監督・脚本:ミロスラヴ・スラボシュビツキー

出演:グレゴリー・フェセンコ、ヤナ・ノヴィコヴァ

製作・撮影・編集:ヴァレンチヌ・ヴァシャノヴィチ

英語題:The Tribe

2014年/ウクライナ/132分/HD/カラー/1:2.39/字幕なし・手話のみ
配給:彩プロ、ミモザフィルムズ



公式サイト:http:/www.thetribe.jp

公式Facebook:https://www.facebook.com/thetribejp

公式Twitter:https://twitter.com/thetribejp





▼映画『ザ・トライブ』予告編

[youtube:61Mi1bvxcsA]

知る権利を持つ市民よりも企業が上に立つ構造がGMO表示の問題なんだ

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映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より



食の安全を願う「家族」の視点により、遺伝子組み換え作物がいかに私たちの生活のなかに拡大しているかを取材し、遺伝子組み換え食品=GMOをめぐる問題点を描くドキュメンタリー映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』が4月25日(土)より公開。今回webDICEでは、日本公開にあたり来日したジェレミー・セイファート監督に、アメリカでの上映時のエピソードや、現在の全米各州の遺伝子組み換え食品の表示を巡る市民運動について聞いた。






企業により多くの生物多様性が失われている




──自身の家族の生活を通じてGMOに迫ろうと思った理由を教えてください。



ふだん家族で食べている食べものを調べてみると、農薬を作っている会社が私たちに食べものを売っている、その事に気づきました。その事態を深刻に感じ、この映画を作ることにしました。ですので、家族を巻き込んだというよりも、家族の映画を撮ることで、既に巻き込まれている私たちの問題を描けるのではないかと思ったのです。





映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』ジェレミー・セイファート監督

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』ジェレミー・セイファート監督




──制作にあたって、過去のGM作物をテーマにした作品を意識はしましたか?



デボラ・ガルシア監督の『The Future of Food』(2004年/邦題『食の未来―決めるのはあなた』)は観ましたが、あまり他の作品に影響されたくなかったので、それ以外は観ていないです。



──「モンサントは僕や子供たちに農薬を食べさせているのですね」という監督の言葉が出てきますが、今回の取材で最もショッキングだったことはなんですか?



いくつもありますが、Bt(微生物殺虫剤)や遺伝子組み換え作物が農薬として登録されていることです。そして、化学企業が私たちに彼らの作っている食品を買わせるようと、市場を統制していることです。私はてっきり自分たちの食べている食べものが農家から来ていると思っていましたから。確かに農家が作っていますが、企業がコントロールしている実態に大きな衝撃を受けました。



私は種について取材を続けていくなかで、限られた種類の作物を単一栽培する「産業化された農業」によりいかに多くの生物多様性が失われているかを知りました。



映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より




──小さいお子さんを出演させていることで、より親しみやすくこの問題を知ることができるようになっていると思います。



子どもたちとの制作は、様々なことに驚いたり不思議に思う気持ち、「センス・オブ・ワンダー」を私に取り戻させてくれました。世界の様々な問題は、この「センス・オブ・ワンダー」の欠如により生まれていると感じています。



子どもが一緒にいてくれたおかげで、常に「彼らにとって何が最も大切なのか?」を思い出させてくれました。私の想像力を解放させてくれたおかげで、このシリアスな問題を映画にするうえで遊び心を加えることができました。特に、遺伝子組み換え食物について説明するときにイラストレーションを多用したり、トウモロコシ畑をガスマスクをつけて走り回ってみたりすることで、農薬を作っている企業とオーガニックの対立構造を、ビジュアルで表現することができました。




映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より



──映画の冒頭にハイチの、モンサント社の種を焼く抗議運動を持ってきた理由は?



これこそアメリカ人が見るべき現実だと思ったからです。ハイチの人の運動と比べると、私たちがいかにGMOの現実について知らないかが分かりますし、アメリカ人が失ってしまったものを彼らは奪われないように闘っている。そして、奴隷制度とGMOは繋がっていると思います。



映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より、モンサントに反対するハイチの人々


アメリカ人の知る権利を否定する運動



──アメリカでの上映にあたっては、企業からの妨害や上映反対運動、取材した会社から「カットしろ」などの要求はありましたか?



直接的に私に対してというのはなかったし、訴訟を起こすということもなかったです。それは、映画で取り上げられている情報すべて事実に基づいていて正確だからです。ですので、やろうと思ってもできませんただ、いわゆる主流メディアが一切取り上げなかったということはひとつの現れだと思いますが、メディアはほとんどがGMO業界派です。その業界のメッセージに影響を受けていて、なおかつ、業界からお金をもらっているという状況があります。ですので、取り上げられなかったことは別に不思議なことではないんです。ひとつの例として、保守派の老舗雑誌・ニューヨーカーが私の作品を酷評したんです[『“OMG GMO” SMDH』(「GMO OMG」には呆れた[SMDH=shaking my damn head])]。それを鬼の首をとったかのように「この映画はこんなに酷評されているんだぞ」とモンサントがツイッターが流して、私の映画がいかにだめなのかを知らせようとしていました。



また、はっきりとした理由は分かりませんが、上映してくれると言っていた劇場が急遽キャンセルしてきたり、『DIVE!』という食料廃棄問題をテーマにした前の作品では、NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ/日本のNHKにあたる放送局)から何度か取材を受けたのですが、『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』では一回もオファーされなかった。モンサント社はきっとそのNPRに賄賂を贈っているんじゃないかと思います。



それから、モンサント本社のあるミズーリ州セントルイスで今作を上映するために「AMCシアター」というシネコンを借りて、地元の新聞に「モンサント社の社員は無料でご招待します」とカラーの見開きの広告を打ったですが、誰も来ませんでした(笑)。



──ミミズも害虫も土壌病原菌も一緒に殺してしまう「種子消毒」についても紹介していますが、こうしたことで豊かな土地が失われていくのではないかと危惧しています。



今回取材したなかで、土の問題は種の次に重要です。土壌そして水が良くなければ良い作物は育ちませんし、農薬会社が推進する農業は、土の健康や肥沃さをまったく考えていません。あたかも天然肥料のように製造された人口肥料によって、人体にも影響を与えているのです。



現在の農薬会社が進めているのは、未来を考えない、愚かなやり方だと思います。昔の人々たちから受け継いできた肥沃な土壌は私たちの財産です。それがどんどん失われていき、このようなやり方を続けていては、農業ができる土壌が失われてしまいかねません。



社会全体が、どうすればこの問題を解決できるか分かっているはずです。この豊かな土壌を保つために、以前よりよりよい状態にすること、そして多くの種類の作物が作れる土壌にすることです。草の根的に、そうした土を取り戻す活動が行われていることは希望だと思います。しかし、まだ小さすぎます。もっと大きい活動にしていくことが必要です。



──遺伝子組組み換えに対抗する様々な取り組みが食品産業や消費者団体により行われていると思いますが、現在監督が注目しているものは?



アメリカ国内では小規模のオーガニック農家やファーマーズ・マーケットが急激に増えています。青空市場や地域が農家を応援するCSA(Community Supportive Agriculture、地域で支える農業)、森や伝統的な農業の知恵から学んで持続可能で高い生産性を持つ生態系を作るパーマカルチャー(パーマネント[permanent]とアグリカルチャー[agriculture]を組み合わせた「永続する農業・持続型農業」という意味の造語)、ニューヨークやシカゴなどの都市部で野菜を育てようとはじまっている垂直農法など、様々な動きが起こっています。しかし、それに対して遺伝子組み換えを推進する人たちは、TPPを利用して、私たちの動きを封じ込めようとしています。




映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より



──現在のアメリカ各州の遺伝子組み換えに対抗する動きについて教えてください。



映画を撮り始めたときは、まったく話題になっていませんでした。作り終える頃にカリフォルニアの「プロポジション37」という表示を義務付ける提案がなされて、それに続いて他の州でも同じような動きが起こりました。そうしたことで次第に認識が高まってきました。私の映画もわずかですが知ってもらうことに貢献したと思います。それでも、70パーセントくらいの人がGM食品を食べながらも、そのことを知らないのではないでしょうか。



その後、バーモント州が表示義務についての法案を通過させて、義務付ける方向に進みましたが、GMA(Grocery Manufacturing Association)という食料品店とメーカーの団体にアメリカの憲法の修正条項第1条の侵害ということで訴えられました。言論の自由、自分たちにとって悪いことは言わなくていい、つまり企業にとって不利になることは書かなくてもいい、という権利を持ちだしてきたのです。




──バーモント州は既に義務化が決定しているのですか?



通過はしましたが、訴えられてしまったためまだ実現していないです。訴訟はおそらく最高裁までいくと思いますので、3年はかかると思います。さらに、業界から各州へ、通称「DARK」(Deny Americans the Right to Know、アメリカ人の知る権利を否定する運動)と呼ばれる動きが生まれているのです。





──表示の条例については、その州だけでなく、周りの州も認めないと表示しないという内容もありましたが、それも業界団体や企業の圧力によるものなのでしょうか?



それはコネチカットとメインですね。バーモントは違います。だから他の2つの州は訴えられていないのです。圧力なのかどうかは私にはわかりませんが、ただ、すごく馬鹿げたことですよね。現在、遺伝子組み換え表示の義務化に反対する「H.R.4432」という法案が提出されています。



現在20から22の州が表示法案成立へ向けて動いています。しかし、資金不足などで十分な活動ができない状況です。



──なぜ国全体で一丸となって表示へ動き出せないのでしょう?



バイオ企業のロビー団体から何千万ドルという単位の献金や広告が投入されている。全ては金です。ロビー活動をすることによって、法案が成立しないように動いている。知る権利を持っている州の人よりも、企業のほうが上に立っているという構造になってしまっているのです。



私たち一般市民は数では彼ら大企業に負けませんが、何もしないのでは意味がありません。私たちの持っている権利を放棄したら、彼らに力を与えてしまう。選択の余地がなくなり、彼らの商品を買わざるをえなくなるという事態になってしまいます。GMOゴジラが私たちを攻撃しつつあるのです。人民の、人民による、人民のための政治である民主主義があっても、参加しなければ意味がないのと同じで、食べものについても自分たちの権利を放棄してはいけません。諸悪の根源は、利益の追求、拝金主義なのです。




種子貯蔵庫も必要だが自分たちで種を守っていくことが大切




──映画の最後に、ビル・ゲイツが建設に関わったと言われる、スヴァールバル世界種子貯蔵庫が出てきますが、監督としてはこの試みは有効だと思いますか?




ビル・ゲイツのことについては、様々な陰謀論がささやかれているので、真実を知ることが必要です。あのスヴァールバル種子貯蔵庫はノルウェー政府が建設し運営していて、ビル・ゲイツは「グローバル作物多様性トラスト」に寄付をしており、この財団が種子の輸送に資金を出しているのです。




映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より、スヴァールバル種子貯蔵庫


映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より、「グローバル作物多様性トラスト」の事務局長カリー・ファウラー


彼はGMO賛成派なので、この種子貯蔵庫の輸送に関わっていることについては反対ですが、貯蔵庫自体は、災害が起こったときのバックアップとして、あってもいいと思っています。イラク戦争の時にも、イラクにあった種子貯蔵庫が失われてしまいましたし、フィリピンの種子貯蔵庫も災害で失われてしまいました。



スヴァールバル種子貯蔵庫は、各国の種子会社は品種ごとの寿命によって新しい種を提供しなければいけません。今作にも出演しているインドのヴァンダナ・シヴァは、GMOの問題について常に取り組んでいますが、彼女もインタビューしたとき、次のように語っていました。「スヴァールバル世界種子貯蔵庫は、世界の種子の1パーセントにしか貯蔵庫が扱えません。残りの99パーセントは種子を交換したり保存したりする『Seed Saving Exchange』(種子保存交換協会)といった団体のような活動が大切になってきます。そして環境の変化に応じて作物も変わってくるので、最終的には、種の安全は自分たちで守っていかなければならないのです」。





映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より、ヴァンダナ・シヴァ




(取材・文:駒井憲嗣)











ジェレミー・セイファート(Jeremy Seifert) プロフィール



1976年生まれ。2010年、初監督作品『DIVE!』は食料問題や飢餓を解決することが環境問題における抜本的な改革として紹介し、世界中の22の映画祭でさまざまな賞を受賞した。その後、制作会社コンペラー・ピクチャーズを創設。現在、映画監督として、また環境活動家として、アメリカ中を旅して、人道主義と環境問題について講演を行っている。本作『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』は2作品目にあたる。現在(2014年)、ジェレミーと妻のジェンは、ノースカロライナ州アシュヴィルにフィン(7歳)、スコット(4歳)、パール(2歳)の3人の子供と一緒に住んでいる。










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モンサントの除草剤成分に発がん性確認(2015-03-26)

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グローバリゼーションという暴力に我々はどう立ち向かうか『シティ・ファーマー:世界の都市で始まる食料自給革命』

(2015-03-09)

http://www.webdice.jp/dice/detail/4605/



巨大バイオ企業による食の支配を許すな!遺伝子組み換え食品を「家族」の視点で追求するドキュメンタリー

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』セイファート監督語る(2015-3-4)

http://www.webdice.jp/dice/detail/4614/












映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』

4月25日(土)より渋谷アップリンク、名古屋名演小劇場、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開



映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より




監督:ジェレミー・セイファート

出演:セイファート監督のファミリー、ジル=エリック・セラリー二、ヴァンダナ・シヴァ

協力:大地を守る会、生活クラブ生協、パルシステム生活協同組合連合

字幕:藤本エリ

字幕協力:国際有機農業映画祭

配給:アップリンク

2013年/英語、スペイン語、ノルウェー語、フランス語/85分/カラー/アメリカ、ハイチ、ノルウェー



公式サイト:http://www.uplink.co.jp/gmo/

公式Facebook:https://www.facebook.com/gmo.movie

公式Twitter:https://twitter.com/uplink_els





▼映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』予告編

[youtube:xJaqUDz8IdE]

共生革命家・ソーヤー海さんが語る映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』

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「URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」を発表したソーヤー海さん



書籍「URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」を監修したソーヤー海さんは、「共生革命家」という肩書で、森や伝統的な農業の方法から持続可能な生活・文化・社会のシステムをデザインする「パーマカルチャー」(パーマネント[permanent]とアグリカルチャー[agriculture]を組み合わせた「永続する農業・持続型農業」という意味の造語)という生き方を都会で広めようと、ワークショップや講演活動を続けている。今回は、4月25日(土)より公開となるドキュメンタリー映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』を観た海さんに、自身の活動を踏まえたこのドキュメンタリーの感想、そして提唱する都市でのパーマカルチャーの可能性について、逗子のご自宅でお話をうかがった。




『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』で浮き彫りになる

“大人の事情”と“子供の事情”のギャップ



──まず、『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』をご覧いただいて、いかがでしたか?



家族で種を巡る冒険をしているようだった。それから、監督の息子のフィンの種が好きというのも、とてもステキ。僕も種好きだし(笑)。種って無限の可能性を持っているからね。



きっと、モンサントや他の種子企業も知っているんだ、種は命そのもので、すごくパワフルだということを。彼らは、それらを利益にしているんだ。今の社会は、種と人との間に距離が出来てしまって、そこに企業が入り込んできている。




映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より




──確かに、アップリンクでも販売していますが、都会のショップでも種が売られるようになりましたけれど、もっと触れる機会があってもいいですね。




それから、セイファート監督の家族たちがホールフーズで買い物するシーンでもあるように、多くの人たちは企業がつくったブランドやラベルを信頼して、食べるものを選んでいる。“自然食品”の定義なんてないようなものなのに、ボトムラインが利益である企業を信頼しているってことさ。それって、大丈夫なのかな?



食料と人が直接関われていない、ここにも企業が入り込んでいる。何が一番安くて安定して供給されるかが優先事項となってしまっている。ファストフードや肉食を支える工業的大量生産、近代的な暮らしを支えるための遺伝子組み換え食品がここまで広がっていることをもう一度考えなおさなければいけないと思う。身の丈以上になった食料と人との関係を正していかないと。



──その点では、アメリカを舞台にしていますが、日本の私たちにも当てはめて考えられる作品だと思います。



この映画は、家族でその食料と人との間の問題に取り組んでいる。途中、何食べていいいか分からなくなって家族が暗いムードになったりとか、監督が食産業の裏側について本気で怒ったり、深刻なシーンも登場するけど、子どもたちがユーモアを与えてくれる。子どもの素直さに救われるんだ。



僕がいつも理解に苦しむ言葉で“大人の事情”というのがある、それって大体お金のことなんだけど、モンサントや企業がしていることは、まさに“大人の事情”。お金や利益のことが一番さ。この映画は子どもたちの視点がはいることで、“大人の事情”が浮き彫りにされて“子どもの事情”(洗脳されていない心)とのギャップが面白いね。




映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より

映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より




関心を持たない人を、

楽しく「やってみよう!」という気持ちに




──1月に「URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」が刊行されてしばらく経ちますが、読者からの反響はいかがですか?



感じるのは、今の日本ではいっぱい生き方を変えたいと思っている人がいて、ただ、どうしたらいのか分からない。それは、魅力的なオプションがないんだなと思う。本当であれば、それを自分で見つけるのがいいと思うんだけれど、生き方を変えるのは難しい。お金がもっとも大切だっていう〈資本主義教〉で育っているから、「食べていけるか心配」、そのシステムから抜けようとすると「仕事は辞めないほうがいい」「将来のことを考えろ」と周りに止められる。〈資本主義教〉のなかにいると、その外が見えないし、恐れがある。



だから知らないだけで、世界中にはいろんな魅力的な事例が実はあふれていて、それらをこの一冊に詰め込んでみた。自分で食べものを育てはじめると、ちょっとずつ買う必要がなくなっていって“消費”から自立できて、自分の手で食べていけるようになる。だから、お金を作ってそれを交換するんじゃなくて、自然と直接触れ合って、土を感じて、育てていく力を身につけていってほしいんだよね。



──ソーヤーさんがこの本で提唱されているアーバン・パーマカルチャーを根付かせるために、いま具体的に取り組んでいきたいと思っていることは何でしょう?



おしゃれなパッケージの育てやすいエディブルな(食べられる)種と、使いやすい道具です。日本の農具ってすごく使いにくい。例えば鍬(くわ)とか短くて、体格の小さい人向けに対して、アメリカ製の鍬は長いので、背筋を伸ばしながら作業できる。日本人はもともと小さい体格で、時代を経て体格が大きくなっているけれど、農具がそれに合わせて進化していない気がする。それとパーマカルチャーをしっかり身につけるための「道場」を日本で作ろうとしている。命と文化を育てられる人、特に若者をどんどん増やして行きたい。




ソーヤー海さんご自宅の庭

エディブル・ガーデン(食べられる植物を主体に植えられた庭)を実践する、ソーヤー海さんのご自宅の庭より。



水菜、ラベンダー、ネギ、パクチーを植えたガーデンベッド

水菜、ラベンダー、ネギ、パクチーを植えたガーデンベッド。



オクラの身

去年のオクラの身が乾燥したもの(自家採取のタネ)。今年庭の畑に植えられた。



紫空豆

友達からもらったという紫空豆。


スナップエンドウ

スナップエンドウ。


──例えば農具ひとつにしても、それに対して疑問を持ったり、変えようとする視点もないことが原因にありそうですね。そのように、この著書で海さんはデザインの必要性を書かれています。毎日使う道具や配置、もっと言うと生き方や街、社会のシステムに美しいデザインが必要だと感じます。



僕はもともと心理学を勉強していて、人の心に興味があるんです。この本で書かれていることは、昔から言われていることばかりで、パッケージが違うだけなんです。でもパッケージが変わらないと一般の人に受け入れ難い。そこが次の第一歩なんです。



まず興味を惹かれるかどうか。この本ではインパクトが強い写真をたくさん使っていたり、倫理的な事より楽しさ、豊かさを表現しています。そうやって、いかに一瞬でその人の意識を引き込むかが大事だと思っているんです。



──アップリンクでも映画の宣伝をするうえで、タイトルやデザインの重要性は感じています。



本の構成としては、ガーデニングやDIYの他に、心やスピリチュアルなことや、反資本主義的なことも入っている。それらは昔からある考え方だし、ラディカルで、今の消費社会ではなかなか関心を持たれない。チェ・ゲバラのTシャツと同じ感覚で、ひとつの商品としては消費されるかもしれないけれど、実際にやるところまでいき難い。そこを変えるために、いかに楽しそうに、やってみよう!という気持ちにさせるか、を考えてこの本を書きました。




「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より

「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より


「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より

「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より





今の時代は、倫理的なことって伝わらないと思う。ネットやSNSで浅く繋がっているけれど、倫理やモラルが共有されないから、完全に消費とビジネスが最優先される。もちろん、人を大事にすることや環境に配慮することは大事だけれど、やっぱり「食っていかなければいけない」、というメンタリティ〈資本主義教〉が根深くみんなの頭の中に入ってしまっている。だから、環境問題に敏感な若いお母さんと昔からの活動家以外の、あまり関心を持っていない人たち(信者)にどうアプローチしていくかが最前線だと思うし、そこが変わっていくと、また面白くなっていくんじゃないかな。



「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より

「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より




「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より

「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より





──私たちは映画を通してできることを模索していますが、震災以降、映画の上映の後、観たその場で不安な気持ちを共有しあうということがスペシャルなことだと気づきました。それに、DVDやBlu-layなど上映素材のデジタル化により、自分たちで映画を上映したいという人たちが各地にたくさん出てきたことも大きな変化でした。



声高に企業を批判する映画よりも、今、起きている出来事や新しい生き方についてを、アートな感覚で描いた作品のほうが、より広い人が共感できると思うんだ。問題を共有するって難しいことで、「悪者だ!」というメッセージだけでは、オーバーロードされている人や悪い情報の依存症になってしまっている人しか反応しなくなってしまうこともある。





「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より

「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より



「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より

「URBAN URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン」より



この本で僕が唯一不満に思っていることは、事態の深刻さが伝わらないこと。「楽しく生きよう!」ということを書いているけれど、実はすごくヤバいと思っている。みんなここに書かれていることをしっかり実行すれば変わると思うけれど、事態の深刻さと一般社会の関心の低さに愕然とする事が度々ある。



GMOだけでなく、根源的なものは企業のあり方が問題だよね。企業が持っているパワーが半端ない。アメリカの政治を見ていても、企業のトップが政治家になっている。議員を辞めたらすぐ企業にロビイストとして雇われ、労働組合や市民団体を徹底的に潰してきた。バラバラの一般市民が対抗できる相手じゃないんだ。



共に手をとって団結するということが下手になっている時代。どちらかというと個人プレーが推進されて、自分の世界に閉じこもるためのテクノロジーが大普及している。それを見直すことは、とても大事だと思っているんです。安全な食というのは生きて行く中で最重要なはず。それを思い出すために、タネを植えて、生ゴミを土に変えて、仲間とともに「株式会社日本」を本質的な民主主義に変えて行こう!



