渋谷アップリンクで開催中の「ドキュメンタリー制作上映ワークショップ」に登壇したあがた森魚さん
現在渋谷アップリンクで行われている「ドキュメンタリー制作上映ワークショップ」のゲストとして、あがた森魚さんが登壇し、自身の映像制作についてトークを行った。
あがたさんは、2012年からアップリンクにて「QPOLA PICTURE LIVE SHOW」を開催。自身の撮影により前月の1ヵ月の活動を約1時間にまとめた映画の上映とミニライヴによる企画を毎月続けている。この日は、あがたさんが映像制作を目指す受講者からの質問に答えながら、自身の表現について語った。
次回の「QPOLA PICTURE LIVE SHOW」は9月24日(水)に行われる。また「ドキュメンタリー制作上映ワークショップ」改め「アップリンク・映像制作ワークショップ」の新期は11月25日より開講となる。
そこに来ている「あなた」が驚いてくれたらいい
──毎月上映している『Qpola Purple Haze』ですが、2007年から毎月撮り続けてこられているなかで、なにか心境の変化はありますか?
素朴に言えば日記ですよね。自分が1ヵ月の間で見たものを撮っておいて、自分も見たいし誰かに見てほしい。誰かディレクターがいて「これを撮りましょう」という話じゃないから。今だったらみんながiPhoneで撮っているものを、僕はあえてビデオカメラで撮っているような感じですね。
僕はいま埼玉県の川口に住んでいて、都心まで出てくるときは京浜東北線で荒川を鉄橋で渡るんです。そこで定点観測的に「ここの鉄橋は撮っておこう」とか駅の表示など、ランドマーク的なものは撮っておこうというのはあります。こどもの視点で、面白いと思ったものを撮っています。
あがた森魚月刊映画「きゅぽらぱあぷるぶるっくりんへいず」より
映像については、小さい頃から自分で撮ってみたいと思っていて、こういう教室にも通ったことがあるんです。そうした教室ではカメラを顔の前に構えて、自分の目で見ないと映像に力が出ない、と言われた。ただずっと顔の前に構えていると対話しづらいし、カメラってあるだけで圧迫感がある。とはいえ隠しカメラだと意味がない。だから、どこかで「あなたを撮っています」という姿勢を示したいから、下から構えたり、話しながら撮りたい。テーブルの上に置いておくこともあります。
──演奏シーンのときはどう撮影されているんですか?
カメラをいちばん前にいるお客さんに渡しちゃう(笑)。ライヴのときは、そのことで意識がいっぱいで、準備がうまくいっていると、あそこに置こうとか考えるんですけれど、会場スタッフがいたり、誰か親しい人が会場にいたら「そこから撮ってもらえますか」とお願いするときもあります。
あがた森魚月刊映画「きゅぽらぱあぷるぶるっくりんへいず」より
──各地での風景も、おそらく地元の人だったら気づかないような視点で切り取られていると感じました。
たぶん何人かで旅に行って、それぞれカメラを持って、後で上映会をやったら、「こんなに人によって見るものは違うんだ」と思うでしょう。人によって興味を持っている視点は違う。これはそのいろんなカメラがあるなかのひとつだと思います。
──その月の出来事が順番に編集されていますが、これはあらかじめ決めているのですか?
自分のなかで約束が3つがあって、1つ目は「時系列は守る」。だから回想シーンはないんです。2つ目は「極力企まない」。じゃあドキュメンタリーって企んでないかといったらそうではなくて、ほんとうにあったものを真摯に撮ることには違いはないけれど、カットを繋ぐことで自分のアイデンティティを込めようとする。でもなるべく企まない。3つ目は「音楽はつけ加えない」。音楽の持つ力や楽しさ、映像に音楽を乗せたときのドラマチックさや気持ちよさはあるんだけれど、演奏しているシーンが多いこともあるし、黙っていても音楽的要素があるわけですから、あえてそこで鳴っている音以外はオーバーダビングしません。
あがた森魚月刊映画「きゅぽらぱあぷるぶるっくりんへいず」より
──約60分の作品を仕上げるまでにどれくらいの時間撮影をされているのですか?
