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Channel: webDICE 連載『DICE TALK』
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現代美術や映画で亜流として培われてきた“ヴィデオ”という複製芸術

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「 交換可能都市」瀧健太郎(2002)


11月7日と14日の2夜にわたり渋谷アップリンク・ファクトリーで、ふたりのヴィデオ・アーティストの上映イベント「ヴィデオ:コラージュ/モンタージュ 瀧健太郎×西山修平」が開催される。映像が氾濫している現代の社会において、ヴィデオとは果たして何かを問いながら、世界を映像によって切り刻み続けた瀧さんと西山さん。このイベントでは彼らの軌跡を追いつつ、ヴィデオによるコラージュ/モンタージュという視点で、情報メディア社会を読み解き、空白の美術史・映像史を問いかける。

開催に先駆け、webDICEでは恵比寿映像祭の多田かおりさんによるインタビューを掲載する。



瀧作品はパズル、西山作品はシュレッダー



──今回の特集上映には、「コラージュ」と「モンタージュ」というキーワードがありますが、おふたりはどのようにこれらの言葉をとらえていらっしゃるのでしょうか?



瀧:ヴィデオアートは、映像ですが直線的な物語性のある「映画」でもないし、支持体が電子メディアなのでこれまでの「美術」とも違うので、僕と西山さんのふたりで特集やるなら、ふたりともヴィデオを使っているので「ヴィデオ性」なるものを際立たせるためにわざと映画や美術のキーワードをもってきました。僕自身は1998年からの作品を見せますが、はじめはニュース映像とかのテレビ映像、身体、日記的な映像を使って、それでコラージュをしているということに最近に気付いたんです。好きなんですかね?



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瀧健太郎


西山:「コラージュ」も「モンタージュ」も美術と映画の用語ですが、目新しい概念ではなく、美術や映画の分野だけでなく日常でも使用され、ヴィデオの表現でもごく当たり前に行われていますが、あえてヴィデオによって行われる「コラージュ」と「モンタージュ」として考え直すことによって、ヴィデオの芸術の特異性が見えてくるのではと考え、あえてこの概念を挙げたと言えます。



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西山修平


──テーマとしては瀧さんが「コラージュ」で西山さんが「モンタージュ」ということですか?



瀧:そうですね。物の本によれば、「コラージュ」はフランス語で「貼り付け、糊付けする」、「モンタージュ」は「組み立て、据え置く」という意味から来ているようです。映画ならあるシーンを前後の映像の時間軸に据え置くのが「モンタージュ」、それと「コラージュ」は似てるんですが、二つ以上のものを空間的に配置するという風に捉えて、今回は何となく瀧作品を「コラージュ」として、西山さんの作品を「モンタージュ」としてみたらどうなるかな、と。両方に「ヴィデオ」をくっ付けてみて。サブタイトルで瀧をパズル、西山作品の特徴をシュレッダーとしてみました。それぞれの違いが対比的に見えればいいですね。



作品が社会で批評性を持つことを目指す




──コラージュは視覚芸術における平面上に、モンタージュは映画における時間軸において共にイメージを対立させる手法として出てきた用語ですね。さきほど仰ったとおり映画でもない美術でもないヴィデオアートのなかで両方の用語を使って第三の場を作るということかなと理解しましたが。



瀧:ヴィデオアートにおける作り手は、作品を作りながら、発表や批評といった状況そのものも作らないといけないんです。とくに日本の場合そうだと思います。



──「モンタージュ」はエイゼンシュテインが提唱し、「コラージュ」はキュビスムから発生してダダイズムでも用いられた方法ですが、ともに作品が社会で批評性を持つことを目指しています。そういう社会性を意図された試みの場として作品を作られていますか?



西山:日常のものを引用してくる「コラージュ」や、異なる要素をぶつける「モンタージュ」により新たな価値を生み出そうとするといった社会性が制作のベースにあると思いますが、今回はクルト・シュヴィッタース、ジガ・ヴェルトフをキーワードとして引用してみたんですね。



シュヴィッタースやヴェルトフと比較できるのは、ヴィデオとそれらの類似性があるんではないか、そういうヴィデオの特異性が、現代美術や映画で亜流として培われてきたことと僕らの作品と関連づけられたらいいかなと思いました。



