映画『ワレサ 連帯の男』より
アンジェイ・ワイダ監督の最新作『ワレサ 連帯の男』が4月5日(土)より公開される。電気技師から独立自主管理労組「連帯」指導者になり、ノーベル平和賞を受賞、そしてポーランド共和国の第三共和制初代大統領となったレフ・ワレサの闘いを、記録映像や当時のロック・ミュージックを交えリアルに描いている。ワイダ監督がなぜいま実在の政治家の人生を描こうしたのか語った。
彼は政治的に傑出していただけでなく、私たちの社会生活の一現象
──なぜ監督は、政治的にこれほど困難な映画の製作を決断したのですか?
映画『ワレサ 連帯の男』が、55年に及ぶ私の映画人生に取り上げたすべてのテーマの中で最も困難なものであることは、十分に承知しています。しかし、レフ・ワレサについての映画を、しかも私が満足できるような作品として作れる監督は、私以外に誰も見当たらないのです。作るしかありません。
映画『ワレサ 連帯の男』のアンジェイ・ワイダ監督
──グダンスク・レーニン造船所の労働者を題材にした『大理石の男』『鉄の男』につづき、この作品のタイトルを『ワレサ 自由の男』(原題)としたのはなぜですか。
最初は、これが実際の人物についての映画である以上、『ワレサ』で十分だと思っていました。しかし、レフ・ワレサの映画が過剰に政治的な映画として受け取られることは、私の望みではありませんでした。名字だけのタイトルでは、観客から、「賛成か反対か(支持か不支持か)」という一義的な言明を要求しかねません。これは映画であると明確に指示しておいたほうがよいと思いました。そして、『~の男』としたのは、かつての二部作に続くパートとして、この映画を観てほしい、という私の願いです。
──現在のシナリオで作ろうと決める前に、別のシナリオを没にしたと聞きましたが?
ヤヌシュ・グウォヴァツキのシナリオは、私が最初に手に入れた、そして唯一のシナリオです。彼はこの主題に最適のシナリオ・ライターだと考えました。まず、彼はストライキのときに造船所にいたからです。第二に、彼は長い亡命から我が国に戻ってきた作家です。アメリカの視点から、ワレサ現象を観る機会を持ちました。まさしく彼が、私に、ドラマツルギー上のある解決を暗示してくれたのです。映画を1970年の十二月事件から始め、ワレサ個人としての最大の勝利すなわち、ワシントンの米国議会で演説して、「私たち民衆は」と語った瞬間で終えることです。青二才から王様へ……このようなとてつもないストーリー展開は、想像で作り出すのは困難です。でもそれが私たちの目の前で起こったのです。私たちは、レフ・ワレサについて、この期間の彼が果たした役割について捉えるべきだと判断したのです。
この時代を題材にした理由がもうひとつあります。1970年は彼にとって、忘れることのできない教訓でした。彼は、2000ズウォティの賃上げや自主管理労組としての連帯であり検閲撤廃といった労働者たちの目標を、交渉の道によってしか実現できないということを理解しました。それが私たち知識人と芸術家をかくも強く、〈連帯〉へと結びつけたのです。
映画『ワレサ 連帯の男』より
完成までにさまざまな変更はありましたが、レフ・ワレサという、将来の観客に強い反応を引き起こす主題をめぐって映画が作られるのであれば、別の作り方はあり得ないのです。私は、「連帯」が共産党政府代表団と交渉を行っていた時期に、ワレサと知り合いました。それ以来、彼に賛嘆の思いを抱いています。映画はその思いの表現になることでしょう。
これをレフを風刺した作品だと考えないでください。私は一度たりともそれを意図したことはありません。私は常に、ワレサは私にとってまったく例外的な人間であると言いつづけてきました。彼は政治的に傑出していただけでなく、私たちの社会生活の一現象なのです。
これは、私が生涯に監督した映画の中で最も長い時間をかけて作った映画です。希望を失うことなく、最も長い時間をかけて作ったのです。2回製作を仕切りなおさなくてはならなかった『カティンの森』よりもっと長い時間です。
私たちの愛国心は伝統的に、死と同一視されてきました。私自身、そうした同一化を促すような映画『地下水道』『灰とダイヤモンド』を作ったことがあります。とはいえ、私は、それは間違った道であると考えていました。だからこそあの映画を作ったのかもしれません。それもあって、この新しい映画で、私はワレサをひたすら擁護しています。それは、彼が擁護に値する限り、私はいつまでも彼に関心を持ち続けるからです。大衆の共感を失ってしまった政治家、敗北した政治家は数えきれないほどいます。私たちの目の前にいるのは、混沌とした、ポーランドにとってまたヨーロッパにとって極めて困難な時代に、私たちの集団的期待をかなえて見せた人間なのです。
映画『ワレサ 連帯の男』より
家庭でのシーンにとても大きな意味を与えた
──現在も生きているワレサを主人公とすることに困難はありませんでしたか?
