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Channel: webDICE 連載『DICE TALK』
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「美輪さんはマイナーなところから出発し、今はメインストリームで多くの人に愛されている」

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映画『美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~』より ©KIREI



ジャンルを超えたビジョンのもと、新しいアーティスト像を作り上げた美輪明宏さん。自身初となるドキュメンタリー映画『美輪明宏ドキュメンタリー~黒蜥蜴を探して~』がいよいよ8月31日(土)より東京都写真美術館ホール、渋谷アップリンクで公開、以後全国順次ロードショー公開される。




監督のパスカル=アレックス・ヴァンサンは、今作を撮ることになったきっかけについて、次のように語る。

「90年代、私はフランスの日本映画配給会社で働いていた。会社には東宝、大映、松竹、日活がフランス向けに売り出そうとしている約200タイトルのカタログがあった。ある時、その会社が深作監督の『黒蜥蜴』の劇場公開を手がけることになる。私は作品がとても気に入ったが、なぜ主演女優の名が“アキヒロ”なのだろうと不思議に思った。日本人の友達に聞いてみると、美輪さんは男性として生まれたらしい。松竹のように大きなスタジオが、女装した男性を大きな役に起用したことに、私はとても驚いた。ハリウッドやフランスのスタジオではあり得ない。そこで、美輪さんについて調べてみることにした」。




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映画『美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~』のパスカル=アレックス・ヴァンサン監督


監督は、2008年後半に美輪さんの事務所に手紙を送り、ドキュメンタリーを撮りたいという意思を伝えた。

「それから、私の初めての長編映画で劇映画の“DONNE-MOI LA MAIN”(英題“Give Me Your Hand”)のDVDを送った。2010年に、アメリカを含む12ヵ国で上映された作品である。美輪さんは『いいですよ。でも、まずはあなたにお目にかかりたい』という返事をくれた。私は東京に飛び、銀座で美輪さんやスタッフと初めて会った。じっくり話をすると、美輪さんは自分のキャリアについて私がよく知っていることを分かってくれた。美輪さんを尊敬していること、その大ファンであることも。そして、『いいですよ、映画を撮りましょう』と言ってくれた」。



パスカル監督は、2009年11月に撮影のためプロデューサー、通訳、撮影監督を連れて再び来日。

「美輪さんは自宅で撮影させてくれた。撮影の間、美輪さんは大変協力的で、あらゆる質問に答えてくれた。その素晴らしいキャリアのすべてを、フランスの観客に知ってもらいたかったので、撮影は何と1週間近くにも及んだ。何よりも、美輪さんはとても暖かく、面白い人だった。素晴らしいユーモアの持ち主なのだ。また、フランスとフランス文化への深い造詣を持っていた」。




監督は帰国後、10時間に及ぶインタビューを、1年を費やしテレビ用の52分のバージョン、そして今回日本で劇場公開される63分のバージョンに編集。作品は2011年1月11日にフランスのテレビ局で放送された。

「作品はとても好評で、フランスでの反響は非常に大きなものだった。雑誌に素晴らしい評が載った。フランスの観客の大多数にとって、それは美輪さんとの初めての出会いだったのだ。フランスにおける朝日新聞ともいえる「ル・モンド」など、硬派な一般紙にも記事が出た。元はフランスのテレビ用だったこの作品は、映画祭での上映がされた。ゲイ&レズビアンの映画祭ではなく、一般の大きな映画祭での上映だった。やはり反響は大きく、ヨーロッパの各地で上映作品に選ばれた。そしてさらに、アメリカの複数の映画祭でも上映された。美輪さんの仕事を世界中に紹介することに、私の映画が貢献できてうれしい」。



監督は日本公開にあたり美輪さんを大好きな理由をあらためて「マイナーなところから出発して、今はメインストリームで多くの人に愛されているところ」と語り、「78歳という年齢にもかかわらず、とても若々しい。情熱があるから若いのだ」と賛辞を寄せている。