瀧:シュヴィッタースは、初期に平面上に封筒や新聞などの切れ端を貼り付けていたのですが、だんだんとはみ出して立体的になって、「メルツバウ」の様になっていくんですけど、それと自分のヴィデオ作品もモニターというフレームから出て、空間を使い始めてゆき、かなり参考にしたところがありました。「100年を越えて、同じような気持ちなのかな」とか勝手に思ったりして。



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「ビルト・ミュル#8」瀧健太郎(ヴィデオインスタレーション, 2013)



ダダにしても、当時は新聞や雑誌、広告、看板といったイメージが生活の周りに溢れてきはじめていたということ、表現・創作の素材が絵具やキャンバスに限らず、詩やパフォーマンス、ベルリンのダダなんかは銃をぶっぱなすこともやっていて、自分がヴィデオで創るときもどんなものでも素材になるという気持ちがあります。



西山:瀧さんの作品は、映像をリサイクルしてるよね。切り捨てるのではなく、循環させているような……。



瀧:ヴィデオは時間要素があるので、繰り返したり、あるいは空間的にもトリミングする。つまり、あるシーンの一部分だけを切り取ったりするのは、鋏で写真をチョキチョキ切る感覚と似ています。それが楽しい作業でもあります。



──瀧さんのインスタレーションからは、そのようなイメージが切り貼りされ増殖していく印象を受けます。ヴィデオが増殖して空間に寄生してるみたいですね。またシングルチャンネル・ヴィデオを制作されるさいも同じ作り方をなさっているということですね。



瀧:もってきた映像を、完全に読み違えて、勘違いだらけの空間を作るというのがありますね。それを音楽的に配置するか、身体を使って抑圧をテーマにやるか、日記的にやるかなどそれぞれの作品で少しずつ違うとは思いますが。既存の映画的な手法とは、まったく違う方法をどうやるかということに心血を注いでいる感じです。



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「タングラム」瀧健太郎(2001)


創ることと、考えることが同時に進行していく




──ヴェルトフを引用したことについてもう少し伺ってもいいですか?



西山:ヴェルトフの『カメラを持つ男』はすごい作品ですが、また同じ様な作品を作ろうと思っても作れないだろうし、同じテーマであの作品を越える作品もその後ないと言えます。彼はキノ・グラース(映画眼)という概念で、単純に言うと、映画カメラのレンズと人間の目を同一視していて、見る側と見られる側との距離や関係性が、近づいたり、反転したりして、映像を見ることと現実を見ることがもっと密接に結びついていると思います。



その点、エイゼンシュテインの方は、映像に映っているイメージ同士がぶつかるといった、見られる対象と見る者の関係性がくっきり分かれているという点で違っていて、ヴェルトフの方がもっと複雑なものとして現れています。その関係におけるモンタージュが、ヴィデオのモンタージュと近いと思っていて、自分の作品でもそれを意識しています。



──西山さんの過去の作品では、一つの画面の中に帯状の異なる時間が同居しているものがありましたね。 あるイメージを見ることとそれを操作することが同時に現れている映像、という点で、今仰ったことと近いように思います。



西山:ヴェルトフもシュヴィッタースも未だに批評的に分析して、語ることができない作家たちだと思います。増殖していくような、創ることによって思想が展開している感じが、今のヴィデオの作り方に似ているかも知れない。創ることと、考えることが同時に進行していくような。



瀧:プロットとか無く、着地点もなく作っていくような。



──ブリコラージュということですか?試行錯誤を重ねていくうちにできるということですか?



瀧:そうですね。有り合わせのものでやる、アッサンブラージュとも言えますが。



西山:ヴィデオだと「フィードバック」と言えると思います。システムの中に入っていく感覚だと思います。ヴェルトフだと映画のシステムの中に入っていくし、シュヴィッタースだと空間の中に入っていく、自分が分裂していくのかも知れませんが、そういう感覚に近いんだと思います。



──人間が半分、装置になって作っていく感じですか?



西山:危険だよね。



瀧:ヴィデオ人間になるんだものね。だから僕なんかはパズル的に謎解きしながら作るという……以前は音楽的な快楽性に決着をつけるところ、オチを付けてしまうみたいなのがあったから。いいも悪いもなくそのままの状態をどうキープしていくか、仮の結論として定着させるというか。



西山:観客を困惑させるような?