(インタビュー:松下加奈 構成:駒井憲嗣)










ソーヤー海 プロフィール



1983年東京生まれ、日本とハワイ育ち。カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校で心理学、有機農法を実践的に学ぶ。2004年よりサステナビリティーの研究と活動を始め、同大学で「持続可能な生活の教育プログラム(ESLP)」のコース運営に携わる。コスタリカで自給自足生活を学んだ後、日本へ帰国し、共生に関わる活動を中心に、東京大学大学院新領域創成科学研究科サステナビリティ学教育プログラムに参加(自主退学)。現在は「東京アーバンパーマカルチャー」を主宰し、持続可能な生活・文化・社会のシステムをデザインする「パーマカルチャー」の知恵と心を、東京をはじめ日本各地で、ワークショップなどを通じて精力的に拡げている。より愛と平和のある社会を自分の生活で実践しながら、社会に広めている。



ブログ:東京アーバンパーマカルチャー

http://tokyourbanpermaculture.blogspot.jp/










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『URBAN PERMACULTURE GUIDE 都会からはじまる新しい生き方のデザイン』

監修:ソーヤー海(共生革命家)

編:東京アーバンパーマカルチャー編集部

発売中



1,944円(税込)

184ページ

出版:株式会社エムエム・ブックス



購入は書影をクリックしてください。amazonにリンクされています。












映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』

4月25日(土)より渋谷アップリンク、名古屋名演小劇場、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開



映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より




監督:ジェレミー・セイファート

出演:セイファート監督のファミリー、ジル=エリック・セラリー二、ヴァンダナ・シヴァ

協力:大地を守る会、生活クラブ生協、パルシステム生活協同組合連合

字幕:藤本エリ

字幕協力:国際有機農業映画祭

配給:アップリンク

2013年/英語、スペイン語、ノルウェー語、フランス語/85分/カラー/アメリカ、ハイチ、ノルウェー



公式サイト:http://www.uplink.co.jp/gmo/

公式Facebook:https://www.facebook.com/gmo.movie

公式Twitter:https://twitter.com/uplink_els





▼映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』予告編

[youtube:xJaqUDz8IdE]

1983年『ワイルド・スタイル』初公開の熱気と「文化の衝突」―葛井克亮さんとフラン・クズイさん語る

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『ワイルド・スタイル』のチャーリー・エーハン監督が「文化の衝突」と形容した、原宿歩行者天国でのビジー・ビー(中央)、ファブ・ファイブ・フレディ(右)そしてロックンローラーたちのショット ©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler



1983年に公開され、ヒップホップ・カルチャーを全世界に広めた映画『ワイルド・スタイル』公開中の渋谷アップリンクにて、4月15日、映画上映&HIPHOP講座「Back to 1983 in TOKYO-あの年、東京で何が起きたのか‐」が開催された。



今作の1983年10月の日本公開時、総勢36名の出演者・スタッフが来日し東京・大阪・京都でパフォーマンスを披露、日本のヒップホップ・シーン形成に大きな影響を与えた。今回は『ワイルド・スタイル』の日本における最初の公開の宣伝をプロデュース(配給は大映インターナショナル)した葛井克亮さんと奥様のフラン・クズイさん、そして聞き手として荏開津広さん、ばるぼらさんを迎え、まだヒップホップという言葉すらなかった当時の熱気が語られた。



ニューヨークで体感した

強烈な熱気と見たことのないカルチャー



荏開津広(以下、荏開津):今日は、『ワイルド・スタイル』公開当時、東京で何が起凝っていたのか、お話をうかがおうと思います。まずは公開までのいきさつをお願いします。



葛井:『ワイルド・スタイル』との出会いは、KUZUIエンタープライズという配給会社を設立する前、1982年でした。私とフランはニューヨークでアメリカのクルーが日本に来たときや、日本のクルーがニューヨークに来たときにコーディネートする仕事をしていました。そのときに、関係が深かった映画配給会社・大映の作品で、アメリカの配給先を決める手伝いをした『雪華葬刺し』(高林陽一監督)がニューヨークの「New Directors/New Films Festival」で上映されて、57丁目の劇場に観に行ったんです。



映画『ワイルド・スタイル』トークイベントより

渋谷アップリンクのイベントに登壇した葛井克亮さん(左)とフラン・クズイさん(右)


荏開津:葛井さんは1983年の前に、映画『人間の証明』(佐藤純彌監督)のロケでサウス・ブロンクスに行かれたそうですね。



葛井克亮(以下、葛井):助監督時代に『人間の証明』のロケのため毎日サウス・ブロンクスで、周りのアパートから朝から晩まで卵をぶっかけられながら撮影していて、非常に危険なイメージがあったので、二度と行きたくない、と思っていたんです(笑)。



その映画祭の会場で、普通の映画ファンでないお客さん、42丁目に来るブルース・リーの映画を観にくるような黒人がドッとやってきたので、何だろう?と思ったら、それが『ワイルド・スタイル』で、フランとこの作品を観ることにしました。



そうしたら、1982年当時珍しい、強烈な熱気と見たことのないカルチャーに驚きました。まだヒップホップという言葉もなかった時代ですが、その数年前にジャマイカに行ったときに、ジャマイカのレゲエのDJがスクラッチをするのを見たことがあって、ビーチに行くと私のことを「ブルース・リーだ!マーシャル・アーツを教えてくれ」と人々から言われて「カラテはそんなに簡単に教えられるものじゃない」とジョークで返したことがあったのを思い出しました。このカルチャーはジャマイカからやってきたものではないか、という印象を持っていたんです。



映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC

映画『ワイルド・スタイル』より、グランドマスター・フラッシュがキッチンでDJをする場面 ©New York Beat Films LLC



ところが、監督のチャーリー・エーハンと知り合って話していると、「今までサウス・ブロンクスのストリートのキッズには縄張りがあってケンカが絶えなかったのが、地下鉄にグラフィティを描いたり、ラップやブレイクダンスで競い合うようになることで、暴力沙汰がなくなった」ということを聞いて、素晴らしい!と思いました。その映画祭には大映の専務たちも来ていたので、「ぜひ買ったほうがいい」と伝えたところ「よく分からないけれど、葛井が言うなら買おうじゃないか」ということになり、私たちが日本での宣伝のプロデュース・コーディネーターを担当することになりました。





映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC

映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC



公開にあたって、まず私はこの映画に出ているキッズたちを日本に連れてきて実際に日本の人たちに見せるのがいちばんだろうと思っていたけれど、大映のほかにスポンサーをどう探そうかと思っていました。



そんなとき、チャーリーから、池袋と渋谷の西武百貨店で行われる「ニューヨーク展」プロデューサーである高田さんを紹介されました。高田さんは『ワイルド・スタイル』に出ているようなキッズをイベントに出演させたがっていたので、「ぜひ協力させてほしい、デパートでショーをしてもらえればお金を半分出しましょう」と言われました。ところが「ツバキハウス」「ピテカントロプス・エレクトス」といったクラブでイベントをやることは考えていたんですが、デパートでイベントを行うことを、出演者たちに納得させなくてはいけない。ビジー・ビーには「そんなのやれるわけないだろ、ふざけるな!(Kiss My Ass!)」と言われてしまいした。



しかし、彼らは条件として「会場でシャンパンのモエを飲ませてくれれば出てもいい」と言うので、西武にも交渉し、出演が実現しました。



みんなを連れてくることが決まって、日程も映画のプロモーションとして東京のほか京都・大阪のツアーと、池袋と渋谷の西武でのイベントと、ブレイクダンサーとラッパーを二手に分けました。西武はグラフィティ・アートの展覧会がメインで、他にもキース・ヘリングやフューチュラやバスキアを呼んでペインティングを行いました。



映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC

映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC




エロカセットのパッケージ・フォーマットを

流用したカセット・ブック



荏開津:さらに、公開にあたって、書籍とカセット・ブックをリリースしたそうですね。



葛井:配給が決まってから公開まで6ヵ月くらいあったので、公開前に全て間に合わせようと思っていました。このストリート・カルチャーをテーマにした映画をプロモーションするときに、どうしても「ブレイクダンス」「ラップ」「グラフィティ」「DJ」というヒップホップの4大要素を説明しなくてはいけない。そこで、JICC出版局(現在の宝島社)の金田トメ(金田善裕)さんから出版を依頼されて、チャーリーと素材を集めて、『ワイルド・スタイルで行こう』というタイトルで刊行しました。友人のアーティストにデザインを依頼し、ラップも当時は今のように洗練されておらず、「朝起きて、歯を磨く~」というようなリリックだったので、これは日本語で誰かがやればいい、ということも本文に書きました。



そして、グラフィティとブレイクダンスは写真である程度見せられますが、ラップは音楽を聴いてもらわないと分からない。映画のサウンドトラックをレコードで出したいとレコード会社に掛け合いましたが、東芝でもどこの会社でも乗ってくれなかった。そこで、KUKIというAVメーカーに友人がいたので、エロカセットのパッケージを流用することを思いつきました。喘ぎ声のカセットの代りにサウンドトラックのカセットを、ブックレット部分のヌードの代りに映画の画像をレイアウトすればコストが抑えられる。ということで、このカセット・ブックを出すためにビーセラーズという会社を立ち上げ、リリースしました。



このカセット・ブックはアメリカで大ヒットしたんです。大映が配給したときは、アメリカでもまだ配給会社が決まっていなくて、日本がワールド・プレミアだった。なので私たちが作ったポスターやカセット・ブックを資料として配布するために増産したんです。現在このカセット・ブックはMoMA(ニューヨーク近代美術館)のコレクションになっています。私のニューヨークのアパートにその在庫を置いていて、そこから配給会社に自転車で運んでいたのがスパイク・リーだったんです。そこから彼と知り合って、『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』をKUZUIエンタープライズで配給することになったり、ジム・ジャームッシュやコーエン兄弟、キース・ヘリングと知り合いになりました。




映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC


映画『ワイルド・スタイル』より、コールド・クラッシュ・ブラザーズとファンタスティック・フリークス ©New York Beat Films LLC



総勢36名の『ワイルド・スタイル』クルー

来日公演珍道中



フラン・クズイ(以下、フラン):では、どうやって彼らを日本に連れてきたかを話しましょう。



葛井:最初に、出演したブレイクダンサー、ラッパー、DJ、グラフィティ・アーティストのなかで、誰を連れていくかを、私のアパートでオーディションをしたんです。



荏開津:どのような基準だったのですか?



フラン:留置所に入ったことがないこと(笑)、それから、危険と思われる人物は落としました。



葛井:彼らは「俺を連れていけ」と脅すんですが、それにめげずに選ばなければいけなかった。



フラン:いつもオーディションの後に、クローゼットの中やドアの裏側とか、一見して分からない家のいろんなところにグラフィティが描かれているのを発見しました。



みんなパスポートを持っていなかったし、出生証明書も届けられていなかった子もいたので、まず病院に行って、この人は存在するのかという書類を集めてからパスポートの申請をしなければいけなかったんです。なので、サウス・ブロンクスのクラブに自由に出入りできたのはカズ(葛井さん)だけでしたでしょうね。


荏開津:どういったクラブに行っていたんですか?



葛井:「FEVER」とかですね。来日の準備は1ヵ月くらいかかりました。私とチャーリーは、先に日本に来てインタビューを受けたりしていたので、その他は、フランとチャーリーの奥さんのジェーンが一緒に飛行機に乗って連れてきました。



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映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC


フラン:全員を連れてくるのには、様々な問題がありました。サウス・ブロンクスから出たことがなく、飛行機にも乗ったことがない。飛行機に時間通りに乗らなければいけないという考えもない。なので、飛行場に連れていくために3台のストレッチリムジンを用意して迎えに行きました。するとブロンクスではお葬式の時しかリムジンを見る機会はないので、一軒ごとにお母さんが心配して家から出てきて、「私の子供をどこに連れていくの!?」と泣き出しました。




JFK空港に着いて、30分後に搭乗口で待ち合わせ、と伝えると、36人のキッズ全員が免税店でモエのボトルを2本買っていました。私は「モエを持ち込むのはいいけれど、ドラッグを持っているなら、ニューヨークに置いていきなさい。もし東京で捕まっても知りません」と言うと、「みんな処分した」と答えました。



無事搭乗が完了し、離陸後、食事が終わるとひとりが「あと東京まで何時間?」と聞くので、私は「12時間くらいかしら」と伝えると「12時間なにをしたらいいんだっていうんだ!?」と、ポンッポンッと次々とモエを開ける音がして、JALのエコノミー・クラス中にシャンパンの匂いが充満しました。そしてひとしきりモエを飲んだ後、みんな寝てしまいました。しばらくして「あとどれくらい?」と誰かが質問するので「あと6時間くらい」と答えると、今度は「お腹がすいた」と言い始めます。スチュワーデスに食べものをお願いすると、機内からおせんべいや食べものをかき集めてくれました。



到着2時間前に再度「みんなクスリは持っていないわね?これはほんとうに重大な問題だから」と確認しました。すると、みんなごそごそとトイレに行き始めるのです。戻ってきてようやく「何も持ってないよ」と約束してくれました。その後、ラジカセを持ち出して、機内で踊りだしました。他のお客さんは不快そうで、機長が出てきて「みんなを落ち着かせてほしい」と頼まれました。さらに着陸前になると、彼らが「ヤバイ!衝突する」と叫びはじめたので、スチュワーデスだけでなく他の搭乗客も泣き出してしまいました。



(※来日したのは、コールド・クラッシュ・ブラザーズ、ロック・ステディ・クルー、ダブル・トラブル、ビジー・ビー、Dストリート、ファブ・ファイブ・フレディ、パティ・アスター、ドンディ、ゼファー、フューチュラ、DJアフリカ・イスラム、ロック・ステディ・クルーのマネージャーのクール・レディ・ルーザ・ブルー、チャーリー・エーハンと彼の妻ジェーン、フレッド・ブラスウェイト、レディ・ピンクの計36名)


©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler

東京に降り立ったドンディとフューチュラ ©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler



大盛況のイベント、そして「文化の衝突」原宿でのロックンローラーとの邂逅



葛井:ようやく日本に到着し、一行の宿泊先は、青山のプレジデント・ホテルでした。1晩経ってからマネージャーが私のところに来て、「葛井さん、ちょっとご相談があります、浴衣がなくなってしまったんです」と言うので、「部屋の浴衣ぐらいお土産に持たせたらいいじゃない」と答えると、「そうじゃなくて、倉庫の浴衣が全てなくなったんです」と。驚いて彼らの部屋を探すと、浴衣の詰まったダンボールが見つかったので、みんなを集めて「どこの部屋にあるかは分かっているから、明日倉庫に戻っていなかったら、その人はすぐにブロンクスに帰ってもらう」と伝えました。すると、次の日にちゃんと倉庫に戻っていました。


©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler

西武百貨店のイベントでパフォーマンスを行うロック・ステディ・クルー ©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler



荏開津:クラブでのイベントの反響はいかがでしたか?



葛井:「ツバキハウス」でのイベントは、ブレイクダンスとラップで1時間くらい。すごい拍手で、終わってもお客さんが帰らない。マネージャーから「もっとやってほしい」と言われて、「モエを出すならやる」ということで彼らはモエを飲みながらパフォーマンスをはじめて、今度はなかなか終わろうとしなかったこともありました。



お客さんの反応は、「見たこともないものを見た」という感じで乗りに乗っていて、泣き出す女性もいて、すごかったです。



それから大阪と京都に行きました。私とファブ・ファイブ・フレディは京都に行って、大阪にはチャーリーとフランが連れていきました。新幹線で京都に着くと、駅で女性ファンがたくさん待っていたんです。「なぜこんなにみんな来ているんだ、日本って女性ばかりだな」とファブ・ファイブ・フレディは驚いていました。



©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler

東京駅の新幹線ホームにて、葛井さん、レディ・ピンク、ファブ・ファイブ・フレディ、コールド・クラッシュ・ブラザーズ ©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler


葛井:大阪で合流してから、泊まっていたホテルの部屋からファブ・ファイブ・フレディから電話がきました。「誰かがドアを叩いている」、ドアを少し開けてみると、ファブ・ファイブ・フレディがパンツ一丁で走り回り、その後に、バットを持った男がすごい剣幕で追いかけている。しばらくしてその男が帰ると、ファブ・ファイブ・フレディとロック・ステディ・クルーの部屋に日本人の女性がひとり隠れていたのがわかったんです。おそらく、クラブで彼女をお持ち帰りしたものの、それがヤクザグループの女だったということなんじゃないか、でも真意は現在も分かりません。とにかく、イベントは大盛況でした。



ばるぼら:テレビの取材も葛井さんが全て決めたんですか?



そうですね、私がすべてブッキングしました。「笑っていいとも!」に出たときに、タモリさんがラップのものまねを一緒にやったのですが、素晴らしかったです。



ばるぼら:日本では同じ年の7月に『フラッシュダンス』が公開されて、そこに出ている主演女優のジェニファー・ビールスも「笑っていいとも!」に出演したり、原宿でパフォーマンスをしたりしているのですが、それを参考にされたのでしょうか?



葛井:それは知らなかったですね。『フラッシュダンス』は『ワイルド・スタイル』とは全く違うものだと思っていたので、意識したことがなかった。たぶん宝島が私の本を売るときに『フラッシュダンス』とくっつけたのだと思います。



ばるぼら:ヒップホップの4大要素「ラップ」「DJ」「グラフィティ」「ブレイクダンス」が日本で唱えられたのは、『ワイルド・スタイル』の宣伝のときが初めてだと思うんです。それかどなたたが最初に、言い始めたのでしょうか?



葛井:それはたぶん、私がチャーリーや、彼やファブ・ファイブ・フレディから聞いて、『ワイルド・スタイル』について書いたところから始まったんだと思います。



ばるぼら:『ワイルド・スタイル』で初めてヒップホップという言葉が使われたんじゃないかというくらい、同時期なんですよね。



葛井:たぶんその時には使われていなかったと思います。



ばるぼら:葛井さん自身はこの4大要素の要素のなかで個人的に惹かれたものはあったのですか?



葛井:ありましたよ、やっぱりブレイクダンスは踊りたいと思いました。教わったりもしたんです。でも、基本的には、ラップを歌いたいとか、グラフィティを描きたいというよりも、若者たちのエネルギー、生き様、こういうスタイルで自分たちを表現していくことに惹かれたんです。



ばるぼら:日本のブレイクダンスの歴史を調べていると、新宿・歌舞伎町のミラノ座で先行上映として行われた前夜祭で、日本側からは一世風靡が出演したほか、日本のブレイクダンサーや学生たちも手伝っていたということを読みました。その時は、ブレイクダンスに興味を持ちそうな若者たちをリサーチしていたのですか?



葛井:いえ、私たちがいちばん興味があったのは、原宿の竹の子族やロックンローラーに合わせたいということでした。それでメディアとともに彼らを代々木公園に連れていって、一緒に写真を撮りました。『ワイルド・スタイル』の連中もどこか共通するストリート・カルチャーであると思ったのか、非常に興味を持っていました。ただ、東京とサウス・ブロンクスの豊かさの違いは感じたかもしれないですね。



フラン:チャーリー・エーハン監督はこれを「文化の衝突」と呼んでいます。ロックンローラーたちのファッションがとても怖そうだったので、彼らが自分たちを脅かしている、ケンカが起こるのではとブロンクスのキッズは感じたようです。ビジー・ビーはTシャツをカットして、頭の上に載せて、ロックンローラーたちより自分が強く見せようと「ニューヨークのアーヤトッラー(イランの最高指導者)」だと言いました。そして、私たちが行った後、次の週から初めて原宿でブレイクダンスが始まったそうです。



©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler

原宿の若者たちと踊るビジー・ビー、そしてクレイジー・レッグスとレディ・ピンク ©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler


ばるぼら:1983年に『ワイルド・スタイル』が公開されて、1984年から原宿で路上で踊り始めるチームが出始めました。この頃は竹の子族とローラーはいちどピークを過ぎていたのですが、次の年からブレイクダンス・ブームが来て、歩行者天国でのダンスが再び盛り上がったようです。



フラン:東京に到着した最初の夜、みんなは遊びに行ったのですが、翌朝「どこに行ったの?」と聞くと「地下鉄に乗りに行った」と言うんです。「どうやって地下鉄が走っていると分かったの?」と返すと彼らは「地下鉄は地下鉄でしょ」と。誰にも何も聞かずに迷わず東京の地下鉄に乗ることができたというのは、ニューヨークと東京のストリート・カルチャーに何か共通点があるからではないかと思います。



荏開津:今日のお話をうかがって、『ワイルド・スタイル』が日本でのヒップホップでの始まりということで、映画が公開されたということはもちろん、クラブで出演者たちがパフォーマンスしたということも大きいのですね。



葛井:実は当時、『ワイルド・スタイル』に興味のある人は、イベントのほうに集まってしまったために、クラブは行列ができるくらい満杯でしたが、映画館は、出演者が舞台挨拶に登壇する時以外はガラガラだったんです。来日から3ヵ月後、ロードショーが既に終わっていた頃にメディアにイベントの写真が載りはじめたので、もしその後に公開されていたら、「彼らのことを映画で観たい!」と、もっと映画館にお客さんが入ったんじゃないかと思います。



ですから、こうやって32年後の東京で盛り上がっているのを見て、うれしいし、びっくりしていますね。何十年周期のサイクルなのかな、と知りたいです。



©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler

ツアーバスの前のベイビー・ラブ、DJアフリカ・イスラム、ビジー・ビー、KKロックウェル ©1983 by Charlie Ahearn Wild Style The Sampler


ポーズではなく、自然な生き方から出てきた文化



──(客席より):葛井さんが『ワイルド・スタイル』を日本に持ってきていただいたおかげで、37年間、毎日ほんとうに楽しいです。何も夢中になれなかった自分ですが、生きる意味をもらいました。そのことを御礼を言いたいです。



葛井:チャーリーにも伝えておきます。それから、今の方のお話を聞いてぜひみなさんにお伝えしたいことがあるのですが、今日私たちがここに来ているのは、楽しいことは全て参加するというのが信条だから。楽しい映画、好きな映画を配給したり、全て好きなものを自分たちが関わっていく。ただ、好きなだけでは何もなくなってしまうので、それを同時にビジネスにできないか、という発想で我々は生きています。ぜひ、楽しむだけじゃなくて、それを糧にして自分で何かやっていくほうがいいと思います。



フラン:みんなほんとうに素敵な人たちです。当時はとてもナイーブな年頃で、ただ楽しみたかったんだと思います。



葛井:自然にワイルドにしなければいけなかった。ポーズではなく、自然な生き方から出てきた文化だった。それが『ワイルド・スタイル』の魅力だと思います。現在、同じようなことをラップ・ミュージシャンを使って作っても、こういう生き様が出てくることはないでしょう。



数年前、25周年で、エンディングに出てくる野外劇場でイベントが開催されたんです。ビジー・ビーをはじめ、当時ワイルドだったキッズがみんなお父さんになって、子供を連れて来ていました、彼らの子供がブレイクダンスをやっているんですよ。現在でもコミュニケーションが続いているビジー・ビーもファブ・ファイブ・フレディも、『ワイルド・スタイル』を通して、アーティストとして成長していった。それは、単なる不良ではなく、アーティストきちんと生きているから。



フラン:会場の外のギャラリーに展示されていたラジカセを見ましたか?(「WILD “BOOMBOX” STYLE‐ラジカセで辿るHIPHOP30年の歴史‐」)当時のBボーイは有名になると、自分でラジカセを担ぐのではなく、付き人にラジカセを担がせて街を歩いていました。私たちはまだこの文化のなかで新参者でしたが、そうした人たちを見ると「この人にステイタスがあるんだ」ということが一目で分かったのです。





「WILD “BOOMBOX” STYLE」より

渋谷アップリンク・ギャラリーで4月27日まで開催中の「WILD “BOOMBOX” STYLE‐ラジカセで辿るHIPHOP30年の歴史‐」より


当時はロック・ステディ・クルーもファブ・ファイブ・フレディも知られてはいましたが、そこまで有名ではありませんでした。現在のヒップホップは自分のステイタスを誇示するためにポーズをしますが、当時は自分を強く見せるしか生きる術がなかった。そこが違いです。ジャラジャラとアクセサリーを身につけるヒップホップのファッションも、自分がお金持ちなんだとアピールするためのものではなく、ただ楽しむためにやっていたのです。



Bボーイよ、楽しみ続けるんだ

(チャーリー・エーハン監督)



──(観客からの質問):最初の、ジャマイカでスクラッチがあったというお話で、ヒップホップの歴史だとグランド・ウィザード・セオドアがスクラッチを発明したということになっていますが、それ以前に、ターンテーブル上のレコードを巻き戻すだけでなく、擦って音を出していたことが行われていたということですか?