撮り始めた頃は、地方に行ってライヴをそのまま据え置きで撮っていたりするものを合わせると、60分テープ30本ぐらいありましたが、今はその半分ぐらい、撮る量は刻々減っていますね。
手ブレや編集の乱雑さがありながらも、スクリーンで見られる作品になっている。何年か前では信じられないことで、フィルムからデジタルになったことの良し悪しはいろいろあるけれど、テクノロジーの進歩というのはすごいなと思います。
編集の作業には立ち会ったり途中で意見を言ったりしますが、あえて第三者に託すことで少し客観性を出したいんです。どういう場所で撮られているのか、なぜこんな画を撮っているのか分かりづらい部分も残して、あえてテロップやナレーションも加えません。
あがた森魚月刊映画「きゅぽらぱあぷるぶるっくりんへいず」より
──毎月60分の作品を仕上げるのは、かなりたいへんなことだと思いますが、アップリンクで上映するということが決まっているから続けられたということはありますか?
アップリンクは映画館というよりも学校のような感じがするんだよね。スクリーンがいくつかあって、部室で活動しているみたいなね。もちろん大きなスタジオで作られた映画にも感銘を受けるけれど初めて映画を制作するような人が撮った映画は「なんでこういう撮り方しているのかな」と新鮮なんです。ロックでも、どこのガキがなにやってるか分からないようなもののほうが驚きがある。それと同じ空気がこのアップリンクにあって、僕もその一員としてこのカメラを回しているのかもしれない。
──6月号の映像では、金沢の街で「音楽を目的に音楽をしない、旅を目的に旅をしない」とひとりで語る場面がありましたが、あのシーンにはどのような思いがあったのでしょうか?
目的はここにいる「あなた」しかいないんですよ。それは何人もいる漠然とした「あなた」のときもあるし、そのとき好きでしょうがない誰かかもしれない。2011年東北で大災害があって以降、ここから5年後10年後俺たちはなにをやっているのか、というのはよく掲げられるテーマだけれど、僕にはその答えは簡単には出せない。いま吸っているこの空気はどうなっているのか、考えはじめると追いつかない。音楽についても、今日の会場の音響どうなっているのか、ということよりも「あなた」に歌うということだけなんだということを言いたかったんです。
歌うことが目的化されても、結局商品価値の高い、それなりに収まるところに収まったものしか出来上がらない。それはそれで素晴らしいけれど、本当の目的ではないんです。アップリンクという場で演奏したり上映されたら、そこに来ている「あなた」が驚いてくれたらいい。それが音楽的な、映画的な営みであり認識だと思う。
音楽と映像は僕の中で循環運動をしている
【以下、ワークショップの参加者からの質問】
──撮影に関してはなにか約束事はあるのですか?
僕もこうしていちおうナチュラルに話しているけれど、質問によっては言葉につまったり、すごく困った質問されると逆襲したり。映像というのはそういう態度です。劇映画や、ひとつのテーマについてドキュメンタリーにしようという作品であれば、カメラの視点はあるひとつの姿勢を保っていかなければいけないけれど、僕の場合はファウンド・フッテージ(他の作家によって制作された既存の映像[フッテージ]を作品の全体または一部に使い、新しく作品を作る手法)のように、落ちてるフィルムを拾ってかき集めて繋げたようなものだから。自分のなかには撮るものについての基準はあるけれど、今日はブルブル手が震えていたとか、鉄橋を撮ろうとしたらバッテリーが切れてる、一度バッテリー外して付け直すと30秒くらい撮れる、みたいなことの連続だから、約束事はありません。
あがた森魚月刊映画「きゅぽらぱあぷるぶるっくりんへいず」より
──編集を任せていて、このシーンを入れてほしかったのに入っていない、ということもあるのですか?
「この流れだったこの画いらないなぁ」みたいなこともいっぱいあるけれど、あまりパーフェクトに自分が決めたことだけにはしない。時間的な理由もあるけれど、少しだらしなくしたいというか。絵画と同じで、絵って飾っていて1年くらい経ったらまた手を入れたりすることもある。無責任に聞こえるかもしれないけれど、それくらいの距離で付き合ったほうが毎月作り続けるにあたってはいいんです。
──ギターを持っている位置にカメラがあるなと思ったんです。だからギターを鳴らしながら考え事をするみたいに、カメラを撮ってるのかなと思いました。
うまいこと言いますね。そういう感じはある。いいフレーズが思いついたときに記録するのと同じように、なんか気になるものに目が向くと「そんなもの後で何に使うの」みたいなものもムービーで撮るみたいな感じかもしれないね。
あがた森魚月刊映画「きゅぽらぱあぷるぶるっくりんへいず」より
──私の本職はライターで、誰かに何かを伝えるときは書くという方法がありますが、この映像制作ワークショップに参加しています。あがたさんは音楽というものを持っていらっしゃるのに、どうして映像が必要だったのでしょう?
