左より首藤和香子さん、犬山紙子さん、雨宮まみさん
特徴的な色使いや構成力を発揮するビジュアル表現や音楽の使い方の秀逸さ、現在24歳の自らと同世代の若者を主人公に愛や家族について語るストーリーテリングの力などで評価を受ける映画作家・グザヴィエ・ドラン。各国の映画祭で絶賛された『わたしはロランス』が9月7日(土)より新宿シネマカリテで公開されるにあたり、今作に共鳴するライターの雨宮まみさん、イラストエッセイストの犬山紙子さん、ファッションエディター&ライターの首藤和香子さんという3人のクリエイターがこの映画の魅力について語り合った。
『わたしはロランス』のココがすごい!(1)
この映画は「恋愛そのもの」
妥協しない人の愛は実らない!?
恋愛の辛さを納得させられる物語
犬山:私はここまで徹底的にお互い好きなのに細かく長く、やっぱりダメだったというのをリアルに見せられるのが、辛く、でも非常に納得しました。お互い「愛してる」と言い合っていても、結局好きだけじゃだめなんだ、っていう気持ちが、自分の過去の恋愛とフラッシュバックして……これを観た後「あの映画のどこが印象的だったかな」と思い出したら、ふたりが幸せなところしか出てこないんです。自分も、長くドロドロと苦しい付き合い方をしたあと、いいところしか思い出せないのと一緒で、最初のまだお互いの感性が一致するところで喜べるシーンばかりが思い出されて、たぶんふたりもそうなんだろうなって。何回もダメになっては、やっぱり好きで、でもだめで、という繰り返し。
首藤:「愛がすべてを変えてくれたらいいのに」これに尽きますよね。なぜふたりがこんなに惹かれ合ってるのかが、言葉とか条件で説明されているわけじゃないんですよね。最初のふたりのトークのノリで、すごく感性があうんだろうなというのは分かるけれど、それだけじゃ10年続かないし、「自分の子供よりも愛している」と言わせてしまうのは、きっと魂レベルで繋がっているから。言葉で説明できないところの恋愛感情。恋愛していると、自分の妄想や理想を投影して、思い通りの行動をしてくれないと傷ついたり、裏切られたと勝手に思ったりするじゃない?そういうところじゃなく、言葉で説明できないところの恋愛感情、説明不可能な感じで惹かれ合ってるのが切ないよね。こうだから好きだというのであれば、そこをなおす、といって歩み寄ったりできるけれど。だから余計重い。
犬山:あまりにも「恋愛そのもの」を見た、という感じでした。カップルがみんなこうなるというわけではないし、人それぞれですが「恋愛」の肝がドーンと描かれている。フレッドがカフェでキレて罵倒しちゃうシーンはすごく気持ちが分かりました。恋愛のなかで喧嘩をすると、自分が愛されていないことへの不安を覚える。だからロランスが「女になる」って言ったときも、フレッドはとまどうけれど、「彼が女に?」より、「私のことを愛していたのは嘘だったの」という気持ちが先に出るのはすごいリアルだと思った。
映画『わたしはロランス』より
雨宮:でも、残酷な作品ではないですよね。
首藤:むしろ希望がありました。ラストシーンで、枯れ葉が気持よく飛ぶなか、憑きものが落ちたようにふたりが晴れ晴れとした顔で歩いていく。うまくいかなかった恋愛として描いていなかったのが好感度でした。
もし彼から「女として生きていく」と言われたら
犬山:自分がフレッドだったらロランスと付き合えるかな?