葛井:私たちが行ったのは1978年か79年くらいです。ジャマイカの青空クラブや、サンスプラッシュでも、キュッキュッとやっているのを見たので、そこから来ているのではないでしょうか。



フラン:DJがバトルをしていました。



荏開津:ヒップホップのルーツを作ったと言われるDJのクール・ハークもジャマイカ出身ですからね。



──(観客からの質問):今回のポスターもカセット・ブックでも、主演のリー・ジョージ・キュノネスが写っていないのが不思議で、来日もしていないですよね?それは何か理由があるのでしょうか?



葛井:私は彼に会ったことがないのですが、きっと気難しい性格なんじゃないでしょうか。来日についても、もともと興味がなかったのか、オーディションにも来ていないですし。今度チャーリーに聞いてみます。



映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC

映画『ワイルド・スタイル』より、グラフィティライター・レイモンド役のリー・ジョージ・キュノネス ©New York Beat Films LL


ばるぼら:リーはグラフィティを人前で描くというのがイヤで、今作に出てくる作品も実はリーが描いていないという話もありますよね。だから、自分がアンダーグラウンドという意識があったんじゃないかという気がします。それから、チャーリー・エーハン監督とはその後、新しい映画を作る予定だということが葛井さんの本に書いてあったのですが?



葛井:あの時はチャーリーと次の作品を作ろうかという話はしていましたが、なかなか難しかった。チャーリーは『ワイルド・スタイル』一筋ですから、今でもこれ一本で生きています。



フラン:チャーリーと彼の奥さんとは映画ができたときから現在までずっと友情を築いています。チャーリー・エーハンからメッセージを預かっているので、披露します。



「私は1983年に東京に行ってからずっと大好きな街です。サウス・ブロンクスから36名のヒップホップのパイオニアを日本に連れて行って、東京の魔法にかかりました。以前ツアー・ブックに書いたこの言葉をみなさんに送ります。“グラフィティはニューヨークで最も面白いことだ。Bボーイよ、楽しみ続けるんだ”」。

──チャーリー・エーハン





映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LL

映画『ワイルド・スタイル』のチャーリー・エーハン監督(中央)そしてファブ・ファイブ・フレディ(後列)、パティ・アスター(右)、レディ・ピンク(左) ©New York Beat Films LL


※来日時の写真は『チャーリー・エーハンのワイルドスタイル外伝』より

(取材・構成:駒井憲嗣)













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ヒップホップを作っていた人たちが実際に登場、記念碑的映画を巡るトークショー・レポート
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80年代サウス・ブロンクスの熱気と美意識をそのまま封じ込めた『ワイルド・スタイル』論

ストリートの"現象"から生まれたヒップホップというカルチャー(Text:荏開津広)
(2015.3.13)

http://www.webdice.jp/dice/detail/4624/

















『チャーリー・エーハンのワイルドスタイル外伝』

著:チャーリー・エーハン

翻訳: 伯井真紀

発売中



2,808円(税込)

208ページ

PRESSPOP GALLERY




購入は書影をクリックしてください。amazonにリンクされています。












映画『ワイルド・スタイル』

渋谷アップリンクにて公開中、

他全国順次公開




sample


1982年、ニューヨーク、サウス・ブロンクス。グラフィティライターのレイモンドは、深夜に地下鉄のガレージへ忍び込み、スプレーで地下鉄にグラフィティを描いていた。レイモンドのグラフィティはその奇抜なデザインで評判を呼んだが、違法行為のため正体を明かせずにいた。もちろん、恋人のローズにも秘密だ。ある日、彼は先輩のフェイドから新聞記者ヴァージニアを紹介される。これまでに何人ものアーティストを表舞台に送り出してきたバージニアから仕事の依頼が舞い込むが、仕事として描くことと自由に描くことの選択に思い悩む……。




監督・製作・脚本:チャーリー・エーハン

音楽:ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト)、クリス・スタイン

撮影:クライブ・デヴィッドソン キャスト:リー・ジョージ・キュノネス/ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト)/サンドラ・ピンク・ファーバラ/パティ・アスター/グランドマスター・フラッシュ/ビジー・ビー/コールド・クラッシュ・ブラザーズ/ラメルジー/ロック・ステディ・クルー、ほか

提供:パルコ

配給:アップリンク/パルコ

宣伝:ビーズインターナショナル

字幕:石田泰子

字幕監修:K DUB SHINE

1982年/アメリカ/82分/スタンダード/DCP



公式サイト:http://www.uplink.co.jp/wildstyle/

公式Facebook:https://www.facebook.com/1536356179967832

公式Twitter:https://twitter.com/WILDSTYLE_movie



▼映画『ワイルド・スタイル』予告編

[youtube:nMbiL_cACrY]




10年後のスターがここから!?タナカカツキによる気鋭若手アニメーション作家を囲む夜

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右上:榊原澄人作品「Requiem Zarathustra」より 右下:榊原澄人作品「E in Motion no.2」より 左上:ぬQ作品「ニュ~東京音頭 NEW TOKYO ONDO」より 左下:ぬQ作品 チャットモンチーMV「こころとあたま」より



昨年より渋谷UPLINK FACTORYにてスタートした、クリエイター・タナカカツキが若手アニメーション作家を紹介するイベント「アニメの時間」の第2回が6月12日(金)に開催される。



前回開催時にタナカさんは、アートアニメーションがもつ魅力を「気持ちいい動き」と評した。ストーリーを意識して見るアニメーションと異なり、アートアニメーションは動きに着目し、感覚に直接訴えかける。うねるような動きはどこか自然をイメージさせ、気持ちいいアニメーションを見ると大自然にいるかのように気持ちいい感覚になる……そうか!考えるのではなく感じるのか。と思わず膝を打ったお客さんも多かったのではないだろうか。



今回は約1年越しの開催に向けて、イベントホストのタナカさんに見どころを聞いたインタビューを掲載する。



衝動だけでやらせてください、このイベントは



──約1年ぶりの開催となりますが、まずは第1回を振り返ってみてあらためていかがでしたか?



たくさんの方に来ていただいて、びっくりでした。ゲスト陣も楽しんでくれてましたね。普段、部屋にこもってコツコツ作業している方々を、いきなり聴衆の面前に晒して、精神的にはかなりの負担だったと思うのですが、よく喋っていただきました。いやぁ、でも「アニメのイベントやります」って言って、よく1回目からお客さん来てくれたと思います。ありがたいです。




タナカカツキ

渋谷アップリンクで「アニメの時間」を開催するタナカカツキ




──第1回は、タナカカツキがおすすめする若手アニメ作家がどんな人たちなのか、気になるという方が多かったんではないかと思います。



そうなってくると第2回はお客さんが減ってしまう可能性ありますよね。



white-screen.jp山本加奈(以下、山本):そんなことはないでしょう(笑)。来場者視点で言うと、テレビアニメじゃないアニメーションに興味はあるけど、どう楽しめばいいのか、見方が分からないってあると思うんですよね。美術に関しても、鑑賞するにあたってどこで知識を得たらいいのか分からないということはありますし。ですから、第1回は、「アートアニメーションをどう楽しめばいいか」を教えてくれる会ということで、来てくれた方が多かったんじゃないかと思っています。




「タナカツキのアニメの時間 第一回」より

2014年7月29日に開催された「タナカツキのアニメの時間 第1回」より、水尻自子、ひらのりょう、最後の手段、平岡政展が参加した。



──アニメーションの見方を伝えていくイベントに、ということはタナカさんも前回もおっしゃってましたね。



それは少しありますね。せっかくおもしろい作品もストーリーがみえにくかったりすると、いきなりアートの領域とかに押しやられて高踏なものになってしまう。これはアニメの楽しみ方が偏ってる、見慣れていないってことだけだと思うので、そういった作品もみんなで楽しんでいきたいですよね。そういう環境ができあがれば、良い作品に触れる機会も得らますし。お客さんも来てくれて、出演者も楽しんで、第1回目がとりあえず「ハッピー」やったんで。でもなんでハッピーか分からないんですよね、それを第2回、第3回とやっていくうちに、「これやったんかー!」ってその理由分かってくると思うんですよね。



──なるほど。タナカさんも、アニメの制作段階のように、まだ模索している状況なんですね。



そうですね。ただ、衝動だけはあります。もういい歳やのにね。衝動だけでやらせてください、このイベントは。



時代とぜんぜん添い寝してなさすぎるふたり



──今回は、ぬQさんと榊原澄人さんがゲストとして決まりましたが、どうしてこのおふたりにフォーカスを当てようと思ったのですか?



水尻自子、ひらのりょう、最後の手段、平岡政展という第1回の面々は、動くイラスト調だったり、「動き」に焦点を当てた楽しみ方を提案しました。彼らの映像は、静止画を見るだけでも、今の時代を言い得ているようなタッチや線、キャラクターだったりして、「今」を感じさせるものだったと思います。



でも、今回のぬQさんと榊原くんは、何年のいつの作品か分からないんです。時代とぜんぜん添い寝してなさすぎるんですよ。自由すぎて、放って置くといなくなると思います。だから早く誰かがイジらんと。



榊原くんは北海道の浦幌っていう牛舎しかないような所で生まれ育ち、今制作している場所が長野の山奥って。基本、人里離れすぎてる人生なんですよね。人がたくさんいる集落が苦手なのか何なのか、距離を置きたがるんですよ。物理的にだけでなく、精神的にも。朝、森の中を散歩しながらアニメーションのアイディアがバーン!と閃いたり、日々、薪を割りながら暖炉にくべて、アニメーションを制作している。「それ、2015年ですか?」っていう(笑)。




榊原澄人『Requiem Zarathustra』より

榊原澄人「Requiem Zarathustra」より


──自然の中で暮らしながら制作活動というと、かなり芸術家タイプというか、ストイックな方という印象を受けます。



山本:作品にも圧倒されると思います。彼が24歳の頃に作った『Flow』という作品があるんですが、完成度の高さに驚きました。あまり世に出てないので、貴重な上映の機会になると思います。





身体や頭がおかしくなるくらいに作業に没頭する



──では、ぬQさんと知り合われたのはいつ頃なんですか?



僕はメディア芸術クリエイター育成支援事業という助成金のアドバイザーもしているんですが、ぬQさんが助成金の申請をした際に行った面接審査がきっかけですね。それが2~3年前ですかね。その時にもう頭おかしい感じだったんですよ。



Q個展3「リョ〜ヨ〜」より

沖縄One's Room gallery & studioで開催されたぬQ個展3「リョ〜ヨ〜」より


──作品のシュールなキャラクターそのままだったんですね(笑)。ちなみに榊原さんとぬQさんは面識はあるんですか?



たぶんないと思います。まったくキャラ違うもん。榊原くんにはぬQが見えないかもしれないです。



──山から下りてきて、突然ですもんね(笑)。おふたりに共通する点とはどんなところでしょうか?



身体や頭がおかしくなるくらいに作業に没頭することですかね(笑)。ステキですよね、そういうの。でも、僕もふたりのことまだよく知らないです。だから今回もどうなるかわからない。ただ、作品はおもしろい、ものすごく強度がありますから、楽しんでいただけることをお約束します。驚愕しますよ、きっと。見た人はなんらかの意欲を注ぎ込まれるでしょう。そして、このイベントを通して、新しいアニメーション作家の姿がお披露目されることになっていくので、彼らが今後どうなっていくのかも見届けていけたら嬉しいです。10年経ってみたら、すごいスターが出てるかもしれないしね。



(インタビュー・文・構成:石井雅之/ヤマザキムツミ)










【関連記事】



「目の快楽、感覚で受け取る」タナカカツキが語るアート・アニメーションを楽しむ方法(2014-07-18)

http://www.webdice.jp/dice/detail/4304/











タナカカツキ プロフィール



マンガ家。1966年大阪生まれ。1985年マンガ家デビュー。著書に「オッス!トン子ちゃん」「サ道」、天久聖一との共著「バカドリル」など。近年では「コップのフチ子」の生みの親としても活躍する。

代表作:「オッス!トン子ちゃん」「サ道」

http://www.kaerucafe.com/












タナカカツキの「アニメの時間」第2回

2015年6月12日(金)渋谷UPLINK FACTORY



ホスト:タナカカツキ

出演アニメーション作家:榊原澄人、ぬQ

19:00開場/19:30開演

予約:http://www.uplink.co.jp/event/2015/37598

料金:入場料1,500円(1ドリンク付)

主催:white-screen.jpUPLINK

協賛:EIZO株式会社





出演アニメーション作家






榊原澄人

榊原澄人(さかきばらすみと)


北海道浦幌町出身。15歳で渡英後文化庁海外派遣生を経て、Royal College of Art(英国王立芸術大学院大学)/MA Animation科を卒業。日本に帰国後祖父の実家の牧場で肉体労働者になった後、現在は長野の山中で生活している。

http://sumitosakakibara.com/










nuq

ぬQ(ぬきゅう)



多摩美術大学大学院修士課程修了。アニメーション作品「ニュ~東京音頭」で、第18回学生CGコンテスト最優秀賞を受賞し、「第16回文化庁メディア芸術祭」審査委員会推薦作品に選出されるなど、国内外で多数上映され話題となる。アニメーションに留まらずアーティストとして幅広く活動する。

http://homepage3.nifty.com/nuQ/














▼榊原澄人作品「E in Motion no.2」(一部抜粋)








▼ぬQ作品「ニュ~東京音頭 NEW TOKYO ONDO」



『リップヴァンウィンクルの花嫁』の作り方、1万3千字 岩井俊二監督インタビュー

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映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』の岩井俊二監督



劇中、黒木華演じる七海が家庭教師を行っている少女がパソコンの向こうから七海に話しかける「東京ってどんなところですか?」。

岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』はその少女の問いの答えとして描かれているようだ。「東京ってこの映画のようなところだよ」と。

そして、今回の映画の公開の仕方は、「これが今の映画の公開の仕方」とでも言うように、映画館、テレビ、ネット、小説とマルチ・プラットフォームで物語が展開されている。

岩井監督にこの映画が出来るまでのバックグラウンドを聞きたいと思い、インタビューをオファーし、公開からひと月経った頃実現した。

『リップヴァンウィンクルの花嫁』の作り方から、世界の中の日本映画、そしてその問題点と突破口の可能性までを一気に語ってもらった。





戦略としてこのバージョンのここが違うという

情報発信をしなかった




──今回の『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、小説と映画とネット、テレビ、と様々なプラットフォームで発表するスタイルですが、これははじめから岩井さんが考えていた計画だったのですか?



そんなに緻密な計画があったわけではなくて、途中からですね。



──どれくらいの期間で撮ったのですか。



約1年を通して4、5回に分けて撮影しました。第1期を撮って、数ヵ月待ち時間があったので、その間に脚本をまた直して、次を撮る、という方法をとりました。





映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』岩井俊二監督

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』撮影現場の岩井俊二監督


──映画を撮りながら、小説も書いていったのですか?



小説は最初に書いたバージョンはあったけれど、ロケハンしたり撮影が全部終わったあとに、全部書き直しました。ロケハンや撮影には、例えば結婚式場がこうなっているとか、小説にフィードバックするのにうってつけの情報がいっぱい入っているんです。そこで、撮影と並行して小説自体を肉付けして、進化していくような作り方でした。



──小説にアウトプットしよう、というのは撮影のときから頭にあったということですね。



そうです、でも小説のフルサイズを映画にすると、2時間や3時間では済まないので、全てのシーンを撮影するかしないか、という判断が必要でした。そこで、プロデューサーの宮川朋之さんに「テレビドラマなら、そちらで反映できるから」と言われて、ドラマ分も撮れそうだということで、現場で撮れるだけ全て撮って、その後でどのバージョンをどうするかを考えるようにしました。



──それぞれのバージョンの違いは?



3時間の劇場版と2時間の配信限定版、そして全6話のドラマ版は劇場版より長いですけれど、映画のクライマックスが入っていなかったりする。つまり、どれを観ても完結しないようになっています。さらに、海外版は2時間ですがまた違っていて、いろんなバージョンを観られない人のために、ひととおり全ての要素を盛り込みました。



──去年の9月に日本でもNetflixがローンチして、hulu、Amazonプライムも台頭し、ネットで映画やテレビドラマを観る人が多くなっていますが、そこは視野に入れていたのですか?



既にそうした環境になっているので、ではどう楽しませるか、というときに、これだけプラットフォームが増えて、現場でも収集がつかなくなっているんです。ありがちなのは、制作者が「どれを観せたらいいのか」と考える。でも、全てのプラットフォームを観てもらわないと済まないような宣伝をこちらはしたかった。結果的にお客さんはひとつしか観ないかもしれないけれど、それをこちらが先読みして「どれかひとつを観てください」という言い方をしたら、必ず個別に観られてしまうし、いちばん観せたいものを観せられないという状況も生まれてしまう。




映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ



──そのために、具体的にはどんな仕掛けを考えたのですか?



まず、「このバージョンはここが違う」といった詳しい情報発信をこちらからせずに、あるバージョンを観たけれど、他の情報をみるとあれ、こんなシーンなかったけど?と観た人が気づいて焦るような仕掛けを作りました。





ひとりで書くという胆力がないと

脚本は書けない




──2005年からロサンゼルスを拠点に活動をされてきましたが、Netflixやhuluは利用されていましたか?



そうですね、普通にあるものでした。日本がいちばん遅れていますね。



──アメリカで、映画館に行って映画を観る観客について感じたことはありますか?



海外にいると、本来こうあるべき、という自分のセンサーがあまり働かなくて、それが正しいか、正しくないかの判断がつけづらい。例えば「安保法案反対」と言われると、日本人だとすごく分かるけれど、アメリカでそういう問題になっていても、他人事というか、所詮関係ないから入り込めないし、入り込む気もないし、というのがあって。だから、向こうのインフラも「こういうものなんだ」と思うだけだし、ショップでのビデオの売られ方も「そういうものなんだ」と、わりと客観的に見ていました。そのうち、レコード店もなくなっていったし、書店にもお客さんがぜんぜんいなくて、スターバックスも店のなかに人がいないので、大丈夫なのかなとは感じていました。




──海外ドラマでハマった作品はありますか?



そんなには観てなかったですけれど、当時は『ヒーローズ』くらいですかね。それから、ちょうど『ヴァンパイア』(2012年公開)のときに『トゥルーブラッド』をやっていて、観たらポルノみたいなベッドシーンがちゃんとあるような作りになっているんです。ペイTVだと、ケーブルによっては最初からそうした層狙いで、これが評判になってるのか、と驚きました。




映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ




──岩井さんの脚本の書き方は、最初にプロットを箱書きのように書くのですか。



いろいろです。プロットから始めてシナリオに移行する時もあれば、いきなりシナリオを書く場合もあるし。どうやれば映画として成立するのか、という試行錯誤は学生時代からあって、20代から40代の間ずっとそれに費やしてきました。取材したら良くなるわけでもないし、そこは自分のなかで解けていないパズルです。だからこそ、脚本を書くのは苦しくて大変な作業です。ただ、完成した作品の出来栄えは、お客さんが観て「これはつまらない」「これはおもしろい、すごいや」と分かるくらい、誰でも分かることです。だから僕もそこに照らしあわせて、実感しながら、仕上げていく。この企画も「ぜんぜんダメだな、何かが足りない、何が足りないのか」「このファクターを入れたらどうだろう」と何年かずっと苦しみ続けてきました。



──それはひとりで行う作業で、途中で誰かに読んでもらうということはしないのですか?



仕事上見せるという段取りはありますが、基本的にはひとりです。脚本は共同制作は無理です。作家が書く物語というのは、全てが繋がった一本の糸だと思うんです。コラボする場合、その糸を維持しなければいけなくて、他の人の意見を入れてしまった時点で糸が切れてしまう。そうすると、あまりうまくいかない。一見うまくいっているように見えても、持続力がなくなってしまう。黒澤明監督も数々の名作を複数のライターとのコラボで作っていたけど、メンツが変わり、やがてひとりで書くことになると、その時点ではもう、ひとりで書く、という胆力がなかったような気がします。その理由は僕は痛いほどよく分かります。あれだけたいへんな作業を人の手を借りてやったら、二度とひとりで書けなくなってしまいます。我慢して、あまりはかばかしくなくても、自分が作れる話としてここが限度、というところで終わりにしないと、次に繋がらない。漫画家さんも小説家さんも、それでやっているわけだから。そこは映画は怠けてはダメだと思います。



──脚本を、ここで書き上がった、というのは自分のなかでどこを基準にして決めるのですか?



「ここをよしとするか」という直感に近くて、100点満点の脚本はあまり作りたくないですね。むしろ60点、70点で終わりにしたいという感じはあります。そうしないと、現場がコンプリートするためだけの場所になってしまうし、誰が撮っても同じになってしまう。ただ、これでぜったい行ける!必ずこのポイントを通ると映画になる、というところは読んでいます。



──では、その脚本という道しるべを持って撮影に挑んで、そこから先は個人の胆力ではなく、映画制作は一気にチームワークになりますよね。



そうでもないですね。結局、この作品が良くなるか、悪くなるか、というのを把握しているのは監督しかいないので。みんなの手も借りますけれど、誰もそこの責任は負ってくれないですから。誰も完成形が見えているわけではないし、そこをシェアしているわけでもない。依然監督としては孤独なんです。




映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ


カメラも照明も仕上げも自分でやってます




──プロデューサーとしての岩井さんのポジションは、クリエイティブな部分とファイナンスの部分の両方なのですか?



ほぼ全域に及ぶと思います。もちろん契約書の部分もやっています。プロデューサーとしてクレジットされている日本映画放送株式会社の宮川朋之さんは全体のディストリビューションが中心です。クリエイティブな部分は僕が全部コントロールしています。



──6Kで撮影していて、神戸千木くんがカメラを担当していますが、岩井さんもカメラをまわしているのですか?