瀧:作者ははじめにそのヴィデオのシステムに入り込んで、ヴィデオの記号にも信号にも翻弄される役割なんです。多少整理をするけどどうやって、その状態のまま見せるかということです。




現代美術の文脈で映像を作る人たちとの違い




──現代美術の文脈におけるヴィデオアートをどう考えますか?ヴィデオアートを歴史的にみると、その時々の制作体制に支えられていた部分も大きいと思います。技術と市場の条件下でどういう風にヴィデオアートがアート足り得ると考えられますか?



瀧:上映用のシングルチャンネル・ヴィデオは画面というフレームに納まっているので、ひょっとしたら市場に出やすいのかも知れません。一方で現代美術の中では空間を暗くしてダーク・キューブにして見せるという方法がここ20年間くらいで行われてます。それとは違って屋外で夜間に投影するような実験もあり、実験的な作品はいつも異形のものとして見え、なかなか受け入れられないですね。




先ほどのヴィデオ・システムに入り込んで出来上がる作品はアウトプットがどうなるかわからない場合があって、それが市場に向けて作ることとは相容れないですね。そういう意味で、当初から売るためのアートを作っている作家を見ると苦しそうだし。先ほど挙げた100年ほど前の先達、ヴェルトフやシュヴィッタースにしても市場がそれほど成熟していなかったにせよ、はじめからそれを意識して作ったとは思えない。



西山:テクノロジーとヴィデオの結びつきがあると思いますが、皆が映像作品を作れるようになって、現代美術作家との差異化がないと思われるかも知れない。でも「ヴィデオ」っていうと語感的に古臭いと思われるかも知れないけど、映像作品のメディアであるヴィデオというものに対する意識の有無に関しては、現代美術の文脈で映像を作る人たちと明確な違いがあると思います。例えば、現代美術での映像作品は、絵画というメディアの延長上で映像を、色を見せるだけに使っていたり、スケールに関しても大きければ良くて、小さいとダメというような感性でやっているような気がします。僕らはもっと家庭用のTVモニターで見せても成立すると思って作っている。そこには、ヴィデオというメディアに対する感性、作品に対する感性の根本的な違いがあるように思います。




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「瞬く間に」西山修平(2013)


現代は人生の時間のタイム・コラージュの時代




──現代の多様なメディア状況で、おふたりがとくに意識されていることとは何でしょうか?



西山:僕の定義だとヴィデオは、電子信号の映像と音声というメディアをどう扱うか、なんです。ヴィデオが、例えばアナログであるだとか、テレビ用のメディアだとか、コンピューター上のデジタル情報になって近くで見たり、インターネットで遠隔地に飛ばして観たり、4Kになって高解像度になろうが、音声情報と映像情報の組み合わせであることには変わりない。だからすべてをヴィデオというメディアとして捉えることができると思っている。



瀧:ヴィデオは複製芸術で、ベンヤミンが言うアウラの消失したメディア表現だから、資本と交換可能な現代美術の文脈において、ヴィデオは作品足り得ないのかな?わからないけど、そういった状況を観客や作者をどう結び付けなおすか、という確認作業なのかも知れません。



──先ほど仰っていたヴィデオの場のような……?



瀧:そうですね。日常生活の時間が僕らの作品以上に、細切れにされた時間を生かされていて、そのことはもっと誰しもが考えなければいけない問題だと思いますけどね。



西山:そうそう、僕たちのように映像の時間のことをすごく考えている人が変わっているではなくて、映像は現実にすごく近いから、すべての人に共通の問題として考えてもらえたら。



瀧:ナム・ジュン・パイクに「タイム・コラージュ」という本がありますが、現代はまさに人生の時間のタイム・コラージュの時代。一本の連なった人生を歩んでいる人が都市生活者に果たしているのか。だったら皆細切れになった時間を切り貼りして、ランダムアクセスとして生きる、パイクの言うタイム・コラージュとしてそこから何かを導き出すようなことが必要になってるんじゃないか、と思います。



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「1 / 100*100 タイムレスヴィデオ」(2013)西山修平



──オーディエンスについてはどう考えられますか?



瀧:映画にも、テレビにも、インターネットにも飽きてしまった観客がいたら、ヴィデオアートで得られるリアリティはあると思います。自分自身が1970年代に登場した頃のヴィデオアートの様々な問題にシンパシーを感じるところがあって、逆に先ほどの話ではないですが2000年代以降の作品にはあまり魅力を感じない。だからこそ僕らが尖がったことやらないとね。



西山:社会の状況に対して、僕たちは真剣に向き合おうとしているとは思いますが、たとえば美術や映画の作り手が市場に囚われ過ぎているのに対して、そうじゃないものを求めているオーディエンスが居たら、いいのかも知れません。





──今回の作品について話してもらっていいですか?