雨宮:「女として生きていく」と言われたら、手伝おうとするのはすごく分かる。相手の意志を尊重したいし、女装については自分の方が詳しいから、と思って力になろうとするけれど、だんだん自分のなかで矛盾が出てきて、「私は本当は女になってほしいわけじゃない!」と分裂するんだろうなって。
首藤:私だったら、自分の旦那さんが女になりたいといったら無理かな。お友達にはなるかもしれないけれど、男女としての関係は解消します。
雨宮:彼が恋愛の対象としてなにを選ぶかにもよりますよね。「女と付き合うのは違うと思ってた」と言われれば、それはもうしょうがないと思うけど、ロランスはそうじゃないから、お互いに悩むわけで。
首藤:「女になりたい」と言われたことよりも、嘘をつかれていたんだというのが、いやなんですよ。
犬山:しかも悪意のある嘘じゃないから、どうにもやり場のない……。
首藤:言わせてあげられなかった自分もダメというか。愛し合ってて、しかも「良い関係を築いている」と思っていた人が、私に言えなかった事実があったということが、自分を傷つけてしまう。「私がそれを言わせてあげられなかった……イケてない……」っていうね。
映画『わたしはロランス』より
雨宮:フレッドは、告白されて腑に落ちる感じがあったのかもしれないですね。今まで感じていた些細なすれ違いみたいなものの理由はこれだったのか、と。でも、考えれば考えるほど、自分は恋愛の相手に男を求めているという事実から逃れられない。ロランスが女になりたいのと同じくらい、フレッドも女でいたいし、男と恋愛をしたいと思ってる。自分が求めているものと、相手が求めているもののどこに折り合いをつけるか。
でも、お互いに性別の問題を置いておけば「この人を愛している」ということは絶対の事実なんですよね。
犬山:ロランスのような場合、「女側がまずそれを認めてあげなきゃいけない」というそんな気持ちになるんですよね。「え、嫌だ」とかも絶対言えないし、自分が我慢をしていかなきゃいけない、けど折り合いがつかないという……。たとえば「私こういうときは男の恰好してほしいんだよね」とか「ここだったらむしろ女装して自分を解放して!」とか、お互い気持ちを詰めて、折り合いをつけようともできる。でも、ジェンダーの問題となると、そういうのですら相手を傷つける可能性だってあるし、相手の気持ちを中々察することが出来ない分意見が言いにくかったりする。で、ロランスはフレッドのそんな葛藤を自分なりに感じていて、「フレッドも言い出せないだろうし……」と思って、男の格好して、「僕のほうも譲歩するよ」という歩み寄りをする。
首藤:でもそれも悪あがきなんだよね。この映画は、ほんとうに「わたしはロランス」というタイトルの通り、自分以外のものになれないよ、というのを最初から言ってしまっている。歩み寄りとか、あなたが望むような格好をしたりとか、無理だから!っていう。自分は自分だから、というのをちゃんと描いている。
雨宮:それはフレッドもそうで、もともと普通だから普通に、常識的に生きたいからロランスを受け入れられないわけじゃない。フレッドは女として女の生をまっとうしたいと思っていて、歩み寄ろうとしてもできなかったんですよね。
「普通の恋愛」への憧れ
犬山:結局ふたりがこの後、付き合っていくことはムリなのかなあ。
首藤:すごく妥協のできる人もいるじゃない。例えば「旦那にときめきを求めていないし、結婚できたら私はそれ以外全部我慢できる」と妥協できる人もいると思うんです。でも、ふたりのような生き方しかできない人はダメだよね。
犬山:だからタイトルは「わたしはフレッド」でもいいんですよ。
首藤:「わたしは紙子」とか(笑)。みんなが当事者だということですよね。
雨宮:それから「恋愛さえなければ幸せに暮らしていける」という話でもありますよね。ファイブ・ローゼス(ローズ一家)みたいに、同居人としてだけならうまくいくし、恋愛感情抜きなら、ロランスとフレッドも仲良くやっていけると思う。世の中に「愛が全てを変えてくれる信仰」ってありますよね。恋愛がうまくいかなかった人に対して「それは愛が足りなかったからだ!」「それは本当の愛じゃない!」とか言ってくる人がいますけど、私はそれがすごく嫌なんです。「本当の愛だったの?」と聞かれて、自信をもって「本当の愛だった」と言える人って少ないと思う。そんなことを訊かれて、自分の非を思い浮かべない人なんていない。「愛があれば何でも乗り越えられる」なんて、そんなのは嘘だし、でもだからこそ難しい局面に立ち向かってでも愛そうとする姿勢が尊い。
犬山さん(左)、雨宮さん(右)
首藤:自分のやりたいことをちゃんと分かっている人って、当たり前にいるようでなかなか少なくて、そういう人たちのほうが恋愛苦労してたりする気がする。犬山さんの著書「負け美女」じゃないけど、彼氏いなかったり別れちゃったり、恋愛の茨の道を歩んでいる。
犬山:自分に対して妥協しない人ですからね……。相手のことを全て受け入れるのが愛っていうのは違いますよね。愛も愛でいろんな形があるし。自分を愛した結果うまく行かないということも多々ありますしね。
首藤:自分に譲れないものがそんなにない夫婦のほうが、結婚生活がうまくいってたりね。いろんなところに自意識がある人は大変だと思う。仕事と結婚を両立するのが。
宣伝部:結婚する人(生活)と恋愛する人(トキメキ)は別に考えなくてはならない、と人に言われたことがあります。
首藤:恋愛と結婚別説!