今回はほとんどないですね、ほぼ2カメで、神戸くんがメインキャメラでした。



──撮影はすごくよかったです。撮影は監督がコントロールしている部分なのですか、それともカメラマンの人とシェアしてしまうのですか?



現場ではさんざん怒りました(笑)。カメラをひとに委ねた瞬間に、画は7割くらいでOKを出さないと、ほんとうに入りたい構図に入れない。それをやりたかったら、スケジュールに余裕があれば自分で撮ったほうがいい。『ヴァンパイア』は3カメのうち1カメを僕が撮りましたが、ほかのふたりもいいカメラマンだったので、納得できない画はほとんど発生しなかった。ただ、自分がカメラをやってしまうと、フォーカスとかも担当することになって、現場を見ていられなくなるというデメリットがあったので止めたんです。自分の思惑通りの画というのは、こういうアングルで、という話ではなくて、プロのレベルでしっかり撮ってくれれば、それ以上の要求はありません。でも、日本に戻ってくるとそのクオリティが出づらい。今回は、画になったところだけを使って、あとはほとんどゴミみたいな素材、そのぐらい使えなかったです。編集の妙みたいになっているけれど、裏の画をみたら使えないものだらけですよ。日本に帰ってきたらこういう目に遭うのかと思いました。



現場のなかにカメラがいる、ということ自体をまだ分かっていない。芝居中なのに自由に動きすぎてしまうし、助手は「ここにいていいんだろうか」と逆にビビっている。だから彼には「ドキュメンタリーをやれ」って教えてるんですけれどね。ドキュメンタリーであればぜったい中断できないですから。まだ若いですし、これからじゃないですかね。





映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ


──現場のスタッフは何人だったのですか?



2カメの撮影部だけで6、7人いて、照明部がうちはいなくて僕が自分でやっています。録音も基本2人くらいで正規の録音部ではなく、アフレコ前提で撮っています。全ての音を録って帰る、と決めてしまうと、撮影現場が止まってしまう。音はここで録らなくても後でどうにかなる。もちろん使える音もあるので、そんなにアフレコは多くなかったです。低予算の場合、そういうことまで考えないと撮れないです。撮影って1時間で安くても20万円ずつくらい消えていってしまいますから、超高いタクシーか銀座のクラブですよ。無駄なことで現場を止めることがどれだけリスキーか。そんな中でスタッフに委ねすぎると監督のための時間ってほとんどなくなってしまうんですよね。だから照明も自分でやるようになったし、録音も最少人数にした。そうすると、やっと役者と監督の時間が充分とれるようになって、撮りたいものが存分に撮りきれる。どの監督にも有効とは思いませんが、僕にとってはこれが一番スッキリしたやり方でした。



──タランティーノの『ヘイトフル・エイト』に参加したプロダクション・デザイナーの種田陽平さんにインタビューしたときも「日本では録音部の力が現場で大きい」と話していました。



そこまでではないとは思いますが、現場に不満はいろいろありますよね。監督のために奉仕しない、というと意外かも知れませんが、いわゆる「おもてなし」という意味では欧米でもアジアでも海外の方が格段に監督を「おもてなし」してくれますね。日本の場合、あんまり口出しして欲しくないようなムードがある。まずは自分の仕事を全うしたい。そんな感じです。



──岩井さんが照明の機材をいじるのですか?



カメラも照明もいじるし、仕上げも全て、ProTools(音響ソフト)まで自分でやっています。基本、ひとりでできることが前提です。そのうえでひとに任せれば、どこが必要でどこが無駄か分かる。




映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ




日本の映画の現場はもっとスリム化できる






──撮影現場ではモニターを見ているのですか、それとも役者を見ているのですか?



モニターが完成品なので、モニターですね。フォーカスが合ってなかったらOKを出せない。これを他に見る人はいないので、役者の芝居を見ているだけじゃなくて、素材として成立しているかをチェックまでしなければいけない。それでも2カメになってくるとなかなか見きれないですけれどね。これが次の課題です。



──現場にはいろいろまだフラストレーションがあるようですね。



日本の現場で意味不明な幻想論をさんざん耳にしてきたけど、何の根拠なの、それって、ということばかりでした。映画に必要なものが必要だったものであって、そこに使われないものはいらないもの。そうした取捨選択をしていくと、もっとスリム化できるんです。みんなから煙たがられながら、日本でもそうしたスタイルでやっていたけれど、ハリウッドは案外僕のやり方によく似ていたし、むしろさらに合理的ですよ。本番を「よーいスタート!」とはじめて、途中で切らずに一周ぜんぶ芝居をするんですよ。でも日本ではシーンの頭から撮って、5秒くらい経つと切ってカメラポジションを変えたり、カットごとに分けてしまう。僕はぜったいそんなことはしなかったです。だってその間、次の準備までに何分取られるのか。アングル変えて計4、5回、4、5分のシーンであればカバーショットという足りないところやキメを撮っても2、3時間で終わりなのに、日本では1日かかってしまう。『Love Letter』のときは2日とかかかっていましたから。こんなムダはないですよ。だから粛清がいるなと、自分のやり方を通していったんです。最初は役者から「ワンシーンのセリフを全部覚えてないから一言ずつ撮ってくれ」とか抵抗されましたが、「うちはこうやってるんで」と言うと、みんな渋々、ぜんぶやるようになりました。



アメリカでは途中で止めるなんて考えもないし、本番中に助監督がやってきて「もう1回やるか?」と聞くんです。「ではもう1回」と言うと、カットをかけずに、2周目が始まる。役者も元の位置に戻って、3回でも4回でもやるんです。なぜ途中で止めないかというと、メイクが入ってきたりするのがいやだから。消え物とかがあるときは止めますけれど、なければそのまま何度でも撮ります。



──それは1カメではもったいないですよね。そういう場合は2カメ以上使っているのですか?



2カメもありますし、ステディカム1台のときもあります。本気で撮ろうと思ったら突っ込んでいかないといけないので、他のカメラが写ってしまい使えなかったりします。それでも1カメをメインにしておかないと。そのカメラがひとまず自分がほしい画をぜんぶ撮るので。Bカメはたまたま写っていないところに入って返しを撮るというかたちで使っているので、その面では役に立ちます。



映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ



日本人はよくも悪くも職人気質





──海外と比べると日本の映画制作は、何がいちばん問題なんでしょうか?



やっぱり、サービスということにプロフェッショナリズムを持っているかどうかなんです。自分たちがなんのためにいて、誰にサービスするためにここにいて、なんでお金をもらっているのか。海外の人はプロだから、みんな分かっている。日本人はよくも悪くも職人気質。みんなてんでに自分の仕事をしたがるし、そこを邪魔されたくない。最近の若い人は少し違うかもしれないけど。上の世代なんかはみんなそうでしたね。



──でも岩井さんも、きちんとスタッフがやっていればいろいろ言わないわけですよね。



でも、そのコミュニケーションのやり方だと、思い通りには作れないです。勝手にやってもらってるだけで、こっちは何も楽しくないし、「これでいいですか」だけ言われるから。だんだん邪魔になってくるから、自分でやったほうが早いやと。そういう意味ではハリウッドシステムも僕には無用の長物かも知れません。実際『ヴァンパイア』の時は相当自分流にカスタマイズさせてもらいました。監督にたっぷり使える時間がある、というのとぜんぜん無い、というのでは、作れるものが違ってくる。その点ではハリウッドもユニオンとか制限がたくさんあって決して使いやすいシステムではないけど、監督のカスタマイズできる部分とできない部分がはっきりしているから分かりやすい。この分かりやすいというシステムが大事です。



──俳優とのコミュニケーションについては、日本と海外は違いますか?



あまり変わらないですね。男性は日本人でも外人でもコミュニケーションを取りたがります。「筋が通ってないと」みたいなことが、監督からすると、いろんな仕事をやっていてなかなか対応できないこともある。女性は、何も言わない人が多いですね。直感でやって、直せと言われれば直す。



映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ




──6Kで撮影されたのは、後で仕上げを2Kでやるならば、後で素材をいろいろ切り取れるからですか?



そういう意識は今回あまりなかったです。『なぞの転校生』という、長澤雅彦くんとやった深夜ドラマは、2日で1本ずつ撮っていかなければならないスケジュールだったので、さすがに寄りはトリミングで切り取ろうと、引きだけ撮ることにしたんです。今回はそこまで厳しくなかったので、必要な素材は全部撮れと言いましたが、ただ手ブレがやたら多かったので、それを補正するためにトリミングしたというのはたくさんありました。スタビライザーをかけて止めるとか。普通こんなに揺れてたらダメだろって。




映画のスタッフの仕事は「全体」が分かったうえでの「部分」



──さて、その後の編集は全て自分でやるのですか?



取り込みはアシスタントがやりましたけれど、素材の編集はプレミアでぜんぶやりました。4K、6Kになると、ファイナル・カットだと10までバージョンアップしないと無理で、評判がよくないので、いまはプレミアに切り替えました。新しいソフトに切り替えるのは大変なんですけれど、すぐ慣れましたね。編集には3、4ヵ月くらいかかりました。



──脚本を書く作業と同じで、まったくひとりでやる作業ですか?



そうですね、自分で撮って帰ってきているので、その素材が何か知っているから、記録用紙がいらない。ナンバリングとか関係なく、撮ったときの日付だけあれば、繋いでいける。今まで困ったことはないです。



──音については、ダビングに入るまでの効果音などは?



助監督がやりますね。日本の音響ともやったことはあるけどあまりうまくいった試しがない。結局映画って、全体が分かったうえでの部分なんです。部分だけ知ってる人に頼んでも、だいたいトチ狂っている、それがいちばんの問題。映画はなんのために撮影があって、音にはこういう必要がある、ってどんな年寄りが来ても最後はこれを説明しなくちゃいけない。オールラウンドで勉強していない。脚本を書いたことはあるのか?カメラで何か撮影したことはあるのか?ProToolsのマニュアルを最後までちゃんと読んだことがあるのか?僕は怒るとほんと怖いですよ、呼ばなきゃよかった、これでこんな金とるのかよ、お前、って怒りながら相手が可哀想になってくる。揉め事は避けたいですよ。だから助監督に効果音を録音させるんです。





──それは日本の映画業界には、プロフェッショナルが少ないということですか?



そうとも言えないとは思いますが、プロにオーガナイズされた、プロの組織のなかにいないとなかなか体系的な教育は難しいでしょう。僕もプロじゃなかったけれど、庵野秀明さんたちと同じで、学生のときに全部自分たちで作ったことがあるというところからスタートしているので、全体が分かる。ところが、専門学校でひとつのパートだけ学んでそのまま現場に来てしまうと、それ以外のなんの知識もない。それでそのまま行ってしまっては危険ですよ。スタッフは業界によっていいとこ悪いところがあったりもします。自分に合ったスタッフを探すのも大切。制作はテレビドラマをやっている人に頼むし、カメラはできるだけドキュメンタリー系から頼んだり、照明がどうしても必要なときは、CMから呼んだり、と分けています。



映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ




──全て音の素材が助監督から来て、音楽も揃ったあと、ダビングはどこで行ったのですか?



今回ドルビーアトモスを使ったので、最終ミックスは東映のスタジオに入りました。その手前の仕上げまではハウススタジオで、僕と田辺さんという『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の頃からやっている友達とProToolsでやります。東映のスタジオではセッティングだけしてもらって、オペレーターが触ることはなく、僕らが1日とか2日で終わりです。その段階で大きな問題があったら、自分のスタジオに引き上げてしまいます。そしてまた持ち込むという。予算があまりなかったので。ドルビーアトモスはすごいですよ、音像がステレオと5.1chくらい空間の感じが違います。





日本映画界はプロデューサーがクリエイションに幻想を持ちすぎる



──配給を東映に頼んだ理由は?



プロデューサーの紀伊宗之さんが、当時はティ・ジョイで、途中から東映に変わりましたが、『花とアリス殺人事件』を一緒にやっていて、相性もよかったので、面白い人だし一緒にやることになりました。彼も革命児的で、日映の宮川さんもそうですけれど、既存を破壊できる者同士が集まれたので作れました。



──ディストリビューションに関しては、日本と海外の違いはありますか?



そんなに大きな違いは感じないです。というのは、やっぱり見積もりあっての世界、数字の世界だから、幻想のたてようがない。そういうときほど人間ってクリアになることはなくて、そこはアメリカ人とやるときでも、中国人とやるときでもそう。中国はいま国が映画製作に入ってくるので、国の意向や供託とかややこしいことはいっぱいあるんだけれど、そのひとつひとつの項目を民間の人たちが分析しきっているので、課題は分かっていて、仕事は前に進む。でも今までの日本映画は、そこがグレーな感じが多すぎたんだろうと思うんです。例えば撮影中止が起こると、確実に1社、2社が倒産の危機になる。今までのケースを見ていて、たくさんいろんな名だたるインディペンデントのプロデューサーたちがお金問題で消えていったじゃないですか。映画界にとって重大な問題です。



──どこが問題なのでしょう?



ふたつあって、ひとつはプロデューサーに資金的な責任を負わせすぎている。そういうことをやっていると、クリエイティブな才能を持っていても、潰れていってしまう。もうひとつは、その人たちの中にはちゃんとお金の勉強をしていない人も多い。それはしくじるのは当たり前だよっていう。クリエイションに幻想を持ちすぎて、現場の人たちと一緒に映画を作ってる幻想に酔いすぎていて、現実的な問題を何も把握していないから、現場のウケはいいからその期待に答えようとして情に走ってやっちゃいけない一線を踏み越えたり、いろんなことをしてしまう。そこはあくまでドライに、お金の問題として、エクセルのセルをひとつずつ勘定するようにやっていけば、失敗するはずないのに、と僕なんか思います。



映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ



──岩井さんはクリエイティブな部分とビジネスの部分、両方自分でやる。クリエイティブの部分は自主映画から続けてきたことで分かりますけれど、ビジネスの部分はどこで覚えたのですか?



それは現場です。実際に次々目の前に現れるので。それをしっかりやった結果だと思います。それは何も不思議ではなくて、映画を作るって結局、映画のなかに出てくる事象に関しては徹底的に調べて現実化していかなければいけない。自分の持ってるものさしが正しいのかどうかを確かめるには、ビジネスの領域も触ったほうがいい。ビジネスの面で自分の技術が成立するとなれば、小説で書いても間違いないはずだし。経済的裏付けを知らないで小説を書いたら、だいたい嘘になります。この主人公相当自由人だけど、どうやって生きてるの?みたいになっても困るわけで。常にほんもののビジネスの場で、自分たちがやっているビジネスを学ぶ。お肉屋さんであればお肉屋さんのビジネスをしっかり全うできていれば、ちょっとした大きな企業の論理も分かってくる。お金のことがぜんぜん分からないまま、いろんな人を取材やリサーチしても、なにも分からないですよ。でも周りをみるとなかなかそこまで及んでいる人はいないです。



──監督ではあまりいないでしょうね。



日本はそういうところがすごく子供っぽくなってしまうんですよね。それで書けるんだから、よっぽどみんな頭いいんだと思います。僕は実体験しないとぜんぜん分からないので、書けないですよ。常日頃、会社を運営したり、新しいアプローチとして海外でプロジェクトと組んだりすると、面倒くさい契約書がいっぱいくるし、見積もりも見なくてはならない。でも、それをやることでみんながどう仕事しているかというリアリティが分かって、大人社会を理解することができると思うんです。



プロで脚本をやっていたり、小説をやっていたり、助監督もそうですが、リサーチを怠るということはぜったいあってはならないことです。その技術で以って自分たちの業界をリサーチするのは当たり前だと思います。企業を舞台にした映画を作るとなったら企業を取材してできる限りつまびらかに解読するのに、自分たちの業界がどういう仕組みになっているか、案外そういう所にはなかなか踏み込まない人も多い気がします。この業界にいながら自分たちの居場所しか知らない人があまりにも多すぎる。それはまったくクリエイティブじゃないですよ。



映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ




──そうですよね、照明もいまは小さいLEDで光量が強いものがどんどん出てきているので、予算のないインディペンデントだったら、ちょっと置くだけでいくらでもいい画を作っていけるはずだから。



顔に少しやわらかい光をあてるのに、今までだったらHMIライトの5キロを持ってきて、白い膜を貼って遠目から当てて、ということをわざわざやっていたけれど、至近距離からLEDをさっと当ててあげたら、片手でOK。それは、両方のやり方を知ってるからできるんですけれどね。ただそれは経験して、手品のアイディアを考えるように、なにかうまい手はないかな、と裏をかく手はないかなと常に考えていると、こうすればいいじゃない、というのが出てくるんです。



『Love Letter』では、光が変わっていくのを止めるために、デイシーンなのに、ある屋敷を全て黒で覆って、照明を当てて作っていた。そのシーンは2日かかったんです。でも、ドラマでは同じような撮影が1時間で撮りきれていた。だからそっちに戻したらいいだけの話だ、と思えたかどうかなんです。そうするとそこの装置は全ていらなくなる。それだけで2日、3日余裕が生まれて、5、600万の貯金が貯まるので、ときどき天候待ちしても大したことないんです。



『Love Letter』のときは、それを誰も与えてくれてなかったので、好きにやっていい、と言われて、最後のほうに予算がなくなったので、大事なシーンが撮れなくなりそうになったことがあったんです。お金の計算をちゃんとプロデューサーしてくれない悲惨さを痛感したので、それから、そういうシステムはやめて、ちゃんと自分でコスト管理もするようにしました。重要なシーンは最後に回さずに後半の前半くらいにして、最後はお金がなくなったときに友達と手弁当で撮れるシーンしか残さないようにしたりとか。



コストに関しては、監督は知る権利はないので、教えてもらえないことも多い。プロデュースにコミットすることで初めて予算が開示される。委員会にコミットすることでようやくすべての情報が手に入る。『スワロウテイル』の時、アメリカで上映が決まりそうになったときに日本サイドの委員会から待ったがかかって、で結局うやむやで終わってしまったんですよ。これはなんだろう?と思っていろいろ文句を言っていたりしたんだけれど、そこで、出資して委員会にコミットしないと、そこの情報は開示されないし、コントロール権もないんだということが分かったので、『四月物語』以降はセルフプロデュースに変えて、最低限そこに干渉できる位置をとりながらやってきました。本気で、急にギアチェンジやハンドルチェンジして右に曲がりたくなったときに、動かせるためのポジションとりはすごく大事で、それは監督じゃ無理なのが、やってみて分かりました。



映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ





YouTubeやiPhoneを使った新しい子たちが

日本の映画の突破口になる



──いまは、中国での活動をされているのですか?



2つの作品をこれまでプロデュースしてきて、今度3つめをプロデュースするんです。若手の育成が主な目的です。



──そこにはロックウェルアイズがプロダクションとして関わっているのですか?



関わってないです。僕個人が行っています。なかなか同じやり方では難しくて、むしろひとりで行って見聞を広める段階です。ほんとうに、システムがどんどん変わるので、頭がいいんです。ラッキーな状況になってくるととたんに国が介入してきて、レギュレーションを変えてくる。国益を守るという意味だとほんとうにすごい国だと思います。中国では、FacebookもTwitterも使えないので後進国だと思っている人が日本では多いんですけれど、とんでもない話で、外国産のSNSを輸入していないだけなんです。共産国でそこは自由にコントロールできてしまうので、新しいものがでるとそれを全部コピーして、自分たちのオリジナルにする。YouTubeであればYoukuを出す。日本は、自由貿易のなかの闘いで負けているわけですよ。



──岩井監督はアジアの若手の支援をしているのですか?