美輪さんはシンガーソングライター、舞台演出、俳優、脚本、衣装デザイン、さらには執筆・講演といったマルチな活動について、「ひとりの人間には、ご両親、そのまたご両親といたどっていけば、何百、何千という人間の性格と才能が宿っている。それだけ多くの人間の才能が受け継がれているのですから、可能性は無限大なんです。私がマルチに活躍できるのも特別なことではないのです」と語る。




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映画『美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~』より ©KIREI


映画公開にあたり様々なメディアのインタビュー受け、それに答えた美輪さんは、「日本でも明治までは、お小姓文化や若衆茶屋という文化があって、市民権を得ていました。それが日本が軍国主義に走るようになってから、国策に反するということで男色は国賊扱いになったんです。その時代に、アインシュタイン、チャップリン、エジソンら天才が憧れた多様な日本文化は大きく破壊されたのです。私は何とかそれを取り戻したくて、終戦後にお小姓文化を現代風にアレンジしてこういう男でも女でもない姿を演出するようになったんです」と、自身の表現の根底にある社会への問題提起を明らかにした。



ドキュメンタリーのなかでも美輪さんは、デビュー当時の反響について「私が1952年にシャンソン喫茶で、男でも女でもないという今のビジュアル系の格好で歌い始めて、銀座で有名になったのがきっかけで、それまで隠れていたゲイの人たちもそうしたファッションをしだしたんです。だから日本人は、デヴィッド・ボウイやボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブ)が出てきたとき、誰も驚かなかったんです。そのずっと前に私がいたから」と語っている。




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映画『美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~』より ©KIREI

また2012年のNHK紅白歌合戦で歌われ大きな反響を呼んだ「ヨイトマケの唄」についても映画では触れられており、美輪さんは「九州の炭鉱の町で、とても不景気でどん底の生活をしているのに、お金を握りしめて聞きに来てくれる人を見て、この人たちを励ましたいと、作詞作曲をしてビジュアル系の衣装も宝石も毛皮もメーキャップも辞めて、素顔で歌うようになったんです」と、楽曲が生まれたきっかけについて解説している。








長崎出身の美輪さんは、この8月テレビで自らの被爆体験を語った。「被爆体験というのは、どんなに言葉を尽くしても、やっぱり体験した人でないとわからないから、自分自身無力感にとらわれそうな気持だったのですけど、今の自民党政権下で憲法9条を改正しようという動きがある中で、いてもたってもいられなくなったんです。いままでテレビでは話さなかったのですが『なんとしても伝えないと!』という想いです」と胸の内を明かした。



映画公開以外にも、9月からは美輪さん自身が舞台美術、照明、衣装に至るまでの全てを手掛け、ライフワークと言える「ロマンティック音楽会」をパルコ劇場にて開催。今年の音楽会では現在の社会・政治情勢に対して警鐘を鳴らす意味を込めて、第一部で『悪魔』や『祖国と女達』といった反戦歌を披露する。さらに10月からは野田秀樹演出、宮沢りえ主演による舞台『MIWA』が上演される。



美輪さんは「いま、世の中がとてもきな臭くなってきています。いまこそ私は日本人、特に若い皆さんには目覚めて欲しい。この映画や音楽会がそうした目覚めのきっかけになれば本当にうれしく思います」とメッセージを寄せている。











映画『美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~』

8月31日(土)より東京都写真美術館ホール渋谷アップリンクにて公開




主演:美輪明宏

出演:横尾忠則、深作欣二、北野武、宮崎駿ほか

監督:パスカル=アレックス・ヴァンサン

撮影監督:アレクシ・カヴィルシン

編集:セドリック・デフェルト

原題:Miwa : a la recherche du Lezard Noir(Miwa, A Japanese Icon)

2010年/フランス/日本語・フランス語/63分

提供:パルコ

配給:アップリンク

宣伝:アップリンク・Playtime・佐々木瑠郁

(c)KIREI



公式サイト:http://www.uplink.co.jp/miwa/

公式facebook:https://www.facebook.com/MiwaIcon.movie



▼『美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~』予告編


[youtube:uj7wsq6TxhU]





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