雨宮:その人の結婚は……?
宣伝部:たぶんものすごく好きな人と結婚して、それで日々期待しては裏切られ、みたいなことの繰り返しだったみたいなんです。生活の中で少しずつ少しずつ「好き」が死んでいく。
首藤:でも彼女は期待通りに動いてくれる人だったら、そもそも恋愛できたのかな?
雨宮:たぶんできてなかったと思うよ~~~!
首藤:それはそれで絶対「ツマンネー男」とか思っちゃうんだよ!
犬山:ぜったい正しい結婚なんてないって以前、小島慶子さんがおっしゃってました。正解なんてないし、みんな間違ってるだろうし、みんな正しい。でもフレッドも「いわゆる普通の幸せ」にけっこう固執していましたよね。
首藤:そこはすごい分かる。大恋愛をしてボロボロになった人がその次の彼氏が王子様に見えちゃって「助けてくれてありがとう」みたいな感じで、結婚するってよくあるパターン。たいがい破綻しちゃうんだけどね。
雨宮:フレッドの選択にリアリティがありますよね。ロランスへの愛を貫き通すのではなくて、どこかでみんなに祝福されて普通の恋愛をしたい、なんで私だけこんなに苦労しなきゃいけなんだろう、普通の人と結婚する道もあるのに、と思ったときそっちを選んでしまうというのは分かる気がします。社会的に受け入れられる結婚をしたいという欲求は私にもあります。フレッドはそれを選ぶことができるけど、ロランスはできない。でもその結婚でフレッドが満たされるかというと……だめなんですよね。
映画『わたしはロランス』より
首藤:フレッドの旦那さんが怒らないんだよね。奥さんがあんなことしても「分かったからもう帰って話そう」みたいに。あそこを修羅場に描かない。
犬山:あの旦那キモかった、妹の前でキスしてくるの。あんなことするから余計嫌われるんだよ~(笑)。気持ちは分かるけど、やり方間違ってるよ。
首藤:愛されている自信がないから不安なのよ。奥さんが離れていこうとしていることを感じていたんじゃないですか。
雨宮:すごくいい人なのは分かっているけど、どうしても心が動かないときの気持ち悪さ、居心地の悪さがにじみ出ている。
首藤:ときめかない人と結婚しちゃぜったいだめ!