そういう依頼は多いですね。でもあんまり教えることがないんですけど。みんな既にいろいろ知ってます。ハリウッドで勉強して帰ってきたという人も多いし。でも意外と彼らはハリウッドかぶれしていなくて、監督が脚本書いて当たり前、何なら絵コンテも描いてしまう。ハリウッドにはない発想です。「なぜそんな考え方をしているの?」って聞いたら、「みんな岩井さんの真似しているんですよ」って(笑)。そこはしたたかで、いいとこ取りなんですよ。むやみに真似しているのではなくて、ハリウッドをみてきてもなお、岩井はこう撮ってるからいいんだ、というそのしたたかさだなと思いました。日本人だと、そこから習うとそれが正しいと洗脳されて帰ってきて、それ以外の発想にならない。日本人はどこかずっと受け身なんですよね。魂を何かに預けるのが好き。人に認めて貰うのが好き。そうやってアイデンティティを形成してきた歴史があるからなかなかそこから脱却するのは難しい。



とにかく国内需要を盛り上げることについては、中国政府は積極的だから、これからしばらくは繁栄するだろうという印象を持っています。そこで日本もそれを真似しようとなったときに悩ましいのは、シネフィル的に成熟している国で政府が資金的な助成すると、観客のニーズからは確実に逸脱する。ヨーロッパでもあった現象です。資金援助を興行の失敗の尻ぬぐいに回した。作家はより自分の好きなものを自由に作れる。聞こえはいいけど、それは成熟したクリエイターの本質を知らない。観客に迎合するものなんか本当は作りたくもないのが作家ですからね。韓国も中国も,観客とクリエイターが同時に成長するタイミングと政府の支援が合致した。これが重要なポイントです。英語ではよく喩えでダイナソー(恐竜)といいますが、恐竜化した状態からどう進化していけばいいのか、というのが今後の日本映画の課題かも知れません。



──そこから抜け出るためには、どうしたらいいかを考えます。



僕も『スワロウテイル』をやったときに思いましたけれど、自分のスタイルでお客をこれ以上広げるのであれば、ぜったいどこかを劣化させなきゃ無理だって、体感で感じていたので、アメリカやアジアに行ってみたんです。同じ趣味の人間は世界中にいるはず。ならば足りないぶんは海外で補おうと。そうすれば、より自分の好きなものを自由に作れる(笑)。悪い兆候です。



映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ



──でも今回は、内容は劣化させずに、ヒットしています。



そのインディペンデントの枠では、です。映画市場がどんどんシュリンクしていくなかで、新しい映画を好きになってくれる人をどう生み出していくかは、ほんとうに課題です。僕らが若いころに大林宣彦さんが出てきたとき、カルチャーショックで、貪るように観たんです。でも、今観るとなぜっていうくらい、子供だましみたいな部分で喜んでいた。でも子供だから騙されたんですよね。面白かったんです。逆に、良くできた映画って、介入のしようがなくて、楽しめなかった。その楽しめない映画を、時間をかけて、ビスコンティとかシネフィルの人たちに教えてもらったという経験があって。でもそれって、教育の名の下には成立するけれど、いきなりは無理だし、YouTuberが作る馬鹿なんじゃない?というレベルから再スタートしないと、リセットできないのかもしれない。



稚拙なコマ撮りでも合成でもいいからどんどん遊んで、そのなかにちょっとしたこだわりや情緒や楽しさがあるような作品を、次の若い子たちがやればいい。だから僕らは悪い例で、悪い先輩だったんです。子供だましじゃないものを変に気取って、真面目なものをやったりしていたから。YouTubeやiPhoneを使った新しい子たちが新しい突破口になって、おりこうさんで世界の賞をもらうなんてことを目指さずに、広く大衆に受ける楽しいものをもっと作ってほしいなと思います。





(インタビュー:浅井隆 構成:駒井憲嗣)













岩井俊二 プロフィール



1963年生まれ。1998年よりドラマやミュージックビデオ、CF等多方面の映像世界で活動を続け、その独特な映像は“岩井美学”と称され注目を浴びる。映画監督・小説家・作曲家など活動は多彩。監督作品は『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(93)『Love Letter』(95)『スワロウテイル』(96)『四月物語』(98)『リリイ・シュシュのすべて』(01)『花とアリス殺人事件』(04)海外にも活動を広げ、『NewYork, I Love You(3rd episode)』(09)『ヴァンパイア』(12)を監督。2012年復興支援ソング『花は咲く』の作詞を手がける。2015年2月に初の長編アニメーション『花とアリス殺人事件』が公開し、国内外で高い評価を得る。










映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』

全国順次ロードショー公開中




映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より ©RVWフィルムパートナーズ



声の小さな皆川七海は、派遣教員の仕事を早々にクビになり、SNSで手に入れた結婚も、浮気の濡れ衣を着せられた。行き場をなくした七海は、月に100万円稼げるというメイドのバイト斡旋を引き受ける。あるじのいない大きな屋敷で待っていたのは、破天荒で自由なもうひとりのメイド、里中真白。ある日、真白はウェディングドレスを買いたいと言い出すが……。




監督・脚本:岩井俊二

出演:黒木華、綾野剛、Cocco、原日出子、地曵豪、和田聰宏、佐生有語、金田明夫、毬谷友子、夏目ナナ、りりィ

エグゼクティブプロデューサー:杉田成道

プロデューサー:宮川朋之、水野昌、紀伊宗之

撮影:神戸千木

美術:部谷京子

スタイリスト:申谷弘美

メイク:外丸愛

音楽監督:桑原まこ

製作:RVWフィルムパートナーズ(ロックウェルアイズ、日本映画専門チャンネル、東映、ポニーキャニオン、ひかりTV、木下グループ、BSフジ、パパドゥ音楽出版)

制作プロダクション:ロックウェルアイズ

配給:東映



公式サイト:http://rvw-bride.com/





■「リップヴァンウィンクルの花嫁 serial edition【全6話】」

BSスカパー!(BS241ch)、スカパー!4K総合(CS595ch)にて放送

※放送は終了しております



■「リップヴァンウィンクルの花嫁【配信限定版】」

各配信動画サイトより絶賛配信中

※4K版は「ひかりTV」にて独占配信中



詳細は公式サイト「on Air&Online」より各プラットフォームのサイトをご確認ください

http://rvw-bride.com/#section11






▼映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』予告編


[youtube:vqy4J9gfBcY]

小説『リップヴァンウィンクルの花嫁』



小説『リップヴァンウィンクルの花嫁』

著:岩井俊二

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1,512円(税込)

文藝春秋

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被写体を騙さなかったことなんてない―『FAKE』森達也監督&橋本佳子プロデューサーに聞く

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映画『FAKE』森達也監督(右)、橋本佳子プロデューサー(左)



森達也監督がゴーストライター騒動で話題となった佐村河内守を追うドキュメンタリー映画『FAKE』が6月4日(土)より公開。webDICEでは、無音の"音楽"映画『LISTEN リッスン』の牧原依里・雫境(DAKEI)両監督による対談に続き、森達也監督と橋本佳子プロデューサーへのインタビューを掲載する。




webDICE編集部は、今回の両氏への取材の前に、配給会社の東風に佐村河内氏へのインタビュー取材を申し込んでいたが、「本作での佐村河内さんの稼働はございません」、そして佐村河内氏が完成したこの作品を観ているかどうかについても「佐村河内さんが本作をご覧になったかこちらで把握しておりません」という回答だった。



編集部はその後、佐村河内守氏と新垣隆氏それぞれに独自にインタビュー取材について問い合わせた。佐村河内氏の代理人である秋山亘弁護士は「メールは本人に転送しているが、基本的に取材は全て断っているので、難しいと思う」という回答、新垣氏のマネージャーは「まだ本人が作品を観ていないので、作品についてのインタビューに答えられない」という回答だった。




佐村河内さんにインタビューするメディアには協力できない(森)



森達也(以下、森):今回あまり取材は受けていないんです。なぜなら「この映画のテーマはなんですか」とか、「今、佐村河内さんに対してのほんとうの思いはなんですか」とか、「ラストのあのカットの後に、何を言ったんですか」とか、そういう質問には答えたくない。でもそういう質問をしてくるメディアに答えなかったら、ふてくされてるように見えて逆効果だから、受けないほうがと思っていたんだけれど、浅井さんがインタビューしたいと言ってると聞いて、古い付き合いでもあるし、浅井さんなら鋭い質問をしてくるだろうし、しかも橋本との合同インタビューだというから、それは面白いとふたりで話をして、お受けしたんです。



でも今、僕はあきれています。ついさっき、佐村河内さんの代理人の弁護士から連絡がきて、浅井さんが佐村河内本人に取材したいと打診していると聞きました。理由は、森監督と橋本プロデューサーだけでなく、多角的にこの作品を検証したいと。そんなもの映画にとって何の意味もないし、さらになぜ、その動きをこちらに隠していたのか。とにかく僕はあきれた。映画を壊したいの。いずれ公開すれば、例えば週刊新潮や週刊文春などのメディアが、そういう取材をやるかもしれない。その覚悟はしているけれど、なぜ公開前のこの時期に、よりによって浅井さんがそんなことをするのか、その説明をしてください。



──僕も映画の配給会社をやっているので、映画を潰すつもりはまったくないし、映画を応援するためにwebDICEという小さいメディアをやっています。



森:例えば『ゆきゆきて、神軍』の公開前に奥崎謙三にインタビューしたら、原一男さんがそれを喜ぶかどうかを考えてください。とにかく不愉快です。



──監督がそう言うなら、考えます。



森:誤解してほしくないけれど、最終的には取材申請して、取材をするかどうかは、そちらの自由です。



橋本佳子(以下、橋本):浅井さんの取材を受けるかどうかは、佐村河内さんたちの判断なので、私たちがとやかく言うことではないと思っているんです。



森:でも、そういう取材をされるんであれば、今日のインタビューは受けません。



橋本:佐村河内さんとは、私たちが「映画の宣伝だから出てください」と、お願いをする関係ではありません。



森:浅井さんは分かるでしょ?ドキュメンタリーは作為なんだから、その作為の裏を検証や解明などしてほしくない。しかも公開前に。



映画『FAKE』森達也監督

映画『FAKE』森達也監督




──今日のインタビューは、前半は、森さんがトライしたけれど完成しなかった作品も含めて、『A2』以降の15年間の森さんの活動について、後半は『FAKE』について聞きたかった。もちろん「最後の12分については言わないでください」と試写状にも書いてあるし、誓約書を書いているわけではないけれど、僕も映画の配給宣伝をやっているので、マナーとして最後をバラすつもりはまったくないです。



『FAKE』は、観る側が試されているな、と感じました。僕の立場は、映画のプロデューサーであり、配給会社も劇場もやっているだけれど、今日は、webDICEというメディアの編集者として来ました。森さんが何かの本に書いていたように、ジャーナリストは一線を越えることができる。ならば僕は編集者という立場で森さんや佐村河内さんに取材申請を出すことができるので、それを受けるかどうかは相手次第です。



配給会社の東風によると、佐村河内さんは映画を観たか観てないかも分かりません、という話だったので、音が聞こえないということであれば、字幕が入っていないと彼は手話通訳を介さない限り分からないと思ったのです。日本語字幕版が完成したら、僕らは別に、聾者の牧原さんと雫境さんが監督した『LISTEN リッスン』という映画を上映するので、スキャンダルな作品としてではなく、音楽家の映画だからふたりに日本語字幕入の本編が完成したら観てもらってレビューを書いてもらいたいと思っています(「佐村河内騒動描く森達也監督『FAKE』、無音の"音楽"映画『LISTEN リッスン』の聾監督はこう観た」)。




察するに、佐村河内さんは日本語字幕入りの本編ができていないのだから、作品を観ていないのだろうなと。ただ、森さんが仕掛けてきたものを、うぶに「そうですか」と受け取るわけにもいかない。だって「ドキュメンタリーは嘘をつく」と宣言している監督の作品をそのまま観るほど、森さんの作品を観て本を読んできた僕らはうぶじゃない。であるならば、編集者のポジションとして、佐村河内さんに意見を聞くのもありかと思ったんです。



森:途中までは分かるけれど、であれば、一線を越えて佐村河内さんにインタビューする浅井さんに対して、僕は不快です。やるのは自由です。勝手にどうぞ取材を申請して交渉を進めてください。ただし僕はあなたの取材を受けません。



──佐村河内さんをインタビューするメディアには協力できない、ということですね。



森:できないです。



──新垣さんは?



森:新垣さんはどうでもいいです。



──「ドキュメンタリーは嘘をつく」と森さんは宣言されているのですから、観客だけの一方向の視点だけではなく捉えたかった。別に真実探しをするつもりはまったくないですよ。



橋本:多角的に、というのは、具体的にどういうことですか?佐村河内さんや新垣さんに取材をして、いろんな角度からこの作品を取り上げるということですよね。私と森さんは制作者、被写体になっている佐村河内さん、サブで被写体となっている他の出演者の方々という意味で多角的に、ということですか?



──そこまでたくさんでなくても、映画の核になっている佐村河内さんと新垣さんに話を聞こうと思いました。



橋本:新垣さんは試写会には来ていません。映画を観てません。



──新垣さんの事務所とは連絡をとっていて、事務所の方は、本人はご覧になっていないと言っていました。



橋本:新垣さんのお兄さまと、事務所の方は来ています。



──だから、『ゆきゆきて、神軍』の場合は特別だけれど、アップリンクもドキュメンタリーを配給していて、監督と被写体だったら、被写体はプロモーションに出てきたりすることは多いです。でも、この映画はそうした作りになっていないことは百も承知です。であるならば、森さんの意見を、事の核心を聞き出すということではなくても、それを聞いて載せるのは、亡くなっている人ではなく生きている人だったら、メディアとしたら両者の意見を並列に表記するのは、そんなに不思議なことではないと思います。



森:だから、ワイドショーとか雑誌メディアなどがいずれやるだろうと僕は思ってるよ。なんで浅井さんがそれをやるの?メディアとしたら、と浅井さんは今言ったけれど、何十年も映画と共に生きてきたあなたなのに、なぜそんなことがわからないの? 充分に鋭い質問できるはずだよ。それをやらずして、佐村河内さんや新垣さんに裏を聞きにゆくと言うのであれば、なんでそんなに安易なんだとあきれます。



──森さんのインタビューをしたうえで聞きに行くというのは安易でしょうか?森さんが不快だとおっしゃったので、インタビューをやる、とゴリ押しをしているわけではありません。



森:だったら受けないですよ。浅井さんは何をしたいの?少し極端に言えば、公開前の手品を取材して、「こんなトリックがありました」と裏を暴いてどうするの?念を押すけれど、映画は手品とはぜんぜん違うし、トリックの意味も違う。例えば僕は、編集で落とした映像を公開することは絶対にしない。ありえない。時おりそういう人がいるけれど信じられない。それは映画の作為、仕掛け、トリックを暴いてしまうから。極端な話だけれど、それに近いよ。



──トリックがあるかどうかさえ僕らは分からないですよ。



森:当たり前です。編集におけるモンタージュやインサートもトリックです。勘違いしないでほしいのだけど、そのレベルでトリックと言っているのだからね。それをこの場で丁々発止浅井さんが聞いてきて、こちらもときにはのらりくらりしたり考え込んだり、今日はそんな取材ができるのかなと思って、来たんです。



──確信犯的に森さんはやっているに決まっているから、トリックはあるでしょう。



森:人の話を聞いてください。モンタージュやインサートや時系列の入れ替えなどは当たり前だと言っています。その集積が映画です。でも佐村河内さんに話を聞く、ということは、その裏事情を質問することでもある。ならば今の時点でその行為は作品を壊します。もう一度言うけれど、いずれメディアはそれをやりますよ。それを止める権限はこちらにないし、佐村河内さんが取材を受けるなら別にどうぞ、という話になるけれど、僕がいちばん腹が立つのは、なぜ浅井さんがそれを、しかも公開前のこの時点でやるのかです。まったく理解できない。映画に関わる人の行為とは思えない。



──要するにこの映画は、様々な社会問題がこれだけあるなかで、別に佐村河内さんの耳が聞こえようが聞こえまいが、あるいは、彼が作曲する能力があろうがなかろうが、僕らの生活に何の関係もない話で、もっと大事なことは、社会にたくさんあると思う。でも森さんがそれを撮るということは、この作品は、そんな佐村河内さん本人の問題より、観る側のリテラシーに問いかけていると思った。僕が一観客ならば混乱して、観終わった人と「あれってどうだったの?」という話をすると思います。ただ、さっき言ったように、腕章しているわけではないけれど、小さいメディアだけどメディアを名乗れば、取材申請もできるし、掲載することもできるんだったら、種明かしをしたいのではなく、映画について自分の疑問を聞きたい。佐村河内さんに会って「ほんとうは耳は聞こえるんですか」といった愚問ではなく、この映画を作っていくプロセスについて聞くのは、そんなに、週刊文春的ですか?



森:まったく同じです。一観客じゃない、と言ったけれど、一観客だったらこんな設定できないでしょう。だからこの段階で一観客ではない。



──そうです、映画メディアが当事者に話を聞くのはありではないですか。



森:ありじゃない。それだったら僕は闘います。映画を壊す行為だもの。もちろん、どんな話を佐村河内さんとするかどうかはまだ分からないですよ。接触して、それがパブリックになる段階で、僕にとってネガティブになります。というか、浅井さん分からないかな。映画という作品があって、被写体がそこにいて、それを僕は出したんです。本音を言えば、被写体について作品以外の部分を一切出したくない。



──でも彼も生きているし、生活している。



森:もちろん、だからそれは彼の自由だし、浅井さんの自由です。であれば、僕はこれには協力しません、ということです。



──要するに、この映画に関して、配給・製作サイドからは一切、彼のコメントは出てこないということですね。普通、生きている被写体であれば、何らかのコメントなりは出すじゃないですか。出さない場合もあるんだろうけれど。



森:配給・製作サイドからは、映画で全て語っているから。僕だってインタビューもあまり答えたくないんです。それは浅井さん、分かるよね。映画を撮って、映画がそこにあるなら、あとはそっちで勝手に解釈してくれればいい、と本当は言いたいけれど、そんなこと言ってたらパブリシティが出ないから、渋々やってるわけですよ。でも浅井さんだというから、ぜったい面白い取材になるね、ということで来たんです。でもそれが、来る直前に佐村河内にインタビューを依頼している、というのが分かって、なんだよそれはって。



──橋本さんはどう思うんですか?誤解しないでほしいのは、ゴリ押ししたいのではなく、考え方を理解したいだけなので。



橋本:このやりとりだけでも充分面白い記事になりますね(笑)。というのは置いておいて、事実だけ言います。佐村河内さんのメディアへの取材依頼は、担当の秋山弁護士さんを通じるんです。公開が決まってからは映画に関する取材もあるので、私たちにも「映画についてこういう取材依頼があります」と一報をくれるので、それで浅井さんの佐村河内さんへの依頼を知ったのです。同時に、佐村河内さんご自身からも「秋山さん経由でアップリンクの取材依頼が来たけれど」と連絡が来たので、森さんと共有しました。取材依頼書に「多角的」とあったので、多角的というのは佐村河内さんだけではないかも、という話をして、とにかく浅井さんに聞いてみようと。森さんの話に製作者の私が補足するインタビューで記事が出る場合と、そうではなくて、その記事全体が多角的に作られる場合とでは、取材を受ける側としての考え方が違うと思うんです。



──橋本さんは製作者として、佐村河内さんに僕がインタビューをするということは反対ですか?



橋本:この作品にトータルに関わってきた者としては、一概に反対ではないです。



──おふたりは意見が違うということですか。



橋本:ただ、佐村河内さんがどのようにメディアに登場されるかに関しては、インタビューに出ることが反対とかwebDICEに出ることがどうなのか、ということではなく、私はものすごく関心を持っています。なぜかというと、佐村河内さんはずっとメディアのインタビューを受けていないんです。インタビューを受けたのは、映画に出てくるフジテレビの報道番組の1年ちょっと前に出たインタビューと、デビッド・ディヒーリたちが取材をしていた海外の雑誌「NEW REPUBLIC」、そしてビッグコミックスペリオールで連載中の吉本浩二さんのルポマンガ「淋しいのはアンタだけじゃない」の3つだけです。



佐村河内さんと私たちは、利害関係が一致しているわけでもないです。ただ、佐村河内さんがどういうメディアに次に出て、どういう発言をするかは、映画で関わった者としてはたいへんな関心を持っています。



浅井さんが今インタビューをお申し込みになっているこのことに、佐村河内さんが出たほうがいいか、出ないほうがいいか、ということに関しては答えを留保します。




映画『THE FAKE』橋本佳子プロデューサー

橋本佳子プロデューサー

この映画をどう検証してもいい、

そのことで映画が壊れるとは思っていない(橋本)





──配給会社はどう考えているのですか?



木下繁貴(配給会社東風代表 以下、木下):スタッフの酒井からメールで回答させていただいているように、この映画に関しては佐村河内さんにパブリシティへの取材協力はお願いしていないし、協力していただく予定はございません。



橋本:ですから直接、取材依頼をしたんですよね。私は佐村河内さんがいろんなインタビューを受ける・受けないに対して製作サイド側が注文つけられる筋合いでもないし、佐村河内さんが出たいというものに対して出て欲しくないというのも、出たくないものに対して出てほしいという立場でもない。ただ、どういう風に出るかに関しては、とても関心を持っています。



先ほどまで、佐村河内さんがwebDICEに出るということを知らなかったので、それについては、どういう風にジャッジをしたらいいかは吟味する時間がないです。



──わかりました。森さん、僕の基準はぜんぜん別なところにあって、森さんとの友情というか、同じ土俵でやってきた同士だと思っているので、であれば、そっちをとるしかないですよ。メディアの論理といったことは別にして、森さんがイヤだと言うならそうします。



橋本:私も昨日から、森さんと浅井さんの深い話をすごく楽しみしていました。



──僕も同じです。



橋本:それなのに、つい1、2時間前に秋山弁護士から連絡があったので「なんなの、それ」という話になったという状況です。



──率直に言えば、森さんに騙されたくないなと思ったんです。この映画を観て、メディアの特権としてインタビューを申し込んで、観客にできないところをやらせてもらえるということだったので。映画を観ているだけだと、答えは当然出ないままで、森さんの術中にはまったままで、ちゅうぶらりんでこの映画を観た人と話すしかない。でも森さんと話す機会を与えられても、マナーとして、「実はあれはどうだったんですか」と聞くことは、インタビューする側としてもかっこわるい。でも、そうすると、いい意味で騙されたまま記事を書かなければならないな、と思ったんです。そこが若干、自分としては正直に言えば癪だなと予想できた。なので、事実の補強ではないけれど、他の人の観方はどうなのか、というところを聞いてみたいと思ったんです。それは、数人のライターと座談会形式で観方の違いを語ることもできるだろうけれど、もうちょっと、自分たちのメディアとして取材申請できないことはないので、だったらやってみようと思ったんです。好奇心です。



森:だから、僕はそれを止める権限もないし、どうぞやってください、ですよ。ただならば、これは受けないです。浅井さんは「騙されっぱなしでいいのか」と言ったけれど、それはこっちはそうしたいよ。



──(笑)。



森:騙すって言葉が適当かどうかは別にしても、実はそんなにこの映画は、そのレベルで嘘をついていないよ。どうも過剰に考えすぎている。けれど、悔しいという気持ちも分かるけれど、じゃあ悔しかったら、はい、これがトリックですよ、と出したくないというのは分かるでしょう。だったら「他の人に話を聞いてくるよ」と言われて、「ちょっと待ってくれよ」とこちらが言うのは当たり前じゃないですか。とてもシンプルですよ。だから、やりたいならどうぞ。たぶん浅井さんがやらなくても、きっとどこかがそのうちやるでしょう。特に公開が始まれば。



──やるでしょうね。



森:新垣さんのインタビューが出るかもしれないし、神山典士さんのインタビューが出るかもしれない、それはいいよ。ただ、もう一回言うけど、なんで浅井が?って僕はさっき思ったよ。なんで映画壊すの?って思った。



橋本:あの、ちょっと違うと思います。別にいろんなところが検証してもよくて、あまりそのことで映画が壊れるとは思っていないので、怖くないです。そんなことではこの映画は壊れないと思っています。でもだからといって、どうぞ取材にじゃんじゃん行ってください、というのではないですけど。



森:だから今言ったように、そのレベルの嘘などついてない。別に恐れていない。ただ一言にすれば、とても不愉快です。『A』のときも、荒木さんとふたりでインタビューを受けてほしいと言ってきたメディアが複数あって、あきれながら断ったけれど、浅井さんはその気持ちはわかるよね? 理屈じゃないです。気分の問題です。それはやっぱり、今日の取材を楽しみにしていただけに。



──僕も取材する立場で、楽しみにしていましたから。じゃあ、佐村河内さんには取材しない、ということで、インタビューをはじめていいですか。



森:だったら受けます。



【森さんは一時退席】










──webDICE以外にも、佐村河内さんにはたくさん取材依頼は来ているんですね。



橋本:そこは配給の木下さんにお願いしています。でも佐村河内さんは基本的に受けないので。あれから2年経って、先ほど言った3件しか受けていないです。自分がそんなにしゃしゃり出て、いろんなところで自分のことを主張する立場でもないと、言ってました。



ある人物ドキュメンタリーを撮ったとき、その被写体の人と監督とが一緒にキャンペーンしたりというのは『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎』のときもそうだったし、よくあることなので、浅井さんが、今回、特殊なことをされているとは、私は思っていないです。



──佐村河内さんは、この映画についてハッピーなんですか?



木下:どういう風に見えましたか?



──分からないです。



橋本:この質問には、私ではなく監督が答えるほうがいいと思います。










【森さん戻ってくる】



──では佐村河内さんにインタビューしないということを約束します。今までのやりとりは掲載してもいいのですか?オフレコですか?