瀧:当初はヴィデオカメラを持って無く、当時VHSで録画した映像を部品にして作ったヴィデオ・コンポジションというのがあります。最近ヴィデオ・フッテージをアーカイヴ化してるので、そこから展開できるなと。90年代後半は技術的な制約があったのですが、今は音楽を指揮するようにヴィデオの交響楽が作れそうだなと思っています。ノイズを作曲するように。上映作品として今回はやりますが、ゆくゆくは空間的な作品にも応用できそうです。



西山:僕は映像と音声を全く別々に作りたいと思ったんです。通常は映像が先にあって音とか、音が先にあってそれに合わせた映像を作るということがあるんですが、それを別々に作ったらどうなるかというトライをしています。



瀧:チャンスオペレーション的なもの?



西山:いや、偶然的に異なる要素をくっつけるというのではなく、自分が言いたいことを伝えるために、自分を3つに分けて、違う方法によって一つのことが語れるかどうか。それがもし可能となれば何かを語るに際して、雄弁に語れるのではないか、と。映像はふつうの映像を使って、音声もふつうなんだけど、ずれてくる。混ざった時にどうなるか。やってみたらテキストも画面に入ってきて、偉そうなニコニコ動画みたいになってしまうんだけど、そういった新しい事をやろうとしています。



(聞き手・文:多田かおり[恵比寿映像祭、東京藝術大学映像研究科後期博士課程])










瀧健太郎 プロフィール



1973年大阪生まれ。文化庁派遣芸術家研修員)(2002)、ポーラ美術振興財団の研修員(2003)としてドイツでヴィデオ、メディア芸術について学ぶ。「アジアンアートビエンナーレ2009」(台湾国立美術館)、「Video Life」(2011, StPaulstGallery, NZ)、「黄金町バザール2011」にて屋外での映像投影、「Les Instant Video:50 ANS D’ARTS VIDEO」(2013, Marseille)でのヴィデオアート誕生50周年展などに参加、またヴィデオアート先駆者の証言を集めたドキュメンタリー「キカイデミルコト」(2011)など啓蒙活動も行なう。

http://takiscope.jp/






西山修平 プロフィール



1976年、神奈川県鎌倉市生まれ。立命館大学文学部にて美術批評を専攻。アヴァンギャルドシネマ やヴィデオアートに影響され、1998年からヴィデオ、8mmフィルム、写真を用いて作品制作を開始。 シングルチャンネル、インスタレーション、パフォーマンス作品を制作。2007年から2008年までオー ストラリアに滞在し作品を制作し、シドニーにて個展を開催。2009年から東京を拠点に活動。2012 年は新宿ゴールデン街グリゼットにて個展、パリ・ポンピドゥーセンターにて上映。これまで欧米、ア ジア各国での映像フェスティバルにて作品が上映されている。

http://www.shuhei2480.net/











VIDEOREFLEXIVE Vol.3

ヴィデオ:コラージュ/モンタージュ

Video : Collage / Montage

特集:瀧健太郎・西山修平

2014年11月7日(金)・14日(金)

会場:渋谷アップリンク・ファクトリー



19:00開場/19:30上映(上映後トークショー)/21:30終演予定

料金:一般1,500円/学生1,000円




2014年11月7日(金)

vol.1 瀧健太郎 Kentaro TAKI Video Collage/Puzzling

ヴィデオ・コラージュ/パズル

※上映後、瀧健太郎×平本正宏(作曲家)とのトーク



2014年11月14日(金)

vol.2 西山修平 Shuhei NISHIYAMA Video Montage/Shredding

ヴィデオ・モンタージュ/シュレッダー

※上映後、西山修平×沢山遼(批評家)とのトーク



ご予約は下記より

http://www.uplink.co.jp/event/2014/32391






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【同時開催】

瀧健太郎・西山修平ギャラリー展示

11月5日(水)~ 11月24日(月)

会場:渋谷アップリンク・ギャラリー



10:00-22:00

入場無料

主催:UPLINK ビデオアートセンター東京

助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)

http://www.uplink.co.jp/gallery/2014/32486





▼ヴィデオ:コラージュ/モンタージュ Video : Collage / Montage 瀧健太郎・西山修平

[youtube:XZTlavpSjig]

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