犬山:「どうしても心が動かないときの気持ち悪さ」分かる(笑)。キスがドブの味!しかし、結婚する相手、どういう人がいいのかも人それぞれなんですよね。ときめく人と結婚したほうがいい人もいるし、そうじゃないほうが幸せな人もいる。
自由に生きることを選んでも逃れられない欲望
首藤:恋愛よりまず「自分がどういうものを幸せと思っているのか」「どういうものを求めているのか」ですよね。彼氏がほしいと言う前に「自分がどういう暮らしだったら気持いいか」その延長線上に恋愛がある。それを分かっていないと、誰と付き合っても難しい。
雨宮:「何がほしいか」と言われたときに、「ときめき!」「安定!」って、何かをはっきり答えられる人ってそんなにいないですよね。ときめきは欲しいけど毎日波瀾万丈なのはイヤだし、安定は欲しいけど何とも思わない男と暮らすのもイヤ。でもそこで「男」と答えたフレッドってすごく成熟していて、ロランスとの関係って、その質問に答えられる人同士の恋愛なんですよね。その上で、愛ゆえに、自分の欲しいものと違うものを受け入れようとする。
犬山:私も自分が何を求めているのか全然分かってない時は超迷走しました……。フラフラしてるから誰かが「結局お金持ってる人が一番」って言ったら「やっぱ金か」って思ったり、誰かが「ときめきがない結婚生活は辛い」って言ったら「やっぱ愛か」って思ったり。で、とことん見つめなおして「愛!」って自分の中で答えを出しただけに、好きっていうだけでは幸せになれない、というのが個人的にしんどかったんですよ。もちろんふたりの物語として考えたときには、成長をしているし、これからふたりはそれぞれ幸せになるんだろうと思うけれど、「こんなに愛し合っているのに」というもどかしさというか。
雨宮:理屈じゃないところで惹かれ合っているから、女になったロランスをどうしても理屈じゃないところで受け入れられないのがほんとうに辛い。彼自身はなにも変わっていないんだと思おうとしているんだけれど、その理屈で自分の感覚を説得できない。
映画『わたしはロランス』より
首藤:お互いが、理屈じゃないところで惹かれあっている相手だと思えているのがまだ救われていますよね。だからこそお互いが一緒にいられないことが分かってしまうという。
雨宮:「自由」と「普通」の物語ですよね。そのふたつの言葉がすごい出てくる。世間にとっての普通と常に比較されるということと、自由に生きたい、という意志の戦い。フレッドは自由に生きたい人なんですよね。でもどうしても自分の欲望からは逃れられない、というのが象徴的でした。そこからは自由になれないんだなって。自分の欲望には捕われざるを得ないんだと。
首藤:このふたりは大人ですね。ブレないものを持ってるから、答えが出ちゃう。
雨宮:外的な要因に振り回されてダメになったのではなくて、思う通りにやってダメだったから。でも、私はこの作品がそんなに重いとか辛いという感じはなくて。ロランスは最初女になることにすごく迷うけれど、その後は純粋に愛の悩みだけになっていく。世界の偏見と戦うことよりも、フレッドとの関係の方が大きな問題になっていく。逆に言えば、愛さえあればいいんですよね。後半は作家になることで社会と折り合いをつけることができて、インタビュアーに対しても強気に振る舞いますよね。インタビュアーの偏見を指摘し、途中で和解していくのもすごく良い。ロランスはそういう会話ができるほどこなれている。
首藤:強くなっているんだね。
雨宮:不器用な辛い人、じゃなくて、どんどん何かを獲得しようと動いていくから、そんなに辛くない。もともと知恵のある人だというのもあって、その能力が女になっても変わらず彼女を輝かせてる。それよりはフレッドとロランスはどう決着をつけるのか、ということがすごく大変。やり切って決着がついたんだなと思うと、そこまで辛くないような気がしてるんですけど……。愛についての結論、なにか出したほうがいいのかな?