どのようにすれば、生きている人間、アクチュアルなテーマについて発言する人間、自分が画面にどのように現れるかを自ら評価する可能性を持つ人間について、映画を作れるかという問題がありました。私には、そうしたリスクを犯す力があるだろうか?でも別の面から言うと、私たちの関係をふまえ、彼は映画に関して、とても理性的にふるまいました。シナリオを読もうとせず、ラッシュ・フィルムを観ようともせず、映画を私たちにまかせてくれました。
映画『ワレサ 連帯の男』より ワレサ役のロベルト・ヴィェンツキェヴィチと妻ダヌタ役のアグニェシュカ・グロホフスカ
──主役を演じる俳優について、監督は具体的な俳優を思い浮かべていましたか?カメラ・テストをしてからようやく、誰がその役を演じるかが決まったのですか?
カメラ・テストは、主役はロベルト・ヴィェンツキェヴィチになるだろうという私の直感を証明しただけでした。私は、近年、素晴らしい若い俳優がポーランドに輩出していることを知っていますので、なおさらのことでした。
フィナーレの米国議会の場面だけ、ヴィェンツキェヴィチがワレサを演じるのではなく、初めてレフ・ワレサ本人を画面に出しました。第一に、観ている人に比べさせて、ヴィェンツキェヴィチがその人物造形によって、俳優から実物への移行をほとんど目につかないものにしてしまったことを示したかったからです。第二に、これは現実に存在する人間が主人公の伝記映画であり、私たちは彼の運命を再現したに過ぎないことを観ている人に思い出してもらうためです。
──映画に描かれた世界の中で観客の視点の代りをしているのが、インタビュアーとしてレフ・ワレサに質問をなげかける、イタリアのジャーナリストです。
彼女のおかげで、私たちは、映画製作のある瞬間に解決不可能と思えた困難を克服できました。映画構造の柱、映画の全体を支える主旋律となったのです。
オリアナ・ファラチは7年前に死去しましたが、彼女が1981年3月にレフ・ワレサと行ったインタビューをどこかに挿入しようと考えていました。彼女を演じたイタリアの女優マリア・ロサリア・オマジオと話しているときのワレサ役のロベルト・ヴィェンツキェヴィチは、ほかのどの場面でも演じることのできないほど開放的になっています。
映画『ワレサ 連帯の男』より ジャーナリスト、オリアナ・ファラチ役のマリア・ロザリア・オマジオ
──確かに、インタビューの場面は、ヴィェンツキェヴィチの俳優としての見せ場になりましたね。
あの場面ではワレサ自身が語った言葉だけを使っています。これは100パーセント現実に起こった状況です。労働者のリーダーが、著名な女性ジャーナリストの前でいいところを見せようとしている、と同時に、彼女は自分の新聞記事で自分を嘲笑するかもしれないと恐れてもいる。より魅力的でより滑稽なワレサが、映画に点在することが、この映画に新しい特徴を与えています。
──と同時に、この映画は、彼は一気に人民の指導者になったわけではないことを描いています。
もちろんです。彼を政治的役割だけに限定することはできませんでした。それ故に、私たちは家庭でのシーンにとても大きな意味を与えたのです。レフは、ほかならぬあのような困難な家庭状況……もちろんそれも彼自身が作り出したわけですが……その中で活動を続けたのです。彼は、他ならぬダヌタという女性の伴侶ですし、現在もそうです。彼は少しずつ、本物の闘志と指導者に変貌していきますが、その際人間的な特徴を失うことはなかったのです。これは彼が、バルト海沿岸の労働者や労働者擁護委員会と共同した結果です。こうした集団が彼を政治的に成長させ、後に行うことになる決定的な対話を行わせたのです。しかしはそれでも彼は、こうした対話を自分の言葉で展開しました。ほかならぬそのことが、共産主義者を茫然自失に追い込んだのです。レフ・ワレサが労働者と飾らない言葉で話したということが。これこそが、勝利への唯一の道だったのです。
──劇映画の部分と群衆シーンなどの記録映像を巧みに組み合わせています。
私は、記録映像を全体に絡み合わせることで初めて、この映画に真実が保証されると固く信じていました。それなくして、真実らしさは出なかったでしょう。私はあんな群衆を集めることはできなかったし、映画に不可欠な場面を演出する可能性もありませんでした。ここで特筆しておかなくてはならないのは、ポーランド映画界には当時の出来事を写す準備が十分にできていたということです。記録映画製作所に属するドキュメンタリストは、仮にキェシロフスキが労働者たちを撮っていなければ、撮ることはできなかったでしょう。私も、『大理石の男』なしに『鉄の男』を撮ることはできなかった。
──最後に、この映画は誰に向けて作られましたか?