森:ほんとうにしつこいやつだなぁ(笑)。




──僕もお金と時間をかけた作品を潰すつもりはまったくないし、配給会社の社長として分かるし、応援するつもりでwebDICEは作っているし、監督にインタビューするときにも、自分が面白いと思った監督にインタビューしに行っているので。ただ、今回は初めてのケースなので。



森:単に「不快だ、と森が言った」というのでとどめてくれるならOKです。



橋本:さっきのことがもう一回聞きたかったら、今から仕切り直して、もう一度聞いたらどうですか。その方が後でもめないと思います。



森:騙す・騙されるという言葉が一人歩きしてしまうのが怖いから、そのへんはなしにして、「被写体にインタビューされることを森は頑強に否定した」で、それは出してくれてもいいですよ。……出したいなら。あんまり出してほしくないけど。



──分かりました。では、始めます。






オウム事件以降、日本は“集団化”への道を辿った(森)






──試写状にも森監督の熱いメッセージが入っていて、試写状にこういうメッセージがあるのは珍しいですよね。







多くの人にご無沙汰しております。森達也です。

肩書の一つは映画監督だけど、4人の監督の共作である『311』を別にすれば、本作『FAKE』は15年ぶりの新作ということになります。「下山事件」に「中森明菜」、「今上天皇」に「東京電力」など、撮りかけたことは何度かあったけれど、結局は持続できなかった。

でも今年、やっと形にすることができました。映画で大切なことは普遍性。入口はゴーストライター騒動だけど、出口はきっと違います。誰が佐村河内守を造形したのか。誰が嘘をついているのか。真実とは何か。虚偽とは何か。そもそも映画(森達也)は信じられるのか……。

視点や解釈は無数です。絶対に一つではない。僕の視点と解釈は存在するけれど、結局は観たあなたのものです。でもひとつだけ思ってほしい。様々な解釈と視点があるからこそ、この世界は自由で豊かで素晴らしいのだと。

僕がドキュメンタリーを撮る理由は何か。もちろん一つではないけれど、最終的には「見て見て!こんなのできたよ!」です。すべての人に「見て見て!」とお願いしたい作品になりました。

(以上、『FAKE』試写状より引用)





森:蛇足ですよね。僕もそう言ったんだけれど、配給からぜったい入れろと言われて。



──それは充分伝わりました。15年ぶりの作品ということで、オウム事件から今年で21年。20年のときに森さんはイギリスにシンポジウムのために行かれて、オウム事件からの20年で日本がいちばん大きく変わったかについて、どう答えられたのですか?海外の人は、どういう風に日本が大きく変わったと分析しているのでしょうか?



森:イギリスではオックスフォードやマンチェスターにエジンバラなどいくつかの大学で、『A』の上映と、その後のシンポジウムに参加しました。そもそも、なぜオウム事件から20年のシンポジウムがイギリスで行われたのか、というと、やっぱりISの存在です。ISはアラブ圏以外の国からも多くの人が参加しているけれど、イギリスは最も多いんです。つまりテロの被害国であると同時に加害国でもある。でも被害意識ばかりが突出して、大きく国の形が変わろうとしている。この局面をどう考えるか、というときに、20年前の地下鉄サリン事件とその後の日本社会の変化は非常に大きなキーワードであると、そういう認識をイギリスの研究者は持っています。



言い換えれば、オウム以降、日本社会がどのように変質したかを検証しようということなんです。そこには、日本社会が悪くなってしまったという前提がある。日本からの留学生とも話したけれど、10人いれば9人が、「今の日本には帰りたくない」と口にします。



──悪くなったというのは、どういう意味でですか?



森:彼らはネットで日本の情報をチェックします。自己責任とか非国民とか、そんな記述を目にするたびに絶望的な気分になる。それはよくわかります。多くの日本人はもう馴れきってしまっているけれど、視点を変えればありえないほどに不寛容な社会になっている。



こうした現象がなぜなぜ始まったのか。その起因を言葉にすると、集団化です。地下鉄サリン事件によって不安と恐怖を刺激されて、人というのは怖くなると集団になりたがりますから。みんなで連帯したいといった気持ちが生まれてくる。911の後のアメリカが端的な例です。まずは愛国者法を制定して、集団内の異物を排除しようとする。次に集団は敵を探します。なぜなら共通の敵を発見すれば、さらに一丸となれるから。こうしてアメリカはアフガニスタンとイラクに侵攻して、イラクに至っては大量破壊兵器が自分たちを脅かそうとしているなどと大義まで捏造して、フセイン体制を崩壊させた。その帰結としてISが生まれている。全て連鎖しているわけですが、実はその6年前に日本でも、オウムによってその集団化が起きていた。サリン事件以降、例えば街には監視カメラがどんどん増えたり、街の自警団も急激に増殖した。要するにセキュリティ意識が肥大するわけです。集団は同じ行動を強制します。つまり同調圧力もどんどん強くなる。違う動きをする者は異物として、不謹慎などの理由をつけながら攻撃したくなる。



さらに集団は、同じ動きをするために、強い言葉を発する政治家、リーダーがほしくなる。それもアメリカを考えれば分かりますね。ブッシュ政権の支持率は、911後に急上昇した。サリン事件が起きた95年は自社さ政権でした。だから自民党への期待が高まった。東日本大震災のときは民主党政権です。社会全般が集団化するとき、リベラルな政権では生ぬるいわけです。もっとマッチョな政治家を求め始める。今のアメリカやヨーロッパだけではなく、歴史的にも頻繁に表れる現象です。



──ナオミ・クラインがショック・ドクトリン(大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革)をテーマでドキュメンタリー映画にしていましたが、日本にショック・ドクトリンをしやすい状況ができているということですね。



森:まさしくそうですね。






この20年でテレビは少しずつ衰退の時期にきている(橋本)






──橋本さんは、テレビがメインの仕事で、この20年間は、日本のテレビのメディアに絞って、大きな変化は感じましたか?



橋本:感じました。どのメディアにもピークがありますが、日本映画のピークは50年代で、テレビの出現で斜陽になったというのは、さておき、この20年はわりとテレビメディアの力そのものが下っていった時期だと思っています。影響力もそうだし、テレビから生まれるものも含めて、少しずつ衰退の時期にきているのかなと感じています。私たちは今、ピークを過ぎたそのなかにいるのだと。それは衰退していくこと自体をネガティブには捉えていないんですけれど。



──「良質な情報」は衰退していくけれど、集団化している状況であるならば、テレビというメディアを使った「洗脳」はよりしやすくなっているのではないですか。



橋本:そうした抽象的なことではなくて、完全にテレビを観る人口が少なくなっている。セット・イン・ユース(ある特定の日の特定の時刻にスイッチが入っている受信機の台数)も下がっているし、それから媒体価値も下がっている、そういう意味での影響力の低下です。それが人にどう影響を及ぼしているか、はもちろんあります。「良質」か「良質でない」かということはなかなか一概には言えないと思っていますから。



──それは、インターネットも含めたメディアとしての接触率が下がっているということですか?



橋本:媒体の力ですね。テレビそのものを観る人口が減っているし、20年前まではテレビを観たことがないとか、観ない、という人が実はあまりいなかった。でも今は、家でもテレビを片付けている人とか、テレビではない情報をインターネットで取ろうとしている人が増えて、じゃあ今のテレビに何を求めているのかは、この20年でいろいろ変わってきていると思います。



でも、浅井さんがおっしゃるように、テレビそのものが同調圧力を強めているか、というと、もともとテレビって媒体としてそういう力は、内在的に持っているんです。



──森さんは、今の橋本さんの意見に同意ですか?



森:内在的に持っている、というのはまったくその通りです。要するに商売ですから。テレビや新聞、出版社、アップリンクにしたって、どうやったら観てもらえるか、どうやったら読んでもらえるかを第一義に考えるわけですよね。この20年、という言い方をすると、95年は阪神淡路大震災に、サリン事件だけじゃなくて、WINDOWS 95が誕生した年でもある。まさしくネット元年。ということは、ネットが勢力を拡大することで、既成のメディアが危機感を持った。それによって、市場原理がより強くなった。競争原理が激しくなって、結果として非常に刺激的で刹那的な情報に傾斜するようになった。さらに社会全体が不安と恐怖を持ってしまっている。こういうときに危機を煽れば、より多くの人がチャンネルを合わせてくれる。あるいは、キオスクで新聞を買ってくれる。その傾向は、例えばアジア太平洋戦争が起きる前の新聞などを例に挙げるまでもなく、以前から存在しています。内在的にメディアはそうした市場原理を持っているけれど、それがより一層に露骨になったのがこの20年だと思います。



──そういう意味では強くなった、とも言える?



森:僕はそう思っています。非常に激しくなったと。



──下山事件や東京電力、中森明菜といったいくつかの中止になった企画が試写状にも書いているけれど、今上天皇は、フジテレビの「NONFIX」でやろうとした企画で、テレビ局の圧力で中止になったのですか?



森:圧力というと少しニュアンスが違う。このときの企画は、僕が天皇に会うまでの過程を、これに対しての周囲の反応を主軸にしながらドキュメントにすることでした。最後に会って「お辛いですか?」と聞く、という企画だったので、フジテレビの編成から、「天皇に会えるはずがないので、この企画は難しい」と言われた。これに対して、「会う、会わないは実のところどうでもよくて、会えなかったら会えないなりの結末をちゃんと考えてますよ」と言ったんだけれど、「会えないから駄目です」の一点張りだった。僕も馬鹿じゃないから分かるけど、それは彼らのエクスキューズなわけで、本音はとにかく何でもいから天皇はやめてくれ、ということですね。そのときの番組枠である「NONFIX」では、シリーズとして憲法がテーマでした。他に是枝裕和さんや長嶋甲兵(TV番組制作会社テレコムスタッフ所属のプロデューサー)さんなどがいて……。



──森さんは1条をやったんですね。



橋本:是枝さんが9条をやって、ドキュメンタリージャパンの長谷川三郎(映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎』監督)は24条の男女平等をやって。



森:長嶋甲兵さんは96条の改正かな。



橋本:そうした5、6本のシリーズを別々に制作やっていたので、森さんの1条がなぜ無くなったのかは詳しくは分かってなかった。



──森さんは結局、降りたのですか?



森:降りたというか、これ以上無理だなと。天皇に会うまでの過程がドキュメンタリーの主軸です。だからフジテレビとの話し合いの際にも、了解をもらってカメラを回しました。もしも奇跡的に継続できるなら、ここも重要な要素になると思って。でも何度か議論したけれど、最後にはあきらめた。放送権を持つのは彼らですから。その後に、映画でやればいいじゃないか、という話も来たけれど、映画じゃ意味がないんですよ。テレビというマスメディアのなかで、天皇を撮るということの摩擦をテーマにしたかった。でも、摩擦どころじゃなかったというのが僕の読みの甘さですね。



──今いみじくもおっしゃったように、テレビの力を森さんは認めているのですね。



森:テレビは大事なメディアです。決してテレビを軽視していないし、軽蔑もしていないです。



橋本:私は、テレビで育って、番組制作を仕事にして、まさにテレビ人間だと思っています。今、テレビの力が落ちてきているというのは、中にいる自分が一番感じているのですけれど、それは自分たちに責任がある、ということも含めてです。






テレビと映画の壁を壊すことに、今後の日本のドキュメンタリーの可能性がある(橋本)





──ドキュメンタリージャパンとしては、テレビの番組制作から映画にシフトしているのですか?経済的にドキュメンタリー映画が社員を支えるほど利益を上げているわけではないというのは分かりますが。



橋本:切り替えてないです。最近、映画を何本も作っているけれど、結局、すべて私のプロデュースです。会社の中で、ひとりでシコシコ映画してます。でも、私も、5月はテレビ・ドキュメンタリーの放送をし、6月に『FAKE』を公開して、7月に『いしぶみ』(是枝裕和監督)を公開して、8月はドキュメンタリー・ドラマを放送、と映画とテレビが半々くらいになっています。



──でも、森さんはテレビで摩擦を起こそうと思ったけれど、できなかった。橋本さんはいかがですか。



橋本:摩擦は、起こそうと思わなくても起きることはあります。私はスタッフではないですが、ドキュメンタリージャパンでも私が代表の時、10年間裁判をやりました。NHK ETVの従軍慰安婦の番組です(「女性国際戦犯法廷」番組関連訴訟)。最高裁まで行きました(2008年6月、NHK・NHKエンタープライズ21・ドキュメンタリージャパンの三者を訴えていたVAWW-NETジャパン[「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク]側が敗訴した)。もちろん、私自身は摩擦を起こすためにテレビを作ってはいないです。森さんはそうじゃないと思うんだけど。



森:僕も別に摩擦が目的じゃないです。




映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会

映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会



──では、映画のほうがテレビのドキュメンタリーよりも表現としては自由だと思われますか?



橋本:あまりそうは考えていないですし、そもそも、テレビも映画も、映像コンテンツとしては、いずれ境がなくなると思っているので。



──アメリカのHBOやフランスとドイツのARTE(アルテ)といったテレビ局が作ったドキュメンタリーをアップリンクでは映画として劇場で配給しています。



橋本:日本のテレビドラマと劇映画の関係は、昔からあり、テレビと映画の作り手同士も、行き来しているじゃないですか。でもテレビ・ドキュメンタリーというのは、なぜかテレビはテレビ屋さん、ドキュメンタリー作っているのは自主映画の人、と今までは間違いなく高い壁があったんです。この10年ほどで、東海テレビが映画の上映もしたり、作り手同士が交流したり、壁が崩れ始めた。そもそも、テレビと映画は明らかに違います。作り方も違うと思っています。でも、ドキュメンタリーは、両者とも閉塞状況にあり、ドキュメンタリー映画は儲からない、と浅井さんが、先ほどおっしゃっているように、自主映画は苦しいし、じゃ、テレビのドキュメンタリーに場があるか、といったら少ない。



──放送する枠がないということですか。



橋本:ドキュメンタリーの放送枠が少ないですよね。ということは、作り手が自由になりづらい。不自由なところからは、面白いものは生まれてこない。それだったら、テレビと映画の垣根を越える試みが、そういう状況に風穴をあけられるのではと思ってます。例えば海外でドキュメンタリーを製作する場合は、劇場版のバージョンと50分のテレビ版と必ずセットの契約になっています。その分の収入も見込めるということ含め、日本のテレビ局でも考えるべきだと。



テレビってやっぱりある程度のお金があるので、そこは境目を越境していく。作り方もテレビ的な手法で作ったもの、映画的なものと、お互いに切磋琢磨でき、新たな方法論がうまれる可能性がある。NHKでも、最近の企画募集で、ノーナレーション、海外でも通用し、映画にもなるドキュメンタリーというものがあり、なるほどと思いました。



だから、テレビも変わろうとしている。それはひとつには、国内的な事情もあるけれど、グローバルなテレビ市場を見たときに、日本のテレビ・ドキュメンタリーは海外作品と戦えていない。テレビと映画の壁を壊すことに、今後の日本のドキュメンタリーの可能性があると思います。



──スポンサーによって成り立っている民法のテレビよりも、HBOとかNetflixといったサブスクライブ形式のテレビの方が、テレビドラマにしてもドキュメンタリーに関してもより規制が少ないように思うのですが、日本ではそうした取り組みは考えられているのですか?



橋本:私もいくつかのドキュメンタリーに関しては、ネットメディアと組んでということを考えてトライしましたし、これからもするだろうと思います。現在は、2017年の公開予定の作品で、それが成功しているので、進めています。




映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会

映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会



佐村河内さんに会って、これは画になるなと直感で感じた(森)






──今回の『FAKE』の企画は、森さんが持ち込んだのですか?



橋本:路上を歩いているときに、「撮りたい人ができたんだけど」と森さんから電話がかかってきたんです。



森:実はその前に、東電のドキュメンタリーを一緒にやろうと思っていたんだけれど、僕がやる気なくして途中で止めてしまって……。



──東電は橋本さんの企画だったのですか?



森:僕です。他愛のない話だけれど、東電が何百時間も事故の渦中の映像を発表したじゃないですか。



橋本:あれで『アトミック・カフェ』みたいなのができないか、と話をしていたんです。



森:これをギャグにしてしまおう、と思いついて、ハードディスク買ってもらっていろいろ調べていたんだけれど……。



橋本:そのうち白石(草/OurPlanet-TV)さんが『東電TV会議 49時間の記録』としてちゃんとやりだしてしまったし。



森:自分から言い出しておきながら止めてしまって申し訳ないなと思っていたので、佐村河内さんに会ってその後に、橋本さんどうかな、と電話をかけたんです。



──佐村河内さんを撮る、ということを聞いたときは、どう思われましたか?



橋本:週刊文春の読者なので、どんな人かは知っていて、あとワイドショーやNHKスペシャルを観たくらいかな。あまり関心なかった。だけど、佐村河内さんに会いに行ったら、その瞬間に、森さんが撮りたいという気持ちがすぐ分かったんです。私も福島菊次郎さんに会ったときそうでしたが、「この人撮りたい!」って人がいるんですよ。理屈ではなく、長い間ドキュメンタリーをやっていると、意味もなく、その結果がどうなるか分からないけれど撮りたい、と思うことがあるんです。






──森さんは週刊文春の記事を読んだ程度の知識だったのですか?



森:僕も騒動になる前は知らなかったし、NHKスペシャルも観ていなかった。騒動が起きて初めて、「へぇ、こんな人がいたんだ」みたいな程度でした。



──著作のなかで「ねぇねぇ、こんなこと知ってる?」という気持ちが森さんの映画を撮るきっかけだと書かれていましたけれど、撮り終わってからであれば佐村河内さんのことは観客より知ってると思うけれど、撮る前の段階では、どこが森さんのアンテナに引っかかったのですか?



森:そもそもは編集者から、佐村河内守についての本を書かないかと依頼があったんです。その編集者は本人に何度も会っていて「相当今のメディアが伝えていることは違うことがたくさんあるんだ」と言うのだけど、ぜんぜん気乗りしなくて、一回断ったのかな。でも、何度も連絡してきてくれたので、じゃあ1回くらい話を聞いてみようかなというレベルで会って話をしたら、橋本さんと同じで「これは画になるな」と、別に理屈じゃなくて、直感で感じたんです。



──そのときはカメラは?



森:もちろん持っていってないです。その場で2時間くらい話をして。隣に奥さんの香さんが座って手話で通訳をしてもらいながら、でした。話がほぼ終わって「あなたを映画に撮っていいですか?」と言ったとき、隣に座っていた編集者は、きっと茫然としていたと思う。申し訳ないことをしちゃった。



橋本:たぶんその後、すぐ私に電話をしたんだと思います。



森:その場では、彼はすぐに回答はしなかった。ありえないという雰囲気でした。



──森さんはたくさんの本を出版されていて、本の方が読み手の思考回路にダイレクトに入ってくるじゃないですか。なぜあえて映画にしたんですか?



森:いみじくも浅井さんが言ったように、今回はダイレクトにしたくなかった。間接話法で行きたかったんです。そもそもこれまで15年撮らなかった理由は、ひとつは人をこれ以上傷つけたくなかったから。『A』『A2』でたっぷり傷つけたから、もうこれ以上人を傷つける仕事はしたくないと思った。けれど、結局は、その彼の魅力が勝ったということでもあるし、もうひとつは、その間ずっと本を書いていましたけれど、確かに本は文字ですからとても直接的な表現で伝えられるけれど、だから物足りないわけで。「世界を平和にしましょう」ってぜんぜん間違っていないけど、それを言葉で言ってしまったら単なるスローガンです。それを(目の前のカップを指して)このカップを撮りながら世界平和がいかに大事かを伝えられたら、これはものすごく届く。やっぱりそういう表現をしたいと思っている時期だったので、その場で、自分のなかで適合したという感じです。





被写体に寄り添ったら、ピントが合わなくなる(森)






──町山智浩さんはTBSラジオの「たまむすび」で、後半の展開には直接触れていないけれど「ラスト12分は、やらせですよ。森監督は、佐村河内さんにあることをやらせるんです」と言っているし、試写を観た何人かの人に感想を聞いたんですが、ある人は「森さんは食えないね、怖いね」と言っていました。今回の作品では、佐村河内さんは傷ついていない?



森:いや、傷ついているでしょう。



──そこが、監督の怖いところですかね。



森:うん。まぁ……映画の被写体で傷つかない人なんていないですからね。それはもちろん、テレビのドキュメンタリーでもそうだけど、1分間の村祭りの報道で20秒映ったとしても出た人は傷つくかもしれない。



橋本:それはドキュメンタリーの持つ宿命みたいなものかな。



森:出て良かったというところがあるかもしれないけれど、同時に傷つきもしてるでしょうし、それはそういうものだと思う。近頃は「被写体に寄り添う」というフレーズを使いたがる人がとても多いけれど、寄り添ったらピントが合わなくなります。僕の感覚では、とても不思議です。



映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会

映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会




──ドキュメンタリーの製作費は、監督の生活費だ、と僕は映像制作ワークショップで言ってるんですけれど、今回ドキュメンタリージャパンが製作に入っていて、予算やスケジュールについては、橋本さんはプロデューサーとして最初にイメージされるのですか?



森:僕の条件は毎月ギャラ500万だから(笑)。



橋本:あのですね、浅井さんもプロなので、この映画がどれくらいの予算かは分かると思うんです。



──人件費はなかなか分からないです。



橋本:東風さんとDVD関連の2社に入っていただき、制作費は、最終的には何とかなりそうです。



木下:それから森さん自身も出資して、作品の権利を持っています。



橋本:森さんから最初にこの話を持ちかけられたときに私は「やりたいけれど、私お金ないからね」と言った覚えがあって。監督とふたりでいろんなところにお金を集めに行ったけど、うまくいかず……。



でも、ギアナ高地に行くわけではないし、近郊の撮影だし、制作会社として少しは基礎体力はあるので、それで始めたんです。ただ、先の見えない取材だったし、どこまで撮ればいいのか分からないし、途中で東風さんにお話したり、今組んでいる株式会社ディメンションと株式会社ピカンテサーカスという2社にお話したりしてなんとかなりました。



──その2社はどんな会社なんですか?



橋本: DVDを出している会社です。



──ではDVDはそこからリリースされるんですね。



木下:そうです。



橋本:原一男監督の作品をリリースしていて、今度小川プロの全作品をリリースするそうです。



森さんと一緒にお金集めにまわったところは、いろんな事情ですべてうまくいかず、断られてばかりで萎えました。それとテレビ局にはこの企画は無理だとわかっていたので、打診もしなかったし、ほそぼそと撮影していました。



──プロデューサーとして、自主映画みたいにお金だけ出して、何もリクープしないというのは会社が困りますよね。



橋本:私は、今は役員でもなんでもないので、リクープできなかったら、クビになるかもしれないです。



──その時点で、どういうところで売上を回収しようと思っていたのですか?



橋本:ドキュメンタリーって、劇場だけじゃなくて自主上映会の収入が馬鹿にできないですよね。でも、森さんに私は、「この作品は自主上映会は見込めないので、劇場で回収するしかないよね」ということを最初から言っていました。自主上映会向きではないと思ってました。



──森さんはそれはプレッシャーではありませんでしたか?



森:『A』や『A2』、『311』も自主上映会なんてしてもらえないし、はなから眼中になかったから。



橋本:私は、森さんと撮影を始めてちょっとしてから、『A』と『A2』の興行成績を知ったんです。それは結構ショックで。森達也さんだからきっと基礎票はいっぱい持ってるだろうと思ったら……うん、まあそうか、これだけなんだみたいな。



森:愕然としてたよね。「これしかいないのかよ」みたいな顔してた。でもその程度です。福田和也さんからは以前、「高名だけど誰も観ていない映画」と言われたけれど、実際にその通りだと思う。



──15年前といえば、今30歳の人はまだ15歳だった。



橋本:まあ、映画は長い目でみるしかないので。





映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会

映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会



『FAKE』というタイトルには多義性がある(森)






──撮影で現場に行くのは、森さんと山崎裕(撮影監督)さんと橋本さんですか?