言葉があるからなんですよ。日本語で話すほうが伝わりやすいかもしれないけれど、それでも全ては伝わらない。言葉を超越している、別のものを歌や映像に託したいのかもしれない。
そして、映像は僕のなかにはもともとあったんです。僕はいま1964年というテーマ、50年前東京オリンピックの年をテーマにアルバムを作っています。その翌年の1965年、ボブ・ディランが「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌いましたが、高校2年生のときこの曲を聴いて「歌ってみようかな」と思ってしまったんです。それまでは歌を歌う気はなかった。あなたと一緒に物書きになりたいと思っていたし、小学校の頃は二番館で東映の時代劇を毎週観て感化され、俳優になりたい、自分でも監督してみたい、映像をやってみたいと思ったこともある。歌い手になることはなにかのはずみでなってしまった選択肢なんです。でもあと何年かは分からないけれど、音楽はやり続けます。
──映像制作をすごく楽しんでいらっしゃるように思うんですけれど、辛い、辞めたいと思ったことはないんですか?
好奇心や思いつきでなんでもパッと撮って出していくのは楽しいけれど、でもいちばん撮りたいのは人間なんだ。人が楽しそうにしているのを撮りたい。恋人同士が楽しそうにしているのを遠くからこっそり撮るのが最高です。「あなたたちのこと素敵なので撮らせてください」と聞いてみたことがあるんですが、男のほうに何だと?とすごまれたので、それ以降やってないんですが(笑)。もっと猥雑でたわいないいろんなことを…、街の路上で別れ話をしている男女も、彼らの幸せなシーンが撮れるなら、合わせ鏡として撮りたい。彼らがどこでどう愛し合っているのか、一体全体を撮りたいんだ。撮るためにロケハンしたりはしないから、撮ることを目的にはしない。歌うことを目的にはしない。いま日本が戦争の道に進んで危ないといったときに、反戦運動をするために反戦運動をしたくないんです。昔はもっと、いろんな人たちが溢れていたような気がする。
あがた森魚月刊映画「きゅぽらぱあぷるぶるっくりんへいず」より
──撮ることでご自身を奮起させている部分もあると思うんですけれど、私の場合、撮ってみて、まとまったところで他の人は面白いと思えるのか、と思うと急に撮る気が失せてきてしまうんです。
画家でも映像作家でもミュージシャンでも、直感的なひらめきで書ける人と、いっぱい書き散らしてやっと1枚できる人もいる。資質や才能は人それぞれだから。あなたも私もそうなんだけれど、自分にこだわりがあれば時間がかかっても、たくさん撮って、捨ててしまうものがあってもいいんじゃないかな。レコードの衝動買いと同じで、自分が撮りたいと思ったらバカらしいと思っても撮り、気力・体力があれば、撮り続けるのがいいんじゃないですかね。撮っているうちに、いいものとムダなものとだんだん分かってくる。それは表現者のバランス感覚だから。
──あがたさんの映像は誰かを面白がらせよう、感動させようというかっこつけの映像じゃなくて、気負ったところがなくて、あがたさんと一緒に旅をしているような気持ちになりました。一緒に電車に乗ったりいろんな人にあったり、おばちゃんにチョコレートあげたり、カメラがゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじみたいに一緒に生きてすごしている、みたいな。だから、ブレるときもあるけれど、いつも一緒にいて世界を見ている。面白かったです。
ありがとう。そういう意味ではあなたは僕が見てほしかった「あなた」になってくれた。
──あがたさんはあなたに見てもらいたくて撮りたい、とおっしゃいましたが、私はそんなに優しい気持ちになれなくて、見せるからにはかっこいいものにしたいと、それがつまらないと思われたらどうしようという怖さがあって、もっと楽しめるためにはどうしたらいいでしょうか。
「この作品どう思う?」ということや「なぜ映像を撮っているのか」という悩みをあなたが親密さを感じる人に語ったり、撮った映像を観てもらうことがいいかもしれない。たくさん突きつけてみて、いろんな「手応え」をいろんな人と試してみることじゃないかな。誰かともっと親密になること、恋愛かもしれないし友達かもしれない。そこを葛藤してみるのがいいと思う。「この人だったらどう撮るんだろう」と一週間だけ2カメで撮ってみるパートナーを見つけるとか、シナリオや絵コンテを描いたら、一緒にやってみてぶつかってみると、「こんな画を撮ったのか」と驚きがあったりする。
── 映像を撮ることによって、曲作りの部分では変化はありましたか?