すべての人々ですが、まずは若者です。造船所の電気技師から出発して、ノーベル平和賞受賞、そして大統領にまでなったレフ・ワレサの生き方を通して、政治に参加するとはどういうことかを示したかったのです。
(オフィシャル・インタビューより)
アンジェイ・ワイダ プロフィール
1926年3月6日、軍人の父、学校教員の母のもと、ポーランド東北部のスヴァウキ市に生まれる。第二次世界大戦中には、対独レジスタンス運動に協力、戦後、クラクフ美術大学に入学した後、ウッチ国立映画大学に転学し卒業。1954年、『世代』で長篇映画監督デビュー。1957年『地下水道』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。1959年『灰とダイヤモンド』でヴェネチア国際映画祭国際批評家連盟賞受賞。1971年、『白樺の林』でモスクワ国際映画祭金賞受賞。1978年『大理石の男』でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞。1981年『鉄の男』でカンヌ国際映画祭パルムドール受賞。同年の戒厳令で、ポーランド映画協会長などの座を追われ、海外での映画製作を余儀なくされる。1986年『愛の記録』でポーランド映画界に復帰。1987年京都賞を受賞。その受賞賞金を基金として、クラクフに日本美術技術センターの設立を宣言。1989~1991年、ポーランドの上院議員を務めた。1994年、磯崎新の設計による日本美術技術センター(現日本美術技術博物館)がクラクフに完成。その後、高松宮殿下記念世界文化賞、米アカデミー賞特別名誉賞、ベルリン国際映画祭金熊名誉賞、ベネチア国際映画祭功労賞などを受賞。
映画『ワレサ 連帯の男』
4月5日(土)岩波ホールほか全国順次ロードショー
1980年代初頭、グダンスクのレーニン造船所で電気工として働くレフ・ワレサの家に、イタリアから著名な女性ジャーナリスト、オリアナ・ファラチが取材に訪れたところから映画は始まる。ワレサは彼女に、1970年12月に起こった食料暴動の悲劇から語りだす。物価高騰の中で労働者の抗議行動を政府が武力鎮圧した事件だ。この時、ワレサは両者に冷静になることを叫び、検挙された際、公安局に協力するという誓約書に署名を強いられた。グダンスクのアパートで質素に普通の生活を送っていたワレサとその妻ダヌタ、そして産まれてくる子供たち。この事件以降、一家は、歴史的転変期の真只中に深く関わってゆき、ワレサはその中で次第に類まれなカリスマ性と政治的感性を発揮してゆく…。
監督:アンジェイ・ワイダ
出演:ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ、アグニェシュカ・グロホフスカ、マリア・ロザリア・オマジオ、ミロスワフ・バカ、マチェイ・シュトゥル、ズビグニェフ・ザマホフスキ、ツェザルィ・コシンスキ
脚本:ヤヌシュ・グウォヴァツキ
撮影:パヴェウ・エデルマン
美術:マグダレナ・デュポン
衣装:マグダレナ・ビェドジツカ
音楽:パヴェウ・ムィキェティン
編集:グラジナ・グラドン、ミレニャ・フィェドレル
製作:ミハウ・クフィェチンスキ
2013年/ポーランド/ポーランド語・イタリア語/シネマスコープ/デジタル5.1ch/127分
ポーランド語題:Wałęsa. Człowiek z nadziei//英題:Wałęsa. Man of Hope
字幕翻訳:久山宏一、吉川美奈子
提供:ニューセレクト/NHKエンタープライズ
配給:アルバトロス・フィルム
公式サイト:http://walesa-movie.com
公式Facebook:https://www.facebook.com/walesarentai
公式Twitter:https://twitter.com/walesa_movie
▼映画『ワレサ 連帯の男』予告編
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