橋本:山崎さんが撮影のときは、もうひとり録音担当がいます。でも山崎さんは京都のシーンとか、それほどの日数は回してないですね。森さんひとりじゃ無理だろうという場面で撮ってもらいました。



森:そもそも、ドキュメンタリージャパンにお願いした理由は、今回は山崎さんのカメラでやりたい、ということもあったんです。『A』や『A2』は一部に安岡卓治のカメラがあるけれど、テレビの『放送禁止歌』なども含めて、ずっと僕はひとりで撮影してきたから、自分のカメラワークの限界も知っているし、ちゃんとしたカメラで映像を作りたいというのがあって、すべてのロケは無理ですけれど、ポイントで山崎さんにお願いしたいというのがあったんです。






──橋本さんも撮影で佐村河内さんのマンションには行かれているんですか?



橋本:行ってます。



──森監督に橋本さん、山崎さん、すごいメンバーですよね。佐村河内さんからしたら、あの部屋で圧迫感はなかったんですか。



森:うーんどうだろう、ドキュメンタリー映画にそんなに一般の人は関心がないし。僕の名前だって知らなくてもおかしくないし。



──いえ、3人いると人としての圧力があるなと。



森:それはあるかもね。酸欠になる。



──配給会社の東風はどこで入ってきたのですか?



橋本:制作の途中ですね。私がそろそろ考えないと辛いな、という時期にお願いしました。



──『FAKE』というタイトルは、どなたが決めたのですか?



橋本:最初は森さんですね。私はいつもテレビもそうなんですが、タイトルはプロが決めたほうがいいと思っています。宣伝配給の人の意見や、テレビだったらPRやっている方たちが字数まで考えているので、そうした人たちの意見をまず聞きます。そのときに横文字はよくないとか、そういう意見はいっぱいありました。



木下:配給会社としては最初反対しました。アルファベットの表記で分かりづらい、カタカタにしても間が抜けているし、違う映画を思い出してしまうし。



──森さんはなぜそれを思いついたのですか?



森:わりと最初から言っていたよね。



橋本:撮影をし始めて1ヵ月で仮タイトルとしてついていました。



森:このあいだ、誰かから「お前の映画のタイトルはアルファベットと数字しかない」と言われて、確かにそうだと気がついた。……たぶん、あまりタイトルに意味を込めたくないんです。でもタイトルなしというわけにはいかないし、本音はなんでもいい、なんですけれど。



──『FAKE』ってめちゃくちゃ意味がありますよね。



森:多義性がある。この『FAKE』は何を指しているのか、とか。特に映画を観終えた、エンドロールが上がる前であれば、この文字が上がることで、もう一回あらためて、いったい何がFAKEで何がFAKEじゃないのか、そもそも森はFAKEなのか、この映画はFAKEじゃないのか、といろんなことをみんなが煩悶すると思うので、そういう意味ではうってつけかなと。



──文春的に考えれば、『佐村河内さんの真実』というタイトルですよね。



森:うん、真実は排他的でしょ、でもFAKEはすべてひっくるめちゃう。だから「真実」という言葉はぜったい使いたくない。



──それでは『森達也の真実』でしょうか。



森:うーん、しいていえばそうなるけれど、それは『森達也の真実(FAKE)』としてもいいんじゃないですか。



──なるほどね。観客が実験台にされているような感じで。



森:(笑)。



──森さんは「ドキュメンタリーは嘘をつく」と宣言されているわけで、森さんの映画を観に行くひとはそこまでうぶじゃなくて、どう嘘をつくのか、と観に行くと思うんです。



森:「ドキュメンタリーは嘘をつく」という言葉が一人歩きしすぎちゃっているけれど、その嘘って、捏造したり、演技を指導したりということじゃないからね。表現というのはそもそもがすべからく嘘なんだよ、という意味での「嘘をつく」ですから。あの本はプロデューサーの土本典昭さんにも献呈したのですが、律儀な方なのですぐ御礼のはがきをいただいたんだけれど、「とてもいい本です、素晴らしいです、ただしタイトルがいけません。嘘ではないのです」と書いてあって、確かにそうだなと。だから正確には、「嘘」という言葉はたぶん不的確だと思います。「嘘」も「真実」も含めた曖昧な、そういった領域なので。ただあの本のタイトルは編集に押し切られて、まぁタイトルは扇情的でいいやと決まった。だから「嘘をつく」と僕はしょっちゅう言ってるように見られているけれど、それはみんなが言ってる「嘘」とはちょっと違うんだよ、ということは留保しておきたいです。



──世間で言う「やらせ」ではないということですね。



森:もちろん。つまんないもん、そんなことしても。「ここでこういうことを言って」とか「ここはこう動いて」と被写体に指示することは、それをやっちゃったら、何よりも撮ってる自分がつまらないから。



橋本:そういう意味で面白いなと思ったのは、試写会に来た人の誰かの評のなかに、「NEW REPUBLIC」の外人のインタビュアーがふたり取材に来ているじゃないですか。あれもやらせじゃないか、というのがあって。




映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会

映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会


編集しながら常に「観客に揺らいでほしい」と思っていた(森)



──自主上映はなかなか難しいとしても、この映画はあらゆる映像学校の教科書にはなりますよね。真贋探しではないとしても、これを観て、何がFAKEか、森さんが仕掛けようとしていることを読み取ることが、観る側が実験台のモルモットかリトマス試験紙になり、「お前、これ観てどう思うんだ」とリテラシーをつきつけられているように思います。ちょっとした簡単な観方をしてしまうと、森さんにあざ笑われそうで。



橋本:森さんは、あざ笑うとかそんな人じゃないよね、ずっと昔から知っているけど、こんなに優しい人なんだと一緒に仕事をして、初めてわかった。



森:編集しながら、「揺らいでほしい」というのは常に、編集担当の鈴尾啓太ともいつも話していました。右行くと思わせたら、今度は左に思わせる、ということはやっています。



──そうした「人をマニピュレートする」手法が、森さんが言う「嘘をつく」ということなんでしょうか。



森:マニピュレートじゃなくて、実際に人は右もあれば左もあるわけだから、映画でも右を見せたら左を見せるよ、ということです。



橋本:ドキュメンタリーって取材しているプロセスが大切なので、取材のときに、右だと思ったり左だと思ったり、揺れがあったはずなので、作為ではなく、その揺れの感覚は絶対に活かすべきです。



──それは取材中にあったのですか?



森:たっぷりありました。さっきも言ったように、僕はテレビは大事なメディアだと思っているけれど、今のテレビに文句があるとしたら、すべてを四捨五入して整理しすぎてつまらなくしてしまうところ。



──揺らぎの部分を許容できないんですね。



橋本:揺らいでいる、というのは、別に観客に「揺らいでください」と作為的に作っているのではなくて、もっと素直に言うと、1年半にわたり取材しているなかで、撮っている方もずっと揺らいでいた。決して一直線で取材したのではないので。その揺らぎ通りに作っているわけではないけれど、それに近い感覚を109分に、その1年半の揺らぎを押し込めて作りたかった。



──それは作為ではなく、森さんが1年半で撮っている間に感じたことをもう一回編集で再現したということですか?



橋本:その編集方法は別にしてそうです。やっぱり揺らいだ感覚は、取材者は全員持ったので。



──多くの作品は、編集する時点で、制作過程で取材者が揺らいでいても、監督は撮り終わってそこでは「あの揺らぎはこっちだったんだ」と、ひとつの方向を見て編集すると思うんです。



橋本:もしかしたら、まだ揺らいでいるのかもしれません。



森:まぁ、それもあるけれど、プレスにも書いたけれど、僕はそうした二極化が嫌いです。黒か白か、右か左か、その間が僕は大好きだし、そこにこそ本質があると思っているので。揺らぐことは、その間を出すことだから、間をどうやって見せるかで、確かに間だけ見せてしまうととても曖昧です。でも右と左のあいだの揺らぎを見せれば、その間が想像できるし……しいて理論づければそういうことになります。



──先日試写で観たものと公開するバージョンは異なるとのことですが、映画のなかでフジテレビの方が2回出てきますが、最初に出てくる番組には、佐村河内さんがいちど出演しているのですよね。



橋本:そうです。そのことを公開バージョンでは、明示しています。そのほか足りないテロップがかなりあることに気がついたので、2、3ヵ所補足しています。



──そこで、テレビに出てくる佐村河内さんを入れなかったのはなぜですか?



橋本:最初は、報道番組の交渉、取材、放送とすべて入れてました。でも、最終的にはずしたのは、段取りくさいからだと思うけれど、違う?



森:それもあるけれど、尺という理由もある。3時間だったら入れたと思う。実際に彼らが取材に来たときには、山崎さんに撮影に入ってもらって、オンエアまで全部撮ったんです。フジの報道はとても誠実に取材した。それはそれで残そうと思ったんだけれど、誠実に、というのは逆に言えば平坦になってしまうわけで。それもあって、最初は入っていましたけれど、最終的に切りました。編集は優先順位の決定です。べつにそこに他意はないです。



橋本:その番組は佐村河内さんが記者会見に出席して以来、始めて出演した番組なので。



──映画では佐村河内さんが出演した番組はカットして、出演していない番組を使用している。そのフジテレビの大晦日の番組は、あんなふうに新垣さんをバラエティで使ったように、結局面白おかしくテレビはネタとして、どっちに転んでもやってたなと。そこは揺らぎでなはく、観ているほとんどの人が分かるシーンだと思いました。森さんは、テレビを観ている佐村河内さんに、「テレビってこんなもの」みたいなことをおっしゃっていたけれど、何とおっしゃっていたんでしたっけ。



橋本:これはテレビの本質を言い当てているんですけれど、「テレビは目の前にあるものがいちばんなんだよね」って。



森:彼は「自分が復讐されている」と、さかんに言うわけです。それは違う。悪意ではない。メディアはそれほど暇じゃない。だから「目の前にあるものをどうやって面白くするかしか考えていないから、あなたがもし出ていればそれなりのものを作ったかもしれないけれど、今回出なかったからこういうことになったんだよ」と、言いました。



橋本:全てのテレビがそうじゃないですけれど、私もテレビの人間なのでそうした思考回路はあります。



──テレビマンも、もし佐村河内さんが出ていれば、あそこまでバラエティで馬鹿にすることはしなかったかもしれない。



森:目の前の事態にだけ反応するから、それによって誰かが傷ついたり追いつめられたりすることに想像力が働かなくなる。でもこれって要するに、ホロコーストに加担したアイヒマンと同じです。アイヒマン自体に悪意はないけれど、結果として良かれと思って組織のなかで任務をこなしているうちに、多くのユダヤ人を殺戮する行為に加担してしまっているわけで。凡庸な悪ですね。彼らもそうした自覚はぜんぜんない。僕も、あそこでは彼らはそこで誠心誠意口説いていると思います。でも結果として、彼を傷つけていることをまったく意識に置かなくなってしまう。そしてこれは、出演する芸人や、さらにそのテレビ番組を見ながら大笑いしている人たちも同様です。





映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会

映画『FAKE』より ©2016「Fake」製作委員会




やっぱりドキュメンタリーは相互作用だと思っている(森)





──フジテレビのスタッフは、当然出演をOKしているのですか?



橋本:どの取材も、佐村河内さんの弁護士さんが「密着して記録します、それでもいいですか」と聞いて、納得したうえで取材に来ています。マンガの「淋しいのはアンタだけじゃない」では、そのあたりの取材にいたるまでの経緯も、大変詳しく描かれています。



──報道番組ではないので、公平性を『FAKE』に求めてもまったく意味がないと思うけれど、もし最初に交渉した別のフジの番組に佐村河内さんが出ていたなら、それを5秒でも見せてくれると、出た番組と出てない番組があって、出なかったからこうされたんだ、とより彼らの仕事が分かると思いました。フジテレビに対してはフェアではないなと。映画を観る人はテレビのいいかげんなところだけが強く印象に残る。



森:対比してしまったら、どうしようもないスタッフとの文脈が強調される。そうではなくて、彼らはメディアとしては普遍的な存在です。誰もがアイヒマンになりうる。僕自身の姿でもあるわけです。



──映画のなかで森さんが分からなくなるのは、けっこうテレビのバラエティ的な画を撮りたがる発言、例えば佐村河内さんが「愛してる」と言ったときに「誰をですか?」と念押しして、奥さんの名前をあえて言わせようとしたり。ここから先は言わないで下さい、という後半の一歩手前で、「音楽やりませんか、湧き上がっていますよね、出口を欲しがっていますよね」とけしかけているのは、カットしようと思えば編集でいくらでもカットできたのに、あえて入れますよね。



森:今浅井さんはバラエティ的だと言ったけれど、ドキュメンタリー的だとあれはカットするの?



──カットすると思います。



橋本:私はドキュメンタリーの人間だけれど、あのやりとりはたぶんまるごと入れることに意味があると思っています。



──もし僕が監督するとしたら、そこまで突っ込んで言わないかもしれないです。



森:なぜ残したのかと聞かれても返答に困るけれど、しいていえば、僕はやっぱりドキュメンタリーは相互作用だと思っているから。こちらを切り離して被写体だけで成立するわけじゃないですか。常にこちらの意図もあるし、誘導もあるし、その誘導も裏目に出て誘導されることもある。全部ひっくるめて僕はドキュメンタリーを面白いと思っている。だから、バラエティかドキュメンタリーか、というよりも、面白いから入れたということに尽きてしまう。



──それは編集するとき、撮るときに、このお客さんのことを常に相当意識しているということですか。



森:もちろん意識するけれど、どっちかといえば、過剰に意識はしてないかな。



──でもこの編集でどう観客が心理的に捉えるか、とか、どこで音楽を入れれば感情を昂ぶらせられるか、というテクニックはあるじゃないですか。



森:それはもちろん全カット考えています。



──ということは、観客が揺れをどっちにとるかを意識しているということですよね。



森:今の質問に答えるなら、あそこで僕の声を残したのは、最初から残すことが前提だったから。切るという発想はまったくなかったので、ここに森の声を残す残さないかなどの煩悶はまったくなかった。僕のなかではあって当たり前だった。



橋本:浅井さんが切る、といってなるほどと思いました。



森:テレビだったら切るかもね。



橋本:切らないよ。



森:人によって違うけれど、NHKだったら切るかな。



橋本:いやそうでもないよ。正解はないので。



森:そうですね。正解はない。映画にもいろんな人がいるけれど、でも作法として、テレビは主観を嫌うから。だからあまりディレクターの主観的なことをあまり出してほしくない、というのは映画に比べれば多いんじゃないかな。



──今回は今までの作品とくらべて、カメラの主観ではなく、森さんは出演者ですよね。



森:僕は毎回そうですよ。だからさっき言ったように、作る側の意図や作為をないことにしたら、僕のドキュメンタリーは成立しないから。



──今回カメラは何パーセントくらいが山崎さんなんですか?



森:実はけっこうバッサリ山崎さんのパートを落としているんです。



──今までは森さんのカメラはPOV、主観に見える。でも今回は、森さんが出ているところは山崎さんが撮っているから、観る側は森さんが出演していると感じる。



森:そんなに大きなことじゃないし、『A2』も僕が施設のなかで食べてるシーンとか、安岡卓治が撮ったりしているよ。だから、それは何らかの論があって使い分けているわけではないです。必要とあれば出るし、必要なかったら消すし。




結末を知っていたら面白くない、という単純な映画ではない(橋本)





──最後の12分間については、マナーとして聞かないけれど、「誰にも言わないでください、衝撃のラスト12分間」というコピーは、宣伝としてうまいと思いました。



森:東風がいろんなキャッチコピーのなかで選んだので、僕も、ミステリー映画みたいで、その手があるね、という感じでした。



橋本:私はそろそろ、知られてもいいと思っているんです。結末を知っていたら面白くない、という単純な映画ではないと思うので。



森:でも知らずに観たほうがぜったいにいいでしょう。「え、こうなっちゃうの」って観たほうがぜったいに面白い。




──インタビューの最後として考えていた質問、いちおう言いますね。森さんの映画を真似て、佐村河内さんを騙していないですよね?



森:うーん、ノーコメント。



橋本:……。



森:「僕も橋本も沈黙していた」と書いてください。というか、これまでドキュメンタリーを撮りながら、被写体を騙さなかったことなんてないですよ。それこそ小さな嘘はいっぱいついているし、当たり前じゃないですか。



橋本:嘘つきなんだ……。



木下:嘘という表現は誤解を与えてしまうかもしれないですね。



森:嘘つきでいいよ。今も彼とは普通に会いますよ。



橋本:佐村河内さんは電話ができないのでメールの人なんですよ。電話だと奥さんに電話して、奥さんがしゃべって彼に伝えるから、2倍時間がかかるんです。



森:今日実は、佐村河内さんからwebDICEの取材依頼はお断りしたい、とメールが来ていたんです。だからほっといても浅井さんは取材できなかった。でも僕は、なぜよりによって浅井が、というのがあったので、最初にムカッときたけど。



橋本:佐村河内さんは映画のためにいろいろ協力したいけれど、できれば受けたくない、沈黙したい、という言い方でした。



──僕も森さんと同じですよ、好奇心だもの。



森:でもパブリックに載せるなら、断ります。



──はい、なので森さんとの関係をとると言いました。



森:僕は最初に彼に言ったんです、「あなたの名誉回復のための映画を作る気はさらさらない」と。「僕は映画のためにあなたを利用します」って。彼はしばらく考えていたけれど、でもそれでもいいと。最初は彼は嫌がったんです。何度も口説いているうちに、「分かった」と言ってくれたけれど、そのときに僕が言ったのは、この言葉です。






「やらせ」があるないという浅いレベルで議論するのは貧しい(森)




──町山さんの「やらせ」という解説は否定するのですね。




橋本:「やらせ」ってテレビではもう数十年にわたり、何度となく議論されてきました。「やらせ」の定義とか、ドキュメンタリーにおける「やらせ」ってなんなのとか。この話を始めたら、『朝まで生テレビ』ですまないですよ。「やらせ」かどうかという、きわめて雑な質問には答えづらいですね。



森:なにかに書いたけれど、ドキュメンタリーってただ漫然とカメラを回して撮れるわけないじゃないですか。



──でもそういう意味では、この映画はラストだけではなく、はじめから「やらせ」だよね。



森:化学の実験だと思うんです。フラスコのなかに被写体を入れて、火で炙ったり、振ったり、冷却したり、時には触媒を入れたり、場合によっては撮影する側がカメラを持って一緒にフラスコのなかに入ったり。逆に刺激しているつもりが刺激されたり、それを撮るのがドキュメンタリーだと思っています。それが演出です。漫然と撮るだけで作品になるはずがない。こうした作為を広義でいったら「やらせ」と呼びたい人がいるかもしれないけれど、だったら「やらせ」でいいです。でも当然ながら挑発したり誘導したり、場合によってマウントをとったりとられたり、そうした過程があるから、作品になるわけで。だから、それを「やらせ」があるないというとても浅いレベルで議論するというのは非常に貧しいし、つまらない。



──戦争のドキュメンタリーではエンベッド(軍隊に同行しながら取材すること)して撮影する、それは挑発しようもなくてとりあえず起こったことを撮るしかない。



森:それは延々と戦場シーンだけの場合でしょう。例えば『アルマジロ』もそうだけど、戦闘後に基地に戻った兵士たちがトランプやったりネットのエロサイトを見て大騒ぎしたり、当然ながらいろんな要素が雑多にあるわけです。それを撮るのか、あるいは編集で残すのか残さないのか、それは撮る側の主観です。客観性など欠片もない。



──では最後に、森さんのドキュメンタリーを撮りたい、といったら断りますか?