首藤・犬山:そんなの絶対出ないよ!(笑)
雨宮:「愛が全てを変えてくれたらいいのに」って言ってるってことは、変えられないっていうことなんだよね……。
『わたしはロランス』のココがすごい!(2)
美しいビジュアル表現と
自己主張としてのファッション
80年代の空気をシックに切り取る
首藤:オープニングの目線がカメラに来ているところ、それからモントリオールの街のロケーションの都会でも田舎でもない独特の感じなど、まず映像にやられました。馴染みの俳優さんが出ているわけでもないし、私好みのイケメンが出ているわけでもないので(笑)、169分大丈夫かなと思っていたんですけれど。ガス・ヴァン・サントが好きだったんですけれど、彼がポートランドの街で撮るような、ちょっと枯れた都会の雰囲気がきれいに出ていて。あまり最近そういう映画がなくて、「私若いころこういう感覚で映画を観てた」というのを思い出しました。
犬山:ティナ(首藤)さんの騒ぎ方がいつもと違う感じだった。イケメンって言ってない!って(笑)。
雨宮:予告編でも使われている服が降ってくるシーンがすごく印象的で。色使いとかアルモドバルみたいな感じかなと思っていたんですけれど、本編はもっと繊細な色使いで、写真的というか、ワンシーンごとにすごく絵になるカットがありました。ドラン監督はナン・ゴールディンの影響を受けているそうですが、空虚な綺麗さではなくて、生活感がある美しい映像を実現させていましたね。
首藤:巨匠の画作りですよね。撮ってるとき22歳でしょ。アンファン・テリブル!あまり年齢でジャッジするのはフェアじゃないけど、それにしても、89年生まれだったら、80年代の空気感を見てないでしょ。それを憧れや空想で、トゥーマッチにならないギリギリのところで撮っている。
犬山:ファッションがザ・80年代という感じではなくて、今の感じを混ぜている。パーティーのシーンもどことなくエイティーズの匂いがするけど、今っぽい。80年代を知らない世代が80年代の雰囲気を表現したらこうなるんだろうな。
雨宮:フレッドがパーティーで着るスパンコールのドレスもかわいい。フレッドって外見がトゥーマッチな感じだけど、それに合っていてよかったな。
映画『わたしはロランス』より
生き様がファッションに出る
首藤:ふたりが逃避行するときに着ているパープルのコート、鮮やかだったね。いわゆる80年代リバイバルの蛍光色とかキッチュな感じは、ポップ・カルチャーとしてはアリなんだけれど、もうちょっとシックな人たちだっていた、というモヤモヤがあった。でもドラン監督は切り口が大人っぽい。
雨宮:ロランスはすごく美意識が高い人ですよね。ロランスが学校で女デビューするときのスーツも素敵。
首藤:ちょっと不格好なんだけどね。ロランスのお母さんもシックだし、出てくる女の人のファッションがみんなすてき。はすっぱなフレッドの妹が「寒い」と言いながらペラペラのライダース着て煙草吸っているのとか、生き様ってファッションに出るな、って。人生はそんなに簡単にはいかないけど、洋服や髪型で最低限、意思を示すことってできるじゃない。トレンドの服を着ているわけではないけれど、ファッション好きな人はこの映画、ハマると思う。インテリアのセンスもよかった。
犬山:あのショップのなかだと普通に見えるけど、ロランスの部屋に置くとかわいくて、センスある人ってそうなんだよなって。ふたりの関係を明るくするためにランプを買うみたいな、ああいう発想は私にはないな。
雨宮:「光あれ」とぼそっと呟くところも、フレッドが一緒にいたら笑ってくれるところなのに、いないから仕方なくひとりごとをつぶやいているように見える。こういうときに理解して返してくれる相手が彼女だったんだと感じるシーンでした。
映画『わたしはロランス』より
『わたしはロランス』のココがすごい!(3)
ジェンダーというモチーフを普遍的に描く
自分らしく生きたいという戦い
雨宮:ロランスは、自分が女になることについては悩みに悩んだ末の結論だから、告白したあとの自分についてはそれほど迷いがないんですよね。ただ、フレッドがロランスに「男」を求めているという一点のみで悩んでいる。一方、フレッドの葛藤は、自分がどうすべきか、彼を愛する人間としてどうするのが正しいのか、「正しさ」が分かっているのに、体がついていかないという葛藤。何度も受け入れようとするんだけれど、それがどうしてもできない。でも、心の片割れとしてロランスを求めている。性転換というモチーフを描くことで、私たちは相手のいったい何を愛しているのか、ということを浮き彫りにしていく面もありますね。「性別が変わったら愛せない」でも、「性別が変わってもあなたはあなただから好き」でもない、その間にあるものの話。