僕は音楽を聴くことで音楽を作ることってあまりないんです。デビュー曲の「赤色エレジー」を聴いてもボブ・ディランの影響は聴こえない。なぜこの24歳の白人の青年が60歳くらいのブルースシンガーみたいな歌い方をするんだろうということは衝撃だったけれど、それを真似しようとは思わなかった。音楽以外のいろんな要素のなかで、自分は歌を作った。「赤色エレジー」は林静一さんが漫画雑誌「ガロ」に連載していた漫画に感動して勝手に主題歌をつけたんです。そのように、映像や文学、絵画、社会現象……いろんなものが影響を与えています。だから、僕自身の映像が僕の音楽に影響を与えるかは分からないけれど、たぶん自分のなかでは循環運動をしている。だからこそ毎月作っているんだと思います。
(2014年9月2日、渋谷アップリンク・ファクトリーで開催のドキュメンタリー制作上映ワークショップにて 取材・文:駒井憲嗣)
あがた森魚 プロフィール
1948年9月12日、北海道生まれ。1972年「赤色エレジー」でデビュー。デビューアルバム『乙女の儚夢』以降、あがた森魚世界観をはらんだアルバムを発表しながら活動を続ける。80年代にはヴァージンVSを結成。87年『バンドネオンの豹』を発表、ワールドミュージックへと視野を広げ、90年代初頭には、雷蔵を結成しアルバムをリリース。21世紀にはいり、初のベスト盤『20世紀漂流記』を発表。2007年デビュー35年を迎え、アルバム『タルホロジー』リリース。2009年2月22日、一大記念イベント『Zipang Boyz號の一夜』を開催。2009年ドキュメンタリー映画『あがた森魚ややデラックス』を劇場公開。2011年、アルバム『俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け』『誰もがエリカを愛してる』CD2枚を連続リリース。さらにあがた森魚と山崎優子『コドモアルバム』を完成しリリース。2012年、デビュー40周年を迎え記念アルバム『女と男のいる舗道』リリースや記念コンサートを開催、アルバム『ぐすぺり幼年期』をリリース。2013年、アルバム『すぴかたいず』をアナログ盤でリリース。2007年から続いている月刊日記映画を毎月制作、上映会を行い、ライヴも全国で展開、ひきつづき意欲的な活動が続いている。
http://www.agatamorio.com/
あがた森魚 日記映画上映&LIVE!
「QPOLA PICTURE LIVE SHOW 2014」#8
(あがた森魚の2014年8月の日記映画)
2014年9月24日(水)
渋谷アップリンク・ファクトリー
19:00開場/19:30開演(ライブは20:30頃より)
出演:あがた森魚
ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/event/2014/30661
【2014年11月期】
「アップリンク・ムービー制作ワークショップ」
11月25日(火)開講
期間:2014年11月25日~2015年3月31日[隔週火曜日、全10回]
時間:19:00~21:30(事前告知による日程変更あり)
■会場:渋谷アップリンク(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル)
参加料:現金 36,000円/クレジット 38,000円(一括のみ ※分割・リボ払いは後からご自身で設定してください)
■ナビゲーター:浅井隆(アップリンク主宰)
お申込みは下記より
http://www.uplink.co.jp/workshop/log/000990.php
▼あがた森魚月刊映画「きゅぽらぱあぷるぶるっくりんへいず」2014年7月號予告編
[youtube:3seoBH6GCRE]