森:僕を?断ります。そんな度胸ないです。



──ありがとうございました。森さん、これ一応全部書き起こしますので、赤を入れてくれませんか。



森:わかったよ、ホントしつこいよな。




浅井さん、ちょっと飲んでいこうか。本当はもっと聞きたいことあるんでしょ。



(2016年4月21日、ドキュメンタリージャパンにて インタビュー:浅井隆)












森達也 プロフィール



1956年、広島県呉市生まれ。立教大学在学中に映画サークルに所属し、自身の8ミリ映画を撮りながら、石井聰亙(現在は岳龍)や黒沢清などの監督作に出演したりもしていた。86年にテレビ番組制作会社に入社、その後にフリーとなるが、当時すでにタブー視されていた小人プロレスを追ったテレビ・ドキュメンタリー作品「ミゼットプロレス伝説 ~小さな巨人たち~」でデビュー。以降、報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に、数々の作品を手がける。95年の地下鉄サリン事件発生後、オウム真理教広報副部長であった荒木浩と他のオウム信者たちを被写体とするテレビ・ドキュメンタリーの撮影を始めるが、所属する制作会社から契約解除を通告される。最終的に作品は、『A』のタイトルで98年に劇場公開され、さらにベルリン国際映画祭など多数の海外映画祭でも上映され世界的に大きな話題となった。99年にはテレビ・ドキュメンタリー「放送禁止歌」を発表。2001年には映画『A2』を公開。06年に放送されたテレビ東京の番組「ドキュメンタリーは嘘をつく」では村上賢司、松江哲明らとともに関わり、メディアリテラシーの重要性を訴えた。11年には東日本大震災後の被災地で撮影された『311』を綿井健陽、松林要樹、安岡卓治と共同監督し、賛否両論を巻き起こした。「放送禁止歌」(光文社/智恵の森文庫)、初の長編小説作品「チャンキ」(新潮社)など著作も多数発表している。




橋本佳子 プロフィール



1981年12月、フリーで活動していたディレクターの河村治彦、広瀬涼二、テレビカメラマンの山崎裕らと制作プロダクション、ドキュメンタリージャパンを設立。1985年より代表を20年間務める。ドキュメンタリー番組を中心に数多くの作品をプロデュース。放送文化基金個人賞、ATP個人特別賞、日本女性放送者懇談会賞受賞。座・高円寺ドキュメンタリー映画祭実行委員。近年は、『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎 90歳』(12/長谷川三郎監督)、『フタバから遠く離れて第1部・第2部』(12・14/舩橋淳監督)、『ひろしま 石内都・遺された者たち』(12/リンダ・ホーグランド監督)、『祭の馬』(13/松林要樹監督)、『戦場ぬ止み』(15/三上智恵監督)、『広河隆一 人間の戦場』(15/長谷川三郎監督)などを手がける。戦後70周年の節目に制作され、監督に是枝裕和、朗読に綾瀬はるかを迎えた『いしぶみ』が2016年7月16日よりポレポレ東中野ほかにて劇場公開。














映画『FAKE』ポスター



映画『FAKE』

6月4日(土)より、ユーロスペースにてロードショー

他全国順次公開



監督・撮影:森達也

プロデューサー:橋本佳子

撮影:山崎裕

編集:鈴尾啓太

制作:ドキュメンタリージャパン

製作:「Fake」製作委員会

配給:東風

2016年/HD/16:9/日本/109分



公式サイト:http://www.fakemovie.jp/






『A2 完全版』

ユーロスペースにて上映

6月18日(土)~24日(金)連日21:00~

7月19日(土)~15日(金)連日21:00~







▼映画『FAKE』予告編


[youtube:GTrgVI-mDdA]

サハラ青衣の遊牧民が奏でる革命の音楽、バンド「トゥーマスト」インタビュー

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サハラ砂漠の遊牧民、トゥアレグ族のバンド「トゥーマスト」。支配と反乱の歴史を塗り替えるために闘う彼らを追ったドキュメンタリー映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』が渋谷アップリンクにて2015年2月28日(土)より公開される。公開に先駆けて2014年12月16日(火)にはピーター・バラカン氏、デコート豊崎アリサ氏、2015年1月16日(金)にはサラーム海上氏(よろずエキゾ風物ライター)、粕谷雄一氏(金沢大学教授)を迎えてのトークイベントの開催も決定している。webDICEでは「トゥーマスト」ムーサ・アグ・ケイナ氏のインタビューを掲載する。













「私は主義主張のために、革命のために音楽をやっているんです」

ムーサ・アグ・ケイナ、インタビュー



トゥアレグ族とは、ベルベル人系の遊牧民族である。サハラ砂漠を遊牧していたが、20世紀初めにフランスによる植民地政策が始まり、60年代にはアルジェリア、ニジェール、リビア、マリ、プルキナファソの5つの国に分散した。また、ニジェールは世界有数のウランの産地でもあり、トゥアレグ人の居住地区で発掘されるウランの領有権問題(ニジェールのウランは仏アレバ社が権益を保有し、日本にも多く輸出されている)や放射能汚染が問題となっている。



青衣(あおごろも)の民としても知られる彼らは、一般のイスラム世界とは逆に、男性が衣装で顔や身体を隠し、女性は肌を露出していることもある。また、一夫一婦制で、女性が夫を選ぶ権利を持つ女系社会である。



本作の主人公であるトゥーマストの中心人物、ムーサ・アグ・ケイナは、80年代にリビア、カダフィ大佐の元で兵士としての訓練を受け、そこで西洋の文化や音楽に触れたことでギターを手にし、銃ではなく音楽で世界を変えるための戦いをすると決意したという。政治難民として20年前にフランスに移住したという彼に、パリの自宅で話を聞いた。



映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』


映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』

「トゥーマスト」ムーサ・アグ・ケイナ






トゥアレグ社会での階級とは部族のようなもので、すべての階級は平等。そしてイスラム教ではあるが、最も崇めているものは"自然"である。



トゥアレグ族の正確な人口は誰も知りません。遊牧民で、身分証明書も出生証明もないですから。アルジェリア、リビア、ニジェール、マリ、プルキナファソにいるトゥアレグを合わせると250万人くらいいるんじゃないでしょうか?砂漠は広いから、人口密度はすごく少ないですけどね。



映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』

トゥアレグ族が住むサハラ砂漠西部



トゥアレグの社会は、大統領制とか民主主義のシステムではなく、昔ながらの家長システムです。家長、その上に酋長、さらにその上にも長がいます。長はだいたい年寄なんですが、死んだら息子が継ぐのではなく、よそから知性のある人を連れてくることになっています。



カーストがありますが、インドのカーストとは違い、部族のようなもので、すべてのカーストは平等。トゥアレグ族というのは、元々同じ母から三人の兄弟が生まれ、そこから派生したものだ、という神話のようなものがあります。母系社会なのです。



宗教に関しては、イスラム教ではありますが、礼拝などの義務はありません。でも、トゥアレグが最も崇めるのは、自然です。砂漠、太陽、植物、どれも何物にも代えがたい大切なものです。そして、トゥアレグにとって一番重要なのは、自由であること。結婚に関しても、家族同士のしがらみよりも、愛が重要。"愛があれば幸せになれる"という考え方なんです。



家族愛も同じです。遊牧民ですから日々砂漠を移動するわけですが、子どもが大きくなって結婚して子供を持ち、独立して一緒に移動しなくなったとしても、「テントが離れても心は近く」という格言があるように、心はいつも近くにあります。私は今パリにいて、兄はサハラにいますが、心はいつも一緒です、私の心はいつでもサハラにあります。パリは必要があるから住んでいるけど、好きではないです。現在、フランス国内にトゥアレグは80人くらいいるけれど、来てもすぐに砂漠に帰ってしまう。街の喧騒がストレスになるんです。あくせくするよりも、日々のゴハンを食べられれば満足、というのがトゥアレグのメンタリティだから、都会には合わないんでしょうね。




映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』

映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』より






トゥアレグの言葉で砂漠を指す言葉は「無」を意味する。砂漠は無であり、全てである。



ニジェールは世界でも有数のウラン産出国です。そこに、フランスのアレバが入ってきた。採掘権の問題はもちろんですが、放射能汚染による被害も深刻です。古くからのトゥアレグの言い伝えで、直接的に放射能汚染のことを言っているわけではないけど、「土地に手を加えると人間に影響がある」というような言い伝えがあります。「土地は人のものではない。自分たちが土地に属しているんだ」というように、人間は自然の一部なんだと教えられてきました。



例えば、木を理由なく切ってはいけませんし、土は人間と同じく生きものだと思っています。木や植物は人間と同等。もちろん土も同じ。



砂漠はトゥアレグにとって全てです。家族であり、祖先であり、自由です。砂漠が僕を作ったと思っている。血肉です。砂漠は生き物です。「サハラ」というのはアラブ人の言葉で、我々トゥアレグは「ティネリ」と言います。ティネリとは「無」のことです。砂漠は無であり、全てなのです。フランスの2.5倍もの広さがあり、昼は暑くて夜はあまりに寒い。なにも目印もなく、先へ進むのも、トゥアレグのガイドがなければ無理でしょう。なにもないところですが、歌を歌ったりダンスをしたり話したり、我々のすべてがそこにあります。



映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』

映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』より




ギターを選んだのは、インターナショナルだから。私は革命のために音楽をやっている。



我々トゥアレグは文字を持ちません。そしてラジオも新聞などのメディアもないので、音楽でメッセージを伝えました。ですから、1976~97年の期間、すべてのトゥアレグの音楽は禁止されたんです。今は取り下げられましたが、例えば戦争を直接訴えるような内容のものはNG。政治的なものは今でもだめなんです。



銃をギターに持ち換えてから20年ほど経ちます。兵隊として闘うよりももっと手ごたえがあります。ミューシャンとしてアメリカに行って、NYタイムズで経歴を紹介してもらったり、テレビに出たり、ヨーロッパではいろんな音楽フェスに出て、世界中の様々なメディアが取り上げてくれます。音楽を通してメッセージを伝えられているという実感があります。



もともとトゥアレグ人はギターを弾きませんでした。リビアに行って西洋の文化に触れ、ギターを始めました。兄貴分のティナリウェンが第一世代で、私たちは第二世代。ギターという楽器を選択した理由はインターナショナルだからです。トラディショナルなものだけをやってるよりは、ギターを介した方が開かれている。私は主義主張のために、革命のために音楽をやっているんです。






Festival Vieilles Charrues 2007のライヴ映像




土地も、資源も、学校や病院も持たないトゥアレグが闘いの先に望むもの。



まず自分たちの土地を自分たちで管理する自治区にしたい。政府がその土地で資源を発掘したら、我々トゥアレグも権利を共有したい。我々にはそういった権利はもちろん、学校も病院もなにもないんです。フランスのお仕着せの教育は、裏になにかあるように感じます。我々の言葉やトラディショナルなものをなくさないのなら良いとは思いますが…我々が昔から培ってきたものを捨ててフランスに迎合するつもりはありません。だから、私たちの学校や病院を作りたい。生まれた赤ちゃんがなくなったり、母親も大量出血で亡くなるケースも多い。そういうのを救いたいんです。



映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』

映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』より











TOUMAST(トゥーマスト)プロフィール



リビア、カダフィ大佐の元でレジスタンス兵として訓練され、同じくレジスタンス兵で「砂漠のブルース」の旗手的なバンド、ティナリウェンのメンバーと出会い、音楽を始める。2008年にピーター・ガブリエルのワールド・ミュージックのレーベル「Real World」より1stアルバム『ISHUMAR』MP3版)でCDデビュー。現在はパリ在住で、ヨーロッパ各地でコンサートを行い、活躍している。

http://toumast.net/










映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』

2015年2月28日(土)より、渋谷アップリンクにて公開



監督:ドミニク・マルゴー

出演:トゥーマスト

(スイス/2010年/ 英語/カラー/88分)

配給・宣伝:アップリンク

公式サイト




2014年12月16日(火)

『トゥーマスト』を通して見る、抵抗運動と音楽について


ゲスト:ピーター・バラカン(ブロードキャスター)×デコート豊崎アリサ(ライター/ジャーナリスト/写真家/「サハラ・エリキ」主宰)

詳細・チケット購入はこちら



2015年1月16日(金)

アフリカ音楽と「砂漠のブルース」について


ゲスト:サラーム海上(よろずエキゾ風物ライター)、粕谷雄一(金沢大学教授)

詳細・チケット購入はこちら




映画『トゥーマスト ~ギターとカラシニコフの狭間で~』

















カンヌを熱狂させた予測不能のメロドラマ・ミステリー『二重生活』に込めたロウ・イエの真意とは

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映画『二重生活』が2015年1月24日(土)より公開となる。監督は『天安門、恋人たち』『スプリング・フィーバー』のロウ・イエ。第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門のオープニング作品として上映され、大きな反響をよんだ本作は、監督史上、最もスキャンダラスなエンタテインメント作となっている。



優しい夫と可愛い娘。夫婦で共同経営する会社も好調で、なにも不自由のない満ち足りた生活を送る女ルー・ジエ。愛人として息子と慎ましく生活しながらも、いつかは本妻に、と願う女サン・チー。流されるまま二人の女性とそれぞれの家庭を作り、二つの家庭で生活する男ヨンチャオ。「二重生活」が原因で巻き起こる事件、さらにそれが新たな事件を生み、事態は複雑になっていく。3人の男女、事件を追う刑事、そして死んだ女。それぞれの思わくと事情が何層にも重なりあい、物語はスリリングに進む。



現代中国社会のダブルスタンダードや、一人っ子政策の弊害という問題をも浮き彫りにしつつも、激しい感情のぶつかり合いをロウ・イエ作品独特の漂うような画で魅せている。webDICEでは、ロウ・イエ監督のインタビューを掲載する。












「中国という社会が昔からずっと二つの顔を持っているんだから、人々は"二重"であることに馴れているんだよ」

ロウ・イエ監督インタビュー



映画『二重生活』

ロウ・イエ監督





──2006年の『天安門、恋人たち』以降、フィルムメーカーとしてのあなたの境遇は、どんなものだったのですか?



『天安門、恋人たち』以降、僕は5年間、映画製作を禁じられたので、中国を離れ、アメリカのアイオワ大学に行った。そこで教えていた中国人作家のニエ・フォアリンに招待されたんだ。それから脚本家のメイ・フォンと、後に『スプリング・フィーバー』(2009)となるプロジェクトを進めた。というのも僕は映画製作を禁じられていたので、海外で撮影できる脚本を探していた。かなりの数の脚本を読んだが、満足できるものはなかったね。



『スプリング・フィーバー』は南京で、ほぼゲリラ撮影に近い手法を使って、小さなDVカメラで撮影した。次にパリに行って、リウ・ジエの小説『裸』を脚色して作ったのが、『パリ、ただよう花』(2011)だ。あの映画が完成したころには、5年が過ぎていたので、中国に戻れるようになったんだ。





DVD『スプリング・フィーバー』発売中(→購入はこちら





DVD『パリ、ただよう花』2015年3月4日発売(→購入はこちら






──5年のブランクの後、前のような状態に戻りましたか?



フィルムメーカーにとって、5年間、映画製作を禁じられるというのは、恐ろしいことだ。あの処罰を受けた時、公式に拒否の声明を出そうと考えた。多くのフィルムメーカーやアーティストから寄せられた抗議の署名が書かれた手紙を公表することでね。でも結局、何もしないことにした。映画を作り続けることが、一番の対応だと考えたからだ。この5年間は、そのことにエネルギーを注いできた。中国で『スプリング・フィーバー』を撮ったのは、処罰には屈しないことを見せたかったからだ。



映画『二重生活』

映画『二重生活』より




──『二重生活』を作ることになったきっかけは?



『パリ、ただよう花』の後、共同で脚本を書いたメイ・フォンがインターネットで中国の日常が書かれた話を探していたんだ。脚本のヒントになりそうな素材がないかと思ってね。僕らは彼が見つけた3つの話を使って、階層によって異なるものの見方を描くことができた。二重生活や犯罪、新興富裕層の暮らしなんかを織り交ぜながらね。脚本を書く段階で、そういったものの見方をとりまとめた。僕は二重生活が原因で犯罪が起こるというのが面白いと思った。



二重生活というのは、中国で顕著に見られる現象だ。奥さんが二人いるという男はかなり多く、人間関係における象徴的なことなんだよ。自分の暮らしに不満な人間は、新たに別の環境を作り出すんだ。表面的に分からなくても、どこか隠れた場所で行われているんだよ。中国では、二面性を持ち、なんとか現実に対峙しながら暮らす人間がいるんだ。



映画『二重生活』

映画『二重生活』より



──ミステリーを撮るのは『パープル・バタフライ』以来ですね。なぜ今またミステリーを撮ろうと思ったのでしょうか?



ミステリーとはいろんな受け止め方ができるものだからね。作家が伝えたいことをしっかり描きながらも、検閲に対応しやすいんだ。もちろんそれが1番というわけではないけど。実は、初めからミステリーにしようと思ったわけではないんだ。2稿めか3稿めで、現代中国社会を描くにはミステリーがふさわしいんじゃないかと思って、すこしずつその方向になっていった。映画とはそもそも、検閲にとっては「やっかいなこと」を語るものだからね。人の想いや社会の「やっかいなこと」を反映してしまうのが映画なんだと理解してほしいよ。



映画『二重生活』

映画『二重生活』より




──二人以上の男性と関係を持つ女性が主人公となる同様の映画というのはあり得ますか?



もちろん二人以上の男と関係を持っている女性はいるだろけど、まれだよ。女性は自由度が低いからね。二人以上の女性を養っている男というのは、世間が受け入れているんだ。それが成功者の証というふうに思われているふしもあるが、男の愛人が複数いる女性というのは、敵意を持たれるだろうね。



映画『二重生活』

映画『二重生活』より




──映画の中で登場するカップルは、東京やパリやフィラデルフィアといった都市に暮らすミドルクラスと似たようなライフスタイルですね。



この15年の中国の経済発展で、ミドルクラスという階層が生まれたわけだが、いろいろな点で道徳観念も似ているし、特に見た目は他の国と変わらない。しかし世界的な基準から見れば、いかにも中国人らしいところもあるね。



映画『二重生活』

映画『二重生活』より




──中国人らしさを最も物語るものとは何だと思いますか?



男が自分の人生において二重の生活を築こうとする、そのやり方だね。そこにある矛盾を解消しようとはしない、そのやり方が中国人らしい。もちろん、愛人を持っている人は世界中にたくさんいるし、中国に限った話ではないと思うけれど、中国には「政治も二重」という側面があるからね。中国という社会が昔からずっと二つの顔を持っているんだから、人々は「二重」であることに馴れているんだよ。



映画『二重生活』

映画『二重生活』より




──中国だけに限ったことではありませんが、若い世代、新興富裕層の子供や、権力者と折り合いを付けている刑事たちの態度といったものは、その国の現在の状況を暗示していますね。



まさのその通りだね。同じことが中国人の精神性にも現れていると思う。金で解決ができると思っている、誰かが尻拭いをしてくれる裕福な子供たちと、真実を追求することなく捜査を中止する刑事は、精神構造が同じ生活様式の中で生きている。永遠に妥協し続ける世界に生きているんだ。



現代の中国では、法律そのものに威力がなく、すべてが交渉の世界だ。つまりモラルなんて存在しない。だから(この映画の)主人公は、自分の感情に折り合いを付けるために、ある決意をするんだ。捜査を中止する刑事のやり方と同じようにね。バランスを保つために、おかしな選択をする。それこそが、まさに中国人らしさだよ。でもそれは、中国という巨大な国規模で考えれば遙かに深刻な悲劇を生むことになる。誰も真実とは何かなんて気にしていない。その結果が、この映画の(英語の)タイトルである「ミステリー」なんだ。



冒頭で死んでしまう若い女の子は現代中国の犠牲者と言える。彼女は死ぬけれど、誰も彼女を「殺そう」とはしていない。そういった社会の犠牲者はけっこういて、その死はすぐに忘れられてしまう。その犠牲によって社会が発展していくかもしれないが、忘れて良い死などない。登場人物たちは、誰も悪いことをしようと思っていたわけじゃない。しかし、それぞれの行動すべてが悲劇的に作用してしまったんだ。



映画『二重生活』

映画『二重生活』より










ロウ・イエ(婁燁 / Lou Ye)プロフィール



1965 年劇団員の両親のもと、上海に生まれる。1983年に上海華山美術学校アニメーション学科卒業後、上海アニメーションフィルムスタジオにてアニメーターとして働く。1985年北京電影学院映画学科監督科に入学。



『ふたりの人魚』(00)は中国国内で上映を禁止されながらも、ロッテルダム映画祭、TOKYO FILMeX2000でグランプリを獲得。1989年の天安門事件にまつわる出来事を扱った『天安門 恋人たち』(06)は、2006年カンヌ国際映画祭で上映された結果、5年間の映画製作・上映禁止処分となる。



禁止処分の最中に、中国では未だタブー視されている同性愛を描いた『スプリング・フィーバー』は、第62回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した。パリを舞台に、北京からやって教師と、タハール・ラヒム演じる建設工の恋愛を描いた『パリ、ただよう花』の撮影後、2011年に電影局の禁令が解け、中国本土に戻って撮影された本作『二重生活』は、第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門に正式招待され、高い評価を受けた。



中国現代文学の代表的作家でありロウ・イエと親しい友人でもあるピー・フェイウー(畢飛宇)の小説を原作にした『ブラインド・マッサージ(原題:Blind Massage/推拿)』は第64回ベルリン国際映画祭銀熊賞(芸術貢献賞受賞)を受賞。日本では2014年9月にアジアフォーカス・福岡国際映画祭にて先行上映された。










映画『二重生活』

2015年1月24日(土)より、新宿K's cinema、渋谷アップリンクほか全国順次公開



監督、脚本:ロウ・イエ

脚本:メイ・フォン、ユ・ファン

撮影:ツアン・チアン

編集:シモン・ジャケ

音楽:ペイマン・ヤズダニアン

出演:ハオ・レイ、チン・ハオ、チー・シー、ズー・フォン、ジョウ・イエワン、チャン・ファンユアン、チュー・イン

配給・宣伝:アップリンク

(2012年/中国、フランス/98分/1:1.85/DCP)

公式サイト




[youtube:Z58mbWAgVMY]



映画『二重生活』

















「春頃に、トモナオがフルアルバムを作ったという話を聞いた。夢や現実や過去や未来、そんなものがぎゅっとつまった最高の音楽」曽我部恵一が尾崎友直について綴る

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7月2日にEARで開催された新作発売記念イベントより、尾崎友直。


曽我部恵一が主宰するROSE RECORDSより尾崎友直がアルバム『EAR』をリリース。自らミュージシャンであり、渋谷で知る人ぞ知るDJバーEARを運営し、そこから様々なアーティストとのコラボレーションを発信してきた鬼才だ。彼について曽我部氏に文章を寄せてもらった。



▼尾崎友直のアルバム『EAR』より「暴力」

[youtube:0GW1CrxUVHA]


トモナオと出会ったのは10年くらい前。

深夜、渋谷道玄坂の小さなクラブ。

お互いにお互いのことは全然知らなかったけど、すぐその場で友だちになった。




ぼくはその夜、そのクラブで少し歌ったのだった。

トモナオはそのときぼくに「きみのことは知らないんだけど、みんなきみのことが好きみたいだね」とニコニコしながら話しかけてきた。

そうしてぼくたちは友だちになった。




その夜に、彼が運営しているというEARというさらに小さなバーに行った。

クラブのすぐそばにその店はあった。

閉店後のその店で、ギターを弾いたりして過ごした。

彼のギターはとっても簡潔で生命力があって、ぼくはすごいなあと思った。

同い年だと言うこともわかった。同じような音楽を聴いてきていたことも。

でもふたりは全然違う人で、それがなんかよかった。




彼がギターを弾き、声を出すのを、この十年くらいのあいだに何度か聴いた。

素晴らしかった。自分が待っていた音楽がいつもそこにあった。

ぼくはROSE RECORDSというレーベルを運営するようになって、いつか彼の音楽をリリースできたらなあという思いを持っていた。

でも彼は自分でもEARというレーベルをやっていたし、そんなことは実現しないだろうなと感じていた。




春頃に、トモナオがフルアルバムを作ったという話を聞いた。

ひさびさにEARを訪れたら、ちょうどそのアルバムのマスタリング後のCD-Rが届いた日だったようで、彼はとても喜んでぼくに一枚くれた。

「どうやってリリースするの?」ってぼくが訊ねると、CD-Rでコピーして店で100円で売る、と言う。

ぼくはつい「トモナオの音楽は、もっとひろげなきゃ」と言ってしまった。

すぐさま彼は「ひろげることになんか全然興味ない。店で知ってる人みんなに買ってもらうことが重要」と返した。

ぼくは失言してしまったと感じながら、そうだね、と言った。

翌日の昼、渋谷を歩きながらそのアルバムをヘッドフォンで聴いた。

下北沢に着いて、彼に電話して「すごく良かった」と伝えた。

彼はそのとき大工の仕事中だったみたいだが、電話口で「ああうれしい。じゃあROSEで出してくれない?」と言った。




そうしてこのCDがここにある。

トモナオの理想だった「100円で売る」はコストのことがあって500円になった。

でも立派なCDが出来たと思う。

レーベルをやっていて良かったと思う。





夢や現実や過去や未来、そんなものがぎゅっとつまった最高の音楽。

いつだって、ぼくらが待ってるのはこんな音楽だ。




(文:曽我部恵一)










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7月2日にEARで開催された発売記念イベントより、曽我部恵一。










尾崎友直プロフィール


1971年11月生まれ、東京都世田谷区桜丘出身。16歳の頃よりパンクロックに影響を受けバンド活動を開始。1989年より都内のライブハウスにてライブ活動を精力的に展開。1998年、渋谷円山町にてDJバー「EAR」を開店、同時期に自身のレーベル「EAR」を立ち上げる。1998年、EARからソロ第一作「TAKE ME HOME」をリリース。その音楽性は幅広く、エレクトリックギター演奏や声を使った変幻自在なライブパフォーマンスはジョン・ゾーンやルー・バーロウ、ジャド・フェアらからも高い評価を得ている。

EAR公式HP











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尾崎友直『EAR』

発売中


ROSE 119

500円(税込)

ROSE RECORDS



★作品の購入はジャケット写真をクリックしてください。ROSE RECORDS SHOPページへリンクされています。




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