雨宮さん(左)、首藤さん(右)
首藤:ロランスの恋愛対象は女性ですが、わたしたちは女装していたら男と恋愛するんだろうと決めつけてしまう。けれどスカートをはいていても女の人と付きあう人も普通にいる。周りにもそういう友達が多いから分かった気になっていたけれど、まだ自分もセクシャル・マイノリティの人たちをステレオタイプに見てしまうところがあるんだ、と思いました。
犬山:ロランスは自分が女として生きる覚悟もあったと思うけれど、フレッドと一緒で、もし自分がこのまま男だったら、普通の幸せが得られただろうか、と思っている。
雨宮:本当は女性として生きたいロランスが、男の姿で授業をしながら、爪にクリップを着けるシーンは、ロランスの苛立ち、女性の姿でいたいというストレスが、すごく美しい形で表現されていましたね。
首藤:ロランスは「自分が自分らしく生きたい、というだけで戦わなければいけないんだよ」と教えてくれてますよね。男とか女とか関係なく、なにかをしたいと思ったときに、いろんなものが邪魔をしてくるけど、ひとつひとつ自分の意思で戦っていかなければだめだ、というのを22歳の監督に言われているけど、ほんとうにその通り。
『わたしはロランス』のココがすごい!(4)
「普通」とは?「親子」とは?ドラン監督の主張
教養は孤独から救ってくれる
雨宮:何かを諦めてリタイアしているカップルや、無責任な言葉を投げてくるカフェのおばさんなど、自分の常識を疑わず生きてきた人のことは、心のどこかが麻痺しているように冷たく描かれていましたね。柔軟に変わっていく可能性がある人は表情が生き生きしている。そこをはっきりと分けて描いているところに監督の主張を感じました。残酷なくらい、魅力的な人間とそうでない人間をはっきりと分けて描いている。「普通」という名のもとに、鈍感で無神経で、愛について真剣でない人はこんな顔になるんだ、と言わんばかり。
私は、ロランスが文学を拠り所にしているところが好きですね。教師を辞めるときも「この人を見よ」と黒板に書いて誇らしく立ち去る。誰も支えてくれないときも、文学が彼を支えてくれている。教養は決して彼を裏切らない。
犬山:私たちもそうですよね。暗黒の中学・高校時代は文学が助けてくれました。そして、今の仕事も、知らない誰かにいろんな事言われたり、誤解を生んだり、影響を与えたり、色んな特殊な面がある。正直、知らない人に「死ね」だなんて言われずに済むならそれにこしたことないけど、私にはこういう生き方しか今はできないんですよ……。だから、ロランスがお母さんと生き生き話したり、インタビューで上手くしゃべってるのを見ると嬉しくなる。
雨宮:文学は、仲間がいない人を救いますよね。
首藤:世界共通なんですね。ドラン監督も若い頃から自分がゲイだという自意識があったから、いろんな思いをしてきたはず。音楽もザ・キュアーとかいろんなバンドの曲を使っていて、こうしたカルチャーに助けられてきたんだろうな、ということを感じました。映像とのマッチングが良かったですね。
映画『わたしはロランス』より
雨宮:ドラン監督はデビュー作『マイ・マザー』では母と子をテーマにしているそうですが、今作でのロランスと母親との関係の描き方も良かった。母は夫との関係がいちばん大事な人なんですが、ロランスに「お母さんは昔から、母親じゃなくて女だった」と言われたときに、「あなただって息子じゃなかったじゃない。娘だと思ってたけど」と返すシーンは、お互いに一般的な理想の親子ではなかったけど、対等な人間としてお互いを受け入れていこうという表現ですよね。
首藤: 私も結婚して子供もいるから、母親を完璧な女性として描いていないところにグッときました。フレッドの「自分の子供よりも愛している」という言葉も、「それ絶対言っちゃダメ~!」ってセリフじゃない?それを言っちゃったり、ロランスの母親も女でいたいから子供と父親との間に入ることができない。でも世間では母親って、子供を生んだ瞬間に「あなたお母さんなんだから」とか「子供のために」って期待されがちなんだけれど、そんなのちゃんとできる人なんていないよっていうことを暗に言ってくれている。擬似家族みたいなファイブ・ローゼス(ローズ一家)も象徴的ですよね。例えばまみさんの言う「こじらせ女子」が、東京に出てきて話せる人がいないときに、ここに行けば自分と同じような人が集まっている、とか自分が好きなバンドのライヴに行くと、そこの会場の雰囲気に救われることってあるじゃないですか。血の繋がりとか愛し合っている恋人同士じゃなくても居場所って作れるんだよ、というアンサーがあって。
犬山:ファイブ・ローゼス(ローズ一家)の描き方が、やたらと多幸感があって、みんなケラッケラッ笑っていたじゃないですか。「私たち幸せよ」ってちょっとわざとらしい。
首藤:だから劇場を住まいにしているんじゃない?シアトリカルに演じている。母親でもないのに「私の息子よ」ってそのロールを演じている。
犬山:みんなの逃げ場だし、美しい場所だけどそこに孤独があるのかな。あそこはちょっと切なくなりました。
(構成:駒井憲嗣)
雨宮まみ
ライター。性や恋愛、自意識などをテーマに数多くの媒体で執筆中。主な著書に『女子をこじらせて』、『だって、女子だもん!!』(ともにポット出版)など。
https://twitter.com/mamiamamiya
犬山紙子
イラストエッセイスト。美人なのになぜか恋愛が上手くいかない女性たちのエピソードを綴ったイラストエッセイ『負け美女』(マガジンハウス)で作家デビュー、女性観察の名手として注目を浴びる。
https://twitter.com/inuningen
首藤和香子
ファッションエディター&ライター。ファッション専門のフリーライターとして学生時
代から活動を開始。出版社勤務、フリーランスを経て編集プロダクション「TANAKAKIKAKU」を設立、代表取締役を務める。
http://www.tanakakikaku.info/
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■AndAとのコラボアイテム発売、POP UP STOREオープン!
映画『わたしはロランス』と、ファッション・デザイン・アート・音楽などのジャンルをクロスし、グローバルな視点で刺激ある新しいスタイルやカルチャーを発信するコンセプトショップAndAとのコラボアイテムが発売、新宿フラッグス店では『わたしはロランス』のPOPUP STOREがオープン!
今回販売されるアイテムは4種で『わたしはロランス』のファッショナブルでエモーショナルな部分がフィーチャーされたアイテムとなっている。
*公式 HPキャンペーンページはこちら
http://www.uplink.co.jp/laurence/campaign.php
●Tシャツ(価格:¥5,250/サイズ:XS,S/色:白、青、グレー)
●パーカー(価格:¥8,400/サイズ:1サイズ/色:白、紺、グレー)
●ブレスレット(価格:各¥1,680/全7色)
●トートバッグ(価格:¥3,990)
映画『わたしはロランス』
2013年9月7日(土)、新宿シネマカリテほか全国順次公開
モントリオール在住の小説家で、国語教師のロランスは、美しく情熱的な女性フレッドと恋をしていた。30歳の誕生日、ロランスはフレッドにある秘密を打ち明ける。「僕は女になりたい。この体は間違えて生まれてきてしまったんだ」。それを聞いたフレッドはロランスを激しく非難する。2人がこれまでに築いてきたもの、フレッドが愛したものが否定されたように思えたのだ。しかし、ロランスを失うことを恐れたフレッドは、ロランスの最大の理解者、支持者として、一緒に生きていくことを決意する。
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:メルヴィル・プポー、スザンヌ・クレマン、ナタリー・バイ
2012年/168分/カナダ=フランス/1.33:1/カラー/原題:Laurence Anyways
配給・宣伝:アップリンク
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/laurence/
公式twitter:https://twitter.com/Laurence_JP
公式facebook:https://www.facebook.com/laurenceanywaysJP
▼『わたしはロランス』予告編
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